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2025/10/26

夏旅2025 夫婦編(8)~ 竹田津港から徳山港へ ~

徳山市(現在の周南市)で生まれ高校卒業まで過ごしたが、スオーナダフェリーには乗ったことがなかったので、一度は乗ってみたかった。今回の夏旅を大分旅行にした時点で、ここから実家に帰るなら竹田津港からフェリーにしたいと思い、そこから逆算して豊後高田の昭和の町を訪問し、その前日に宇佐のグッドステイみずほ泊だったとも言える。もちろん昭和の町は昭和100年の夏旅というコンセプトから外せなかったが。

昭和の町から竹田津港フェリーターミナルまで路線バスで約40分。フェリーの出発時刻は14:00だったが余裕をみて13:00頃に着くバスに乗った。天気が良かったのでバスから眺める海の景色は綺麗だった。時間が許せば長崎鼻にある「不均質な自然と人の美術館」というめっちゃ気になる美術館に寄ってみたかったが今回は行けなかった。

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時間通りにフェリー乗り場に着いた。ちょうどお昼どきなのでアルフォンソで買ったパンを食べながら待った。待合室に姫島のポスターがあり妻がそれに反応した。

国東半島の沖にある姫島には船で行ける。私と同じ離島好きだったのかと思いきや、車エビ祭りというワードに反応したのかもしれない。大の海老好きなのは知ってる。姫島観光を検索すると電気自動車のレンタルもあった。私はそっちに反応したが、いつか国東半島と姫島の旅もしてみたいと思った。

定刻通り14:00にフェリーは出港した。乗客はまばらだったので、雑魚寝スペースを広く使えた。出港してすぐに見える姫島を目に焼き付けた。

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徳山港には16:00に着いた。徳山港から徳山駅は歩いてすぐだ。この時間に徳山駅に着ければ新幹線にも接続できるから九州から関西辺りまでは行けるなと思った。水上交通の面白さを感じることが出来た。徳山湾は瀬戸内海なので多くの島々があり風光明媚だと思う。島のある風景は私の原風景でもあり、帰って来たなという気持ちになった。大分県と山口県をつなぐスオーナダフェリーは両県と組んで、もっと観光に力を入れた方がいい。地元が気づいていないだけで、この近さと風景は観光資源として相当なポテンシャルを持っていると思う。

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実家までは路線バスで帰った。両親が若い頃は自家用車で迎えに来てもらっていたがもう80代だ。実家にいる妹も妹の次女も平日なので仕事中だ。しかしこの夏旅は裏テーマがローカル路線バスの旅でもあり(妻もそう思っているかは定かではないが)、路線バスで帰るのも楽しい。昔とは運行路も異なる。街の変遷が路線バスの経路を変えていた。

実家には妹の三女と今年生まれた三女の娘が来ていた。妹もいまや祖母というポジションにあるのだ…。それにしても赤ん坊はとにかく可愛い。これからどんどん大きくなっていくのだろう。すくすくと成長してほしい。実家の母は声に張りもあり元気だったが、父は足が弱くなり歩くのもままならない感じでベッドに横になっていた。しかし意識はしっかりしていて話は出来た。

翌日の出発は15:00頃だったが、妹の次女の時間が空いていて車で徳山駅の新幹線口まで送ってくれた。さいたま市の自宅には22時近くに着いた。帰宅前に近所の中華食堂でラーメンを食べた。この食堂も30年近く住んでるが初めて入った。結構美味しくてまた来ようと思った。

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夏旅2025 夫婦編(7)~ 豊後高田・昭和の町 ~

7月28日(月)宇佐のグッドステイ みずほの朝食は近くの(といっても徒歩6~8分)の提携してるファミレスの割引券をもらうスタイルだったが、朝食は食べずにチェックアウトし宇佐駅から豊後高田の昭和の町へ。湯布院でも昭和館に行ったが、今回の夏旅のコンセプトが昭和100年の旅なのだからここは外せない。宇佐神宮と昭和の町とどちらにも近い宿を探したわけで。

夏旅二日目に別府温泉ホテル白菊へ泊まったとき、スタッフが手書きで大分県の各地を紹介するバインダーが部屋に置いてあった。これはとても味があって嬉しい。昭和の町には行くことにしていたが、このファイルでも情報収集出来た。大分県各地の案内があるから読まない手はない。

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昭和の町はのっけから昭和だった。博物館的な側面もあるが、町並みも昭和のまま残っている感じ。まずは昭和ロマン蔵へ。昭和の駄菓子屋風の受付に荷物を預けて中に入った。様々なグッズやポスターが展示されている。湯布院の昭和館ほど体験型ではないが、グッズの収蔵や三輪自動車などの実物が展示したてあった。また、ここは昭和の町なので、町並みを歩いてこそ昭和の風情を体験できる。

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ロマン館の横に併設された観光案内所に荷物を預け、昭和の町を散策に出かけた。駄菓子屋さんがお店で作っている紫蘇ジュースを買ったらこれがめっちゃ美味い!帰りにまた訪問して買ってしまった。

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南條亮ジオラマ記念館も訪問。戦中戦後の日常生活が細部まで作り込まれたジオラマが展示されている。2025年4月に泉佐野市から移転されて来た常設展示らしい。まさに昭和の町にふさわしい展示で必見だと思う。もっと豊後高田市はPRしたほうが良い。

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ジオラマ記念館を出て中央通りを桂川の手前まで歩くとレンガ造りのパン屋さんアルフォンソがある。朝食抜きで訪れた昭和の町なので、パン好きの妻がここでパンを買いたいとのことで行ってみた。空腹の妻の嗅覚は大当たりだった。

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中に入ると誠実そうなお父さんと明るいお母さんのお店だった。火曜から木曜まで定休日なので月曜日に訪問したのはラッキーだった。時間的にも焼きたてパンが出来てきた。定休日前日でもありちょっとおまけをつけてもらったりして楽しいひとときだった。他のお客さんがいなかったのでみんなで記念写真を撮ったりもした。こういうふれあい旅がいいんだよね。

ひと通り昭和の町を楽しんでそろそろ帰る時間だ。ここからは国東半島の東側にある竹田津フェリーターミナルまで路線バスで向かった。山口県の徳山港までフェリーで帰りたいのが私の希望でありこの日を締めくくるプランだった。

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2025/10/21

夏旅2025 夫婦編(6)~ 宇佐神宮 ~

7月27日(日)由布院温泉 全室露天付き離れ宿 御宿さくら亭での朝食は8:00からにした。メイン棟の昨日と同じ福寿草のブースで食べた。湯豆腐が美味しい。その後チェックアウトし、9:30で予約していたタクシーが来たので9:26頃にはさくら亭を出て湯布院駅へ。迎車料金込みで千円だった。やはり現金払いが好まれる。バス用にたんまり持ってきた千円札だったがタクシーで役に立った。

湯布院駅に着いてすぐに土産物店に。目星をつけていた土産物を買ってバスセンターへ。高速バス待ちの外国人がたくさんいた。我々は今日、宇佐駅まで移動する予定で、湯布院駅前から別府駅まで路線バスで戻り、そこからJRで宇佐駅を目指す。

バスの本数はそれほどないが、日曜は10:05発と10:10発のバスで別府駅に着けるようだ。案内係の方に聞くとルートの関係で後から出発するほうが別府駅には先に着くようだ。

10:00の高速バスで待合室からほとんどの人が出発した。その後、10:05のバスが到着した。先に出発するが別府駅には後から着くバスだ。しかしこのバスは観光バス仕様でスーツケースをバスの床下に収納出来るバスだった。

これを見て再度案内係の方に、10:05のバスがこれかどうかと、その次のバスは普通の路線バスかを聞くと、まさにこのバスは別府駅に止まるしこっちのバスの座席のほうがゆったりしていると言うではないか。

後から着くと言っても9分差くらいで何の問題もない。スーツケースを床下収納して観光バスで帰れるならこのバスに乗るしかないと思い、5分早く出るバスで出発した。

快適な観光バスで別府駅に着いた。宇佐駅には特急ソニック28号に乗るつもりだったが、一本前の24号に乗れる時間だったため、乗れるなら乗ろうと自由席特急券750円と乗車券990円を購入した。程なくしてソニック24号が来たので自由席に乗った。座席はそこそこ埋まっていたが、乗ってすぐ左側がふたつ空いていたのでそこに座り、スーツケースは席の後ろに置けた。ここまでスムーズに乗り継げて良かった。

●宇佐神宮へ

昨日の湯布院は雨だったが、12:00頃に着いた宇佐駅は快晴で暑かった。とりあえず今夜の宿、グッドステイ みずほに荷物を預けようと向かったが誰もいない。今回は鍵がかかってスタッフすらいなかった。二日連続でチェックイン前に荷物を預けられない宿だったが地方はこんなものかもしれない。今後はどこも人手不足になっていくだろうし。

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しかしこの荷物をなんとかしなければと、また宿の前から宿に電話をしたところ一応つながった。ここから先は公開しづらい問答と交渉なので端折るが、とりあえず預けることができ(通常はおそらく無理だと思う)、身軽になって宇佐神宮にタクシーで向かった。

タクシーの運転手さんに宇佐神宮の参拝方法を教えてもらったりしながら参道に到着。とにかく暑いが、参道を歩いて先に御朱印帳を授与所に預け、上宮本殿から下宮、御霊水、呉橋など主だったところは参拝した。

この旅行の出発前に行ったいつもの散髪屋のマスターに宇佐神宮に行くと言うと、お賽銭を入れるところがたくさんあるから、初めから奮発すると本殿まで小銭がもたないよと聞かされていたが、まさにその通りだった。

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一通り回って、御朱印授与所の向かいにある休憩所で休憩。そこにも古くから納められた美術品が飾ってある。風が強く参道の砂が舞っていた。御朱印を受け取って呉橋の横の橋を渡った。そこから表参道まで歩く間に、夏目漱石の句碑や種田山頭火の石碑があった。

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参道に戻って、かき氷でも食べようとカフェKURUに入った。カンカン照りで暑かったのもあるが、店主こだわりのかき氷は美味しかった。最後のふたつを食べてしまったようで、次に入って来た5人組はかき氷が品切れと言われていた。

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宿までは路線バスに乗ろうと参道を通ってバス停へ。参道では土産に宇佐飴を12袋買った。袋のデザインがいろいろあったので、あげる人の状況を考えながら、夫婦円満とか無病息災とかの袋を選んでいった。

バス停の横はタクシー会社で、4人で乗ればどこまで幾らかを書いた看板があった。大人数で乗れば1人あたりはバスとそれほど変わらない金額だった。それで目的地まで行けるならタクシーは有力な選択肢だと思った。我々は二人だけだし、駅のバス停に着けば歩いて6分だったのでここはバスに乗った。しかし別府とは異なりバスも昔ながらの現金払いだった。

バスが宇佐駅について駅の自販機で飲み物を調達し宿まで歩く。その間に、看護師を辞めて起業したどら焼き屋があるとネットで読み、そんなお店あったかなと思いつつ向かってみることにした。地方局の番組でも話題にもなっていたという店だったが、店はなく取り外された看板が見えて「えっ?なくなっちゃったの!」と、ちょっと悲しい気分になった。後から調べると通販やイベント販売だけに販売方法をシフトされているようだった。

宿のグッドステイ みずほに着くとスタッフの方が迎えてくれた。玄関に会員制と書いてあったので聞いてみると、会員になるとラウンジの食事が安くとか特典があるそうだ。確かに良いスピーカで心地よい音楽が流れている。近所の音楽好きが会員なのだろうか。

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部屋は2階の畳部屋で広かった。温泉は大中小3つあり、予約制ではなく、空いていればフロントで札をもらって貸切で入れる。全部空いてたのでまずは大風呂から入った。ちょうど西陽が強い時間帯で暑かったが、温泉は気持ち良かった。

夕食は一階のラウンジで地鶏鍋。ここまでの3泊は毎日豊後牛だった。宿泊と同時に予約していた。それらもしゃぶしゃぶ、鍋、すき焼きと毎日食べ方はそれぞれだったが、さすがに4日連続はやめようと地鶏を予約したのだった。

地鶏は鍋以外にも唐揚げも食べた。中津唐揚げが有名ですよねとスタッフさんに言うと「ホントは宇佐(が本場)なんですよ〜」とやんわりたしなめられた。ご当地名物にはそれぞれこだわりがあるのだろう。

その点、宇佐は少し奥ゆかしい。温泉地でもあるが別府温泉のように宇佐温泉という打ち出し方をあまりしていない気がする。まぁ宇佐神宮という大観光地があるからそれ以外に力を入れる必要がなかったのかもしれない。しかし宇佐神宮は近隣市県からバスやタクシーで訪問できるため、宇佐に宿泊させるという意欲が弱い気がした。

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2025/10/20

夏旅2025 夫婦編(5)~ comico art museum ~

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7月26日(土)三泊目の宿は由布院温泉 全室露天付き離れ宿 御宿さくら亭で、GoogleMapオススメの最短ルートは金鱗湖(岳本バス停)から徒歩16分間だったが、実際に行ってみると舗装されていない川沿いの道だった。GoogleMapが高低差とか舗装されているかに関係なく最短距離を勧めてくるのは2023年の沖縄で学んでいたがまたトラップにはまった。今回もなかなかの体力勝負だった。GoogleMapは川の左側を示していたが、右側のほうが歩きやすそうだったので、一か八か右側を歩いた。スーツケースは抱えて。

なんとか舗装道路までたどり着いた。そこからは一本道で13:00頃に宿に着いた。しかし誰もいない。全室離れ宿だがフロント棟の玄関を入ると宿の傘が20本くらいだろうか、開いて乾かしてあった。奥まで入ってみると客室の片付けをしているような音が聞こえた。13時頃だからそういう時間ではあるが、フロントに誰もいないのは想定外だった。

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こういうときホテルなら必ずフロントには誰かいて荷物を預かってもらえるので、チェックイン前とチェックアウト後の荷物は預けることを前提にしている。何としてでもスーツケースを預けたいので玄関前から電話をしてみた。結構長くコールした後、男性が電話に出た。荷物だけ預けたいと言うと玄関まで出てきてくれた。とりあえず助かった。

スーツケースを預けて身軽になったので、とりあえず駅まで歩いてみた。雨は止んでいたが風が強かった。ちょうど昼時でもあり途中の千家というカフェに寄り、私はカレーライスとかぼすサワーを、妻は焼きカレーとかぼすソーダを注文した。なかなか美味しかった。

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そこで妻と相談して湯布院駅には直行せず、comico art museum に先に行くことにした。駅も美術館も隈研吾の設計した建築だ。

