2012.01.24

IU ジャパン・プレミアム・スペシャル・ライブ

昨年暮れの「IUは高音だけじゃない。少女時代が脚だけじゃないように」でちょこっと書いたIUライブの抽選に当たったので、なんとか時間をやりくりして駆けつけた。IUの日本初の単独プレミアムライブだ。オーチャードホールに来たのは坂本龍一ライブ以来だと思う。何年ぶりだろう...。でもさすがにオーチャードホール。音響は良かったと思う。IUのボイスも管弦楽に負けてなかった。

しかし実質45分くらいで終了...。あっという間だった!オーチャードホールに37人の管弦楽+ギター+ピアノを入れての日本初ショーケース。このスケールならもう少し聴きたかったが無料のお披露目ライブだからこんなものか...。

サプライズで「良い日(Good Day,좋은 날)」の日本語詞版を初披露してくれた。三段ロケット高音歌唱も生声で披露してくれた。テレビ番組では裏メロを歌うことも多くなっていたから良かった。日本語版は3月21日にシングルとして発売されるようだ。K-POPはハングルで聴きたいほうなんだけど、この詞はうまくメロディに乗っていて違和感があまりなかった。今日のライブの模様もDVDで付くらしい。今回はそのための公開収録と考えたほうが良さそうな気がした。

MCはすべて日本語だった。カンペを見ながらだったけど、なかなか素直なトークで感情表現が豊富。IUは根が早口だしおしゃべり好きなのか、あるいは美空ひばりや松田聖子ばりに耳と音感がいいからか、覚えが早いようだ。「マジで」とか「お水タイム」とか、かわいらしさ全開の日本語。教えてる先生がいいんじゃないかと思った。IUらしさを引き出す日本語表現がわかってる。

後半は古家さんとのトーク。古家さんはほんと韓流イベントには引っ張りだこだな。このときはIUもハングルだったからさらに早口に。IUが話している内容もほとんど聞き取れなかったけど、形容詞はなんとなくわかった(笑)。昔IRISイベントでイ・ビョンホンの「21日」だけ聞き取れた頃とくらべれば多少はボクの耳もハングル慣れしてきたかな。

アニメの「夏目友人帳」のファンだというIU。IUは温泉好きということだが、アニメや音楽の趣味も結構渋いな。なんだか妙に納得してしまう。IUという世界観にマッチしてる。コリーヌ・ベイリー・レイが好きだったりもするそうなので、「プット・ユア・レコーズ・オン」のカヴァとかして欲しいなぁ。そういう品のある楽曲もIUの魅力が出せると思う。

アンコールではギターの弾き語りでラビング・ユー。IUはウィスパーボイスもなかなかいい。もう少し年齢を重ねるともっとよくなっていくように思う。ボクはなにげにウィスパーボイスが好きなのだ。ヴァージニア・アストレイツイン・ピークスのジュリー・クルーズ、日本人ではbiceなどなどが大好きなウィスパーボイス症候群なのだ(笑)。

帰ってきてさっそくIUジャパンオフィシャルファンサイトにも登録した。次回はぜひフルスケールのコンサートを聴きに行ってみたいものだ。

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2012.01.22

遠藤・今野がK-POPファンだと知ってうれしかった『観察眼』

昨年6月、初めてナマで少女時代のステージを観て「まさに少女時代の時代だった!」と書いた。そのなかに「テヨンはサッカー日本代表に例えれば遠藤保仁のような選手だ」とも書いていた。ボクはテヨンファンであると同時に遠藤保仁ファンでもある。

前著『信頼する力』も読んでいるし、今月の新刊で今野泰幸選手との共著『観察眼』もすぐ読んだ。だが実はサッカーの試合は一度も観に行っていない...。全然興味のないプロ野球ですら生涯に5回くらいは球場で見てるのに。横浜ベイスターズ優勝の瞬間も浜スタにいた...。

クラブチームがいくつあるのかも知らない。日本代表メンバーの名前も言えない。次のワールドカップがブラジルであるのも著書で知った。そもそもボランチってサッカー用語はいつからあるの?くらいのもんだった。しかし今野選手のガンバ大阪移籍とタイミングをあわせたかのように出版されたこの新書を読んで、ちょっとガンバ大阪の試合を見てみたいなと思えた。

●個人プレー指向だった私はK-POPでチームに目覚めた(笑)

子どものころは野球よりサッカーが好きだった。今でも中学時代に練習で石津君にあげたロングパスの軌跡は記憶に残っているが、運動するのが嫌いだった(笑)。マンガ児童が文学少年になり音楽青年に成長していまがある。ボクの人生にチームプレーはなかった。やって来たスポーツは、陸上の短距離と砲丸投げ、剣道、水泳、テニス、柔道などで、剣道の団体戦がチームといえばチームだった。

それが影響してかスポーツや芸能人を見る視点も個人中心だった。テレビでやるスポーツはチームスポーツが多いが、そういうなかでも個人技中心だし、個人のファンになることはあってもチームを好きになるという感覚はあまりない。大相撲の千代の富士、バレーボールの益子直美、柔道の福見友子、野球のイチロー、フィギュアスケートのキムヨナ、そしてサッカーの遠藤保仁。

しかしK-POPにはまってから、チームを応援するという感覚が徐々にわかりかけている。ジユンのいる4minute、テヨンのいる少女時代、ナルシャのいるブアガルなどなど。人から入ってチーム全体を好きになるという感覚はある。そしてそのチームのなかに好きなメンバーが増えていくという循環もある。

だからいまサッカーも遠藤のいる全日本の試合は見たいし、著書で知ったさまざまな知識をもとに遠藤のいるガンバ大阪の試合も見たいと思うのだ。人に注目するとライブ感覚が大切になるから。

●ダッシュダーッシュダッシュ!のキャプテン翼君とはひと味違う遠藤流

数少ないテレビ観戦のなかで見た遠藤選手って、チンタラ走ってるのがよく映ったりしてて、セットプレーのときだけ「オレの出番だ!」とまるで村田英雄先生のように出てきて、他のメンバーも「先生、お願いします!」みたいな感じで、コーナーキックを放つととんでもなくいいボールをあげて得点が決まる。そういう選手だと思っていた。コーナーが俺の人生さ!みたいな。オレはなんて失礼なんだろう...。

しかしこの著書を読むと、南アフリカワールドカップのときにFIFAの公式サイトのデータで走った距離は遠藤選手が一番多かったと書かれていて、かなり意外だった。そんなバカな!とまでは思わなかったが(笑)、ご本人も「たぶん、普通の人には俺がそんなに走っているようには見えなかったと思う」と書かれていた。まさにそうは見えないのだ。

いわばテレビ視聴者には『観察眼』がまったくない。言い訳するとテレビカメラはボールを追っかけるので、遠藤の事前の動きまではわからないのだ。敵にすら見えていない遠藤の先回りがテレビカメラで追えるわけがない。映らないからわからないのだ。映ったときにはチンタラ走っているのだ...。

でも楽にやっているようにみえて運動量が一番多い理由も書かれている。常に周りが見えていて先を読んで動けているからダッシュする必然性がないのだ。同じ到達点にダッシュで行くと不利な体勢になるが、早めに考えて動けばより有利にボールを受けられる。自分のいるべきポジションが早いタイミングで取れている証拠なのだった。

ますますすごい選手だなと思ったな。言うはやすしだが、なかなか出来ることじゃないですわ。猛ダッシュで走り込んでいるほうが見ていてわかりやすいし、ダメでも「がんばったんだから仕方がない」という言い訳大好きサラリーマンにはウケるだろう。だが、そういうポーズを排して合理性を重んじるのが遠藤流といえそうだ。キャプテン翼の歌のように燃えてダッシュしないのが遠藤流なのだ。だからブーイングにも強いしバックパスを恐れないんだろう。

●今野泰幸選手のナイスアシスト!

そんな遠藤選手がK-POPファンだと知ったのもこの本だ!今野選手の章で「ヤットさんもK-POPが好きで」と重大証言(笑)。もっとも有益な情報だったなぁ(happy02)。「ヤットさんも」ってことは今野選手もK-POPが好きなんだなぁ。ガンバ大阪、いいっすね(笑)。K-POPとコラボして欲しいな。

でももう一歩踏み込んで、少女時代の誰が好きなのか、そこをぜひ教えてくれ(笑)。遠藤をテヨンだと言ったこのオレにそっと教えてくれ。テヨンじゃないのかなぁ。次の著書もきっと読むからそこで明かしてくれ(笑)。

せっかくだから今野選手も少女時代に例えておくと、センターバックだからスヨンか?スヨンは背の高さはチームトップでそこは今野選手とは異なるけれど、スピーチもテヨンと同じくらいしゃべれるしモノマネも得意だ(笑)。少女時代のまさにセンターバックで魅せるメンバーだ。

ガンバ大阪には今年もうひとり、オレと同じ苗字の田尻健選手(ゴールキーパー)もユースから昇格した。つまり今年のガンバ大阪はオレ的にすごいチームなのだ。サッカー全日本でオレがほぼ唯一ファンと名乗れるのが遠藤選手。そして遠藤選手のいるガンバ大阪に共著者の今野選手が今年移籍し、同姓の田尻選手が今年J1昇格。

こういうのも何かの縁だ。ガンバ大阪に注目してぜひ試合を見たいと思う。それを今年の目標のひとつにしよう。せっかくだから優勝しようぜ!

ガンバ大阪と少女時代とでコラボしてくれたら大阪に観に行くぞ(笑)。遠藤・今野のモチベーションアップのためにもなんかイベント企画して欲しい。田尻選手はマンネ(末っ子)なので仮ソヒョンとしておこう。オレが少女時代に例える条件には全日本入りする必要があるので頑張ってほしい。オレは何様のつもりだ...。

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2012.01.15

健康のために運動すべきか否かをディベート思考してみる

今日は万歩計をつけとけばよかったな。100歩も歩いてない。ソファに座ってオットマンに足を乗っけて日がな一日過ごした。足の踏み場もない部屋を片付ける予定だったが、足を踏み出すこともなく過ごしたからまったく問題なかった。問題意識のないところには行動もないのだ!

