google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 逃走キッズの自分探し: ひとくちメモ

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2004/02/22

逃走キッズの自分探し

ひとくちメモ: サマワから逃げ切ったボク

自己レスになっちゃいますが、こんなにトラバやらコメントをもらえる内容だとは思わなかったな(^_^;)。締めも兼ねて、真面目なことも書いてみよっかな。長くなるけど。国仲涼子ちゃんと握手できた記念日に自分探しの旅もオツなものか(笑)。

ボクはサマワ(サマーワーク)からは確信犯的に逃げたけど、絵画コンクール他それ以外のところでは市や県や国から表彰状もらったりしてるんです。それもこうすれば取れるというタッチを使って(美術の先生に見抜かれてたけど)。これはある種受験テクに似た技術です。つまり逃げてはいてもやってることは学校の予定調和のなかにあった。それがものすごくかっこ悪いことに思えたけれど、ついついやってしまうわけです。その一方で逃げることの遊戯性を楽しんでもいた。優等生という枠にはまることへのコンプレックスと、そこから逸脱しようとすることとのギャップの中で育ってきたと言ってもいいです。

高校は進学校でしたが、夏休みは映画を撮ってました。友人は全員(100%)昼過ぎまで教室で補講してて、その後ボクだけひとり私服で合流して映画撮ってたんです。補講は受けるものという学校に染まるのがイヤだっただけで、それ以上の高邁な理念があったわけではないです。親も小さい頃は教育ママだったと思いますが(家庭教師かららも逃げまくってたけど^_^;)、高校以後は好き勝手にやらせてくれました。だけどそれで自分の進む道が見つかったのかというと、ぜんぜんそんなこともなく、いまだに道が見つからないといっていいかもしれない。モラトリアムな中年ってカッコわるっ!でも仕方がない。それを選んだわけだから。現在進行形のカッコ悪さのなかで模索する毎日なわけです。

優等生なら優等生らしく、そうでないならそうでないなりに、早く道を見つけられればそれに越したことはないと思っていて、その流れに学校の方が乗って来てくれない、あるいは学校を自分の道に利用できないと思えば、逸脱してかまわないということが一番言いたいところですね。いまの狭い知識しか身につかない学校に自分の興味関心が見つかったヒトはラッキーだと思います。そういう人は教師にでもなればいい。しかし学校に転がってない知的好奇心を持ってしまったら、それを裏切って学校の知的空間に浸ってつぶすのは大変もったいないことだと思っています。

いまの高校のカリキュラムってめちゃくちゃです。それは学校に乗っかって生きようとすることの危機ともいえます。つまり逸脱しなくても沈み行くタイタニックに乗っているようなものといえます。それがわかっている教師は、文部省をどう無視して授業が出来るかを考えてます。だから私立に行く意味はあるとも思います。そういう学校に通って、学校の授業や部活に興味が持てた生徒は学校教育をエンジョイできます。

この問題はボクには他人事なんだけど、選択肢がない現状に乗っかる道しか知らないで過ごす若者はかわいそうです。昔、永山則夫という殺人犯(死刑執行された)が「無知の涙」を書きました。無知が自分を殺人犯にしてしまったことに、獄中で学ぶことによって気づき独白したものですね。極端なことを言えば、いま日本では現代版無知が拡大していくばかりとの思いが大変強くあります。総・永山則夫状態へ続く道。日本の学校を離れることで広がっていく知的な世界に気づけるかどうかが、今後の日本人にとってのサバイバルになるだろうと、かなり過激ではありますが、そのように思っています。

「サマワから逃げる」という行為には、1クッションあるわけです。それは「北朝鮮から脱北する」のと同じで、そのことが目的になっちゃうと、その先が見えてこない。その先を見るためにはサマワがないほうがいい。無いと怠けるヒトもいるけれど、それはそれで仕方がない。どっちに基準をおく教育を自分は受けたいのか、あるいは親は受けさせたいのか、最終的にはそこに行き着きます。ですが日本の公教育では、行き着く先はひとつしか用意されていない。そこがかつてのボクにとって一番の違和感だったんだと思います。だから今でも学習者側の立場からしか教育については話したくないし、話せないのです。

教える側と教えられる側という関係性はヴィトゲンシュタインによって学んだけれど、学ぶ側・学ばせる側という関係性において、学ばせる側というものは存在しないと思う。いるとすれば親だけだろう。学習はすべて個人のもの。自発的な学びがないところに教育はない(マクロには国家レベルの教育もあるのですが、それは次元が異なる)。この順序を守るのが学習者至上主義者のボクの立場です。だからサマワから逃げました(笑)。ご清聴ありがとうございました。

とりあえず、この話をすると引いちゃうヒトとか、拒否反応を起こすヒトとか、不毛な教育論議を始めちゃうヒトとか、これまでもたくさんいたので、「ひとくちメモ」にはそぐわないわけですけれども、まあ、国仲涼子ちゃんと握手して上気してるんで(今日はこれがすべてなのだ!)、酔っ払いのタワゴトと思って流してくださいませませ〜。あー、早く次のネタを考えよう!

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