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comico には草間彌生のカボチャの絵や版画が多数展示してあった。夏旅(夫婦編)で草間彌生のカボチャも毎年のようにどこかで鑑賞していて、ひとつの裏テーマという感じになって来た。撮影不可なので絵はがきを購入した。

他には奈良美智の巨大なワンちゃんのオブジェや、2019年に直島でも作品を鑑賞した宮島達男、杉本博司らの作品もあった。美術館の構造は順路が建物の外を歩くようになっていて、そこでちょうど雨が降っていたので、備え付けの傘をさして移動した。下の写真は左から、奈良美智、森万里子、名和晃平の作品と二階のラウンジ。

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小さな美術館なので小一時間もあれば鑑賞できた。外に出ると雨はまた止んでいた。そこから湯布院駅までメインストリートといえる湯の坪街道を少し散策した。

晴れていればここを食べ歩きしたりするのが湯布院の楽しみ方なのだろうが、雨が降ったり止んだりだったのと夕食前だったので雰囲気だけ味わいつつ、土産物を見に駅前へ。

土産物店に入るとまた豪雨。何を買うかだけ確認し、少しだけお菓子を購入して残りは明日の朝買うことにした。駅舎の待合室で休憩しつつ、土産物店で買った缶かぼすハイを飲み干してからタクシープールへ。ちょうど戻ってきた小型タクシーに乗れた。

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宿についてタクシーの支払いはカードか現金か聞くとどちらでもいいが現金のほうが助かるとのこと。田舎だからと。面白い運転手さんだった。確かに地方ではまだ現金払いが多い。沖縄でもバス用に大量の千円札を持っていったが、大分県ではタクシーも現金払いが多かった。駅から750円。

御宿さくら亭の客間はすべて離れになって名前がついている。我々の部屋は福寿草。フロントのあるメイン棟から出てすぐの部屋だった。小さいが風情のある石造りの専用温泉が付いている。

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駅から戻ってチェックインしたのは17時を回っていた。夕食は18時からなので風呂は後にして夕食までテレビで大相撲を見ていた。名古屋場所14日目。この日の取組後、2敗で単独トップが琴勝峰、星の差1つの3敗で安青錦と草野の2人が追う展開となり優勝争いの行方は平幕の3人に絞られた。最終的には前頭十五枚目の琴勝峰が優勝した。期待の新横綱大の里は11勝4敗だった。

さくら亭の夕食はメイン棟で食べるが、部屋の名前と同じ半個室になっていて、高い天井は空いているが間仕切りで仕切られている。ここにコース料理を持ってきてくれる。明るい支配人もご挨拶に来られた。昼間に荷物を預けた方が支配人だった。

ここの料理も美味しかったが、別府の割烹旅館かんな和別邸別府温泉ホテル白菊とは異なり地元産の食材というよりは近隣各地から美味しい食材を選んだコースだった。ご飯も別府では竹田産のヒノヒカリ推しだったが、さくら亭は広島産コシヒカリだった。かぼすも湯布院では別府ほど出なかった。この日の牛肉はすき焼きだった。3日連続の牛肉だったが各宿で、しゃぶしゃぶ、鍋、すき焼きとすべて異なる調理だったのは嬉しかった。

部屋に戻って部屋に付いている半露天風呂に入った。雨が降り続き風もあったので、若干肌寒かったが、猛暑よりよっぽど良い。まさに極楽気分だ。風呂の水道も温泉だったが、水道管が長く、お湯が出るまで結構時間がかかった。

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夏旅2025 夫婦編(4)~ 湯布院昭和館 ~

7月26日(土) 朝食後、別府温泉ホテル白菊前から由布院駅方面行きのバスの時間に合わせてチェックアウトしバス停へ。ほとんど歩かずに済むのはありがたい。雨も小降りになっていた。別府駅西口発で1つ目のバス停なので時間の遅れはほぼなかった。席も結構空いていた。別府の路線バスは交通系ICカードが使えた。スーツケースが大きいので、乗ってすぐ前のひとり席に座り、左腕でスーツケースを抱えるように固定した。妻は運転手の前の席に座った。路線バスなので地元の人も乗り降りするが、湯布院まで行くのは我々と外国人旅行者が二組だった。彼らは軽装だった。

山越えで城島高原パーク辺りまで来ると雨もかなり降り出していた。降りる予定は岳本バス停だったが、ひとつ前の中の原バス停はまだ山の中だったので、どんなところで降りるのかと心配したが、岳本のあたりは突然ひらけて、観光バスが3台くらい停まっており、アジアからの観光客がたくさんいた。バス停ひと区間でまるで別世界のようだった。

バスを降りる前から雨が降っていた。とりあえず日傘をさして雨を避けながら、近くにある湯布院昭和館に向かった。徒歩1分、助かった。今年は昭和100年にあたる。それもあって昭和を感じる旅先を考え大分県にしたのだった。だから昭和館は目指していた観光地のひとつだ。

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●湯布院昭和館

昭和館に着いたとたん豪雨になった。入り口が分からなかったので、とりあえず屋根のある通路に非難した。そこも韓国人観光客が雨宿りをしていた。入り口にサッと入れていれば無駄なく観光できたのにと思いながら小雨になるのを待った。入り口は売店の横だった。

少し小雨になったところで、屋根の廂づたいに昭和館の受付に向かい入場券を購入した。スーツケースとリュックサックは預かってくれた。

湯布院昭和館は、まさに昭和だったw

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私は昭和も後半の生まれだが、昭和の商店街や飲み屋街なども再現セットのように作られていて、懐かしさが込み上げる。昭和初期からの様々なグッズや映画の看板、ポスターも並んでいる。映画館も再現されていて、この日は昭和32年の映画「喜びも悲しみも幾歳月」を上映していた。縁日の射撃なども体験できる。ただし撃ち落としたおもちゃは自分でまた並べておくのがマナーだ。

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昭和の時代は日本が大きく変化した時代だ。世界大戦敗戦というこれ以上ないどん底からの復興を経て生活が劇的に変化した。多くの国民はみんな等しく貧しかったが、等しく希望を持てた。もちろんうまくやった奴もいればしくじった奴もいた。21世紀が四半世紀過ぎた今となっては、全部ひっくるめて面白い時代だと思える。

しかし結局のところ私の一番の興味は歌謡曲やレコード、歌手や俳優だ。中島みゆきや松田聖子のアルバムがあると、持っているのに写真を撮ったりしてしまう。

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昭和館を出る頃には雨も止んでいた。ここからこの日の宿の御宿さくら亭までGooglemapでは徒歩16分となっていた。岳本は金鱗湖の最寄りのバス停でもあり、金鱗湖も観光したい。しかし金鱗湖の周囲は舗装されていない道が多く、重いスーツケースを引きずってはなかなか近寄れなかった。

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それでもさくら亭に向かう道からなんとかスーツケースを持って近づけるルートを見つけ記念写真だけ撮れた。

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2025/10/19

夏旅2025 夫婦編(3)~ 別府温泉 ~

7月25日(金)14:40頃、また雨が結構降ってきたが、折り畳み日傘で何とかしのいだ。次に予約していた別府温泉ホテル白菊まで20分くらいだし路線バスで向かった。ホテル白菊前というバス停があり、到着したらすぐにスタッフが寄ってきて荷物を運んでくれた。着いた時には雨はやんでいた。

ホテル白菊には15:15くらいに到着。妻がここのウェルカムアフタヌーンティに間に合うように来たがっていたから、着いたらすぐに12階の会場に向かった。一番乗りで景色の良い席を陣取った。飲み放題、食べ放題のビュッフェスタイル。アルコールもある。しかし数時間後には夕食でもある…悩ましいが、スイーツは別腹ということで結構食べた。スパークリングワインや焼酎も飲んだ。

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夕食コースでは、関あじ、関いさき、かんぱち、ヒラメのお造りが出た。メインは白菊特製鰹だしの牛肉鍋。美味かった。大浴場の泉質も素晴らしかった。さすがは別府だ。鉄輪温泉よりもとろみが強い気がした。夜と朝で男女風呂が入れ替わる。両方入った。

夜な夜なプリンという21時から販売される白菊名物もあり、21時に行くと結構人がいた。なんとか2個ゲットして部屋に戻ったが、午前中に買った明礬の地獄蒸しプリンもあるので両方食べた。

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駅近の老舗ホテルなので快適さは一番だ。今回の大分旅行はタイプの異なる宿を四つセレクトしたので、こういう“ホテル”らしい快適さはここだけだった。他の宿が快適でないということではなく、旅行体験にとっては常に都会的なホテルばかりよりは、個性豊かな宿に泊まる面白さもある。平均的な快適さは思い出になりにくい。

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翌朝7月26日(土)は雨が降っていた。目指す湯布院も雨模様だった。今回は雨が降らない前提だったが、逸れた台風7,8号が雲を呼び込んだのかもしれない。もっとも湯布院は天気予報が晴れでも突然の雨がよく降ったりするらしい。折り畳み日傘だけでなんとか凌がざるを得ない。

朝6:00ホテル白菊の大浴場に浸かり、8:00から朝食ビュッフェ。団体客が先に食べ終わったくらいの時間だったが、種類は豊富だった。ウェルカムアフタヌーンティーで出ていなかったスィーツもたくさんあった。

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夏旅2025 夫婦編(2)~ 地獄めぐり+本当の地獄?~

翌朝7月25日(金)は、6:00起床で内風呂に入り、8:30から部屋で朝食を取った。朝から小雨がぱらついていが、割烹旅館かんな和別邸のスタッフTさんオススメの明礬地獄まで岡本屋売店の地獄蒸しプリンを買いに行くことにした。このとき宿の傘を借りながらあなたのお名前は何さんでしたっけと聞いて、某大企業名と同じTで覚えていただければと教えてくれた。

明礬地獄はいわゆる地獄めぐりと呼ばれる七地獄の外にあったが、高架の高速道路ごしに別府湾が見える好立地にあった。有料(200円)の遊歩道には足湯もあった。まだ朝早く小雨も降っていたからか観光客もまばらで、足湯につかりながら海を眺めた。

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遊歩道は短く20分程度で回れる。地域猫に見送られながら、道を挟んだ向かいにある岡本屋売店へ。持ち帰り用にプリンとサンドイッチを買って、ソフトクリームを中で食べた。

その後、売店の前にある地蔵湯前バス停から11:14発の路線バスに乗って海地獄まで戻り、五つの地獄を散策した。雨は降ったりやんだり。

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まだ時間があったので、路線バスで血の池地獄と龍巻地獄に向かった。竜巻に先に行き、間欠泉が噴き上がるのを見てから血の池地獄へ。

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その後、血の池地獄のバス停で足元から熱い湯気が立ち昇るのを避けながら並び、鉄輪バス停に戻った。すでに14:00を回っていた。セブンイレブンで飲み物を買ってかんな和別邸に戻って借りた傘をお返しし荷物を受け取った。この時も番頭さんにタクシーを呼びましょうかと聞かれたが、すぐバスが来るんでとお断りし朝日バス停へ向かった。もう雨はやんで青空が見えていて、なんとか雨の地獄めぐりを乗り切った。

●本当の地獄を見た…

地獄めぐりは全部を回るには3時間以上かかると思う。特に路線バスで移動となると半日では無理かもしれない。今回は海地獄まで歩いて行ける宿だったが、まずは路線バスで明礬地獄まで行き、海地獄前まで戻ってきてそこの地獄めぐりをして、まだ時間があるからとさらにバスで血の池地獄と竜巻地獄をめぐった。竜巻地獄は間欠泉なので吹き上がるのを待つ時間も必要になる。世界的にもその間隔が短いところが売りだが、それでもタイミングによっては30分くらい待つ可能性はありそうだった。観覧席があるので座って待てる。

そんな雨のなかの駆け足の地獄めぐりを「本当の地獄」と言いたいわけはない。本当の地獄は海地獄を出た先にある駐車場の脇にひっそりと佇んでいるのだった。その名は山地獄。

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どうだろう。すでに閉館して管理地となっている山地獄。ここに人生の地獄を見ずにはいられない。なんてシュールなんだろうと写真に収めずにはいられなかった。これで地獄めぐりコンプリートだ。

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夏旅2025 夫婦編(1)~ 鉄輪温泉 ~

2025年7月24日の朝、9:20頃出発し羽田空港から12:05発の大分空港行きJAL665に乗った。空港について荷物を預け、天丼てんやで天丼を食べた。

滑走路が渋滞していて12:12頃のフライトになった。大分空港に着くのも同じくらい遅れた。13:55発のバスは飛行機の着便にあわせて14:05まで待っていたがギリギリだった。

バスのチケットを買おうと空港の自販機に行きVISAのタッチ決裁をしようとしたができず。現金で購入した。別府市内までひとり1600円。これを逃すと14:45までバスかない。タクシーだと13000円くらいかかるはずで危機一髪だった。

バスで別府北浜まで行った。近くに今日、2025年7月24日(木)オープンの「SHONIN PARK」があり、砂湯が復活していた。辻村深月『青空と逃げる』を読んだ後だったので、なんとなく感慨深かった。寄らなかったが。

●裏テーマ「昭和100年の旅」

別府駅まで歩いて9分程度。いきなり昭和っぽい映画館の看板に映画スター勢ぞろいだ。

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今回の夏旅の裏テーマは「昭和100年の旅」だった。今年は昭和でいえば100年にあたる。そこで「昭和感じられるのは温泉でしょ!」と大分行きが決まったようなところがある。このお出迎え感は幸先いい!

