ひとくちメモのTwitter

ひとくちメモの普段のつぶやきはこちらのツイログで

ブログひとくちメモの雑多な記事(coldsweats01)を検索されたい方は、PCなら右サイドバーでサイト内検索を。スマホでサイドバーが表示されない場合は、検索エンジンに「ひとくちメモ popn 」と入れてから、キーワードを入れると見つかりやすいかも(wink)。「ひとくちメモ popn キムヨナ」とか「ひとくちメモ popn 中島みゆき」とか。よろしくです。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2018.12.08

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 7日目後編ナ・パリ・コースト

Kauai_cimg5719

大自然の荒々しさのなかに静謐さを感じさせ、水墨画のような佇まいを見せる瞬間もあった。

Kauai_cimg5765

Kauai_cimg5761

あえてレトロな怪獣映画っぽいタッチにしたりしたくなる。

Kauai_cimg5694

刻々と姿を変えていくナ・パリ・コースト。クルージングならではの時間。

Kauai_cimg5732

Kauai_cimg5740

そんな絶景よりも、お子様はチェスが好き。大人がいなくなってようやく遊べたのかな?

Kauai_cimg5772

ナ・パリ・コーストが見れちゃうと、雲も美しく感じる。そろそろ夕陽も落ちる時間。

Kauai_img_20181012_183008

Kauai_img_20181012_183627

Kauai_img_20181012_211432結局、左舷の部屋ではあったけど、デッキからナ・パリ・コーストを眺めた。結果的に良かったと思う。

大きな船だから人は多いけど、早めにデッキに出て場所取りしておけばそれほどぎゅうぎゅう詰めってことはないと思う。

ナ・パリ・コーストを無事に拝めた直後、最後のディナーは予約していたビストロでフレンチ。

妻が黒い洋服だったからか黒いナプキンに取り替えてくれたり作法も味も格が違った。最終日なので赤ワインも注文。スマホで料理写真を撮る雰囲気ではなかったけど記念にデザートだけ撮った。

これでプライド・オブ・アメリカによる七日間のハワイイ・クルーズは最後の夜を迎える。今晩中に帰り支度をして預けるスーツケースはドアの外に出しておく必要がある。次回の最終回はそのあたりから帰国までを書いてみたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 7日目前編 カウアイ島で買い物

Kauai_img_20181012_170152pano

Day 7:2018年10月12日(金)
09:30 Hilo Hattie 買い物
18:15 The Breathtaking
        Na Pali Coast


プライド・オブ・アメリカの最終日。最終日は暗くなる前にナ・パリ・コースト周遊があるため最終乗船時間は14:15。そこでこの日は買い物の日と決めた。

ハワイの土産物といえば今も昔もヒロハッティ(happy01)。無料シャトルバスで訪問し土産をいくつか購入した。その後、そこから歩いて9分のレッドハイビスカス&ギフトに向かう。日本でほぼ紹介されていないがネット情報では安いと評判だった。

Kauai_img_20181012_105026

東洋系のおばさんが切り盛りしていて雰囲気はいいが安くはない。田舎にある個人経営の商店といった趣きだ。手ぶらで帰るのもなんだかなと思い、女性のビキニ姿をかたどったお色気系のぐい飲み1個購入。

小銭が溜まっていたのでできるだけそれを使おうとしたがあと2セント足りなかった。それを見ていた店のおばさんが、2セントおまけしてくれた。こういうところも田舎の個人商店っぽいところ。おかげで小銭はずいぶん減った。ただ、決して安くはない(smile)。

再度、ヒロハッティに戻った。そこでさらに土産を買い、ついでに近所のウォルマートにもちょこっと寄った。ウォルマートは手提げ袋に異様に厳しく、入口横のロッカーに全部入れるよう指導された。万引き防止なのかテロ防止なのかわからないが大変な世の中になったものだ。

その後、またヒロハッティの無料バスで港方面へ。途中でビーチ近くのレストランで降りる人たちがいたので一緒に降りた。船まで歩いて10分くらいのところだ。

我々はそこから昨日散策したビーチに向かった。マリオット・リゾートのビーチに向かっていると日系人の従業員から話しかけられた。彼はおばあちゃんが北海道にいて、9月に起きた北海道胆振東部地震で心配だったといった話を英語でした(と思う)。ハワイで日系人に出会うことは結構あると思うが、道端でこんな話題になるほど、日本はいま天変地異の国なんだなと感じたりした。

Kauai_img_20181012_134931その後、ABCストアやハワイアンキルトショップなどでお土産を購入。コンサートタイプのウクレレなども売っていて、弾いてみるか聞かれたが思いとどまった。買えないしな。

一通り買い物が済んだら、早めに戻ってアロハカフェで昼食。お昼のメニューには焼きそばやカレーがありそれをチョイス。しかしどちらも甘め。南国風か?

そして午後2時過ぎ、いよいよナ・パリ・コースト(ハワイ語で絶壁の意)に向けて出港。

車では近づけずトレッキングするか空から見るかクルージングで近づくかしかない秘境だ。

Kauai_cimg5682左舷の船室なのでバルコニーからも見られるはずだが、デッキに出てみようと出かけた。

まだ3時間程度時間がある。とりあえず船内でまだいったことのない場所を観に行こうと、最後の船内探索に出かけた。まぁ、それほど見て回るところも残っていなかったが。

午後3時45分、日本語の下船説明会があるのでリバティレストランに向かう。ここで現時点でのキーカード(クレジットカードとヒモづけされた船室キー兼船内限定買い物カード)の請求明細をもらう。すると、3UDP以外に、ひとり50ドルがプレゼントされていた。鉄板焼き店で撮った写真の購入代が、このもらった50ドルから引かれているではないか!

さらに妻にも50ドルがプレゼントされており(別のクレジットカードを登録したからだろうか?)、それは減っていなかった。常に私のカードで支払っていたからだが、これを今日中に使いきらないとリセットされることが判明。

「先に言ってよ!」と思ったが後の祭り。先に知ってたらあのカクテル飲みたかったなとか、みみっちい感情が渦巻いたが、とにかく使い切ろうとショッピングエリアに向かった。もともと買いたかったものが有ったのだが、このときにはもう売り切れていた…。そこで違うデザインのものを買ったりして、なんとかもらった50ドルを消費した。

●暗雲立ち込める午後…

Kauai_cimg5689買い物が済み、買い物袋を持ったまま左舷のデッキに向かった。

なんとも雲行きが怪しい…。ナ・パリ・コーストを眼前にするまで2時間あまり、まだ人も少なくデッキチェアに寝そべって空を眺める午後。

高積雲(ひつじ雲)は巻積雲(いわし雲・うろこ雲)よりも低いところに出来る。ひとつひとつの塊が大きく層が厚いため影が出来ることで見分けがつくそうだ。

初日からここまで、毎日いつ雨に降られるかと思っていたけれど結局一日も雨に悩まされなかった。しかし寄港地ツアーを予約するときには天気予報も参考にするため、結構悩んだりもした。結果オーライではあったが。

天気予報は毎日、常にくもりと小雨とだったが、島の天気というのは実に予報しずらいんだろうなということが分かった。イチかバチか行ってみるしかない。迷わず行けよ、行けばわかるさ(二度目だな…)。

しかし最終日、ここに来てついに雨に降られてしまうのか?降らないまでも、この厚い雲でナ・パリ・コーストが隠れてしまうんじゃないか?そんな思いで待った。

そして、ナ・パリ・コーストに着いた。

Kauai_img_20181012_175341

山肌が目視できるあたりまで来ると、まだ雲はかぶっていたがその荒々しい自然の造形に感嘆。時がたつにつれて空も晴れて行き、刻々と陽射しも変化し、それにあわせてナ・パリ・コーストも変化していった。まるで断崖そのものが生き物のように。(後編へつづく)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 6日目カウアイ島ロケ地巡り

Kauai_img_20181011_064403

Day 6:2018年10月11日(木)
08:00 Nawiliwili,Kaua'i入港
08:05 The Director's Cut

 10月11日(木)カウアイ島ナウィリウィリに入港。カウアイ島はオアフ島の隣の島だが、マウイ島やビッグアイランドにくらべて秘境感が強い。プライド・オブ・アメリカの最終日のメインエベントがカウアイ島のナ・パリ・コースト(ハワイイ語で絶壁・断崖)であるのも頷ける。

カウアイ島は1934年のWhite Heat以来、映画のロケ地となって来た。キングコング(1976)、レイダース(1981)、ジュラシックパーク1,2,3,ジュラシックワールド(1993,1997,2001,2015)、アバター(2007)、パイレーツ・オブ・カリビアン4(2010)等々。

来る前にテレビ東京が昼の映画枠で放映していた「パーフェクト・ゲッタウェイ」(2009)もカウアイ島がロケ地だった。たまたま見たのだが予習できて良かった。

今秋公開された村上春樹原作の日本映画「ハナレイ・ベイ」(2018)もカウアイ島の映画だった。帰国後、妻とレイトショーを観に行った。淡々としたなかに、主演吉田羊のメリハリのある演技と若手有望株の村上虹郎が光る映画だった。

帰国後、カウアイ島でロケをした映画DVD・Blu-rayをいくつか購入した。ジョージクルーニー主演の「ファミリー・ツリー」、エルビスプレスリーの「ブルーハワイ」、ハリソンフォードの「6デイズ/7ナイツ」、ミュージカル「南太平洋」などなど。ニコラスケイジの「ハネムーン・イン・ベガス」も欲しいが見当たらず。久保田麻琴のCD“KAUAI March-05”も購入。

ファミリー・ツリーについて補足しておくと、Blu-rayが見られる環境にあるなら、DVDよりもBlu-rayを買うことを強く推奨する。Blu-rayだけの特典映像(ミュージックビデオ)が素晴しい。癒される。

Kauai_img_20181011_071215

これほど映画ロケに使われたのは、カウアイ島がまさに秘境であることに加えて、ハリウッドから五時間半で来れる手軽さも後押ししているという。エルビス・プレスリーもカウアイ島が気に入ってプライベートでも遊びに来ていたとか。

今回のカウアイ島初日は、日本から事前に予約していた寄港地ツアー The Director's Cut に参加した。映画のロケ地ツアーだ。朝8時に下船しツアーバスに乗った。このツアーは日本語なしだったがツアーガイドさんが気を使ってくれてカタコトの日本語で話しかけてくれた。

Kauai_img_20181011_083257

Kauai_img_20181011_093948

Kauai_cimg5508

Kauai_cimg5463ハレアカラのときと違い日本語解説iPadもない。配布された映画リスト(英語)と、バスのなかのモニターに映し出される映画の1シーン、スマホの日本語Google情報、そして自分自身の映画の知識が頼りだ。

とはいえ、映画のロケ地巡りをしながら、その場所がどの映画のどのシーンかをモニターで確認しながら進むから飽きることがない。

プライド・オブ・アメリカが停泊するナウィリウィリ港からリフエ空港(ここも重要なロケ地)を経由し、カウアイ島の東側をアフキニ、カパア、ケアリア、キラウエア、ハナレイと北上し、カリプソというレストランで昼食をとる。

Kauai_cimg5542昼食はあらかじめバスのなかで3種類から選んでおく。特大ビーフバーガーか、フィッシュバーガーか、ベジタブルか。日本でいえばA定食かB定食かC定食かを選び、A,B,Cから1枚カードを選んで、それを持ってカリプソのテーブルについてカードを置いておけば選んだ定食が運ばれてくるという感じ。

我々はB定食(フィッシュ)にした。というのも、この日の夜はプライド・オブ・アメリカ船内のキャグニーズ・ステーキハウスを予約していたので、昼は魚にしたのだった。アメリカンなステーキなんて、どーせバカデカいんだろと思って…。

復路では、プリンスヴィルのあたりでUターンし、ジュラシックワールドに使われた平原などを見て、来た道を戻りつつ、ステンドグラスが美しい小さな教会、ワイオリ・フイイア教会(Wai'oli Hui'ia Church)に立ち寄った。

白人の皆さんのキリスト教会に対する感覚は、日本人が古刹・名刹を訪れたときのような厳粛なものなのかもしれない。単なる観光地のひとつという感じでない食いつき方だった。私も幼稚園はキリスト教の幼稚園だったので、少しだけ寄附して絵はがきをいただいた。

Kauai_cimg5560

Kauai_dsc_0319その後、景色の良いところで写真タイムなどを挟みつつ南下。途中で右折しオパエカアの滝を目指す。復路の目玉となる観光地だ。

Opaekaa Falls View からオパエカアの滝とワイルア川の流れを見た。しかし、滝は日本にも名勝がたくさんあるからな…。それほど感動もしなかった(coldsweats01)。

滝よりもワイルア川が良かった。カヌーで川下りをしている人々が見えた。おそらくそういうツアーなんじゃないだろうか。隊列をなして川面を滑っていく。

この川の上流にシダの洞窟があるはずで、そこには車では行けない。プライド・オブ・アメリカの日本語ツアーは、確かシダの洞窟だったと思う。それはちょっと参加してみたかったな。これも次回の宿題。

オパエカアの滝からの戻り道の途中に、プレスリーの映画ブルーハワイのロケ地、ココ・パームス・ホテル(Coco Palms Hotel)跡地がある。ここは往復どちらも通った道沿いだ。すでに休業、というより廃墟といったほうがいい状態。1992年のハリケーン・イニキの被害にあい、そのまま廃墟になっているのだった。

帰国後、Blu-rayでプレスリーの映画を初めて観たけれど、プレスリーって笑顔が可愛い(wink)。いまなら愛されキャラって感じ。それでいて歌はうまいし声もいい。まさに大スターの色気を感じる。映画そのものはB級デートムービー的な他愛のない内容だけど、ブルーハワイはとても楽しく鑑賞した。

この明るいブルーハワイのイメージと、廃墟となったココパームスとの対比がちょっと悲しい。そう思う人々もたくさんいるようで、ココパームスホテルを再建させようという話もあるとか。ぜひ再建して欲しいものだ。経営危機で無くなったんじゃなく台風被害だったわけだし、カウアイ島リゾートの一角を担う存在になると思う。

そんな思いをコラージュしてみた。

Kauai_cimg5480


というわけで、ところどころ名所旧跡も踏まえて巡る映画ロケ地ツアーThe Director's Cut 。実に楽しいツアーだった。映画好きにはおススメです。帰国後にその映画を見なおす楽しさもあるし。


こうしてロケ地巡りから港周辺に戻ってきた。まだ午後早い時間だったのでビーチやショッピングセンターを散策。明日が最終日になるから、土産物がどこで買えるかなどを調べて船に戻った。

Kauai_img_20181011_20115018時半に予約していた Cagney's に向かうため着替えた。2日目の鉄板焼きに続き、今回も有料レストランが3回無料になる3UDP特典でステーキを食べた。

ステーキは普通のステーキだったが、妻が注文したデザートのセブン・レイヤーズ・ケーキの大きさに驚愕!思わず「So Big!」と叫んだら、店員が英語で「知ってる!」と笑った(笑)。

3UDP特典は実にありがたかった。全部使った。毎晩は重いから、3食くらい有料レストランで食べるくらいでちょうどいいと思う。Cagney'sはアメリカンな普通のステーキ店。鉄板焼きは味は置いといて一つのショー的に楽しめ、記念写真($24.95)も撮ってくれた(買わなくてもいいが)。鉄板焼きより無料のアジアン料理のほうが美味そうだったが、人気で予約がとりにくく行けなかった。

最終日にはクルーズプラネットの八木さんからおススメと言われていたフレンチのBistroに行った。これで3UDP使い切った。雰囲気も味も段違いに良かった。正直なところ、3回ともビストロでいいかもとも思うが、これは行ってみなければわからない。だが、それほどビストロのフレンチはレベルが高かった。ここではワインも頼んだ(アルコールは別会計)。

どこも日本語メニューがあるので助かったが直訳で意味がわからない料理もあった。

今夜の船はここで停泊し、明日は午後から出港し、ナ・パリ・コーストへ向かう。とうとう最終日だ。

Kauai_img_20181011_150923

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.12.02

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 5日目コナ散歩

Kona_cimg5372

Day5:2018年10月10日(水)
07:00 Kona,Hawai'i投錨
Holy Donuts で昼食

10月10日(水)カイルア・コナ。この日は特に予定がない。コナは小さな街なので、お土産物の購入をしながら散策することにした。

プライド・オブ・アメリカのような大型船は港に近づけないため、カイルア湾沖に投錨し、テンダーボートでカイルア桟橋までピストン輸送される。

寄港地ツアーに参加しない場合、テンダーボート乗船のために整理券が必要だが、7時45分までに出発するなら整理券不要とのことなので、7時半にはデッキ3の下船口に並び早々に上陸した。同じ考えの人々の行列があったが、スムースに乗船できた。この時間でも戻りのテンダーボートとすれ違った。これもひとつのアトラクションとして楽しんだ。

Kona_cimg5370

コナの街は週末開催の IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP 一色だった。カイルア桟橋は水泳のスタートかつゴール地点。朝早くから多くの選手が練習していた。

IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP は1978年から開催され、今年は40周年の記念レースだったようだ。2001年宇宙の旅から50周年、 IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIPが40周年、なんだかメモリアルなハワイイ・クルーズの日程だったなぁ。

Kona_cimg5373

Kona_cimg5376

いつも朝食は船内だったが、早々に下船したコナの朝は当たりをつけていたビッグアイランド・グリルというファミレスを目指す。妻はロコモコ、夫はビッグ・サイミンを注文した。どっちもジモティーの味っぽくて美味しい。ウエイトレスさんも穏やかでニコニコしていてとても親切だった。

Kona_img_20181010_083451

食後にファーマーズマーケットにも立ち寄ったが、ほとんどどこかで見たような土産物を売る店だった。もう少し地元の食材を売っているマーケットをイメージしていたのだが…。

Kona_cimg5385

ファーマーズマーケットでは思ったような土産がなかったので、スーパーマーケットやデパート巡りをすることにした。とはいえ、コナにはシャトルバスはなく(あるかもしれないけど見つからず)、Google Map を頼りに徒歩で回った。

ハワイはかなり歩きスマホに厳しいという事前情報があった。歩きスマホで$130の罰金という話も聞いた。横断歩道以外の道路を横切るのも$130の罰金とか。本当のところは知らないが、とりあえず横断歩道を探して渡り、スマホを見るときには立ち止まった。

コナは地図では小さな街だが、歩いてみるとどこも緩やかな坂道で、なかなかの運動量だった(coldsweats01)。ビッグアイランドは基本的に火山の噴火口に向かって緩やかに傾斜しているからだろう。
それだけに高台(といってもどこも中腹なのだが)から、プライド・オブ・アメリカの全体像が撮影できた。

Kona_cimg5398


Kona_img_20181010_094543スーパーとデパートと5つほどハシゴしただろうか。

コナにももちろんロングス・ドラッグスはあった。結局ここでいろいろ買った。

困った時にはロングス・ドラッグス!

回し者ではないが、うまーく回されてる感があるな。ロングス・ドラッグスに…。

ハワイイ観光客は最終的にはロングス・ドラッグスに行きつく…。

これが真実だ!?

この日も朝から天気が良く暑かった。それだけにこの坂道行脚は堪えた。そしてあまり土産物も買えず、ただただ歩いただけだった…。それでもいくつかの食べ物系のお土産はこの行脚でゲットした。

Kona_cimg5406


Kona_cimg5403


Kona_img_20181010_112724

涼しさでいえばデパートのターゲットは素晴らしい!ぜひ立ち寄って休憩したい。

Kona_cimg5404

マーケット巡りをしながらバス亭も見かけたのでバスもありそうだったが、ここから先は下りだしカイルア桟橋方面に向けて歩いた。BMWやホンダのディーラーなどを横目に坂道を下っていった。

ようやくカイルア桟橋付近に辿り着き、ガイドブックに載っていたホーリー・ドーナッツへ向かうことにした。

Kona_cimg5414


ホリー・ドーナツに入るとビッグサイズのドーナツが並んでいた。さすがに最大サイズは無理そうなので中くらいのを4つ買った。すると3つのマラサダがサービスでついてきた。食べきれないよ!

Kona_img_20181010_140510

入り口の前のテーブルで4個を食べた。飲み物は事前に買ったUCCのコナ・コーヒー。おまけのマラサダは持ち帰って翌朝食べた。船内への持ち込みは出来ないかと思っていたが、案外すんなり持ち込めた。

夕方船に戻る前に、アリイ・ドライブ海側の歩道でしばし波待ち。

Kona_img_20181010_160509

そして、激写!

Kona_img_20181010_160526

カイルア・コナの波、撮ったどー!

コナに着いた時から、この波と闘うときが来ると悟っていた(笑)。
定期的ではないが必ずヤツは来る!
そんな思いで、疲れて早く帰りたい妻を待たせ、波を待った。
そしてこの写真を撮ったわけだ。
一番うれしかったのは濡れなかったこと。
逃げながらもスマホが捉えた決定的瞬間だったのだ!
これを熱く語るのだが、いまいち友人・知人にこの熱が伝わらない…。

Kona_img_20181010_164037

観光らしい観光をほとんどしなかったコナ散歩。教会にも行ってみたが、アイアンマンレースに出る人々の集合場所のようになっていて、ちょっと雰囲気が違った。町全体がこのレース一色に染まっていたから、基本的に無関係な観光客には一種近づきがたい雰囲気だった。

Kona_cimg5432

ヒロとコナ。おなじハワイ島でもずいぶん印象が異なる。まさにビッグアイランド。広い島だ。ハワイ島にもまた来てみたい。今度来るときには宿泊をして、マンタと遊び観光地も巡ってみよう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 4日目ハワイ島ヒロCBP

Hilo_img_20181009_062441_2

Day 4:2018年10月09日(火)
08:00 Hilo,Hawai'i入港
Carlsmith Beach Park

10月9日(火)ハワイ島のヒロ港。前回、ハレアカラでサンライズにもサンセットにも憧れはないみたいなことを書いたが、ハワイ島ヒロでは本当はマウナケアのサンライズツアーに行きたかった(catface)。

ただ、日本語ツアーはもちろんなく、英語のツアーも満席だった。そこでツアーデスクの日本語がしゃべれる女性スタッフにキャンセル待ちを依頼した。とても親切な方で、寄港地ツアーの予約デスクまでついてきてくれて、あれこれ交渉してくれた。しかし結局当日までキャンセルは出なかった。

そこで、ヒロ港でサンライズを撮ってみたわけだ。ハワイ島ヒロ港沖の豪華客船からのサンライズも、それなりにレアなんじゃないかと思って…。ほら、同じ太陽じゃないか!

