google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg スパムに想ふ: ひとくちメモ

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2004/09/11

スパムに想ふ

デュシャンは語るこの「ひとくちメモ」にはひとくち小説ってカテゴリがあるのですが、ひとつしかアップできていません。めちゃめちゃシュールな内容を目指そうとしていたので、完全にこのblogから浮いちゃう。他で立てればいいんですが、そこまでやりたいわけでもなくて、開店休業中なワケです。開店休業状態を愛でるみたいな。言い訳か?

ボクがキティちゃんのシュールさを好きなのと、たぶん通じているんですけれど、物語や前後の文脈のない切り取られた風景・日常・関係みたいなものを唐突に提示したかったワケです。論理を超越してるけど何かを喚起できるコトバっていうか。唐突に夫婦の会話を提示して、その前後の文脈は読者に勝手に想像してもらうみたいな。意識のコラボレイション(しかもライブで消えていき、書き手と読者と双方に意思疎通もない)というなんの結果も残さない泡沫小説。そういうものを目指していたわけでございます。

CMってある意味その最高峰なんですが、昨日のスパムの文面なんかは、意識としては割と近い気がして。文章の稚拙さとか、動機のツマラナサみたいな部分はあるわけですけれど、もっと高度にアナーキーであって非文学的であるスパムは可能なんじゃないか。マルセル・デュシャンの「」(Fountain 1917/MUTT 1917)なんて作品はまさにスパムだったわけですよ。当時の芸術界や展覧会へのバックドロップだったわけで。

ボクのひとくち小説というプランは、つまりはそんなスパム的なるものを目指すことだったんじゃないかなと自己分析。ま、それがこのblogにそぐわないかもという判断も大人かなと思うわけですが(^_^;)。また違った形でひとくち小説のプランが思いついたら始めようっと。

それはそうと、キティちゃんがblogを始めたとか。諸刃の剣だと思うな。語るということは、人格形成の第一歩。それはシュールさから遠ざかることにもつながる。多くのキャラクターが物語を持つことで成功したという事実はあるけれど、キティはあえて物語を排除することでここまで来た稀有な存在だった。そのキティが自身の言葉を語り始めるということが、吉と出るか凶と出るか。

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