歩いたのは寝床から起きてソファへ向かったとき、トイレに行ったとき、電話がきたとき、飯食ったときくらい。電話は携帯だったけど充電中だからコンセント挿したままにしたくてそこまで歩いた。飯も炊いてあるご飯と冷蔵庫の適当なおかずをレンジでチンするだけ。

さっきまでソファで寝落ちしてて身体が痛い。自宅でエコノミーシンドロームになったらまずいと思い、パソコン部屋に来て書き始めたから、もしかしたら100歩くらいは歩いてるかも。運動したな。

昨日も似たような状態だった。力尽きた休日はこんなものだ。一週間が長すぎる。しかし健康のためには平日は出歩くことにしてる。それが健康への最大限の気遣いだ!それなのに医者はやれ歩けだの運動しろだの食事制限しろだのうるさい。

●健康のために運動するのは論理的か?

そもそもどうして「健康のために」という健康ファシズムがはびこっているんだろう。ジョージ・ポットマンの平成史で調べてもらいたいくらいだ。

しかしとりあえず身体を動かさないかわりに頭を動かそうと考えて、「武器としての決断思考」(瀧本哲史著・星海社新書)のディベートの作法で「健康のために運動すべきか否か」を考えてみることにした。もちろん私は「健康ファシズムは否!」の立場だ。

健康のために運動すべきだという輩の健康メリットはどんなものだろう?

内因性:運動不足で内臓脂肪が蓄積すると長生きできない。

重要性:このまま成人病になって寿命が縮むことは大問題だ。

解決性:運動によって健康体になれば長生きできる。

こんな感じだろうか。健康でいることは長生きすることだという勘違いがあるように思えてならない。ちょっと恣意的でしたかね?しかし健康の究極の目的は長生きすることにあるんじゃないか?原発の全廃が人類の存続のためというのと同じで。人類が存続しなくていいなら原発は問題ない。

私の立場からは、これらに反論しなきゃならない。

内因性への反論:運動に時間を取られて、いま生きているこの時間を最大限活用できない。食べられるいま食べ、楽しめるいま楽しまないで長生きしてどうする?運動で手に入れた未来の時間をいまと同じように生きられるのか?

重要性への反論:運動にまわす時間があるなら、いまを楽しもう。いまできることを賢明に楽しもう。たとえ健康で寿命が伸びてもいまほど楽しめなければただ生きてる時間に意味がない。

解決性への反論:健康でない原因は運動だけとは限らない。ストレスの多い企業戦士は日常ストレスに加えて運動しなければというストレスを抱え込みさらに疲弊する。長生きできない原因も健康だけとは限らない。運動中に事故にあうこともある。健康に気をつけて何かをしている時間はいまの自分にはムダな時間であり、それによって失う現在の機会損失の価値と未来に健康で長生きする価値(未定の価値)とは万人が同じではない。

こんな感じ。

健康で100歳まで生きることが出来ました。さて、ラーメン二郎のブタWを食べに行けますか。という話しだ。

ま、ここから先のそれぞれへの反論は各自勝手にやってもらいたい。そんなこと考えるのは時間のムダで人生の浪費だという方には、まさにその浪費こそ健康のための運動と同じなんだよ!と一言付け加えておく。

でも現代の健康ブームとは違うアプローチでの栄養理論と健康を説く柴田博先生ファンでもある私なので、柴田先生の御説には従う自分もいたりする。一ヶ月で1kgやせろというクスリ大好きな医者には従わないけど、肉を食べながら10年で8kgくらいはやせようかなと思ったりしてる。相場観と同じでタイムスパンが違うと出てくる答えも十人十色だ。

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2012.01.13

現実社会でもディベート思考のコウモリ野郎が大嫌いだ(笑)

前の記事にも書いたが、星海社新書という新しい新書シリーズがある。これが結構売れていてボクも3冊くらい読んでいる。ボクよりももっと若い世代向けの啓蒙書といえる。

その主張は明快で「自分の頭で考えろ!」という主張だ。それが出版物からビンビン伝わってくる。ボクなんて言ってみれば考えることが趣味みたいなものなので、嗜好に合ったのかもしれない。

売れてるなかに「武器としての決断思考」という本がある。著者が京大の一般教養で教えてるというディベートの作法を書いた本だ。

こういう作法は知っているのと知らないのとでまったく思考方法が違ってくるので知らないより知っているほうがいい。

そういう前提でボクはディベートというのが嫌いだ。ゲームとしては面白いし、この本が薦めるように意思決定のための思考方法として活用するメリットは高い。

しかしディベートのルールのひとつでありキモでもある「賛成か反対はクジ引きで決める」というのが嫌いだ。

例えば「原発をすべて停止すべきか否か?」という議論で、ボクの立場は「Yes」以外にありえない。

現実社会の諸問題について決定するときにディベート的にやられたらたまらない。現実社会の意思決定において、どっちの立場も取れるようなコウモリ野郎は信用できない。

ディベートではその議題のメリットとデメリットを論理的に検討することに意義があるが、コウモリ野郎にはその背景にある「自分自身のおいしい生活」にとってのメリットが最重要課題だ。

議題のメリット・デメリットなんてどうでもいいそんなコウモリ野郎がディベートのスキルを身につけて、あえて悪用して世論操作を企むことがある。それは厳密にはディベートではなくなっているが、スキルのない人々にはまともな議論に見えてしまう。

そういうコウモリ野郎はカネや名声で簡単に転ぶだろう。ボードメンバーにしてやるから原発に賛成しろ、教授にしてやるから原発を推進しろといわれたら、簡単に賛成にまわっておいしい生活を手に入れるだろう。

ディベートのスキルとはそのような諸刃の剣だ。しかしあらゆる知識は似たような原理を持つ。だから知ったうえでどう行動するのかのほうがより重要だし、知識と行動原理とはセットで成長しなければ意味がない。そういう意味では「武器としての決断思考」は言い得てると思う。使い道が重要なのだ。

東大エリートがダメなのは行動原理のない知識ばかりだからだ(といって語弊があればダメな東大エリートといってもいい)。賢い頭が簡単に悪知恵に堕ちてゆくようなエリート社会を創り出してきた学校教育・大学教育にも致命的な欠陥があるだろう。

ディベートは論理の欠陥をつくには有益な作法だが、最終的な意思決定はディベートの勝敗と別次元にある。自分の主張の論理的欠陥を補うためにディベートを活用するというのが正しい議論のあり方だ。

ディベートを悪さの武器にしない人間になるべきだし、悪用する人間に勝るディベートスキルを身につけることが重要だ。フォースとともにあれ...。

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2012.01.11


題して月と工場萌え。極寒のディナークルーズ!

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2012.01.08

ホワイトカラーが「仕事をしたつもり」という既得権益から下山できるか?

五木寛之さんがテレビでインタビューに応えられていたタイミングもあり、昨年のひとくちメモ「『下山の思想』は降りてゆく生き方だった」という記事へ多くのアクセスをいただいてます(記事からamazonでご購入いただいた方もありがとうございます!)。

下山する感覚をポジティブに捉えることは字面からは難しいかもしれませんね。なにか良い例がないかと思っていて見つけた新書がこれ。「仕事をしたつもり」(海老原嗣生著・星海社新書)です。

星海社はいま元気な出版社ですよね。明らかに若者を新しい価値観に導こうという意志があります。その価値観も、押し付けがましい倫理や道徳、あるいは怪しげな宗教やスピリチュアルではなく、「現実社会で生き抜くためにモノを考えろ!」というメッセージになっているように思います。出版物からそれを感じます。

本来出版社とはそういうものでしたよね。なんでもございじゃなく、主張を出版物に込めて世に問い、それが受け入れられることで新しい価値を創造する。何十万部売れることが目的ではなく、届くべき人々に数千部(出来れば数万部^ ^;)届けて行動を促し、そこから異論・反論・共闘の波紋を生む種となる。巨大産業には不向きだけど大志を抱いた編集バカの集団ではなかったか。バカ編集者の集団じゃだめなのよ~。

●いまだ惰眠をむさぼるホワイトカラー大国ニッポン

日本はいつの頃からかモノを考える必要がなくなった国です。あるいはモノを考えると損してしまう国です。それは郵政民営化に反対した若い政治家の城内実氏がコイズミにパージされたとき(2005年)にも感じました。あれから6年経っても基本的になにも変わっていません。

2008年にも採り上げましたが日本生産性本部の労働生産性の国際比較レポートというのがあります。2005年時点で日本はホワイトカラーの生産性(就業者1人当たり名目付加価値)がOECDの先進7カ国中最下位(12年連続)だったわけですが、いま2009年のデータでもまだ最下位ばく進中なわけです。ブルーカラーは今回も2位を堅持しており、この面ではこの国はなにも変わっていません。政治も成果を出せていないといえるでしょう。

2008年のひとくちメモでは「この国は生産性の低い人間ほど偉そうな態度をとる。」と書きましたが、今回紹介する「仕事をしたつもり」はまさにその実態を描いてくれてました。サラリーマンとは仕事をしたつもリーマンであると。これこそがまさにリーマンショックだよ(笑)

ただこの国が残念なのは、そんな仕事をしたつもリーマンこそが「普通」であるということです。誰もが仕事をしたつもリーマンであるために、本当に仕事をしてしまうとムラから追い出されちゃいます。まさに原発安全神話ムラと同じようなことが日常の会社組織にもあるわけです。東電をけなすことなんて普通のサラリーマンには出来ません。明日は我が身なわけです。

●普通のサラリーマンが「仕事をしたつもり」という既得権益を持っている

この本では、そんな仕事をしたつもリーマンから抜け出そうと啓蒙しつつ、一方で抜け出してしまうと損する現実も描かれています。効率化を率先して推し進めれば、それを実現した彼らはパートやアルバイトで賄えるようになり、勤務時間は減り所得も落ちる...。適当に惰眠をむさぼって残業してるほうがカネになる。もっとも仕事してる本人は惰眠をむさぼっている意識などなくマジメにやってると思ってる(信じてる)というところがキモでした。

成果は上がらないけどマジメな人っていますよね。学生時代にもいました。そのまま教材で売れるんじゃないかというくらいにノートをめっちゃキレイに作っているのに成績が平凡な人...。でもマジメさという美徳は誰も非難しないし、受験勉強だったら誰も被害を受けないからそれでよかったんです。

企業にとってはそんなマジメ君は扱いにくい存在だと思いますが、日本企業はそういう人にとにかくやさしいんです。仕事するよりネクタイしめて朝早く来て残業もして会議ばっかりやって結論先延ばしの報告書を見事に作れるのが美しい仕事したつもリーマンの姿だと思います。ムラの誇りかもしれません。本当は埃なのに。

しかもそのようなマジメ社員はそれがまさか「仕事をしたつもり」だとは思ってもいません。それこそが仕事だくらいに思ってます。それはある意味、普通のサラリーマンが持っている「既得権益」ではないかと思いました。ここで「下山の思想」とつながってきます。そんな既得権益の不条理に気付き、まずは自分がその既得権益から降りることが出来るか否か。そこが日本の未来にとってもポイントになろうかと思います。

●仕事をしたつもりに気付いたら気付かないフリをする?