Hilo_img_day4_paperこれが撮れたのは毎晩届く船内新聞のおかげだ。

この新聞は英語版がまず届き、その後、頼りになる日本人スタッフみどりさんによる日本語翻訳版が届く。日本人客には二か国語の新聞が届くわけだ。

新聞には翌日の船内イベントの場所・時間や注意事項が書かれていて、とても大切な新聞といえる。これなしでハワイイ・クルーズは出来ないと思えるほど重要な新聞だ。

この新聞に日の出・日の入り時刻も書かれていて、それを元に朝起きて撮影したというわけだ。

部屋から撮影できたのも左舷の部屋だったからというところもあった。ハワイイ・クルーズは左舷の部屋のほうが見どころは多いように思う。最終日のナ・パリ・コーストも左舷のバルコニー付き船室なら部屋から見ることが出来る(見えない部屋もあるようだが)。特等席というわけだ。

Hilo_img_20181009_084156_1撮影後、おなじみのビュッフェ、アロハカフェで朝食を食べた。

マウナケアツアーに行けなくなって、ではキラウエア火山ツアーはどうかと探したが、火山活動が活発化している昨今、船の寄港地ツアーもなかった(正確にはヘリコプターツアーはあったが結構高額であきらめた)。

かつてはキラウエア火山側の行路(南まわり)を採っていたプライド・オブ・アメリカも、いまは北まわりのコースでヒロからコナへ向かうため、キラウエア火山を観に行くには自分で何らかの現地ツアーを申し込むしかない。

しかし前回書いたように、現地ツアーを申し込むのはクルーズではハードルが高い。ハワイ島に来てどちらの火山も見られないのは残念だったが、それだけに昨日のハレアカラが愛おしいのであった。

●ビーチを求めて彷徨う二人

そこで、この日はダウンタウン散策か無料シャトルバスで買い物かの選択肢だけかと思われた。まぁそういう何もしない日があってもいいかという気分にもなっていた。

しかし部屋に戻って Google Map を見ているうちに、ダウンタウンと反対側に20分も歩けばケアウカハ・ビーチ・パークがあることを発見。航空写真で見ると(いい時代だな)、ハワイ島らしい黒い岩場で美しそうだった。ガイド本にはほとんど記述がなく地図も載っていないが、イチかバチか水着を着て行ってみることにした。

Hilo_cimg5276この道を行けばどうなるものか

危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし

踏み出せばその一足が道となり

その一足が道となる

迷わず行けよ

行けばわかるさ

というわけで、引用が長くなったが、もちろんアントニオ猪木の「道」だ。一休禅師の言葉が原典らしい。まさにその通り。いい言葉だな。一歩踏み出すか踏み出さないかで人生は違ったものになるわけだ。

ビーチ散策も行けばわかった(happy01)。朝から暑い中、二人で歩いた。前にも後ろにも歩く人などいない。20分ほどでビーチに着いた。整備された綺麗なビーチパークで停泊しているプライドオブアメリカを眺めた。

Hilo_cimg3304

Hilo_img_20181009_093951

ただ、ここで泳いでいる人はおらず、ここから9分程度で行けるオネカハカハ・ビーチ・パークまで足を伸ばすことにした。このビーチへは大きな車道を通らずアパパネ・ロードという側道を歩いた。

Hilo_cimg3313

Hilo_cimg3322

Hilo_cimg5304


Hilo_cimg3321このビーチは泳ぐことが出来たが、ここまで来ると欲が出た。ここからあと20分歩けば、カールスミス・ビーチ・パークというビーチがあり、そこでは野生のウミガメが見られることもあるというGoogle情報を見つけた。

妻にハワイ島に行って何がしたいかを聞いたとき、「マンタやウミガメと泳ぎたい!」と言っていた。基本的に動物が好きなのだ。

ハワイ島はマンタと泳ぐツアーが人気だが、それはすべて夜間のツアーだった。その時点でマンタとは泳げないことが確定していて、なんとかウミガメをどこかで見たいとは思っていた。

レンタカーがあればよかったが、さすがに十年以上日本でも運転していない我々にその選択肢はなかった。そうなると、ここで野生のウミガメに出会えるかもしれないというビーチは20分、いや船から約一時間歩いても行ってみる価値はあるような気がした。

ここまで来たら行くしかない…。

●ビーチ散策でウミガメと邂逅

Hilo_img_20181009_121442


船からふたつのビーチ・パークを歩いて、約1時間ほどで辿り着いたカールスミス・ビーチ・パーク。側道に縦列駐車した自動車がたくさんあったが、ビーチはそれほど混みあっていない。とても静かで整備された公園だった。

Hilo_img_20181009_105327


木陰の径を抜けると黒い岩場があり、ところどころコンクリートで補修されている。そこが平らになっているのでタオルを敷いて日光浴ができる。海に入るところに手すりも付いていた。小さな入り江といった趣きで、日本のガイドブック的にいえば穴場だ。

Hilo_cimg5314

Hilo_cimg5315


泳いでいる人やシュノーケリングしてるグループ、岩場で日光浴をしているTバックのギャル等がいた。日本人はいなかったが韓国人のファミリーがいた。

シュノーケリングのグループが水中で見ているのは、ウミガメだった…。来て良かった。

Hilo_cimg3336

野生ということだったが、かなり人になついている。そのウミガメを間近に見て、海水は冷たかったがここで泳ぐことにした。陸上は岩場で歩きにくいが水中は白砂の透明なビーチだ。

二匹のウミガメが寄って来た。触らないよう注意しながら泳いだ。そのうちウミガメが甲羅干しをしに岩場に上がると、続々と人が寄って来た。ワンちゃんを犬用サーフボード(?)に乗せて泳いでいる女性がいて、写真撮ってもいいか聞くと「OK!」と手をあげてくれた。

Hilo_cimg5342

Hilo_cimg5334

Hilo_img_20181009_172118暫しここで泳いだり日向ぼっこをして過ごした。ウミガメに出会えて妻も満足してくれた。夫も(無料で)ウミガメと戯れることが出来てホッとした。千載一遇のチャンスを日本でほとんど紹介されていないビーチでゲットできた満足感でもあった。

水着が乾いた頃、その上に衣服を着て帰路についた。カールスミス・ビーチ・パークからの帰りは、それほど時間の長さを感じなかった。

帰船後は、まず船内ビュッフェのアロハ・カフェからケーキを船室に持ち込みバルコニーで食べた。その後プールデッキに出てジャグジーに浸かった。プールデッキのジャグジーは結構混みあってるが、たまたま空いたジャグジーに入った。

お湯なのでお風呂感覚。船室にはシャワーしかなく、このジャグジーのお風呂感はありがたい。

そこにごっつい白人の男性とヒスパニック系と思われる女性が二人で入って来た。小さな丸いジャグジーなので無言というのもなんだかなと思い、つたない中学英語でどこから来たか聞いてみたら、コロラドからだという。さらに一週間前に結婚したばかりだとも。そこで我々は一年前だと言ったらコングラチュレーション!と返してくれた。こっちが先にお祝いを言うべきだったのにしまったと思いつつ、会話は続かず先に出た。

その後、プールサイドではハワイアンスタイルBBQが始まった。これも船内新聞で予告されていた。大勢の人が並んで肉が焼けるのを待っている。そこに我々も並んで焼肉やウインナーをもらいプールサイドで食べた。なんともクルージングっぽい風景だった。

ハワイアンスタイルBBQを食べた後、午後6時過ぎ頃にヒロの真裏にあるコナへ出港した。夕焼けが綺麗だったので上のデッキ後方に出ると美しい風景に惹かれた多くの人々が集まっていた。

写真を撮っていると外国人の女性に声をかけられ、二人を撮ってあげますとおっしゃるので夕焼けをバックに撮ってもらった。言葉はつたなくてもこんなふれあいはあるものだ。みんな違ってみんないい。by 金子みすゞ

ヒロの旅は格言ワールドになってしまった…。

Hilo_img_20181009_181016effects

Hilo_img_20181009_182011

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.12.01

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 3日目マウイ島ハレアカラ

Maui_img_20181008_095313

Day 3:2018年10月08日(月)
08:00 Haleakala Crater

3日目(マウイ島の二日目)は寄港地ツアーで予約したハレアカラクレーターというツアーに出かけた。2人で$238だった。日本人は私たちだけ。2001年宇宙の旅のロケ地としても知られるハレアカラクレーター。天気予報は曇り時々雨だったが到着するころには晴れ「太陽の家」の素晴らしい大地を堪能できた。

プライドオブアメリカにはいくつも寄港地ツアーがあり、観光やアクティビティなどいくつも選択肢がある。ただしほとんどすべて英語のツアー。日本語ツアーもあるにはあるが、日本語説明会のときに配布される1,2件がすべて。いわゆる観光地めぐり的な感じは拭えない。それはそれで安心だけど、やはり見たいものが見たい。

ハレアカラも本当はサンライズかサンセットツアーに行きたかったが、該当なし。こういうとき、ホテル泊だと現地ツアーを予約したりできるが、カフルイ港に停泊中で夜の行動などがセキュリティ上出来ないところはデメリットかもしれない。こちらも初のクルーズ旅行なので勝手もわからず、現地ツアーを別途予約する勇気はなかった。

実際問題、下船・乗船のセキュリティチェックは厳しく、時間も制限されるから、停泊するからといって別の現地ツアーを予約するのはかなり困難だと思う。それこそ一晩船に帰らないくらいの覚悟でいくなら別だが…。

クルーズ船は二千人規模だから、ひとりひとりの遅刻を待ってくれない。船会社主催か提携の寄港地ツアーだったら戻るまで待ってくれるが、それ以外でもし遅れたら自力で船を追いかけることになる。実際、そういう客もたまーにいるそうだ。しかし、これを逆手にとれば、停泊中に島のホテルに泊まるという荒業を使って、一晩外泊も出来そうな気がする。ま、お勧めしませんが。

Maui_img_20181008_130148


Maui_2001_img_20181021_161931サンライズもサンセットも行けなかったが、映画ファンの私としては、2001年宇宙の旅のロケ地というだけで充分行く動機になった。実際、行ってみたハレアカラの絶景は日中でよかったと思ったほどだ。

正直、サンセット、サンライズに憧れる気持ちってあまり分からない(confident)。暗くて寒くて景色見えないし。朝焼け空は眠たいし夕焼け空は寂しいし。行けなかったから言ってるわけじゃないぞ(笑)。

また、ちょうど今年は2001年宇宙の旅が公開された1968年から50周年という記念の年でもあった。帰国した後、IMAXに観に行った。4K Ultra HD&HDデジタルリマスターBlu-rayも発売された。これも何かの縁じゃないだろうか。大きな宇宙の意志に導かれてハレアカラへ連れ、やめよう、そういう話は(bleah)。

ハレアカラクレーターでは日本語解説用のiPadを貸してくれた。これは予約する前に船内のツアーデスクで知った情報だ。日本語がうまい米国人女性スタッフがいて、この後何度か助けてもらった。名前を失念してしまってお礼のメッセージカードを書けなかったのが残念だったが感謝してます。

日本語解説iPadはツアーバスの行程に合わせて道程を解説してくれるのだが、教科書的な解説で面白味はなかった。ただ、このiPadを借りたおかげでツアーバスには最優先で乗せてくれた。他の客を制して我々を呼び乗せてくれた。たぶん乗客のなかから我々を探してiPadを渡す手間を省くためだと思う。それで好きな席を選んで座れた。

Maui_img_20181008_091854

ハレアカラは快晴ではなかったが、登るまでの間の雲や霧が着いたとたんに流れて行き、素晴しい大地が顔を見せてくれた。ツアーバスのガイド兼ドライバーさんも我々の写真を撮ってくれた。滞在時間はそれほど長くはないが、全行程4時間の素晴らしいツアーだった。

Maui_img_20181008_095347effects

下山途中の山道でいったんバスが止まった。全員バスを降ろされると、少し離れたところに森があった。ここでドライバーさんが「アローハー!」という言葉の意味を解説しはじめた(と思う)。英語なのでほぼ分からなかったが、その解説後、全員で森に向かってアローハー!と叫んだ。すると森からこだまが返って来た。ちょっとしたアトラクションだったが、なんだか気持ちが良かった。

カフルイ港に戻ったのはお昼過ぎ。とりあえず午後は街ブラすることにして歩き出した。この日10月8日は10月第2月曜日でコロンブスデー(祝日)だった。それでお店は休みなんじゃないかと心配していた。だが、アメリカ人が大好きなこの祝日も、ハワイ州はコロンブスデーを認めておらず祝日だったのかは分からなかった。

このとき行ったドラッグストア、ロングス・ドラッグスでお土産を少し買った。まだクルーズも前半なのでどうするか迷ったが、ハワイ島はいいとしてカウアイ島にはあまり店がないかもと、とりあえず買えるところで買っておく必要があると思っていた。後から考えるとそれはまったくの杞憂であり、カウアイ島で土産を探したほうが、逆にレアもの感が出そうな気がした。「ハワイ旅行してきましたけど、ワイキキじゃなくてカウアイ島っす!」みたいな(smile)。ま、マウイ島でもハワイ島でもそれは同じだが、カウアイ島という名前すら知らない日本人もまだまだ多いはずだ。

Maui_img_20181008_160748

このドラッグストアで安売り価格の仕組みに出くわした。一袋なら4.9ドルのお菓子が二袋買うと6ドルになる。あまりの値引き率に「そりゃ2個買うわな!」と叫びつつ手に取りレジに並んだのだが、ここでその価格が会員オンリーだとの告知を受けた…(coldsweats02)。

そこで会員になるかどうか聞かれた(と思う)。白髪で優しそうな東洋系のおばちゃんのレジで良かった。すぐに「Yes!」と答えた。他の客も少なく余裕があったのも奏功した。すぐに会員になる手続きを始めた。しかし英語での意思疎通がほぼ出来ないので、レジの画面をのぞき込み、最後には自分でその画面をタッチして携帯番号とかメアドを入力した。そして晴れて会員登録が出来たのだった。

そのおばちゃんが言うには、このドラッグストア(の親会社?)は全米チェーンなので、どこでも会員証が使えるよとのことだった(と思う)。このとき会員になったことは、この旅を実に豊かなものにしてくれた。このドラッグストアはこの後、本当にどこにいっても存在していたのである。見つけるとなんだかホッとしたものだ。ハワイ旅行ではマストの会員証だと思う。

こうしてあっという間にマウイ島の二日間が終わった。コンパクトなマウイ島だったけど、散策にツアーに買い物にと旅行気分はいっぱい味わえた。最初にマウイ島に行くのは行程としてもちょうどいいウォーミングアップになった。

18時頃、マウイ島を離れ次の寄港地ハワイ島(ビッグアイランド)のヒロに向け出港。この日の夜もハリウッド・シアターに赴き、ダンス・カメラ・ミュージック・ショーという歌と踊りのショーを観覧。こういうのは言葉に関係なく楽しめていい。

夜の客船は結構揺れた。ハワイの島巡りで外洋じゃないからそれほど揺れないと思っていたけれど、この日はなかなかの揺れだった。小笠原諸島に行くときほどではなかったが、船旅に慣れていない妻はちょっと酔いそうだった。持ってきていた酔い止め薬アネロン・二スキャップはこのときは飲んでいなかったと思うが、飲んだ方が良かったかもしれない。

Maui_cimg5271


| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 2日目マウイ島ラハイナ

Maui_img_20181007_082710

Day 2:2018年10月07日(日)
08:00 Kafului,Maui入港
Lahaina 散策

ようやくプライド・オブ・アメリカで出港したわけだが、このひとくちメモを書いてるのはもう12月1日…。この調子だと年内に書きあがらないから、ちょっと急ぎ足で進める予定。

一晩停泊のマウイ島に着いた。初日は公営バスのデイリーパス($4)を買いラハイナまで散策に。バスのデイリーパスは港から12分くらい歩いたクィーン・カアウフマヌ・センターというショッピングセンターで買える。日曜だったのでショッピングセンターのなかでは買えないとガイドブックには書かれていたが、チケット売りのおばさんがバス亭で待ち構えていて(coldsweats01)、何の問題もなくデイリーパスを購入できた。

ただバス亭は裏の方にあるので、それを知らないとちょっと迷うかもしれない。下調べしていた我々はスタスタと自信を持って歩いていたので、何人かの外国人観光客も我々を追ってバス亭までたどり着いた。

Maui_cimg5130

マウイ島のカフルイは商業の中心地らしく、このショッピングセンターは各方面行きバスのターミナルとなっているようだ。マウイ島ではバス通勤も奨励されているそうで、バスに乗るのもまずは定期を持っている地元民優先。その後、デイリーパスやチケットの観光客を乗せる。

朝8時過ぎのバス、ラハイナ・アイランダー#20に乗ってラハイナへ向かった。カフルイ港からはちょうど島の反対側になるが、それほど遠くない。一時間ほどで Whalf Cinema Center に着いた。

Maui_cimg5134

バスを降りてすぐ、ハワイで最大級のバニアンツリーがある。ベンチで佇んでいる人々やセグウェイで観光しているツアー客もいた。コンパクトで可愛らしい街並み。風景は観光地然としていないが、この辺りすべて観光によって成り立っているような感じ。

Maui_cimg5136


そこからビーチを散策。天気も良く素晴しい景色!海の向こうにラナイ島が見える。もう少し時間があればラナイ島でシュノーケリングなどもやってみたい。これも次回の宿題に。

Maui_cimg5142

Maui_cimg5148

11時、開店早々にキモズでプレートランチの昼食。ラナイ島の見える眺めの良い席に通されマイタイも飲んだ。ランチのあとは、ガイドブックに載っていたデザートの巨大なアイスをひとつ注文した。この巨大さがまさにアメリカンだ!

Maui_cimg3266

ランチの後は、フロント・ストリートを散策しながら洋服やシャツを物色。このストリートにはファイン・アートのギャラリーがたくさんある。ハワイに別荘でも持ったら、こういうところの数千~数万ドルクラスのポップな絵画を飾るのがアメリカンの“粋”なのかもしれない。

Maui_cimg3262

ちょっと話が逸れるけど、プライドオブアメリカの船内でもオークションが開催されていて、船内ギャラリーもある。日本ではまだまだ現代アートやポップアート、インテリアアートが家庭に根付いているとは言えないが、こういうアートに囲まれた生活は精神的豊かさの一片じゃないかと、船内オークションをしていたPARK WESTの扱う某画家の絵を3枚持っているボクは感じるのだった。

Poa_auctions_img_20181008_143722
短い滞在だったけれどマウイ島ラハイナでのんびりハワイの休日を楽しんで、またバスに乗りカフルイへ戻った。

この日の夕食はプライドオブアメリカの有料レストラン鉄板焼き。有料レストランが3回まで無料になる3UDPという特典が知らない間についていたので、さっそくそれを活用した。この鉄板焼きは船内でも人気のレストランだ。とはいえ、味より(?)パフォーマンスがウリだと思う。まぁそれもまた楽しいけど。

食事の後は、船内シアターでポリネシアン・ショーを鑑賞した。このシアターでは毎晩なにかのショーをやっていて楽しめるが、スタンダップコメディなんかは英語が分からないとまったく意味不明。場内爆笑のなかで取り残され感が残る。

英語が苦手な日本人がハリウッド・シアターに観に行くならポリネシアンショーとかマジックショーなどパフォーマンス系がおススメ。もっと音楽のライブとかやってくれるとわかりやすいんだけど。

音楽はシアターじゃなくて、ピンクズ・シャンペンバーとかマルディグラに聴きに行く方がいい。我々が聴いたなかでは、ピンクズ・シャンペンバーで大好きなイズラエル・カマカヴィヴォオレのカヴァー特集をやっていて、とても気持ち良かった。IZの音楽はハワイの誇りだと思う。

Poa_dsc_0258

翌日も夕方までマウイ島停泊。明日は船室のテレビから予約していた寄港地ツアーへ。晴れればいいがと思いながら就寝。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.11.10

ハワイイ・クルーズ紀行 2018(ホノルル到着そして出港)

Dsc_0102_honolulu


Day 1:2018年10月06日(土) ここからハワイ時間です。
10:05 Honolulu着・港直行
Pride of America乗船
19:00 Honolulu,O'ahu出港

ホノルル時間10月6日10時5分到着後、送迎バスでホノルル港へ直行します。4島クルーズというものの、土曜着・土曜帰国(日本着は日曜)にすると、オアフ島では空港と港の往復のみで観光は出来ません。もしオアフ島も観光したいなら、前泊か後泊でオアフ島のホテルに泊まるプランにすべきです。

私たちは二人で来るハワイは初めてでしたが、お互いに今回が三回目のホノルルだったのと、日程的にここしかない旅だったので、ホノルルは「次回ゆっくりと来よう」という宿題にしました。

空港ではクルーズプラネット(およびH.I.S)の現地係員さんが待っていて、今回乗船する船、プライド・オブ・アメリカ(略すとPOA)の乗客だけバスで港へ移動しました。乗船時に預けるスーツケースにはここでPOA乗船用のタグを付けてバスに乗せます。

このとき、青森から来られたご夫妻とお話ししました。この日の日本人ツアー客や個人客は60人程度と聞かされたそうです。日本語ツアーの催行人数は20名前後とのことで、ぜひともみんなに参加して欲しいとおっしゃられました。結果的に私たちは日本語ツアーにはひとつも参加しなかったので申し訳なかったなと思います。でも日本語ツアーも催行されたようだったので良かったです。

●プライド・オブ・アメリカ乗船

Img_20181006_121018_honolulu12:00頃、乗船手続きをしました。港でチェックインしてPOA用タグをつけた荷物を預けて、デッキ5から乗船します。船の写真を撮ろうとしましたが大きすぎて全体像は撮れず、前回の記事のような写真になりました。

乗船手続きでは、健康状態アンケート(日本語用紙あり)に記入してパスポートと一緒に提示します。同時に船内で使うキーカード(部屋の鍵と支払い用カード兼用)を作ります。クレジットカードとのヒモづけをしたキーカードがもっとも重要なカードで、肌身離さず持ち歩きます。

このあたりからところどころで写真を撮られます。記念撮影のようなものもあれば、ちょっとしたスナップ写真もあります。専属のカメラスタッフがいて、撮った写真は部屋番号とヒモづけされます。それを船内の写真ブースで検索して購入できる仕組みです。

Img_20181006_140730effects乗船してすぐには船室に入れないので、まずは腹ごしらえ。デッキ11にあるビュッフェのアロハカフェへ向かいます。ここはこの後、ほぼ毎日利用する食堂になりました。ビュッフェスタイルで気楽ですし、アルコール以外は何を食べても無料なので、朝食はほとんどここで食べてました。昼間も帰船してからちょっとケーキだけとか、ソフトクリームだけとか、そういう使い方もしてました。夕飯をビュッフェで済ませた日はほとんどなかったかな。

ただ、初日の乗船直後はほとんどの客がここで時間調整したり食事をしたりするため超混みます。席を見つけるのが大変です。まぁ広いし回転はいいですが。とりあえず空いている席を見つけて座り、一人ずつ食べ物を調達に行きました。味はまぁまぁ。よくあるビュッフェです。

