災害当たり年
昨日の午後5:56、ちょうど首都高速の入り口に入った瞬間だった。料金所までの坂道で、やけに路面がガタガタするなと思っていたら、高速道路の照明灯がぐわんぐわん揺れている。ラジオから「関東地方の地震情報は後ほど詳しく...」とのコメントが流れ、これが地震だと気づいた。高速道路の縦揺れは初体験。逃げ場がなく怖い。
今年の日本は災害の当たり年だった。台風、地震、小泉政権継続と、日本にとって直接的な災害が重なった。まさに三重苦の今年も、まだ2ヶ月残っており予断は禁物だ。直接見えない部分(国債麻薬国家であること、社会主義国家であること、モラルハザードの泥棒国家であること)など、中長期的に既に修正不可能な部分も含めると、後から振り返って日本という国がストップロスを巻き込んで下抜けた年になっているかもしれない。
ベンジャミン・フルフォードが指摘するとおり(たとえば『八百長経済大国の最期』334ページ)、戦後の生き残り世代、つまり松下やソニー、ホンダの創立者が必死で築いた資産を、その後の「団塊の世代」が食い尽くし、アルゼンチンのような終局(miserable ending)を迎えるのではないか。日本の繁栄とは一世代だけだったということになりかねない。
天災を避けられないのは日本の地理的宿命かもしれないが、災害は人災によって拡大することもよく知られている。その諸悪の根源である小泉政権(および一世代の繁栄を謳歌して無責任体質・談合体質が頂点に達した政界・財界・官界・ヤクザ業界)の無知無策(いや、知ってて食い尽くしているわけだが)によって引き起こされるであろう強烈な未来の地獄絵図は、日本の行く末のもっとも論理的帰結だ。非論理的な国ニッポンだからといってそうそう神風が吹くとは思えない。
慶応・二世・女性が三種の神器である小泉純一郎。ブッシュジュニア、堤ジュニアと仲がいいのは二世同士の馴れ合いに見える。まさに二世が食い尽くして終焉を迎えようとしているニッポンの首相にふさわしい人選だったのかもしれない。とりあえず、マッド・アマノの『リコール小泉“鈍”一郎』(雷韻出版)を読んで、ため息交じりに笑うしかない。ある意味恐怖政治を笑いで中和するか国債買って目をそむけるか。気でも狂わなければイタミがまともに直撃する日本人の現在だ。
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