この本を読んで、日本企業のムラ社会のなかで目覚めたらマズいんじゃないか(笑)。途中からそう思いながら読みました。すると、この本はそういう倒錯したリーマン社会で上手くやっていくには、「仕事をしたつもり」をやめて「仕事をしたフリ」を出来るようになれというんです。

つもりとフリのこの違いは、言い換えれば自覚するかしないかの違いです。2時間で出来る仕事を7時間かけてやっていたことに気付いたんだから、仕事は2時間でやっちゃって余った5時間を自分のために有効活用できるじゃないかというわけです。

余った時間には自己投資をしよう。会社に頼らずに生きるスキルを身につけるとか、もっと仕事の全体像を考えるとか、できることを考え実行しよう。そのためにしなければならないことは「保身をやめる」ということだといいます。

なるほど!保身とはズバリ既得権益を守ることではないですか。ムラ社会で生き抜く最大の拠り所。つまり神です。だから“保神”かな(笑)。それに引きずられるといつまで経っても仕事したつもリーマンからは抜け出せないようです。

「全社一丸となって」とか「全社一律に」とかそういう呪文の好きな“保神”は一見論理的で正論なので始末が悪いですが、その正論はマジメで成果の出ない完璧ノートと同じようです。それを言っとけば安全・安心なのです。そんなチャレンジがないところからはイノベーションも起こりえないでしょう。

個々人が自分の既得権益=仕事したつもりを自覚し乗り越え、それを受け入れられる組織(風土)が出来れば、もう仕事したフリもする必要がありません。堂々とチャレンジできるようになるでしょう。これこそが「下山の思想」の根幹と同じだと思えるのです。

●下山の思想も降りてゆく生き方もチャレンジが基本!

最初に紹介したひとくちメモ「『下山の思想』は降りてゆく生き方だった」という記事から「降りてゆく生き方はまちづくり映画だった」という記事へのリンクを辿っていただけた方も多く、その先で数分立ち止まって読んでいただけてるみたいです。

映画「降りてゆく生き方」(主演:武田鉄矢)はロードショー公開をしないで各地で主催者(町や村で上映会をやりたいという一般の方)を募り口コミで広がっている映画なので、なかなか見る機会は少ないかもしれませんが、自治体などに呼びかければ逆にどこでも上映会が開催可能な映画のようです。そういう人々の輪の広がりをテーマにしている映画なので上映会という手法がマッチしてますね。

下山の思想も降りてゆく生き方も、チャレンジが基本になっていると思います。登るだけがチャレンジではないですね。降りることでその成果が確定するんだから。降りなければその登山は失敗なのです。

自戒を込めて言えば、私自身も何かを発案して新しいモノを作るときが一番楽しいです。多趣味なのもそのせいで、取り組んでいるときが一番たのしい。映画の舞台裏(楽屋話)が本編より好きだったりします。

しかしそうやって出来上がった成果物がアートや音楽だったらそれでいいですが、例えば住み良い街づくりだとか、新しい業務フローだとか、新規事業の開発だとか、出産育児だとか、作り上げた先に永く続いてゆく必要のあるものは、その持続性(サスティナビリティ)こそが下山の過程だといえます。

下山の過程で社会は成熟し新しい課題も見えてくるものです。この成熟してゆく過程を無視し、猪突猛進していればいつか倒れます。熟練工が工具を大切にメンテナンスしながら使い続けるように、この成熟した日本社会の質を高めてゆく時代なのではないでしょうか。そのためにムダな既得権益を捨ててチャレンジすることは有意義じゃないでしょうか。

若い人には「まず自分の頭で考えよう」というメッセージがもっとも価値があるように思います。本当に考えなくても生きていけそうに思えるほど成熟してますよニッポンは。でも考えないで楽に暮らしていると、考えなきゃならないときに考え方がわからなくなります。

民から考える力を奪い統治する手法を愚民化政策といいますね。民主党は自民党以上にこれを目指し始めてるのかなと思います。格差社会にもっともマッチする権力の使い方ですから。野田首相は民に何も語らなくなったでしょう。考えさせたくないんです。考えないで憶測や疑心暗鬼でデマや噂が流れるのは彼らには都合がいいんです。これが成功してしまうと格差が確定してしまって、本当にもう数百年立ち上がれなくなります。だから考えることをやめないよう注意したほうがいいと思います。老婆心ながら。

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2012.01.01

福島第一原発の底を見せるのが最優先の年明け

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」というのは一休さんの言葉ですが、正月にはだいたいこの言葉を思い出します。

というのも子供の頃アニメの一休さんを見ていて、こうふれ回る一休さんに人々が石を投げつけている情景があり、そのあまりの理不尽な大衆の行動に衝撃をうけたから。

いつもとんちで大人気の一休さんなのに、たかだか正月の気分を害したくらいで石を投げつけるという大衆の心変わりの怖さがトラウマのようになってしまったのでした。

実際の一休和尚は拾った頭蓋骨を杖にくくりつけて正月に家々を回ったそうですから、偏屈なおっさん以外の何者でもありません。さすが顔が忌野清志郎に似てるだけのことはあります。

そんなボクだから、コイズミ政権の時代の年賀状に「あけましたがおめでたいですか?」と書いたことがあります。何がめでたいのかよってスタンスだったんですけれど、10年近く経ったいま、それ以上に深刻な日本の現状があります。

まぁあそこで壊れたんだからこうなるのも時間の問題だったとも言えるのですが、民主党のモラルハザードは“想定外”でした。いやある程度は想定していたけど、ここまで変節してしまうとは。

民主党政権ってのは恐ろしいです。いや政党政治が崩壊した日本に新しい秩序を見出せない現実が恐ろしいのです。

日本をモラルハザードさせたコイズミ政権でさえ底でなかった日本。いまだ民衆は底なし沼を必死にもがいていて、財界・政界・官界は既得権益を守るために必死で蜘蛛の糸を登っています。

底なし沼に消えそうな人々はとりあえず消えてくれって言ってるかのような民主党政権。野田のいうドジョウ内閣とは、沼に埋もれて息絶えるドジョウや権力者にペロッと食べられてしまうドジョウが支える政権という意味だったみたいです。

そんな日本ではありますが、いまや全世界的に負のスパイラルにはいってしまい出口が見えません。こういうときはやはり違う視点で世の中を変えていく必要があるでしょう。

これまで正しいと思われた行いやルールをすべて疑っていく。登山のルールと潜水のルールは違うんだと認識する。それがてんでばらばらではダメだから、そこにオピニオンリーダーが現れるかどうかですね。

大概こういうときに現れるリーダーは強権的なんですけれど、そうじゃない視点が出てきたら救われるかも。もっとも私はネガティブな人間なので救われないほうに一票いれてしまいますが。崩壊現象ってのはなかなか止まらないものですから。それでも生きていかざるを得ない。こんな時代には文学や思想が育ちます。そっちを期待したい。

具体的なことは何も書けません。八方塞というのが限界です。せめて物理現象くらいは本当のことを伝える政治を取り戻したい。

ロボットでも何でもつかって福島第一原発の中に入る努力をしろ。トライしないでなんで冷温停止状態なんていえるのか。ラジコンカメラでも何でもいい。HALLUC II を政府が買い上げたっていい。とにかく格納容器の底を見せることが今年前半のもっとも単純かつインパクトのある政治課題だと思う。それなしに新年は明けないかもしれない。

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2011.12.30

ヘッドライト・テールライトでもうたバナー

たった今CXの「うたバナー」観ました。私のこと、中島みゆきマニアというテロップになってましたが、もっと濃いマニアを何人も知ってるので恐縮です。どっちかゆうたら中島みゆき語りマニアですねん(笑)。というか何でも深読みしながら妄想の世界に入っていくマニアですねん。

今回の特番では「地上の星」の1番の歌詞をサラっとなぞった部分だけが放送されましたけど、収録のときカップリング曲の「ヘッドライト・テールライト」のこともかなりしゃべってたんですわ。そこはカットになってましたので、んじゃ「ひとくちメモ」に書いてから帰省しようと思いまして(笑)。

というわけで、もうひとつのうたバナー、ヘッドライト・テールライト編です。この歌は「地上の星」との対比をものすごく意識して書かれているんで、単なるカップリング(昔風に言うならシングルB面の歌)ではなく、組曲のような雰囲気なわけですよ。そしてものすごく強い意志の表明、メッセージソングなんですわ。

番組用に提出した「ヘッドライト・テールライト」の深読み原稿もいま手元にあるのですが、いま番組を見て「地上の星」の解釈も自分自身さらに理解が深まり、「ヘッドライト・テールライト」のほうの揺れていた解釈が若干クリアになりました。だから大幅に書き換えました。「ヘッドライト・テールライト」の深読みがあのまま放送されなくて良かった。まだまだ甘かった!