宿に行くバス停は西口なので西口の亀の井バスの案内板を見ていると「どこまで行くん?」とおじさんに聞かれたので、鉄輪と応え、宿の名前を伝えると、まさにいま出ようとしている路線バスに乗れば近くにバス停があるというので促されるままに乗り込んだ。

この日の宿は割烹旅館かんな和別邸。バス停は朝日。そこから歩いて2分だった。飲み物を買ってなかったので自販機でお茶を購入。宿の門の前で記念撮影をしていると、中から番頭さんが出て来て荷物を運んでくれた。

部屋はもみじ。フロントからすぐの部屋で、10畳二間で温泉かけ流しの内風呂つき。しかし着いてすぐに家族風呂という大風呂に入った。ここは予約は不要で入り口に履物がなければ入れる。内側から鍵をかけて専用風呂にできる。おそらく我々が本日最初の客だった。一番風呂の露天温泉は気持ち良かった。そよ風も心地よし。

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かんな和別邸は海地獄など五つの地獄に近く、着いたらすぐに地獄めぐりを始めようかと考えていたが、16:00近かったので地獄から極楽に予定を変更して温泉に入ったのだった。

♪極楽通りへいらっしゃい(from Miss.M)が脳内再生された。

部屋の担当者のTさん(最初は名前を聞き逃す)と、スリランカから来たSさん(来日1年目)はとても感じのいい方だった。Tさんは話し好きでメイクもバッチリな女子だった。大分県を出たことがまだないそうだ。

割烹旅館だけあって料理は美味しかった。親会社が精肉会社だそうで豊後牛のしゃぶしゃぶも美味かった。関あじも最近はサメの出没で上がらない日があるそうだが、この日は運良く関あじの刺身もいただいた。

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2025/10/13

2024年夏から2025年初夏の出来事

もうすぐ一年間ひとくちメモを更新していないことになる。今年2025年の夏旅の原稿は書き終わったが、ドキュメントの文字数をカウントすると10018文字もあり、何分割すればアップできるだろうと思うと億劫になってまだアップ出来ない。写真なしなら単にコピペだが、それじゃつまらない。そのせめぎあいのなかで、とりあえずその間あったことを箇条書きでもいいからアップしておこうと思った。リハビリみたいなもので。

2024年

7月: カルティエ展 (国立博物館)

8月: 山口県の実家に帰省し、その後、神戸、姫路城へ
(これは夏旅夫婦編(1)(8)で書いた)

9月: 東京芸大文化祭からの山下達郎コンサート(NHKホール)
(その後夫婦連続でコロナに感染)

10月: 姪っ子の結婚式で再度山口県に帰郷

11月: スカパラの甲子園コンサート!その後、大阪・京都を観光

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11月:田中一村展(東京都美術館)

11月:高野寛『続く、イエローマジック』購読

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12月: 誕生日を根津のリーヌでお祝い
(その後皇居三の丸尚蔵館美術館へ)

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12月: 妻の叔父さんの葬儀に参列

大晦日: ホテル椿山荘アフタヌーンティ

2025年

1月: ドジャーズユニフォームの投手大谷翔平のボブルヘッドを購入

2月: 妻が実家に帰省し、叔父さんの家の整理

3月: スカパラの横浜アリーナコンサート(立見席)

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4月: 箱根旅行(ポーラ美術館でCOLORS)

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5月: 表参道ベルコモでコースランチ
(その後、原宿で斎藤洋樹さんの切り絵展へ)

5月: 高輪ゲートウェイ駅を見学。
(その後スカパラのアンコールNHKホールコンサート三階最後席)

6月: シャッターズでスペアリブランチの後、N響ウェルカムコンサート(3階最後列)

7月: ヌガでランチ(二か月前予約で)

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これだけあれば、毎月のようにブログに書いていてもおかしくないのだが、パソコンでの作業となるとなかなか敷居が高くなった。これに読書歴とかも書いていくには時間が足りない。しかしこの後、大分旅行記10018文字をなんとかアップしていきたい。年内目標…。

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2024/11/03

夏旅2024 夫婦編(8)~ 人力車で姫路城一周 ~

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8月17日(日)ホテルオークラ神戸での朝食は大広間だった。昨日の朝食会場はブッフェレストラン有明だったが日曜で宿泊客も多いからかもしれない。しかしちゃんとシェフもスタンバイしていて卵料理を提供してくれる。神戸長田の名物ぼっかけをオムレツにかけることも出来た。昨日、新長田駅で途中下車して鉄人28号のモニュメントを見に行ったときにぼっかけも食べたかったのだけど、そのあとに南京町食べ歩きを予定していたので食べなかった。朝食で遭遇できて良かった。

11:00チェックアウトだったので、そこまで部屋でゆっくりしつつ、この日の予定を確認した。夏旅最終日なので神戸市内か東京方面を目指すところだが、姫路城を見に行くことにした。

姫路は初日に途中下車で寄るとか、神戸二日目に遠出しても良いかなとも思っていたが、帰郷先の山口県からの帰京で台風の影響が出て神戸までの新幹線を取り直したため、初日に安彦良和展(兵庫県立美術館)、翌日までに南京町神戸牛と週末花火というスケジュールにして、導き出した最終日の観光地が姫路城だった。なかなかこういう機会でないと姫路に寄ることも少ないし妻はまだ行ったことがないということで。帰京とは逆方向になるが姫路らだったら帰りにそのまま東京行の新幹線にも乗れるので好都合だった。

●いざ姫路城へ

チェックアウト後、大きな(取っ手が取れやすい)スーツケースを引きずりながら南京町を抜けて元町駅へ。エレベータでホームに向かった。姫路駅までは山陽本線一本一時間で着く。新幹線乗換口近くのエキナカに大きなロッカーがあるのでそこにスーツケースを入れて駅を出た。

駅から姫路城までの広い大手前通りに出ると真っ白い姫路城が見える。途中まで地下道で行ったが、通りに上がると暑い。右手のアーケードを通ればもっと近くまで行けたのだが、それは後述する人力車を降りてから教えてもらった…。まぁ大手前通りを通って城に向かっていなければ人力車に出会うこともなかったわけだけど。

城の手前まで来ると、姫路城近辺の地図を持って通行人に話しかけている色黒の明るい男性がいた。人力車の呼び込みだ。最初は通り過ぎようとしたけれど、CXの「ザ・ノンフィクション」の人力車シリーズを結構みてきたので、ちょっと興味をそそられて振り返ってこちらから近づいて行った。妻は「また始まった…」という目で見ていたようだが「もう乗る気まんまんだったよね」とも言われた。まぁそうなるよね!

呼び込みの男性は天下車屋専務の五月女さんだった。業界歴が長く裏も表も知り尽くしている明るい人だった。「ザ・ノンフィクション」の話も言える範囲(笑)で聞かせてもらった。

この流れで人力車に乗らないという選択肢はない。明朗会計だし旅の終わりに人力車ってのも思い出になる。夫婦そろって初めて乗るので興味津々でもあった。

●人力車でハプニングも

ただ、すでに13:30で16:00頃の新幹線には乗りたい。姫路城の中も当然見学したいという話をすると「45分で姫路城一周を超速で回るコースならいける!」と太鼓判を押してもらったので、そのコースで出発することにした。俥夫は若手のイケメン栗宗希光さん。姫路城にまつわる逸話を面白く話しながら、時にはクイズ形式で雑談しながら、この暑さの中を突っ走る。かっこいいっす!

途中で人力車ではほとんどないというパンクも経験した。初めての人力車なので多少ゴトゴト走っていてもこちらは快適だと思っていたのだが、出発して10分と経たないうちに「乗り心地、悪くないですか?」と何度も聞かれて「いや、いいですよ」と答えていたのだが、俥夫ご本人がどうもパンクしたみたいだと道を逸れて停車した。

そこで我々をいったん降ろして日陰に連れていき、携帯電話をかけ始めた。どうやらパンクで車の変更になるようだ。この非常事態にイケメンもちょっと不安げだった。そもそもコースを外れて停車して怒られないかも心配そうだった。もしかすると初めてのパンクだったのかもしれない。我々は45分コースでギリギリの設定だったので時間の心配をしていた。

人力車の交換ってどうやるのかと思ってみていると、さっきの五月女専務が別の人力車を引いてこられた。そりゃこの方法以外ないよな。交換車も人力で引いてくるしかない。携帯電話がない時代はどうやっていたんだろう…。「いやーすみません!次の車も出払っていて!」と五月女専務はここでも明るい。パパッと車を交換してパンク車を引いて戻って行かれた。いやはや出発後10分程度で良かった。

●東西南北から見る姫路城

車を変えると確かに乗り心地が格段に良くなった。ゴトゴト感はほぼなくスイスイと滑るように進む。イケメン栗宗希光さんの弁舌も滑らかに戻った。姫路城は南側(姫路駅側)から眺めることが圧倒的に多い。側面や裏面を見に行く観光客はほとんどいないという。確かに北側も美しく歴史を感じる城壁などもあるが観光客の姿はほとんど見ない。そこを一周しながら要所で記念写真を撮ってくれるので、満足感はとても高かった。パンクのハプニング込みで思い出に残る体験が出来た。年取ったらゆったりコースも乗ってみたい。

写真もたくさん撮ったがいい写真には我々も写っているので、ここでは乗ったままスマホで撮った写真を東西南北で並べてみた。

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一周回って45分コースだったが、パンクの車交換もあり全行程60分程度だったと思う(料金はもちろん45分コース)。とりあえず時間的に許容範囲で助かった。そのあと姫路城のなかに入り最上階まで上った。

最終的にJR姫路駅には16:00過ぎに着いたのだが、その時点で乗れる新幹線を探してスマートEXで予約をいれ、駅ビルのカフェに入ったのだが、そこで頼んだパフェの出てくるのが遅くて遅くてまいった。もうキャンセルして出ようかというギリギリになって持ってきた。こっちのほうが時間的には危なかったな。味わう暇もなく食べ終わり、荷物をロッカーから出して17:26発の新幹線のぞみ176号東京行に乗ったのだった。

今年のお盆は台風の直撃や南海トラフ地震の不安が一気に広がったが、8月14日に下り新幹線で出発したため、ちょうど不通の区間を避けた格好になった。ハプニングといえば予定していた徳山から新神戸行きが東京行新幹線だったので全線不通になり、新神戸着の新幹線を前日夜に取り直したことくらいか。それもスマートEXだったので実家で出来て助かった。公共サービスは新しいものを面倒がらずに使ったほうが良いな。特にSuica連動でスマホ機器をいちいち駅で取り出さなくて良いのがうれしい。

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夏旅2024 夫婦編(7)~神戸港ウィークエンド花火 ~

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歩き回ってホテルに戻り角煮バーガーとスイーツも食べ終え、シャワーも浴びて着替えをして18:30を回ったころに神戸ポートタワーのあるメリケンパークに出かけた。花火は19:30からだったがホテルオークラ神戸からメリケンパークは直結なので、会場の雰囲気を味わいながらぶらついてどこで見るか考えながら場所取りをした。

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多くの人が詰めかけていた。階段状に座れる場所はもうほとんど空きがない。オリエンタルホテルやその前に停泊する船上レストランからも見られるようだった。結局、(モアイ像のような)神戸海援隊の碑の土台の前に陣取った。花火は5分くらいなので立ち見でも大丈夫。5分だけど結構内容の濃い花火で神戸港の美しさと相まって充実した気分になれる。

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花火が終わって夕食をどうするかということになった。南京町は夜が早いが、やっている店もあるんじゃないかと、夜の南京町に向かってみた。しかし20:00頃だと、ほとんどの店は終業時間を回っている。そもそも昼は食べ歩きで来ているので、どんな食堂があるのかもリサーチできていなかった。そんなときに出会ったのはグリルキッショウだった。まさかの二夜連続で神戸牛!

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グリルキッショウさんは神戸牛愛をめっちゃ説明してくれた(笑)。神戸の最後の夜でもあるし、せっかくなので神戸牛ステーキにした。サーブしてくれた女性店員さんも気さくな方で、神戸牛のフィレとサーロインとシャトーブリアンの違いなども熱く語ってくれた。目の前でフランベされたサーロインは格別だった。また来たいお店だ。

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夏旅2024 夫婦編(6)~南京町でランチ ~

鉄人28号のモニュメントを後にして南京町に戻って来た。最初にめざしたのは豚まんで有名な老祥記だったが案の定大行列だった。最初は並んでいたが、この日は姉妹店の曹家包子館(ソウケパオツーカン)でもテイクアウトをしているというアナウンスがあったので、向かいにあるそちらに並び替えた。結局こちらでも並んだけどとりあえず購入出来て、お店の前の広場のベンチに空きを見つけてそこで食べた。

その次に、何が食べたいか考えつつ、 適当に歩きながら食べられる北京ダックがある華鳳でまた行列に並んで、400円の北京ダックを買って食べ歩き。ハンバーガー女子の妻はこういうものを食べるのが上手いが、私はとにかく苦手だ。タレがこぼれるのが気になって味はよくわからないが、この雰囲気を味わう。

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その後、デザートというか、この後ホテルに戻って食べるおやつとして、エストローヤルのシュー・ア・ラ・クレームなどを購入した。しかしもう少し腹に入れたいということで吟味した結果、朋榮の角煮バーガーを食べることに。お店に行くと調理してるお兄さんに「美味しいとこのスイーツ持ってますね!」と言われつつ、角煮バーガーもホテルに持ち帰って食べるというと「ご事情、すべて承知しました!」みたいな感じで会話も面白かった。

こうして南京町からホテルオークラ神戸に戻ったのはちょうどおやつタイムの15:00ごろだった。

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朝から時間配分も運動量もなかなかのものだったが、それにしてもまだ早すぎる15:00にホテルに戻ったのには理由がある。この日は土曜で、毎週土曜に神戸港で花火が上がるのを見に行く予定だったから。先週は台風と地震(南海トラフ地震臨時情報)警戒とで中止になっていた。この日はピーカンで花火日和と言える天気だった。

ホテルオークラ神戸は神戸ポートタワーの近くにあるので、いったん部屋で休んでから花火に出かけようということにした。この時、懸念だったのは買い過ぎたスイーツをどこまで食べるかと、食べたら眠ってしまい花火の時間に起きられないのではないか…ということだったが、何とか大丈夫だった。

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夏旅2024 夫婦編(5)~鉄人28号 ~

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須磨寺の奥の院から降りて来たのが12:30頃だった。そこから新長田駅まで戻って途中下車し、鉄人28号のモニュメントを見に行った。横山光輝先生原作のアニメでの身長と同じ18mの巨大なモニュメントだ。駅からアーケードを通っていくと見えてくる。これが普通にそこに存在するってところがすごい。

アーケードの街灯も鉄人28号になっていて芸が細かい。須磨寺から戻ってきたものだからこんな妄想に囚われてしまったことをお許しください…。

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1995年の阪神淡路大震災から14年後の2009年、作者の横山光輝先生ゆかりの地に建てられたのがこの鉄人28号モニュメント。私は横山光輝さんの漫画では『伊賀の影丸』を全巻持っていたが、鉄人28号は読んでいないしアニメも見ていなかった。山口県で放送していなかったかもしれない。しかし昨日の安彦良和展で安彦先生の超初期の「遥かなるタホ河の流れ」のタッチが横山光輝さんにそっくりで驚いた。少年漫画のタッチそのもので、現代の漫画では見ることのないタッチだが、それだけに郷愁も誘うし独特の存在感が漂う。

横から見ても後ろから見ても実にシンプルで良い。

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途中下車しての滞在時間は20分程度だったが、気持ち的には昨日の安彦良和展と連続して楽しめた。これで南京町に戻れば、ちょうど13:30頃でお昼時だ。朝から相当歩かされて食べる気満々の妻といざ南京町へ!

