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2023/09/17

夏旅2023 夫婦編(21)~ 最終日に元祖ソーキそば ~

●国際通りを歩きホテルを移動

首里城近くのぶくぶく茶屋で一服して、バスで国際通りに戻って来た。まだ15:00過ぎだったのでその足でアーケード街へ。明日はほとんど買い物をする時間がないため、実質今日が観光最終日。買い物なども済ませたい。お互いの実家に何か贈ろうということになり、マンゴーの店に。ちょうどよさげなマンゴーの詰め合わせを2つ選んだ。ついでに100%ギャバジュースを購入して店先で飲んだ。美味かった。

7月28日(金)の午後、台風6号が徐々に近づいていた。売り場からヤマト運輸に連絡して聞いてもらったが、今日飛べれば発送は出来るとのこと。ただもし今日飛べなかったとしても、お店に同レベルのマンゴーを送ってもらうという約束をして購入し送付状にお互いの実家の住所を書いた。結果的には選んだマンゴーが予定通り届いたようだった。

その後、ドンキホーテなどを巡って土産のお菓子類を購入し、チェックアウト後にスーツケースを預けていたハイアットリージェンシー那覇で荷物を受け取り、最終日の宿泊先、ホテル・ロコア・ナハに向かう。ロコア・ナハは国際通りの入口にあり県庁前のゆいレール駅に近い。翌日は早めに那覇空港に行く必要があるので近いホテルを選んだ。朝食ビュッフェの評判の良さも魅力的だった。部屋のサイズはハイアットの半分だったがそれは仕方がない。

スーツケースをガラガラ引いて歩くので出来るだけ短距離を行こうと Google Map でルートを検索したのが大失敗だった。斎場御嶽への道のりで学習したはずなのに、街中でまたGoogle Mapのトラップに引っかかった。近いことは近そうだが、記された経路に舗装された道はなかった。下手すると私道かという感じの路地裏の坂道に連れていかれそうになった。

スーツケースを引いて途中まで行って妻に「さすがにここは無理じゃない」と言われて引き返し、国際通りのなかを歩いた。

●最終日に元祖ソーキそば

16:00過ぎにホテル・ロコア・ナハに着きチェックイン。少し休んで夕食はソーキそばを食べに行くことにした。ここまでホテルの朝食ビュッフェの沖縄そばは少し食べたが、いわゆる本物は食べていなかった。そこで我部祖河そばでソーキそばを食べようということになった。探すと久茂地店という新しい店舗が出来ていたのでそこにした。清潔な店舗だった。元祖ソーキそばを食べることが出来て良かった。宿題をひとつ終えたような気分だった。

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食べ終わると20:00くらいだった。沖縄旅行最後の夜だしちょっと散歩しようと、サガリバナの樹という街路樹を目指して歩き始めた。もうあたりは暗くなっていたので、夜だけ咲くサガリバナも咲き始めるころだろう。ここは地図にも載っているくらいなので、きっと綺麗なサガリバナが見られるんじゃないか。そんな思いで徒歩18分ほどの街路樹を目指した。

サガリバナは2013年に石垣島の群生地で見たことがあった。そのときの美しさに感動したので妻にも見せたいと思ったわけだ。

行ってみると街路に1本だけサガリバナの樹があった。それもあまり綺麗ではない。旬の季節も終わりごろではあったし、街路樹でまわりも明るいし、なんとなく思い描いていたサガリバナとは違っていた。石垣島のサガリバナ(下の円囲み写真)は群生地でもあり昼にロケハンまでして夜中に懐中電灯を準備して向かったわけで比較は出来ないけれど…。

とはいえ、妻に本物のサガリバナを初めて見せることはできた(萎んだものは名護のガジュマルの大樹の側で遭遇済みだったが)。いつか石垣島の群生地も見せたいと思った。

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サガリバナを見終わってホテルに戻ろうと歩き出した。道端に竜頭の置物があった。歴史的に由緒正しい建造物かと期待したが「くにんだなかみち」と書かれた新しいものだった。最終日なのに Google Map で通り抜け不可能な路地裏に連れて行ったり、結構歩いて見に行ったサガリバナがいまいちしょぼかったり、なんとなくついていない感じだった。

しかしタイムスビルあたりまで戻ってくると、FIBAワールドカップ2023沖縄大会の大きなラッピングなどが見えて来て、少し気持ちが楽になった。このときはまだバスケファンになっていない私だったが、妻は沖縄に来た時からゆいレールのラッピングを写真に撮ったりしてバスケットボールも好きだったので、このビル柱のラッピングで少し気分も上がったようだった。

こうして沖縄旅行最後の夜は過ぎていった。

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翌7月29日(土)朝、ホテル・ロコア・ナハの朝食ビュッフェは評判通り美味かった。沖縄観光目線での食材の種類も豊富でここぞとばかりに食べ過ぎた。食べ終わって部屋に戻ろうとしたら、泡盛の瓶を発見。そういえば泡盛もこの旅行で飲んでいなかった。従業員さんに聞くと試飲できるように置いてあるという。朝っぱらではあったがもうあとは飛行機で帰るだけだしと、瑞穂と海人と両方試飲した。

個人的にはシチュエーションも手伝ってか「海人」(まさひろ酒造)という泡盛が断然気に入った。クセは強くなくスッキリ飲みやすい。帰りに空港の売店で探し回ったがその店にも置いていなかったのが残念だった。

10:00にチェックアウトした。ルートビアと遭遇したA&Wもすでに懐かしい。その1階にあるシーサークッキーでも土産を購入。その後、国際通り入口にある宝くじ売り場でサマージャンボを購入して那覇空港に向かった。

12:00頃発のJAL906便で羽田へ向かった。隣の席には小学生低学年っぽい男の子がひとりで乗っていた。かなりぐずっていてバタバタさせる靴が妻に当たる。離陸時もシートベルトをしていられずすぐに外して歩き回ろうとする。CAさんが複数名で声をかけたりグッズをあげたりして、妻も話しかけたりアニメの見方を教えたりして何とかなだめていた。

こうして2023年の夏旅(夫婦編)は終わった。6泊の旅行だったが、ゆいレールとバスとタクシーそして徒歩だけでもかなり充実した沖縄旅行になったような気はした。埼玉県に帰宅した二日後の7月31日から台風6号が沖縄、奄美地方に上陸し、そこから一週間居座り大きな爪痕を残した。少し日程がずれていたら大変な旅行になっていたかもしれない。

日本の夏はこれからどうなっていくのだろう。年々勢力を増す猛暑、豪雨、台風。これを書いているのは9月17日だがいまだ気温30度あたり。長崎県では線状降水帯がまた発生している。夏の旅行はこれらの気象状況の間を縫っていくギャンブルのようなものになりそうだ。

【完】

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夏旅2023 夫婦編(20)~ ぶくぶく茶 ~

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首里城公園を出て沖縄県立芸術大学の側を通って向かったのはぶくぶく茶屋の嘉例山房(かりーさんふぁん)。那覇バス首里城公園入口バス停の近くにある。入るとアンティーク(?)な空間。階段をあがってすぐのテーブルに通された。

ぶくぶく茶を飲んだことがないと伝えると手順を教えてもらえた。いろんな味のお茶や飲み物が選べる。これらがどれも泡立つのだろうかと不思議に思っていたのだが、飲み物自体が泡立つのではなく、好きな飲み物(アイスでもホットでも)を選んで、その上に別の器で泡立てた泡を乗っけて飲むという二段構造の飲み物だった。

妻は薬草茶のホットを選択。私はレモングラスだったかハイビスカスだったか冷たい飲み物を選んだ。どちらもぶくぶく茶は1200円だった。

しばらくして私のぶくぶく茶セットが来た。最初はお手本のようにお茶に泡を乗せてもってきてくれた。その泡の量は山盛りだった。つかみはオッケーだ。しかしそれだけの山盛りの泡を自分たちで立てることは最後までできなかったが…。

妻のお茶が来る前に、別の器に泡立て用の液体が入って来た。これを専用の茶せんで素早く表面だけをシャカシャカ泡立てる。立った泡を横によけつつその作業を繰り返し、それなりに泡が溜まったところでお茶の上に茶せんで掬って乗せるというシステムだ。

なかなか難しい。泡立つことは立つのだが、あまり大きな泡にならない。混ぜ方の問題だろうか。それでもそこそこ泡立ったところでお茶に乗っけて口をつける。伝統の様式美を体験する。

泡がなくなればまたシャカシャカ泡立てて乗っける。この泡立つ液体は何なのだろう。山盛りには出来なかったが最後まで泡立った。黒糖なども泡にまぶして飲んだりも出来る。

お茶そのものが美味いかどうかというよりも、琉球伝統のぶくぶく茶を体験できるというアトラクション的な楽しさがあった。セットには素朴なお菓子や南国フルーツも添えられていてとても美味しかった。

小一時間、ぶくぶく茶を飲みながらお菓子やフルーツを食べ、次のバスの時間が近づいたところで店を出た。店の近くにバス停があるのはありがたい。バスで国際通りまで戻った。15:00頃だった。

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夏旅2023 夫婦編(19)~ 修復中の首里城へ ~

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7月28日(金)沖縄観光最終日だ。朝はハイアットリージェンシー那覇の朝食ビュッフェ。さすがに美味い。ここまで早起きばかりの日々だったので、ちょっと遅めに9:00過ぎに食べ、11時まで部屋でまったりした。何から何までホスピタリティの高いホテルだった。

最終日なので近場かつ最大の観光地のひとつ首里城へ行くことにした。首里城正殿は2019年10月に火災で失われていた。いまも復旧作業が続いている。この復旧作業への支援はふるさと納税でも出来るため、当時は私も寄付していた。その現状を視察に行った感じだ。

国際通りにまた戻ってくるため、ホテルをチェックアウトした後もスーツケースはホテルに預かってもらい出発。ホテルの目の前が壺屋やむちん通りだった。店はまだほとんど閉まっている時間だったが通りを歩いてみたくて壺屋バス停に向かうことにした。古風だが美しい通り、美味しそうなカフェもありそうだ。

壺屋バス停にバスはほとんど止まらない。そこでバスを待つ人もほとんどいないような気がする。そんなバス停だったが平日11:29発で11:40に首里城公園入口に着く17系統があったのでそれを待った。バス停前の道路は結構な交通量だった。少し遅れてバスが来た。

●再生を望む首里城

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首里城を訪れたのは昭和53年以来だ。当時は小学生だったのでほとんど覚えていない。日本返還6年後のことで蛇とマングースの戦いを見たことと当時のバスガイドさんが左右逆になって交通事故が多いという話をされていたことだけハッキリ覚えている。

首里城公園についてまずレストセンターに入った。首里城の歴史や行事などがパネル展示されていた。その後、焼失した本殿方面へ。高台なので景色がいい。琉球の香りは失われていなかった。

復旧作業も歴史の一里塚なのでこれはこれで興味深く見学した。城跡公園として残すのではなく、あくまでも城郭を再生しようとすることの意味を考えたりした。明らかに日本の城とは異なる大陸風の建築様式に近い風情だ。レプリカとなってもその琉球建築をカタチとして残していくことは観光的にはもちろん重要なのだろう。それ以上に首里城は琉球だけに存在した歴史・文化そのものだからだと思う。

●沖縄県立芸術大学

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首里城からの眺めでもっとも近くに目立つ建物は沖芸こと沖縄県立芸術大学だろう。沖芸は1986年創立という。その色合いやフォルムに名護市役所と同じ匂いを感じた。設計は㈱石本建築事務所・㈱二基設計・近代設計の設計企業体だという。沖縄を代表する建築のひとつだと思う。

名護市役所は1981年の建築だから沖芸とほぼ同世代の建築だ。名護市役所が老朽化ということはこちらも老朽化の時期に入っていく。今後が心配だ。名護市役所のように建て替えの話なども出てくるのだろうか。首里城と周辺の緑地と混然一体となった景観を残して欲しいと思った。

しかしもともとは自然を破壊して大型建築を作ったわけで、それが長い時間とともに歴史となり景観となり、今度は残したくなるんだから人間というのは勝手なものではある。おそらく大型建築というものはそんな人間の身勝手さの上に成り立っている。それだけに説得力が重要になってくる。

2023年9月現在、都内では神宮外苑を再開発という名のもとに破壊し商業施設の建設が始まろうとしている。今年亡くなった坂本龍一が開発阻止を求めて遺言のように残した東京都知事への手紙は波紋を呼び、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が樹木伐採などを阻止するよう東京都や事業者に事業計画の撤回・見直しを求めたりしている。

開発が阻止されても進められても100年後にはそれが歴史となり文化となる。そこに豊かさがあるかどうかとは別次元で物体として何らかの結果が残る。そのうつろいのなかで身勝手に生きるのが人類なのだ。それを承知のうえで、建築好きとしてはせめてそこに単なる金儲けというだけない説得力を求めたい。

沖芸の建物にもっと近づいてみたくなり首里城を出て沖芸まで降りて行った。さすがに中にまでは入らなかった。沖芸食堂は一般人にも開放しているそうなのでそこで食べたい衝動もあったが、この日はその後ぶくぶく茶を飲みに行く予定があったのであきらめた。

私は高校生時代に芸術大学を目指したことがあった。合格した私立の芸術大学もあったが結局はそちらの道はあきらめた。そのとき、沖芸も候補に挙がってもおかしくなかったはずだが山口県から東側にしか意識が持てなかった。当時創立間もない沖縄の芸大なんて、いま考えると非常に魅力的に思える。あのとき沖芸の存在を知っていたら未来は変わっていたかもしれないなとちょっと思ったが、まぁないかと思い直した。インターネットなどない時代、情報は都会でしか得られないと思っていた。

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2023/09/09

夏旅2023 夫婦編(18)~ 那覇に戻って散策 ~

佐喜眞美術館から那覇に戻って来た。名護から那覇に帰って来た時はとりあえず県庁北口を目指したが、途中の駅前で降りることを学習した我々はゆいレールのある古島駅前でバスを降り、ゆいレールに乗り換えた。宿泊地のハイアットリージェンシー那覇はゆいレールの牧志駅が最寄駅だが、この日は牧志駅を通り越して美栄橋駅まで行った。妻の行きたいスイーツ店を目指して…。

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ゆいレール内はFIBAバスケットボールワールドカップ2023沖縄大会一色だった。これを書いているのは9月なのですでに大会は終了している。人生においてこんなにテレビでバスケットボールを見て日本チームを応援したことはなかった。熱狂した。今回の沖縄旅行で広告に触れていたからというだけではない。ほんとにハラハラドキドキの逆転勝ちという展開続きだった。その結果48年ぶりに自力でパリ五輪出場権獲得(前回東京五輪は自国枠で参加)。そんな日本チームの物語に熱狂したのだった。やはり物語を背負うとスポーツは強いコンテンツだ。

●サーターアンダギーの名店うなりざき

美栄橋駅でゆいレールを降りると雨が降っていた。傘をさして若狭公園方面に向かって川の側の道をまっすぐに12分程度歩き左に曲がるとサーターアンダギーの名店うなりざきがある。他のサイトで見ていた写真とくらべて店の看板が新しくなっている。文字がクッキリしていた。

着いたのは14:40頃だった。15:00頃には閉店なので急いで行った。人気店なので完売していたら早めに閉まってしまうこともあるそうだが、店の前には「営業中」の札が見えた。

中に入ると販売カウンター越しにお店の方と対面する小さなお店。カウンターの上に紅いもサーターアンダギ5個入が5袋程度あった。不愛想なおばさんだという噂を他のサイトで仕入れていたが、そういうときこそ話しかけたい衝動に駆られる。

「15:00で閉店と聞いて急いで来たんですよ。あってよかったです。」
「今日は雨だからね。」
「あーそうかぁ。雨でも来てよかった。」

そんな会話(?)をしながら2袋購入した。ホテルに戻ってから1袋あけて食べた。確かに美味い。これは人気が出るわけだ。

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佐喜眞美術館で購入した「平輪ちんすこう」も他にはない美味しさだったが、ちんすこうにしろサーターアンダギにしろ、正直なところ記憶にあるのはパサパサしてるだけのイメージだった。やはり本物を食べなければダメだな。記憶のなかのパサパサした沖縄菓子が次々と美味しい沖縄菓子で上書きされた旅行でもあった。

●国際通り・平和通り・市場中央通り

うなりざきを出てゆいレールで美栄橋駅から牧志駅へ。ハイアットリージェンシー那覇に戻り、朝預けたスーツケースを受け取りようやくチェックインした。このときフロントで爪切りを借りたいと伝えて部屋に届けてもらったのだが、その爪切り「匠の技」がめっちゃ切れ味が良く、帰宅後購入してしまった。

雨の中を出歩いていたせいもあるが、ハイアットリージェンシーは本当に快適だった。部屋で紅いもサーターアンダギを食べながら、もう出歩かなくていいんじゃないかと思ったりしていたが、しかしは腹は減る。ホテルの近くに石垣牛ステーキが食べられる琉球ステーキ究があったのでそこに食べに行った。カジュアルな店で良かった。

沖縄の家庭には必ずあるというA1ソースも言えば出してくれると書いてあった。ウエイトレスさんにどんな味か聞いてみたら、外国人のウエイトレスさんで「うーん、ちょっと酸っぱい…?」といった反応。ものは試しでA1ソースを出してもらったが、まぁ家庭用中濃ソースみたいなソースでせっかくの石垣牛ステーキには合わなかった。一口だけA1ソースで食べたが、やはりステーキはワサビに塩がいい。

琉球ステーキ究を出て少し散策した。明日が沖縄観光ラストデーなので、お土産関係は明日購入する予定だったが、多少アタリをつけておきたくもあった。国際通りのれん街の前に人だかりが出来ていた。近づいてみると獅子舞が踊っていた。若いエイサーの集団だった。

しばしその踊りと太鼓の音を気持ちよく聞いていた。その数曲の中になんとも懐かしいようなセンチメンタルな楽曲があった。少女がひとり中心で踊り、左右をガタイのいい青年が固めて太鼓をたたきながら3人で踊る楽曲だった。あの曲のタイトルを知りたいと思ったがいまだわからず仕舞いだ。