●地上の星との関連性について

「地上の星」がメタファのオンパレードだったのに対して、ヘッドライト・テールライトはわりとストレートにわかりやすい言葉が多いですよね。英雄と忘れられる星とが対比されていたり、見果てぬ夢やあどけない夢などわかりやすいイメージが出てきたり。

でもサビのリフレインが「ヘッドライト・テールライト」であることに最初は違和感を持ちませんでした?この物質的・人工的なふたつのライトのリフレインは何だろうと。地上の星にはペガサスやヴィーナスがいたんだから、ここでも神話のメタファや壮大な宇宙の光り輝くものが照らしてもいいんじゃないかと。

「地上の星」の詞作について、番組では中島みゆきさんご自身の言葉が引用されてましたね。名もなき人々に“光を当てる”という考えから、何も自分が光を当てなくても自ら輝いているのは彼ら自身じゃないかというインスピレーションを得て詞が紡ぎ出されていったとか。だからこそ「地上の星」なんだと。

ええ話やなぁ。でもそうであるならば、「ヘッドライト・テールライト」は言葉は悪いけど凡庸な感じといいましょうか。タイトルだけ見るとヒット曲にならなさそうな感じがある。B面として捉えればわからなくもないくらいの感じ。ライトの名曲は他にもありますからね。いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」とか(笑)。

それでもあえてこの曲が「ヘッドライト・テールライト」でなければならない理由があるはずなんです。だって中島みゆきさんですから。

そこではたと気付いたのは、「地上の星」が彼ら自身ならば、「ヘッドライト・テールライト」はそんな地上の星が生み出した実績のメタファなんじゃないか。そんなアイデアではないだろうかと深読みしてみたいんです。

つまり、

「地上の星」=名もなき人々
「ヘッドライト・テールライト」=地上の星たちの実績

という構図ですね。

●ヘッドライト・テールライトは何を照らすのか?

地上の星たちは、いま同時代を生きる民で、つばめ(メディア)に見つけてもらわないと見つからない存在ですね。もっとも彼ら星たちは見つけてもらおうとして輝かしい仕事してるわけじゃありません。輝くような仕事をしていてもあくまで謙虚です。

彼ら地上の星は、いま僕たちが享受しているこの文明の豊かさを支えてきた名もなき地上の星たちです。そこに光を当てた、本当に光る星を見つけたのがNHKの「プロジェクトX」であったわけです。

そんな地上の星が生み出す「光(実績)」は、人類が自ら発明した現代文明を象徴する光でなきゃなりません。そこで、あえてカップリングでは現代文明の日常の象徴としてのヘッドライト・テールライトだったのではないかと思うんですよ。

ヘッドライトもテールライトも、乗り物をイメージさせますよね。ある意味現代日本(当時)の象徴です。終わりなき旅をする乗り物。では、この乗り物は何のメタファだろうと考えるに、現代文明そのものではないかと思うわけです。

現代文明という乗り物が人類の進化という道なき道を走っているんです。乗っているのはいま生きている地上の星としての民であり、照らされている者、照らしたい者もまた地上の星たちだと思うんですよ。

現代文明を生み出した人類はもはやたいまつの炎ではなく、新しい光を手に入れました。人工の光を手に未来へと進んでいる。前方にはまだ見えない僕らの未来、後方には次世代を担うべき若者の未来。

そのふたつの未来は現代文明を象徴する地上の星たちの日常の光で照らされなければならないんですよ。いまならLEDで照らさなきゃなりません!

●ポジティブな中島みゆきの現在を象徴する光

中島みゆきさんの意思の強さを感じるのは、テールライトも過去ではなく未来を照らしているところです。ここが世代を超えてウケる才能なんだよなぁ。

これまでの業績や思い出を懐かしむ光でなく、はるか後ろについてくる次世代の「あどけない夢」を照らしているんです。ここがすごい。テールライトさえも過去を振り返らない。このポジティブさはいまの中島みゆきさんを物語るものだと思いますね。

余談になりますが、30年以上前に「サーチライト」という曲を作られてます。初期の傑作アルバム「あ・り・が・と・う」に収録されてますが、その炎はろうそくでした。ろうそくを集めて自分を照らし、振った男に見つけられようとするんです。

私はそのネガティブな情念の炎にもグッと来るわけですが、ヘッドライト・テールライトで「地上の星の未来を照らす」という超ポジティブな文明賛歌にも圧倒されますね。いま中島みゆきは圧倒的にポジティブなんですよ。

中島みゆきさんのなかには、発展していく未来は地上の名もなき星たちの見えない努力によって永遠につないでいくんだ、という確信があるんだと思いますね。だからこそ、そんな未来を信じたい人に支持され続けているんだと思うんですよ。

「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」はセットでなければならず、ふたつでひとつなんです。決して交わらない運命の断絶というテーマが中島みゆき世界の根本的なエネルギーだという確信がボクにはあるんですけれど、この2曲だけは切っても切れないカップリングでなければならない必然があるんです。

やっぱ深読みって長くなるよね(笑)。また語る機会があったらいいな。やっぱこの2曲はセットで辻説法したいよね(笑)。

●ポスト中島みゆきは?

もうひとつ余談ですけど、ポスト中島みゆきって考えたことありますか?私はポスト中島みゆきは中島みゆきだと思ってます。そういうファンがたくさんいるんじゃないかな。

これまでのアルバムタイトルの変遷で象徴的だったのは、15作目「中島みゆき」です。新人歌手でもないのに「中島みゆき」(1988年)というタイトルで出してくる。ぶっ飛びましたね。昔っから知ってるよ!ってね(笑)。そんな思い出も既に20年以上前ですが、いまだに中島みゆきは変化し続けます。

「中島みゆき」は何度もデビューしてるんです。それまでのキャリアをリセットしてる。昔ながらのファンや関係者は絶対にそれまでの業績をリセットしたりしないんですけど、中島さんのなかではリセットされてる。仕事においては現在と未来しかないんです。

ヒット曲を生み出せる息の長いアーティストは何人かいますけれど、一番難しいのは「物語」を続けることだと思うんです。芸能の世界はどうしても新しいお披露目に目が行きがちで、プロデューサーは常に新人アーティストのポジションを探しています。うまくポジションにはまって売り出せたらヒットするかもしれない。でもそのポジションも安住できません。飽きられたらそのポジションが足かせになってしまいます。

運よく新しく世に出たアーティストは新鮮で目を引きますが、それを継続していくのが大変なのは会社と同じ。常に新しいテーマを掲げ、新しいビジョンを持ち、新しい物語でユーザーを説得しなきゃ生き残れません。変化することはそれほど難しくないけれど、その変化でユーザーを説得するのはとても難しい。たいがい絵に描いた餅は見抜かれてしまいます。歌謡曲がなくなり、歌の世界が多様化するにつれ、さらに物語は成立しずらくなりました。

中島みゆきさんが何世代にも渡って支持され続けているのは、今回深読みした2曲のように未来を信じるポジティブな姿勢を持って、常に説得力のある物語を作れている証しではないかと思うんですよ。過去の成功体験に固執せず、自身の意識をリセットできるチャレンジャーなんじゃないでしょうか。常に正解だけを出し続けるなんて誰にも出来ませんが、そこを調整しながら要所要所で説得力のある物語を提示できる。ファンが思う以上に過激なチャレンジャーですよ。たぶん。

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2011.12.29

또 2009-2010년의 김연아를 보면서 지내는 연말.

タイトルは最初日本語で書いていたんだけど、ハングルにしてみようと思って書いてみたら何気に書けたのでハングルにしてみた(笑)。ハングルもコウモト 씨に負けず、少しは進歩してるかな?日本語では「また2009-2010年のキムヨナを見ながら過ごす年末」です。

浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』(朝日新書)を読んだ。書店で平積みになっていて、久々に活字で「キム・ヨナ」の文字を見たのでうれしくて購入(笑)。読み終えてアマゾンでこの本の評価を見ると恐ろしく低い。長年のフィギュア・スケートファンには物足りない内容だったようだ。

キム・ヨナの出現によってフィギュアスケートを見始めた俄かファンのボクでも知ってる情報は確かに多かったけれど、知識の披露会をやってるわけじゃないので、そういう説明的な部分よりも、スポーツジャーナリストとしての著者の主観の部分を読むほうが楽しめる。

フィギュア・スケートファンにとっては既知の情報ばかりで主観の部分は深みがないという多くの批判が、逆にフィギュア・スケートという競技の特殊な排他的環境を浮き彫りにしるような気がして、それらの批判的な評価群も面白かった。確かにジャッジというのは難しいものだ。書評というジャッジには基準すらない。それでいいとも思う。

スポーツジャーナリズムにはどんな競技にも往々にしてこういうことがあるだろうね。一家言持っているファンたちと、ファンとしての視点でなくジャーナリズムとしてどんな切り口で向かうのかという視点とは、めざす方向が異なる。

特に本書は著者も書いているように「アームチェア・ディテクティブ」という手法で書かれている。過去の情報を読んでは仮説を立てて考える。現場に行かない(五輪には取材で行っているようだが)。机上で推理して書かれた文章だ。

竹中労を敬愛するボクにとって嗜好性の高いある種のジャーナリズムは主観でいいと思う。主観礼讃!それがたとえ深みのないものでも、あさっての方向を向いていても、そこから喚起される内なる情動(批判も含む)に読書の価値を置きたい。そこには読み手自身の潜在的な主観との出会いがあり、それを引き出してくれた読書に意味はある。

だから主観をこそ読んで、共感したり批判したりする道具にすれば買って損することなどないのだ。おそらくそうなることを望んで(あるいは予感して)書かれている本だ。これもボクの主観だけど。そういう読書、考える読書と言ってもいいが、をする者にはとっかかりやタタキ台となればいい。充分楽しめるはずだ。

●2009年グランプリフランス大会をもう一度見た

ボクにとってキム・ヨナの最高の演技は、2009年グランプリ開幕戦のフランス大会で見せたショートプログラム007だった。すべての始まりがそこにあった。いま振り返ると、フィギュアにというよりキム・ヨナという一大プロジェクトに魅せられていたのだと思える。

松田聖子プロジェクト、IUプロジェクト、キムヨナプロジェクト...。昔から、どうもそんな“チームの成果”が見えたときに感動を覚えてしまう性質のようなのだ。メディアで中島みゆき「地上の星」の解釈をする自分を客観的に見るときも、そのような性質が根底にあるようでならない。

