月刊松下村塾創刊
10月27日に月刊松下村塾が創刊されました。全12巻です。間違っても松下政経塾(まつしたせいけいじゅく)とは混同しないよーに!松下村塾(しょうかそんじゅく)とは幕末に吉田松陰によって開かれたフリースクール(のようなもの?)のことです。この塾名自体はもともと松陰の叔父、玉木文之進が開いたものだったそうです(月刊松下村塾創刊号27ページ)。
ボクは山口県で生まれ、吉田松陰という名前は小学生のころ知りました。校長が名言・格言などを全校生徒に覚えさせることが大好きな人で、その最初に選ばれた言葉が吉田松陰の「立志」でした。短い格言みたいなもので、志を持って学ぶことが大切みたいな意味だったかと思います。いまではタイトルしか覚えていないのですが...。
立志から始まって、高学年になると百人一首は毎週10首ずつ(覚えられなければ翌週へ持ち越し)とか、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」(千曲川旅情のうた)とか「千曲川のスケッチ」などなどを暗記していくわけです。高学年になると結構差が開くわけですが、最初の「立志」は全校生徒が全員暗唱できた小学校でした。いまでも百人一首のひとつふたつくらいは頭に残っております。
「立志」については内容が頭に残っていなくても、やはり最初に出てきたお題でしたし、山口県の偉人のことばということで、やはりそこから何かを得ているように思います。小学3,4年生くらいまでに体験した物事は結構その後に影響するのかなと思います。
日本史は赤点だったボクですが、嫌いじゃないんです(笑)。ただ権力者の歴史よりも、もっと別の日本史があればと思っていました。吉田松陰という人が語られるとき、そのどちらからも慕われるという面があります。松下村塾は結果的に明治維新へ向かうエリート養成機関となったわけですが、そもそもは家族にしていた講話が地域の話題を呼んで、誰もが平等に自発的に学ぶ場としてあったわけです。カリキュラムもなく、ときには松陰が畑仕事を手伝いつつ、話をすることもしばしばだったようです。
松下村塾はエリートと庶民とが平等に学び語る場としてあったこと、そして立志の精神が松陰の処刑によってひとつになったことが、明治維新を生み出したのだろうと思います。
月刊松下村塾創刊号の最後のページには安倍晋三議員や河村建夫議員など保守系(というか自民党)の政治家の言葉が掲載されているのが、イマイチ。いや、安倍さんのお父さんは山口県の人ですし、それはいいんですが、山口県に根強い中央志向みたいなものが透けて見える雑誌にはならないで貰いたいと思っています。
サイボーグコイズミには読んでほしいと思いません。所詮二世好きでエセエリートとしか付き合えない、庶民置き去りの人ですから読んでもまったく理解できないと思います。コイズミにとっては消化せん塾です。河村議員は文部科学大臣になったときコイズミに「いいか、吉田松陰ですよ!」と激励されたそうです。
エッセンスだけ取り出せばパフォーマンスに利用される危険性が高いことが早くも証明されてしまっています。コイズミのやることなすこと考えること、すべてにおいて吉田松陰と真逆だし汚らわしいからやめて欲しい。
と同時に、本当に松下村塾のような教育が文部科学省・河村大臣に出来るのかどうかを監視しなければなりません。松下村塾を語るなら、文部科学省は全国一律の小学校教科書をなくすことからはじめるでしょうし、カリキュラムの押し付け、日の丸の押し付け、学問の自由剥奪などなどを改めるはずです。ただ単に愛国エリート養成という上っ面のモノマネでないことを祈るばかりです。
教育を変えるには教員の質も変える必要があるでしょう。全国一律に吉田松陰のコピーなんて作れるわけないんで。個別化をどこまで進められるのか、自発的な愛国心によって国家や権力の不誠実・不正義に異議を唱え、志を実行に移せる人間が文部科学省主導で育てられるのか、まことにもって懐疑的ですがやると言っているのだからどんな風にやるのか見守りましょう。
「立志」と出会ってはや20年以上が経ち、とりあえずタイトルだけ覚えてた「立志」によって、この雑誌を購入してみたわけですが、日本にもサドベリーバレースクールのような学校を作りたいという気持ちを持っているボクなので、教育者吉田松陰というテーマは、嫌いじゃないんです(笑)。
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