国際通りを歩いているとハワイアンらしき楽曲をよく聞く。いや音楽だけじゃない。沖縄の様々な場所で似非ハワイを感じるときがある。しかし沖縄のコンテンポラリーとか琉球民謡、琉球文化にもっと誇りを持っていい。ハワイの代替で沖縄に来ているわけではなく沖縄、琉球を求めて来ているのだ。もっと琉球らしさに触れたい。そんな思いのなかで聞いたエイサーの音色がやけに美しかったのだった。

国際通りから分岐しているアーケード街も歩いた。中央市場通りや平和通りだ。作ろうとしても作れない迷路のような路地だ。沖縄の小説家目取真俊に『平和通りと名付けられた街を歩いて』(影書房)という作品があるが、その平和通りだ。目取真俊さんは2016年に浦和を来訪し講演会をされた。一触即発の後援会だった。今年10年ぶりの短編集『魂魄の道』が発行された。アーケード街を歩くと私の故郷徳山の元気だった頃の銀南街を思いだす。徳山にも平和通りと名付けられた道があった。20230727_195619_3p

アーケード街のなかで土産物をひと通り物色して、妻の大好きなドンキホーテも覗き、ホテルに戻って来た。ウェルカムドリンクを飲んでいなかったので展望バーにウェルカムドリンクを飲みに行った。夜景を見ながらのウェルカムドリンクも実に美味しい。ウェイターが何度か注文を取りに来たが、ウェルカムドリンクだけを飲んで部屋へ戻った。次回はちゃんとディナーで来たいと思う。部屋でオリオンドラフト氷点下貯蔵ビール缶を空けた。

 

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2023/09/03

夏旅2023 夫婦編(17)~ 佐喜眞美術館 特別展 ~

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7月27日(木)の正午前、佐喜眞美術館最寄りの上原バス停に近づく頃、雨が降り始めた。バスを降りて美術館まで徒歩5分。美術館の玄関に着くころに大雨になった。今回の旅行でもっともザアザア降りの雨に降られたのがこの時だと思う。

当初、佐喜眞美術館には草間彌生の絵画が所蔵されているのでそれが見られればいいなと思っていた。直島博多、さらに都内と草間彌生さんの南瓜を見てきたので引き続き草間彌生つながりで目にした美術館だった。

ただ今回の旅行期間中は特別展をしていたため草間彌生の作品展示はなかった。それは残念だったが常設可能なのでまた来ればいい。今回の丸木位里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」全14部の原画特別展に出会えたのは偶然ではないような思いが残った。

●丸木伊里・俊「沖縄戦の図」の原画を鑑賞

佐喜眞美術館はこじんまりとしているが、とても個性を感じる美術館だ。普天間基地に突き刺さったトゲのように、基地の土地をえぐり取るようにして建っている。美術館を建てることを前提に返還された土地だという。そこに丸木伊里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」が所蔵されており今回は2年ぶりにその原画14点が一挙公開されていたのだった。

丸木夫妻は「原爆の図」で知られている。夫婦共作で戦争の悲惨さを伝える絵画を描き続けてこられた。埼玉県には原爆の図丸木美術館がある。我々は埼玉県に住んでいるのに行ったことがなく、佐喜眞美術館を先に訪問したわけだ。丸木美術館も必ず行かなければ。

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特別展以外にも丸木夫妻の個々の作品も展示されていて見ごたえがあった。丸木伊里さんの圧倒的な水墨画「今帰仁大関」や丸木俊さんの色彩豊かな「赤シーサー」他も展示されていた。これらの異なる画風の二人が戦争画という重いテーマに生涯共作で取り組まれたわけだ。そこには戦争の時代を過ごした丸木夫妻のひとつの強い思いがあったのだろう。

美術館で購入した図録を読むと、1941年太平洋戦争が始まる直前に二人は結婚されている。そして1945年原爆投下の直後に広島に向かい一か月間の救護活動をされ、1950年からのちに連作となる「原爆の図」を発表されていた。沖縄訪問は1978年から。その後「沖縄戦の図」を描く必要性(必然性)を感じ1980年代に連作を発表された。

原爆と沖縄。このふたつの戦争をどちらも描かれたところに丸木夫妻の信念を感じる。原爆は被害者側の日本人の視点で戦争と向き合うが、沖縄戦では被害者と加害者とどちらにも日本人の視点で向き合わなければならない。米軍という鬼と日本軍という鬼による惨劇。沖縄戦には二手に分かれて逃れた洞窟の選択によって生死がわかれた史実もある。チビチリガマでの集団自決とシムクガマでの降伏による生存という明暗をどちらも描く。

私には生きている人々がより黒く描かれ亡くなった人ほど明るい光を帯びているように見える絵もあった。生き地獄という現実の闇の深さと同時に死してようやく地獄から解放される仄かな光にさらなる悲劇を見た。また絵画というメディアを通して死んだ人々による声なき声が永遠に響き続けるようにという願いもあるだろうと思った。

この「沖縄戦の図 全14部」のドキュメンタリー映画も制作されて公開されている。この日は東京都で上映中だったが、美術館ではDVDも販売されていたのでそれを購入して帰宅後に鑑賞した。その中で丸木伊里さんが「沖縄戦では日本人が撮影した写真は残っていない。だから日本人が描かなければならない」ということを話されていた。戦争の本質的な愚かさ、誰もが加害者にも被害者にもなり得る怖さを現代の日本人も日本人の立場で、ヒロシマ・ナガサキとオキナワとを知り、立体的に捉える責任があると思う。

●佐喜眞美術館の屋上に上る

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DVD以外に絵葉書と「沖縄戦の図」の図録(映画館で販売されているものと同じ)、ジョン・W・ダワーによる小冊子『戦争と平和と美 ー丸木伊里と丸木俊の芸術』、そして手作りの平輪ちんすこうを購入した。このちんすこうは人気でこれだけを買いに来る人もいるという。ジョン・W・ダワーの著書『敗北を抱きしめて』(増補版上下巻)を持っているがまだ読み終えていない…。この機会にまた読み始めようと思ったが読み始めるのに気合が必要なのだ。

ひと通り鑑賞し買い物も終え、エントランス横の受付の方に佐喜眞美術館についてもいろいろ聞いた。外に置かれた作品やこの美術館の成り立ちなど。そのうえで屋上に上った。このときすでに大雨は降り止んでいたが滑りやすいので注意しながら階段を上った。

沖縄の地上戦が終結したことにちなみ6月23日は「慰霊の日」とされるが普天間基地を眺められる屋上の階段も6段と23段になっている。この段数は6月23日にちなんで作られたわけではなく偶然だとのこと。逆にゾクッとした。ただ6月23日の日没に照準をあわせた向きに階段が設置されているようだ。

外には沖縄県立盲学校卒業生の生徒作品(1980年)が置かれている。これは危うく廃棄されそうだったところを引き取って置かれたそうだ。どれも面白い。当時の先生は今年85歳で亡くなられた山城見信氏だったのではないかと思う。

佐喜眞美術館にいた1時間あまりの間に、普天間基地から飛び立つ米軍のヘリコプターと基地に向かうオスプレイを目撃した。ここはそういう土地だ。その一角に丸木夫妻の「沖縄戦の図」が鑑賞できる美術館があることに気概を感じて美術館を後にした。

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2023/08/27

夏旅2023 夫婦編(16)~ 名護から那覇に移動 ~

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7月27日(木)早朝の名護市は雨が降っていた。二日間の名護滞在も終わり沖縄旅行の後半二日はまた那覇市へ戻って宿泊する。この日は移動日のような一日になりそうだがそれももったいないので名護から那覇に戻る途中にどこかに寄りたいと思い、いくつか候補を考えていた。

しかし高速バスを途中で降りるとそこから先の足がない。タクシーでもいいがそれも毎回呼んだりとせわしない。そこでいったん那覇まで戻ってホテルに荷物だけ預けてバスで佐喜眞美術館に向かうという計画を立てた。

●土地勘のなさを露呈し時間ロス

ここで土地勘のなさで少しタイムロスしてしまった。名護バスターミナル前から高速バスのやんばる急行バスで戻ることは予定通りだった。来た時にも乗ったので勝手知ったる高速バスだ。予定時刻より若干遅れて出発した。次に泊まるホテルは国際通りにあるハイアットリージェンシー那覇だったので、とりあえず往路で乗った県庁北口まで行けば、そこからゆいレールなり徒歩なりで牧志駅方面へ行けばいいと考えていた。

このルートは無駄が多い。ゆいレールの駅をふたつも通過している。古島駅前とおもろまち駅前だ。このどちらかでバスを降りてゆいレールに乗り牧志駅に向えば効率的だったはずだ。そのことに気づいたのはおもろまち駅前を通ったずいぶん後だった。この辺は繁華街だなぁなどとバスの中から見物していたが、そのうち那覇市内の渋滞に捕まった。

乗り継ぎ予定のバスの時間が結構ギリギリだったので、この渋滞で予定通りに県庁北口に着かないことが分かったとき、ゆいレールに乗るならおもろまち駅前で降りたら良かったのかと気づいた。しかし高速バスは前払いだし、乗ったときには手前で降りるという選択肢すら頭になかった。途中下車をやめた時点で県庁北口に行けば何とかなるとしか考えが及ばなかった。

県庁北口には予定より遅く着いたので、スーツケースを引っ張りながら速足で国際通りを歩いた。端から端まで歩くような距離だ。これは荷物を預ける時間も考えると予定のバスは無理かと思っていた。

ハイアットリージェンシーはチェックアウトで忙しそうな時間帯だった。入口を間違えて裏側の階段を上り2Fから入ってエスカレータでロビーに降りていった。荷物を預けようとカウンターに近づくと「チェックアウトですか?」と聞かれたので、「いや今晩泊まるのだけど荷物だけ預けたくて」と伝えると、瞬時に手続きしてくれてあっという間に荷物を預けられた。さすがだ。

荷物を瞬時に預けられたので、急いで正しいエントランスから外に出た。エントランスに並んだ車もいい車が多かった。さすがだ。

バス停はそれほど遠くなく、なんとか乗ることが出来た。市外行のバスは逃すと時間ロスが大きいのでハイアットリージェンシーの対応には感謝しかない。もともと良い(高い)ホテルではあるが、さすがだ。

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夏旅2023 夫婦編(15)~ あたらくしあ ~

宮城菓子店を出て夕食をどうするか検索開始。私には事前検索をして腹案があったが妻はいまいち乗り気でない。その理由は普通の居酒屋だからだという。

外せないポイントは沖縄料理、それももずくの天ぷらがマストだとか。天ぷら好きなのでそれは当然だ。私からも本場で食べるもずくの天ぷらの美味さを聞かされてもいた。

さらにこういうときの妻の美味い店を発見する検索力には一目置いているので、妻が見つけた店「居酒屋あたらくしあ」を目指すことにした。もずくの天ぷらだけでなく、店内も清潔そうで手書きのお品書きにも惹かれたようだ。

歩いて行けば16分だったが、相当疲れていたので名護十字路から名護市役所前までバス停ひとつ分をバスに乗った。ちょうど良いバスがあって助かった。

名護市役所前で降車するとまた小雨が降ってきた。折りたたみ傘をさしてあたらくしあまで6分ほど歩いた。

あたらくしあで食べ過ぎる

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お店に入ると真ん中のテーブル席に通された。予約していなかったが、空いている席があって良かった。とりあえず私はオリオルクラフト生ビール、妻はアセロラジュースを注文した。

歩き疲れた3日間、朝食はホテルのビュッフェで食べて昼はほとんど食べずに回った(朝食を食べ過ぎるきらいもあったためだが)。夕食は那覇についた初日こそ炙るチェリチェリで沖縄料理を食べたが、翌日はハンバーガー昨日はコンビニという日が続いていた。それもあって食欲は旺盛なふたりなのだった。

いざ注文しようと壁に貼ってある沖縄料理メニューを眺めたが、琉球語なのでそれがどんな料理か分からない。そこでおすすめの沖縄料理を聞いてみたところ、ナーベーラ(へちま)アーサ(あおさ)のかき揚げが旬で、うんちぇーばー(空芯菜)も美味しいとのこと。この時点でもずく天ぷらを含めそれら4品を迷いなく注文した。

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店員さんが「えっ、全部ですか?」のような声を思わずもらしたが、気にせず「あの、チマグの塩焼きってどういうの?」と聞いてみたら、ご自身の腕を豚足に見立てて「テビチは豚足のここまで、チマグはその先の部位ですよ」と教えてくれた。なるほどそれは美味そうだとチマグ塩焼きも注文した。

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ナーベーラとアーサのかき揚げが届いた。その量はプチサプライズだった。都内の居酒屋気分で注文してしまうと食べきれないだろう。アーサのかき揚げともずく天ぷらはどちらもデカい。両方頼むと食べきれない可能性大だ。ハーフ&ハーフがあればいいのにと思った。

しかしあたらくしあの沖縄料理はどれも美味かった。むさぼり食うとはこのことだ。あまりの食べっぷりにシークァーサーサワーを注文したらシロップでなく本物のシークァーサーでサワーを作ってくれて、熟したマンゴーとパイナップルをサービスしてくれた。

食べ過ぎたので、夜のタピックスタジアム名護を左に眺めながら、ホテルゆがふいんおきなわまで12分ほど歩いて帰った。こうして名護の二日目は終了。明日からはまた那覇に戻る。

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夏旅2023 夫婦編(14)~ ひんぷんガジュマルと宮城菓子店 ~

名護市役所の見学を終えて私がそろそろ夕食をどうするかと考えていたところ、妻はスイーツについて検索していた。確かにホテルに帰っても周りにはコンビニスイーツしかない。時間ももう17:00近かったので、せっかく来た市役所の近くで美味しいスイーツに出会いたいという思いはわからなくもなかった。

探した結果、宮城菓子店というお菓子屋さんがカフェも併設していた。名護市役所から歩いて13分。朝からフクギ並木や美ら海水族館に行って名護市役所のなかも歩き回って小雨も降ったりして疲れてはいたが、まぁ歩けない距離ではないと思い同意して歩き始めた。

その過程のなかで、お店の先にひんぷんガジュマルというジャイアント・バニヤン・ツリーがあることも知った。大きなガジュマルの樹はガンガラーの谷で見てから興味も高まっていたので、その樹もついでに見学に行った。車道を左右に押しのけるようにして、道のど真ん中にでっかいガジュマルの樹が立っていた。

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樹齢約300年のガジュマルの大樹。車道に挟まれてそびえ立つこのガジュマルが歩きだしたら大変だと思いながら見ていた。その側にちょっとした広場があり説明文などもあった。そこにしおれたサガリバナらしき花も見つけた。この花も夜には咲くのだろうか。2013年に石垣島の群生地で見たサガリバナは見事だった。あのレベルのサガリバナをこの旅の途中に妻にも見せたかったが、さすがに道端のサガリバナは群生地のようにはいかない。

ひんぷんガジュマルを見て、名護十字路にある宮城菓子店に向かった。カフェコーナーは店の一角に一席と外にテーブルがあった。夕方とはいえ暑かったので店内で紅芋モンブランのケーキセットをいただいた。

●宮城菓子店でスナップ写真

食べ終えてお会計の前に、店のマスター宮城栄進さんとお話した。埼玉から来たと話すと、埼玉県に住んでいたことがおありだということで、しばし埼玉談義をした。製菓衛生士免許証を平成4年に東京都で取得されたとのことで、その免許証も見せていただいた。鈴木俊一都知事時代だ。話好きの明るいマスターだ。

後進の指導もされているようで店の中にはこれまでの教え子の写真がたくさん飾られていた。沖縄の四十九日にはお菓子は欠かせず、最近はそういう昔からの風習も知らない人が増えたので、そういうこともお客さんに教える立場になっている。またその風習のおかげで店も続けられるとおっしゃっていた。

最後に記念写真も撮らせてもらった。こんな出会いはスイーツ以上に大好物なもので。ただ顔出しNG夫婦なのでイラストで加工した。マスターのお顔も加工してる。次回訪れることがあれば写真を渡しにまた寄りたい。いつまでもお元気で。

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夏旅2023 夫婦編(13)~ 名護市役所 ~

●沖縄エアポートシャトルで名護市役所へ

7月26日(水)15:10過ぎ、美ら海水族館前のバス停で名護方面行のバスを待っていたら沖縄エアポートシャトルの真っ赤なバスがやって来た。沖縄エアポートシャトルは予約制だと思っていたのでスルーするつもりだったが、赤いバス停の時刻表をのぞき込んでいると運転手さんに「どこまで行かれるの?」と聞かれたので「名護市役所前まで」と答えてみたら乗せてくれるというではないか。予約客が先に乗って座席があれば乗せてくれるようだった。沖縄の高速バスはみんなこうなんだろうか。ありがたかった。沖縄エアポートシャトルは実に快適なバスだった。15:30出発で名護市役所前には16:00過ぎに着いた。

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名護市役所は役所なので平日17:00で閉館になる。それまでに行かなければ所内には入れない。なんとか間に合った。

沖縄に行く前に名護市役所が解体されるというニュースを見た。1981年に建てられてから42年が経過し確かに外観は古くなりコンクリートの削げ落ちた柱もあった。象設計集団により設計された歴史的建築であるのは確かだが(詳しくは東京建築散歩さんのこちらの記事を)、現役の庁舎としては厳しい面もあるだろう。

昨年、解体される直前の中銀カプセルタワービルを見に行ったが、1970年代から80年代にかけての建築が老朽化し解体されていく時代になった。なぜだかわからないが私は変わりゆく同時代の風景(人工物)を見ておきたいという気持ちが強い。年々強くなるのは年のせいか。終わりと始まりの端境期、時代の汽水域と言ってもいいかもしれない。そんな過去・現代・未来の時間が重なる場所こそパワースポットだと思う。

出来れば現在のこの様式を残しつつ、新工法なり新素材なりで新たな名護市役所に生まれ変わって欲しいが、自然の風や光を取り込む必然性が薄れてしまった現代建築においてその機能性はノスタルジィでしかないのかもしれない。

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名護市役所の内外を見学した後、隣にある21世紀の森体育館も散歩した。小雨が降ったりやんだりといった天気だった。この建物も設計者は分からなかったが近辺の雰囲気とマッチしていた。