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夏旅2024 夫婦編(4)~ 須磨寺 ~

8月17日(土)は朝9:00頃にホテルで朝食ビュッフェを食べて観光に出発した。ホテルオークラ神戸は南京町にも近く歩いて行ける。しかし朝食後にすぐ南京町に繰り出してもお腹いっぱいなので、事前にリサーチしておいた須磨寺まで電車で行ってみることにした。

南京町は帰りによる予定なのでロケハン的に歩いてJR元町駅へ。そこから須磨駅まで。途中の新長田駅を過ぎたあたりに鉄人28号のモニュメントが一瞬見える。ここも帰りに途中下車することにしてまずは須磨駅へ。

須磨寺に行こうと思ったのは、今年の大河ドラマが吉高由里子主演の「光る君へ」だったから。光源氏が若木の桜を植えたのが須磨寺だという『源氏物語』の逸話があるというので(読んでないもんで聞きかじり)。ついでにこのエピソードについて生成AIのgeminiにも聞いたので引用しておきたい。

📖
このエピソードは、源氏物語の第12帖「須磨」の中に描かれている描写の一つです。光源氏が須磨に流されて、寂しい日々を送る中で、若木の桜を植えてその成長を見守り、故郷や愛する人々を思い出すという、物語の中のひとつの場面なのです。
(中略)

「須磨」の章で何が描かれているのか?

源氏物語の「須磨」の章では、光源氏が都を追われ、須磨に流される様子や、その地での生活、そして故郷への思いなどが描かれています。若木の桜のエピソードはその中の重要な場面の一つであり、光源氏の心情の変化や物語全体の雰囲気を象徴的に表しています。
📖

ということで、紫式部のドラマには源氏物語のこのエピソードがまんまは出てこないけど、せっかく今年神戸に行くならということで須磨寺に行くことにした。これを書いているのはもう11月だが、いまならパワハラで失職した斎藤元彦元兵庫県知事のニュースの現場ってことで兵庫県庁を見に行っても良かったかも(楽しくはないな…)。

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須磨駅前は海水浴場だった。青い海と青い空を見るのは気分がいい。しかし喉が渇く!駅のコンビニで飲料を調達しいざ須磨寺へ。googleMapの選んだ最短距離をたどったのだが沖縄での失敗が蘇る。あの沖縄の青い海、青い空、急な坂!そう、GoogleMapは高低差を考慮しないのだった。しかし歩き始めてしまったので、急な上り坂をゆっくり歩いて行った。それはそれでなんだかおもしろかったが。

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須磨寺は源氏物語よりも平家物語のほうが有名だ。源平合戦にゆかりのモニュメントが多かった。geminiによると、

📖
須磨寺は、単なる歴史的な場所にとどまらず、人々の心に深く残る物語の舞台となっています。平家物語の「敦盛最期」は、武士の悲哀や無常観を描いた美しくも悲しい物語として、日本人にとって特別な存在です。須磨寺を訪れることで、歴史のロマンを感じるとともに、人間の心の奥底に触れることができるでしょう。
📖

生成AIはなんて便利なんだ。人間が馬鹿になっていきそうだ。それはそうと、他にも弘法大師にゆかりの寺でもあった。弘法大師は須磨寺奥の院に祀られている。せっかく坂道を上って来たんだから、もう少し上っても同じだ、と妻も思ってくれたかどうかは定かではないが、奥の院まで上ってお参りして来た。

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2024/11/02

夏旅2024 夫婦編(3)~ 安彦良和展と青いりんご ~

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8月16日(金)15:00過ぎにホテルオークラ神戸にチェックインして16:00には兵庫県立美術館に到着していた。安彦良和展を観賞に行くという目的の神戸泊だったが、その後の行程を考えると初日に訪問するのがもっとも効率的だという結論に達していた。正解だったと思う。

安彦良和さんといえば機動戦士ガンダムの作画監督として有名だが、個人的には安彦さんの絵が好きだ。うちにはアリオンの版画もある。アリオンの頃の美しい線は素晴らしいが、今回の展示で漫画家を目指されていたころの原画(大学ノートに書かれたものなど)を見ると、手塚治虫や横山光輝などの巨匠のタッチによく似ていて驚く。確かに初めから上手いのだが、アリオンの線とはまったく別人かというくらいに漫画のタッチなのだった。アニメ制作が作画に大きく影響しているんだろうなと感じた。

またストーリーテラーとしても独特の感性を持っている人だ。それは『原点 THE ORIGIN』を読んだ頃から感じていた。学生運動の闘士だった経歴から左翼思想といえばそれまでかもしれないが、そんなイデオロギーだけで括ってしまう凡庸さを簡単に飛び越えて、理想の共同体意識とか人物へのまなざしが大きい。SF作家たるものそのくらいの大きな視点や人類への冷徹な視線を持ってこそ描ける世界があると思う。

閉館のアナウンスが流れる頃、美術館の外に出た。兵庫県立美術館のシンボルといえば安藤忠雄の青いりんごだ。野口五郎の「青いリンゴ」を口ずさみながら、というのは独身時代までで今回はやらなかったが、二人で見に行った。草間彌生の黄色い南瓜赤い南瓜、そして安藤忠雄の“青春のシンボル”青いりんご。夏旅夫婦編で信号色がそろった瞬間だった(笑)。巨大な果物のオブジェってのは、ただそれだけで、偉大だと思う。

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美術館を出て三宮まで戻り、まったく予約もしていなかったが神戸牛を食べようと探してステーキ仙さんへ。インバウンド全盛期だからか外国人客ばかりだった。食べ比べセットを注文して食べてホテルへ帰った。一日中天気は良く夜景も美しかった。

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2024/09/01

夏旅2024 夫婦編(2)~ 新神戸着 ~

8月16日(金)の昼には徳山駅から新幹線のぞみ148号で新神戸に行く予定にしていた。しかし前日の夜、実家でスマートEXを見ていると台風7号の影響で動いていない新幹線のリストが掲載されていた。新大阪から東京までの新幹線は全面運行停止というのは知っていたが、新神戸までは動くと高をくくっていた。しかしなんとなくリストを覗いてみると、のぞみ148号は運行停止リストに載っていた…。

のぞみ148号は博多から東京まで乗り換えなしで行ける新幹線だったからか、博多から新大阪までの西日本を含めて全面停止になっていた。これはまずいと、21:30頃だったが別の新幹線を探した。すでに徳山から乗り換えなしで新神戸まで行ける新幹線さくらに空きはなかった。そこでこだま850号で徳山から広島までで行き、そこから運行停止リストになかったのぞみ26号で新神戸まで行くことにした。

こういうときスマートEXは便利だ。その場で変更できた。2019年に実家から直島に向かったときは、前日の台風情報や運行停止案内を見聞きして徳山駅に向かって手続きをしたものだ。

翌11:00、母の運転で徳山駅の新幹線口まで送ってもらった。80歳を超えるが住み慣れた徳山の街はいまでも運転して出かけている。免許返納をとはなかなか言えない。徳山の街中は走りやすいのが幸いだ。

徳山駅に着くと運行停止新幹線リストの貼り紙があった。みどりの窓口や券売機の前には行列が出来てはいたが、以前ほどの混雑はなかった。おそらく前日までに交通情報が行きわたり、予約変更もされ、新幹線の臨時便も出たりしていたので8月16日に上り新幹線の混乱も少なかったのではないかと思う。我々もSuicaで徳山駅の改札口を入った。昨晩スマートEXで変更した列車の座席番号用紙が乗り換え後も含めて2枚改札機から出てきた。便利な世の中になったものだ。便利になるスピードと自然災害が強大になっていくスピードとが相関しているような錯覚すら覚える。

●新神戸からホテルへ直行

広島での乗り換えもスムースで、乗り換えの不便さはほとんど感じない。ただ、持って行ったスーツケース(アメリカン・ツーリスターのテクンナム・スピナー)の取っ手がやはり厳しい。宮崎旅行で壊れて汎用品に取り換えたが、それもネジが甘くすぐに取れそうになる。ネジが取れるたびに荷物を出して、中に転がっているネジを拾いプラスドライバーで取っ手をつけるため、ドライバーも持ち歩いた。とにかく早くこのスーツケースからオサラバしたい!

新神戸から電車で三ノ宮へ。今回はホテルオークラ神戸で二泊の予定にしていたので、ホテルまでのシャトルバス乗り場に向かった。神戸泊は台風が来るからではなく、せっかくなら帰りにどこかに寄りたいなと以前から話していて、ちょうど安彦良和展を兵庫県立美術館でやっている時期だったので神戸泊にしたのだった。妻も神戸牛や南京町で美味しいものが食べられるならと承知してくれたわけだ。

シャトルバスの車内は混んでいた。係員の方に私のスーツケースの取っ手が取れやすいと話すと丁寧に社内に持ち込んでくれた。着いたのは14:30頃だったが、ホテルまでの道路はそこそこ混雑していた。

ホテルオークラ神戸は海沿いのメリケンパークの横なので、土地勘がない我々は、街中に出るには毎回シャトルバスか巡回バスかタクシーかで三宮まで来る必要があるのかなと思っていたが、南京町が大変近く元町駅なら難なく歩けることが分かりホッとした。

20240816_145851s ちょうど15:00頃にホテルにチェックインできた。19階の部屋だったが観覧車側ではなかった。とりあえずホッと一息つきたいところだが、新幹線のなかで今後の予定をいろいろと考えたところ、着いたその日に兵庫県立美術館に安彦良和展を観賞するのが一番効率がいいという結論に至っていたため、すぐに出発することにした。

兵庫県立美術館に行くには三ノ宮駅まで出る必要があったのでホテル玄関横からのシャトルバスを利用した。阪神本線の神戸三宮駅から岩谷駅まで電車に乗り、そこから美術館まで歩いた。16:00少し前に到着した。

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夏旅2024 夫婦編(1)~ 徳山帰郷 ~

今年の夏旅は台風が集中した8月14日から18日までを予定していた。8月8日頃に小笠原沖で台風5号が発生し、12日には南鳥島近海で台風6号が、翌13日には強力な台風7号、14日にはその東海上に台風8号が次々に出現した。一時は4つの台風が東日本の天気図に描かれていた。

昨今の気象予報はかなり正確であり、この一連の台風は東海地方から東北地方までを暴風雨に巻き込むことはほぼ確実と考えられた。メディアも連日台風への警戒を告げており、お盆を直撃した台風によって予定変更を考えた人も多かった。

台風といえば例年、フィリピン沖や台湾、沖縄の近海で発生し、九州から本州へというコースが多いが、台風5~8号は明らかにその想定コースから外れていた。どれも東日本に上陸または東北沿岸を舐めるようなコースだった。

台風に先駆けて大きな地震もあった。8月8日に日向灘で震度6弱(M7.1)、8月9日神奈川県西部で震度5弱の地震が起き、気象庁は南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を初めて出した。

地震情報と台風情報を受け、交通各社の運行停止や減便が相次いだ。特に8月16日(金)の台風7号が最も警戒され、8月10日(土)から3連休でお盆休みと合わせて遠出や帰郷をしていた人たちは8月15日のうちに帰宅しようと駅や空港に詰めかけた。JR各社も8月16日の新大阪~東京間は全便運休を決め、前日の8月15日には増便して何とか8月15日のうちに東日本方面の乗客を戻そうとしていた。

そんななか、私たちはどう動くかを考えていた。

●8月14日に徳山へ

8月14日(水)の下り新幹線は動いており予約もしてある。これは問題なく乗れるはずだ。それ以前にお盆休暇で動いていた人たちはこの地震と台風とで早めに上り新幹線で戻ってくるだろう。またここからは出発を取りやめる人も多いだろう。だったら逆に行った方が良いと思った。台風の関東にいる必要はない。山口県の実家でやりすごせばよいと思った。

新型コロナの影響で2022年の夏旅以降、実家に帰っていない。2年前のときも台風8号が関東を襲っていたため実家に一泊することにしたのだった。また今年は父が入院や通院を繰り返していたため両親に顔を見せに帰りたいと思ったし、妹の子どもたちも出産、就職、結婚と三者三様のめでたい状況にもあったので、近況も聞きに帰った。妻の実家にはもともと今夏は帰れない予定だったが台風の影響でかえって予定していなくて良かったかもしれない。

実家には二泊した。8月16日には新神戸に行く予定にしていた。これも台風5号が来る前からの予定だった。せっかく山口県まで行くなら、とんぼ返りでなくどこかに寄りたいということで、ちょうど兵庫県立美術館で「描く人 安彦良和展」をやっていたのでこの美術展を目指すことにした。6月に雑誌『芸術新潮』で特集されていて、観に行きたいと思っていたのだが、神戸では難しいとなかばあきらめていたので、この機会は逃すまいと思ったのだった。

実家では特に何をするわけでもなかったが、そういう時間を過ごせることが大切な気もする。妻もうちの両親には何度かしかあったことがないわけだが嫁姑問題が皆無なのは良いことだ。出産間近の妹の三女も夫婦で顔を見せた。私たちの結婚式でリングガール(高校生だったが)をしてくれた子が母親になるわけだ。春に結婚した長女はすでに実家を出ていて会えなかった。就職が決まった次女は名刺交換(という行為)をしたいというので、たまたま名刺を持ち歩いていた私と名刺交換した。

8月15日には妹の出社時間に合わせて車に同乗させてもらい妻と駅前まで散歩しに出掛けた。徳山(周南市)の街中は高校時代とはずいぶんと変わった。駅前なんて知らない土地のようだ。駅前からみなみ銀座、銀座通り、銀南街とめぐって青空公園あたりまで暑いなか歩いた。シャッター商店街はお盆だからか人影もまばら。昔の活気は完全に失われていたが、新しい商業ビルも出来つつあるし、ところどころにおしゃれなカフェも出来ていると妹には聞いたから、活気を取り戻してほしいものだ。

昼は駅前のカフェクラブ・ミルに入った。徳山にいた頃は入ったことがなかったが、雰囲気のよいカフェだ。前にローカル路線バス乗り継ぎの旅で太川さんと蛭子さんが立ち寄っていたはず。それを覚えていた。

その後、駅ビルの土産店で、お菓子をいくつかと、地元の酒蔵はつもみぢの銘酒原田の特別純米酒と純米大吟醸、それと特別純米酒西都の雫の3本を買った。実ははつもみぢの原田くんは中学時代の同級生なのだ。両親や妹と飲み比べしようと買った(妻は下戸)。そしたら、たまたま妹も原田の純米吟醸を買って帰って来たので4本の飲み比べが出来た。評価としては大吟醸が美味いのは当然だが、米が山田錦でない「西都の雫」もみんな高評価だった。私もそう思う。徳山土産は獺祭ばかりでなく西都の雫もお薦めできる。