食事のあと、初クルーズ客のお約束、船内探検に出発しました。14階まである大型客船なので暇つぶしにはもってこいです。このとき出たデッキからの眺めで高層ビルの先にダイヤモンドヘッドが見えました。プチ・ワイキキ観光です(coldsweats02

Honolulu_img_20181006_135946


●船室、そして日本語説明会へ

Img_20181006_15063615:00頃になってようやく各船室に入れるという船内放送がありました。私たちの部屋は、プライド・オブ・アメリカのデッキ8左舷後方の船室でした。駆け込み予約の特価とは思えない海側バルコニーのとてもいい部屋でした。近くにエレベーターもあり、わかりやすかったです。

船室に入ると右側にクローゼット、左側にシャワー・トイレ・洗面所があります。洗面所には大中小のタオルセット、シャンプー&コンディショナー、ボディソープがありました。このシャンプー&コンディショナーは髪がパリッパリになるけど整いやすい。また乾燥してるからタオルドライだけでも結構乾きます。

部屋にはダブルベッドと二人掛けソファ、鏡台、冷蔵庫、二段の小さい箪笥、テレビ、そしてセキュリティボックスがあります。鏡台についているドライヤーはなかなか強力でした。コンセントは2口あり、日本と同じサイズですが、一応、変換プラグを使いました。

ベッドの下にスーツケースを収納できるので、衣服は全部出してクローゼットと箪笥に入れちゃいました。ここがクルージングの醍醐味(?)なので。もう帰るまでスーツケースを触らないで済みます。

Poa_rouka_img_20181007_215420ある程度片付けが終わると、15:30から日本人向けの乗船説明会がありました。デッキ6のリバティレストランに集まり、ご担当のみどりさんからレクチャーを受けます。ここで船生活の説明を受けます。

寄港地ツアーの予約方法や食事のときに日本語メニューがもらえることなど、事細かに説明してもらえるので、初クルーズでもかなり安心感が得られる説明会でした。

乗客定員2,186名のPOAはとにかく廊下が長い(笑)。遠いエレベータから昇ってくると、自室には前後どっちに歩けばいいか分からなくなります。

それで廊下の模様にも工夫があり、お魚の大群が前方に向かって泳いでいるデザインになっているそうです。そのなかにところどころ赤い魚が単独で後方に向かっていて、それを見れば船の前後どちらに向かって歩いているか分かるわけです。

説明会が終わり船室に戻って荷物を解きました。その後、テレビで様々な寄港地ツアーやレストラン予約を見て漠然と計画を立てたりして過ごします。わからないことはデッキ5のゲストサービスデスクに聞きに行きます。

デスクでは日本語が出来る米国人女性スタッフの方(名前を失念…)にとてもお世話になりました。7年くらい日本語を学んでいるそうです。「キャンセル待ち」という日本語はうろ覚えだったので、私たちの相手をしてボキャブラリに定着したんじゃないかな。

19:00にホノルル港を出発。もう真っ暗でしたが、船室から眺めた夕陽に染まるサンド・アイランドSRAパークが綺麗でした。さらに船が旋廻すると、大都会ホノルルの夜景と埠頭の倉庫で光る常夜灯のコラボレーションも静かで美しい風景でした。こんな夜景も船旅ならではです。明日の朝はいよいよマウイ島です。

Honolulu_night_20181006_1809_cimg50

Honolulu_night_20181006_1907_cimg50


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.10.28

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 (出発前の準備編のさらに後編)

Img_20181006_121303

今回のハワイイクルーズはクルーズプラネットさんを通して申し込みました。

【Cruise Planet】気楽なフリースタイルクルージング Pride of America で行くぐるっとラクラク南国ハワイ4島クルーズ9日間【成田空港発着】

そもそも私がクルージングに行きたいと思ったのは喜多川リュウ著『海外パックツアーをVIP旅行に変える101の秘訣』を読んでからでした。荷物をそのままに朝起きたら別の土地というどこでもドア感に惹かれますよね~。ズボラなもんで。

予約メールを入れた後、ちょうどクルーズプラネット本社が有楽町に移って2日後に訪問しました。担当してくださった八木さんには本当にお世話になりました。喜多川さんの著書の話とか、TBS「マツコの知らない世界」でおなじみの上田寿美子さんのお話とかもしつつ、船内マップを見ながらいろいろ質問し、とても有意義なお話が聞けました。おススメのレストランも「まさにその通りだった!」とハワイから帰ってしみじみ思いましたね。

一番助かったのは、船会社NCLでWebサイトの登録が失敗したときでした。マイアカウントを作成してから様々な予約を行うのですが、何らかのパラメータの選択を間違えたらしくアカウント登録がうまくいかず、出発直前まで何度も船会社に連絡してもらいました。

誤った登録の修正を交渉してもらい、出発の4日前になんとかログインできました。いま思うと、ここのログインをあきらめていたら船内レストラン予約も寄港地ツアー予約もスムースには出来なかったと思います。

ESTAの申請や旅行保険などは自分で個別にやりました。ESTA申請は、以前ハワイに行ったときには必要なかったので面倒だなと思いましたが、自分でやれば一人$14(2018年10月現在)なのでやってみたところ簡単でした。保険もネット保険ならほとんどの対面販売会社の半額以下です。

海外クルージングはいかに格安といってもそれなりに費用がかかるので(coldsweats01)、お金のかけどころにメリハリをつけていかないと際限ないです…。

●マイアカウントから事前予約

Img_20181006_150741NCLサイトでいろいろ予約できるようになって、最初に予約したのはミネラルウォーター500mlの24本セットでした(happy01)。下船して歩き回るのに水は必須だと思った次第。初日に船室に入ると全部届いてました。

この水は大正解で、最終日に二人でキッチリ飲み終わりました。船内ではソフトドリンク飲み放題ですし、水も毎回ビュッフェのアロハカフェ(デッキ11)に水筒を持って行けば入れられないこともなかったですが、室内冷蔵庫に入れておいて毎朝持って出るだけの気楽さが良かったです。水筒も荷物になるので。

これ以外には、有料レストランのキャグニーズステーキハウスと、カウアイ島での映画ロケ地ツアー(英語のみ)を事前予約しました。その後も、船室のテレビを通して様々な予約が出来るシステムになっていて、この合理性はさすがNCLだと思いましたね。

日本語の寄港地ツアーは船内で予約できるのですが、確実に行きたい内容があるなら、言葉に関係なく行きたい場所に行くほうがいいと思いました。特にいまはネット環境があれば情報は入手可能なので、「この目で見たい、体験したい」というパッションを優先しても楽しめます。

日本人客はまだまだそれほど多くない海外クルージングだと思いますが、ツアーガイドさんはそれなりに気を使ってくれるし、貸出iPadで日本語解説をしてくれたツアーもあったので、言葉の問題をあまり重要視する必要はないと思いますね。特に昭和後半以降生まれなら、中学校英語とか単語が分かればなんとかなりますわ。

●インターネット環境とか充電環境

ただネット情報を入手するにはWi-Fi環境が必須です。船内でも専用Wi-Fi接続できるのですが料金が高い!一日$15~35くらいかかります。もちろん船で移動するので、船内Wi-Fiのほうが確実ではありますが、逆に船外では繋がらないと思うし…。

私は今回、外洋ではなくハワイ島めぐりなのでハワイ専門のWi-Fiルーターなら船内でも通じるんじゃないかと踏んで、アロハデータのルーターを日本で9日間レンタルして行きました。これだと当時のレート(円安ドル高時期でドル買いレートが$1=114~117円くらい)で$70前後でしたし、陸上でももちろん使えます。

結果的にハワイ専門だけあってつながりやすいと思いました。船内でもほぼ使えました。夜中の航海中やカウアイ島のナ・パリ・コースト周辺はさすがにつながりませんでしたが、停泊中や陸に近いところでは問題なかったです。ASUS Chromebookも持って行っていたのでとても重宝しました。

デジタルカメラやスマホも二人分あったので、24000mahの予備バッテリーもふたつ持って行きました(飛行機には手荷物としてなら持込可能)。フル充電しておけば、1台で4~5日はスマホ充電できそうでした。

船室にはコンセントが2つあり、予備バッテリーは無くても良かったかもしれません…。ただ、ベッドでバッテリー容量を気にせずスマホで検索できるという行動範囲の自由度をあげるのに予備バッテリーは重宝しましたね。その間、Chromebookの充電を船室コンセントでやったりしてました。コンセントを使うときは大事をとって変換プラグも持って行って使いました。この変換プラグは変換しながらACアダプタだけでなくUSBも同時につなげるので使い勝手は良かったです。

ヘアドライヤーも持って行きましたがこれも不要でした。妻も私も一度も使いませんでした。かなり強力なドライヤーが船室についているし、基本的に船内は乾燥しているので、タオルドライでもかなり乾きました。

●スーツケース購入

そもそもロングステイ用のスーツケースなんて持っていなかったのですが、クルージングは結構衣服が必要です。特に有料レストランにはドレスコード(というほどでなくても襟つきシャツとか)があったりしてかさばります。

これまでは名品の地球の歩き方2Wayバッグ(Red)で旅行していたのですが、さすがにこれだけでは無理なのでサムソナイトの直営店に行き、アメリカンツーリスターのテクナムを購入しました。これまでもらった商品券をかき集めてほぼ無償で手に入れたわけですが…。

●腕時計の電池交換

腕時計も日本ではしないのですが、旅先では重宝するのでアニエス・bの腕時計を持って行きました。旅行前に貧血で死にそうになった後、リハビリを兼ねて電車と徒歩で数年前にも電池交換をお願いした時計店まで赴き電池交換しました。この腕時計はすぐにハワイ時間に変更し気分を盛り上げました(confident)。

●米ドルの現金購入

現金はほとんど使うことがないクレジットカード社会のアメリカですが、ハワイもほとんど現金不要でした。ただ、ちょっとしたチップなんかを現金で渡せればスマートとか、そういう使い方かな。船内でも現金は100%使用せず過ごせますが、いい情報をくれた船員に$1札をサッと渡してるオッサンもいて、あーやって使うのかと思ったり。

それでチップ用に$1札や$5札を多めに両替してもらおうとトラベレックスに行きました。対面販売の店舗では多少紙幣の種類に自由度があるので浦和店に行きました。ネット上に割引クーポンもありますし。ドル高に向かう時期だったので早めに行ったのですがこれは当たりでしたね。その後すぐに数円ドル高に動きました。

でも、その後、もう少し現金を追加しておこうと再訪したトラベレックス浦和店のお姉さんがとてもフランクで、いろいろ教えてくれました。

すでに数万円分の米ドルを持っているというと、それ以上現金で使うことはほとんどないから、このドル高で追加購入するなら高額紙幣で良いし、今回買う分だけなら為替変動のリスクヘッジにレートアドバンテージオプションをつけられるとか、使わない紙幣は汚すと買取できないから綺麗なまま持ち帰るほうがいいとか、なるほどなるほどとお話を聞きました。

夕方で他の客もいなかったので、ハワイ情報なども交換し面白かったです。チップに関しても、ものすごくお世話になったお店なんかで二人分で$5あげると感激されたとか、そんな話。彼女の場合は、閉店している店に行って、どうしてもここで食事したいというと開けてくれたお店で$5のチップをオンしたそうです。円の買戻しのときもこの人がいたらいいんだけどな。

実際、追加分+αの現金は使わずに帰国しました。チップもクレジットカード払いのときに書き込むだけで紙幣は使いません。

少額紙幣もそれなりに使いましたが、あえて小額紙幣やコインを減らそうとして使ったとこもありました。ただハワイに行ってからもドル円相場をチェックしていて、ちょっと下がって来ていたので、あえて現金でなくカード払いにしたりしました。カードのほうがレートが良かった時期なので。

●リムジンバス予約

成田発にしたので電車のほうが速くて安いのですが、昨今は台風24号25号が立て続けに来たり、強風暴雨があったりして電車が止まりがち…。前日も京成線が塩害で止まったりしていて、予断を許さないタイミングでした。

それで前日に大宮発のリムジンバスをネット予約しました。大宮までなら最悪電車が止まってもタクシーで行けるので。リムジンバスは快適でいいです。渋滞や通行止めでもなんとか回避策を模索してくれるので、かなり早い時間のバスを予約しました。

15:20大宮発のリムジンバスで成田空港第2ターミナルまで。出発は22:00のJAL782便です。16:55に空港につき、5時間暇つぶし。とりあえず夕食に天丼を食べ、19:00頃に荷物を預け、出国便専用の「SKY LOUNGE 和」で休憩したりTOTOのトイレの近未来感に迷ったりして、定刻にいよいよホノルルに向けて出発しました。

JAL機内では映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』を二人で同時に再生し鑑賞しました。JALだと日本映画が充実してるのでいいですね。

なんだか旅行記にまったくなっていない気がする…。本編は次からの予定です(confident)。ただ、もうフォトアルバムも完成してしまったし、裏話的な内容に終始する可能性は多々あり。未来の私たちに向けての備忘録みたいなものですね。

Img_20181006_211317_toto

pen
Day 1:2018年10月06日(土)
15:20 大宮発リムジンバス
22:00 成田発 JL782便

(つづく)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.10.21

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 (というより準備編)

Hawaii_cruise_title_2

10月6日から14日までハワイ4島クルーズに行ってきました。新婚旅行に行っていなかったので、休みを合わせられるこの時期、というより10月6日(土)ピンポイントで出発できる旅を探したところ、クルーズプラネットさんでハワイクルーズを見つけた次第です。

もともと私自身は結婚したら物理的にしたいことがふたつありました。一つは冷蔵庫の買い替え(笑)。そしてもうひとつが海外クルージングの旅でした。どちらも実現できて良かった~。おまけに旅行直前に洗濯機が壊れたので、帰国翌日に洗濯機も買い換えました(coldsweats01)。

●出発までのドタバタ悲喜劇…

最初は日本一周+釜山のクルージングを見つけていたので、海外は釜山だけだけどこれにするかなぁと思っていました。というのも、10月6日(土)出発で探し始めたのが8月のお盆過ぎだったから。また初クルーズだし日本一周は気が楽というのもありました。子どもの頃、少年の船で日本一周しているし。

その後知ったのですが、海外クルーズの場合、早い人は120日前から予約を入れるわけです。そのため、事前キャンセル保険なども充実していたりします。10月出発の旅を8月に探し始めるというのは普通の海外旅行でも短めですが、クルージングではかなりの直前なのでした。

そんな中、旅行会社のクルーズ旅行パンフやネット検索をしていた8月18~19日の土日に、クルーズプラネットで10月6日出発のハワイ4島クルーズに空きを見つけてしまいました。それも海側バルコニーの部屋で、クルーズ旅行としては破格の安さでした。キャンセルが出たのかな?

とにかく年間通してここまで安い金額は見たことがありません。この価格での予約期限は2日後に迫っていました。そこで急遽「ハワイ行く?」「うん。」となり、クルーズプラネット有楽町本社を訪問可能な日付も書いてメールを入れ、なんとか予約は出来ました。

しかしこの時点で妻のパスポートは期限切れ。このタイミングで予約を入れてからパスポート取得するという綱渡りでした。お世話になったクルーズプラネット本社の八木さんに、ギリギリ待っていつまでに必要かを確認し逆算して取りました。

Hakone_20180916_001とりあえずこれでひと段落。9月15,16日に予約していた箱根旅行に出かけました。この箱根旅行は、クルーズが決まる前のある日、宿の空き状況を確認したら、この土日だけ一部屋空いていたので即行で予約していたものでした。

本来はこの箱根旅行記を先に書きたかったのですが、とある事情で出来ませんでした。それは箱根旅行から帰宅した翌日、私が下血してしまいまして…。下痢かなと思ってトイレに行くと鮮血がドバーッと出てきました。

ヤバいとは思いましたが、とりあえず様子見したのです。そこから二日間、トイレで大便をしようとするたびに鮮血がドバーッと出てしまいます。そして貧血でフラフラになり、これは異常事態だと病院に行きました。すると今度下血したらショック症状を起こすから救急車を呼ぶよう言われて紹介状を書いてもらい帰宅しました。

その翌日は安静にして翌日また病院へ。結果としては大腸の憩室炎だったようです。とりあえず点滴をして、鉄分補給して、内視鏡検査の日程を決めました。このあたりの数日は水しか口に出来ず、体重も5キロほど減りました。

9月25日(火)に内視鏡検査で小さい大腸ポリープも見つかりそれを取ったりもしましたが、鉄分補給の薬を毎日飲み続け、9月29日(土)には憩室炎も落ち着き、海外旅行も大丈夫でしょうということになりました。内科の先生と見つめ合って「間に合いました…」とつぶやきました。ハワイ行きのちょうど一週間前のことでした。

そこからの一週間はとにかく体力(筋力)が戻るのを待ち、なんとか出発できました。そこはもう気力の問題でしょうか。ただ、貧血の薬は持って行きました。

後日談ですが、内視鏡検査の結果は、旅行後の10月19日(金)に聞きに行き、特に問題なしということでホッとしました。

内視鏡検査した日に、次回通院日の話になったとき、「実は新婚旅行に行っていないので来週からハワイに行くんです…」と看護師さん話して「わおっ!」と言われたので、おそらく美談として全員に伝わっていたと思います(笑)。それで結果聞きのこの日、お土産にアイランド・プリンセスのチョコを持って行きました。

さて、ハワイイ紀行です。ブログ記事のタイトルを池澤夏樹さんの名著『ハワイイ紀行』にあやかって(?)、ハワイイ・クルーズ紀行にしてみました。クルーズなので「ハワイイ寄港」と迷いましたが…。

池澤さんの著書は15年前にハワイに行ったときに読んでいるので、今回は持って行きませんでした。他の文庫本は持って行きましたが結局読む時間もないほど充実した旅になりました。

ただ、ここからハワイイ・クルーズ紀行を書き続ける時間があるかどうか…。とりあえず、帰国後に富士フイルムさんのPhotoZINEで作り始めた旅行のフォトアルバム(全96頁)の編集が昨日終わって発注したので、そこに書いたコメントをブログに転記しつつ、裏話なども追加していければと思ってます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.10.15

終わらない夏旅 2018 後編

Saijyousama_20180810_1613168月10日、京丹後市を出発し、岡山県久米郡美咲町にあるたまごごはんの聖地かめっちを後にして、一路岡山駅を目指しても良かったが、実はこの日の朝、QUCHIの店員Mさんにメールして19:00に予約を入れてもらっていた。

そうなると結構時間があるので、途中でどこか寄れるところを探した。そして訪問したのが最上稲荷山妙教寺。何の知識もなく訪れたわけだが、オフシーズンだったため静かにお参りできた。幸運ショップゆかりという売店があり、とても涼しくて助かった。

この売店には感心した。これだけの種類のグッズというか御守を揃えるのはすごい。お稲荷さんの面目躍如というか…。おかげでいくつか妻にお土産を購入できてよかった。

お参りを終えて、あとは奈義ビーフのレストランQUCHIを目指すのみだ。先日の西日本豪雨で大きな被害をうけた農家さんもあったという話だったが、我々に出来るのはただ復興を願って食べることのみ!

これまでの夏旅のなかでもっともQUCHIに近いホテルにチェックインし、QUCHIに向かった。

Quchi_20180810_223409

もう言葉はいらない(lovely)。我々の岡山訪問を待って退職日をこの十日後にずらしてくれたMさんに感謝。退職後は学びたいことがあるとのことだったが、来年には結婚され、四国で新しい生活を始められるそうだ。

結婚式も家族だけでとのお話だったので、PhotoZINEで作った私の結婚式スナップ集をお見せしたところ、かなり喜んでもらえたので、一冊進呈させてもらった。サンプルとして使ってもらえればありがたい。食べ終わって記念撮影もして店を出た。

来年以降のことは分からないが、岡山県に宿泊するときにはQUCHIを目指したい。そこは変らない(confident)。

QUCHIまで参加してくれたE氏はここでお別れ。この日最終の新幹線で名古屋に向かった。なんでも翌日(の夜に)名古屋であるコンサートを鑑賞に行くそうだ。グッズ販売の列には朝4~5時から並ぶ猛者どもが数百人いるそうで、その中にE氏も参加するのだという…。そんな強行軍で参加してくれたE氏に感謝!