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夏旅2023 夫婦編(12)~ 美ら海水族館 ~

備瀬のフクギ並木から美ら海水族館まで歩く間にローソン海洋博公園前店があった。ここで水族館のチケットを買ったほうが現地で並ぶより時短になると思いチケット販売機ロッピーに向かった。

●チケットは近くのローソンのレジで購入

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予約チケットの受け取り以外ではほとんど使ったことがないので、地域とかカテゴリ選択とかネストの深さに早くもイライラしてしまう。前売り扱いとか何らかの特典がないかも探りつつ妻にナビゲートされながら目的のチケットにたどり着いた。何の割引も無かったが、ようやく引換券が入手できたのでそれを持ってレジに向かうと、なんとレジで「割引チケットがありますよ」と教えてくれた。最初からレジで聞けば良かったのだ。無駄な時間を使ってしまった。引換券は30分以内に引き換えなければ無効になるのでそのまま破棄してもらい割引チケットを購入した。

●美ら海水族館を満喫

美ら海水族館に来たのは初めてだった。妹の長女が修学旅行で来ていて、その時に買ってきたジンベエザメのぬいぐるみの精巧さに驚いた記憶がある。いまの美ら海水族館が出来たのは2002年。11年前に訪問する予定だったが予定変更で来られなかった。今回妻と一緒に来れて良かった。

水族館の設計は那覇市出身國場幸房氏(2016年没享年77歳)で、その琉球らしいフォルムが印象的だ。伊江島を見渡せるエントランスの解放感、大水槽の圧倒的な迫力、それらひとつひとつに思いを感じることが出来る。

どこの水族館も小宇宙のようで面白い。美ら海水族館ほどの規模になるとなおさら。スタートレックファン(トレッキー)の私なので、そんなSFチックな感情に引っ張られてしまう。

海洋生物の表情にも注目して妻と二人で正面からの顔を狙った写真もいくつか撮れた。マナティ、ウミガメ、ニセゴイシウツボの三大顔写真をアップしておきたい。

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大水槽の前は大勢の人だかりでなかなか先に進めない。水槽全体が見渡せる座席もあり、そこに座れればゆっくりと時間を過ごすことが出来る。一日でも雲を見ていられる私だから、大水槽という小宇宙の魚群の動きは見飽きることがない。だがイルカショーも見たいので、とりあえず間に合うように外に出て、ウミガメ館やマナティ館にも立ち寄りながらイルカショーの時間前にオキちゃん劇場へ。

夏休でもありオキちゃん劇場には子ども連れが多数いた。我々の周りは中国や韓国からのファミリーばかりだった。久々に韓国語会話をしてみたい衝動に駆られたがもはやそんな芸当は出来ない…。無念だ。

イルカショーの席についてすこしすると突然の雨が降り始めた。スコールのような大雨だったがすぐに止んだ。屋根のある座席で助かった。今回の旅ではところどころで雨が降ったがそのタイミングが実に絶妙でギリギリ回避できて良かった。

イルカショーの後には希望者がイルカに水をぶっ掛けてもらうアトラクションもあるが、隣の韓国人ファミリーは若いお父さんが小さい娘を連れて水浴びに参加し、何もわからない娘さんはずぶ濡れになり大泣きしていた。まぁそれも良い思い出になるだろう。

イルカショーの後、再び大水槽に戻った。15:00からジンベエザメの餌やりショーがあるからだ。すごい人かと思いきや、来た時ほどの混雑もなかった。しかし15:00になって飼育員が水面から餌やりの合図を送るがジンベエザメはまったく反応しない。いまは食べたくないようでショーは不発に終わった。生き物相手ではそんな日もあるだろう。だがその合図の前後には小魚の群れも動き回るので幻想的な小宇宙のなかにうねりが出来て見ごたえはあった。

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このあたりで引き上げようと提案した。というのも名護にいるのは今日までで明日は那覇市に戻る予定になっている。その前に私にはひとつ行きたいところがあった。名護市役所だ。代表的な沖縄建築への興味だった。それも平日17:00までに行く必要があった。建物の中にも入るには営業時間中に行く必要があった。そのためには15時台のバスで何としても名護市役所前まで戻らねばならない。

名護方面へのバス停に向かう途中でまた雨が降ってきた。バス停は陸橋の下にあったのでそこで雨をしのいだ。ここで乗れるバスは何社かあるが、やんばる急行バスしか知らないのでそれに乗れればいいがと思いながら待った。そこに真っ赤なバスが来た。沖縄エアポートシャトルだった。

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夏旅2023 夫婦編(11)~ フクギ並木通り ~

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7月26日(水)名護のホテルホテルゆがふいんおきなわ宿泊二日目。この日は美ら海水族館へ行く予定で朝から名護バスターミナルに歩いて行ったが、美ら海水族館の先には2022年NHK朝の連続ドラマ「ちむどんどん」のロケ地として有名になった備瀬のフクギ並木もある。

路線バスの終点はそのフクギ並木まで徒歩5分の場所にドカーンと建っているホテルオリオンモトブリゾート&スパだった。美ら海水族館のひとつ先のバス停だ。この終点まで行けばフクギ並木に歩いて行ける。さわやかな朝のフクギ並木をサイクリングして、そのあとゆっくり美ら海水族館という行程のほうが楽しいように思い終点までバスに乗った。これが大正解だった。

終点のオリオンモトブリゾート&スパはとても綺麗でゴージャス感のあるホテルだった。そのエントランスに路線バスで降り立つ。せっかくなのでこのリゾートの景色もしばし楽しんで写真も撮った。フクギ並木にも美ら海水族館にも徒歩で行ける立地も素晴らしい。

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備瀬のフクギ並木の入口まで徒歩5分。そこにあった並木レンタサイクルに向かった。昨日の古宇利島での経験から高低差とか所要時間について端的に質問したところ、一時間もあれば十分回れるとのこと。電動キックボードと電動アシスト自転車がどちらもラスト2台だったがサイクリングがしたかったので自転車を借りて出発。

備瀬のフクギ並木には一通り順路が設定してある。基本的に民家の間を縫って観光をするわけで「おじゃまします」という感覚で静かに回る。路地や小径の情緒がどんどん薄れゆく日本のなかでこの懐かしさは貴重だ。それもただ懐かしいだけでないのは沖縄という島の持つ独特の風土と無関係ではないだろう。

道は平坦なので電動アシストでなくても良かったかもしれない。もちろん電動のほうが楽だが。走り始めて10分くらいで妻が電動アシスト自転車の電池が切れそうだと言い出した。今日は予備電池は持っていないので私と自転車を交換した。しかしその後、電池切れは起こさなかったので残量計の不具合だったのかもしれない。

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20分もすると備瀬崎海岸に着いた。ミーウガン(離れ小島)への眺望と呼ばれる海岸だ。海水浴をしている家族もいたが、我々が訪れた二日後だったか、ここでシュノーケリングをしていた子どもが溺れてドクターヘリで運ばれたニュースを那覇のホテルで見た。島は見えるが湾ではなく、島と島のあいだを外海の潮流が流れる複雑な海だ。砂浜ではなく岩場でもある。静かに見えても油断すると危険だと思う。

備瀬崎海岸に着いたとたんに雨が降り出した。そこそこ降ってきたので、駐車場の側の大きな樹木の下に入って雨宿り。こういうときにスマホのお天気アプリは助かる。確認すると15分もすれば止みそうな気配だ。とりあえずそこで雨をしのいでいたら、お天気アプリのいう通りに雲が去り雨は止んだ。

レンタサイクルも1時間コースだし、グズグズしていられないとまた走り出した。復路は海岸線をひたすらまっすぐ戻るだけだが、ところどころにいい感じの小径が左側に現れるので、そのたびに止まっては写真を撮る。海側から小径を撮り小径側から海を入れてまた撮る。夫婦で自撮りもする。小舟が浮かんでいたら伊江島を背景にまた撮る。風景画のなかを走っているようだった。

それでもまだ時間があるので、通っていない路地裏も行ってみようと小径のひとつに入って行った。樹木に囲まれて気分よく走っていたのだが、裏道に入ると、道をふさぐかのようにでっかい2匹の蜘蛛がそれぞれ巣を張っていて、前を走っていた妻がいきなり自転車を止めた。私だったらそのまま突っ込んでいたかもしれない。

これだけ大胆に道をふさいで蜘蛛の巣が2つも張られているんだから、住人すら通っていない裏道だったのだろうか。いやはや立派な蜘蛛と蜘蛛の巣だった。見ている分には蜘蛛の巣の美しさも好きなので何枚も写真を撮り、蜘蛛の巣の下を自転車を押して通り抜けた。後から調べるとどうやらジョロウグモ(女郎蜘蛛)のようだ。だとすると益虫なのでそのままにしてあったのかもしれない。

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ほぼピッタリ一時間で並木レンタサイクルに戻ってきた。もう次の客に説明を始めていて商売繁盛で何よりだ。1時間で回れるという言葉通りのコースだった。良心的だなと思ったが2時間乗られるよりも回転を速くした方がいいのだろう。自転車を返したらお菓子をくれた。

備瀬のフクギ並木には、よさげなカフェもいくつかあるが、まだ時間は10:30ごろでカフェも開いていないので、美ら海水族館まで歩いていくことにした。ほんの一時間程度のプチサイクリングだったが、なんとも気持ちの良い時間だった。雨に降られたのも、ちょっとした暑さしのぎになったし、雨上がりの並木道というのもこれまた風情がある。前向きに楽しむ性格なのだ。

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夏旅2023 夫婦編(10)~ 古宇利島一周 ~

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電動アシス自転車をレンタルして美らテラスから古宇利島へ向けて出発。とりあえず誰もが目指すのは島の奥にある映えポイントのハートロック。松田聖子の名作アルバム「ユートピア」の中にあるB面1曲目「ハートをRock❤」(youtube)を歌いながら走るのだ(心の中で)。

20230725_122718電動アシスト自転車でハートロックあたりについたのは30分後くらいだった。私の自転車の電池はこの時点でほぼゼロになった。妻の自転車は70%以上残っていた。

なかなかの混雑だった。みんなハートロックを目指してくるわけだし自動車で来ればすぐなので駐車場も混んでいた。駐車場に自転車を止めて駐車料金を入れた。自転車も駐車料金が必要なのかはわからなかったがいちおう止めさせてもらうんで。日差しでサドルが熱くなるため日陰に置きたかったが完全には隠れなかった。2本の予備電池もカゴに入れっぱなしというわけにもいかずエコバッグに入れて持って歩いた。

ハートロックは駐車場から少し歩いて降りていく。景色は美しくハートロックもなるほどと思ったが、とにかく暑かった。泳ぐわけでもなく、映えポイントGETという感覚で写真を撮って戻った。駐車場からハートロックへの道も一本道だがちょっとわかりにくいようで、すれ違う家族に「ハートロックはこの先ですか」と聞かれたりもした。

駐車場にもどって自転車の電池を交換した。30分程度の行程で1本切れてしまったので交換した電池がこの後の行程でもつのかどうか若干不安になった。妻のほうはまったく問題ないので交換せずに島の反対側に出発した。

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島の反対側は下り坂なので電動アシストは使わず子どものように風を受けて走った。景色も天気も良く気持ちがいい。古宇利オーシャンタワーまで一気に走った。オーシャンタワーは料金1000円とちょっとお高めだった。もう相当美しい景色は堪能しているので入らずに先に進んだ。

途中のおしゃれなカフェで冷たいものでも飲もうかと寄ってみたが、ランチ営業の時間帯でカフェだけの利用は出来ないとのことだったのであきらめて、古宇利大橋の手前にある古宇利島の駅ソラハシに寄ってみた。土産物屋やテナントが入っていてちょっとした軽食を食べるフードコートがあった。

このフードコートでOice Cafeのドラゴントロピカルスムージーを飲んだ。マジで美味かった!南国にキターっ!という感覚を味わえた。100%求めていた飲み物に出会えたね。

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古宇利島を電動アシスト自転車で一周し、この時点で14:00を回ったあたりだった。出発してから約二時間だ。戻りは大橋を渡る前に美らテラスに電話連絡してこれから橋を渡って戻ることを告げることになっていた。おそらくその連絡が来たら美らテラスのおじさんは店に戻ってくるんだろう。

フードコートを出てから電話して橋を戻って行った。途中で妻は橋の近くにウミガメを目撃したらしい。先を電動アシスト自転車で突っ走る私を呼んだがまったく聞こえなかった。私を呼んでいるうちにウミガメもいなくなり写真も撮れず…。残念。

●運天原バス停まで歩く

美らテラスに自転車を返して、そこからどうするかを考えた。タクシーで来たわけでタクシーで帰るという選択肢が正解だが、そこは路線バスの旅をしている我々だ。一番近いバス停を検索したところ琉球バスの運天原バス停があった。徒歩17分だ。ただし次は16:25で、それを逃すと次は18:30までバスがない。中途半端な時間だった。

しかしとりあえず歩き始めた。歩き始めた途端に雨が降り始めた。この雨はクールダウンできて良かった。折り畳み傘は常に持ち歩いていたのでそれを差して歩いていたらすぐにやんだ。途中に養殖くるまえびを食べられるところがあったのでそこに寄ってみたが、自動車の客でいっぱい。徒歩で来る客などいないようで呼ばれるまで車で待機するような店だった。「30分待ち」と言われてバスに間に合わないのでそのまま立ち去った。忙しいからかぶっきらぼうな店だった。

その後、ちょっと歩くとカフェがあったのだが、往復する時間とカフェでゆっくりする時間を考えると若干リスキーだったので寄らずにバス停を目指した。運天原バス停は運天原共同売店の裏だった。そこは陽射しが強かったので、売店の日陰のイスに座った。15:00をすぎたばかりだったので、ここで90分程度バスを待った。

90分あればカフェを往復出来た可能性もあったが、いかにも田舎の人っ子ひとり通らない午後のバス停で夫婦そろって延々バスを待つというシチュエーションは、なんだか自主製作映画のワンシーンのようで嫌いではない(妻はカフェのほうが好きだったとは思うが…)。ここで塩分チャージタブレットなどを食べながらバスを待った。

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こういうときに重要なのは飲み物だ。夏の旅行はとにかく喉が渇く。日本の場合はどこに行っても自動販売機があって助かるが、それでも見つからない場所はあるので、見つけたときには水かお茶を補充しておく。そこで重宝するのは保冷バッグだ。いつも2Lレベルの小さい保冷バックを持っていく。500mlペットボトルなら2~3本入る。これに入れたままリュックにも収まる。必携だと思う。

バスは時刻表通りにやってきた。売店の日陰に座っていたら素通りされそうな勢いだった。そのバスに乗り名護バスターミナルまで戻った。途中のバス停がどれもやんばるっぽい地名で興味深かった。

このバスで名護市役所前に降りて夕食という選択肢もあるかと思ったが、高校が夏休みでバスのルートが変更になっているようで名護市役所前に止まるルートでなく、気づいたら名護バスターミナルについていた。後から考えると途中に名護十字路というバス停があったので、そのあたりで降りれば繁華街だったが、このときはまったくわからずバスターミナルまでついてしまった。

ホテルのまわりに居酒屋などはあったが、この日は隣のコンビニで沖縄限定と書かれたおにぎりやソーメンチャンプルー弁当などを買い込み部屋で食べた。ゆがふいんおきなわの部屋は広いが電灯が間接照明だけで蛍光灯がなかった。外国人にはそれが良いのだろうがちょっと暗くて部屋食には難儀だった。

とりあえず名護初日に古宇利島に渡れたのはラッキーだった。この調子で翌日も天気に悩まされず済めばいいがと考えながら寝た。翌日は美ら海水族館へ行く予定だ。

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夏旅2023 夫婦編(9)~ 美らテラスから古宇利大橋へ ~

●那覇から名護へ

7月25日(火) グレイスリー那覇を出発して名護へ向かう。美味しい朝食ビュッフェはしっかり食べて県庁北口バス停へ。8:40発のやんばる急行バス(YKB)888号で名護バスターミナル前を目指す。ふたりで片道3100円。1時間40分前後の高速バスだ。予約なしで乗れるのが便利。クレジットカードや各種Payで払えるのもありがたい。

名護方面はちゅら海水族館もあるし夏休みだからか結構地元の人たちも乗ってくる。スーツケースは自分でバスのトランクに収納する。途中伊芸SAでトイレ休憩もありとても快適だった。バスに乗ってから少しすると雨も降り始めた。降ったりやんだりだが青空も見える。台風5号の影響もあるのだろう。二日間はどうも降ったりやんだりのような感じがした。

名護バスターミナル前に着いた。YKBは系列が違うようでバスターミナルの中ではなく外にバス停がある。トランクから自分たちのスーツケ-スを降ろしてホテルに向かう。宿は徒歩数分のところにあるホテルゆがふいんおきなわに連泊した。目の前にタピックスタジアム名護という野球場がある。近所の居酒屋には「歓迎日本ハムファイターズ」の横断幕も。キャンプ地のようだ。

●予定を前倒しして古宇利島へ

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ホテルのチェックインは午後からだが荷物だけ預けて動き出すことに。最初の予定ではこの日はちゅら海水族館にいくはずだった。那覇からの移動日でもあるし前日歩き回って疲れてもいるはずなのでゆっくり水族館というプランだ。しかし天気予報では今日は明日より天気が良い。ならば今日のうちに古宇利島へ行った方がよいという結論に至り急遽予定変更し、ホテルでタクシーを呼んでもらい古宇利島を目指した。

タクシーの運転手さんには古宇利大橋の手前にある美らテラスを目指してもらうことにした。古宇利島には2.4kmの古宇利大橋がかかっているが、橋の途中で写真を撮るには歩道を歩くか自転車しかない。歩いても渡れる距離ではあったが、渡った後に島を観光するにはせめて自転車は必要だ。

そこで調べると橋の手前にある美らテラスに貸し自転車があるようだ。臨時休業中だったが貸し自転車だけは営業中とホームページに書いてあった。美らテラスの貸し自転車は予約制だったが、まぁ何とかなるだろうと向かった。ギリギリまで天気とにらめっこしていたので予約するのもリスキーだったから。