 

 

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2024/06/30

鎌倉プチ散策(後編)

20240617_070848 6月17日(月)朝5:00にスマホのアラームで目覚めた。疲れはあったが寝起きは良かった。シャワーを浴びて、昨日のフルーツ大福の残りを食べ、コーヒーを飲んだ。鶴岡八幡宮まで徒歩1分の好立地で、屋上もあるGEN HOTEL KAMAKURA(源ホテル鎌倉)なので、6:00過ぎに屋上に上がってみた。天気も良く、森からは鳥のさえずりが絶え間なく聞こえる。鶴岡八幡宮にはちらほらと観光客もいたがさすがに空いている。明月院までは歩くつもりなので、途中までは八幡宮のなかを通って行こうと思った。

荷物を片づけたりしていて7:00出発は出来ず、7:30ごろのチェックアウトとなった。チェックアウトは返却ポストに鍵を入れるだけ。簡単であっけない。

20240617_074434 鶴岡八幡宮から明月院まではおよそ徒歩30分だ。多少の高低差はあるが知らない道を散策するのは二人とも好きなので途中にある寺院なども眺めながら歩いていた。建長寺のそばに桑田佳祐(サザンオールスターズ)の出身校である鎌倉学園高校があり、ちょうど通学時間帯だったため大量の男子学生が向かってくる。最初は避けながら歩いたが歩道も細いため、押しボタン式の横断歩道で逆側の歩道に移動した。

北鎌倉駅の手前を右に折れるのだが、すでにそこには警備員さんが立っていた。しかし行列はまだない。そのまま歩いていくとついに行列の最後尾が見えてきた。7:57だった。開門(この時期は8:30)まであと33分。最後尾にも警備員さんがいる。「どのくらい並んでいますか」と訪ねてみると「まぁ50人くらいかな。開門すればすぐに入れますよ」とのことだった。

20240617_090102並んでいる間もウグイスやガビチョウが鳴いている。バッタや蛾も見つけた。月曜にして正解だったが、後ろにも次々と行列が出来ていく。

開門すると入場料を払う列が3つに分かれる。A,Bルートは混むが左手のCルートが空いている。ただしCルートは人気撮影スポットの石段からは少し遠い。この辺りのコース取りは何を目指すかで決める必要がありそうだ。私はBルートにした。前の人がお釣りをもらうなどして少し時間がかかった隙に石段の前にはスマホやカメラを構えた人だかりで大渋滞してしまった。

とはいえ、誰もが同じような写真(石段と紫陽花)を撮るわけで、個人的にはそういう写真を撮る群衆というテーマのほうに興味がある。負け惜しみでなく(笑)。私はその群衆のなかに入り群衆と石段と紫陽花の写真を撮ったりした。妻は早々に石段前からは離脱し、まだほとんど誰もいない左側の側道の紫陽花の写真を撮ったりしていた。私も群衆の写真を撮り終えて妻と合流した。

20240617_081858この石段は開門からしばらくの間(おそらく一時間程度)は写真撮影の群衆へのサービスとして立入不可の不文律があるようだ。石段の上下には木製の立入禁止スタンドが立ててある。しかし歩いてはいけない訳ではなさそうだ。群衆の白い目に耐えられれば誰もいない石段を歩くのを誰も止められない(文句は出るかも)。実際、私が上から門越しに群衆を眺めていると、まだ立入禁止スタンドがあるにも関わらず、おじいさんが石段中腹の向かって右手からゆっくり現れ、石段を歩いて上がって来た。かくいう私も「上から門越しに群衆を眺める」という行為は写真待ちの群衆には甚だ迷惑だったかもしれず、そのおじいさんが横にそれたタイミングで私も妻に促されてウサギ小屋の方へとフェードアウトした。

20240617_082327 時間を戻そう。側道を歩いていくと悟りの窓と呼ばれる撮影スポットがある。ここも行列になるそうだが、この日はまだ石段で写真を撮っている人が多く丸窓は数人待ちレベルだった。この丸窓も誰もが同じ構図で撮影するスポットなのだが、せっかくなので撮影してみた。もう少し待てば、丸窓の先の庭にも入れる(期間限定)らしいのだが今回はパスして、花想い地蔵(こちらも撮影スポット)を拝んで撮影しウサギ小屋へ。

ウサギ小屋の前に紫陽花との撮影スポットがあり、夫婦で自撮りしようと悪戦苦闘していたら、サングラスをかけて小麦色の肌をしたいかにも湘南っぽい女性が「撮ってあげましょうか」と声をかけてくれていい写真が撮れた。ありがとうございました。

出口を出ると立派な竹林を通って入口方面へ。小一時間もいただろうか。ちょうどこのとき石段下では係員が立入禁止スタンドを撤去していた。これが撤去されると誰もが石段を歩いて登り出す。写真から群衆を消すことが不可能な時間となるのだ。

既に大勢の外国人ツアー客が小旗を振っているガイドとともに並び始めていた。鎌倉にいるとインバウンドは本物だと実感する。様々な外国語が左右から聞こえてくる。

●鎌倉駅前小町通り

20240617_091046 ここからは鎌倉駅方面に切通しを通って向かうことにした。結構な高低差があったが木漏れ陽が気持ちいい。途中で寄った寿福寺では大佛次郎北条政子源実朝のお墓を拝みに行った。高浜虚子のお墓もあったが大きなアブが飛んできて撮影できず。妻はお墓には興味がなく(虫の多さを嫌がり)階段下で待っていた。

20240617_101309 鎌倉駅まで戻って何か食べようとラ・ブティック・ドゥ・ユキノシタ・カマクラの玄関前で開店を待った。以前、テレビで長島一茂さんがここのクッキーを買っていたことを妻が覚えていたのだった。朝から歩きっぱなしで疲れたためイートインでマンゴーのケーキとドリンクを食べた。

20240617_101303 窓外には浴衣にブーツといったいで立ちの外国人の女子がいて、せっかくなら履物もちゃんとすればいいのにと話したが、どうやら浴衣にブーツという「浴衣コーデ」が確立されている時代のようで、それもひとつのコスプレとして成立しているとネット検索をしてわかった。なにが正解かわからない時代だ。いや、正解を探す必要はない時代なのかもしれない…。

土産のクッキーを買って店を出た。昼食前の一休みのつもりが結構食べておなかがいっぱいだった。昼食は映画監督小津安二郎も通ったという高級かつ丼を食べようと思っていたが無理なので、お土産屋を一通りまわり、甘味屋で冷やしうどんを食べた。

20240617_101316 とりあえず月曜でもあるし存分に楽しんだので早めに帰ろうということになり、鎌倉駅から宇都宮線の普通列車に乗って帰路に着いた。

片道一時間半のプチトリップだが新鮮だった。このくらいの距離だと一泊するのはもったいない気もするが(私たちも最初はそう思っていたが)、旅先で早起きして活動するというのもひとつの楽しみになる。「朝起きたらもうそこは旅先」という感覚は宿泊なしでは味わえない。今回は明月院に開門前に並ぶというミッションがあっての宿泊だったが、ぶらっと近場で泊まるのもたまには良いかもしれない。

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鎌倉プチ散策(前編)

6月17日(月)までを三連休にして16日に鎌倉へ出かけた。最初は臨時特急「鎌倉」で行きたいと妻が希望していたが、いろいろ調べると特急料金がかかるうえ、湘南新宿ラインよりも時間がかかる(メリットは普段走らない線路を走る乗り鉄向けのように思えた)ので、湘南新宿ラインのグリーン車で行くことにした。紫陽花の時期なので明月院(あじさい寺)を目指そうということになったが、こちらもシーズン真っただ中の土日は開門前から北鎌倉駅からの長蛇の列だということで、それなら多少でも空いていそうな月曜朝を紫陽花のターゲットとして逆算し、日曜午前中出発、鎌倉一泊、月曜早朝に明月院を目指すというスケジュールを立てた。

20240616_enoden 日曜朝8:44浦和発の湘南新宿ラインのグリーン車はそこそこ混んでいた。最初は妻と私とで1階通路側の前後の席に座ったが、新宿を過ぎるとガラガラになったので私が席を移動し、妻が窓側にズレた。10:17に鎌倉駅着。速いものだ。この日は久しぶりに太平洋を見ようということで、江ノ島電鉄に乗り換えて七里ガ浜まで向かった。曇天だったが雨になりそうな感じはなく暑かった。それにしても外国人客が多い。感覚的には日本人と半々という感じだ。何か国語聞いたか知れない。

20240616_132151 ここで早めの昼食を食べようとカレーで有名なモアナマカイ珊瑚礁まで行ったが、すでに大行列だった。それならと七里ガ浜高校の横の坂道を登った先にある珊瑚礁本店を目指そうと坂道を歩いた。沖縄以来、旅先では坂道を歩いてばかりだ。循環バスもあったが横を通り過ぎて行った。なんとか珊瑚礁本店にたどり着き、受付で名前を書く。店員に「結構かかりそうですね」と聞くと「まぁ、1時間から1時間半待ちというところですね」との答え。どうしようかと思ったが、今日は時間もたっぷりあるし、せっかく来たのだから食べていこうと並ぶことにした。

20240616_132202 「声の届くところでお待ちください」とのことだったが、1時間は確実に待ちそうだったので、向いにあるココカラファインに入ったり、並びにあるお店を眺めて散策しながら40分程度時間をつぶした。その後、店の横のベンチに座り、前の人たちが呼ばれるのを見ながら、日陰のベンチへと移った。

この日は父の日であり、外国人を交えた団体客も入ってパーティをされていた。それもあって相当回転率は悪かったと思う。テラス席に通されたご夫婦は座ってからおそらく30分は待たされていた。1時間半経ってもまったく呼ばれる感じにならず、約2時間後(117分後)にようやく呼ばれた。そのころには団体客もほぼ食べ終わっていて、私たちの注文は割とすんなり通ったようだった。団体客が去った後も、今度はドドドッと客が席につくのでフロアと厨房との間で「行けるか?」みたいな協議をしている声も聞こえた。繁盛店はなかなかに大変だ。

20240616_131606 私は茄子と挽肉のカレーライス、妻はポーク三枚肉の煮込みカレーを注文。妻は前菜にビッグサイズのオニオンリングも食べたいというのでそれも注文したが、想像以上のビッグサイズだった。そのうえ、待ち時間が長く生ビールも飲んでしまい、腹いっぱいで脂汗が出てきた。カレーは美味かったが。

食べ終わるころには青空も見えていた。気温は暑いのだが、鎌倉のそよ風は心地よい。緑が多いからだろうか。都市部の生暖かい風とは質が違う気がした。七里ガ浜駅まで降りていき、鎌倉方面の江ノ電に再び乗った。昼食がサクッと済めば、長谷駅で下車し大仏を見に行きがてら鎌倉駅まで歩いても良いかなと思っていたが、思いのほか時間がかかったので江ノ電で鎌倉駅へ向かった。小町通りを散策しながら、15:00になったので今夜の宿として予約していたGEN HOTEL KAMAKURA(源ホテル鎌倉)へ。

昨年リニューアルしたばかりでこじんまりとして奇麗なホテルだった。フロントはなく全て画面タッチで鍵を受け取る。事前登録済みだったが、なぜかスタッフに電話が繋がり、このときだけスタッフと話した。外国人観光客向けなのだろう。

20240616_150445 朝から坂道を歩いたり長時間並んだりたらふく食べたりしたので、夕方までホテルでまったり過ごした。

18:00をまわり少し涼しくなってから、徒歩1分の鶴岡八幡宮へ。さすがに観光客も少ない。ひと通りお参りして、苔寺として有名な鎌倉最古の寺院杉本寺まで歩く。16:00で閉門なのは知っていたが雰囲気だけ感じに行った。その散策中に鎌倉彫後藤久慶ギャラリーや鎌倉女子大学二階堂学舎など職人の仕事を眺めながら歩けて良かった。

その後、小町通りも少し歩いたがほとんどの店は閉店していた。翌日のお土産をどこで買うかのアタリをつけて回った感じ。昼に珊瑚礁で食べ過ぎたので夕食はいらなかったが、フルーツ大福が全品半額だったので6個買ってホテルで食べた。翌日の昼前にまた通って見たら全品半額だったからずっと半額なんだろう…。

明日は朝5:00起きで明月院の開門前に間に合うようチェックアウトする予定にして寝た。

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2023/09/17

夏旅2023 夫婦編(21)~ 最終日に元祖ソーキそば ~

●国際通りを歩きホテルを移動

首里城近くのぶくぶく茶屋で一服して、バスで国際通りに戻って来た。まだ15:00過ぎだったのでその足でアーケード街へ。明日はほとんど買い物をする時間がないため、実質今日が観光最終日。買い物なども済ませたい。お互いの実家に何か贈ろうということになり、マンゴーの店に。ちょうどよさげなマンゴーの詰め合わせを2つ選んだ。ついでに100%ギャバジュースを購入して店先で飲んだ。美味かった。

7月28日(金)の午後、台風6号が徐々に近づいていた。売り場からヤマト運輸に連絡して聞いてもらったが、今日飛べれば発送は出来るとのこと。ただもし今日飛べなかったとしても、お店に同レベルのマンゴーを送ってもらうという約束をして購入し送付状にお互いの実家の住所を書いた。結果的には選んだマンゴーが予定通り届いたようだった。

その後、ドンキホーテなどを巡って土産のお菓子類を購入し、チェックアウト後にスーツケースを預けていたハイアットリージェンシー那覇で荷物を受け取り、最終日の宿泊先、ホテル・ロコア・ナハに向かう。ロコア・ナハは国際通りの入口にあり県庁前のゆいレール駅に近い。翌日は早めに那覇空港に行く必要があるので近いホテルを選んだ。朝食ビュッフェの評判の良さも魅力的だった。部屋のサイズはハイアットの半分だったがそれは仕方がない。

スーツケースをガラガラ引いて歩くので出来るだけ短距離を行こうと Google Map でルートを検索したのが大失敗だった。斎場御嶽への道のりで学習したはずなのに、街中でまたGoogle Mapのトラップに引っかかった。近いことは近そうだが、記された経路に舗装された道はなかった。下手すると私道かという感じの路地裏の坂道に連れていかれそうになった。