だから有吉先生が「怒り新党」のなかで「チームで何かを成し遂げる映画が好き」と言われたとき妙に共感した(笑)。

ショートプログラムの007が生まれたのは偶然ではなく、北米大陸で開かれる五輪に向けてこの曲でなければならなかったのだろう。コーチはカナダ人で人脈もあり人気も高いブライアン・オーサーでなければならず、振付師もカナダ人のデヴィッド・ウィルソンでなければならなかった。

そして開幕戦のフランス大会で完璧なショートプログラムを披露することが、オリンピックを頂点としたあのシーズンの壮大なプロジェクトの序章として必然だった。五輪での200点越えを確実なものにするために。そしてプロジェクトはまったく計画通りに進み、キムヨナもそのプレッシャーに負けず千載一遇のチャンスをものにした。

2009-2010年のシーズンはキムヨナ五輪物語の最終章だったといえる。それはしっかりプロデュースできるスタッフと演じきれる役者キムヨナがいて初めて完結する物語だった。緻密に計算されたダンスはK-POPにも通じる。キムヨナの金メダルとK-POPの広がりは同時代を象徴するエポックだと思える。

あらためてGPフランス大会からオリンピックまでのVTRを見直してみて、物語の完結としてバンクーバーオリンピックが最高の舞台だったことは間違いない。しかしボクにはやはりフランス大会のキムヨナ007こそが、この物語のクライマックスだったように思う。

●浅田真央の五輪の「鐘」が心に沁みた2011年末

バンクーバーオリンピックでキムヨナに敗れた浅田真央の「鐘」もあらためて見た。浅田真央はトリプルアクセルを成功させ、トリプルアクセルに縛られ得点で泣いた。

得点の計算はスポーツには欠かせない要素だったが、それを本意でないとはいえ捨てたような形になった「鐘」。踊った浅田真央と独自の美意識を持つタラソワコーチのコンビは、五輪時点の加点システムを味方に出来なかった職人芸の世界だったが得点では表せない別の物語を残した。

大震災のあった今年あらためて「鐘」を見直すと、その芸術性の高さと音楽との融合の意味が少しわかったような気もする。浅田真央の鬼気迫る表情を見ると、大震災後に見た荒涼とした東北の風景と重なり自然と涙が出た。そんなプログラムだった。

浅田真央の「鐘」は早過ぎたのかもしれない。だが五輪での「鐘」がなかったらいまそれを見ることもかなわない。時代は選べない。キムヨナと浅田真央が同時代に出会い、同じシーズンにキムヨナはSPで007を踊り、浅田真央はFPで鐘を踊り、五輪で対決することになり、その記憶が震災後のいまこうして蘇る。

いま、それらはみな必然だったんじゃないかと思えたりする。キムヨナの世界選手権復帰を日本で観る機会も震災で途絶え、3万円以上した裏チケットだけがいま手元に残っているが、それだけは夢であって欲しかった...。これも現実だ...。

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2011.12.25

「下山の思想」は降りてゆく生き方だった

2009年の秋に「降りてゆく生き方」という映画に感銘を受けた話を書きました。「降りる」という一見ネガティブな言葉に新しい価値をもたらした日本映画で、いまの日本にもっとも必要な感覚かもしれないと思っていました。

その1年半後の今年、大震災が、そして原発人災事故が起こりました。ある意味第二の敗戦です。3.11以降、ポスト震災、ポスト原発人災事故の世の中を生きることになった“残され島の人々(by 未来少年コナン)”としての私たち。

ポスト震災、ポスト原発人災事故の時代に、著名人や文化人と呼ばれる人たちが何を発言するかに興味を持っています。日本の言説が新しい価値を生み出せるのか、世界を目覚めさせる言葉を持てるのか、これまでの言説に嘘がなかったか。政治に希望を失くしたこの国だからこそ、その危機から生まれる言葉(あるいはその反射としての外圧)に期待してしまいます。

そんなときに書店で見つけた新書が五木寛之さんの『下山の思想』でした。最初「しもやまさんって誰だっけ?」と思ってしまいましたcoldsweats01)。でも違った。下山とは「げざん」、つまり山を降りることです。登山に比べて下山という言葉にいかに疎いか、書店の平積みに教えられました。このエッセイも最初からそこを突いてきます。シンプルでいいタイトルですわ。

●登った山は降りなきゃ完結しない。

「下山の思想」は結構軽いエッセイでした(笑)。すぐに読み終われます。

そのエッセンスとしては...

登山はずっと登り続けることは出来ず登ったら降りなきゃいけない。

普通の人は登ることには興味があるけれど降りることは頭にないことが多い。

でも降りなければ登山は完結しない。

登山のときには登ることに一所懸命で周りが見えていない。

下山するときは遠くの景色から足元の高山植物まで良く見える。

下山することでまた次の登山に出かけることが出来る。

戦後60年ひたすら登り続けてきた日本も10年前あたりから下山にはいった。

震災は下山途中の大雪崩とも考えられる。

ではこの事故からめざす復興の道はどこへ続くのか。

またここから同じ山を引き返し登り続けるのか?

それとも安全に山を降り、次の山に向かって英気を養うのか?

という感じでした。下山は終わりじゃなくて始まりへの準備行動だという感覚がいいなと思って。最初の登山でめざした山から下りる過程が思索の時間になり次につながると。次の山はきっとより豊かな体験と新しい思索をもたらしてくれるだろうし、そのような登山をまためざさなきゃ人としての進化(深化)がないような。そんな気がしました。

●降りた先にある次の山に向けて

日本はH22年(2010年)までの統計で12年連続で自殺者が毎年3万人を超えているそうです(警察庁統計「平成22年中における自殺の概要資料」)。H10年(1998年)に3万人を越えましたが、統計にある昭和53年(1978年)からでも毎年2万人が自殺しています。H22年はその半数以上が健康問題に起因するそうです。

五木寛之さんは警察発表で3万人なら現実はもっと多いはずだろうと書かれています。ボクもそう思います。しかしこの12年で36万人超が自殺している先進国ってなんでしょうか?

その原因をマクロに捉えることは難しいけれど、この国がもしまだ山に登っているとしたら、めざす頂上に何があるんだろうか。その山とは何だろう。アメリカ型の市場主義経済なんでしょうか?

バブル時代(1980年代後半)を日本登山の頂上と捉えてみると、戦後40年前後で一気に頂上に到達し、そこから下山を始めて約20年の中腹にいるともいえます。その過程で阪神淡路大震災やオウム真理教サリン事件(1995年)や今回の大震災と原発人災事故(2011年)などの大雪崩にあっています。

この下山の過程で登ってくるときに見えなかった様々な景色を見ることが重要で、その景色のなかにある人間の営みへ戻っていく感覚こそが大切だろうと思います。ここからまだ20年しっかりと安全に下山していく自覚が必要だと思うわけです。エコノミックアニマルがルネサンスにパラダイムシフトしていく時代といいましょうか。ちょっと凡庸な言い方ですけれど(笑)。

日本の復興が、市場至上主義の山の中腹から振り返ってまた同じ山に登り始めるのか。一度里に戻って違う山をめざすのか。

おそらく民主党を選んだときは別の山が見えていました。しかし民主党が魅せていた山は単なる絵空事でペラペラの広告でしかありませんでした。安全に降ろすことも出来なくなり、雪崩の後でうずくまってしまいました。キチンと下山しなければ後にも先にも行けません。

●既得権益という山を降りながら世の中を眺める

いま日本はそんな年末を迎えています。この山を既得権益と置き換えても面白いかもしれないですね。例えば登山中のサラリーマン社会での出世や部分最適な組織の行動様式は既得権益の拡大を目的に動きました。登れば登るほど既得権益が拡大しおいしい生活が出来るというインセンティブです。

既得権益は他人には渡したくないものですから老害経営者も増加しますし、その既得権益クラブに入れても大丈夫なメンバーが社畜として増加します。それの普遍化・システム化が現代の労働組合と言ってもいいでしょう。東電をイメージすればわかりやすいです。

しかし下山の時代には、それら既得権益と思われたインセンティブが必ずしもメリットばかりでなく、リスクと直結する時代かもしれません。モラルハザードした経営者と様々な企業犯罪が横行し、より大きなリスクを背負わされるだけで既得権益クラブには入れない中間管理職(ただし民主党の手法のように「入れますよ入れますよ」という追えば逃げるニンジンを目の前にぶら下げられています)。

これまで日本の経営者(特にサラリーマン経営者)がリスクを深く考えずに来れたのは晴天の登山をさせてくれた山があったからです。頂上だけ見て登っていればよかったわけです。でもいま経営者はリスクにさらされて右往左往するか、早くそのリスクを譲って逃げ切りたいと思っています。

そうなるとリスクのバケツリレーがはじまります。そのバケツを受け取ることこそが出世の階段を登ることといえます。もちろんリスクを取ってリターンを得るのは市場の原則ですから、これで正しく回せる組織も出てきます。しかし既得権益の美味しい蜜の誘惑は手ごわく、入れないはずの既得権益クラブにムリに入ろうとすれば必ず人の道に反します。バケツを渡してすらまだ手ぶらで登ろうとあがく者もいます。みっともない。でもそんなかつての優良企業が露見したのも今年のトピックスでした。

そのような登山指向をやめて生きるのが下山指向とも言えそうです。なにもそこで既得権益を守る人々のためにリスクを取って登り始めなくても、別の価値を求めて下山するほうが魅力的だったりします。流行ことばで言えばナンバーワンよりオンリーワンとか断捨離指向でしょうか(笑)。下山指向が増加すれば既得権益は崩壊します。そこに未来はあると思っています。

もちろん別の山に人気が集中すれば、また40年後にはそこに既得権益の山が出来るでしょう。その途上を生きているならばボクの発想も異なるでしょう。しかしいま生きているこの時代を「下山の時代」と捉えるならば、その認識を元に行動するのが、時代に敏感肌のボクにとっては一番自然かなと思ったりしてます。

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2011.12.24

打ち切りの危機どころか年末特番!イラ韓SP

打ち切りの危機が世界一快適な韓国への旅をお届けする大韓航空さまのタイアップによって復活できたという「イラッとくる韓国語講座」がまさかの年末特番だ!