Hiroshima_20180811_113130翌朝、8月11日。ここからは実家の山口県に向かうばかり。長崎県出身のドライバーS氏も出来るだけ早く帰郷したいと先を急いだ。

とはいえ、朝食は食べたい。そこで山陽自動車道(下り)の福山SAのレストランでモーニング尾道ラーメンを食べた。これが不意をつかれた美味しさで大満足。フードコートが激混みなのにこちらは閑散だったけどラーメン好きならオススメするな。この朝ラーメン

朝食も食べたし、高速道路を好調に走っていたが、ところどころに西日本豪雨災害の爪痕を見た。日本では本当に災害が多くなったと実感する。規模の大きな地震に台風、さらに台風でない強風豪雨でも激甚災害に認定されるレベルの被害が次々と起きている。この傾向は今後も続くのだろうか…。

こうして19年目も夏旅は終わることなく続けることが出来た。来年もし実施できれば20周年アニバーサリーとなるが、メンバーそれぞれの予定すり合わせだけでなく、天変地異も気にせざるを得ない気がする。

※これを書いている10月15日(月)は、妻とのハワイ4島クルーズから帰国した翌日。ようやく夏旅2018後編を書き上げることが出来て良かった。私の休暇はもう一週間あるので、そこでひとくちメモもハワイ旅行までたどり着ければいいのだが…。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2018.09.30

終わらない夏旅 2018 中編

名田庄を後にして、岡山県に向かうまでの間は、完全にノープランだった。私は中村伸一院長に会えず意気消沈していた。雨も降り続き、山道をただただ西へと走っていた。ただ、ここから一足飛びに岡山県へというわけにもいかず、どこかで一泊することだけは確かだった。それをどこにするか迷っていたが決定打がなかった。

そこで、まずは琵琶湖を北ルートで進むか南ルートで進むかを検討した。どちらもこの夏旅では走ったことがあった。ただ、南ルートは何度も通っているのに対して、奥琵琶湖方面は2011年の夏旅で城崎温泉を目指した年、一度しか走っていない。

また、その先の日本海側の京都には泊まったことがない。山口・九州方面を目指す我々がなかなか行かない(通らない)うえに、泊まるという選択もほぼない土地、それが“日本海側の京都”だった。だからこそ、こういう機会に泊まる意味はあるんじゃないかと思い、日本海側の京都のどこかを目指すことにした。

こうなると、あとは泊まれるホテルのある場所で、できれば美味いものが食えそうなところを目指すことになる。さらに深夜についても美味いものにはありつけないから、夕食時間には到着できるところでなければならない。そして決めたのが京丹後市だった。名前がいかにも京都風で、なにか古都の風情が残っているんじゃないかと期待した。

しかし、お世辞にも古都の風情とはいえない片田舎といった雰囲気だった。

●京丹後市のあみ☆けんで舌鼓

スマホで当日宿泊予約を入れたホテルは結婚披露宴なども予約できるところだったのだが、着いてみるとほぼビジネスホテルだった。ホテルの周りも車で3週くらいしてみたが、ほとんど夕食を取れそうな店はなく、喫茶店とラーメン屋(ここはちょっと興味をそそられたが)くらいしか見つけられなかった。こりゃ夕食はホテルのレストランかなくらいの感じで、まぁ翌日の熟成肉もあるし、ここは通過点と考えようと思っていた。

Img_20180810_151427とはいえ、S氏がスマホを駆使して一軒の店を見つけた。美味いものへのあくなき欲望でS氏にかなう者などいない。とりあえずホテルから明かりが見えるあたりにいい感じの店を見つけた。いつも満席といった評価だったのでS氏が電話して予約を入れて店に向かった。これが名店あみ☆けんさんとのファーストコンタクトであった。

あみ☆けんさんについてはツイートをしているのでそこにリンクしておきたい。

@hitokuchimemo 2018/8/9 21/28

とにかく居心地のいい店内。我々が食べながら味についていちいち大声で絶賛していたのが聞こえたという店長さんからお礼を言われてしまった(happy01)。死ぬほど食べる3人だからな…。そればかりか、帰りには表に見送りに出て来てくれて、なんかまた来たいなって気持ちになった。旅先でこういう美味しい店を偶然見つけることは行き当たりばっ旅の醍醐味のひとつといえる。

翌朝、近くの喫茶店でモーニングを食べ、せっかく京丹後に来たのだから丹後ちりめんのひとつも見たい(買えれば買いたい)と思い、近くを検索して道の駅てんきてんき丹後に向かった。

ここに限らず、今回の夏旅では道の駅をいつもより多く訪問していると思う。それはS氏が道の駅ガイド本を持って来ていたから。道の駅に敏感になっていたので、いつもより連想しやすかった。

道の駅てんきてんき丹後は朝から開いていて、ちりめん商品もいくつか販売していた。妻へのお土産をここで買えたのはよかった。このとき購入した花柄のちりめん巾着はいま化粧品入れとなっている。

●卵かけごはんの聖地を再訪

道の駅てんきてんき丹後を後にして岡山県に向かった。若干小雨が降っていた。今年は降ったりやんだりと天気の変化が大きかった。

京丹後市から岡山駅までの区間を地図で見ていて、あることに気づく。

「そうだ。卵かけご飯の聖地いこう!」

私とS氏とは昨年訪問済みだが、何度行っても飽きることなどない。聖地とはそういう存在だろ?

しかも今回はE氏もいるので、聖地を体験してもらうにはベストなタイミングだった。

聖地に着いた頃には雨もやみ、店の前には入店待ちの人々が数組いた。むろん我々も待った。350円で卵かけご飯(黄福定食)食べ放題という安さにも惹かれるが、シンプルに美味くて満足という感覚。たまにしか行けないし。

後編につづく(たぶん)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.09.01

終わらない夏旅 2018 前編

懸念された今年の夏旅。まぁ、その懸念材料は私自身の結婚だったわけだが。妻から「行ってくれば」とのお許しをいただき出発できた。

今年は西日本大災害もあったので太平洋側のルートではなく日本海側に出て西を目指すという漠然としたイメージがあった。富山から城崎温泉を通り山口県へ、かつて行ったところを再訪して巡ってもいいかなと。

そこに思いがけなく一本のメールが届いた。それは2015年から毎年夏旅で寄っていた岡山県のQUCHIの店員さんからだった。

なんと今年結婚退職をされるとのこと。さらに我々が今年も訪ねてくれるかもと退職時期をずらしてくれた旨が書かれていた。

メンバーにこのメールのことを話すと、当然ながら「こりゃ行くしかない!」と即決となり、岡山駅を目指すことが決まった。ただし何日目になるかはこの時点で未定だ。そのゆるさが夏旅なのだ。これでいいのだ。とりあえず出発するが日程決まらずとメールを返した。

出発日も8/7か8/8かで迷ったが、埼玉出発の三人のうち私とE氏の二人が8/8ならスタートから同乗可能となった。この二人は昨年の夏旅で二人とも新大阪まで新幹線で行って合流したわけだが、どうせならスタートから一緒にということで、8月8日の朝出発となった。

運転するS氏も買ったばかりの新車だ。前のシトロエンはとにかく故障のオンパレードで維持費がべらぼうにかかり、外車には懲り懲りしたようで快適な国産車での旅となった。自動運転はロングドライブには欠かせない(らしい)。

Geroonsen_20180808もう一人のM氏は名古屋から合流するのだが、確実に渋滞する東名高速は避けたい。しかしM氏は8/10には仕事で8/8に合流したら翌日には離脱というハードスケジュールだった。だから「じゃあ富山で合流」とも言いづらい。

そこで白羽の矢を立てたのが下呂温泉だった。初日は下呂温泉に宿を事前予約し、埼玉組は車で、名古屋のM氏は電車で来ることになった。だが、名古屋から下呂温泉までの在来線は昨今の西日本豪雨の影響で運行中止だとわかり、M氏は急遽バスで往復することとなった。こんな日常にも異常気象が入り込む2018年の夏だ。

●泉質には折り紙付きの下呂温泉!

ここ数年、どうも天候が異常だと巷ではみんな言ってる。2020年にはこの炎天下で東京オリンピックが開かれる予定で死人が出るんじゃないかとみんな言ってる。そんな世間の声が届いたか届かないか知らないが、これまで何一つ正解を出したことがない政治家森喜朗元総理大臣がオリンピックのためにサマータイムを導入してはどうかと言い出している2018年。2時間時計を早めようという。愚かさ、極まれり。きっとこの暑さで頭がやられたんだろう。

そんな異常気象のなか、下呂温泉は西日本豪雨の影響でJR高山線の運航中止に続き、8月6日には国内2位タイの気温41.0度を記録した。その二日後に思い立って下呂温泉に向かった我々。交通と天候とダブルパンチで観光客を遠ざけている下呂温泉だからこそ、我々にとっては宿が探しやすかったのかもしれない。

下呂駅前の老舗ホテル水明館を予約した。とても居心地の良いホテルだった。日本三名泉(有馬、草津、下呂)といわれるだけあり、入った瞬間にわかる実に良い温泉だった。お土産もこのホテルで買った。このホテルはまた来たいと思った。

夕食は川を渡った先の個人経営の居酒屋で下呂の郷土料理鶏ちゃんなどを食べた。夫婦で仕切っている店だったが、それなりに繁盛していた。注文を取る奥さんに何人前くらい量があるか聞いたときのめんどくさそうな受け応えが印象的で味は覚えていない。


●初の名田庄参上!中村伸一院長との邂逅は!?

さて、今回の夏旅は個人的に所縁の方の土地を回る旅に偶然なった。下呂温泉は私の師匠であるマット今井氏の選挙区であり、ポスターをいたるところで見かけた。出会った頃はまさか政治家になるとは思っていなかったし、ハッキリ言って今の所属政党をまったく支持しないけど、個人的には日本のために頑張って欲しいとは思う。もう10年くらい会ってないな…。

翌朝の8/9、水明館から出発。バスで名古屋に帰るM氏を下呂温泉のバス乗り場まで送った。これで全員がこの新車に乗ったため、夏旅成立となった瞬間だった。ま、特にルールがあるわけではない。縛られるのが嫌いな行き当たりばっ旅だから。

Natasho_20180809_155603ここから先は岡山県に向かうが、一日では進めないため出発前にメンバーに途中のルートで福井県の旧名田庄村で寄りたいところがあると告げていた。そこは「名田庄診療所あっとほ~むいきいき館」。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介された中村伸一院長の仕事場だ。中村院長はドラマ「ドロクター」のモデルでもある。

中村伸一院長のことを知ったのは2009年の3人の中村伸一トークライブだった。そのライブのことを私が熱く(good)ブログに書いていて、中村院長にも知ってもらえた。その後、院長の書籍をご担当されている編集者のIさんと別の講演会でたまたま知り合い、講演会後に初顔合わせといったご縁だった。最近は年賀メールくらいだったけれど、著書はすべて購読してる(scissors)。

事前に、8/9に職場でお会いしたい旨を院長にメールしていた。こっちは夏旅中だが院長は神聖な職場でお仕事中なので、ご挨拶程度でもお会い出来ればという感覚だった。院長からも握手と写真くらいしたいとの心強い返信をいただいた!

そして勇んで名田庄地区に向かったわけだが、天候が悪く雨が降り初め、また思った以上に遠かった…。

院長はお昼休みくらいの到着をイメージされていたのだが、こちらは午後何時に着けるか分からないまま進んでいた。途中、ショートメールで何度かやり取りさせてもらったが、院長は午後から出張に出られるとのことだった。それでもギリギリまで待っていてくださった。

我々はようやく15:40ごろ名田庄診療所に着いた。受付に「中村院長は…」とお尋ねすると「ギリギリまでお待ちだったんですよ…」とのご回答(weep)。おそらく数分の差と思われたが、中村院長は出かけられた直後だった。

仕方なく診療所のなかを少しだけ見学させてもらい、インターンの若い医師や看護師さんにご挨拶して名田庄地区を後にした。その後、残念メールを入れて、「また名田庄で会いましょう」とのご返信をいただきました…。

中村伸一院長には会えなかったが、名田庄地区がどんなところか見て来たことは有意義だった。こういう深い自然のなかで生活する贅沢といったものはなかなか頭で考えても実感できない。ただ、やっぱ遠い…。

無念の名田庄訪問を終え、我々はどこに向かうか協議を始めた。この先の岡山県までのルートは決まっていない。だがどこかに泊まる必要はある。さて、どこにするか。GoogleMapを眺めつつ、ホテル予約サイトも検索しつつ、この日の宿を探す我々であった。

(後編につづく。たぶん…)


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.06.10

松田聖子コンサート Merry-go-round2018

Seiko_merrygoround2018昨日6月9日(土)、松田聖子の芸能生活39周年目のコンサートツアー初日を妻と観に行った。

微妙に聖子世代ではない妻に聖子バイブルDVDを見せ、午前中にはradikoタイムフリーで、前日放送された「松田聖子のオールナイトニッポンゴールド」を一緒に聞いて予習した(笑)。

さいたまスーパーアリーナで聖子を見たのは16年ぶり。前回は2002年のジュエリーボックスツアーだった。SAYAKAが初めてステージに立ったあの日だ。その頃はまだブログがなく、オレはホームページで熱く語っていた

その後、2010年の武道館30周年、2014年の武道館プレ35周年と観に行き、今回またさいたまスーパーアリーナへとメリーゴーランドのように(happy01)巡って来た。プレ40周年ともいえる。

聖子はさいたまスーパーアリーナを初日に選ぶことが多い。どうしてだろう。基本的に始めたことを継続するのが好きな性格のようだから、ツアー中の食事はこれ、トレーニングはこう、初日はここ、みたいなルーティーンがあるのかもしれない。イチローを連想させる聖子のストイックさ。

コンサートは新作アルバムの「Merry-go-round」からの新曲と、アコースティックコーナー、往年のヒットメドレーという感じで、もはや大御所の貫禄すら漂う黄金律のステージとなっている。

新作はここ最近の聖子アルバムのなかでも評価が高くなるんじゃないか。もはやシンガーソングライターとなって作詞作曲も聖子がやっているが、アレンジャーさんが聖子ワールドに仕上げてくるのでコンサートのオープニングを飾るいい楽曲が揃っていた。バラードもいいけど、やっぱキラキラサウンドをたくさん聴きたい。

アコースティックコーナーは、ギターがエレアコなだけでバンドが入っているので、かなり幅広く選曲でき、自由度の高いコーナーで毎回楽しい。武道館で見た時はリクエストコーナーになっていて、リクエスト曲を垂れ幕で書いてくる猛者が数多くいて引いたが(coldsweats01)、さすがにアリーナレベルではそうもいかないのだろう。

赤いスイートピーのガラパゴス的な進化は特筆に値する。北朝鮮のマスゲームに匹敵するのではないか。アリーナが真っ赤なお花畑になってしまう。

「赤いスイートピーについては皆さん、プロでいらっしゃるから~」と聖子も舌を巻く風物詩となっている。オフィシャルグッズにも造花の赤いスイートピーがある。改良に改良を重ね、今回専用ケースも開発された(ケースだけの単品売り有り)。カバンから取り出すのも仕舞うのも素早い聖子ファンのお家芸。その進化を確認するのも楽しい。

後半のヒットパレードは何回聴いても飽きない。こちらも年を取ったせいだろう、青い珊瑚礁には年々グッと来てしまう(confident)。

そして聖子のMCは特筆すべきだ。コンサートDVDには残らない部分だけに貴重な語りだが、映像化でここを落とすのはもったいない気もする…。まぁそれを面白がってるぶっちゃけトークだから面白いという面もあるけれど。

昔のフォークソングの歌手には、語りがメインの人がいた(笑)。語りと語りの合間に歌うかのようなステージで客もその語りを楽しみにしてる。聖子のステージには、そんなしゃべりの面白さ、客いじりの面白さもある。初めて聖子のコンサートを見た妻も、聖子のしゃべりにゲラゲラ笑っていた。

heart04

松田聖子の健全さは、ステージへの責任感からめっちゃ感じる。十代でアイドル歌手になりちやほやされて生活が乱れて消えていく少女はたくさんいる。トップアイドルの中にも変なお仲間とつるんで落ちていく人が何人もいた。20代までのトラップはそういうところにあるが、聖子はまったく健全にアイドルを全うした。

アイドルとして堕落しなくても、今度は人気商売特有の問題が待っている。特に女性アイドルの場合は、そこから女優転身だったり、様々な資格を取って本でも書いてみたり、結婚して子どもを産んでママタレになったり、芸能界の居場所を探して模索する時期が来る。ここでも聖子は歌手だった。

アメリカ進出とかバッシングとかいろいろ芸能ゴシップ的にメディアで取り上げられる時期もあったが、本人のなかではきっと歌手という線からはまったくブレてなかったんじゃないだろうか。そしてバッシングをかいくぐった先に圧倒的な女性支持が待っていた。普遍的な愛を歌うバラード群は、働く女性に夢の体現と癒しとをもたらした(気がする)。

昨日のコンサートについてのツイートを観ていると、奥さんが聖子ファンで連れていかれる夫のつぶやきもあった。いまでこそ女子のアイコン的アイドルは成立しているが、80年代に活躍した元女性アイドルでは考えられない。誰も想像できなかったはずだ。そういう意味でも聖子の切り開いてきた地平は唯一無二のパイオニアだったと思う。

芸能史のなかでは、松田聖子こそが美空ひばりの正当な後継者なんじゃないかと思う。時代そのもの。この時代に生まれて松田聖子のコンサートに参加できた幸せ。40年に渡りアリーナを埋め尽くし、会場がみんな歌える歌があり、しゃべりで会場を笑顔に出来る歌姫。

来年は40周年なのでチケットがとりにくい可能性はあるが、もし取れたら来年も行きたい。

この日のさいたまスーパーアリーナはDVD化される。オモシロトークはほぼカットのようだが、聖子が言った「皆さんとの思い出映像」を妻とホームシアターで楽しみたいと思った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.06.03

「万引き家族」にボクの心も盗まれた…

Manbiki_kazoku第71回カンヌ映画祭パルムドールを受賞したこの作品を見ようと決めたのは、受賞より少し前、板橋区のイオンシネマでチラシを見つけたときだった。この色彩、構図、ライティング、そしてキャスト。このチラシの訴求力は完璧だった。

その後、音楽を細野晴臣さんが担当していることを知り、日本映画界21年ぶりのカンヌ映画祭大賞を知り、それによって6月2日(土)の先行上映が決まったのを知った。

先行上映を知ったのは、前日の6月1日(金)だった。今日6月3日(日)に妻が友人とランチに行くというので、それならオレは映画でも見るかと映画館のサイトを眺めていたときだった。

二日間だけの先行上映、ドラママニアの妻に「万引き家族は観たい?」と聞くと食い気味でうなずく。それなら先行上映の初回に一緒に行くしかないと、土曜初回の上映を予約したのだった。そしていま、妻はランチに、オレはブログに…というわけだ。

●女優陣が好き過ぎる!

是枝監督の映画に初出演の2名の女優、安藤サクラと松岡茉優。ひとくちメモでも何回か熱い想いを書いた2人の女優だ。

松岡茉優に最初に注目したのは、NHKドラマ「限界集落株式会社」でだった。その時のひとくちメモにこう書いた。

pencil
ちょっとした相槌とか、そういうとこに才能感じる。深津絵里や山口智子に感じたような。ボクの好きになるポイントをついてくる女優っていうか(笑)。

その感覚はいまも変わらず、「万引き家族」でも松岡茉優の魅力が引き出されていたと思う。内面にある愁いを目で語る女優だ。

安藤サクラは、園子音監督「愛のむきだし」が最初だった。その時のひとくちメモでは作品の圧がすごくて(coldsweats02)、安藤サクラについては「顔が好き」としか書いていない。

ただ、安藤サクラを知ったことが名作「百円の恋」の鑑賞につながり、NHKドラマの「ママゴト」を観るきっかけにもなり、安藤サクラ好きが決定的になった。

この二人が共演する、もっといえば樹木希林さんと家族を演じるというだけで見る価値がある。現代の日本映画、そして未来の映画界を豊かにする女優陣であることは間違いない。


●細野晴臣の映画音楽が聴ける!

細野さんの音楽って、ボクの人生に常に伴走し心の中でいつも伴奏つけてくれてた。一筋縄ではいかない音楽家だ。ヒットソングの作り手であることは間違いないが、もっともっと異形の音楽家だ。

映画の劇伴のイメージはあまりないけれど、細野さんの音楽はとても映像的だと思う。ご本人も映画好きだから、映画からインスパイアされて曲を作られることも多いのだと思う。

この映画に音楽を付けるにあたり、映像に仮音を入れないで見せてほしいと言われたそうだ。映像から自分のイメージの音を紡ぎ出す細野さんだから、そのほうがインスピレーションが湧きやすいのだろう。それだけに映像に溶け込んだ細野晴臣の音楽は映画と一体化する。

映画の冒頭からいきなり音楽に惹きこまれた。決して主張するような音ではないのだが、そこには確かに細野晴臣の音楽らしさが漂っていた。

ツイッターでそのことをつぶやいていた時に、こうも書いた。

pencil
細野さんの音楽にある異形感みたいなものがとっても効いてたと思いましたね。

そういうところで私が連想したのは、細野さんの曲ではないですが、新藤兼人監督の「裸の十九才」でした。音楽の捻れと情感の捻じれのシンクロが似てたなぁ。

「裸の十九才」もひとくちメモで書いた名作映画だ。そして犯罪者(永山則夫)が主人公の映画だった。

●家族を考えさせられる!

家族は祖母の年金をあてにして生活し、父は日雇い労働、母はパートタイマー、性風俗で働く娘がいて、小学校に通わせていない男の子には親が万引きを仕込む。祖母も離婚した夫(既に死亡)の家族にカネをせびったりする。

ある意味、とんでもない家族なのだが、現代日本にこの貧困はリアリティがある。もしかすると近代化する以前の日本の貧農生活はこうだったのではないかとも思った。明治維新、戦争、高度経済成長を経て、日本はまた貧困への道に迷い込みつつある。

土着の日本人の姿がこの映画のなかには描かれていて、そのリアリティがヨーロッパでシンパシィを感じられた所以かもしれない。この日本人観は35年前のパルムドール「楢山節考」ともつながっているような気もする。

家族とは不思議なものだ。結婚してから余計にそう思うようになった。ふと妻を見て「この人、他人だったよな」と思うことがある。お互いに同意して婚姻届けを出して夫婦となったけれど、もともとは赤の他人。それなのに愛おしい。

血のつながりが家族なら、親子以外は家族じゃないが、近親相姦は人類を滅亡へ導くタブーであり、人類はリスクを背負ってでも飛躍し、近親者以外と子孫を残すしかない。それでも血のつながりを特に重視する血縁の関係性とは何なのか?それは自己愛の投影でしかないのではないか。そんなことも考えた。

カネだけでつながっている「万引き家族」のもとにやってきた少女への愛が、血のつながりのある少女の家族によるネグレクトなどと対比され、社会が押し付けてくる正義や法律のもとに断罪される。

万引きへの疑問を感じた男の子の行動が、この家族の崩壊をもたらすが、それでもつながっていたいと思う心の問題は、この家族の土着的なつながりに現代日本の社会問題を投影する。

法律だけのつながりの家族と、カネだけのつながりの家族と、どちらかが尊くてどちらかが正しいのか。

本人の生命にとって大切な人間関係を家族と呼ぶ自由がなく、不自由でも法的関係性だけを尊重する家父長制的家族制度の限界を突きつけられている日本社会や政治の現実がある。

以前、「『誘拐』 犯罪者は社会的弱者である」という書評を書いた。倫理の狭間で人間や社会を問うという意味ではドラマや映画にもなった「八日目の蝉」にも心を揺さぶられた。

「万引き家族」で親元に戻った少女が、ふと何かに目を止めたようなしぐさを見せるラストシーン。そこに希望を見出したくなるが、それは実は絶望的な社会のなかでの救いでしかないと気付く。

法的な正しさが幸せをもたらすとは限らないが、本来の姿を幸せだと思える日本が実現できればそれが一番いいとも思う。

世の中の捻じれが貧困を生み、貧困が犯罪を生む。それは高度成長の時代もいまも、実は同じなのだろう。世の中の環境はどんどん変化していくが、貧困のカタチはいつも同じだ。そこへの視線を忘れた社会は滅ぶ。

この映画がインディーズでも単館系でもなく、ロードショー公開される商業映画でパルムドールを受賞したことの意義はとてつもなく大きかったと思う。世界的な貧困や複雑化する家族の問題から日本の映画が逃げていないことも評価されたんじゃないかと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2018.03.24

いびき低減大作戦(笑)

宇宙、そこは最後のフロンティア。
これは、宇宙戦艦エンタープライズ号が、新世代のクルーの下に、二十四世紀において任務を続行し、 未知の世界を探索して、新しい生命と文明を求め、 人類未踏の宇宙に、勇敢に航海した物語である。(新スタートレック オープニングナレーション辞典より)


いびき、それは深夜のフロンティア。
これは、新婚生活ポップンポールが、いびきラボの分析を基に、二十一世紀において任務を続行し、未知のいびきを探索して、新しい方策と軽減を求め、夫婦円満の安眠に、勇敢に航海した物語である。


というわけで、久しぶりのブログ更新で話題はいびきです(coldsweats01)。おいおい、音楽や映画の話はどーしたんだというお声、もうないでしょ。いま一番興味のあることは日常生活なものでheart04

さて、いびきです。自分では気づかないけれど、夏旅で他人の地響きのようないびきを体感してきた身としては、きっとオレも…という気はしてました。それがビンゴ!ビンゴ!大ビンゴ!まさに大いびきをかいていたわけであります。

通常、人は疲れたり大酒飲んだり大食いしたときに大きないびきをかくと言われていますが、まさか日常的にこれほどのいびきをかいているとは、いやはや人類の神秘ですな。

しかし神秘を神秘のままそっとしておけないのが夫婦の共同生活のようであります…。「眠れない」と言われてしまっては一大事なのであります。よほどのことでは動じないポップンポールですが、これは早急に取り組まねばならない、と思い立ったのが昨年の10月下旬でございました。

●レコーディングで己を知れ!