タクシーに乗っている間も雨が降ったりやんだりしていた。若干不安になりながら美らテラスに着いた。入口にはチェーンと網がかかっており、どう見ても営業中には見えないたたずまいだった。タクシーの運転手さんもここで良いのだろうかと怪訝な感じだったが我々を降ろして去って行った。

他にも入口があるんじゃないかと海のほうに向かってみたりしたがどうも違う。やはりあの入口しかない。そうこうしていると自動車が一台、美らテラスの裏道を入って行った。これから営業開始かなくらいな感覚で電話番号を探して電話してみたら男性が電話口に出られた。

「貸し自転車を借りたくていま門の前から電話してるんですが」と伝えると「ハイハイ、いま行きますネ」とのこと。やはりさっきの自動車で出勤されたようだった。ただその後聞くと、たまたま予約の人が来る時間なので来たところに我々から電話がかかってきたということで偶然だったことが判明。ついていた。

●電動アシスト自転車が必須

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予約していなかったので在庫があるのは電動アシストではない自転車か、古い電動アシスト自転車の二択だった。普通の自転車は新しいが電動アシストは旧式で電池がもたないため予備電池をカゴに入れて途中で入れ替える必要があるかもしれないとのこと。

ここで島の高低差に苦労した昨日の経験がフラッシュバックし「高低差はどのくらいありますかね」と食い気味に聞いたところ、「左回りをオススメしてるけど、どっち周りでもハートロックまでは上り坂だねぇ」とのことだった。

「じゃあ電動アシストにしようかな」

「それをお勧めしますよ。正直、私も電動じゃないと行く気にならないネ」

という会話をして旧式の電動アシスト自転車を2台借りた。11:50からの3時間コースを選択。2台で3000円だった。結果的に大正解というか、古宇利島は電動アシストなしなんて考えられない高低差だった。電動アシスト自転車は実に快適だった。

自転車に乗ることを考えて黒頭巾を持って来ていた。髪を覆えるターバン風ヘッドバンドでラーメン屋の店員のようなやつ。台風が近くにいるし帽子だと飛ばされる可能性を考えてのことだがこれも大正解だった。妻は紐がついているつばの大きな青い帽子だった。

古宇利大橋に入ってすぐ踊り場的な展望ポイントがある。歩道ならではのポイントなのでここで写真を撮る。島に近づくとそこにも展望ポイントがあり、そこから屋我地島側に振り返って写真を撮ったりした。

橋を渡るだけなら電動アシストはいらない。橋を渡り切ると左回りでハートロック目指して走り始めたが、すぐに電動アシストが必要になった。天気は杞憂に思っていたのが馬鹿らしいくらいピーカンだ。それだけに気持ちは真夏の坂道のヤバさリターンズ!この高低差はきつい。電動アシスト自転車一択で間違いない。

そして私の電動アシスト自転車の電池の残量計はどんどん下がっていく。70%を過ぎるとつるべ落としのように…。予備までこの調子で減ってしまったらどうしようと思うくらいにどんどん減った。妻の自転車は私ほど減らないから個体差の問題だったのかもしれない。

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2023/08/13

夏旅2023 夫婦編(8)~ ルートビアとの遭遇 ~

●最後に待っていたルートビアというトラップ

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夕食は国際通り入口にあるA&Wに入った。ここも沖縄で有名なハンバーガーチェーンだ。ハンバーガー好きの妻は美味しいハンバーガー店も複数物色していたが、この時間に空いている店は少なくA&Wで食べることにした。混んではいたが3階席には若干空きがあった。ただし3階は20:00までだという。2階は22:30までだが満席だった。まぁハンバーガーだし30分程度でサクッと食べてホテルに戻ろうと3階で食べることを告げて注文した。

沖縄出店60周年の記念でフレーバールートビアフロートモヒートグリーンという記念ドリンクがあったので、記念という言葉に弱い私はそれが入ったキラキラサマーコンボにした。看板ドリンクのルートビアは飲み放題だという。「なんと太っ腹な!」とこの瞬間は思ったものだ。それがひとくち飲んだだけで180度の意識改革を迫られた…。

注文しているうちに2階席に空きが出来たのでそっちに変更した。席について18,000歩近く歩いた一日を振り返った。最初の計画の3倍も目的地を回れた。久高島斎場御嶽ニライカナイ橋展望台ガンガラーの谷と路線バスの旅の一日で全部回れるとは思ってもいなかった。

いやー良かった良かった、喉も乾くねとルートビアに口をつけた。最初はフロートの甘味がした。しかし液体が喉を通った瞬間、寒気のするような不快感が襲ってきた。たとえるならシャンプーを間違えて飲んでしまったような。このときはじめてルートビアという飲み物の洗礼を受けたのだった。一生消えないデジタルタトゥーのようにその不快感が残った。

A&Wのハンバーガー他の食べものはみんな美味しかった。妻が頼んだ飲み物も美味しかった。しかしその美味さをルートビアの不快感がすべて台無しにしていく。なんなんだこのシステムは。最初はモヒートグリーンの仕業かと思ったが、どうやらルートビアそのものの味だった。

ネット検索してみると「サロンパスの味」という形容が多い。確かに言い得ている。サロンパスは食べたことがないが。これほど喉越しの悪い飲み物を飲んだことがない。ドクターペッパーが好きな私だが薬草系ジュースとしても完全に別物だ。ミントからおいしさだけを外したような感じだ。爽快感とは異なるこの感覚。喉を通って一瞬の間があり悪寒のような不快感が込み上げてくる。慣れることがない。喉の渇きを潤すことも出来ない。

ワサビを死ぬほど食べる外国人の映像を見たことがあるが、奴らの狂った舌にはこれが美味いと感じるのだろうか。本当にこんな飲み物がこの世にあるのかと驚いた。それほどまずい。どれほど不味いと言っても言い足りないまずさだ。これを後輩に話したら、それほどネガティブな情報を聞いたら飲みたくなると言われた。それが狙いかとすら思った。悪魔的な飲料だ。一度は飲んでみて欲しい(責任は持たない)。おかわり自由といわれたが拷問か。半分も飲み切れなかった。

食事を終え店を出た後には近所のコンビでポークサンドピリ辛豚味噌おにぎりとオリオンビールとオリオンWATTAパイナップル味を購入してホテルに戻った。口直しをせずにはいられなかった。A&Wは美味しいがルートビアだけはもう飲むことはないだろう。いや、やはり怖いもの見たさでもう一回くらいは飲んでしまうかも…。悪魔的だ!

こうして沖縄旅行の二日目が終わった。まだまだ始まったばかりなのにこんなに長くなってしまった。

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夏旅2023 夫婦編(7)~ ガンガラーの谷 ~

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●歩くガジュマルの樹

待機所のケイブカフェで数杯のドリンクを飲んだ。16:00になりガンガラーの谷ガイドツアー参加者を呼び出すアナウンスが響く。まずツアーガイドさんによる概要の説明がある。夏場は水分補給も大切なのでお茶の入った水筒も一人一本ずつ用意されていた。これを首から下げて出発する。16:00からのコースなので真昼間よりはずいぶん過ごしやすかったが、それでもツアーが終わるころには水筒が空になった。

大きな見どころは大主(ウフシュ)ガジュマル、触れる鍾乳洞のイキガ洞、そして武芸洞で、ガイドさんの語り口も面白くて為になる。

ガジュマルの樹は南国好きには日常のような大樹だが、この樹が歩くというのは初めて聞いた。キジムナーと同じようなファンタジーかと思いきや本当に歩くようなのだ。

ガジュマルの大樹はツルが垂れ下がっているが、あれが長い年月のうちに幹となる。そうするとそれまで幹だった大樹のほうは腐り朽ちていく。その繰り返しで移動するというのだ。悠久の時間のなかでゆっくりとガジュマルが歩を進めていくのを想像しながら眺めた。ウフシュガジュマルが歩きだしたら歩道も再整備だななどと思いながら…。

ガイドルートもうまく作ってあり、ウフシュガジュマルには“遭遇する”感がある。突然目の前に現れて「おーっ!」と見上げることになる。その空間はスタートレックのセットのようにも感じた。カーク船長時代のスタートレックのスタジオセットは作り物感満載だったが、このガジュマルの大樹は本物の自然なのに作り物のような巌に囲まれた空間にそびえていた。惑星を感じる。このウフシュガジュマルの前でガイドさんに記念写真も撮ってもらった。

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●3000年前の人類に思いを馳せる

イキガ洞ではランタンに火を灯して一組ずつ渡され、暗い洞窟のなかに入っていく。中では鍾乳洞に触れる。触ってみたらめっちゃ乾いていた。もっと濡れているものだと思っていたのでガイドさんに聞いてみたが、雨が少ないと乾いていることもあるようだ。

そして最後の武芸洞。ここは埋葬されていた3000年前の人骨が地表すぐ(20センチ堀ったレベルで)発見された洞穴だ。その調査の様子は沖縄県立博物館のコラムがあったので武芸洞で検索した結果にリンクしとこう。直接的にはこのコラム。いま歩いている地表から20cmくらいのところに3000年前の墓が出てくるということは、この洞穴がいかに手付かずで自然災害からも逃れてきたかがわよくわかる。ほとんど同じ土の上を3000年前の人類も歩いていたのだ。

ガンガラーの谷は現在も調査研究が進行中で、その保存状態の良さから続々と新発見が出てくる可能性が高い。最初の待機所だったケイブカフェでも調査が進んでいく。昨年は3万5千年前ごろのシカの骨なども見つかっているようで、そのころから古代人が住んでいた可能性もあり、約2万年前の人骨として発見された港川人と呼ばれる古代人の生活の場だったのではないかともいわれているようだ。ワクワクする。

ガンガラーの谷ツアーは2008年にオープンした完全予約制のガイドツアーだが、当日空いていれば予約可能だし行く価値があると思った。洞窟カフェと勘違いしてイロモノだと思っていたら大間違いで実に素晴らしい体験だった。ちなみにカフェはいまガイドツアー参加者だけの待機所として営業していて飲みもの以外は出していなかった。ただ音楽ライブも開催されることがあるようで、そのときはライブハウスになる。それもいいな。

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80分程度のツアーだったがあっという間に終わった。暑すぎず天気もよく本当に来て良かった。ガンガラーの谷は超オススメだ。ツアーの出口は隣のおきなわワールド(玉泉洞)の駐車場前だ。この日最後の時間帯だったので玉泉洞は閉館していた。

11年前はここでドライフルーツを買い込んだことを思いだした。玉泉洞の鍾乳洞もなかなかすごいが、山口県人は秋吉台秋芳洞を知っているので対抗意識というわけではないのだが鍾乳洞だけでは驚かない(笑)。

ガンガラーの谷のガイドツアーを解散して、三々五々帰っていくツアー客たち。ほとんどはレンタカーと思われる。我々二人だけが取り残された。さてどうやって帰ろうか。妻がスマホで「新城バス停」を見つけた。ここから1.3km先で徒歩17分だった。

googleMapの高低差の悪夢がよみがえったが、来たことのない土地の散歩は二人とも嫌いじゃない。ガンガラーの谷を歩いた後ではあったが、もう夕方で多少涼しい。テクテク新城バス停まで歩いてみることにした。多少の高低差はあったが、安座間港から斎場御嶽への道のりとは雲泥の差であった。

新城バス停には18:00頃についた。次のバスは18:24だった。バス停に座るイスもある。夕方で裏の建物の影にも入れた。何の問題もない。座っているとタクシーが近づいてきて速度を落とし運転手がこちらに目配せしてくる。こちらは手を振りバス停を指さす。タクシー運転手はちょっと口元を緩めてうなずき速度を上げて走り去った。そう路線バスがある限りはバスに乗るのだ。

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ほぼ時間通りに来た琉球バスに乗り那覇市内の県庁南口まで。今朝、安座間港へ行くときに反対方向のバスに乗ったバス停が県庁南口だった。一周して来たわけだ。なんだか盛沢山の一日だった。19:00過ぎごろに着いた。

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夏旅2023 夫婦編(6)~ ニライカナイ橋の展望台に立ち寄り ~

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●ニライカナイ橋の眺望

斎場御嶽入口の南城市観光協会でタクシーを呼んでもらいガンガラーの谷へ向かうことにしたとき、タクシーで行くならニライカナイ橋の展望台に寄ることが可能かをとっさに職員さんに聞いていた。せっかく路線バスでなくタクシーなんだからという気持ちで。そしたら時間的にも問題ないということで立ち寄ることにした。

ニライカナイと聞けば「ニライカナイからの手紙」という2005年の映画をすぐ思いだす。そもそも私の沖縄好きはNHK朝ドラの「ちゅらさん」から来ていて、国仲涼子さん握手会にも行った。そこから沖縄を舞台にした作品をいろいろ見始めて、そのなかに「ニライカナイからの手紙」もあった。たしか休暇をとって平日に文化会館での上映会を見に行ったんだった。主演の蒼井優のポスターのイメージが新鮮だった。

それ以上の情報はないわけだが。しかし展望台というからには行ってみたくなった。タクシーが来ると職員さんが「ガンガラーの谷まで行かれるけど途中にニライカナイ橋の展望台に寄ってください」と運転手さんに伝えてくれた。

乗り込むとすぐにタクシーの運転手さんは「台湾から琉球に来て56年になる」と身の上話を始められた。どういう心境だったのかわからないがご本人の昔話をいろいろと話してくれた。こちらも必死に沖縄の知識を絞り出しつつ、前に来たのは34年前くらいで道路も左側通行から右側通行になってすぐだったといった相槌を打つと即座に「730」について話してくれたりした。また方言が消えていくのはさびしいという流れから「方言札」の話などもしつつ、ニライカナイ橋の展望台にはすぐに着いた。

タクシーから降りて直線の道を数十メートルあるくと展望が開ける。展望台といってもちょっとした景色の良い路肩といった感じ。ニライ橋・カナイ橋は新しい道路で歴史的な建造物でもないのでそれほど感動はないが、途中で寄れたという満足感はあった。ここで妻が撮った風景写真のなかに蝶が写り込んでいた(上右写真)。おそらく大きな蝶なのでオオゴマダラではないかと思う。沖縄県の県蝶となっている。

数分の立ち寄りだったが、寄り道大好き(だから行き当たりばっ旅大好き)なので良かった。そこから約20分でガンガラーの谷についた。その道すがら大規模な工事現場の横を通った。ショッピングセンター的なものが出来るようだ。風景も時代とともに変化していく。

●ガンガラーの谷へ

ガンガラーの谷には15:20くらいに着いた。受付にあるいていくと大きな鍾乳洞のなかにカフェがある。ここがツアー参加者の待機所になっていて、1ドリンク(飲み放題)を注文してハイビスカスティを飲んだ。15:40の回もまだ空きがあると言われたが、カフェで冷たいものを飲みたかったので予約通り16:00の回のままにした。

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夏旅2023 夫婦編(5)~ 斎場御嶽 ~

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国道331号を歩き疲れてようやくたどり着いた斎場御嶽のチケット売り場。とりあえず冷たいものを食べようと売り場横のかき氷屋さんでマンゴーかき氷とジェラートを食べた。こういうものを食べるとすぐに喉が渇くのだが、わかっていてもこの時ばかりは食べずにいられなかった。

少し休んでチケットを購入した。斎場御嶽の入口まではここからまだ500mほど先にある。あざまサンサンビーチからここまで過酷な坂道を歩いて来た。普通なら心が折れる真夏のロードだった。妻が歩けるタイプで良かった(不満はあっただろうが…)。

斎場御嶽への道のりで琉球コーラ缶を購入。炭酸が飲みたい気分でもあった。

私は11年前にガジ丸さん(故人)に連れられて来た斎場御嶽だったが、その時は目の前に軽トラを止めてふらっと入っていった記憶がある。それがいまや入口は完全に観光地として整備されていた。学習施設のようなものがあり注意事項などをビデオ鑑賞してから入場する。

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なかに入ると11年前と変わらない静かな森だった。米軍の艦砲射撃によって出来た砲弾池もそのままあった。しかし三庫理(さんぐーい)は立入禁止になっていて柵の外から三角形岩のすき間を遠めに眺めるだけ。岩が崩れる危険があるからだとか。以前は三庫理からハート型に空いた樹木の葉の奥に久高島を眺められたのに残念だ。2012年のブログのタイトル画像はそのときの写真を使ったものだった。

11年越しに久高島には渡れたが三庫理からの眺望は失われていた。月日の流れを感じた。だが琉球の歴史からすればほんの一瞬に過ぎない。観光地とはそういうものだ。

久高島を眺める場所は三庫理よりももっと手前に「久高島遥拝所」が作られていた。11年前にあったかどうか記憶にないが、斎場御嶽に久高島遥拝所は必須だと思う。今朝久高島を一周して(ヤグルカーからこちら側を眺めて来て)、午後に斎場御嶽から久高島を眺めている。路線バスと過酷な徒歩の旅を満喫していた。

●ガンガラーの谷を目指す

斎場御嶽からまたチケット売り場に戻ってきたのは15時前だった。隣に南城市観光協会があり涼みに入ってみた。そこでも斎場御嶽に関する展示・上映会をやっていた。職員の方にどうぞと促されてその動画をしばし鑑賞しクールダウン。

さて、ここからまた路線バスの時間を確認して那覇へ帰るかと考えていたが、妻はもう一カ所ガンガラーの谷という観光スポットに行けないかなと言い出した。そこは初日の候補地として久高島・斎場御嶽と並んで挙げていた第三の候補地だった。

ここは観光協会でもあるし職員さんにガンガラーの谷について聞いてみた。するとパンフレットを渡してくれて16:00からのガイドツアーもあることを知る。タクシーを使えば16:00に間に合うというので、パンフに書かれた電話番号に電話してみたところ空いているという。それで即時予約すると同時に、妻に目配せをして観光協会の職員さんにタクシーを呼んでもらった。

タクシーはほんの10分も待たずに到着した。さすが世界遺産の観光地だ。我々はついに初日候補地すべての観光を達成できることになった。

案ずるより産むがやすし。この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。そんな大げさなものではないが、いま思えばこの沖縄旅行は台風5号と6号のはざまに奇跡的に天候に恵まれた一週間の旅行だった。あと二日遅く出発していたら予定通り帰れなかっただろう。そういう偶然のなかで生まれた沖縄旅行の初日だ。レンタカーならたやすく回れたのかもしれないが、たやすくないからこそ良い思い出になるような気もした。