ユンスア先生もシブがき隊の「スシ食いねぇ」を朗読させられてる場合じゃないっつーの(笑)。でも「スシ食いねぇ」のハングル訳を期待しちゃったな。それ、オープニングにはハングルレベル高すぎかな?

特番紹介ページのリードにはこう書いてあった。

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次長課長の河本が韓国で一人旅!
イラッとくるフレーズの韓国語はどこまで通用するのか!?
ひっそりやってる旅系語学バラエティ。

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ひっそりやってる旅系語学バラエティって、なんて自虐的(笑)。ひっそりどころか放送してという要望が地方各局に投書されまくってるんじゃないですか!?

とはいえ、レギュラーは深夜3:30からだからねぇ。首都圏が一番遅い時間帯らしい。なんでやねん!

そういえば、オープニングトークでいつもイラッとしたりさせたりしてる森本智子アナも「おはようございます」ではじめるからな。深夜放送じゃなく早朝放送のテイなのだ。

レギュラー放送では最近、コウモト 씨のハングルが上達しまくってる。だからなのか例文もめっちゃ長くなってるよーな気がする。短い会話は自然と出てきてるし。テロップがあえて訂正する場面もほぼなくなったと思っていいだろう。すばらしい!

ボクも負けじとホントにひっそりハングル学習を続けてる。一応毎日ハングルには触れるようにして。キムヨナ自伝(子ども向け)もはやければ年内読破できそうなとこまできた。イラ韓はそんなひっそりハングル学習派にとっても心のオアシスなのだ。番組はぜひ続けて欲しい。5年連続でアジアのベストエアラインを受賞している大韓航空さまヨロシク。

だってラストはコウモト 씨の韓国デビューなんだからsign02 デビューまでの足跡を追ったドキュメンタリーにならなきゃ!キムさんはあてになんないから、ペさんの交渉力でよろしく(笑)。でもそのときキムさんはコウモト 씨と一緒に舞台に立ってるような気がする(coldsweats01)。スポンサーはもちろん腕のいいパイロットと接客態度のいいCAを擁する大韓航空さまにお願いしてairplane

そんなレギュラー放送なのだが、年末スペシャルはこの時間帯ではなく本当の深夜だ(笑)。おおば 씨はこれを足がかりに深夜1時台進出を狙っているのか?いっそスナイパーのゴルゴ11(ゴルゴ準一と読む)の勢いで午後11時台を撃ち抜いてみてはどうだろう。NHKハングル講座の裏番組だったりしたら挑発的!午前11時台の韓流奥様ねらいという線もあるが。

でもその前に今回の特番放送時間にはひとつイラっと来た。まさかボクのVTR出演予定番組の裏番組になってしまうとは。ハングル講座の前にボクとガチンコ勝負なのだ...。とほほ。ボクは2年前と同じく「地上の星」を(今度は民放ヴァージョンで)語るだけなので数分だけど。

でも大丈夫!時代はいまW録の時代。もちろん両方見るのが正解です(笑)。W録できてよかった...。実は自分の録画予約しようとして偶然イラ韓SPをみつけたのであった。裏番組とはいえ、呼ばれた感あったなぁ。もう少しで見逃すところだった。イラっと来たぞ(笑)。翌日の新幹線で帰省するんだけど、この日は眠れないな。

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2011.12.23

怒り新党はそこそこ納得できる世の中を目指す!?

最近韓流ばかりの私ですけど、テレビ朝日の「怒り新党」は毎週欠かさず見てます。

まず視聴者の皆さまに訴えたいのは、今週が年末最後の放送だったということであります。ここはけじめとして(?)年内に一言御礼申し上げたいと思いまして書いときます。

御礼っつても番組関係者でもなんでもなくて、このお二人の番組がはじまったことに対してファンのひとりとしてであります!

●いきなり他局のテレビ東京賛歌から…

深夜番組の制作者って視聴率だけじゃないところで勝負してる。いきなり他局の話で申し訳ないけど、最近テレ東の伊藤隆行プロデューサが上梓された『伊藤Pのモヤモヤ仕事術』(集英社新書)を読んでて、「本当に好きだ!」ってコメントはどっかに残しておかないといけないなって思ってさ。

知ってる放送作家のなかにはこういうネットコメントの類いは参考にしないって人もいて、その人はどうも視聴者ナメてんですよね。スタンスが。よく言えば昔気質。そこに怒り心頭なんだけど(笑)、伊藤Pにはコアなファンに届く番組作りとかオリジナリティを求める層を裏切らない番組作りという視聴率とは異なるもうひとつの柱があるんです。

山口県出身のボクにとってはテレビ東京(旧東京12チャンネル)は長年未知のテレビ局でしたけど、上京後は大好きになり、1999年にはテレ東を讃える文章を書いてました(笑)。もう10年以上経ちましたが、そのテレ東魂は今も不滅なんだよなぁ。

だから、そういうスタンスの作り手には見てるこっちも、ちゃんと届いてますよって伝えたいじゃん。だったら「モヤさま」のことを書けよって気がしなくもないですけど(笑)、伊藤Pの「やりすぎコージー」を礼讃し続けていた時代もあるんで、今日のところはそのココロの部分だけイントロに使わせていただいて、テレ朝の「怒り新党」への愛を伝えたいんですわ。

●マツコ幹事長と有吉政調会長とのタッグ実現

去年の夏、Twitterで偽名言(#nisemeigen)が流行りましたね。有吉政調会長の発信だったと思いますが、私もちょこっと乗っかってみました。Twitterを使って面白かった数少ないうちのひとつです(笑)。

その後、今年の2月にまったく偶然マツコ・デラックスさんが吐いたテイの偽名言も作りました。そしたら4月から、このお二人がメインパーソナリティの深夜番組がはじまったじゃないですか。やっぱキテルネ、オレ。いや、マツコ&有吉!と思った次第です。

ひとくちに毒舌といいますけれども、単なる悪態じゃないのがこのお二人ですよね。常日頃ボクが怒り心頭なのは、素人で浅はかでただの悪態ついてるだけなのに毒舌家気取りのヤツ。オレか(笑)。そういうんじゃなくて、芸としての話術や筆力を使って世間を翻弄するけど、裏にあるホンネの部分を芯に置いてブレずに演じられる人っていうのかな。

うまく言えないけど、このお二人が様々なテーマについてどう感じどう表現するのかに何か惹かれるものがあるんです。そしてそれが同じ意見でも違っていてもそれなりに納得できる。たぶん“それなりに納得できる”というこの部分が政党メタファとしての「怒り新党」というノリにフィットしてるんですよね。

●政党メタファと女装が教える“それなりの納得感”の大切さ

現実の政党政治には個々に異論・反論あっても“それなりに納得できる”って部分がどんどんなくなってる。政治なんて100%賛成・反対はありえないんだから、“それなりに納得できる”って部分が必要だと思います。

それこそ話術・筆力・人間力でそれなりに納得させてもらわないと困るんだけど、最終的に数の論理だけで押し切る政党政治がそういう機微をなくしちゃってる。政治家の想像力がどんどんなくなってる。そんな世の中だから、怒り心頭に達することが多々あります。

マツコ・デラックスの言葉の選び方が好きですね。ちょっと変わってる。ちょっと角があるんだけど丸い角。その異物感がゴツって触れるけど嫌な感触じゃない。「ねぇねぇ、それ何キャンペーン」とか出版界の臭いがして好き(笑)。ネガティブ・キャンペーンを張られることへの異常な恐怖心。そして「命」へのこだわり。

女装男性であるがゆえの感性をもっとも感じたのは、タラコやイクラが食べられないという話でした。「ひとつぶひとつぶが命なのよ!あー怖い怖い」と身をすくめたときに、その無邪気すぎる自身の優しさを信じて疑わない姿勢にウソがない人だなと思いましたね。

ボクは多くのニューハーフタレントとの違いをそこに見ましたね。女装は女になることじゃなく、男が女装してるとこにまぎれもない真実があると思ったんです。ある種「女装」という行為は男であることの宣言なんですよ。最初から男であることをぶっちゃけてあえて女装という。

そうなると普通の男でもない、ましてや女でもない、だからといってニューハーフでもない、新たな言説の源たりうる性別を超えた第4のセグメントなわけです。だからトークがぶっちゃけても、ぶっちゃけたマツコ・デラックスの異質性が差別化につながる。それが共感の有無とは別次元でなんとなく納得できちゃう。それはマツコ・デラックス的なる新しいイデオロギーかもしれない(笑)。政党メタファとここでつながるのだ。ここまでのボクの言説、それなりの説得感あるのかな(delicious

●竜兵会で鍛えられた有吉政調会長のバランス感覚

竜兵会ってヤクザじゃないよ。太陽さまが率いる飲兵衛集団。太陽さまって宗教でもないよ。いまや大御所のいじられキャラ、ダチョウ倶楽部の上島竜兵先生です。

竜兵会の飲み会中継番組(うそ)「ダチョ・リブレ」が大好物です。もともとはネイチャー・ジモンからダチョ開眼した私ですが、どんどん竜兵会のほうにはまって行く自分がいました。根がインドア派だからね(笑)。

有吉弘行の強さは、やはり浮世の頂上とどん底を両方見た者の強さかもしれないな。そんな有吉のジェットコースター人生の前に、頂上もどん底も経験してないけど息の長い太陽さまが現れました…。

奇しくも今週の放送で有吉政調会長が好きな映画は「個々に得意技を持つメンバーが集まって集団で何かを成し遂げるストーリーが大好き」と発言されてましたね。それって竜兵会じゃないですか!何かを成し遂げたかは疑問ですけれども、集まってワイワイやる楽しさの極みではあると思うんですよね。

竜兵会での有吉のポジションは、竜兵会の社内報によれば、竜兵会の暴れん坊でチンピラ社員で人望なし社員タイプらしいです。でも上に取り入るのがめちゃ上手い。有吉を取り合ってケンカをしてしまう太陽さまとリーダー肥後の逸話とか。そういう役回りを演じてる。そんな「オヤジ転がし」の異名を取る有吉には人たらしの技術があるんでしょうね。