まず何から取り組むか。5年間糖質制限をしているとはいえ、これ以上のダイエットには時間がかかるし、何より自分自身の状態がわからなければ対処方法もその効果も計測できないと思い、まずは計測することから始めました。

スマホはこういうときに役立ちますな。アプリを探したら「いびきラボ」というとんでもなくすんばらしいアプリがありました。最初は無料で使い始めましたが、すぐに有料版にバージョンアップしました。

このアプリはいびきの現状認識に欠かせません。録音してグラフ化できますし、日々の対策や要因などもメモしておけます。録音状態もクリアですし、ポイントとなる部分にマーキングすることも出来て、とにかく日々の記録には持って来い。

まさに日記感覚です。なんだかいびきをかくのが楽しみになってくるな…。あ、いやいや、いびきを日々軽減できてることが実感できてうれしいです。

そして五か月取り組んだ結果を並べてみます。

巷に「いびきラボ」で計測したいびきスコアが20前後でいびきを改善しようとしている人がいるようですが、そういう人から見るとまさに神秘的なスコアをお見せしましょう…。

Ibiki201710201803_b

左の画像は2017年10月28日の記録です。この五ヶ月間で最高記録、いびきスコア158をマークした日…。正直このスコアというのがどういう数字かよくわからないんですが、小さいほうが計測時間内全体を通していびきのうるささが少ないようです。

画像にはしてませんが、ちなみにこの日の「いびき%」は71%でした。おそらく計測時間を100%として71%(4時間4分)はいびきをかいていたんです。そのうち「喧噪%」は55%(2時間14分)、「激しい%」は24%(59分)で、いびき全体の79%(約3時間)が「うるさい」というわけです。

特にこの日は妻と焼肉を食べに行った日で、大食い大酒も要因となっていて、お酒を飲まない妻には耐え難いうるささだっただろうと思います…。

右の画像は最新の2018年3月23日の状態です。下段を音の波形画像にしてみました。こんな感じでグラフィカルにわかるのはいいですよね。DTMで作曲したりしていた私には見慣れた波形ですが、まさか自分のいびき波形をみる日が来ようとは(confident)。

この日のいびきスコアは33でした。なんとうるさかった五ヶ月前から80%OFFですわ!その他の比較も、

いびき%:71% → 25%(1時間24分)
喧 噪%:55% →  6%(4分)
激しい%:24% →  0%(0分)

と、劇的に改善されています。これは何が原因だと思いますか。愛の力でしょうか…。なんつって。

この間の最低スコアは14でした(3月16日)。ただ、この日は寝つきが悪く、夜中に何度も目が覚めていたので、いびきをかいてる暇がなかったようにも思います。

また、最近は夜中にBGM代わりに有線放送の波の音をエンドレスでかけて寝ています。無音よりも多少のノイズがあるほうが眠りやすいということに気づいたのです。その波の音もいびきと一緒に録音されているので、実際にはこのスコアよりも更に改善されているような気もしています。

話が脱線しますが、テレビがうるさくてもソファでうたた寝は出来ます。でもうるさいだろうとテレビを消した瞬間に目が覚めるという経験はないでしょうか?

私は妻のそういう生態(?)を見て、もしかして多少のノイズは睡眠に役立つのかもと思って波の音を導入していて概ね好評です。最初の30分くらいは波の音とジャズやアンビエント音楽のCDを同時に流したりもしてますが、一晩中流すなら音楽より波の音のようなノイズだけというのはアリだと思います。

いびきもノイズだと感じてくれればしめたものなのですが、そこまでには長い年月が必要なのでしょう…。

●効果的だったグッズ・そうでもなかったグッズ

いびきラボではいびきスコアを日別・週別・月別で棒グラフ化できるのですが、個人的には週足が好きなので最初の頃と最近とを週別で比較してみます。

Ibiki201710201803

これを劇的といわずしてなんといいましょう…。もちろん、スコア20レベルでいびき改善を目指している人からすると30レベルなんてうるさくて仕方がないのかもしれませんが、140超からのチャレンジを認めていただきたい!(誰に言ってんだ?)

糖質制限を始めた時、体重がすんなり10kg落ちて驚いたのですが、今回のいびきチャレンジも思いのほかうまくいって良かったです。まぁ、根絶は無理だと思うので、この状態を出来るだけキープしつつ、さらなるアンビエントな夜を目指したいと思っています。

さて、五ヶ月間ですが、様々ないびき対策グッズを試しました。しかし本当に有効だと思ったのは数点だけでしたので、最後にそれを紹介してみたいと思います。

1位:小型アロマディフューザー

冬場でもあったからですが乾燥が大敵でした。とにかく加湿加湿加湿です。しかしあまり加湿しすぎても結露につながるので、3000円以下くらいの安くて小さいアロマディフューザーが効果テキメンでした。最近の加湿器は安くても水分切れで自動OFF機能も付いてますし、自分の寝床のすぐそばに置いて静かなものを選びました。

せっかくだからアロマオイルを数滴水に垂らして使ってます。できれば100%天然オイルがいいですね。私はオレンジ系の香りが好きなのでタンジェリンやオレンジスイートなどを使ってますが、毎日なのでラベンダーとかも併用してます。小さくて安くて香りが薄いものでまったく問題ありません。加湿のほうが大切なので。いろんな香りを選ぶのも楽しいです。

あまりに効果があったので、超いびきがうるさい某先輩にプレゼントしたのですが、その人はすでに医者にかかり1万円以上するマシンを導入していてレベルが違いました…。上には上がいるものです。そのレベルにはなりたくありません!

2位:ドライノーズスプレー

これもいいですね。たんなる塩水なので安心ですし、鼻を乾燥と鼻水・鼻づまりから開放し鼻呼吸を促せるように思います。なにより気持ちいい。寝る前に鼻が気持ちいいというのは気分がいい。

呼吸をどうするかというのは重要です。最初は口呼吸から鼻呼吸に強制的に転換するために、友人の勧めでナイトミン(口が開かないように貼るテープ)を貼っていましたが、たぶん苦しくて知らない間にはがしていたりしました。何より「いびきラボ」で効果が見えませんでした。

これ以外にも小鼻を拡張するテープだとか、鼻に装着して鼻を広げるシリコン製のノーズピンなども試しました。しかし鼻孔拡張テープは貼る位置とか洗顔が重要でその割にはがれやすく個人的にはまったく無意味でした。ノーズピンも違和感がものすごくてストレスで眠れませんでした。

基本的に何かを「着ける」という発想のものは私には向きません。加湿器もノーズスプレーも身体を拘束することなく効果が表れたことが重要でした。

3位:濡れタオル干し

窓際に濡れタオルを干して寝てます。朝には乾くくらい絞ってますが、加湿に一役かってる気がします。ディフューザーがあるので、タオルは無くてもいい気がしてるんですが、これはもうおまじないの世界で…。

このほか試したけどいまいちだったのは、横寝用枕です。横向きに寝ることがよさそうなのはわかるのですが、私には合いませんでした。2万円くらいするYOKONE2という枕でしたが、私の場合うつ伏せになれないのもストレスなのでこの枕は合わなかったです。

また、この横寝用枕、仰向けに寝るのがすごく気持ちいいです…。それで私はついつい仰向けになってしまい横向きに寝ていませんでした…。仰向けではいびきを誘発してしまうので本末転倒でしたね。ただ、いまは妻が使っていて快眠できてますので、人によるんだとは思います。結婚祝いに希望してもらったものなので無駄にならずによかった~。

番外:耳栓(イヤーホリディ)

いびきを軽減すると同時に、聞こえにくくするという意味で耳栓も有効です!即効性はありますからね…。イヤーホリディを愛用してもらってます。これは波の音などもかすかに聞こえるところが逆にいいです。密閉はよくないですから。無音より若干のノイズが必要なので。

そんなところかな。

私はどこでも一瞬にして眠れるのです。小学生の頃は早寝早起きチャンピオンとして体育館で講演させられたくらいの即寝野郎です。妻は基本夜型らしく常に寝不足気味なので、時差就寝(私が後から寝入る)とかいろいろ工夫しながら、なんとか寝入りっぱなをいびきで害さないようにしています。

とりあえずこんな感じで。いびき軽減が数値で示せるところは「いびきラボ」様様で、記録更新しているときはそれを朝見せては静かになって来ていることを客観的に知らしめる努力をしている今日この頃…。

夏には夏の対処法が必要かもしれませんが、まぁこのレベルをなんとかキープしていきたい、できれば更なる軽減を目指したいと思う今日この頃です。

それにしても、いびきラボ、最高でどのくらいのスコアまで行くんだろう…。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.12.14

ひとくちメモ的今年の漢字で振り返る2017年

Hoku_223早いものでもう年末…。今年いくつブログ記事を書いたか数えてみると8本でした。ツイッターがあるとはいえ、こんなにブログを書かない自分がいるとは想像もしてませんでした。もちろんその背景には大きな生活の変化があるわけで、それが今年の漢字にも表れているように思います。

まぁ、ホームページからブログに移ったときもそんな感じでしたし、時代とともにツールは移り変わるものなのでしょう。電子データですからいずれ一瞬にして消えてしまう運命ではあります。そこが紙に書き残す日記とは決定的に異なる浮世のメモ書き、という思いをこめて「ひとくちメモ」と名乗っているわけです(うそ)。

さて、ひとくちメモ的今年の漢字で振り返る一年ですが、ズバリ「」です!画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます。

偶然にも(?)、12月12日に清水寺で発表された日本漢字能力検定協会の今年の漢字とおなじ「」なんですねぇ(confident)いやー偶然だなぁ(笑)

昨年までの漢字は昨年の記事にリンクしておきます。4年連続でこの企画してますが、調べると2009年にも私的な今年の漢字を選んでました。

漢字だけならべると、「降、捨、盗、転、北」となります。なんか、超ネガティブ(coldsweats01)という感じがしないでもない…。確かに世相への批判精神など入ってはいますけれど、個人的にはどれもそれほどネガティブには捉えていないです。

●北の丸から始まった新しい生活

昨年は「転」の年だったわけですが、まさに生活が一転しました。おそらく人生の一、二を争うくらいの大転換の年だったと思います。その結果としての今年2017年ですけれども。気分的には、北という漢字より「キターーーー!」という“感じ”でございましょうか。

結婚式を挙げた会場が、袋井市の葛城の丸でございました。葛城北の丸は妻の実家に近いうえに、中島みゆきさん(海道出身)も所属するヤマハグループが経営しているラグジュアリーなお宿です。中島さんファンとして生きて来た私にはこの上ない式場だったと思います。

葛城の丸は、陸の古民家7棟を移築して作られた現代の平城とも言われます

葛城北の丸

今後も人生の様々な節目に訪問してゆっくり過ごしたいと思える場所になりました。料理もおいしかった~。

の丸とは城の殿さまの正妻がいる場所であり、くつろぎの象徴でもあります。私自身にとってもとても意味のある「」なのでした。

●北区花火会

結婚後の10月、北区花火会に妻と出かけました。VIP席のチケットをいただいたので、小雨の中を出かけましたが、花火が中止になることもなく楽しめました。寒かったけれど秋の花火もいいものです。VIP席なのに、かなり早く出かけて開門前の列では前から20人目くらいでした…。おかげでVIP席のなかでも一番前の真ん中を陣取りました(wink

東京都区では親しみを込めて、花火大会と言わず区花火会と呼んでいるそうです。こじんまりとした花火会ですが、花火マニアの間ではとても注目されているようです。花火の近さや、職人のワザの品評会のような構成のコーナーもあり、花火の美しさが凝縮されてるような感じでした。

また、最寄り駅の赤羽駅周辺は区のなかでも昨今注目スポットにもなっていて、美味しいお店もたくさんあり、花火の帰りの食事も楽しめますね。

Kitaku_hanabikai20171014

●その他のひとくちメモ的今年の漢字「北」

ひとくちメモ的今年の漢字「」にちなんだ2大「」話を書きましたが、日常的にも京浜東線を使っています(笑)。日常って今年のキーワードな気がするんですよね。

ひとくちメモ的には、今年の「」はとっても幸せな「」なのでした。

日常といえば、今年ひとくちメモに書いた8本の記事にもひとつ「」がありました!
ドラマ「北斗」 アンビエントな過激さのなかで最終回

このドラマは重厚なドラマでした。今年のベスト3に入れてもいいと思っていましたが、「」つながりで1位にしよっかなぁ。妻も超ドラマニアなので(笑)、このドラマは見せたいと思って消してないのです。

ついでにツイッターで北について何か書いてないかツイログの検索機能で調べてみたら、ほとんどは朝鮮がらみのヨタ話をしてましたが、6月30日に無意識に「」を書いてましたよ!
----------------------------------

というわけで、オレのプレミアムフライデーの1枚目はこのアルバムから! やっぱいい音でいい曲っつーたらこうなっちゃうのね~w もう16年も前なのか…。 カエターノ・ベローゾ 「ノイチス・ド・ノルチ~の熱い夜」 amzn.to/2t7Qlvv


posted at 20:41:33


----------------------------------

こういう偶然、大好物だなぁ。今夜はこのCDを聴きながら寝るかな。最近、CDやUSENを聴きながら寝ることが多くて、なかでもボッサやジャズが高頻度なんですよ。ま、オレのいびきを音楽で紛らわす効果と安眠効果を狙った苦肉の策ですわ。

ちなみに五黄土星の私は、2018年にはの坎宮にはいるそうで、運気は良くないってさ~。だけど「」そのものをラッキーだと思えてるわけだから、きっと大丈夫さ~。

ついでに石井ゆかりさんの「3年の星占い2018-2020 射手座」によると、ここからの3年間はめっちゃいい運勢らしいです。こりゃ信じるしかねぇな!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.23

勤労感謝の日に勤労酷使の世を考える

勤労感謝の日ということで、『経済成長という呪い』(ダニエル・コーエン著・東洋経済新報社刊)を肴に、「アベノミクスのこの世では、本当に勤労者が感謝されているのか?」をテーマに少々書いてみたい。ツイッターネタにしても良かったが140文字じゃ書ききれないと思ったので、久々にブログに書くことにした。かつてのひとくちメモファンにはうれしいはずの(coldsweats01)、小賢しいヨタ記事である。

●150年の官僚支配へのクーデターで生まれた安倍政権

安倍晋三によって保守のイメージが大幅に修正された。息するように嘘をつき、身びいきえこひいきのお友達政治をやりながら、反対意見を汚い手段で封じ込め、疑惑にはだんまりを決め込み、寛容さの欠如した部族的ポピュリズムを体現し続ける安倍晋三。まさに歴史修正主義者の面目躍如だ。

何度辞任してもおかしくない安倍だが、内閣府によって官僚の人事権を掌握した権力は絶大だ。辞職覚悟でなければ誰も内閣総理大臣様にモノ申せないシステムを作り上げた。明治以来、150年に渡る官僚政治の日本国はここに崩壊したといえる。システムの変更こそが国家のカタチを変えるのだ。

安倍政権は「革命」という言葉が大好きなエセ保守政治だが、確かにクーデターに等しい制度変更により、官僚の手足を縛り、いまや新しい日本国が誕生している。もちろんその背景には150年続いた官僚支配に対する国民の反発があったわけだが、官僚退治をこんなネトウヨに託してしまった多数派日本人の浅はかさ。政治が生活を変えるという実感を喪失してしまった戦後日本。平和の代償はこうして出現するのか…。歴史が繰り返される所以だ。

そして安倍政権が続けば、憲法を改悪し国民の手足も縛ろうとするだろう。憲法は支配者を縛る呪文だったが、ついにその呪縛から解き放たれた権力が官僚と国民を縛り鞭打つSM政治が始まる。そして安倍とその取り巻きだけがフリーハンドでこの世を謳歌するニッポンが生まれるのだ。

そんな知性と品性の欠片も持ち合わせないこの大首相様の治世で、株価だけが独り歩きしているこの世の中。だが資本主義という概念そのものも修正を余儀なくされている。

●もはや資本主義ではない

新しい保守像は安倍にねつ造されているだけだが、資本主義のほうはもっと深刻だ。こちらもまったく異なる概念になっている。1970年代前半までの資本主義と同じ原理で21世紀の世の中が動いていると思うと大間違いだ。同じ「資本主義」という言葉でくくれない世の中になっている。

それを強欲資本主義とか新自由主義といえば、多少差別化できたような気分になるが、それらが示現出来てしまうもっと基礎的な部分での大きな変化があった。『経済成長という呪い』にそれを指摘している箇所がある。

著者はフランスの経済学の大家なので、その人文系の知性がいたるところに飛び散り、読みものとして面白かった。その割には200頁程度でコンパクトなので読みやすい。現代社会を概観するにはとてもいい。

なかでもアベノミクス批判に通じると思えたのは、「ダブル・バインド〔二重の拘束〕」の章だ。ここにもっとも共感した。

1913年から1973年までフォーディズムに代表される工業資本主義の時代は、(特に米国で)まさに勤労感謝の時代だ。資本家は労働者の勤労意欲を高めるために賃金の上昇を行い、それが生産性の向上につながり、富の再配分を促すという循環を生んでいた。

階級社会ではあっても、あらゆる階級で未来の生活の向上を目指せる資本主義の時代だったといえる。とくに1945年から1975年の黄金の三十年は日本の戦後復興に当てはめても納得が行くだろう(もちろんどんな社会にも闇はあるにせよ)。

そんな資本家と労働者との関係性が、1980年代以降、完全に断絶しはじめる。なぜなら会社そのものが機関投資家のものとなっていくからだ。経営者が賃金制度から抜け出し、自社の株価によって報酬を得るようになった。

従業員の賃金をあげることで経営者自身の賃金も上がるというシステムから、従業員の賃金を出来るだけ削減し、株価を引き上げることで経営者の報酬が上がっていくシステムに大転換してしまった。まさに資本主義が真逆の方向性を目指し始めたわけだ。

それを可能にしたテクノロジーがコンピュータであり、金融であり、グローバリゼーションだったというわけだ。著者はこう書いている。「硬直的だが効果的だったセーフティネットをもつ社会が大切に培ったバランスは砕け散った。企業の労働者を保護する機能は消え失せたのである。

●もはや勤労酷使の世。労働者は保護されない

こうなるともはや勤労感謝ではなく勤労を強要する資本主義となる。従業員にどんな仕打ちをしようとも、目先の株価さえあげることが出来れば自身の報酬も上昇していくのだから、他人の生活など知ったこっちゃない経営者が続出し、首切りが利益目標になっても当然だ。

従業員とは使い捨ての道具であり、蹴落とすための競争相手だ。そのストレスを強いることで働かせるというマネージメント。派遣法改悪、過労死、ブラック企業などに通じる資本主義の闇は、株主資本主義が生み出したともいえる。

そのような労働者の現実の対極には、株高を謳歌する富裕層、富の独り占めを可能にする社会システムや税制、グローバリズムで表に出ないプライベートバンクなどの現実がある。人命よりも私利私欲の世の中が進行中なわけで、粉飾の株高に湧くアベノミクスの目指す社会の枠組みがとてもよくわかる。

それはまさに自分の足を食べるタコのような企業経営に思えるが、経営者をコントロールする投資家は、投資先を変更するだけで生き残ることが可能だ。会社はいくらでもある。つくることも出来る。奪うこともできる。これは単なるゲームなのだ。人命など吹けば飛ぶようなコマなのだ。次々と会社をぶっ壊しながら流れ歩く経営者が日本にもいるが、そういう輩は会社がなくなることを屁ともおもっていないどころか、それが目的なのではないかとすら思える。

●ダブル・バインドが民主主義も破壊する

民主主義は独裁主義よりもセーフティに思えてきたが、大勢を占める労働者が(無意識に)セーフティネットを破壊された労働を強いられ、過度でエゴ丸出しの競争やストレスのなかで生活していると、民意そのものがあらぬ方向を向いてしまうリスクも、とてつもなく高いのではないだろうか。

経済危機がポピュリズムや差別主義を引き起こすことは、『経済成長という呪い』のダブル・バインドの章にも書かれていたが、現代日本はまさにその真っ只中にあり、その中心に安倍晋三という現時点でもっとも危険な男を据えてしまったわけだ。時代が彼を選んだのかもしれない、と書くと無責任すぎるか。

現時点でというのは、今後この安倍的な政治が継続した場合、安倍の劣化版が出てくる余地が充分にあるからだ。目ざとい詐欺師がここに目をつけて政治家を目指す可能性もあるだろう。すでに詐欺師のような政治家はひとりやふたりではないだろう。

民意はもはや真っ当な政治を選ぶ余裕がなくなっているように思う。強いリーダーによる性急な結果を求め、すぐに結果が出なければ徹底的にバッシングする。そういう政治のなかでポピュリズムを頼みに舵をとる困難さが安易な戦争を求める。民意が戦争を始めさせる。そんな流れを止める方法がいまのところなく、繰り返された人類の愚行とともに限界を感じさせる。

ダブル・バインドと聞くといつも祖母のことを思い出す。戦時中、大人やいじめっ子に口答えすると、両耳をつまんで身体を持ち上げられ「富士山が見えるか!」と問われたそうだ。見えないというと「まだ見えないか!」と叱責される。耳がちぎれそうに痛いので「見えます!」と答えれば「嘘をつくのか!」と叱責されるのだ。いま、誰もがそんな袋小路の世界で生きてる。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.11.01

夏旅2017 ~ファイナル!?~ 

夏旅も今年で18年目を迎えた。お盆前、九州方面に帰省する男どもと単なる旅好きな男が集まって、最初はガソリン代&高速料金を浮かせようと始まったこの帰省旅行だが、いつのまにか旅行がメインとなり、途中宿泊地も増え、明らかに主旨が変わっていった。18年も続いたのは楽しい旅だったことに尽きる。

だが漠然とこの旅もいつか終わりが来るのかなという思いがよぎらなかったわけではない。それがどんな風に訪れるんだろうかなどと旅の途中に話したか話さなかったかも記憶が定かでない。とはいえ、まさかこのオレ自身が結婚してそのトリガーになろうとは数年前までは夢にも思っていなかった。