スーツケースを引いて途中まで行って妻に「さすがにここは無理じゃない」と言われて引き返し、国際通りのなかを歩いた。

●最終日に元祖ソーキそば

16:00過ぎにホテル・ロコア・ナハに着きチェックイン。少し休んで夕食はソーキそばを食べに行くことにした。ここまでホテルの朝食ビュッフェの沖縄そばは少し食べたが、いわゆる本物は食べていなかった。そこで我部祖河そばでソーキそばを食べようということになった。探すと久茂地店という新しい店舗が出来ていたのでそこにした。清潔な店舗だった。元祖ソーキそばを食べることが出来て良かった。宿題をひとつ終えたような気分だった。

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食べ終わると20:00くらいだった。沖縄旅行最後の夜だしちょっと散歩しようと、サガリバナの樹という街路樹を目指して歩き始めた。もうあたりは暗くなっていたので、夜だけ咲くサガリバナも咲き始めるころだろう。ここは地図にも載っているくらいなので、きっと綺麗なサガリバナが見られるんじゃないか。そんな思いで徒歩18分ほどの街路樹を目指した。

サガリバナは2013年に石垣島の群生地で見たことがあった。そのときの美しさに感動したので妻にも見せたいと思ったわけだ。

行ってみると街路に1本だけサガリバナの樹があった。それもあまり綺麗ではない。旬の季節も終わりごろではあったし、街路樹でまわりも明るいし、なんとなく思い描いていたサガリバナとは違っていた。石垣島のサガリバナ(下の円囲み写真)は群生地でもあり昼にロケハンまでして夜中に懐中電灯を準備して向かったわけで比較は出来ないけれど…。

とはいえ、妻に本物のサガリバナを初めて見せることはできた(萎んだものは名護のガジュマルの大樹の側で遭遇済みだったが)。いつか石垣島の群生地も見せたいと思った。

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サガリバナを見終わってホテルに戻ろうと歩き出した。道端に竜頭の置物があった。歴史的に由緒正しい建造物かと期待したが「くにんだなかみち」と書かれた新しいものだった。最終日なのに Google Map で通り抜け不可能な路地裏に連れて行ったり、結構歩いて見に行ったサガリバナがいまいちしょぼかったり、なんとなくついていない感じだった。

しかしタイムスビルあたりまで戻ってくると、FIBAワールドカップ2023沖縄大会の大きなラッピングなどが見えて来て、少し気持ちが楽になった。このときはまだバスケファンになっていない私だったが、妻は沖縄に来た時からゆいレールのラッピングを写真に撮ったりしてバスケットボールも好きだったので、このビル柱のラッピングで少し気分も上がったようだった。

こうして沖縄旅行最後の夜は過ぎていった。

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翌7月29日(土)朝、ホテル・ロコア・ナハの朝食ビュッフェは評判通り美味かった。沖縄観光目線での食材の種類も豊富でここぞとばかりに食べ過ぎた。食べ終わって部屋に戻ろうとしたら、泡盛の瓶を発見。そういえば泡盛もこの旅行で飲んでいなかった。従業員さんに聞くと試飲できるように置いてあるという。朝っぱらではあったがもうあとは飛行機で帰るだけだしと、瑞穂と海人と両方試飲した。

個人的にはシチュエーションも手伝ってか「海人」(まさひろ酒造)という泡盛が断然気に入った。クセは強くなくスッキリ飲みやすい。帰りに空港の売店で探し回ったがその店にも置いていなかったのが残念だった。

10:00にチェックアウトした。ルートビアと遭遇したA&Wもすでに懐かしい。その1階にあるシーサークッキーでも土産を購入。その後、国際通り入口にある宝くじ売り場でサマージャンボを購入して那覇空港に向かった。

12:00頃発のJAL906便で羽田へ向かった。隣の席には小学生低学年っぽい男の子がひとりで乗っていた。かなりぐずっていてバタバタさせる靴が妻に当たる。離陸時もシートベルトをしていられずすぐに外して歩き回ろうとする。CAさんが複数名で声をかけたりグッズをあげたりして、妻も話しかけたりアニメの見方を教えたりして何とかなだめていた。

こうして2023年の夏旅(夫婦編)は終わった。6泊の旅行だったが、ゆいレールとバスとタクシーそして徒歩だけでもかなり充実した沖縄旅行になったような気はした。埼玉県に帰宅した二日後の7月31日から台風6号が沖縄、奄美地方に上陸し、そこから一週間居座り大きな爪痕を残した。少し日程がずれていたら大変な旅行になっていたかもしれない。

日本の夏はこれからどうなっていくのだろう。年々勢力を増す猛暑、豪雨、台風。これを書いているのは9月17日だがいまだ気温30度あたり。長崎県では線状降水帯がまた発生している。夏の旅行はこれらの気象状況の間を縫っていくギャンブルのようなものになりそうだ。

【完】

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夏旅2023 夫婦編(20)~ ぶくぶく茶 ~

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首里城公園を出て沖縄県立芸術大学の側を通って向かったのはぶくぶく茶屋の嘉例山房(かりーさんふぁん)。那覇バス首里城公園入口バス停の近くにある。入るとアンティーク(?)な空間。階段をあがってすぐのテーブルに通された。

ぶくぶく茶を飲んだことがないと伝えると手順を教えてもらえた。いろんな味のお茶や飲み物が選べる。これらがどれも泡立つのだろうかと不思議に思っていたのだが、飲み物自体が泡立つのではなく、好きな飲み物(アイスでもホットでも)を選んで、その上に別の器で泡立てた泡を乗っけて飲むという二段構造の飲み物だった。

妻は薬草茶のホットを選択。私はレモングラスだったかハイビスカスだったか冷たい飲み物を選んだ。どちらもぶくぶく茶は1200円だった。

しばらくして私のぶくぶく茶セットが来た。最初はお手本のようにお茶に泡を乗せてもってきてくれた。その泡の量は山盛りだった。つかみはオッケーだ。しかしそれだけの山盛りの泡を自分たちで立てることは最後までできなかったが…。

妻のお茶が来る前に、別の器に泡立て用の液体が入って来た。これを専用の茶せんで素早く表面だけをシャカシャカ泡立てる。立った泡を横によけつつその作業を繰り返し、それなりに泡が溜まったところでお茶の上に茶せんで掬って乗せるというシステムだ。

なかなか難しい。泡立つことは立つのだが、あまり大きな泡にならない。混ぜ方の問題だろうか。それでもそこそこ泡立ったところでお茶に乗っけて口をつける。伝統の様式美を体験する。

泡がなくなればまたシャカシャカ泡立てて乗っける。この泡立つ液体は何なのだろう。山盛りには出来なかったが最後まで泡立った。黒糖なども泡にまぶして飲んだりも出来る。

お茶そのものが美味いかどうかというよりも、琉球伝統のぶくぶく茶を体験できるというアトラクション的な楽しさがあった。セットには素朴なお菓子や南国フルーツも添えられていてとても美味しかった。

小一時間、ぶくぶく茶を飲みながらお菓子やフルーツを食べ、次のバスの時間が近づいたところで店を出た。店の近くにバス停があるのはありがたい。バスで国際通りまで戻った。15:00頃だった。

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夏旅2023 夫婦編(19)~ 修復中の首里城へ ~

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7月28日(金)沖縄観光最終日だ。朝はハイアットリージェンシー那覇の朝食ビュッフェ。さすがに美味い。ここまで早起きばかりの日々だったので、ちょっと遅めに9:00過ぎに食べ、11時まで部屋でまったりした。何から何までホスピタリティの高いホテルだった。

最終日なので近場かつ最大の観光地のひとつ首里城へ行くことにした。首里城正殿は2019年10月に火災で失われていた。いまも復旧作業が続いている。この復旧作業への支援はふるさと納税でも出来るため、当時は私も寄付していた。その現状を視察に行った感じだ。

国際通りにまた戻ってくるため、ホテルをチェックアウトした後もスーツケースはホテルに預かってもらい出発。ホテルの目の前が壺屋やむちん通りだった。店はまだほとんど閉まっている時間だったが通りを歩いてみたくて壺屋バス停に向かうことにした。古風だが美しい通り、美味しそうなカフェもありそうだ。

壺屋バス停にバスはほとんど止まらない。そこでバスを待つ人もほとんどいないような気がする。そんなバス停だったが平日11:29発で11:40に首里城公園入口に着く17系統があったのでそれを待った。バス停前の道路は結構な交通量だった。少し遅れてバスが来た。

●再生を望む首里城

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首里城を訪れたのは昭和53年以来だ。当時は小学生だったのでほとんど覚えていない。日本返還6年後のことで蛇とマングースの戦いを見たことと当時のバスガイドさんが左右逆になって交通事故が多いという話をされていたことだけハッキリ覚えている。

首里城公園についてまずレストセンターに入った。首里城の歴史や行事などがパネル展示されていた。その後、焼失した本殿方面へ。高台なので景色がいい。琉球の香りは失われていなかった。

復旧作業も歴史の一里塚なのでこれはこれで興味深く見学した。城跡公園として残すのではなく、あくまでも城郭を再生しようとすることの意味を考えたりした。明らかに日本の城とは異なる大陸風の建築様式に近い風情だ。レプリカとなってもその琉球建築をカタチとして残していくことは観光的にはもちろん重要なのだろう。それ以上に首里城は琉球だけに存在した歴史・文化そのものだからだと思う。

●沖縄県立芸術大学

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首里城からの眺めでもっとも近くに目立つ建物は沖芸こと沖縄県立芸術大学だろう。沖芸は1986年創立という。その色合いやフォルムに名護市役所と同じ匂いを感じた。設計は㈱石本建築事務所・㈱二基設計・近代設計の設計企業体だという。沖縄を代表する建築のひとつだと思う。

名護市役所は1981年の建築だから沖芸とほぼ同世代の建築だ。名護市役所が老朽化ということはこちらも老朽化の時期に入っていく。今後が心配だ。名護市役所のように建て替えの話なども出てくるのだろうか。首里城と周辺の緑地と混然一体となった景観を残して欲しいと思った。

しかしもともとは自然を破壊して大型建築を作ったわけで、それが長い時間とともに歴史となり景観となり、今度は残したくなるんだから人間というのは勝手なものではある。おそらく大型建築というものはそんな人間の身勝手さの上に成り立っている。それだけに説得力が重要になってくる。

2023年9月現在、都内では神宮外苑を再開発という名のもとに破壊し商業施設の建設が始まろうとしている。今年亡くなった坂本龍一が開発阻止を求めて遺言のように残した東京都知事への手紙は波紋を呼び、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が樹木伐採などを阻止するよう東京都や事業者に事業計画の撤回・見直しを求めたりしている。

開発が阻止されても進められても100年後にはそれが歴史となり文化となる。そこに豊かさがあるかどうかとは別次元で物体として何らかの結果が残る。そのうつろいのなかで身勝手に生きるのが人類なのだ。それを承知のうえで、建築好きとしてはせめてそこに単なる金儲けというだけない説得力を求めたい。

沖芸の建物にもっと近づいてみたくなり首里城を出て沖芸まで降りて行った。さすがに中にまでは入らなかった。沖芸食堂は一般人にも開放しているそうなのでそこで食べたい衝動もあったが、この日はその後ぶくぶく茶を飲みに行く予定があったのであきらめた。

私は高校生時代に芸術大学を目指したことがあった。合格した私立の芸術大学もあったが結局はそちらの道はあきらめた。そのとき、沖芸も候補に挙がってもおかしくなかったはずだが山口県から東側にしか意識が持てなかった。当時創立間もない沖縄の芸大なんて、いま考えると非常に魅力的に思える。あのとき沖芸の存在を知っていたら未来は変わっていたかもしれないなとちょっと思ったが、まぁないかと思い直した。インターネットなどない時代、情報は都会でしか得られないと思っていた。

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2023/09/09

夏旅2023 夫婦編(18)~ 那覇に戻って散策 ~

佐喜眞美術館から那覇に戻って来た。名護から那覇に帰って来た時はとりあえず県庁北口を目指したが、途中の駅前で降りることを学習した我々はゆいレールのある古島駅前でバスを降り、ゆいレールに乗り換えた。宿泊地のハイアットリージェンシー那覇はゆいレールの牧志駅が最寄駅だが、この日は牧志駅を通り越して美栄橋駅まで行った。妻の行きたいスイーツ店を目指して…。

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ゆいレール内はFIBAバスケットボールワールドカップ2023沖縄大会一色だった。これを書いているのは9月なのですでに大会は終了している。人生においてこんなにテレビでバスケットボールを見て日本チームを応援したことはなかった。熱狂した。今回の沖縄旅行で広告に触れていたからというだけではない。ほんとにハラハラドキドキの逆転勝ちという展開続きだった。その結果48年ぶりに自力でパリ五輪出場権獲得(前回東京五輪は自国枠で参加)。そんな日本チームの物語に熱狂したのだった。やはり物語を背負うとスポーツは強いコンテンツだ。

●サーターアンダギーの名店うなりざき

美栄橋駅でゆいレールを降りると雨が降っていた。傘をさして若狭公園方面に向かって川の側の道をまっすぐに12分程度歩き左に曲がるとサーターアンダギーの名店うなりざきがある。他のサイトで見ていた写真とくらべて店の看板が新しくなっている。文字がクッキリしていた。

着いたのは14:40頃だった。15:00頃には閉店なので急いで行った。人気店なので完売していたら早めに閉まってしまうこともあるそうだが、店の前には「営業中」の札が見えた。

中に入ると販売カウンター越しにお店の方と対面する小さなお店。カウンターの上に紅いもサーターアンダギ5個入が5袋程度あった。不愛想なおばさんだという噂を他のサイトで仕入れていたが、そういうときこそ話しかけたい衝動に駆られる。

「15:00で閉店と聞いて急いで来たんですよ。あってよかったです。」
「今日は雨だからね。」
「あーそうかぁ。雨でも来てよかった。」

そんな会話(?)をしながら2袋購入した。ホテルに戻ってから1袋あけて食べた。確かに美味い。これは人気が出るわけだ。

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佐喜眞美術館で購入した「平輪ちんすこう」も他にはない美味しさだったが、ちんすこうにしろサーターアンダギにしろ、正直なところ記憶にあるのはパサパサしてるだけのイメージだった。やはり本物を食べなければダメだな。記憶のなかのパサパサした沖縄菓子が次々と美味しい沖縄菓子で上書きされた旅行でもあった。

●国際通り・平和通り・市場中央通り

うなりざきを出てゆいレールで美栄橋駅から牧志駅へ。ハイアットリージェンシー那覇に戻り、朝預けたスーツケースを受け取りようやくチェックインした。このときフロントで爪切りを借りたいと伝えて部屋に届けてもらったのだが、その爪切り「匠の技」がめっちゃ切れ味が良く、帰宅後購入してしまった。