いま「人たらし」って時代のキーワードですもんね。それもポジティブに使われだして。これ女装に似てるんですけれど、人たらしは詐欺じゃないんです。ウソじゃなくてホンネをしゃべりながら、話の方向性を技術でコントロールして思う方向に持っていくと。自己実現の手法といいましょうか。

すぐにコロって行っちゃうダチョウの面々と、一筋縄でいかない竜兵会メンバーと、その狭間で常にどちらをもそこそこ納得させる有吉のポジション。この鍛錬はなかなかのものですよ。そんな環境をちゃんと吸収して熟成させてきた有吉弘行がその成果をアウトプットさせ始めている時代かもしれません。

●大好物満載の「怒り新党」

ボク、なにげにテルミン好きなんですよ(笑)。夏目アナが読み上げる視聴者からの怒りの投書のBGMってクララ・ロックモアのテルミン演奏ですよね。この浮遊感がいいよなぁ。怒りのエネルギーが妙な感じに中和されて。

それと「新・3大○○調査会」も好き。ジャッキー・チェンが良かったなぁ。マツコの伊藤みどりへの食いつき加減もすごかったけど。作ってる連中は絶対同世代だな(笑)。日本3ケイといえば「谷啓、すまけい、真梨邑ケイ」でしたが、こちらももうかなりの年月が過ぎました。そろそろ新しい三大モノが欲しい時期です。

ボクも怒りメールか新3大候補を投書したいと思ってるんですけど、今年は実現できなかったんで、来年あたりシレっと投書してみようかな。でもそこそこ納得できるネタって結構難しい。

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2011.12.21

今年の紅白は外来語表記の歌手が14組

今朝ツイッターにも書いたけど、今年の紅白には外国人歌手が3組しか出ない。少女時代、KARA、東方神起の3組だ。1990年の紅白には9組も外国人歌手が出ていた。今年の3倍だ。

それなのにやれ韓流だの、日本人だけでやれだの、外野がうるさい。別にいいじゃん。ただの歌番組だろ。レディー・ガガがもし出たらそれを批判したりしないんだろ。シンディー・ローパーが出たとき批判したのか?

それどころか外国語表記のアーティストは14組もいる。アンジェラ・アキとポルノグラフィティもいれてだけど(笑)。こっちのほうを国粋主義者は問題視すべきだ。西洋かぶれだと。

もちろんオレは批判しないけどね。ただの歌番組だから。というよりオレもKeona Keahiでwataruでポップンポールなんだから(笑)。でも最近ポップンポールをハングル表記できてうれしかったりして。

でもそんなひと言で仕事を棒に振っただけでなく離婚しそうな元俳優も今日テレビでしゃべってた。反原発で干された山本太郎と比べたらめっちゃかっこわるい。もう芸能人じゃないんだから出さなくていいのに。

とにかく西洋かぶれ風の日本人は問題視しないくせに韓流かぶれ風な者だけを問題視するかのような昨今の言説にはまったく論理性がない。ケツの穴が小さいというお下劣な日本語も当てはまるかもしれない。小さくてもいいんだけどね。所詮しょうもない話で。

自分が安全な位置にいてどーでもいいところに攻撃を加えるのが好きなジャパニーズ(=日本人と日本語で書くのが憚られる人々だから外来語にしてみた)を見ていると、この国はまだまだ未開の民族なんだなとあらためて思った一日だった。オレも未開のポップンポールです。ウッホッホー。

「絆」を大切にするのはいいが、内向きの「絆」ばかりを強調されると興ざめする。右翼にはえてしてそういう面があって、それによって救われる人がいることもわかるけど、内向き志向の「絆」の押し売りは結局「絆」から遠ざかっていると思う。もっとおおらかでいいよ。

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2011.12.19

IUは高音だけじゃない。少女時代が脚だけじゃないように #IU

韓国で国民の妹といえばキムヨナだったけれど、もう一人の妹がIU(アイユー)だ。ボクはIUも好きなので日本デビュー盤発売記念ということで、持ってるCDのジャケットなどを集めて記念写真を撮ってみた heart04

IUのCD

韓国での人気も高く、先月末発売された限定盤はほぼ売り切れ。閑古鳥の鳴いている韓国音盤市場としては非常に注目度も高かったようだ。

ボクも某ネットショップで予約していたけど、予約なのに入手できず。即決オークションに切り替えてなんとか入手できた。そのオークションはちょうどタイミングよくアップされた数時間後に一番乗りで即決できたが、その後Twitterで「まだの人は急げ」と書いたせいかその数時間後に全部落札された。

今年の1月26日のゴガクル日記にIUのことを(日本語で)書いていたので引用してみたい。

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最近IUをテレビでよく見る。ワイドショーにもよく出てる。韓国の番組だけど。かなり肝の据わった18歳だ。しゃべり声は結構低音でガハハと豪快に笑うが、歌うと超高音を発する。可愛いだけでなく歌もうまい。去年の大ヒット曲「いい日」を聴いて松田聖子のデビューの頃を思い出した。実力に楽曲の良さも揃うのが聖子やIUの引きの強さか。今年日本に来て欲しい歌手No.1だ。

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韓国の松田聖子になるポテンシャルを秘めていると思ったけれど、その思いに変わりはない。聖子も18歳ごろデビューしたがかなり肝の据わったアイドルだった。ガハハ笑いも似てる。

周りに流されてしまう若いアイドルは五万といる。だが自分のポジションを知り強い意志を持って仕事を創造できるアイドルは少ない。もちろんそこにはスタッフの力、裏方の能力も欠かせないわけだが、その裏方のパワーを引き出す何かを持っていることが重要だ。ビジネスだけでない魅力が必要だ。

これまで高校生アイドルだったIUだが、大学受験はせず音楽一本で生きる決心をしたそうだ。韓国は超学歴社会だといわれ、パトカーで受験会場に駆けつける受験生のニュースがいつも流れる。芸能人も芸能コースのある大学に通うケースが多い。IUならそういう道もあっただろうが、そこに価値を見出さなかった、逆に時間のロスと考えたところが稀有だ。

「勉強嫌い」とジョークで言えるアイドルはいても、生き方を貫けるかどうかは別だ。自分の持っている天賦の才能に賭けようという覚悟を感じた。

もっとも本人はそういう覚悟だとかストイックな面を強調することなく、純粋に自信がないからやめたと言っている。それはそうなんだろう。音楽が好きだから子どものころからオーディションを受けまくり、いくら落ちても「自分はどうせいずれ歌手になるんだから大丈夫」と思い続けてきた。ずっとそのために学んできた。そして「良い日」でブレイクした。

IU自身にとっては、せっかく歌を歌って聞いてもらえる場が与えられているんだから、そこに集中するのは自然なことなのだと思う。子どものころからそうやって生きてきたのだ。その音楽への純粋な姿勢が周りを動かす。松田聖子が松本隆を動かしたように。

キムヨナとデュエットした“ICE FLOWER”という曲の貴重な動画もYouTubeで見ることが出来る。このツーショットはキムヨナファンでもあるボクにはとてもほほえましい。

視聴率的には苦戦したといわれるキムヨナのスケート番組「キス&クライ」の主題歌として録音された曲らしい。

しかしキムヨナも歌が上手いな shine 特にAメロの終わりのところ(0:28~)のこぶし(ビブラート)は天性のものだ。リズム感だけでなくこの表現力もまさにキムヨナの演技に通じるものだとあらためて思った。

IUはキムヨナより3歳くらい年下だが、こうして並んでも引けを取らないな。大物感がある。ヨナオンニとか呼んでいるのだろうか!?

IUの歌唱力については「良い日」で聞かせた3段階高音ロケット弾ばかりがクローズアップされる。韓国音楽界において不満があるとすればそこだ。IUに限らずいわゆる聴かせるタイプの歌手はとにかく高音が重視される。

もちろんそれもひとつのファクタではある。しかしそれはいわばフィギュアスケートにおけるジャンプのようなもので、総合力がそこだけにあるわけじゃない。

ボクがキムヨナや4minuteのジユンに惹かれたのと同じく、IUにも彼女らと同様に陰陽道の“陰”の部分がある。ダンスでいえばつなぎの動作、演技で言えば間の取り方、歌唱でいえばサビ以外の部分などに“陰”があり、そこをしっかり自分のものに出来る才能に惹かれる。

ちょっと話はそれるけど、少女時代KARAの違いもそこだと思ってる。日本じゃKARA人気もすごいのであまりここを強調するつもりはないし、人気というのはまた別物だと思うけれど、純粋に技術とか歌の実力の差は歴然としてる(KARA解散騒動のあった裏方との問題もあるかもしれない)。

ただ日本では少女時代も美脚から入ってしまう貧困さなので(それはそれでもいいんだろうけど)、ちょっと残念。もっと音楽として深くコミットしてみる価値はあると思う。

IUも来年には新作を引っさげて日本でライブを行うそうだ。抽選だから当たればいいのだが...。実はオジさんファンも多いIUだけにその客層も気になる(笑)。

12月に発売された日本盤の初回生産限定特典DVDもすばらしい。単純にPVを並べただけじゃなく、IUへのインタビューのつなぎにPVを挟む構成になっていて、番組を見ているような感じだ。とってもいい。こういうひとつひとつのモノづくりがリスナーに伝わる。それこそジャケットの紙の選定からだってリスナーは無意識に感じ取るのだ。

その積み重ねは裏方の責任でもある。スタッフとアーティストとの関係が大切なのは今も昔も変わらないだろう。そこまでひっくるめてリスナーは敏感に感じ取る。IUというひとつのプロジェクトなのだ。まさに松本隆が言った「松田聖子プロジェクト」と同じ意味合いで捉えてみて、いい仕事をしてるなと思うのだ。

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2011.12.11

変な原付アナ松丸友紀30歳を愛す!

