google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 吹雪の時間: ひとくちメモ

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2005/03/05

吹雪の時間

昨日、東京の3月に数年ぶりの雪が積もった。そんな翌朝、例によって録り溜めしていた今週のドラマからまず見たのは「優しい時間」。残雪に導かれて見るにはこれしかないだろう。というより、もう今期クールは「優しい時間」に釘付けだ。

今回は猛吹雪の到来とともに、マスターの知らなかった息子の過去を知る人物の登場や、その話を知ったことによるマスターの心の変化、そしてアズちゃんのリストカットという現実までもが運ばれてきたかのようだ。ドラマの転換ポイントが猛吹雪とともに訪れた。

特に泣かされる場面でもないところで、なぜか涙が出てきた。これみよがしに泣かそうとするドラマや映画が多いなか、マスターばりに偏屈なオレ(笑)に涙させる要素は何なのか?涙しながら、人間の心なんてフィクションで描けてしまうくらい単純なんだなとか、いや日常があまりに起伏がなさ過ぎるからフィクションで涙してしまうのだとか、そういうことがアタマをよぎりつつ、家族について考えていてハッとした。

「家族って恥ずかしい」

昔、井上陽水氏がそんなことを言っていて、妙に納得したことがあった。家族って恥ずかしい。日本語としていろんな取り方が出来る言葉だけど、ボクは家族のまえで本当の自分(らしきもの)を見せることが出来なかったし、いまも出来ているとはいえない。本当の自分なんてものはないわけだが、しかし自分なりに思うには、演じ続けていたし、家族といる時間は苦痛だったりする。他人といるときのほうが楽だ。自分を演じるにも楽なのだ。

一人暮らしの気楽さも、積極的に選択してきたような気がする。孤独にしか安らぎを求められない。それは家族という恥ずかしいものから逃げているともいえる。旅人でありたいと考えた青年時代から、考えてみれば贅沢で平和ボケした話だ。空気のような存在としての家族があったからこそ、こんな偏屈な理屈がひねり出せたのかもしれない。

昨年の夏、祖母が倒れた。元気な姿しか覚えていない。共働きの両親の代わりに育ててもらった。病院で会った時、これがあの祖母なのかと愕然とした。「100まで生きる」が口癖だったあの祖母なのかと。そのときから、さすがのオレも家族について、考えるようになった。自分の成長とともに家族も年老いてゆく。その現実からも逃げていた。

「優しい時間」は、父親と息子、亡くなった妻と夫、そしてマスターの孤独。そういう関係を通して家族について考えさせる。たぶん今回は、ドラマの内容にではなく、そこから派生した自分自身に涙していたのだろうと思った。

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