アテネで走るなんて...
マラソンやオリンピックに格別興味があるわけではないのだが、今日のアテネオリンピック女子マラソン出場選手選考会はやじ馬的に見ていた。高橋尚子って名前くらいは知ってる(笑)。前回、グラサンを投げ捨ててスパートした雄姿もかっこよかった。余裕の勝利こそ高橋尚子らしさだ。その高橋尚子が選考に漏れた。なんとなく良かったと思った。
そもそもこの文明社会で42.195km走るなんてどうかしている。あ、いや、それを言い出すとスポーツ全般が無意味になるのでやめとくとして、サマランチ以降のオリンピックに名誉や誇りなんてあるのか。あ、いや、これも、スポーツそのものの意義とはまったく無関係の政治的な問題だからやめとくとして、アテネなんて公害都市をマラソンで走るなんて、選手生命を考えるとマイナスとしか思えないのだがどうなんだろう。
ドーピングで勝利と生命を引き換えにするのが悪くて、公害の中で名誉を得るのはいいのか?スポーツは健康な生活を目指すものであって、その究極の姿が国際大会ではないのか?公害大国で走ることそれ自体が冒涜ではないのか?ドーピングは勝つための小細工ではあるが、もっと大きくスポーツの存在意義に対する反逆だと考えると、根源的には同じあやまちではないのか。
公害五輪が許されるなら、ドーピングで人類はどこまで速く高く遠くをめざせるのか見てみたい気もする。青天井の報奨金と世界最高の速さ高さ遠さを手に出来るなら、これはプロ選手にとって論理的に整合性が取れている。だが釈然としないものが残る人も多いだろう。それがスポーツのもつ尊厳だったり、倫理だったりするわけだ。国際大会は、そういう尊厳や倫理観という人類共通の思想の上に成り立っているのだ。いまや怪しいわけだが。
今日は朝から某OLさんと、養毛剤の副作用としての精力減退について話し合った(笑)。それってトータルでみて成功なのか、と。男の養毛と女のエステほど人間のゴウと見得を体現しているものはないのではないか、と。オリンピックにエステや育毛選手権を入れてはどうか。4年間戦い続ける、過酷なマラソン競技になるのではないだろうか。
アテネでマラソンを走ることは、養毛剤の副作用やエステのこの微妙なバランスに似ている。あ、いや、似てないか?よぅわからん。ま、そんな程度の関心事でござった。アテネに公害なんてないよってことなら、まさにムダに容量を食うムダ口を叩いてしまった。いや、失敬失敬。金メダルに向かってがんばってください。
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