もちろんこの旅が今後も続く可能性はあり得る。今年の夏旅はそのモデルケースのような感じもした。

これまでは最初から山口県までずっと同じメンバーで車に乗ってスタートしたが、今回は自動車の持ち主かつ言い出しっぺのS氏がひとりで出発した。8月、初日は静岡県在住の元上司I氏の自宅を訪問し旧交を温めたそうだ。

その翌日、名古屋にて創設メンバーのM氏(名古屋在住)をピックアップし、ふたりで和歌山県へ向かったという。なんでもNHKスペシャル「列島誕生 ジオ・ジャパン」で紹介された日本一の巨石“古座川の一枚岩”を観に行きたいということで、男二人の一枚岩観光となったようだ。前日は台風で大変だった中部地方だったが、その日は快晴だったようだ。

●今年のメモリアル森友学園の大阪へ

8月9日(水)にようやくオレとE氏とが合流する。二人とも別々に出発し新大阪駅集合とした。ポケモンGoでかなりのステージにあるE氏は早朝から新大阪入りし、ポケモン探しで大忙しだったようだ。どこかの公園で知り合ったという地元の同レベルのポケモンマスターと意気投合し、その後は二人でポケモン行脚をしていたという…。最近のポケモンは集団でかからないとダメらしく渡りに船だったようだ。オレにはさっぱりわからない世界だが、打ち込める趣味があるのはいいことだ。

オレはゆっくり出発し昼前に新大阪に着いた。汗だくのE氏と改札前で合流し、和歌山組を待つが、案の定遅れている。想定内だ。とりあえず喫茶店に入り涼んで待つことにした。こういうときはスマホのおかげでどこまで来ているかの連絡がとれるからイライラせずに済む。18年前には考えられなかったことだ。こんな瞬間に世の中の移ろいを感じる(confident)。

ようやく和歌山組が到着したので、駅の近くにあったキャプテン翼スタジアムというフットサル場横でシトロエンピカソに乗り込み全員集合。

とりあえずオレが「今年行くならここだ!」と思っていた場所へ向かった。そこは「瑞穂の國記念小學院」だ。

瑞穂の國(安倍晋三)記念小學院

まさに2017年を象徴する建造物だ。安倍首相の妻昭恵氏を名誉校長と称え、国の土地をこっそり8億円も値引きして安く売り飛ばし、安倍晋三記念小學院とも言われたが、その疑惑がバレそうになると一転、籠池理事長を罵倒し詐欺で投獄してしまった安倍政権。売り飛ばした証拠書類を役人に廃棄させ、その隠蔽の実行犯を国税庁長官に任命した安倍政権。同時に明るみになった加計学園の獣医学部設置問題とあわせ疑惑追及が厳しくなると、国会の冒頭で解散権を発動した安倍政権。これほどまでに腐敗した安倍政権のまさに象徴としての記念小學院というわけだ。

建物自体はとても素晴らしいもので、これはこのまま残して何かに使った方がいい気もするが、解体されるのだろうか。こういう技術をもっと誠実なかたちで使える国になって欲しいものだ。

観光がひと段落したところで、遅めの昼食にしようとなった。和歌山組は元祖ネギ焼きの店にこだわっていたが、あいにく定休日だったため、お好み焼きの美味そうな近くのお店を探すことになった。これもスマホだ。そして決まった店は「AT THE 21」というお店。ヘアサロンのような外観だったが、量も味も大満足のお店だった。和歌山組はネギ焼きを食べていた。オレはオムそばを食べた。

●毎年恒例の岡山県QUCHIへ

大阪を後にして岡山県に向かった。岡山県といえば安倍晋三のお友達、加計学園のお膝下。まさに安倍晋三のお友達めぐりの旅の様相だが、そんなつまらない時間を過ごすためでなく、今年もQUCHIで奈義ビーフの熟成肉ステーキを堪能するために岡山入りした。

2015年の夏旅で初めて訪問して以来、2016年の1月、同年8月、そして今回が4回目のQUCHIになる。

Quchi_20170809

今年も女性店員さん(演劇と星を眺めるのが好き)と談笑しながら注文したが、2年越しでようやくどのくらいの量が適切かがわかって来た我々(delicious)。それでもついつい食べ過ぎてしまうわけだが。

また今回は結婚報告もさせてもらった。2年間で4回しか来ていない客なので常連というほどではないが、死ぬほど食らう4人組は目立つからか(coldsweats01)、とてもよく覚えていてくれて、デザートを注文したらオレのだけスペシャルヴァージョンで作ってくれた。
shine感激shine

Natsutabi_20170809_233825

夏旅が今回ファイナルだとすると、今後は毎年というわけにもいかなくなると思うが、今度は夫婦で訪問することを約束した。

岡山県で一泊し、翌朝、ポケモンマスターのE氏は早朝に宿を出て東京に戻った。武道館でコンサートがあるという。強行スケジュールのなか夏旅に参加してくれてうれしい。名古屋のM氏もここで別れ、実家の神奈川に戻った。ここからはS氏とオレの二人旅だ。

●たまごかけごはんの聖地へ

オレが糖質制限を始めたのは2012年のことだった。最大12kgくらい減量できた。あれから5年、ちょっと糖質摂取量が増えて来て若干(2kg程度)の体重増はあるものの、ほぼ維持出来ている。

S氏もオレから遅れること数か月、糖質制限を始めて16kgほど減量に成功した。しかしなんとなくもとに戻ってきている感じは否めない…。

そんな二人が、この夏旅の懸案事項となっていたたまごかけごはんの聖地を目指すのはファイナルにふさわしい行事に思えた。以前、高速道路の降り口を間違えて素通りしてしまっていた。リベンジするならこのときしかない。

Tamagokakegohan_20170810_105422

たまごかけごはんの店、食堂かめっち。1杯350円、おかわり無料で何度でもOK。ただし卵だけのおかわりは有料。極少量でもごはんをつけておかわりすれば無料というシステムだ。おばちゃんがグイグイおかわりを勧めてくる。バクバク食べる客を見守るのが大好きといった感じだ。それに甘えて我々は、2杯、3杯、4杯とおかわりした。4杯目あたりではもう勧められなかったが、帰りがけに「もー、腹いっぱいです!」と告げると、おばちゃんも満足気な笑顔で見送ってくれた。

●日本海側へ

西へ向かうことだけが夏旅の基本ルール(帰省だから)だが、岡山駅前から美咲町までたまごかけごはんを食べに行ったことで、ちょっと逆行してしまった。そこからまた瀬戸内に戻っても新鮮味がないため、中国山地を越えて日本海側へ行こうということになった。このあたりの決断は、行き当たりばっ旅らしさそのもので楽しい。

とりあえず、真庭市を抜けて境港を目指した。目的地はないわけだが、こういうときは岬を目指すのが正解だ。だって日本は島国だから(happy01)。無目的に走り続ければ必ず突端に行きつくのだ。そして美保関灯台に到着した。

Mihonoseki_20170810_154509

若干小雨もパラつく天候だったがこういうう機会でないと来ない気もする。ロケーションとしてはとてもいい。気持ちの落ち着く風景だった。

ここからの道程は何も決まっていなかった。しかしすでに午後2時を回っており、どこかでもう一泊という雰囲気ではあった。とにかく西へ向かおうということで出雲方面へ。

しかし長崎まで帰省するS氏は、出来るだけ西へ進んでおきたいということで、浜田市か益田市を目指すことにした。どちらにするかは道路の混み具合と今夜の宿がとれるかどうかによる。結局、益田市までは行けず、浜田市のワシントンホテルプラザに宿泊し、近くの居酒屋で夕食をとった。のど黒祭りをやっていた。

●周南市へ

8月11日(金曜)山の日。朝から雨が降っていた。後は帰るだけなので早々に出発。朝食を食べるところもなく走りつづけた。途中大雨に降られたりしながら、315号線を周南市に向けて走った。実家に着くころには雨は上がっていた。

こうして18年間続いた、夏の行き当たりばっ旅ファイナル(?)はゴールしたのであった。オレを実家に降ろしたS氏は長崎へ向けて走り去っていった。その風景は毎年同じように見た風景だった。

結婚しようかなと漠然と考え始めたのは2011年3月11日の大震災がきっかけだったと思う。人生のなかで遭遇する天変地異としては最大の大災害だった。9月に震災地を巡って、その思いは更に大きくなっていったような気がする。とはいえ、映画を観に行くようにじゃあ結婚するかとすぐに夢の世界に没入できるほど世の中は単純でもなく、6年後に実現したというわけだ。

つまり2011年にある意味ビッグバンによって結婚願望の芽生えがあり、翌2012年に運命的に糖質制限と出会い、2014年頃から断捨離も断続的に続け、身心ともに健康的になったところで幸運にも良い縁があったという流れのなかで振り返るとき、あらゆる行動には理由があり、つながっているんだなと思ったりする。そしてある行動が次の行動を誘発する、ある種の再帰性によって導かれていく人生ゲーム。なんだか楽しくて仕方がない。

結婚後、この夏旅を知っている人から、この旅は続けた方がいいと言われた。こういう付き合いの大切さは一生モノだぞということだった。来年どんな夏を過ごしているかは分からないが、導かれるままに楽しめれば人生は豊かになるんじゃないかと思う今日この頃です。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2017.07.30

Beautifulでキャロル・キングと平原綾香の魅力を再発見!

Beautiful_20170729_151519

7月29日(土)12:30 時間ピッタリに開演したBeautifulを鑑賞しました。このミュージカルは、希代のメロディ・メーカーといえるキャロル・キングが16歳(1958年)でデビューした頃から、職業作曲家としての成功を経て、1971年発表の名作ソロアルバム「「つづれおり(Tapestry)」で2度目の大成功を収めた頃までを描いています。タイトルは、「つづれおり」に収録されている同名曲ですね。

このミュージカルを知ったのは、水樹奈々ファンの友人からでした。ひとくちメモの「圧巻!平原綾香コンサート@足利市」をこの友人が読んでいて、ダブルキャストでのミュージカルがあるという話を昨年聞いていました。このミュージカルが水樹奈々さんと平原綾香さんのダブルキャストだということが、このミュージカルに出会えた縁だったわけです。

水樹奈々ファンクラブで先行購入していた友人に、帝劇のネット会員になれば一般発売より前に買えると聞きさっそく会員になり2枚購入しました。私はもちろん平原綾香さん主演の公演分です。その時はまだ挙式前でしたが、ミュージカルは挙式後というタイミングだったので妻と行こうと思いまして。それが昨日、実現して良かったです(wink)。

●キャロル・キングをすっかり誤解していたボクのリスナー人生

キャロル・キングをちゃんと知ったのは、もしかすると1990年代だったかもしれません。当時の仕事絡みで「君の友だち(You've Got a Friend)」を聴いたのが最初だったような気がします。超名曲ですよね~。つまりシンガーソングライターとして認識したのでした。

1970年代の米国ミュージックシーンというのは、ボクの頭の中では、病んだアメリカのヒッピーにドラッグにと精神的な負のパワーが渦巻き、サイケでアングラな名作が創作されているようなイメージでした(どんな頭しとんねんとかいわないcoldsweats01)。曲はいいけど、生き方には共感できない…みたいなミュージシャンがたくさんいました。もちろんそういう不良に憧れてもいましたけども。

逆に日本では、ちょうど米国で廃れて来た'60年代のポップミュージックの手法を輸入したような楽曲が、日本流に調理され、歌謡曲となっていました。どっちかといえばボクは、そんな明るく楽しい歌謡曲黄金時代にドップリ浸かって来た子どもでした。その後、'80年代にはシンガーソングライター全盛でそういう音楽にはまっていくわけで、ちょうど10年くらい米国の後ろをついていくような音楽体験を過ごしてきた子どもでした。

そんな背景のボクが、'90年代に「つづれおり」のジャケットを初めてみた時、この人も病んだアメリカでフォークを歌ってた人なのだろうなと思ったんです。

でも違いました。このミュージカル「ビューティフル」で描かれたキャロル・キングはそういう人ではまったくなく、基本的には品行方正な人でした(happy01)。そしてアメリカのポップス黄金時代を作り上げたヒット作曲家だったわけです。

●珠玉のポップミュージック三昧

ロコモーションはたぶん子どもの頃から聞いていたし、その他のドリフターズなんかも、土曜の夜にババンババンバンバン、ってそっちじゃない本家ドリフターズも聴いていて、いわゆるオールディーズのただただ明るく楽しいポップソングの数々には親しんでいました。

たとえば、Some Kind of Wonderful という The Drifters の名曲がありますが、このバックコーラス(合いの手?)の「ワンダフル」ってところは、いまの日本ではコントでしか見ることが出来ません。だけどそれをピュアに音楽として楽しめていた時代ってのがとても愛おしい。あらゆるものを笑いに昇華する日本のすごさとは別にね。

で、それらの楽曲とキャロル・キングのイメージとはまったく重なっていなくて、作曲がキャロル・キングだと知ってかなり驚いたわけです。いわばはっぴいえんどからアイドル歌謡の作詞家になった松本隆さんの逆バージョンといいましょうか…。

それでキャロル・キングの作品がまとめて聴ける3枚組CDなんかで後追いしたりして。すると本当にオールディーズのヒットメーカーとしてのキャロル・キングの偉大さがようやく飲み込めたわけです。

そんなキャロル・キングの明るく楽しいポップスの数々が、このミュージカルではテンコ盛りでした。「ワンダフル」もキッチリ決めてくれました。その他、聴いたことあるかないかわからないけど懐かしいメロディの数々。ぜんぶキャロル・キングのオールディーズ。それが日本語訳されて歌われました。

日本語の歌詞で歌われても違和感はなかったです。これは訳詞を湯川れい子さんが担当されたのが大きいように思いますね。アメリカンポップスを知り尽くした方ですから。

キャロル・キングと仕事上も私生活もパートナーだったジェリー・ゴフィンは作詞家なので、歌詞をちゃんと伝える必要がこのミュージカルにはあったんだと思います。

観客の年齢層も結構高めだったのですが、オールディーズファンも多かったのかなと思いました。ヒット曲の裏側にある作家の苦悩や生活をエンターティメントとして見せるこの作品は米国でも人気だそうです。

●そして平原綾香のオールディーズを堪能

そんなキャロル・キングを平原綾香が演じるとどうなるのだろう。期待は膨らみます。平原綾香さんはクラシックのイメージが定着している気もしますが、ボクにとってはポップスの歌姫です。そして品行方正なミュージシャンのひとりですね。

演技は昔ドラマで少しだけ見ましたが、今回のキャロル・キングはまったく違った役どころで16歳の音楽大好き少女から演じられていたわけですが、はまり役でしたね。もともと結構早口で可愛らしいしゃべりをする人だと思うので(happy02)、それがアメリカの(ドラマ青春白書的な)ティーンエイジャー感にぴったりでした。

歌のパートは安心して聴けますが、しかしミュージカルの特性で、より感情をデフォルメするような面もあると思うのです。それはコンサートで魅せる歌唱とは違う魅力がありました。

少女のウキウキしたような歌声だったり、ヒット曲をつくろうと希望に燃えてる歌声だったり、別れの歌声だったり、成功をおさめた堂々たる歌声だったり。変幻自在の歌唱力が求められるミュージカルというところに、なるほど水樹奈々と平原綾香がダブルキャストで選ばれたんだなと納得しましたね。お二人とも声色の魔術師(?)。

キャロル・キングの「つづれおり」は女の一代記のような面のあるコンセプト・アルバムとも言えますが、それらの楽曲と他の歌手に提供した数々のヒット曲とによって、あらためてキャロル・キングの半生を描き出すこの作品。面白くないはずがないです。

共演者の皆さんもさすがの演技力に歌唱力。作詞家でキャロルの親友シンシア・ワイル役はソニンです。ソニンの成長にはちょっと涙が出そうでしたね。いい役者になったなぁと思って。その夫で作曲家バリー・マン役の中川 晃教さんも面白いキャラクターの役柄で息もぴったりでした。ソニンの他の作品も見たくなりましたね。

映画以外のミュージカルを初めて観たんです。みゆきさんの夜会はミュージカルじゃないから。でもこのビューティフルも楽曲の使い方はいわゆるミュージカルとはちょっと違うかも。必然的な歌パートが多かったです。舞台の緊張感とか一体感とかライブな感じはいいものですね。ミュージカル初体験がこの平原綾香主演のビューティフルで本当に良かったと思います。平原さんの活動の幅も確実に広がっていく気もしますね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.07.10

ボクのお気に入りアイテム(読モかお前は!)の巻

6月もブログ更新ならず…。いろんな意味でなかなか忙しい月だった。しかしとりあえず昨日7月9日(日)で一区切りだったから、久々にブログ書いておこうかなと。

とはいえ、なかなかこれまでのようなネタがない(catface)。そこで、この忙しい数か月のなかで気に入ったアイテムやショップを紹介してみたいと思います。まるで読者モデルのような企画じゃないかぁ(coldsweats01)。まぁ、出てくるアイテムはファッション誌の読モとはまったく違うと思うけど(bleah)。

ほとんど自分のための備忘録みたいなものだけどさ~。極個人的な日記でございます。たまにはこんなのもあっていいでしょ?

●小説『残りの人生で、今日が一番若い日』
埼玉県在住の小説家盛田隆二さんの2015年発表作品。ほとんど小説をよまなくなった私ですが、このタイトルに惹かれて読みました。とても良かったです。

大人の恋愛なんていうと、また下衆な勘ぐりをしてしまうテレビドラマ脳なわけだけど、ああいうドロドロの世界じゃない。中年男女の日常を淡々と描くリアリティ。一般市民が抱える様々な個人的問題を丹念に書き込んでいけば物語として成立することを読ませてくれた筆力と優しさが好きです。

もちろんそこには現代社会の闇とつながっている様々な問題も書き込まれているわけですが、過度に煽るようなところがなく、スッと感情移入できました。

盛田さんの作品を読んでみようと思ったのは、Twitterのつぶやきを何度か見ていたからでした。フォローしている人の何人かが盛田さんをリツイートされていて、そこに書かれた考え方や思いが近いなと思っていて。それで作品を眺めていたところ、このセンスのいいタイトルに出会って一気に読みました。

小説のなかでのこのタイトルの扱い方もさりげなくて良かった~。流行歌でも、タイトルワードが出てこなかったり、ほんのちょっと脇役で出てくるだけみたいな曲あるじゃないですか。そんな感覚ですね。

●洋紙 ミランダ(ナチュラル)
小説の次はいきなり紙です。銀座伊東屋でミランダという洋紙を買いました。A4規格に断裁してもらいました。片面にガラスフレークがちりばめられていて光の加減によってキラキラ光る紙です。ちょっと大げさに言えばダイヤモンドの輝きを連想させます(happy01)。書籍の表紙に使うときはコーティングして使います。なかなか扱いの難しい紙ですが、ちょっとした表紙なんかに使うと他にはないファンシーな感じに。色合いはスノーホワイトがよく使われてますが、今回は白すぎるのはイメージと違ったので若干黄味がかったナチュラルにしました。伊東屋に行くとたくさんの用紙サンプルが見られるので超悩みます(笑)。

●ダイヤモンド関連書籍
ミランダはダイヤのような輝きの紙でしたが、2月くらいからダイヤモンドにめっちゃ興味が出て来て、宝石選びの方法論的な書籍を読みまくってましたね。役に立った書籍は、

山口遼さんの『ダイヤモンド・ジュエリー入門―見る・知る・選ぶ永遠のきらめき

長勝盛さんの『間違いだらけの宝石店選び―後悔しないための宝石購入バイブル

松原信さんの『ダイヤモンドの「輝き」を極めた男

でした。その結果、業界人以上にカッティング手順について詳しくなったかも(笑)。そしてダイヤモンドの宝石としての価値はカッティングにあると確信したわけです。というか、職人(匠)のワザにこそ価値を見出したい私にとって、ダイヤモンドというのはそのカッティングの歴史こそ重視すべきものだと思えたわけです。

●鍛造製法
宝石といえば指輪ということで、指輪についてもいろいろ調べました。材質はいろいろあるようですが、やっぱりプラチナがダイヤモンドともっとも親和性が高いように思いました。スタンダードですね。ただ、その指輪の製法にも職人のこだわりを感じたいということで、辿り着いたのが鍛造(たんぞう)製法でした。普通の指輪は鋳造(ちゅうぞう)製法で作られるものが多いそうですが、それだとプラチナはやわらかいので歪みやすいわけです。

鍛造製法というのは、プラチナをガンガン叩いて密度を濃くして作るので硬度が上がります。ただし密度が濃くなる分、プラチナをたくさん使う必要が出てきます。また職人が手作業で行う工程も多くなり大量生産には向かない製法です。でもそれだけに鍛造製法は、ダイヤのカッティング同様、職人(匠)のワザを感じさせてくれる製法で気に入りました。鍛造製法をウリにしている指輪ショップもあるので、そちらも興味を持ちました。

●ラザール・ダイヤモンド
ダイヤモンドはカットが命という視点で、本物のダイヤモンドを見てみたい衝動に駆られ、いくつものショップを巡りました。事前準備は万端だったのですがそれをおくびにも出さずにいろいろ質問しました。ショップ店員さんの説明のレベルとか、こちらからの質問事項への受け答えなども様々でした。これはブランドの人気とは別物で一期一会なところもありますね。トップブランドももちろん行きましたが、魅力は無かったなぁ。せっかくのダイヤも曇って見えました。ショップ店員というのはまさに「人材」であると思いますね。

そんななかで選んだお店は銀座のラザール・ダイヤモンドでした。世界3大カッティング・ブランドというのは間違いないですね。ラザール・キャプランの物語はまさに匠そのもので大好物です。担当してくれたショップ店員さんもとても良かったです。某トップブランドをこの後見に行くということを告げても動じることなく見送ってくれました。その後、再度訪問してラザールに決めました。

選んだ指輪は2月の新作デランシーです。これがなんと鍛造製法!まさかと思いましたね(Webリサーチのときにですが)。ダイヤモンドのカッティングだけでなく、まさか鍛造製法で新作を作っているとは。こんな偶然を運命と呼ぶんだと思いましたわ(happy02)。ショップ店員さんもまさか鍛造製法かどうかを男の私から聞かれるとは思っていなかったようで驚かれました。さすがにカッティング技法についての話まではしませんでしたよ。引かれるだろうし(笑)。

●THE KIMONO SHOP
貸衣装のショップも3軒まわりました。超高額なお店から回りはじめ、最終的には竹芝にあるリーズナブルなキモノ・ショップに決めました。ドレス・ショップの和装部門といった感じです。

非常にシステマチックでしたし、デザインさえ気に入るものがあれば必要なものはすべて準備してもらえて、最初のショップの実に7分の1という価格には勝てませんでした。ゴールデンウイーク特典で半襟無料もありましたし、家紋シールを準備していけばつけてくださいましたし、必要充分な内容だったと思います。貸衣装に関しては手ぶらで式場に向かえます。色打掛か本振袖か白無垢かで悩みましたが、最終的には洋髪・白無垢にしました。