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夏旅2023 夫婦編(4)~ あざまサンサンビーチから国道331号へ ~

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久高島から安座間港フェリー乗り場まで高速船で戻ってきた。GoogleMapを見るとここから斎場御嶽(せいふぁうたき)まで歩いて25分。ハワイ島で1時間歩いた我々だ。まだ正午を回ったばかりだし、行けない距離ではないと歩くことにした。これが後から大変な道のりになるのだが、この時は久高島か斎場御嶽かの二者択一だと思われた両方に行ける高揚感に浸っていた。

歩くと決まれば、あざまサンサンビーチのインスタ映えスポットも見ていこうとビーチ方面に歩き出した。天気も良かった。ブランコやハートの鐘の前で写真を撮り、青い海を眺めながらペットボトルの水を飲む。しばしビーチの気分を楽しんで、サンサンロードに出て歩き始めた。

GoogleMapの案内によると、マルチャ石という史跡の横から舗装されていない駐車場のなかを通り、コマカ無人島行きフェリー乗り場を通って国道331号へ出るルートだった。

いま考えると歩いていくには最短だし最適ルートなのだろう。ただGoogle Mapは西部劇の酒場のマスターのように「歩きはやめとけ」と言ってはくれない。そこが盲点だった。真夏の高低差に人間は弱いことをGoogle Mapは知らない。そしてとんでもない坂道を“登る”はめに。

この坂道が尋常ではない。おそらく電動アシスト自転車でもあきらめて自転車を押して歩くだろう。下手すると自動車でも怖いくらいの坂道なのだ。途中に一カ所だけあった木陰で休んで水を飲みながら登り切った。それだけの坂道なので景色が開けたところでは美しい景色を拝めたのがせめてもの救いだった。同時にさっきまであの海岸線にいたのだと思うと、この高低差を歩いてきたことへの驚きもあった。

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ただ目的地は斎場御嶽だ。坂道の頂上はようやく国道331号であり、ここから斎場御嶽までまだ坂道は続く。歩道もあるにはあるが雑草が生い茂り歩きにくい。歩いている人などひとりもいない。交通量が多く車はひっきりなしに横を通る。

この時ばかりは久高島と斎場御嶽とを連続して巡るにはレンタカーが最適だと思った。フェリー乗り場でタクシーを呼ぶことも出来るがタクシーなら1分なので待ち時間のほうが長くなりそうだ。路線バスなら12:44安座間港FTから斎場御嶽へ向かう路線バスがあると思う。これを待つのが賢明だったかもしれない。ただここで徒歩の厳しさを知ったことはこの後の行程には多少役立ったかもしれない。

暑さのなか国道331号を歩いていると、ゆるやかなカーブのところにコマカ歯科クリニックの駐車場が見えてきた。咄嗟に「日陰だ」と思った。それほど過酷な行程だったのだ。あそこで小休止して水を飲もうと考えて近づくと、その先に「斎場御嶽」の文字が見えた。バス乗り場やチケット売り場がそこに見えた。それで小休止はせず、吸い込まれるようにチケット売り場の建物へ…。

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夏旅2023 夫婦編(3)~ 久高島 ~

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20230724_083930 7月24日(月)沖縄(那覇)観光初日。この日は斎場御嶽(せーふぁうたき)へ向かうか久高島へ渡るか迷っていた。どちらも妻の関心が高いパワースポットだ。私は11年前に斎場御嶽は行っているが、久高島にはハンザナシー行事の時期で渡らなかった

ハードルが高いのは久高島だった。那覇の県庁南口から港まで路線バスで約1時間は見る必要がある。久高島に渡る方法はフェリーか高速船の二択だが朝は8:00発か9:30発かの二択になる。

ホテルの朝食は6:30からなので食べてから行くなら9:30の高速船が現実的だ。ホテルの朝食は沖縄料理のビュッフェスタイルでぜひ食べたかったので、6:30から食べて高速船に乗れる時間を検討した。

しかし今度は路線バスにちょうどよいバスがない。とはいえ交通渋滞などもあるので少し早めにつく分には良いと考え、7:33県庁南口発で8:30頃に安座間港(あざまサンサンビーチ)に着く338系統斎場御嶽線を見つけた。

朝食を50分くらいで食べ終えてすぐにバス停に向かえば間に合いそうだ。国際通りあたりから朝向かうには、この338系統しか選択肢はないと思った(土日なら8:02発)。久高島に渡れずとも338系統なら斎場御嶽まで行けるので両面待ちの構えだ。天気も良かったので「久高島に渡る」という第一候補地目指して出発した。

●久高島でサイクリング

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338系統のバスは順調に進み、定刻通りあざまサンサンビーチ入口の停留所についた。千円札をさっそく両替。降りたのは我々だけ。といっても乗客も少なかったが。フェリー乗り場まで歩いていった。建物の前まで来ると11年前にここで引き返した記憶が蘇った。あの時と同じく野良猫がこちらを見ていた。

待合室に入ると涼しい。9:30の高速船チケットを往復で購入した。このとき時刻表と久高島の簡単な地図が描かれた紙をもらった。トイレにいったり開いたばかりの売店を見たりして過ごした。高速船運行時間が近づくとタクシーなどでやってくる他の観光客も増えてきたので、少し早めに船に乗った。

高速船のなかは冷房の効いた室内と扇風機だけの部屋と海風に吹かれるデッキとあったが、冷房の部屋に座った。涼しくて揺れも少ないが高速船だけあって波しぶきが大きく、窓からはほとんど何も見えなくなる。それはそれで迫力もあるが。

久高島の徳仁港に着いたらまずはレンタサイクルを借りるため船待合所売店へ。最近は電動キックボードを貸し出す業者も多い。これは他の観光地も同じだった。普通の自転車、電動アシスト自転車、電動キックボードなど選択肢は増えている。我々は普通の自転車を借りた。時間はどのくらいかかるかわからなかったが、戻りの高速船は2時間後、フェリーなら4時間後なのでとりあえず3時間コースにした。年季の入った自転車だった。

高速船のチケット売り場でもらった地図をもって走り出す。高低差はあまりないので電動アシストは不要だった。まずはイシキ浜方面へ走り最初のピザ浜で海岸に降りてみた。台風5号の影響もあるのか風は強かったが最初に見る久高島の海岸はとても気持ち良かった。他にも自転車で女性2名がいた。車もやってきたので先に進んだ。

自転車コースは島の東側から巡りカベール岬まで行って島の真ん中の道を戻るか、時間があれば西側の海岸や史跡を見て回るかになるとネット情報を得ていたが、イシキ浜を見た後に、ジグザグにカベール岬まで行ってみたくなり(前を行く自転車女子とずっと一緒というのもなんとなくオリジナリティがないようにも感じて)、左折してヤグルカーに向ってみた。

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西海岸のヤグルカーからの景色は東海岸と海の色が違った。これぞ目指していた南国景色だった。自転車と電動キックボードを借りて男女で乗り換えながら巡っていたカップルがいた。思わず「すごくきれいな景色ですね~」と声をかけてみた。そしたら男性のほうが「ほんとにそうですね~」と答えてくれて、この先は行き止まりだけど景色は素晴らしいという情報をくれた。

都会の日常で他人に話しかけることなどまずない私だが旅先では人格が変わる(笑)。いや、本来の自分に戻るのだ。基本的に声掛けする人になっている。一期一会はそこからしか生まれないから。

ヤグルカーからロマンスロードを通り、一路カベール岬へ。最後の直線はTHE島の道なのだが、日差しが強く疲れた。

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カベール岬(ハビャーン)は琉球開闢(かいびゃく)の祖アマミキヨが降臨した聖地とされる。どのコースから来てもここを目指すのが久高島観光なので観光客は多かった(といっても20名もいなかったが)。自動車でも来れる。突端で祈っている女性もいた。神聖な気持ちになる聖地なのだ。

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この時点で11:00過ぎだった。12:00の高速船で戻るか14:00まで残るかだが、12:00に港まで戻れそうな感覚があったので12:00の高速船で戻り、そこから斎場御嶽を目指すことにした。3時間コースを2時間で切り上げるわけだが、3時間コースにしていた分、余裕を持ってヤグルカーのほうへジグザグ走行できたわけで急ぎ足でもなかった。ここからさらに2時間後のフェリーまで残るより、久高島と二者択一で行けないかと思われた斎場御嶽を目指しセットで観光したいという欲も出てきたのだった。

カベール岬からの戻りは東海岸を通った。大きなガジュマルの樹のベンチ前を抜け、イシキ浜を通り、途中から右折したりしながら通っていない道を探りつつ船待合所売店へ向かった。

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その道すがら、茂みの中から下手な尺八のような音が聞こえてきて思わず自転車を止め動画モードで茂みを撮影(youtube)していた。動画を撮るためでなくその音を記録するためだった。その音はチュウダイズアカアオバトの鳴き声に違いなかった。

2013年に石垣島を旅行したのだが、そのときに録音したリュウキュウアカショウビンの声に紛れてたまたま録れていたのがチュウダイズアカアオバトの声だった。そのあまりにも特徴的な鳴き声を忘れたことはなかった。まさか久高島の真昼間に聞けるとは思っていなかった。飛行機の音が近づき鳴き声がすぐに止まってしまったのは残念だった。しかしこの一瞬の遭遇は琉球の神様の粋な計らいだったように思えた。

自転車を返して港に着くと帰りの高速船は既に停泊していた。暑かったが帰りは冷房室ではなく扇風機のある席に座って戻った。たった2時間の久高島だったが11年越しの訪問に満足していた。妻も初の離島(?)が久高島で満足していたようだった。

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夏旅2023 夫婦編(2)~ 沖縄へ到着 ~

7月23日(日)羽田空港13:40発、那覇空港16:15着のJAL917便で沖縄へ。機材変更というアナウンスがあり、搭乗1時間前まで手荷物を預けられず、試しに自動チェックインを操作したらエラーメッセージカードが出てきた。こういうエラーとかドキっとする。とりあえず乗れて良かった。搭乗前に空港内のカレーうどん店cuudにてハーフ&ハーフカレーうどんを食べた。これもなかなか美味かった。

那覇に着いたら今度は預けた手荷物が一向に出てこない。宮崎空港での悪夢が再来かと妻と笑って待っていたが、私のスーツケースだけ出てこない。結局最後の一人になってしまい、笑い事ではなくなりそうだと思ったら出てきた。スーツケースの取っ手がひとつ壊れていた。

おそらく作業員はどんな人間の荷物か裏から見ていたのではないだろうか。それでオレなら大丈夫そうだと壊れたままベルトコンベアに乗せたのではないか。あるいは宮崎空港での取手破損の情報が共有されていて「またあいつの荷物か!」と何度も壊れるのは荷物のせいだと思ったかもしれない。すべて私の妄想だが。

ただ今回のケースでは取っ手のネジが緩んでスーツケースの中に落ちて外れただけだったのでJALも弁償するほどの事故ではないと判断したのだろう。私もホテルについてスーツケースの荷物を全部出し、中に落ちていたネジを見つけてメガネ用にたまたま持っていたドライバーセットの一番大きなプラスドライバーで直せたので一件落着だった。悪いのはアメリカンツーリスターの柔なスーツケースだ。取っ手の位置も中央でなく加重に弱そうだ。買い換えたい…。

●那覇到着

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那覇空港から県庁北口までゆいレールで移動。ゆいレールはSuicaが使えるので便利。小銭を気にしなくてよいのはホッとするな。8月には沖縄でバスケットボール世界大会があるようで、その広告が車両ジャックしているラッピングゆいレールもあった。

初日から2連泊したホテルはWHGホテルグループグレイスリー那覇。国際通りの中にあり便利だった。入口からエレベータまでのエントランスホールがとにかく涼しい。真夏のシェルターかというくらい冷房が効いていて気持ち良かった。

到着が夕方だったので、ホテルでちょっと休憩したのち近場で夕食をとろうとお店を物色。こういうとき妻が頼りになる。美味しいものを探すことにかけてはOLの王道で鍛えた審美眼(?)が冴えわたる。場所は国際通りでもあり、どこも美味しそうに見える。

入ったお店は炙るチェリチェリ。まだ時間が早かったのですぐに座れたが2時間制と言われた。おそらく20時くらいから混み始めるのだろう。古民家を改修した掘り炬燵のおしゃれな空間で沖縄料理の定番やお店自慢の炙り料理をいただく。あれもこれもと食べたくなる。ジューシーおこわ稲荷で締めた。

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夏旅2023 夫婦編(1)沖縄路線バスの旅

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はいさい!7月23日(日)から沖縄旅行に行ってました。連日37℃と猛暑が続く首都圏を離れて32℃くらいの沖縄へ。もはや沖縄が避暑地になりつつありますな。

出発前に台風5号が発生しどうなることかと天気予報アプリとにらめっこしていましたが、台風5号はそれて行き天候も崩れること無く過ごせました。帰宅した7月29日(土)には台風6号が沖縄方面に向かい始めたので、結果的には台風の狭間の日程になりました。

沖縄本島への旅行は11年ぶりですが、前回は基地反対テント訪問や害獣駆除された猪肉をファームで食べるとかかなりディープな旅でした。ガジ丸さん(故人)のブログに当時の高江のテント訪問記があります。

今回は夫婦で観光地の沖縄を巡る旅行です。そういう意味では小学生の頃に両親の社員旅行で来て以来なのでほとんど初観光のような感覚でした。ただ11年前の訪問地や当時行けなかった久高島を再度目指したりもしました。島に渡れたのかどうかは後述する予定です。

今回の観光は6泊。那覇で2連泊、名護で2連泊、那覇に戻ってふたつのホテルに各1泊を予約しました。行きたい候補地を二人それぞれ出してそこを線で結ぶという決め方は過去の夏旅を踏襲してるかも…。

ただコンセプトとしては路線バスでどこまで楽しめるかになりました。二人ともいまやペーパードライバーなので交通機関を駆使して観光地を巡りました。

 

路線バス旅のへ準備

20230723_201751 レンタカーと比較すると路線バスの機動力は落ちそうですが、出来るだけ時間を有効に使おうと考えるようになり、なかなかメリハリのある面白い旅行になりました。

路線バスで巡る旅で最重要な準備は「千円札と小銭」です。日常的に現金をほぼ使わなくなって久しいですが、沖縄に限らず国内旅行に行く前には意識して小銭をストックしてます。日本全国まだまだ現金オンリーの店も多いです。路線バスを駆使する場合、降車時に両替出来るのは千円札だけのバスも多いですね。沖縄もこの原則通りでした。

予約不要の高速バス(やんばる急行バス等)ではクレジットカードが使えましたが、通常の路線バスでは千円札の両替だけです。その小銭を作るために乗る直前に少額の買い物で万札を使うのは個人的に好きではないので、旅立つ前に千円札を20枚くらい用意して、小銭もジャラジャラ持っていきました。万札はタクシーを使ったときなどに使い、そこで千円札と小銭をゲットするといったゲーム感覚で現金の増減管理をして過ごしました。

沖縄本島のバスはなかなか複雑でした。バスの種類によって乗り場も微妙に異なりバス停の形も違います。どこにどのバス停があるのか最初は戸惑いました。高校が夏休みの間は路線が変わるところもありました。

遠距離移動には高速バスが便利です。高速バスにもバス停があり事前予約不要なバスがあるのは助かります。バス停で行き先を告げ前払いで乗り込みます。スーツケースは自分で側面のトランクスペースに出し入れします。

高速バスにも何社かありました。那覇と名護の往復にはやんばる急行バスを利用しました。美ら海水族館から名護市役所までも使う予定でしたがバス停についたとたん雨が降り出しました。そこに赤いエアポートシャトルバスが到着したので、そっちのバス停を見に行くと運転手さんが乗せてくれるとおっしゃるので前払いでカード払いして乗りました。

路線バスは那覇市内の循環バスと那覇市外に行くバスとがあります。循環バスは前払い(240円)、市外は整理券で後払いでした。行き先を基準にバスを探しますが、覚えるのは「何系統か」のほうがわかりやすかったです。市外行きは一時間に一本あるかないかの場合も多く、バス停に貼ってある時刻表もセロテープなので剥がれかかっていたりしてスマホの時刻表検索は必須でした。

検索エンジンで「何処から何処までバス」で検索し、それが何番の系統のバスかと2人分の金額を検索して小銭を準備しました。

バスはまぁ時間通りに来ますが、那覇は渋滞してるので15分程度遅れることもありました。それで待っているバスと違うバスが来て結果的に早く乗れたりもしました。

バス停で迷ったら来たバスの運転手さんに行き先を告げて聞いてみるのも重要ですが、那覇市内はひっきりなしに来るのでいちいち止めるのは忍びなく、まずは何系統に乗るかを検索しておき、路線が変更になっていないかを確認する意味で乗るときに聞く感じでした。

まだ初日の記録に到達出来ない…。いつも通りの長文になりそうです。8月に時間を見つけては続きを書いていきたいと思います。旅は帰ってからも楽しいもの。思い出を熟成させつつ推敲するのも楽しいわけで。

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2023/03/18

中島みゆきで極私的妄想話リターンズ

久しぶりにブログを書いてる。書き物は孤独な作業だから独身時代は出不精の私にもってこいのツールだったが、いまは毎年作っている夫婦の写真アルバムの下書きのようになってる。スマホ写真がクラウド保存されていれば、いつ何時どこにいたかも記録してくれているから、アルバムに載せるキャプションの下書きみたな使い方だ。それもツイッターで事足りることもある。世の中どんどん進歩して楽になっていく。そのうちAIがキャプションも書いてくれる時代がくるかもしれない。だがAIに私と同じ妄想話ができるかな?という気持ちだ。

今日はK-POPグループのSUPER JUNIORが来日し、ベルーナドーム(西武ドーム)でライブを行うので昼から妻が外出している。夜まで帰らないので久々にブログを書いてみようと思った次第。妻がK-POP三昧なら私は中島みゆき三昧といこう。