雨の中を出歩いていたせいもあるが、ハイアットリージェンシーは本当に快適だった。部屋で紅いもサーターアンダギを食べながら、もう出歩かなくていいんじゃないかと思ったりしていたが、しかしは腹は減る。ホテルの近くに石垣牛ステーキが食べられる琉球ステーキ究があったのでそこに食べに行った。カジュアルな店で良かった。

沖縄の家庭には必ずあるというA1ソースも言えば出してくれると書いてあった。ウエイトレスさんにどんな味か聞いてみたら、外国人のウエイトレスさんで「うーん、ちょっと酸っぱい…?」といった反応。ものは試しでA1ソースを出してもらったが、まぁ家庭用中濃ソースみたいなソースでせっかくの石垣牛ステーキには合わなかった。一口だけA1ソースで食べたが、やはりステーキはワサビに塩がいい。

琉球ステーキ究を出て少し散策した。明日が沖縄観光ラストデーなので、お土産関係は明日購入する予定だったが、多少アタリをつけておきたくもあった。国際通りのれん街の前に人だかりが出来ていた。近づいてみると獅子舞が踊っていた。若いエイサーの集団だった。

しばしその踊りと太鼓の音を気持ちよく聞いていた。その数曲の中になんとも懐かしいようなセンチメンタルな楽曲があった。少女がひとり中心で踊り、左右をガタイのいい青年が固めて太鼓をたたきながら3人で踊る楽曲だった。あの曲のタイトルを知りたいと思ったがいまだわからず仕舞いだ。

国際通りを歩いているとハワイアンらしき楽曲をよく聞く。いや音楽だけじゃない。沖縄の様々な場所で似非ハワイを感じるときがある。しかし沖縄のコンテンポラリーとか琉球民謡、琉球文化にもっと誇りを持っていい。ハワイの代替で沖縄に来ているわけではなく沖縄、琉球を求めて来ているのだ。もっと琉球らしさに触れたい。そんな思いのなかで聞いたエイサーの音色がやけに美しかったのだった。

国際通りから分岐しているアーケード街も歩いた。中央市場通りや平和通りだ。作ろうとしても作れない迷路のような路地だ。沖縄の小説家目取真俊に『平和通りと名付けられた街を歩いて』(影書房)という作品があるが、その平和通りだ。目取真俊さんは2016年に浦和を来訪し講演会をされた。一触即発の後援会だった。今年10年ぶりの短編集『魂魄の道』が発行された。アーケード街を歩くと私の故郷徳山の元気だった頃の銀南街を思いだす。徳山にも平和通りと名付けられた道があった。20230727_195619_3p

アーケード街のなかで土産物をひと通り物色して、妻の大好きなドンキホーテも覗き、ホテルに戻って来た。ウェルカムドリンクを飲んでいなかったので展望バーにウェルカムドリンクを飲みに行った。夜景を見ながらのウェルカムドリンクも実に美味しい。ウェイターが何度か注文を取りに来たが、ウェルカムドリンクだけを飲んで部屋へ戻った。次回はちゃんとディナーで来たいと思う。部屋でオリオンドラフト氷点下貯蔵ビール缶を空けた。

 

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2023/09/03

夏旅2023 夫婦編(17)~ 佐喜眞美術館 特別展 ~

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7月27日(木)の正午前、佐喜眞美術館最寄りの上原バス停に近づく頃、雨が降り始めた。バスを降りて美術館まで徒歩5分。美術館の玄関に着くころに大雨になった。今回の旅行でもっともザアザア降りの雨に降られたのがこの時だと思う。

当初、佐喜眞美術館には草間彌生の絵画が所蔵されているのでそれが見られればいいなと思っていた。直島博多、さらに都内と草間彌生さんの南瓜を見てきたので引き続き草間彌生つながりで目にした美術館だった。

ただ今回の旅行期間中は特別展をしていたため草間彌生の作品展示はなかった。それは残念だったが常設可能なのでまた来ればいい。今回の丸木位里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」全14部の原画特別展に出会えたのは偶然ではないような思いが残った。

●丸木伊里・俊「沖縄戦の図」の原画を鑑賞

佐喜眞美術館はこじんまりとしているが、とても個性を感じる美術館だ。普天間基地に突き刺さったトゲのように、基地の土地をえぐり取るようにして建っている。美術館を建てることを前提に返還された土地だという。そこに丸木伊里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」が所蔵されており今回は2年ぶりにその原画14点が一挙公開されていたのだった。

丸木夫妻は「原爆の図」で知られている。夫婦共作で戦争の悲惨さを伝える絵画を描き続けてこられた。埼玉県には原爆の図丸木美術館がある。我々は埼玉県に住んでいるのに行ったことがなく、佐喜眞美術館を先に訪問したわけだ。丸木美術館も必ず行かなければ。

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特別展以外にも丸木夫妻の個々の作品も展示されていて見ごたえがあった。丸木伊里さんの圧倒的な水墨画「今帰仁大関」や丸木俊さんの色彩豊かな「赤シーサー」他も展示されていた。これらの異なる画風の二人が戦争画という重いテーマに生涯共作で取り組まれたわけだ。そこには戦争の時代を過ごした丸木夫妻のひとつの強い思いがあったのだろう。

美術館で購入した図録を読むと、1941年太平洋戦争が始まる直前に二人は結婚されている。そして1945年原爆投下の直後に広島に向かい一か月間の救護活動をされ、1950年からのちに連作となる「原爆の図」を発表されていた。沖縄訪問は1978年から。その後「沖縄戦の図」を描く必要性(必然性)を感じ1980年代に連作を発表された。

原爆と沖縄。このふたつの戦争をどちらも描かれたところに丸木夫妻の信念を感じる。原爆は被害者側の日本人の視点で戦争と向き合うが、沖縄戦では被害者と加害者とどちらにも日本人の視点で向き合わなければならない。米軍という鬼と日本軍という鬼による惨劇。沖縄戦には二手に分かれて逃れた洞窟の選択によって生死がわかれた史実もある。チビチリガマでの集団自決とシムクガマでの降伏による生存という明暗をどちらも描く。

私には生きている人々がより黒く描かれ亡くなった人ほど明るい光を帯びているように見える絵もあった。生き地獄という現実の闇の深さと同時に死してようやく地獄から解放される仄かな光にさらなる悲劇を見た。また絵画というメディアを通して死んだ人々による声なき声が永遠に響き続けるようにという願いもあるだろうと思った。

この「沖縄戦の図 全14部」のドキュメンタリー映画も制作されて公開されている。この日は東京都で上映中だったが、美術館ではDVDも販売されていたのでそれを購入して帰宅後に鑑賞した。その中で丸木伊里さんが「沖縄戦では日本人が撮影した写真は残っていない。だから日本人が描かなければならない」ということを話されていた。戦争の本質的な愚かさ、誰もが加害者にも被害者にもなり得る怖さを現代の日本人も日本人の立場で、ヒロシマ・ナガサキとオキナワとを知り、立体的に捉える責任があると思う。

●佐喜眞美術館の屋上に上る

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DVD以外に絵葉書と「沖縄戦の図」の図録(映画館で販売されているものと同じ)、ジョン・W・ダワーによる小冊子『戦争と平和と美 ー丸木伊里と丸木俊の芸術』、そして手作りの平輪ちんすこうを購入した。このちんすこうは人気でこれだけを買いに来る人もいるという。ジョン・W・ダワーの著書『敗北を抱きしめて』(増補版上下巻)を持っているがまだ読み終えていない…。この機会にまた読み始めようと思ったが読み始めるのに気合が必要なのだ。

ひと通り鑑賞し買い物も終え、エントランス横の受付の方に佐喜眞美術館についてもいろいろ聞いた。外に置かれた作品やこの美術館の成り立ちなど。そのうえで屋上に上った。このときすでに大雨は降り止んでいたが滑りやすいので注意しながら階段を上った。

沖縄の地上戦が終結したことにちなみ6月23日は「慰霊の日」とされるが普天間基地を眺められる屋上の階段も6段と23段になっている。この段数は6月23日にちなんで作られたわけではなく偶然だとのこと。逆にゾクッとした。ただ6月23日の日没に照準をあわせた向きに階段が設置されているようだ。

外には沖縄県立盲学校卒業生の生徒作品(1980年)が置かれている。これは危うく廃棄されそうだったところを引き取って置かれたそうだ。どれも面白い。当時の先生は今年85歳で亡くなられた山城見信氏だったのではないかと思う。

佐喜眞美術館にいた1時間あまりの間に、普天間基地から飛び立つ米軍のヘリコプターと基地に向かうオスプレイを目撃した。ここはそういう土地だ。その一角に丸木夫妻の「沖縄戦の図」が鑑賞できる美術館があることに気概を感じて美術館を後にした。

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2023/08/27

夏旅2023 夫婦編(16)~ 名護から那覇に移動 ~

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7月27日(木)早朝の名護市は雨が降っていた。二日間の名護滞在も終わり沖縄旅行の後半二日はまた那覇市へ戻って宿泊する。この日は移動日のような一日になりそうだがそれももったいないので名護から那覇に戻る途中にどこかに寄りたいと思い、いくつか候補を考えていた。

しかし高速バスを途中で降りるとそこから先の足がない。タクシーでもいいがそれも毎回呼んだりとせわしない。そこでいったん那覇まで戻ってホテルに荷物だけ預けてバスで佐喜眞美術館に向かうという計画を立てた。

●土地勘のなさを露呈し時間ロス

ここで土地勘のなさで少しタイムロスしてしまった。名護バスターミナル前から高速バスのやんばる急行バスで戻ることは予定通りだった。来た時にも乗ったので勝手知ったる高速バスだ。予定時刻より若干遅れて出発した。次に泊まるホテルは国際通りにあるハイアットリージェンシー那覇だったので、とりあえず往路で乗った県庁北口まで行けば、そこからゆいレールなり徒歩なりで牧志駅方面へ行けばいいと考えていた。

このルートは無駄が多い。ゆいレールの駅をふたつも通過している。古島駅前とおもろまち駅前だ。このどちらかでバスを降りてゆいレールに乗り牧志駅に向えば効率的だったはずだ。そのことに気づいたのはおもろまち駅前を通ったずいぶん後だった。この辺は繁華街だなぁなどとバスの中から見物していたが、そのうち那覇市内の渋滞に捕まった。

乗り継ぎ予定のバスの時間が結構ギリギリだったので、この渋滞で予定通りに県庁北口に着かないことが分かったとき、ゆいレールに乗るならおもろまち駅前で降りたら良かったのかと気づいた。しかし高速バスは前払いだし、乗ったときには手前で降りるという選択肢すら頭になかった。途中下車をやめた時点で県庁北口に行けば何とかなるとしか考えが及ばなかった。

県庁北口には予定より遅く着いたので、スーツケースを引っ張りながら速足で国際通りを歩いた。端から端まで歩くような距離だ。これは荷物を預ける時間も考えると予定のバスは無理かと思っていた。

ハイアットリージェンシーはチェックアウトで忙しそうな時間帯だった。入口を間違えて裏側の階段を上り2Fから入ってエスカレータでロビーに降りていった。荷物を預けようとカウンターに近づくと「チェックアウトですか?」と聞かれたので、「いや今晩泊まるのだけど荷物だけ預けたくて」と伝えると、瞬時に手続きしてくれてあっという間に荷物を預けられた。さすがだ。

荷物を瞬時に預けられたので、急いで正しいエントランスから外に出た。エントランスに並んだ車もいい車が多かった。さすがだ。

バス停はそれほど遠くなく、なんとか乗ることが出来た。市外行のバスは逃すと時間ロスが大きいのでハイアットリージェンシーの対応には感謝しかない。もともと良い(高い)ホテルではあるが、さすがだ。

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夏旅2023 夫婦編(15)~ あたらくしあ ~

宮城菓子店を出て夕食をどうするか検索開始。私には事前検索をして腹案があったが妻はいまいち乗り気でない。その理由は普通の居酒屋だからだという。

外せないポイントは沖縄料理、それももずくの天ぷらがマストだとか。天ぷら好きなのでそれは当然だ。私からも本場で食べるもずくの天ぷらの美味さを聞かされてもいた。

さらにこういうときの妻の美味い店を発見する検索力には一目置いているので、妻が見つけた店「居酒屋あたらくしあ」を目指すことにした。もずくの天ぷらだけでなく、店内も清潔そうで手書きのお品書きにも惹かれたようだ。

歩いて行けば16分だったが、相当疲れていたので名護十字路から名護市役所前までバス停ひとつ分をバスに乗った。ちょうど良いバスがあって助かった。

名護市役所前で降車するとまた小雨が降ってきた。折りたたみ傘をさしてあたらくしあまで6分ほど歩いた。

あたらくしあで食べ過ぎる

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お店に入ると真ん中のテーブル席に通された。予約していなかったが、空いている席があって良かった。とりあえず私はオリオルクラフト生ビール、妻はアセロラジュースを注文した。

歩き疲れた3日間、朝食はホテルのビュッフェで食べて昼はほとんど食べずに回った(朝食を食べ過ぎるきらいもあったためだが)。夕食は那覇についた初日こそ炙るチェリチェリで沖縄料理を食べたが、翌日はハンバーガー昨日はコンビニという日が続いていた。それもあって食欲は旺盛なふたりなのだった。

いざ注文しようと壁に貼ってある沖縄料理メニューを眺めたが、琉球語なのでそれがどんな料理か分からない。そこでおすすめの沖縄料理を聞いてみたところ、ナーベーラ(へちま)アーサ(あおさ)のかき揚げが旬で、うんちぇーばー(空芯菜)も美味しいとのこと。この時点でもずく天ぷらを含めそれら4品を迷いなく注文した。

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店員さんが「えっ、全部ですか?」のような声を思わずもらしたが、気にせず「あの、チマグの塩焼きってどういうの?」と聞いてみたら、ご自身の腕を豚足に見立てて「テビチは豚足のここまで、チマグはその先の部位ですよ」と教えてくれた。なるほどそれは美味そうだとチマグ塩焼きも注文した。

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ナーベーラとアーサのかき揚げが届いた。その量はプチサプライズだった。都内の居酒屋気分で注文してしまうと食べきれないだろう。アーサのかき揚げともずく天ぷらはどちらもデカい。両方頼むと食べきれない可能性大だ。ハーフ&ハーフがあればいいのにと思った。

しかしあたらくしあの沖縄料理はどれも美味かった。むさぼり食うとはこのことだ。あまりの食べっぷりにシークァーサーサワーを注文したらシロップでなく本物のシークァーサーでサワーを作ってくれて、熟したマンゴーとパイナップルをサービスしてくれた。