●家紋シール
貸衣装の紋服には一般紋とよばれる家紋サンプルが付いているけど、その上から貼る家紋シールを購入しました。ショップはその名もずばり家紋ドットコム。種類が豊富でほとんどの家紋は揃いそう。ウチの家紋もありました。これをキモノ・ショップに持ち込むと貼って送ってくれます。ただしシールは使い捨てになってしまいました。シール自体は剥がせば使いまわせるシールなのですが、素人が剥がすと着物のほうにダメージを与える可能性があり、キモノ・ショップでは剥がすのは禁止でした。

●プチギフト
福梅本舗のプチギフトプチギフトは甘いお菓子のイメージがあったけど、初夏でもあるので塩分補給(?)にもなる梅干にしました。いつも梅干しを買っている福梅本舗さんにプチギフト用があったので。箱は涼しげな水色に。オリジナルメッセージも印字でき良かったです。ウチの家族にとっては子どものころから梅干しばっかり食べていた私らしさを感じてくれたことでしょう…。

●フォト・ブック
貸衣装選びではいろんな着物を試着してその都度写真を撮っているので、この写真を埋もれさせるのはもったいないと思い、富士フイルムのフォト・ブックで写真集にしようと思いつきました。このフォト・ブックはWeb上で完結できて、半自動的に割付もしてくれるし、変更もできるし、コメントも、著者近影のような写真もカヴァに入れられてとても面白くて良かったです。次回も使いたいと思いました。出来上がった写真集はプチ・サプライズのアイテムとして紋服の袖に隠し持っておりました(笑)。

●リングピロー
Ringpillow_ateliersarah_2指輪を載せるリングピローにもこだわりました。和装に合うリングピローをめっちゃ探しました。自分で作るという選択肢もあるにはありますが、なかなかハードルが高く、だからといって既製品を眺めてみても心躍るデザインには出会わないという、結構悩んだアイテムでした。

しかし救世主となったのは、リングピロー専門店のアトリエサラさんです!正直なところ、このアトリエサラさんのリングピローを紹介したくてここまで書いてきたようなところ、あります。作品はすべてオリジナルの一点もので、和装に合うオリジナルデザインもたくさんあります。ホントにおススメ。ひとつしかいらないアイテムなのですが、いくつも欲しくなる…。当日はリングガールを姪っ子(妹の三女)にお願いしました。

●葛城北の丸
というわけで、昨日7月9日(日)に結婚式をあげました。式場は葛城北の丸です。このひとくちメモでは中島みゆきファンとして好き勝手なことを書いてまいりましたが、それと葛城北の丸とが結びつく読者がいるとしたら、相当なみゆきファンですな。

2014年11月に夜会を最前列で見れたことを書きました。そこでこう書いてます。
--------------------
もう語り系ファン冥利に尽きるとはこのことで、そこで中島みゆきファンとしての頂きを見たかのようにも思っていた。

ところがこの最前列。
--------------------

夜会の最前列こそが、みゆきファンとしての数十年の総決算でもおかしくないという意味合いで書いたわけですが、その先に「まさかこの手があったか!」というのが葛城北の丸での結婚式なのでした。これは妄想ではありません(coldsweats01)。

葛城北の丸 宿泊予約葛城北の丸は、ヤマハグループのヤマハリゾートが運営されている宿泊施設です。ヤマハグループというところでヤマハ音楽振興会の理事を務める中島みゆきさんとつながるわけです。

私が偶然、葛城北の丸で挙式をするわけがありません。他のブライダル会場はひとつも見てませんから。いや、最初に検討したのは「つま恋リゾート」です。しかしヤマハのつま恋は昨年末で営業終了してしまいました。一応、新しいつま恋にも連絡してみましたが、ブライダル部門の再開見通しはつかないとのことでした(今年4月時点)。

それでも、料理がおいしいと評判で格式のある高級リゾート葛城北の丸は中島みゆきファンとして選択する価値のあるブライダル会場だと思ったわけです。ここまでするみゆきファンもあまりいないかもしれませんし…(新婦の故郷に近いという最大の優先事項はありましたが渡りに船とはこのことだったのです)。

担当していただいたTさんは元つま恋ブライダル部門にいた方で、中島みゆきファンでもありました。それで打合せでは2006年の吉田拓郎・かぐや姫のつま恋コンサート話もしたりして、とても和やかな雰囲気で進めることが出来ました。これも縁というものですね。ここで両家の家族だけの家族婚が出来たのはとても良かったと思います。妹もこれまでで一番居心地がいい式だったと言ってくれました。

宿泊施設としての葛城北の丸はアメニティもお風呂もお庭もお料理(宿泊時は朝食バイキング)もすべて気に入りました。季節の移ろいを感じながらゆったりした時間を過ごせるお宿でした。

●というわけで…
ほとんど誰にも言ってませんでしたが、これはフィクションではございません。ひとくちメモでも前にご報告はしていますね。たまたまエイプリルフールの日でしたけど…。それに気づいて伝えて来た人がひとりだけいました(笑)。今後も聞かれなきゃ言わないと思うけど、一応情報解禁ということでご報告いたします。

最初にご紹介した『残りの人生で、今日が一番若い日』というフレーズは新郎挨拶でも使わせていただきました。ここからまた新しい人生のスタートってことで。

ミランダという紙は、両家の席次表に使いました。表紙デザインからすべてやりました。他に招待状もほぼ伊東屋で紙を買って作りましたね。

指輪は婚約指輪と結婚指輪を同時に買いました。ラザールの婚約指輪の輝きには圧倒されます。かなり他店を見てから訪れたので目はこえていたと思うのですが、見た瞬間違いましたね。クラリティを多少さげてもカラーとカットを重視したほうが見た目がいいと思います。人に見られるのは鑑定書じゃなくて宝石ですからね。投資じゃないんだから実用的な基準が大切です。カラットは予算との兼ね合いになるけど…。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

2017.05.01

ドラマ「北斗」 アンビエントな過激さのなかで最終回

WOWOWの土曜ドラマ「北斗」が最終回を迎えた。最終回をリアルタイムで観るのがもったいないような、そんな全五話の短いドラマのなかで濃密に描かれた物語。毎回1本の映画を見終わったような気分になった。

全五回などの短い連続ドラマは地上波ではNHKか民放深夜でしか見られない編成だ。その物語の持つ“熱量”を最高潮に詰め込んだ話数のドラマが好きだ。スポンサー契約の都合でダラダラと11回やるよりもいい場合が多い。もちろん「沈まぬ太陽」のように長さを必要としたドラマもあり、それぞれに適切な長さで作れる自由度がWOWOWにはあるような気がする。

それにしても「北斗」は強烈な物語だったな。石田衣良さんの原作も分厚い。あまり小説を読まなくなった私だけど、石田衣良さんの原作は読んでみようかなと思った。その厚さに躊躇しちゃうわけだけど…。石田衣良さんは池袋ウエストゲートパークの印象が強いけれども、ジャーナリスティックなテーマを幅広く取り上げる作家という印象を持ってる。

「北斗」の全五話は、幼児虐待、虐待からの解放、幸せな生き直し、幸せからの転落、裁判といった大まかな流れがあり、前半はすでに殺人犯として獄中にある北斗(中山優馬)が国選弁護士の高井(松尾スズキ)との対話のなかで語った回想と、弁護士の調査によってわかった北斗の壮絶な生活環境の実態が折り重なって進んでいく。

1970年代の日本映画のような映像やテロップが、この物語の(いい意味での)暑苦しさにとてもマッチしていた。中山優馬の眼力も北斗という難しい役柄に説得力を与えていた。将来も期待できる若手俳優のひとりだと思う。今後もいいスタッフと仕事をして欲しい。

幼児虐待というだけで、ものすごい嫌悪感を抱いてしまう。それをこんな風に徹底的に映像化されてしまうとかなりキツイ…。もちろん、ここまで描く必然性がこの物語にはあるわけだけど。

最近、殺人事件とかミステリーとか頭を使うドラマは苦しくて、CXの「人は見た目が100パーセント」のような内容がまったくないドラマをボーっと見るほうが落ち着く自分がいるのだが、「北斗」は最初から嫌悪感100パーセントの幼児虐待で思いっきり疲れた。しかし見始めてしまうと、惹き込まれずにはおかない物語のパワーを持っていた。

北斗の犯した殺人は単純明快な殺人事件ではない。ここでは書かないけれども、視聴者それぞれの境遇でも感情移入の仕方は変ってくるかもしれない。情状酌量の余地なんて言葉よりももっと深い人間の業を考えさせられる。それは北斗本人の業であり、生みの親の業であり、巻き込まれた人々すべての業と業とのぶつかり合い、あるいは溶け合い、ふれあい、あらゆる感情をゆさぶる。

●北斗の生き直し

私自身は北斗のなかに、永山則夫(元死刑囚、1997年死刑執行)の人生を見た。永山則夫についてはひとくちメモでも何回か書いている。永山の場合は極貧の幼少時代という背景を持ち、いわゆる幼児虐待とは異なるかもしれないが、精神の形成期に傷を負ったという意味で似たものを感じたのかもしれない。

永山則夫は不幸な境遇から抜け出せないまま連続殺人を犯し、獄中で知識を吸収し小説を書き、死刑と無期懲役との間で揺れ動きながらも全力で生き直しを目指していたんじゃないかと思う。その途上、非常に政治的な判断のもとに死刑執行されてしまった。

ドラマ「北斗」は虚構ではあるけれど、いやだからこそ、永山則夫よりもさらに複雑かつ現代的な地獄のなかで育ち、精神に傷を負う北斗を目の当たりに出来る。これでもかというくらいに。虚構であるからこそ受け止められたともいえる。ただ、これほどの現実もいまの現代日本ならどこかで起っていてもおかしくないとも思う。

その後、児童相談所の相談員によって救われ、これ以上ない里親のもとではじめて生き直しを始めることができた北斗。ようやく人間らしい生活を取り戻した北斗。この落差もまた虚構ならではなのかもしれない。それなのに、また思いもよらない悪夢と不運に見舞われる北斗…。

最終回、一人の人生では抱えきれないほどの不幸を背負った北斗の裁判だけでほぼ全編が進み、そのなかで視聴者は北斗の境遇と罪とを天秤にかけさせられるわけだ。まるで裁判員制度で裁判員になったときの予習をさせられるかのように。

裁判というある種の非現実を日常のなかに持ち込むのはとても疲れる。ドラマを見てるだけでこれだけ疲れるなんて…。だから最終回を見るのが今日になってしまった。「よし、見るぞ」と覚悟を決めて見始めたわけだ。

この裁判ではここまでの4話で見せつけられた物語が弁護士の言葉で淡々と語られる。被害者側からの視点も挟まれる。生みの親も証人として現れる。そこで丸裸にされる北斗の精神。ある種の洗脳体験にも近いほどの錯乱状態となる北斗。

最後の判決が下り、裁判所から人々が退席していくだけの淡々としたエンドロール。これも映画のようだ。ものすごく心を揺さぶられるドラマだったのに、とても静かなエンディングだった。アンビエントな過激さ。ここで何かを語る必要はない。北斗のその後の物語は視聴者にゆだねられる。私はここでも永山則夫の獄中人生をまた北斗に重ね合わせてみたくなった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.04.01

ひとくちメモ、重大発表!?

えー、私ごとながら、重大発表がございます。


実は…、

ついに一か月ブログの更新をしませんでした!

coldsweats02

なーんて、今日はエイプリルフールなので、一発ウソをかましてみた!

…というのこそ真っ赤なウソで、本当に3月にひとつも書いていなかったのだ。


いまから日付をごまかして3月付の記事を書いてやろうか!?

エイプリルフールだしな。ふふふっ!


なーんて、そんなことしても一人遊びにもならん。ウソだよ~。


めんごでやんす(crying

こんなことはひとくちメモを始めてから一度もなかったんじゃないだろうか。

少なくともツイッターに登録した2009年11月まではなかったと思う。

2009年ってもう8年前かよ!

早っ!月日早っ!


でも3月はいろんなことがあった。

本当にあっという間に過ぎた濃厚な一か月だった。

大震災から6年、世の中は少しでも良くなったのだろうか…。

それにしても、人は忙しくなるとブログを書けなくなるのか!?

あると思います!


特にひとくちメモがひとくちでなくなり長文化して来てからは…。


それなりにオリジナルな視点らしきものもいれたいわけで。


推敲したりする余裕がなきゃなかなか書けないわけで。


こうして現状報告だけならツイッターでも出来るわけで。


でも3月に何も書いてないことを未来のボクはほほえましく思い出すだろうか…。

それを期待して、こうしていま書いてる気がする。

3月は毎週末、とても忙しかったけれど、とても充実していたと思い出そう。


とりあえず3月に食べた写真をある分だけだが残しておこう(delicious

wine3月5日昼食 銀座スイスで千葉さんのカツレツカレー
Img_20170305_114700s

wine3月10日早めの夕食か遅めの昼食 周南市プチポワのドリア
Img_20170310_165958s

wine3月11日夕食 周南市レストランオーセムの肉盛り合わせ 
Img_20170311_201039s

wine3月19日遅めの夕食 銀座パエゾのファジータ
Img_20170319_211517s

肉が多めの3月でした(毎度のことかっ!?)


» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.02.26

映画「ラ・ラ・ランド」が描く“ベタ”な人生の素晴しい機微 

封切られたばかりの映画「LA LA LAND」を観てきた。アカデミー賞14部門ノミネートで話題の作品。往年の映画好き、音楽好きにはたまらないオマージュがちりばめられた映画だったような気がする。

右隣の席に白髪のお婆さんがひとりで見に来ていて、ずっとハミングしてた。それをいびきと感じた観客もいたようだが、あれは歌っていたんだ。確かに耳障りなハミングだったが、ご本人は歌っていると意識せずにハミングしていたようだった。気にはなったが注意できなかった…。

さて、「ラ・ラ・ランド」だ。音楽もプロットも、かなり“ベタ”なのだが、それがたまらなくいい。ミュージカルというより、インド映画へのオマージュのような感覚を持った。オープニングからしてインド映画っぽい(happy01)。

エンドクレジットの挿入歌に「JAPANESE FOLK SONG」とあり、滝廉太郎の名前があった。どの曲が滝廉太郎だったのかよく分からなかったけれど、日本人好みの楽曲群が満載だったことは確かだと思う。

「スターの街」なんかもそんな気がした。日本人にとっては実にフォーキーなコード進行だったように思う(フリージャズにそういう側面があるんだろうか)。そのセンチメンタルな響きがグローバルに受け入れられてるんだと思うとちょっとうれしい。外国映画なんだけど(confident)

この映画をハッピーエンドというのは語弊があるだろうか。おそらく人生経験の長さや深さによって感想は異なると思う。もし私が20代前半で社会人になりたてでこの映画を見たとしたら、ハッピーエンドだとは書かない気がする。だけど、いまの私にはこの映画はハッピーエンドに思える。それだけ人間が描けている映画だったとも思える。

夢をかなえる場所としての映画産業や音楽産業。その裏側にある過酷な競争。そしてカネ儲けの誘惑。何が成功で何が挫折なのか、わからなくなる。でも、実はみんなある程度の年齢になると痛いほどわかってるこの感覚。夢と生活のはざまに生きる人間の在り方は永遠のテーマであり、そして“ベタ”なテーマでもある。だけど真正面から描かれると、やはりグッとくる。

オーディションに落ちまくるミア(エマ・ストーン)が、観客の少ない場末の劇場で一人芝居をやって、数少ない観客の帰り際の感想を聞いてしまうところがいい。脳内BGMは「浅草キッド」だね。その数少ない観客のなかに、キャスティング・プロデューサーがいたというのも“ベタ”だけど、夢をかなえる人の一面の真実を描いてた。行動する人だけが得ることのできるチャンスをミアがギリギリつかんだ瞬間。ある意味シンデレラストーリーだけど、その夢によって失ったものがある。

セブ(ライアン・ゴズリング)の夢のかなえ方もまた、多くの共感を呼ぶんじゃないだろうか。ビジネスという割り切りでビッグマネーを手に入れていく音楽家セバスチャン。ミアとの共通の夢を実現するための手段が、ミアとの共通の夢を遠ざける。葛藤にもがきながら、ひとつの夢を実現し、そしてセブもその夢の実現によっておおきなものを失った。こっちは「22才の別れ」だな(脳内BGM)。

夢のカタチはひとつじゃないし、夢の実現方法もひとつじゃない。二人で叶えようとした夢でも、その道のりまで常に同じ時間軸にあるとは限らない。ミアとセブもまさにそうだ。実現しようとした夢までの距離もかかる時間も違ってた。

だけどある瞬間に出会ってしまった。おそらくそこで出会わなければ、お互いの夢への道のりも違ったものになっただろうけれど、二人が失った片方の夢のおかげで、もうひとつの夢が実現したのかもしれない。なにが正しいのかなんて誰にも分からない。出会ってしまったことだけが真実なんだ。

かなった夢の裏側にいくつもの失った夢がある…。それでもなにかを選択し成し遂げた先にあるひとつの人生を受け入れることが出来れば、それはハッピーな人生なんじゃないかと思う。二人にとってのバットエンドだったとしても。人生の選択にはこういうときが誰にもあるもんだよね…。

これらの“ベタ”な人生の選択をミュージカル仕立てで見せようとしたデイミアン・チャゼル監督。この物語を学生時代に構想していたというが老成してるな(笑)。

ミュージカルとジャズとオリエンタルな響きとが絶妙にブレンドされた面白くて切ない映画だった。でもそれって“映画”って言葉がもつメタファーのど真ん中、まさに“ベタ”な映画のど真ん中だろ。大人がキュンと来る映画です。同じ夢を見ていた仲間や恋人のことをちょっと思い出してセンチメンタルな気分になってみよう。それが映画の醍醐味じゃないか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.01.04

『ジェームズ・ボンドは来ない』そしてボクは間に合わなかった…

昨年の夏、直島に行ったときにはまだ文庫化されてなかった『ジェームズ・ボンドは来ない』(松岡圭祐著・角川文庫)。正月休みの復路の新幹線で読み終わりました。

直島訪問当時はこの本の存在も知らなかったけれど、帰って来て後輩に直島の話をしたときに、007映画を誘致するっていう面白い本があるという情報を聞きました。その後、書店で文庫のタイトルに「ジェームズ・ボンド」という名前を見た時ピンと来て、手に取ったらビンゴだったというわけです。

文庫化にあたり、「まえがきにかえて」という著者の解説が書かれていますが、読み終えてみて、確かにこの物語を何の説明もなく読めば、フィクションのように思えてしまいます。それほどまでにストーリーは面白く、登場人物が魅力的で、荒唐無稽な村おこしのお話なのです。

直島にコンビニや診療所が出来るよう自分も何か役に立ちたいと思っている直島の女子高生遥香が主人公。そんな彼女の日常に、たまたま直島を007映画のロケ地として誘致しようという話が持ち上がります。そしてその誘致活動にのめり込んでいく高校生の遥香。そこで巻き起こる誘致活動の紆余曲折の物語は、まるで高校生が大人になるまでの清々しい青春小説のよう。

何の産業もない(と思われた)島から出て行くのか、留まるのか悩む若者の苦悩。降って湧いたロケ地誘致話に島の未来を夢見つつ、目の前の受験や親との確執、観光協会の仲間達や友人との信頼関係を通して、挫折を味わいつつも幸せをつかみ取っていく様子は、これが小説でないことを忘れさせてくれます。そこは著者のうまさでしょうか。

また、地方行政のいやらしさとか、村おこしのための涙ぐましい努力とか絶望とか、地方のいろんな問題も見え隠れします。村おこしに尽力しても成功しそうになったらもっと大きな行政の長がしゃしゃり出て来て、おいしいところを全部持って行こうとしたり…。しかしいざ頓挫しそうになると、さーっと引き上げる地方行政のえげつなさ。

途中、すべての取り組みが急展開を見せるのですが、後半の畳込むような“イタさ”の連続はまるでコメディ映画のようですらあります。これが実話だというのが本当に可哀そう…。だけど、直島観光協会の人々の真剣さが逆に笑いを誘ってしまいます。

誘致活動を始めた頃、高校1年生だった遥香は6年後、短大を卒業しています。ジェームス・ボンドはまだ来ません。それはこの文庫本のタイトルもそうだからネタばれじゃないですよね。それどころか誘致活動そのものが頓挫しそうです。だけど、ただ来ないだけで終わらなかったところがすごい。

終盤のこの展開には、遥香自身の6年間の集大成として書いた手紙が奏功したのでしょうか。はたまたひょんなことから出場することになったコンテストでの演説が奏功したのでしょうか。いずれにしても、まさに事実は小説よりも奇なりです。ヒトの思いって、たとえ全部じゃなくてもその痕跡を残すものなんですね。その痕跡を掘り起す面白さがノンフィクションにはあるように思います。

時代背景としては、第1回瀬戸内国際映画祭が始まったり(3年に1回開催で2016年は第3回でした)、AKB48のオーディションがあったり、東日本大震災の前後数年でもあり、ノンフィクションとして同時代性も感じることができました。

最後にはほろっと泣かせるいい話だし、どんでん返しのような展開も待っていて、この物語こそが映画になりそうなお話でした。直島がある香川県出身かつ青春映画の名作「幕が上がる」を撮った本広克行監督が映画化してくれないかなぁ。ジェームズ・ボンドもチョイ役で出てくれないかなぁ(coldsweats01

昨年の夏旅の前に読めていれば、必ず訪れたであろう直島の「赤い刺青の男記念館」はまだ続いているのでしょうか…。直島を再訪した暁にはぜひ訪れてみたいものですね。この文庫本を持って写真を撮りたいものです。たとえ跡地であっても。昨年は間に合わなかったな~!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2016.12.29

ひとくちメモ的今年の漢字で振り返る2016年

Ten_374驚くべきことに、このひとくちメモ的今年の漢字で振り返るシリーズが3年目を迎えた。これもひとえに応援してくださるファンの皆さまのおかげではまったくなく、ネタを考えるのが面倒な年末の慌ただしさの露呈だ。

過去の漢字を振り返っておくと、2014年は「捨」2015年は「盗」だった。ならべるとシャトーだ。BGMはブルーシャトー。どっちかと言えばネガティブと取られがちな漢字だったが、いま振り返ると気持ち的にはそればかりでもなかった。ゴミを捨ててスッキリ、バイクも盗まれてスッキリ…。降りていく生き方に共感する身にはどちらの漢字も決して100%ネガティブではない気がした。