●時代と猫と中島みゆきの距離感

今月44枚目のオリジナルアルバム「世界が違って見える日」が発売された。後半ではこのアルバムの楽曲のひとつ「童話」を肴に妄想話を展開するつもりだが、久しぶりの中島みゆきさんの話題なので、そのまえにもうひとつ個人的には興味深いテーマ“猫と中島みゆき”について書き残しておきたい話題を。

私が「猫と中島みゆき」を意識し始めたのは、MOOK『ねこみみ』でコラムを依頼されたときからだ。そのときの経緯はこちらに書いている。猫だけでなく中島みゆきの歌詞に出てくる動物については楽譜集に付箋を貼ったりして研究してはいた。猫だけを特別に意識したのはこのムックからだったが、そこで「世情」と「猫」について書いたときに、はっきりと猫と中島みゆきと時代(楽曲の「時代」ではなくていまそのときという意味の一般的な時代)との距離感について意識しはじめたのだった。もちろん妄想でしかないが。

そのときに欄外にこんなことを書いていた。実際のページから画像にしてみた(クリックで拡大)。

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ちょうど2012年「常夜灯」という39枚目のオリジナルアルバムが出る前だった。この最後のところに「10月の新譜『常夜灯』に猫は住んでいるでしょうか?」と問いかけていた。そして発売された「常夜灯」のなかには猫が出てくる歌詞はなく、それはある種予測したことであるとひとくちメモにしたり顔で書くポップンポール、つまり私がいた。

しかし、2016年に発売された21世紀ベストセレクション「前途」の中に、アルバムのタイトル曲「常夜灯」が収録され、そこに珍しく中島みゆきさんご自身が楽曲のライナーノーツを書かれていた。

そこに衝撃的な話があった。最後の一行だけ引用する。

その猫に「あたし」という1人称で名乗らせた曲。

なんと、常夜灯の主人公は、三毛猫だったのだ…。

ここに衝撃を受けたのは世界広しといえども私くらいかもしれないが、アルバム「常夜灯」に猫は住んでいないと思っていた4年間が覆された瞬間だった。重要すぎるくらい重要な三毛猫がしっかりと住んでいたのだった。

そうなると、私の妄想は反省するどころかますますグルーブするのだった。なるほどと。「世情」をライブで歌い始めた時代との「ピアニシモ」な距離感は、実は「常夜灯」のなかにすでに潜んでいたのだと。「猫」と言葉に出さないでも「猫」が歌詞の(そしてアルバムタイトル曲の)主人公たり得たことに、中島みゆきの意識の変化と時代とのかかわりが繋がったのだった。もちろんすべて私の妄想だが。

前途」発売からすでに7年経った。7年ひと区切りで生きる私にとって時代がひとつ回った。常夜灯の猫について執筆依頼があればしっかり書けるなと思い今日まで寝かせていたのだが残念ながらなかったのでブログに書いてみた(うそ)。ただ、この「常夜灯」の主人公が猫だという4年越しの種明かしは、中島みゆきさんから私への「きみきみ、わかってないね」というメッセージだったんじゃないかと受け止めている。妄想で。

●世界が違って見える「童話」

さて今年の新譜「世界が違って見える日」だ。この新譜に入っている楽曲はひとつひとつどれも深く思索の旅に出られる。ドラマ主題歌の「俱(とも)に」や他の歌手への提供曲セルフカヴァーもある。岡崎友紀が歌ってもよさそうな70年代ポップス風の「体温」では(入江剣名義ではなかったが)吉田拓郎のギターやコーラス(体温だけ~が頼りなの~)も聴ける。この曲は大瀧詠一風(つまりはフィルスペクター風ということだが)のアレンジも実に良い。とても幸せな気持ちになる曲。

これはある意味ベストアルバムだと思った。ヒット曲集という意味ではなく、1970年代から夜会を経て人類の未来をも展望する“うたづくり”の思索の旅、かつて訪れた音楽的系譜の再解釈とこだわりの再認識、そんな感覚で聴いた。サブスクでシングル全曲が解禁となった中島みゆきだが、アルバムを聴いてこそという感覚を持つ昔からのファンは多いだろう。シングルはよそ行きの顔、アルバムは身内にみせる顔、その心は誰にもわからない。ファンはただ妄想するのみだ。

音楽系まとめサイトのナタリーでのインタビューにも重要なコメントがあった。

とにかくウイスパーは疲れる

うおーっ!ごめんなさい。ピアニシモな中島みゆきが好きだったなんて言ってごめんなさい。疲れてしまうんですね。Biceファンでもある私はウィスパーボイスが大好きなんです。「島より」はウィスパー好きのための名曲でした。「天女の話」もフォークソングのようでもあり童謡のようでもあり、あらゆる感情を飲み込んで小さきものへの優しい視点に凝縮した声色の歌です。そんな様々な声色の使い分けの幅もありバラエティに富んでもいるアルバムです。いつのまにかですます調になってる…。

●「世界が違って見える日」から「はじめまして」へ

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何度も通して聴きながらブログに書くにはという視点で聴いた曲は「童話」だった。発売から半月経っているがあまり語られてもいない気がするので。そしてこれは妄想家の特徴かもしれないが、ふと「はじめまして」という11作目のアルバムと44作目の今作、そして「はじめまして」のなかの「幸福論」と「童話」とが脳内でつながった。それでLPレコードや楽譜を出してきて写真を撮ってみたのが上の画像だ。

単にジャケットがモノクロつながりなだけという指摘はあると思うが、それなら「真夜中の動物園」ほかいくつかある。「童話」を聴いて「幸福論」とつながってからのジャケット回帰という思考の流れだ。

●「僕は青い鳥」+「幸福論」=「童話」

「童話」という曲はオルゴールの音のようなSEで始まるが歌謡ロックへと展開する。童話の世界と現実の世界との対比をし、それがあたかもきれいごとと冷たい現実、汚れた世界との対比のように感ぜられ、子どもたちに何をどう伝えることが出来るのかを逡巡するような歌詞になっている。ある意味ストレートでわかりやすい。

「はじめまして」収録の「幸福論」のほうは、冷たい現実のなかで他人の不幸を願ってしまう自我の歌だ。世間の幸福と自身の幸福とがまるでトレードオフの関係にあるかのような「僕」の心情をストレートに歌っている。

どちらの歌詞も解は提示されない。問題提起されている。メッセージソングともいえるかもしれない。発表時期は1984年と2023年とで約40年の歳月が流れている。この年月のあいだに世界はどう変わったのか、いや何か変わったのか、少しでも良くなったのかを考えずにはいられない。

「はじめまして」の1曲目は「僕は青い鳥」だった。私がはじめて中島みゆきの歌声を生で聴いたライブの1曲目でもある。立見席で直立不動で聴いた。まだタイトルも知らず聴いたこともないのに感動した。2曲目が「幸福論」だ。青い鳥の「僕」は狩人に追われる。その狩人も元は普通の人だったのに幸せの青い鳥を見つけた瞬間豹変する。そしてそんな青い鳥は実は狩人自身の姿でもあるのだ。なんという皮肉。なんという“童話性”だろう。そんな青い鳥の次に「僕」が「幸福論」をぶつわけだ。世間の不幸を笑うのだ。なんという“現実性”だろう。

「童話」の歌詞にも青い鳥が出てくる。しかしこちらの青い鳥は童話の世界の幸せの結末として。苦難を超えて戻った故郷にいる青い鳥だ。…と思っていると、いきなりその童話の後に現実の闇が待っているわけだ。「僕は青い鳥」からの「幸福論」という2曲の物語を「童話」のなかで表現してる。怖っ!そしてすごっ!!

そして「童話」のメロディというかコード進行もこの童話と現実とのギャップを表現している。童話から現実に戻ったところ、歌詞でいえば「片付かない結末」とか「不思議な現の闇」のところ。ここ素人がカラオケじゃ歌えませんよ。難しすぎて。この不安定さ、落ち着かなさ、音楽理論的には書かないが、ものすごい違和感を感じませんか。それまでのストレートな勢いが、現実に戻ったとたん不安定になる。その不安定さから「どうして 善い人が まだ泣いてるの」のメロディのストレートさが現実のやるせなさを倍増させるわけですわ。みごととしか言えない。ここに一番注目しましたね。

●妄想家の大きな誤解を防ぐ注釈に妄想する

そんな「童話」があって、噤(つぐみ)から心月(つき)と連続して「天女の話」をはさんで最後に「夢の京(みやこ)」ですよ。そして「心月」と「夢の京」に中島みゆきさんにとっては異例ともいえる作者註がつくわけです。意図を解説してる!これが山下達郎なら作者註があっても驚きません。原稿用紙何枚でも書いてくれと思いますが、相手が中島みゆきだとそうはいかない。妄想が暴走するどっかの輩(オレか?)に先手を打っているわけです。ナタリーのインタビューによれば「大きな誤解となってしまいかねないところだけ」注釈を書いたということです。

この言葉をうけて、大きな誤解とは何ぞやと、そう妄想家はまた妄想し始める。そして「童話」に戻る。いや「乱世」から「童話」への流れと言ってもいい。ここに戻る。すると現実の厳しさばかりが浮き彫りにされてくるわけだ。

「なんだかんだハッピーな物語をポップソングは歌ってるが現実に戻れば人生そんなもんじゃないんだよ」というメッセージと受け取られかねない。それはまさに「はじめまして」の「幸福論」の「僕」そのものの姿だ。その心性のまま「夢の京」を解釈されるととんでもないメッセージとして伝わりかねない。そこに待つのは現実逃避でしかない。

その誤解(妄想)だけは、いかに中島みゆきといえども看過できなかったのではないかと考える。それは常に未来を見て、希望を抱く人、自ら生きようとする人々に寄り添ってきたシンガーソングライター中島みゆきの矜持といってもいいと思う。これも私の妄想でしかないが、もし妄想だったとしても、中島みゆきさんに許してもらえる範囲に収まったベクトルだと思う。

●「はじめまして」と宇宙大統領中島は降りてきた

さて、ジャケットの話だ。まぁ、ぶっちゃけモノクロという共通点なんですけどね。もう一声なんかひねりだすとすれば「はじめまして」は森の世界から人間界に降りてきた妖精中島みゆきがこの世界に「はじめまして」と言ってるような感じがしたんですよ。妖精でなければ宇宙人。第一種接近遭遇の図なわけですよ。2023年のいまだったら、まさにコーヒーのBOSSのCMに出てくる宇宙大統領中島みゆきの出現みたいな。

「はじめまして」という歌のほうは「はじめまして 明日」とリフレインしてます。何度も書いてますが中島みゆきはメタモルフォーゼするんです。何度も。「はじめまして」というアルバムもそんな意気込みを感じたアルバムでした。新しい服をきて明日に挨拶する。

そして40年経ったいま、宇宙大統領となって風船配ってる。この風船が地球かもしれない。この風船につかまって夢の世界に飛べる人もいれば、簡単に割っちゃう人もいるんでしょう。それはこの風船をもらった人類次第。だけど宇宙大統領中島みゆきは、繊細な風船を未来の人類に託そうとしてる。そんな「童話」を妄想して今回はお開きに。書き切った!

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2022/12/29

2022年のこと

Img_20211231_1829232022年末のことしの漢字を書き終えて、ようやく備忘録に取りかかれる。2021年末は12月30日に書いていたので、その翌日から。大晦日はコンラッド東京のアフタヌーンティへ。前にフレンチのコラージュさんには食事に行ったことがあったけどアフタヌーンティは初めて。沈みゆく2021年末の夕陽を眺めていました。

年が明けて1月には日比谷OKUROJIにあるエイトベースへ。我々夫婦とK氏O嬢の四人でVリーグを見に行く予定だったけれどコロナ禍で試合が中止になり急遽飲み会となりました。如空という地酒が美味しかった。

二酸化炭素濃度を測るメーターも購入。飲食店では800前後が正常レベルというけれど、閉め切っているとすぐに1200レベルを超えます。でも5分も窓を開けておくだけで700くらいまではすぐに減少します。これを肌感覚で知れたことは良かったな。1月には財布も新調しました。

2月にはメインのテレビを買い替え。置き場の寸法を測って行きSONYのブラビアを購入。画面の明るさが断トツに良かったのとテレビ台に置く脚の位置も決め手でした。良い買い物でした。最近のテレビは完全に通信機器なのでwifi必須ですが、wifi機器が増えすぎてテレワークをするには同時使用機器を考えてやらなければならなくなりました。ブラビアコアクーポンも期限までに使わなければ。妻は2月にアメリカン・コッカースパニエル風のパーマをかけました。

Img_20220220_122153中銀カプセルタワーが50年目の今年取り壊されると聞き、一目見ておこうと出かけました。黒川紀章のメタボリック建築の傑作です。この後、北浦和まで足を延ばし、そこにあるカプセルのモデルルームも鑑賞しました。

この時は見学者はほとんどいなかったのですが、4月に再度訪問したときには写真撮影に来ている見学者が結構いらっしゃいました。年末にはもう更地になっています。一等地ですからこの後どんな建物が立つのかな。

3月には箱根へ。正月に何気なくネット予約サイトを見ていたら、いつも取れない保養所が空室になっていたので思わず予約し勢いで行きました。毎回箱根で巡るルートは決まっていてポーラ美術館ともうひとつくらい美術館(今回は岡田美術館)を巡り、海賊船やロープウェイで移動して餃子センターで餃子を食べるというのが基本です。しかし今回は富士屋ホテルあたりを散策してカフェ・ド・モトナミさんでかき氷などを食しました。また、宮ノ下あたりに行くならと松本清張の『蒼い描点』の舞台のあたりを散策しました。坂道で結構大変でした。

5月4日には森の美術館へ。亀山裕昭さん初の個展で在館されている日だったのでご挨拶くらいは出来るかもと行ったのですが、信じられないくらい充実した日になりました。そのときの様子はブログにも書きました。亀山裕昭さんの作品は今後もずっと注目していきたいですね。

5月11日に上島竜兵さんが亡くなりました。ダチョウ倶楽部についてはひとくちメモでも何度か書いてます。竜兵上島のオチのない話とか竜兵会の書籍とか。太陽さまと呼ばれた明るいキャラクターだったのでその死は衝撃のひとことでした。5月には松山千春さんのコンサートにも行きました。正直、声は出ずらくなっていたチー様ですが、そのしゃべりは健在です。

5月28日にはガレリア表参道原宿店へ月乃カエルさんの個展を鑑賞に行き、Ammonaite Blue に一目ぼれしました。売約済みだったのですが、お店の方から直接カエルさんにその場で電話してもらい作っていただけることに。感謝感激です。月乃カエルさんの作品もアジア中心に人気が出そうですし、これからも注目したいと思います。

このあたりまでは昨年の夫婦アルバムには収録済みなので、ここからが備忘録の本番です。長かった(笑)。

●2022年後半

7月に月乃カエルさんの Ammonaite Blue 2022 が届き飾りました。うちの壁は結構多くの美術品が飾ってあり空間が少ないのですが、今回は小品なので毎日目につくところに飾れました。

7月29日は岩手県盛岡市の山下達郎ライブに行く予定でしたが、10日前に山下達郎さんのコロナ感染が公表され中止になりました。当時の隔離期間は10日間だったのでライブが中止になるかどうかギリギリの日程でしたが2日前に中止が発表されました。しかし新幹線のチケットも宿も取っていたので妻と相談し旅行と割り切っていくことにしました。そして江口寿史「彼女」展を鑑賞できたのでした。迷わず行けよ行けばわかるさの精神で正解でしたね。

翌日は平泉まで南下して金色堂を鑑賞しました。妻は初めてでした。私は震災の年(2011年)の9月に被災地を回った後に訪れて今後の復興を祈ったことがありました。今回は純粋に観光で訪問し、川瀬巴水の絶筆版画「中尊寺金色堂」になりきり写真を撮ったりしました。

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8月はJALのマイルを消化する必要もあったので宮崎県まで飛行機で飛び高千穂峡に行きました。そこからバスで博多へ行き、久しぶりに山口県の実家にも寄れました。この旅行記は(1)から(12)まで詳細に書きました。8月はほぼこれだけしか書いてませんが…。

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9月17日には静岡の妻の実家に帰省しました。その帰りに今年2度目の箱根泊。ポーラ美術館では開館20周年記念のピカソ展「青の時代を超えて」を鑑賞しました。22日には曼殊沙華の群生地で有名な巾着田に行きました。私が2009年にスーパーカブで遠征(?)した懐かしい場所です。妻はもちろん初めてです。そこから途中で雨に打たれつつ高麗神社まで歩きお参りしました。

10月1日(土)妻は友人たちとラグビー日本代表のオーストラリア戦を観戦に。私はテレビ観戦しながら自宅で弾き語りしまくり。でもこの日、アントニオ猪木さんが永眠されました。闘病生活までも映像で残し偉大な昭和のプロレスラーが旅立たれました。猪木さんの「道」は何度も暗唱しました。ひとくちメモでも「1976年のアントニオ猪木」「アントニオ猪木はトランスナショナルの体現者」でリスペクトしています。

10月8日(土)には江の島と茅ヶ崎へ。私は茅ヶ崎で暮らしたことがありますが江の島上陸は初めてでした。とても気持ちがいい島でまた行きたいです。茅ヶ崎では「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」を鑑賞。こちらが本命でした。箱根で川瀬巴水の「あけび橋の月」を見て新版画に興味を持ち、その創始者の渡邊庄三郎のことも知りました。そのときのことも2016年にひとくちメモで書きました。その流れでどうしても見ておきたかった美術展でした。素晴らしかったです。

10月15日(土)妻は友人たちと仙台旅行へ。ショーパブなどにも行ったようで、めっちゃ羽を伸ばして帰ってきました(笑)。その間、私は南沙織が歌う筒美京平作品を大音響で聴いたり、複素数平面について考えたり、スタンリートゥリッチの映画が見たくなり「スーパーノヴァ」をアマゾンプライムで鑑賞したりしてました。

20221105_145146 11月に入りちょっと多摩方面に散歩しようと立川のグリーンスプリングスというショッピングモールに北欧展を覗きに行き、その後は国立の古民家カフェとして知られているカフェおきもとでフレンチトーストをいただきました。線路沿いを歩いて行ったのですが、店の周りだけがいきなり森のように風景が変わり、その静かな雰囲気がとてもリラックスできる空間でした。ただ人気店なので予約していく方がよさそうです。

