東京39.5℃
スーツ着てネクタイしてたら体感温度45度くらいじゃなかろうか。大正12年(1923年)の観測史上最高気温だったとか(新聞記事はこちら)。このままじゃ、日本の風物詩であるサラリーマン姿も絶滅の危機か(笑)。
それにしても体温より3度も高い!体温だけでも熱いのに。というわけで、本日お届けするのはその体温の熱さを感じさせる中島みゆきのアルバム「36.5℃」です(笑)。ボクの中島みゆき熱はプロフィールとか昨年のコラムあたりに熱く書いてます。
ディスコグラフィを見ると、「臨月」「寒水魚」「予感」というボクのなかでの最高傑作怒涛の3連作のあと、初めて観に行ったライブの後購入した「はじめまして」までが、ボクの中島みゆき体験と重なります。その後「御色なおし」で、他者へ提供した楽曲を歌った企画モノ(といっても中島さんですから、かなりいい!)を出し、ちょっと風変わりな(?)「miss M.」を経て、この「36.5℃」へと続くわけです。
この時期の中島みゆきは転換期にあったと思います。そして結論を出したのが「36.5℃」の次回作で、タイトルもずばり「中島みゆき」でした。もう15作目で新人歌手じゃないのに(笑)、「中島みゆき」というタイトルをあえてつけたわけです。
それは「miss M.」の“M=みゆき”あたりから変化を意識した楽曲づくりが始まっていたのだろうと思います。そういう文脈のなかで考えると、「miss M.」と「中島みゆき」に挟まれた、この「36.5℃」というアルバムはいっそう重要に思えます。
「36.5℃」のプロデュースは盟友甲斐よしひろですが、楽曲クレジットには「Produced by miss M.」とも。この作品は新生中島みゆきの産みの苦しみといいましょうか、実験作だったように思います。そしてこの実験が成功したことで、その後の新生中島みゆきという大歌姫の更なるキャリアがスタートしたのではないかと思ってます。
とにかく一曲目の「あたいの夏休み」はぶっとびました(笑)。シングルでも出ましたけど、明らかに違う。違うけどやっぱり中島みゆきにしか作れない楽曲。そして「やまねこ」。ライブでエレキを持って登場した歌姫にもぶっとびました。
「36.5℃」は、その後の中島みゆきを含めても、もっとも“熱い”アルバムであることは確かだと思います。その後の中島みゆきは大陸的な大きさを持ち、超越感すら感じさせます。ボクには中島みゆきが(手塚治虫先生のライフワークだった)「火の鳥」と被って見えることがあるくらいです(笑)。中島みゆきが、そうやって超越した存在になっていく一歩手前、人間界にいてもっとも熱く作ったアルバムが「36.5℃」ではなかったか。そう思えてなりません。タイトルは人肌ですが、その熱さは昨日の東京に負けたくないし負けてない((C)Matthew 南)と思ってます。暑い夏に「あたいの夏休み」を聴きながらカレー食べよう!
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