そして今年、選んだ漢字は「転」だ。今年も漢字画像は漢字辞典オンラインさんから。

「転」という漢字、訓読みは「ころぶ」ということで、直近では全日本フィギュアスケートの女子フリーで樋口新葉が転んで200点に届かず残念だった。キス&クライで「あー!あと一点もない!」と悔しがる声がテレビマイクに拾われていた。そんなお転婆な15歳だが、2位で世界選手権の切符を手にした。キムヨナの流れを汲むスピードと安定の樋口新葉は今後も大注目だ。

お転婆も「転」だからついでに書いちゃうと、昔からお転婆な子が好きだった(coldsweats01)。だからフィギュアでも樋口以外だとラジオノワが好きだったが、成長とともにおしとやかになり演技も少し大人しくなってしまったのが残念だ。

●アレッポ、沖縄、そして日本。絶望からの転換を

世の中に目を向けると、今年明らかに世界は転換した。英国のEU離脱、そしてドナルド・トランプ氏が米大統領選挙でヒラリー・クリントンに勝利。このふたつは2016年に専門家の予測や予想が大外れした2大椿事だった。

しかし歴史が転換するとき、思いがけない事件がきっかけになることもまた歴史が証明している。

中東情勢も収拾不能ではないかと絶望的になる。シリアのアレッポ虐殺の残した禍根はそうそう消え去ることはないだろう。難民を生み出す構造の転換がなければ、世界各国で台頭している排他的、右翼的な空気や政治がさらに増長増幅し憎しみの連鎖は止まらない。そんな気持ちのツイートも書いていた。

penpenpenpenpen
2016年12月03日(土)
ポップンポール@hitokuchimemo
世界中の極右が集まって難民を出さない世の中を造り出すなら素晴らしいと思うが、そこを放置して受け入れ拒否の内向きポピュリズムばかりなのが右翼という思想の限界で、グローバル化した地球にはいまひとつマッチしてない。グローバル化した問題を解決可能な右翼思想が出てきても良さそうなものだが。
posted at 17:40:25

penpenpenpenpen

沖縄では高江にヘリパッド工事問題、辺野古埋め立て問題、オスプレイ墜落事故、こちらはまったく転回せず、一直線に米国占領下の政治が続く。ここでは「転」を目指す市民の力がますます重要になっていく。目取真俊さんが来訪された浦和での講演会が紛糾したのも、沖縄と日本との距離を感じた事件だった。その日のツイートもあらためて残しておきたい。

penpenpenpenpen
2016年06月05日(日)
ポップンポール@hitokuchimemo
目取真俊氏の講演会@浦和から帰宅。つまらない質問者に烈火のごとく怒った目取真氏。あの質問者に限らず質問と称して自説を延々と述べただけの全質問者にボクは苛立ちを覚えた。いわゆるサヨクの悪い面が全部見えた会だったけれど、沖縄が戦場だという実感を首都圏で持つことの絶望的な難しさもある。
posted at 23:06:30

ポップンポール@hitokuchimemo
目取真俊氏の思いはシンプルだ。数十人でゲート前に座り込みをしても排除されるが千人で座れば止められる。そこに座る人か座らない人か。それを問うために講演をされていた。それだけを皆迫られてると言ってもいい。沖縄の基地で座らない人間には何も求めていなかった。とても厳しいがそれが戦闘だ。
posted at 23:12:58

penpenpenpenpen

イデオロギーの限界はもうずっと前から言われているだろうが、世界が劇的に転換しようとしているとき、つまり2016年以降の世界を俯瞰してみるとき、視野の狭い保守は右翼に転じ、意固地な頭の反体制サヨクも暗躍しはじめる。きな臭さが世の中を覆う。必要悪だとは思わない。転換した社会が少なくとも、より良い社会になるためにどう動くべきかを両者も含めた地球人全体で考えるときが来てる。

●個人的には転機の年だったか?

私的な方面では、いろいろ転機といえそうなこともあった。書けること、書けないこと含めて…。出会いの数だけ別れもあるのが人生だ。だって最後には必ず死という別れが待っているのだから。だけど出来れば別れは人生の後回しにして、単年度では出来るだけ出会いの数を多くしたいものだ。

今年はうれしい出会いがいくつかあった。ヒトとの出会いもそうだけど、芸術面で今年は思いのほか美術館や美術系の作品に出会う機会が多かった。川瀬巴水の新版画との運命的な出会いに始まり、夏の瀬戸内国際芸術祭2016ホキ美術館での超絶写実絵画との出会い、そしてダリ展より正直面白かったDOMANI明日展、12月には三島のクレマチスの丘にあるビュッフェ美術館も訪問した。

また足利市で見た平原綾香さんのコンサートについて書いていたら、そのスタッフさんから平原さん本人に知らせてもらえて、ご本人からツイッターでコメントをもらえたのもうれしいニュースだった。

読み直してみると(最近はツイッターで満足してブログを書く回数も減ってるから読み直しが楽!)、今年の最初のブログは富士山の写真で幕を開けた。暖冬で雪の少ない富士だった。そして今年の終わり、ひとつ前のブログ記事は雪を纏った美しい富士の姿を掲載できた。同じ富士山の姿も環境でこれだけ変化する。

来年も心機一転、すべてが良い方向に転がっていけばいいが。転がる石のように=ライク・ア・ローリング・ストーン、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した年でもあったな。時代は変わる、か…。生生流転。

なにはともあれ、酉年を飛翔の年に致しましょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2016.12.23

富士山、クレマチスの丘、詩

Mt_fuji_20161217

15日の夜から静岡県三島市に3泊した。平日は仕事で週末は観光。連日いい天気で富士山がとても美しかった。

三島から見る富士はとても大きく、夕方にはまさに赤富士となり、多くの文学者が富士の山に喚起されて来たのも分かる気がする。そしてこれからも富士が多くの芸術を生んでいくような気もする。

私は富士が大好きだが、一歩たりとも登りたいとは思わない(bearing)。富士は遠くに眺めてこそ美しい。

Vangi_museum_20161217●クレマチスの丘

一番おもしろかったのは仕事だったのだが、それは書けない。週末の観光ではクレマチスの丘を初めて訪問した。三島駅から9:40発の無料シャトルバスで約20分。道中にも富士が見える。

クレマチスの丘は静かで清潔で落ち着く空間だった。朝いちばんだったこともあるだろうが、とても贅沢な時間だった。

まず、ヴァンジ彫刻庭園美術館とIZU PHOTO MUSEUM の2館共通チケットを購入した。共通チケットはいろんな組み合わせが出来て便利だった。

ヨヘン・レンペルトの写真展「せかいをさがしに」は地味な企画展だったが、生物学に裏打ちされた写真群は面白かった。

ジュリアーノ・ヴァンジの彫刻は独特だった。キュビズム的に人体を具象化しようとしているのか、デッサンの崩れたような人物像が多い。しかし見る角度によって表情がまったく異なるのが面白い。

人間の多面性をひとつの作品で表現しようともがいてる感じだ。展示館内の照明や配置はヴァンジ本人がこだわりを持って設置しているそうで、確かにそこに何らかの意図を感じさせる配置だった。

庭園にはユーモラスな彫刻がいくつかあった。右上の写真はガラス面に鼻をくっつけている男(タイトルは違うと思う)を横から撮った。最初は誰かに見られてるのかと思った。そういうドッキリ彫刻がいくつかあった。

壁をよじのぼる男も面白かった。ちゃんとネクタイをして壁をよじ登っていた…。この男の顔も右と左とでまったく別人になる。

Vangi_museum_01_20161217

●ベルナール・ビュフェ美術館

Buffet_museum_20161217クレマチスの丘の真打は、ベルナール・ビュフェ美術館だろう。この時期は「ビュフェと1940-50年代 不条理に対峙する絵画」展というコレクション企画展と、「ロベール・ドアノーと時代の肖像 - 喜びは永遠に残る」展が同時開催中だった。

ビュフェの絵画は一度見ればすぐにビュフェとわかるような強烈な個性、あるいはトーンを持つ。ビュフェのサインはもはやサインの域を超えて、それ自体が絵画のデザインの一部、絵によっては主役ではないかとも思えるような大きなサインだ。美術館の壁に大きく描かれているのも、そのサインだ。売れっ子だったんだろう。このサインがあるだけで売れた時代があったんじゃないだろうか。

ロベール・ドアノーの写真展も面白かった。有名人のポートレートは単なる肖像ではなく遊び心がある。また街で捉えた一瞬のおもしろスナップやおもしろ構図写真の数々は、梅佳代に通じる写真芸術のひとつの潮流にも思える。素直に人間って面白い、写真って面白いと思える。ポートレートにしろスナップにしろ、やはり撮っておくべきだと思った。

またドアノーが惚れ込んだ小説家ジャン・ジオノへのオマージュとしての連作写真「ある羊飼いの物語」も実にいい写真です。羊飼いの大移動に同行して撮った数々の写真は、ひとつの時代のポートレートになっていました。

不満だったのは、絵はがきが少なかったこと。ドアノーの写真は数枚購入しましたが、ビュフェのほうは買いたい作品がありませんでした。また、ドアノーの図録もせめて展示作品はすべて載せて欲しかった。「門出の歌」が欲しかった(笑)。

昼過ぎまでクレマチスの丘を歩き回り、またシャトルバスに乗って三島駅に戻った。美味しいうなぎ屋があるというので南口に回って、桜家といううなぎ屋さんでうなぎが3枚乗ったうな重を。遅い昼食となりこの日はホテルに戻ってぐっすり寝た。

●谷川俊太郎展

Tanikawa_shuntarou_20161218

翌朝、帰宅前に駅前にある「大岡信ことば館」で谷川俊太郎展を鑑賞した。Z会の建物内にある。美術館でもなく博物館でもない。ことばを展示する空間。しかしお勉強感覚でもなく、ことばをビジュアルに展示しようという意欲があって好みの展示空間だった。

先日のDOMANI明日展のときに感じた、情報社会におけるアートとことばのコラボレーション感覚をここでも強く感じた。こっちはことばがメインだけど、谷川俊太郎さんの詩や詞はとても五感を刺激する。

谷川さん自身の朗読に耳を傾ける(文字通り耳を傾けて聞く)展示が4か所あった。寝かせたスピーカから筒が伸びており、その先に蓋がしてある。蓋を取って耳を傾けると、その筒から谷川俊太郎さんの声で詩の朗読が聞こえてくるのだ。

谷川俊太郎さん、役者だね。ポエトリーリーディングの抑揚に惹き込まれる。素晴しい詩を書けても、朗読は上手くない詩人もたくさんいると思う。坂本龍一の歌がお世辞にも上手いといえないように(catface)。でも谷川さんの朗読は実にいい。シンガーソングライターならぬリーダーポエムライターだ。絵本と詩のコラボレーションも多い谷川俊太郎さん。様々なメディアと絶妙にマッチする。

谷川さんのお父さん(哲学者の故・谷川徹三氏)から子ども時代の俊太郎君に宛てたハガキも展示されていて、そのことば感覚に驚いた。この父にしてこの子ありなんだなぁ。

ボクは中島みゆきファンで、中島みゆきさんを通して谷川俊太郎さんの詩に出会った。中学生の頃。詩集を読み漁るようなタイプの人間ではなかったが、こうして展示された空間でひとつひとつの詩と向き合うのは楽しかった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2016.12.11

ダリ展からDOMANI明日展へ

「真の画家は、空っぽの砂漠を前にしても、カンヴァスを途方もない場面で満たすことができるはずである」という作品の絵はがきはなかったがトートバックがあったので購入し図録を入れて帰宅した。12月10日(土)は朝から風が強かったが天気は良く、クリーニングを出してから国立新美術館に向かった。開催中の「ダリ展」が12日までなので、開催中最後の週末だった。着いたのは11:40頃ですでに行列は20分待ち。その後70分待ちにまで行列は膨れ上がっていったらしい。その様子をアニメーション化したくなるほどの大人気だ。行列を写真に撮っている外国人もいた。

ダリ展に来たのは2回目。最初は1987年、山口県下関市下関市立美術館の「イメージの魔術師ダリの世界」だった。「自分の仕事の中で、絵画は氷山の一角にすぎない」とダリ本人も語っており、画家でなく著述家、挿絵家としてのダリに焦点を当てたマニアックな展覧会だった。そしてこの当時、ダリはまだ存命中だった。1984年の火災で全身火傷を負ったことがニュースになった。その3年後のダリ展だった。そして1989年にダリは永眠した。

29年後に観た今回のダリ展では、ダリという捉えどころのない多彩なタレントを、時代ごと、ジャンルごとに整理し、多角的に捉えた展示だったと思う。

ボクにとってサルバドール・ダリというタレントをどのように評価するかはとても難しい。ダリに出会ってからこちらも年を取って、若干芸術に対して保守的にもなってきた。ボクが10代の頃、自らシュルレアリストを気取っていた。ダリやデュシャンやマン・レイの影響だったが、それを恥ずかしくもほほえましく思い出す。胎児の顔だけダリになっているダリ・ベイビーという作品を作ったことがある sweat02

ダリの初期の作品は時代背景もあって印象派からフォービズム(野獣派)の影響を受けているようだ。そこからキュビズム、シュルレアリスムへと当時の現代アートともいえるような流行に乗った作品を描いていた。

画家ダリはシュルレアリストとして位置づけるのが一番しっくりくるが、それは作品の完成度というか、もっとも脂の乗っていた時期がたまたまシュルレアリスムの時代だっただけなんじゃないかという気がする。

細い指先、光沢指向、透明指向、引出し、蟻、鍵と鍵穴、時計、ピアノ、言葉、様々なダリの断片が波状攻撃のように繰り出され自由自在に配置される。それはいずれ絵画の世界を飛び出し、新しいメディアに乗って大衆に突き刺さる。そしてダリ自身がメディアのなかで確信犯的にキャラクターとして確立し、それが作品の評価にもフィードバックされる。

コマーシャルな世の中になり、マルチタレントのはしりのようなダリの誕生だが、1989年に永眠してなお、2016年にこれだけの人々を呼び込むパワーを持ってる。特に日本ではマルチな才能が受け入れられやすいのかもしれない。

●DOMANI 明日展

ダリ展から出た後に、同じ国立新美術館で開催されている「DIMANI 明日展」を観に行った。この日が初日だった。今年は第19回というDOMANI展だが、見に来たのは初めて。ダリ展がなければ出会っていなかったが、今後は毎年でも見に来たいかも。

この展覧会は文化庁新進芸術家海外研修制度の成果を発表する場だ。現代アートの最前線に登場してくる未来のアーティスト発掘の場であり、その作品をまとめて鑑賞できる。

海外研修制度についてはホキ美術館の写実画でもいくつか気になっている絵画もあったりして知ってはいたが、この展覧会の図録を読み、1967年からこの制度が続いているというのに驚いた。また文化庁のメディア芸術祭との相関関係もわかった。

ダリが広告を利用して手広く活動分野を広げてきたマルチタレントのはしりだとすれば、もはや時代は誰もがあらゆる素材や機材を用いて表現活動を行うことが出来、何を使ってどう表現しても受容される世の中に“進化”した。

それだけに新奇性=現代アートという等式はないと言っていいだろう。観客は驚きのその先を求めてくる。それは鑑賞する側の“深化”であり、創造する側には酷な世の中かもしれない。だが、そこに言葉ありきということもまたダリは教えてくれていた。

言葉によって作品世界が深まる。タイトル、解説、作品のなかの文字そのもの、言葉そのものがアートにとって重要な意味を持つ。ピュアな作品だけで鑑賞が終わらないのも情報化社会らしい。もちろん作品だけから感じるものだけを鑑賞する自由も担保されている。

作者がことばによって作品を(あるいは作品の一部として)語り、その情報のうえに作品を見る。その循環が作品を豊かにし、鑑賞者の感覚も育成されていくようだ。

13名の芸術家の様々な作品があったが、3つの映像作品がとても印象に残った。南隆雄さんの「Medi」(2016)は6つの映像が大きな縦長パネル6枚に映し出されている。相互にゆるく繋がりながら、青や黄色の原色で加工された風景を映し出す。映写機が90度回転して縦に設置され、6枚の画像を縦にゆっくり流していく。とても落ち着く。

平川祐樹さんの「Vanished Tree - Teufelsberg」(2015)というビデオ・インスタレーションもとても良かった。木の切り株を真上から撮影したものと、樹木がそよぐ真上の空を撮影したものを天地に配置してある。モノクロ映像だ。切り株をじっと見ていると、時たま風が吹いて木くずが動いたり、虫が動いたりする。10分ループ作品とのことだったが永遠の時間を感じる作品。時間とはただ循環しているものなのかもしれない。

折笠良さんの「ペンタゴン」はクレイアニメーションなのだが、5人の作家がそれぞれ1つのテーブルの上でクレイアニメ作品の粘土をこねていて、カメラがそれぞれの作品にフォーカスすると、その作品だけがアニメーションとして動き出し、他の粘土や背景の人物などは風景(雑情報)となる。その移り変わりが面白い。また壁一面に映写されていた「水準原点」もすごい作品だった。怒涛の粘土の波のなかに刻まれていく文字、言葉。圧倒された。

これらの作品だけでなく、静的な作品も実に多彩で面白かったのだが、そういう作品はネットで画を見ることが出来るから、ここでは動的な作品について書いてみたかった。

ダリ展から始まり、現代アートの歴史を辿ってからのDOMANI明日展は、ボクにとっては地続きだった。未来に向けてアートシーンはいまも少しずつ進化しているんだろう。終わることなく。

DOMANI展の出口の売店に来年が酉年なのにちなんで、鳥の落書きボードがあり、観客がマジックでとり・鳥・酉の文字や絵を描いて完成させるというコーナーがあった。初日だったのでまだ余白が多かった。せっかくだから何か書こうと思い、右側の鳥の背中のうえに「申+1」と書いて帰ったら、DOMANI展長さんがツイッターで紹介してくれた。ぜひ売店でぼくの作品もご鑑賞ください(smile)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2016.11.30

今日は川瀬巴水デーだった。

今年の夏に箱根で川瀬巴水の新版画「あけび橋の月」に偶然出会ってから、川瀬巴水の新版画に大変興味を持ってます。

その後、渡邊木版美術畫舗さんで「雪の向島」(後摺)を購入したので展示会等のDMが届くようになり、松坂屋上野店での展示即売会を知りました。このDMも絵はがきになってていいんだよね。今回は「木場の夕暮」という大正9年(1920年)の作品で、初刷は時価135万円くらいの作品です。

松坂屋上野店の展示即売会は今日が初日ということで、午前中から出かけました。故スティーブ・ジョブスもコレクターだったという川瀬巴水作品は近年とても人気があるようなので、もし購入するなら初日午前中から行かなければという思いはもちろんありました。

到着すると、さすがに初日の午前中だけに購入しようというお客さんらしき人々がチラホラ。版画と価格を見ながら携帯電話で確認してるおじさんや係員にいろいろ聞いてるご婦人。すでに売約済みの印のついた作品も数点ありました。結構高額のものから売れてる印象です。

近年摺られた後刷(初摺と同じ版木で後年新たに摺った版画作品)と比べると、初刷は安くても10倍くらいの価格なので、購入するかどうかは結構迷いました。今年の夏訪問した阿伏兎観音も購入可能な金額でまだ売約されていませんでした。

しかし結局購入しませんでした。版画は和紙なので保管が難しく、川瀬巴水の初摺の名品を私が状態を維持しながら飾れるだろうかと考えると、ちょっと怖気づきました(coldsweats01)。然るべき人に保管していただき、たまに展示会で鑑賞できればいいじゃないか、もう物欲は捨てよう…と思った次第。

でもやはり初摺の良さがわかる作品もいくつかありました。売約済でしたが、「木場の雪」(648,000円)の雪の版画らしい描写はとても良かったです。またこれも売約済みだった「東海道風景選集 品川」(410,400円)。これは画集で見た時からいい構図だなと思っていた作品だったので今回初摺が拝めて良かったです。

展示会ではDVD「版画に生きる川瀬巴水」を売っていたのでそれを買いました。川瀬巴水の旅と作品制作過程を渡邊木版美術畫舗が映像化されていたのです。私はこういう職人技を見るのが大好きなので、貴重な映像に大満足しました。絵師・川瀬巴水、彫師・前田謙太郎、摺師・斧銀太郎、その仕事を映像で残されているのは本当に素晴らしい!1956年の作品なので60年前のカラーフィルム映像ですよsign03

●大田区立郷土博物館にはしご

Kawase_hasui_ohtaku90松坂屋上野店の展示即売会を思いのほか早く見終わったので、その足で大田区に向かいました。ちょうど大田区立郷土博物館で川瀬巴水展をやっていたので。これも前から知ってはいたのですが、結構遠いので迷っていました。川瀬巴水の大田区居住90年記念という、このなんでも記念にしてしまう感覚、好きだなぁ(happy02)。

でも12月25日で企画展は終わりだし、今日行かなかったらもう行かないかもしれないと思い、今日を川瀬巴水デーにしよう、そしてブログに書こうと思い向かいました。ブログがあるから踏み出せたパターンです。これまでもちょいちょいありますね。出不精の私が行動のモチベーションにブログを使う。実に健康的じゃないか(wink)。

これが大正解だったなぁ。めちゃめちゃいい企画展!作品の量も質も申し分なし。版画だけでなく、肉筆画あり、旅のスケッチあり。試摺と本摺との比較もあれば、ワタナベ印の解説もあり、実に初心者に優しい展示です。しかも入場料500円!安い!さすが行政!ほんとに行かないと損ですわ。千円札が不足してるらしいので500円玉を持参して向かってください(笑)。

インテリアから考える、新しいフレーム・フレーミング・額縁・額装専門店。また入口で川瀬巴水作品のポスターをくださいました。4枚入り!太っ腹!さすが行政!なくなり次第終了かもしれないけど。

ただ、このポスターはサイズが412×420という変則サイズだったので額装するのはちょっと難しいです。55角の正方形の額に特注サイズ(たとえばフレーミングshop Marco Blancoさんで特注1100サイズ)のマットで調整するとかすれば映えるかも。もちろん、図柄によってサイズはまちまちだと思うのでそこは自己責任でお願いしますshine

また、大田区立郷土博物館発行の図録『川瀬巴水』(2,000円)が、これまた素晴らしすぎる!

私と巴水との最初の遭遇作品「あけび橋の月」も写生帖含め複数載ってるし、購入した「雪の向島」(図録では雪乃向嶋)のスケッチも掲載されていた。他の図録では見たことがない。レゾネは知らないけども。

一般販売されてる図録と異なり、豊富なスケッチや落款(雅号印)、巴水が明治時代に書いたはがき絵まで収録されていて、作品群のカテゴリ分けも独自な感じで、これが2,000円なんてウソでしょってくらいの質とボリューム!行政の力はすごいわ。

この図録に絵はがき8枚セットを2種類購入して帰りました。本当に充実していて、すばらしい企画展でございました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«二年ぶりに大掃除を計画(笑)