11月16日(水)は王子にある北とぴあでナカハチ・オンタイム#36というお笑いライブへ。東京ボーイズが主催のライブでゲストにナイツ、細野晴臣、神田伯山、ねずっちという豪華な布陣でした。細野さん目当てで行ったのですが、神田伯山の講談には引き込まれてしまいました。これはチケットが取れないのもうなずけます。ぜひ単独ライブも見てみたいと思いました。

11月26日(土)には戸田駅前のスープカレーシーエスでスープカレーを食べ、まめしばコーヒーで一息ついた後、池袋へ。池袋は久しぶりでした。そこで妻がローズバッドのVEGANCODEという異素材ミックスジャケットコートを購入。色をみた瞬間に二人ともビビビッと来たのです。妻はどうやら異素材ミックス系の服が好きそうなのです。私もミクストメディア作品が好きだから、そういうとこの趣味が合うのかもしれないです。

妻のコートはこれ以外にオランダのコートブランドspoom.が今年20周年で出したハーフコートを通販で購入しました。セレクトショップで観てこれも二人とも気に入っていたのですが店舗展開しているサイズは1サイズだけだったので、店舗で確認した後にサイズ違いを通販で注文しました。JALともコラボしているブランドでした。

12月もいろいろイベントが多い年でした。12/9(金)は二人で休暇を取り銀座トトキで自然派フレンチのランチ。こちらの十時亨シェフは今年の料理マスターズ倶楽部でシルバー賞を受賞されたシェフ。ちなみにゴールド賞は2020年に宿泊した箱根のオーベルジュ・オー・ミラドーの勝俣登シェフでした。そんな縁も感じて食べに行ってみようと思った次第です。野菜が美味しかったなー。

その後、昨年末にアフタヌーンティを食べに行ったコンラッド東京を再訪。今回は宿泊で。この日しか予約できなかったからこの日休暇を取ったというのが真相ではあるけれど…。某ポイントを利用しての宿泊でした。エグゼクティブスィートルームにアップグレードが数千円で出来た(通常は2万円程度)のでアップグレードしました。通常なら二人でこの時期25万円程度の部屋にポイント+数千円で泊まれたのでラッキーでした。

夕食は隣のパークホテル東京にあるアートカラーズダイニングで。このホテルは全体が吹き抜けで美術館のような造りになっており現代美術作品を鑑賞できます(購入も可能)。その後、プリンス芝公園まで散歩してルイヴィトンが草間彌生さんとコラボしているオブジェを鑑賞しました。草間彌生さんの黄色い南瓜は、今年の夏旅の福岡市美術館2019年の直島でも鑑賞していてご縁があるのでよい思い出になりました。

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翌朝のコンラッド東京の朝食ビュッフェは納得の実力です。10:30まで食べられるのもありがたいですね。チェックアウトは11:00で、せっかくなのでエグゼクティブラウンジで無料のジュースを飲みながらチェックアウトしてみました。

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その後、六本木ヒルズへ向かい、13:00から予約していたユーミンミュージアムへ。この展示は松任谷由実のキャリアを振り返りつつ、ステージ衣装や楽譜や歌詞の生原稿、美大生時代の絵画などを鑑賞できます。2019年に行った細野晴臣さんの「細野観光」と同じ場所でした。

そこから国立新美術館まで歩き「躍動する現代作家展」へ。コンラッド東京に向かう道すがら、銀座にある画廊「美の起原」の近くで月乃カエルさんとすれ違いました。妻が気づいたのですがすでに通り過ぎた後で確証が持てず声をかけなかったけれど、それをツイッターに書いてみたところ月乃カエルさんから「ワタシですたぶん」との書き込みが!また機会があればご挨拶したいです。

12月11日には坂本龍一さんの配信コンサートを自宅で視聴。闘病生活でライブ一本を通しで行う体力がないとのことで、NHKのスタジオで1曲1曲渾身の演奏を録画してモノクロ映画のような作品に仕上げられていました。この美意識はサカモト教授らしかったです。その後、来年の新譜「12」の全曲先行配信もありました。スケッチのようにつくられた楽曲群にいまの教授の心境が表れているように思えました。昼と夕方の2回視聴しました。

12月20日(火)、昔のバンド仲間から新宿御苑にあるオンリーイエスタディというフォーク酒場での忘年会的な歌会に誘われました。今年4月にも誘われていましたがそのときは忙しくて断っていたので今回は参加しました。主催は編プロのTさんと某出版社のM氏。M氏とも知り合いだったので緊張することもなく何年振りかのフォーク酒場を楽しめました。二次会では中島みゆきを歌いまくり。

12月25日(日)には朝から穴八幡宮へ。こちらも毎年恒例になった一陽来復御守をいただきに。2019年は冬至の日に行って3時間近く並んだけれど今年は20分もかからずお参りできました。コロナのせいなのか日付のせいなのかわかりませんがこんなに違うものかと思いました。その後、ニューオータニまでこれも恒例となりつつあるバーゲンセール。私の出る幕はなく荷物持ちに徹します。昼食は赤坂サカスまで行きましたが行列店か食指が動かない店かしかなくグーグルマップを開いたところ、前に行った永田町のハンバーガー店オーセンティックまで歩いて8分で着くことがわかりそこにしました。ここのベーコンチーズバーガーは食べやすいし美味しい。

というわけで結構旅行もしたりコンサートに行ったりイベントは多かった気がします。山下達郎ライブは来年2月16日(木)に延期されました。平日の盛岡まではさすがに行けないかとキャンセルするためにチケットをダウンロードしたら前から5列目という信じられない席で置かれた状況が変わりました。キャンセルせずなんとかやりくりすることに。今度は流れませんようにと祈りながら、夏とおなじ盛岡のホテルを予約した年末です。

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2022年末私家版ことしの漢字

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2022年の年末。コロナ狂詩曲とでもいいたくなる場当たり的な政治や行政の数年間がいまも続いている。あまり年末という気分でもないが、毎年6月頃に印刷する夫婦アルバムのための備忘録として一年間を振り返ることにしている。それと今年の漢字を選ぶもの何気に楽しいし。私家版ことしの漢字は「数」にした(画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。 長くなるので、ことしの漢字エピソードと私的な出来事の備忘録は分けて書くことにする。まずは固い話から…。

●外国為替・暗号通貨における「数」

数字や数値に翻弄された年だった。米国FOMCによる4会合連続0.75%の利上げに伴い、金利差取引によって年初115円台から10月には151円を超える円安に(この動きは市場原理)。その後は財務省・日銀による為替介入(円買い)で11月には137円台、更に12月には日銀黒田総裁の口先介入(YCCを0.25%から0.5%までに緩和)で130円台まで円高に突っ込んだ(これは為替操作的)。

これほどの投機的な動きは近年になく140円越えは24年ぶり、130円台は約20年ぶり。来年前半には米国に景気後退が観測されるだろうが、日米金利差を日本側から埋めるべく動くことは日銀が自分の首を絞めるだけであり米国の金融政策頼みの漂流は続く。

投機的といえば暗号資産(仮想通貨)の動きも輪をかけてボラティリティが高く投機的だった。代表的なビットコイン(BTC)は2020年5月の半減期に100万円だったが、2021年10月には先物ETFが登場し700万円台に達した。Web3.0がもてはやされた時期とも重なる。しかし2022年11月には大手取引所FTXの破綻などもあり220万円台まで下落する。まさにジェットコースター相場だ。次の半減期まではこのままだろうか。

米ドルなど法定通貨にペッグしたステープルコインも登場したがまったく安定しない。登場したばかりであり収束するまでには時間がかかるとの見方も出来るが、これは実験室の出来事ではない。仮想空間で起きている数字の動きでしかないが現実社会で生活者を直撃する。仮想空間が現実社会を浸食し始めたともいえる。

Web3.0を担うはずのナスダック企業も株価は軒並み下落。個人的にはこの危機を乗り越えた先にあるWeb5.0あたりでようやくビジネスツールとして新興勢力が登場してくれるのではないかと期待はしているが、こちらの寿命が間に合うか…。生きる時代は選べない。現在進行形のいまを生きるしかないのだ。

●政治における「数」

数という漢字にはくわだて、たくらみ、運命といった意味もある。前者は「権謀術数」の数だか、これらの言葉が似合う安倍晋三が7月に奈良県で選挙応援演説中、暴漢の手製銃で撃たれ死亡した。安倍晋三が祖父岸信介の代から広告塔を務めていた新興宗教団体(旧統一教会)への恨みからの犯行だった。暴漢の生い立ちには永山則夫を連想させる壮絶さがあり、ドラマ「北斗」そのものだとも思った。安倍晋三にはこんな死に方をしてほしくなかった。ちゃんと獄につながれてほしかった。

2月にはロシアがウクライナ侵攻を開始。戦闘は長引き、年末にも終結の糸口は見えない。資源大国どうしによる紛争は資源輸入国の経済にも大きな影響がある。ウクライナ侵攻があり得ることはずいぶん前からゴルバチョフ元書記長も指摘しており、米国を中心とした西側諸国が避けようとすれば避けられたと私は考えている。

西側諸国では一方的にロシアこそ悪の帝国だとレッテルを貼りがちだが、火に油を注いでこの紛争を利用したのは米国だ。米国を中心とした西側諸国はロシアが侵攻しても早期に終結可能だと見誤ったのではないかと思う。 だからこそセーフティゾーンからウクライナを利用して政治的優位を保とうとした。ウクライナが東から西へ軍事同盟を寝返ろうとしていることを利用しロシアとの紛争回避の道を取らせず、ウクライナを生かさず殺さずの立場において武器を供給し続けた。

その結果、ロシアは想定通りに侵攻し、扇動家ゼレンスキー大統領が率いるウクライナとの平和的な第三の道は閉ざされた。ロシアにも米国にもウクライナにも戦争回避をしなかった責任はある。もはや平和的解決はないかもしれない。核兵器を持つロシア、中国、北朝鮮、太平洋上の米国に囲まれた原発大国日本という極東情勢は深刻度を増す。核の傘には穴が開いている。いつ降り注ぐかわからない。

悪政支配や収奪を暴力で解決しようとするのは人類のもっとも根源的な動物性なのかもしれないが、それを克服しようとするのが民主主義という“どんくさい”手法であろう。社会主義的自由主義といういまだ真に実現したことのない政治的可能性も模索していく必要があると思う。

しかし人類は強欲資本主義こそが自由主義だと考え始めている。強欲な者ほど得をする社会こそが自由だと。それが地球そのものの崩壊につながる人新世の時代を生きていることを今一度立ち止まって考えるときが来ている。ただそれをしないのが人類の多数派だろうとも思う。民主主義は少数派や弱者に耳を傾ける多数派のための規律であり多数派の暴走を許す手法ではないと思うが、すっとぼけた権力者による数の力が暴走している。その暴走によって地球が壊れていくこともまた数字で読み取ることが出来る世の中だ。

●読書における「数」

今年は数学系の読み物を多く読んだ年だった。その最初は数学系というには多少遠いが『コードガールズ』だったか。大戦中の暗号解読に従事した米国女性たちの日常といった趣き。日本人としては敵対国の諜報活動の裏話であり忸怩たる思いもあるが読み物として面白い。この書籍を読む前にテレビで映画「ドリーム」を見ていた。こちらはNASAの宇宙計画で計算を担った女性たちの物語で共通性があったから目についたのだと思う。

たまに理系書目を読みたい年があり、2008年前後もそういう年だった。ただ買い込むだけ買い込んで読んでいなかった書籍もあり、それを引っ張り出して読んだりしている。そんななかから読んだのが『素数の音楽』で、この面白さが今年数学系にはまった決定打だったと思う。いま読んでいる『異端の数ゼロ』も昔から積読状態だったが、こんなに面白かったのかと思いながら読んでる。『数学する身体』や『四色問題』、『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』などもまだ読み切れていないがこの流れで読める気がする。

新たに購入した書籍や文庫もある。『でたらめの科学』は面白かった。デタラメ(乱数)を作ることがいかに難しいか。メルセンヌ・ツイスターなんて言葉はついつい言いたくなる(笑)。賢そうにみえる。『宇宙と宇宙をつなぐ数学』は最先端の数学の入門編のさらに入口といった読み物だった。こういう最先端の話を中学生に話してから数学を教えた方がいいのではないかと思う。『経済数学の直観的方法』は中心極限定理について手っ取り早く読みたくて購入したがこれも面白かった。説明がスパッスパッと切れ味よくてスラスラ読めるのがいい。

挫折しそうな書物もある。ポアンカレ予想のアンリ・ポアンカレ著『科学と仮説』は笑ってしまうほど難解だった。日本語なのにさっぱり頭に入ってこないこの感覚はある意味新鮮。それでも半分くらいは読み進めた。すこし積読しておくとまた次のタイミングが来るのではと期待している。

タイミングって大事だよ。特に知的好奇心には。だから学校教育って嫌い。カリキュラムどおりに好奇心なんてわかないっつーの。そんな時に何か月も勉強したって身に着かない。それほど素直じゃないし頭良くないし飽きっぽいんだ。

しかしほっとくと年月だけが過ぎていく。だから受験ツールとしてだけ使えるツールと割り切ってみんなやってる。それこそ無駄な時間の使い方だと思うけどそれで未来が開けると思ってる人が多い。画一教育が生んだ画一価値観で同調圧力だらけの隣組社会だから、それに耐えた人間にご褒美的に労働と報酬を与える。不条理この上ないが、その幻影の信者がいまの総理大臣岸田文雄だ。その中でうまくやっていくのが人生ならそれでいいけど。ボクはやらなかった。それだけのことだ。

いまになって振り返ると、ひとつでも好奇心を満たせるものに出会えたならそこに自身のリソースを集中したほうがいい。結局人生を豊かにするものって自分の知的好奇心に導かれて身に着けたものだけなんだよ。知らんけど(=2022年の流行語)。

直近読み終えた『数学小説 確固たる曖昧さ』も大変面白かった。数論や幾何学の歴史を小説仕立てで読める。小説としてもとても面白かった。現代数学には物理学が不可欠というか、そこに行かないと面白い読み物が広がらないので、来年は物理学にも視野を広げて読んでいく予定。『すごい物理学講義』はすでに購入済みだ。『時間は存在しない』(未読)の著者による講義だが「はじめに」だけ読んで期待大。

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2022/08/20

夏旅2022 夫婦編(12) ~福岡から徳山へ帰郷~

徳山の実家に帰るか埼玉県まで帰るか、高千穂峡に着いた時には決めていなかった。しかし8月13日には首都圏に台風8号が上陸確実だった。そんな夜に壊れたスーツケースを持って歩きたくないなとも思ったし、せっかく九州まで来たので三年ぶりの帰郷にしようと実家に寄ることにした。事前に帰るかもいれないことは伝えていたので一泊できることに。

そうと決まったら、後は帰るだけ。と思っていたら「Tシャツ買うの忘れてるでしょ?」と妻。そうだった。南蔵院でおそらく竜神に水をかけたときに飛び散った水で妻の白いシャツが茶色く汚れてしまっていたんだった。

そこで目の前にあったキャナルシティのユニクロに寄ることに。入口前で8月9日に発売されたモンスタースーパーコーラを無料配布していたのでそれをもらう。ユニクロではモスグリーンのTシャツを購入。ざっくり着たいからとメンズを購入した。レジですぐに着替えたいというと、レシートを試着室で見せれば着替えられると言われたので、ユニクロで着替えた。ありがたい。

あとはほんとに帰るだけなので、話は少しそれるがカエルの話を。キャナルシティ博多イーストビル前には、ラッキー・フロッグというカエルのオブジェがある。今年はカエルと縁のある年だなぁと感慨深かった。そこでこんな写真を連ねてみた。

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5月にガレリア表参道原宿に月乃カエルさんの個展を見に行って、そこでビビビッと来た Ammonite Blue という作品があった。すでに売約済みだったのだが、ギャラリーの方にその場で月乃カエルさんに連絡をとっていただき、Ammonaite Blue 2022 という作品を作ってもらえた(左から2枚目の写真)。それが届いたのが7月だった。いつも目に付くところに飾ってる。

7月には岩手旅行で平泉に行った。平泉のマスコットはカエルのケロ平だ(右端の写真)。平泉駅にもしあわせカエルという地味な石像があった(左端の写真)。

そして今回の九州旅行。南蔵院には3匹のカエル像があった(中央の写真)。見ざる・聞かざる・言わざるのカエル版か。個人的には見て帰る・聞いて帰る・言って帰るな性分の私だ(猿の場合は、そむけざる・ふさがざる・だまらざる)。

で、キャナルシティ博多のラッキー・フロッグ(右から2枚目の写真)。5月から8月まで毎月のようにカエルと遭遇していた。

というわけで、幸せのかえるを見たところで、実家に帰るため、15:10頃、預けていたスーツケースを取りに三井ガーデンホテル福岡祇園に戻った。チェックインの列に並び、荷物の受け取りだと告げると奥から出してきてくれたが、ここでもちょっとハプニング。フロントの女性の時計のベルトが私のリュックサックに引っかかって取れない。おそらくステンレス鋼の網目のベルトだ。それでフロントの女性は腕時計を腕から外して、ハサミを取ってきますとフロントに戻った。その間に私がちょっと時計をずらしたらハサミでリュックの繊維を切ることなく外れて事なきを得た。

博多駅について緑の窓口の切符販売機へ。博多駅には新幹線の始発があり、徳山までならこだまで帰れるので、自由席でも必ず座れる自信はあった。ただスーツケースがそこそこデカく、ハンドルが2つとも壊れているため、網棚に載せるのは厳しい。そこで置き場を確保すべくドア前の指定席を確保した。特大荷物は別料金だが、特大ではないが荷物置き場を使いたいという希望を券売機に入れると車両の端の席だけが選択肢に出てきたので、無料で置くことができた。

乗車券は東京まで購入。博多からなら片道6日間途中下車できるためだ。15:54発のこだま号があったので、それに乗り16:37着で徳山(周南市)の私の実家に帰った。実に3年ぶりだ。妹と妹の3女が車で迎えに来てくれた。