食べ過ぎたので、夜のタピックスタジアム名護を左に眺めながら、ホテルゆがふいんおきなわまで12分ほど歩いて帰った。こうして名護の二日目は終了。明日からはまた那覇に戻る。

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夏旅2023 夫婦編(14)~ ひんぷんガジュマルと宮城菓子店 ~

名護市役所の見学を終えて私がそろそろ夕食をどうするかと考えていたところ、妻はスイーツについて検索していた。確かにホテルに帰っても周りにはコンビニスイーツしかない。時間ももう17:00近かったので、せっかく来た市役所の近くで美味しいスイーツに出会いたいという思いはわからなくもなかった。

探した結果、宮城菓子店というお菓子屋さんがカフェも併設していた。名護市役所から歩いて13分。朝からフクギ並木や美ら海水族館に行って名護市役所のなかも歩き回って小雨も降ったりして疲れてはいたが、まぁ歩けない距離ではないと思い同意して歩き始めた。

その過程のなかで、お店の先にひんぷんガジュマルというジャイアント・バニヤン・ツリーがあることも知った。大きなガジュマルの樹はガンガラーの谷で見てから興味も高まっていたので、その樹もついでに見学に行った。車道を左右に押しのけるようにして、道のど真ん中にでっかいガジュマルの樹が立っていた。

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樹齢約300年のガジュマルの大樹。車道に挟まれてそびえ立つこのガジュマルが歩きだしたら大変だと思いながら見ていた。その側にちょっとした広場があり説明文などもあった。そこにしおれたサガリバナらしき花も見つけた。この花も夜には咲くのだろうか。2013年に石垣島の群生地で見たサガリバナは見事だった。あのレベルのサガリバナをこの旅の途中に妻にも見せたかったが、さすがに道端のサガリバナは群生地のようにはいかない。

ひんぷんガジュマルを見て、名護十字路にある宮城菓子店に向かった。カフェコーナーは店の一角に一席と外にテーブルがあった。夕方とはいえ暑かったので店内で紅芋モンブランのケーキセットをいただいた。

●宮城菓子店でスナップ写真

食べ終えてお会計の前に、店のマスター宮城栄進さんとお話した。埼玉から来たと話すと、埼玉県に住んでいたことがおありだということで、しばし埼玉談義をした。製菓衛生士免許証を平成4年に東京都で取得されたとのことで、その免許証も見せていただいた。鈴木俊一都知事時代だ。話好きの明るいマスターだ。

後進の指導もされているようで店の中にはこれまでの教え子の写真がたくさん飾られていた。沖縄の四十九日にはお菓子は欠かせず、最近はそういう昔からの風習も知らない人が増えたので、そういうこともお客さんに教える立場になっている。またその風習のおかげで店も続けられるとおっしゃっていた。

最後に記念写真も撮らせてもらった。こんな出会いはスイーツ以上に大好物なもので。ただ顔出しNG夫婦なのでイラストで加工した。マスターのお顔も加工してる。次回訪れることがあれば写真を渡しにまた寄りたい。いつまでもお元気で。

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夏旅2023 夫婦編(13)~ 名護市役所 ~

●沖縄エアポートシャトルで名護市役所へ

7月26日(水)15:10過ぎ、美ら海水族館前のバス停で名護方面行のバスを待っていたら沖縄エアポートシャトルの真っ赤なバスがやって来た。沖縄エアポートシャトルは予約制だと思っていたのでスルーするつもりだったが、赤いバス停の時刻表をのぞき込んでいると運転手さんに「どこまで行かれるの?」と聞かれたので「名護市役所前まで」と答えてみたら乗せてくれるというではないか。予約客が先に乗って座席があれば乗せてくれるようだった。沖縄の高速バスはみんなこうなんだろうか。ありがたかった。沖縄エアポートシャトルは実に快適なバスだった。15:30出発で名護市役所前には16:00過ぎに着いた。

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名護市役所は役所なので平日17:00で閉館になる。それまでに行かなければ所内には入れない。なんとか間に合った。

沖縄に行く前に名護市役所が解体されるというニュースを見た。1981年に建てられてから42年が経過し確かに外観は古くなりコンクリートの削げ落ちた柱もあった。象設計集団により設計された歴史的建築であるのは確かだが(詳しくは東京建築散歩さんのこちらの記事を)、現役の庁舎としては厳しい面もあるだろう。

昨年、解体される直前の中銀カプセルタワービルを見に行ったが、1970年代から80年代にかけての建築が老朽化し解体されていく時代になった。なぜだかわからないが私は変わりゆく同時代の風景(人工物)を見ておきたいという気持ちが強い。年々強くなるのは年のせいか。終わりと始まりの端境期、時代の汽水域と言ってもいいかもしれない。そんな過去・現代・未来の時間が重なる場所こそパワースポットだと思う。

出来れば現在のこの様式を残しつつ、新工法なり新素材なりで新たな名護市役所に生まれ変わって欲しいが、自然の風や光を取り込む必然性が薄れてしまった現代建築においてその機能性はノスタルジィでしかないのかもしれない。

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名護市役所の内外を見学した後、隣にある21世紀の森体育館も散歩した。小雨が降ったりやんだりといった天気だった。この建物も設計者は分からなかったが近辺の雰囲気とマッチしていた。

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夏旅2023 夫婦編(12)~ 美ら海水族館 ~

備瀬のフクギ並木から美ら海水族館まで歩く間にローソン海洋博公園前店があった。ここで水族館のチケットを買ったほうが現地で並ぶより時短になると思いチケット販売機ロッピーに向かった。

●チケットは近くのローソンのレジで購入

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予約チケットの受け取り以外ではほとんど使ったことがないので、地域とかカテゴリ選択とかネストの深さに早くもイライラしてしまう。前売り扱いとか何らかの特典がないかも探りつつ妻にナビゲートされながら目的のチケットにたどり着いた。何の割引も無かったが、ようやく引換券が入手できたのでそれを持ってレジに向かうと、なんとレジで「割引チケットがありますよ」と教えてくれた。最初からレジで聞けば良かったのだ。無駄な時間を使ってしまった。引換券は30分以内に引き換えなければ無効になるのでそのまま破棄してもらい割引チケットを購入した。

●美ら海水族館を満喫

美ら海水族館に来たのは初めてだった。妹の長女が修学旅行で来ていて、その時に買ってきたジンベエザメのぬいぐるみの精巧さに驚いた記憶がある。いまの美ら海水族館が出来たのは2002年。11年前に訪問する予定だったが予定変更で来られなかった。今回妻と一緒に来れて良かった。

水族館の設計は那覇市出身國場幸房氏(2016年没享年77歳)で、その琉球らしいフォルムが印象的だ。伊江島を見渡せるエントランスの解放感、大水槽の圧倒的な迫力、それらひとつひとつに思いを感じることが出来る。

どこの水族館も小宇宙のようで面白い。美ら海水族館ほどの規模になるとなおさら。スタートレックファン(トレッキー)の私なので、そんなSFチックな感情に引っ張られてしまう。

海洋生物の表情にも注目して妻と二人で正面からの顔を狙った写真もいくつか撮れた。マナティ、ウミガメ、ニセゴイシウツボの三大顔写真をアップしておきたい。

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大水槽の前は大勢の人だかりでなかなか先に進めない。水槽全体が見渡せる座席もあり、そこに座れればゆっくりと時間を過ごすことが出来る。一日でも雲を見ていられる私だから、大水槽という小宇宙の魚群の動きは見飽きることがない。だがイルカショーも見たいので、とりあえず間に合うように外に出て、ウミガメ館やマナティ館にも立ち寄りながらイルカショーの時間前にオキちゃん劇場へ。

夏休でもありオキちゃん劇場には子ども連れが多数いた。我々の周りは中国や韓国からのファミリーばかりだった。久々に韓国語会話をしてみたい衝動に駆られたがもはやそんな芸当は出来ない…。無念だ。

イルカショーの席についてすこしすると突然の雨が降り始めた。スコールのような大雨だったがすぐに止んだ。屋根のある座席で助かった。今回の旅ではところどころで雨が降ったがそのタイミングが実に絶妙でギリギリ回避できて良かった。

イルカショーの後には希望者がイルカに水をぶっ掛けてもらうアトラクションもあるが、隣の韓国人ファミリーは若いお父さんが小さい娘を連れて水浴びに参加し、何もわからない娘さんはずぶ濡れになり大泣きしていた。まぁそれも良い思い出になるだろう。

イルカショーの後、再び大水槽に戻った。15:00からジンベエザメの餌やりショーがあるからだ。すごい人かと思いきや、来た時ほどの混雑もなかった。しかし15:00になって飼育員が水面から餌やりの合図を送るがジンベエザメはまったく反応しない。いまは食べたくないようでショーは不発に終わった。生き物相手ではそんな日もあるだろう。だがその合図の前後には小魚の群れも動き回るので幻想的な小宇宙のなかにうねりが出来て見ごたえはあった。

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このあたりで引き上げようと提案した。というのも名護にいるのは今日までで明日は那覇市に戻る予定になっている。その前に私にはひとつ行きたいところがあった。名護市役所だ。代表的な沖縄建築への興味だった。それも平日17:00までに行く必要があった。建物の中にも入るには営業時間中に行く必要があった。そのためには15時台のバスで何としても名護市役所前まで戻らねばならない。

名護方面へのバス停に向かう途中でまた雨が降ってきた。バス停は陸橋の下にあったのでそこで雨をしのいだ。ここで乗れるバスは何社かあるが、やんばる急行バスしか知らないのでそれに乗れればいいがと思いながら待った。そこに真っ赤なバスが来た。沖縄エアポートシャトルだった。

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夏旅2023 夫婦編(11)~ フクギ並木通り ~

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7月26日(水)名護のホテルホテルゆがふいんおきなわ宿泊二日目。この日は美ら海水族館へ行く予定で朝から名護バスターミナルに歩いて行ったが、美ら海水族館の先には2022年NHK朝の連続ドラマ「ちむどんどん」のロケ地として有名になった備瀬のフクギ並木もある。

路線バスの終点はそのフクギ並木まで徒歩5分の場所にドカーンと建っているホテルオリオンモトブリゾート&スパだった。美ら海水族館のひとつ先のバス停だ。この終点まで行けばフクギ並木に歩いて行ける。さわやかな朝のフクギ並木をサイクリングして、そのあとゆっくり美ら海水族館という行程のほうが楽しいように思い終点までバスに乗った。これが大正解だった。

終点のオリオンモトブリゾート&スパはとても綺麗でゴージャス感のあるホテルだった。そのエントランスに路線バスで降り立つ。せっかくなのでこのリゾートの景色もしばし楽しんで写真も撮った。フクギ並木にも美ら海水族館にも徒歩で行ける立地も素晴らしい。

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備瀬のフクギ並木の入口まで徒歩5分。そこにあった並木レンタサイクルに向かった。昨日の古宇利島での経験から高低差とか所要時間について端的に質問したところ、一時間もあれば十分回れるとのこと。電動キックボードと電動アシスト自転車がどちらもラスト2台だったがサイクリングがしたかったので自転車を借りて出発。

備瀬のフクギ並木には一通り順路が設定してある。基本的に民家の間を縫って観光をするわけで「おじゃまします」という感覚で静かに回る。路地や小径の情緒がどんどん薄れゆく日本のなかでこの懐かしさは貴重だ。それもただ懐かしいだけでないのは沖縄という島の持つ独特の風土と無関係ではないだろう。

道は平坦なので電動アシストでなくても良かったかもしれない。もちろん電動のほうが楽だが。走り始めて10分くらいで妻が電動アシスト自転車の電池が切れそうだと言い出した。今日は予備電池は持っていないので私と自転車を交換した。しかしその後、電池切れは起こさなかったので残量計の不具合だったのかもしれない。

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20分もすると備瀬崎海岸に着いた。ミーウガン(離れ小島)への眺望と呼ばれる海岸だ。海水浴をしている家族もいたが、我々が訪れた二日後だったか、ここでシュノーケリングをしていた子どもが溺れてドクターヘリで運ばれたニュースを那覇のホテルで見た。島は見えるが湾ではなく、島と島のあいだを外海の潮流が流れる複雑な海だ。砂浜ではなく岩場でもある。静かに見えても油断すると危険だと思う。

備瀬崎海岸に着いたとたんに雨が降り出した。そこそこ降ってきたので、駐車場の側の大きな樹木の下に入って雨宿り。こういうときにスマホのお天気アプリは助かる。確認すると15分もすれば止みそうな気配だ。とりあえずそこで雨をしのいでいたら、お天気アプリのいう通りに雲が去り雨は止んだ。

レンタサイクルも1時間コースだし、グズグズしていられないとまた走り出した。復路は海岸線をひたすらまっすぐ戻るだけだが、ところどころにいい感じの小径が左側に現れるので、そのたびに止まっては写真を撮る。海側から小径を撮り小径側から海を入れてまた撮る。夫婦で自撮りもする。小舟が浮かんでいたら伊江島を背景にまた撮る。風景画のなかを走っているようだった。

それでもまだ時間があるので、通っていない路地裏も行ってみようと小径のひとつに入って行った。樹木に囲まれて気分よく走っていたのだが、裏道に入ると、道をふさぐかのようにでっかい2匹の蜘蛛がそれぞれ巣を張っていて、前を走っていた妻がいきなり自転車を止めた。私だったらそのまま突っ込んでいたかもしれない。

これだけ大胆に道をふさいで蜘蛛の巣が2つも張られているんだから、住人すら通っていない裏道だったのだろうか。いやはや立派な蜘蛛と蜘蛛の巣だった。見ている分には蜘蛛の巣の美しさも好きなので何枚も写真を撮り、蜘蛛の巣の下を自転車を押して通り抜けた。後から調べるとどうやらジョロウグモ(女郎蜘蛛)のようだ。だとすると益虫なのでそのままにしてあったのかもしれない。

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ほぼピッタリ一時間で並木レンタサイクルに戻ってきた。もう次の客に説明を始めていて商売繁盛で何よりだ。1時間で回れるという言葉通りのコースだった。良心的だなと思ったが2時間乗られるよりも回転を速くした方がいいのだろう。自転車を返したらお菓子をくれた。

備瀬のフクギ並木には、よさげなカフェもいくつかあるが、まだ時間は10:30ごろでカフェも開いていないので、美ら海水族館まで歩いていくことにした。ほんの一時間程度のプチサイクリングだったが、なんとも気持ちの良い時間だった。雨に降られたのも、ちょっとした暑さしのぎになったし、雨上がりの並木道というのもこれまた風情がある。前向きに楽しむ性格なのだ。

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