google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 掃除への一歩を踏み出す(遅すぎっ!): ひとくちメモ

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2004/11/06

掃除への一歩を踏み出す(遅すぎっ!)

掃除をするするといいつつなかなか片付かない。もともとキャパを超えているのだ。

ワンルームから今のウチへ引っ越したとき、業者の所長が見積もりに来て「トラック1台で充分!」と太鼓判を押してくれたのだが、どこから出てくるのか(ウチからに決まってる!)荷物がワンサカ出てきて「ほんとに見積もりしたんですか?」とドライバーが言ったくらいにモノが多い。結局自分でも運ぶはめに。

あれから早7年か?金魚は金魚バチの大きさに合わせて体も大きくなっていくという話を聞いたことがあるが、まさにオレは、いやオレの持ち物は金魚のようだ。間取りが広がった分、荷物の占める体積はデカくなり、掃除の時間も正比例して広がっていくのだ。もしかすると加速度がついているかもしれない。

楽器やら書籍やら書類やら家電やらPCやら、生活必需品以外のモノモノモノ...。個人的には人生たかだか80年、一度購入したモノ(とくに書籍)は一生ともに暮らしていきたいと思っている。子どもの頃、古書店にケイブンシャの大百科シリーズ(平均一冊650円で何十冊あったことか...)を泣く泣く持ち込んだら、全部で500円だった。あまりのショックに涙も出ず呆然としたことがトラウマになっている。そんなわけで、この書籍類のためにワンルームを借りようかくらいに思ってはいるのだが、それはまだまだ先の話だ...。立花隆じゃないんだから(^_^;)。

そんなことをウダウダ説明しているヒマがあったら、掃除すれば。そういうお叱りは免れない。甘んじて受けつつ、もう少し掃除について考察してみたい(>_<)。

「それって、模様替えじゃない?」そう言われて我が意を得たり!そうだ。そうなのだ。オレにとって掃除とは模様替えと言い換え可能な行為そのものだったのだ。今回重い腰をあげつつあるのも(あげんかいっ!)、これが掃除でなく模様替えだからなのだ。

本棚の場所を換え、本を入れ替えるのは楽しい。そういう面白みによってやる気を奮い立たせるしかないのだ。モチベーションさえ高まれば、しめたもの。もともとがイベント体質なので、日常作業である「掃除」という動作を、非日常のイベントの「模様替え」に内包してしまうことによって、同時に片付けてしまえる。

逆にいえば、ぶっちゃけ掃除なんて、今日しようが、来週しようが、来月であろうが、来年であろうが、一度すればリセットされるだけだ。むちゃむちゃ反論されそうだが、まあまあ落ち着け(笑)。ホコリが1ミリだろうが3ミリだろうが、それは一度拭き取ればゼロに戻る。オレはそこにクリエイティビティを見出せない。それどころか、たまにホコリのなかに何かのイメージを見つけたりして、壊したくないって思ったり。ほら、トイレのタイルが人の顔に見えたりしたことないか?オレは実家のトイレに3人知り合い(尻あい。ダジャレってる場合か!)がいたぞ。そんな言い訳してる間に掃除機かけなさいとかいうなっ!

TOKYO STYLEそんな掃除と模様替えは違う。空間のリコンストラクションである。これまで見たことのない空間を生み出す作業だ。そうやって出来たオレの空間は、いわばオレの作品である。もともと自分の部屋の写真を撮るのが好きなのだ(散らかっている部屋も含めて)。ナルシシズムの現れかもしれんが。昔「TOKYO STYLE」(文庫になってた!)という写真集がヒットしたが、あの感覚わかるぅ!(違うって?)

だが、そのような作品も日常とともに掃除の対象となっていく。空間とはそういうものだ。だがジッと耐えて待つのだ。そしてまた、いつの日か、模様替え、いや空間アートのクリエイティビティに対するモチベーションの高まりを抑えられなくなったとき、次回作が生まれるのである!もっとも前の部屋は掃除=引越しだったが...。

さてさて、能書きもたれまくったし、そろそろやらないと片付かないな...。ネットにまでこんなゴミのような文章を撒き散らしたところで、掃除、違った、空間アート制作へ乗り出そう。なんせ来週の土曜は水道管掃除の作業員の皆様がいらっしゃるから、散らかってると恥ずかしいもんな(爆)。

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コメント

風呂掃除に何時間もかけてしまったため、部屋まで手が回らない。もう時間もない。そこで作戦を考えた...。

ピンポーーーン!
「はい」
「水道管清掃です」
「あー、どうぞー」
ドアが開く
「すみませんね。この機会に部屋掃除始めちゃって」
「水道管見させていただきます」

これだ。掃除が終わってなくても、散らかっていても、いままさに掃除中という雰囲気があれば事足りる(事足りる?)。

こうしてボクの部屋には掃除機という名のオブジェが居座ることになった。

城山三郎の名著に「毎日が日曜日」というのがあるが、私は「毎日が掃除中」だ。

投稿: 永遠に掃除中作戦! | 2004/11/10 08:08

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