実家にはダックスフンドがいた。3女はトリマーだが動物取扱責任者の免許も持っている。ブリーダーから繁殖引退犬を譲り受けたとのこと。繁殖引退犬だからかほとんど鳴かない。しかしとても元気な犬だった。3女が子どもの頃から動物にめっちゃ好かれるところを見てきているので天職だなと思った。長女も次女もそれぞれの特技で仕事についていてなかなか頼もしい三姉妹に育ったものだと感じた。

両親も元気でなによりだった。父は足が悪く杖をつくことが増えたといっていたが、体調は良さそうだった。母も声の張りは昔のままで十年くらい前に手術した足の調子もよさそうだった。たった一日の帰郷だったが3年ぶりだ。帰って良かったと思う。翌日は昼食をおごらせてくれと、妹の運転で両親と妻の5人で鐘楼亭に行き、御膳を食べた。

Shouroutei

その後、徳山駅に寄り、東京行の新幹線のチケットを買うことにした。博多駅のような始発はないが、昨日調べた感じでは、座れないことはなさそうだった。しかしこの時点で並んで座るにはグリーン車しか空いておらず、グリーン券を購入し、いったん実家に戻った。

その途中、ヤマト運輸にも寄って壊れたスーツケースを自宅に送った。5年前にチャージしたヤマトメンバーズカードが今月切れるらしいので、それを使った。184円残ってしまったが仕方がない。ほとんど使わないのに口車に乗せられて5年前に作ったカードで2000円超を無駄にせずに済んだ。チャージして5年で没収というメンバーにはもうならない。

15:38発の徳山発ののぞみ号で東京駅19:54着。ずいぶん早くなったものだ。新幹線で6時間という時代との比較だが。宮崎・博多・山口を巡った夏旅2022夫婦編はこうして終わった。翌日から福岡や中国地方にも線状降水帯が発生し豪雨になった。天候には恵まれた旅だった。これから毎年気候変動が厳しくなることだろうが、こればかりは運次第。トラベルはトラブルの精神で乗り越えたい。

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2022/08/18

夏旅2022 夫婦編(11) ~福岡二日目福岡大仏から博多ラーメン~

南蔵院を出たのが、12:32だった。次の電車は12:35だが、さすがに間に合わないと思いその次の12:53に乗るかと思いつつ駅のホームに向かったらベルが鳴り始めた。12:38だったが3分遅れで発車した電車に乗れた。この日の乗客はそれほど多くなかったが、多少余裕を持って乗せてくれるのかもしれない。とりあえず良かった。

13時過ぎに博多駅に戻ってきて、その足で南岳山東長寺に向かった。空海(弘法大師)が最初に開山したお寺だそうだが、木造座像としては国内最大級の福岡大仏がある。無料で見ることが出来るが、蝋燭と線香を買って参った。また福岡大仏の台座の中にも入れる。そこは地獄極楽めぐりと呼ばれ、様々な地獄絵図を見た後に、真っ暗な通路を通って外に出る。この暗さが尋常じゃない。漆黒の闇なのだ。

暗闇と寺といえばいろいろ連想する。

まずは夏旅2019で行った直島の南寺か。ジェームズタレルと安藤忠雄とが作った南寺は、まさに漆黒の闇をアート作品として体感する寺だった。今年の瀬戸内芸術祭は行けないので代わりに読んだ『直島誕生』には家プロジェクトについても詳しく書かれており、読み応え充分だった。

福岡大仏のほうは、手すりを左手で触ったまま進み、右手で途中にある仏の輪を触ることが出来れば極楽に行けるという趣旨だった。私は危うく素通りするところだったが、後ろから妻が「輪、輪!触って」と叫んだのでギリギリ触ることが出来た。どうやら私は妻なしじゃ極楽に行けないようだ。

暗闇を手すりに沿って進むというのは、2001年にハワイでダイヤモンドヘッドのなかに入った時を思い出した。そこも暗闇だった。体勢を崩して右手を出したところに外国人のおばさんがいて、なにやら叫ばれたことがある。それも思いだした。パードンと言って先に進んだ。パードンは映画「ラ・ブーム」で覚えたセリフだった。

もうひとつ暗闇といえば、知人がやっていた暗闇体験イベントもある。真っ暗闇の中で精進料理を食べるというイベントで、五感を研ぎ澄まして食べることに集中するという変わったイベントだった。これもどこかの寺でやっていて誘われたが遠慮した。もう20年以上前の話だ。

暗闇というものは様々なことを思い出させる(違うか?)。この福岡大仏は撮影NGだったので写真がなく、思い出話が長くなった。

福岡大仏を後にして、遅めの昼食は、博多とんこつラーメンだ。博多に来てとんこつラーメンを食べずに帰るわけにはいかない。どのラーメン屋が良いか前々から考えていたが、いま人気があり、歩いて行ける距離に博多一双祇園店があったのでここにした。ホテルまでの途中でちょうどいい。

覚悟はしていたが14時過ぎでも行列していた。スーツケースを持って並んでいる客も多い。ハーレーダビッドソンが2台並んで横づけしていた。横浜ナンバーだった。30分強並んでようやく順番が回ってきた。

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前のギャル2名が麺の固さを聞かれて「カタめで」と言っていたが、その後「麺の固さ変えられますか?バリカタに」と注文し直していた。しかし我々は「麺の固さは?」「ふつうで」「両方、ふつうですか?」「ふつうで」

おそらくラーメン好きなら豚骨ラーメンを固さ「ふつう」で食べるなんて素人丸出しなんだろう。店員さんも一瞬ためらったように感じた。私もラーメン行脚をしてきた身であるからそのくらいは知っているが、腹が緩くなることも知っている。健康のためにも、もう麺カタを食べることはないと思う。とんこつに限らず。時は流れる…。

一双の味玉チャーシューメンは美味かった。それほどハードなとんこつでもなく、とてもまとまりの良いスッキリとんこつだった。替え玉はしなかった。妻は本場での初とんこつラーメンだっかが「思ったよりはあっさりしていて食べやすかったけど、もっとハードなのも食べてみたくなった」という感想。最初に魁龍とか大砲ラーメンとか、そういうイメージを語り過ぎていたから、一双のすっきりとんこつにそんな感想を持ったのかもしれない。また「食べるのが遅いから、この細麺なら麺固めでも良かったかも」とも。麺固信仰に与するわけじゃないが、それは一理あるな。今度はくっさいとんこつラーメンを食べに行こう。麺固めで。

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夏旅2022 夫婦編(10) ~福岡二日目南蔵院の涅槃像~

8月13日(土)朝は三井ガーデンホテル福岡祇園のレストランで朝食ビュッフェ。これは予約していた。今日も歩きそうなので、しっかり食べた。

10:00前にチェックアウトしたが、荷物は預けて出かけた。当日中であれば預かってもらえるので助かる。博多駅に向かい、在来線の北福ゆたか線で城戸南蔵院前まで約30分の電車移動。途中見える道路は大渋滞だった。お盆でもあり南蔵院を目指す車の渋滞なのは間違いない。

駅に着いたら、帰りの電車の時刻表をスマホで撮影し、お寺に向かった。なかなかの人混みだ。ここはブロンズ製としては世界一ともいわれる巨大涅槃像が有名だが、観光地ではなくお寺なので、供養で来られている家族も多かった。

巨大涅槃像までの散策も見どころが多く見せ方上手なお寺だ。順路(?)に沿って歩き、階段を上ると涅槃像の頭部が見えてくる。これは一見の価値ありだ。

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涅槃像の中には入ることも出来る(有料)。また、涅槃像のなかでだけ販売されている足裏をデザイン化したお守りもある。ここの住職は宝くじで1億3000万円当てたことでも有名で、宝くじ祈願に来る人も多いお寺だ。このお守りのなかにもスクラッチくじが1枚入っていた(外れた)。

涅槃像の足裏の文様も観光客が溜まっていて人気スポットだった。涅槃像の体内から出たところで、突然の雨が降ってきたので、建物内に避難した。本降りかと思ったが20分もするとすぐに止んだので、再度涅槃像のところに戻った。仏像というのは雨にぬれても美しいものだから。あらためてぐるりと回ったのち、不動明王側に降りて、売店でお菓子を買って帰った。

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夏旅2022 夫婦編(9) ~博多散策~

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高千穂バスセンターを出て3時間17分、ごかせ号は14:27に博多バスターミナルに到着。さすがバス路線が発達した博多のターミナルはデカかった。ホテルのチェックインは15:00からだったが、多少早くても荷物くらいは預かってもらえるだろうと予約していた三井ガーデンホテル福岡祇園へ向かうことにした。壊れたスーツケースを一刻も早く置きたい。

ホテルに着くとすでにチェックインの列が出来始めていた。混雑する時期でもあり、15時を待たずにチェックイン出来た。部屋に荷物を置いて外に出る頃には行列になっていて、20分程度でも早めに来て良かったと思った。

博多は今日の午後と、明日の日中観光をして、明日の夕方に実家の山口県に向かうことにした。ここからは何もチケット予約をしておらず、得意の行き当たりばったりで気楽だ(笑)。

まずは大濠公園にあるジャックというお菓子屋を目指した。ここは福岡在住のMりんに事前に聞いていた名店だった。すでに夕方で買えるケーキも少なくなっていたが、とりあえず店名と同じジャックとシューアラクレームは2個ずつ買えた。あとは日持ちするドゥミセック(半乾き菓子)のケークオランジュとガレットブルトンを買った。保冷剤は一時間分なので、先を急いだ。

大濠公園のなかにある福岡市美術館の2階に草間彌生さんの黄色い南瓜があることは事前に調べていた。ここにある黄色い南瓜は、草間彌生作品の初めての野外彫刻作品だそう。黄色い南瓜といえば、2019年の夏旅で出会った直島の南瓜が有名だが、福岡市美術館の作品もぜひ見ておきたいと思って訪問した。

都市独特の照り返す暑さのなか、大濠公園を歩いて福岡市美術館についた。広い外階段を上ると黄色い南瓜が見えてきた。このフォルムの存在感には恐れ入る。しばし南瓜と戯れて建物に入って涼んだ。時間も遅いので有料展示には入らなかったが、インカ・ショニバレCBEのウインド・スカルプチャーや、KYNEのデカい壁画(12月までの限定公開)などを見ることが出来た。

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保冷剤も切れるので、ホテルに一回帰ることにした。護国神社を通ってバス停まで出てキャナルシティ博多までバスで移動。高千穂ではほとんど使うことがなかったSuicaが使える。これは助かった。都市以外に国内旅行に行くときは小銭が欠かせないが、都市部はカードでほぼ事足りるのがとにかく便利に感じる。オートチャージは使えないので、博多駅に着いたとき若干現金でチャージしておいた。

ホテルに戻り、ジャックのケーキを食べて一休み。夕食をどうするか検討した。結構歩いたので疲れてもいて、あまり遠出をする気はなかった。たまたまホテルの隣に「もつ鍋二代目楽天地」があった。博多名物のもつ鍋でもあるし、妻も初めての福岡の夕食に地元名物というのは興味ありということでここに行ってみた。混雑していたが、カウンターなら座れたのでカウンターで食べた。隣は韓国人の女子二人組、向かいには中国人っぽい男子二人組と日本人カップルという布陣。さすがに国際色豊かだ。

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夏旅2022 夫婦編(8) ~高千穂峡から福岡へ~

8月12日(金)2泊したソレスト高千穂ホテルを10:00にチェックアウトして高千穂バスセンターに向かった。何度も通った道だ。スーツケースと大きなリュックサックを担いで緩やかな坂道を上っていく。

高千穂でのあらゆる予約チケット(JAL,JR,バス,ホテル,貸しボート,高千穂神楽)からの解放感に浸っていた。これだけのチケットがスマホや紙やメールに散らばっているので、それらをGoogle Spreadsheetで行程表にしておき、関連情報とともにリンクを張っておいた。妻にも共有した。この作業をしていなければここまで順調には回れなかったと思う。旅慣れた人にはふつうのことかもしれないが。準備のおかげで濃厚な二日間を過ごせた。

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ソレスト高千穂ホテルではチェックアウトしたあとに、記念撮影をしていただいた。混み合っていない時間帯だったので、ホテルのロビーだけでなく、外の人工池に張り出した桟橋のような舞台に立ったり、その池に面したレストランの外テーブルに座ったりして。スマホ写真の得意な社員さんがいてカメラの露出とかにこだわって次々と撮ってもらった。どうもありがとうございました。

顔出しNGなので、高千穂神楽の「御神体の舞」から伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)のお面で記念写真を加工してみました。

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高千穂峡から先の行程は、宮崎に向かう前にずいぶん検討した。最初はバスで熊本に出ようと思っていたが、調べるとコロナ禍もあってか2便あるはずの熊本行の高速バスが1日1便、しかも夕方高千穂発で熊本駅20:00着だった。これでは1日無駄になるので、他のルートを探した結果、博多バスターミナル行が11:10発だったので、これをWEB予約しておいた。博多には14:27着予定だった。

この宮崎交通の高速バス「ごかせ号」は1×3列シートで実に快適だった。空いていたので窓際が良ければ移動してもいいと言われたが、真ん中の席も快適だったのでそのまま真ん中に座った。妻は左の窓側に座った。スーツケースのハンドルが破損していてちょっと困ったのは、バスのトランクにスーツケースを載せるときくらいだった。

バスは延岡から出発して、ここ高千穂を経由し、熊本側から高速に乗って博多へ向かう。途中の北熊本SAで20分の休憩が入るので、ここでトイレに行き(バスにもトイレはついているが)、くまモンを撮影し、2種類のカレーパンを買ってベンチで食べてバスにもどった。バスが走り出すとすぐに豪雨にぶち当たった。天気予報アプリを見ると、ちょうど集中豪雨のなかだったが、すぐに通り過ぎた。最近の天気予報は宇宙から見てるからよく当たる。実にありがたい。博多に着いた時、道路に水たまりは残っていたが、空は晴れていて暑かった。

運転手さんも実に温和で気持ち良い3時間ちょっとのバス旅だった。

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夏旅2022 夫婦編(7) ~高千穂峡三日目高千穂神社~

前日、荒立神社からの帰り道に、二十躰王宮(にじったいおおのみや)という案内板があり、探鳥コースともあったので、そちらに寄り道してみた。王宮跡らしき案内板はすぐに見つかったが、その先がどこまで続くのかわからなかったので、そこで引き返した。高千穂町観光協会のサイトを見るとこの場所にも鳥居があったようだが、このときは鳥居はなくなっていた。災害かなにかがあったのだろうか。王宮というプレートが柵に立てかけられ、鈴も柵にかけられていた。ひっそりと脇道に置かれた王宮の文字に悠久の時の流れを感じた。地味だが天孫降臨を感じるパワースポットかもしれない。

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天孫降臨というと、私にとっては昔読んだ『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』(NHKブックス)をまず連想する。おそらく「聖徳太子は実在しない」という説が盛り上がったころに購読した。途中まで…。藤原不比等が生みだした聖徳太子という偶像と、神話を藤原氏に絡めて歴史を“作り出す”というプロジェクト…だと思うが、基本知識がないままに読んでいたのでまったく頭に残っていない。ただ、天孫降臨についてこうして触れる機会があると、必ずこの書籍を思いだし、再読してみようかなと思う。しかし手ごわいので毎々挫折している。ある意味ライフワークか。

ついでに、この田園風景と神社との組み合わせに映画「旅の重さ」を感じた。この映画の私への影響力をあらためて感じる。何度も機会があるごとに見直したい映画だ。

●朝の高千穂神社へ

さて、翌8月12日(金)の朝、チェックアウト前に高千穂神社まで歩いた。この日は朝食ビュッフェの電話はせず、昨日コンビニで買ったものを食べ、8:00頃にホテルを出た。商店街もまだシャッターが閉まっていたが、シャッターアート(?)はこういう時間帯しか見られないので、それも楽しい。高千穂神社にはすぐに着いた。

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朝の高千穂神社では、神職の方が掃き掃除をされていた。ご挨拶をして階段を上っていく。高千穂神社は美しい巨樹が何本もあった。私は大木や巨岩が昔から好きで、その影響もあって神社巡りとか川にバイノーラル録音に行ったりしてきたようなところがある。

スピリチュアルといえばいえるが、いわゆるスピリチュアル系の人間ではないと思う。あえていえばアース系?いま大地とつながる(裸足で歩くとか)アーシングという言葉も聞くが、野口体操にもシンパシーを感じる。地球と身体との連続性とか、フラクタルのなかに万物流転の法則性を感じるとか、ある種の精神性と論理性との邂逅を探し続けているような気がする。年を取ると余計に。

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これまで見てきた神話の神々は非常に人間的だったが、荒ぶる神と退治する神と両方がいて、荒ぶる神をも祭ってきた和人の精神性にも興味がある。祟りを恐れるという面だけでなく、荒ぶる行為にポジティブな意味を持たせ積極的に祭るとか、その暴力の道具だった巨石まで祭るなど、清濁併せ飲む精神性があったように感じる。神話への興味は古代人の(現代に通じる)精神性への興味ともいえる。

高千穂神社の裏手には遊歩道があり、高千穂峡に通じているようだった。遊歩道に入ってみると、沢がすぐ下にあるかのように川の流れる音が聞こえる。しかしそこまで近くないことは、昨日の貸しボートの山道を歩いて知っているので、種田山頭火の句碑の少し先まで行って、すぐに折り返した。

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高千穂神社を出て、ソレスト高千穂ホテルに戻る途中、鬼八塚(首塚)に寄った。ホテルを横切ってすぐ左側にある。鬼八というのは悪い奴で、いわば誘拐犯だ。若い娘を誘拐監禁していた。それを退治したのが高千穂神社に祭られている三毛入野命(みけいりのみこと)だ。鬼八はいったん退治された翌朝、息を吹き返すほどの生命力があり、三毛入野命は鬼八の身体を三つに裂いてとどめを刺した。その首塚がここにある。

ということだが、鬼八は渡来人であり、誘拐犯ではなくその娘は鬼八の妻だったという伝説もある。その妻を見初めた三毛入野命が鬼八を殺害したと。そうなると話は真逆で、何が真実かわからなくなる。紛争には双方の言い分があり、歴史は勝者のものであり、真実は覆い隠される。その片鱗がこうして史跡として残るのみだ。

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