志村さん以来の完璧なダッフンダ他局だけどどや顔サミットに出て欲しい(笑)。そんな完璧なダッフンダを披露したテレビ東京が誇るべき女子アナ松丸友紀(30)がいま乗りに乗っている…。

見かたによってはあまりの強風に乗りすぎて糸の切れた凧状態の女子アナの姿にも見えるが、年に一度のお祭りだ。許せ!ゴッドタン松丸プロデュースはこうでなくては。ある意味、谷桃子に匹敵するポテンシャルを秘めているのは松丸友紀(30)かもしれない。

昨日はボクも某民放テレビの年末特番に出してもらえるというので収録に向かった。会議室でのインタビューで面白かったけど荷物が多くて疲れていたから早く寝た。そして朝起きぬけにゴッドタンの録画を見たら、一発で目が覚めた。松丸友紀(30)のコスプレオンパレードで。動画目覚ましとか作ってくんないかな>テレ東clock

●松丸友紀(30)その向上心のベクトル

なんでも吸収してしまうスポンジのような向上心が、おぎやはぎ、バナナマン、劇団ひとりというクセのある芸人集団に囲まれて悪い影響を受けている(笑)。この展開は優等生が不良仲間に入っていく様を見ているようだ。

松丸友紀(30)は、この日の体験をどんなポエムに記しているんだろう。

TOKYOは寂しく変な街…ダッフンダ!とか?

でもそんな松丸友紀(30)が好きすぎて困る!

ここまで書いて、松丸友紀(30)のブログを確認に行った。そこには衝撃のご発言の数々が!さすが期待を裏切らない松丸友紀(30)だ!

注目したいご発言をピックアップしてポエム風にならべてみる。


自発的にあれやりたい!と言っているわけではありませぬ・・・

私は一体どこに向かうの~~~~~~~~!!!!!

はぁ・・私も谷桃子さんのようになれればなぁ・・・

さすがです!師匠!!

そろそろ新たな衣裳が欲しいのは事実。

ましゅまろ☆ブログ2011.12.08より)

自ら谷桃子を師匠と呼ぶ女子アナ松丸友紀(30)だが、一体どこに向かうのかこっちが知りたいぞ!

と言いつつ、松丸アナへの愛を何度も何度も表現してきたこの「ひとくちメモ」を松丸で検索して読み直してみると、松丸アナを語るときになにげに谷桃子を引き合いに出している自分に気付いた(笑)。

なんだ。オレのなかじゃもう谷桃子と双璧なんじゃん。どっちかっていうとレギュラーエンジェル松丸アナが東の横綱って感じっすよ!

●原付には原付のよさがある!ゴッドタン

それにしても今回の松丸プロデュースは、初っ端から名言続出。松丸友紀(30)が「いつか私もあやぱんみたいになるかもしれない」と本音をしゃべれば、バナナマン設楽から「積んでるエンジンが違うんだよ」と突っ込まれ、劇団ひとりからは「この原付!」と罵られ、そのうえナレーションまで「原付アナ」と言い出す始末…。

いいじゃないか原付!原付でも公道走れるんだし。ま、この路線で突っ走るとセグウェイになっちゃう危険性もあるけどね☆

沖縄でセグウェイに乗ろう!

オレの松丸友紀(30)はよぉ、原付は原付でもスーパーカブなんだよ。オレが乗ってるカブ110のような原付二種だな。それもただのスーパーカブじゃないよ。お笑い色にペイントされたカスタムバイクだぜ!

だってそうだろ。自分ではビジネスバイクだって主張してるけど、見た目は完全にレジャー用のカスタムバイクなんだから。でもいざとなればニュースだって読めるんだよ!

ダンスが好きで韓流も好きで笑いも好きで変なポエムも好きで原付も好きなボクは松丸友紀(30)が好き過ぎて困る。どうしてくれる松丸友紀(30)!?

とりあえず司会してる「木曜8時のコンサート~名曲!ニッポンの歌~」をチェックしよう。

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2011.12.10

NHKで畠山重篤さんご出演の番組を連日放送

畠山重篤さんは牡蠣師だ。カキ養殖のプロで「森は海の恋人」を提唱されていて、日本の汽水域を守り育てるプロともいえる。

森も海もアイドル!」を提唱している私ポップンポールにとっても、畠山重篤さんは特別な存在。日本の山(森)を守ることが海洋国家日本にとっての生命線でもある。

震災後、無事だったというニュースを聞いて安堵したけれど、そこから再生への取り組みが始まった。

震災から8ヶ月、NHKのカメラが畠山重篤さんや気仙沼の牡蠣の再生を追った番組「プロフェッショナル仕事の流儀」を来週月曜(12月12日)に放送する。再放送は15日。

その前日、つまり明日12月11日にはNHKアーカイブスで新日本紀行などNHKが記録してきた東北の海とそこに生きる人々の生活を放送する。震災から9ヶ月経った現在の畠山重篤さんに話を伺いながら進行されるそうなので、これも貴重な放送だ。

海は多くの命を奪ったけれど、海は再生への道でもある。森と海がつながっているのと同じように、この畏怖すべき自然と人間の営みは切っても切れない「生」のつながりだ。自然の中で生かされていることを忘れそうな現代ニッポンで、生の在り処をもう一度考えてみたい。必見!

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2011.12.04

ツイログ始めました。Twilog를 시작했어요.

ツイッターでつぶやいた内容をブログ形式で表示できるツイログに登録しました。

hitokuchimemoのツイログ

ツイッターの過去のつぶやきははかなく消えゆくものかと思っていましたが、こういうプログラムを作ってくれる人がいるんですね。

ツイッター側の仕様で過去データの履歴は3200件程度までしか遡れないらしいのですが、ボクの場合は2009年から始めてまだ2000件もつぶやいてないのですべての履歴が取れました。またそれらの検索も出来るので便利です。

自己満足ですけど(笑)。これによってツイッターでの記録も検索可能な状態で残せるようになったので、ココログとあわせて活用していけそうです。やってることは今後も変わらないでしょう。興味の趣くままに。

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2011.12.03

ポップンポール旋風を巻き起こせ!住所不定無職

こなさん、みんばんは!ポップンポールです。「知ってるよ!」とツッコミを入れてくれる読者が何人いるかわかりませんが、まぁ松田聖子も自分のコンサートで「松田聖子です」って自己紹介するくらいですからいいじゃないですか。

しかしなんでいまさら「ポップンポールです」と名乗ってしまうのか。それはこの住所不定無職というバンドが発表したアルバムのタイトルを見てくださいよ!

TOKYO POP'N'POLL STANDARD NO.1 FROM TOKYO

これですわ。これ!長生きするもんですね(笑)。

ついにポップンポールがメジャーデビューですわ(lovely)。タワーレコード渋谷店にいったらポップンポールのポップがたくさん立ってるらしいですわ(11月16日現在)。住所不定無職のブログに写真が載ってましたよ。「キラッキラなポップンポールが鳴り響く!!」って書かれてます。うれしいなぁ。他人事じゃない感じだよな(笑)。

今回のアルバムタイトルはちゃんと(ちゃんとってこともないけど) Pop'n Poll なんですよ。このスペリングにこそ、ポップンポールの奥義があるわけで住所不定無職を大リスペクトしてしまいます!

最近はK-POPやK-Rockばかり聴いている私ですが、今年買った日本人アーティストのアルバムって、川本真琴ちゃんとこの住所不定無職くらいなんですよ。

あ、細野晴臣さんの新作「HoSoNoVa」も買ったな。レコ大優秀アルバム賞おめでとうございます!そういえば細野さんには住所不定無職低収入って歌があったな。あ、チャン・ギハと顔たちの対バンだった怒髪天も買ったな。怒髪天といえば、某NHKの番組に某ルートでプッシュしてみたんだけど、リーゼントはダメなんて素っ頓狂な返答が...。まだ昔のNHKなんだねぇ。あ、...他にもいくつか買ってるな(笑)。ま、いいか。

川本真琴ちゃんの「フェアリー・チューンズ」を聴いたときに、住所不定無職というバンドのことを知ったんですよ。でも、そのときは「ふーん」という感じでした。やっぱJ-POPに疎くなってるよね。

そしたら、まったく予期しないところから「TOKYO POP'N'POLL STANDARD NO.1 FROM TOKYO」ですよ!予期しないところというのは、つまり「3人の中村伸一トークライブ」ですわ。異業種でご活躍されている同姓同名の中村伸一さんが集まっての講演会。そこに出かけて行ったノリで自分の名前もググッてみたりしたわけですよ。

2年前のトークライブのときもお笑いコンビのネタの一部にポップンポールが出現していたことを書きました。その後なんのコンタクトもなく2年が過ぎ(笑)、今年また検索したら名古屋のバンドPop'n Paulが見つかって、これも特にリアクションもなく(笑)、三度目の正直が住所不定無職のアルバムですわ。もうよのなか住所不定無職のポップンポールだらけですわ!リアクションはないと思いますけども。

このアルバムが浸透してゆけば、私もポップンロールなんて呼ばれなくなるかもしれません...。

●内容もすばらしかった!住所不定無職

で、重要なのはアルバムの内容なんですけど、これがかなり良い!ポップンポールだけのことはある(笑)。ニッポンのガールズポップの王道でしょ。学問には王道がないけどポップにはあるんです。でなきゃ大衆歌謡にならない。

スティーブ・ライヒやジョン・ケージみたいなポップスは聴きたくない!ポップスの王道のなかで見せるオリジナリティの輝き、それがポップスというものだとポップンポールは思うわけです。

ライブが絶対面白いバンドだろうなぁ。

ライブも見たいと思って探したけど、直近のライブはSOLDOUTだった。年末は実家だしな。12月は川本真琴ちゃんとのコラボも予定されてた。先日交通事故を起こして骨折してしまった真琴ちゃんが出演できるのか心配だけど、このコラボはぜひいつか見てみたい。

またさぁ、このMAGIC IN A POP!!!のPVどうよ。

ポップンポールの嗜好を知ってか知らずか(もちろん知らないんだろうけど)、こういうノリ好きだなぁ。

●ボクはいつからポップンポールだんだろう?

Popn_artここからは私事ですが。ボクがポップンポールを名乗り始めてからどのくらい経ったのか考えたこともなかったけど、どうやら1998年あたりからのようだった。インターネットが普及し始めて、ホームページを作ろうとしたときにハンドルネームとして使ったのがたぶん最初。だから13年くらいは使ってる。

ただ実際の構想は1990年からあったように思う。1990年に「ロックンロールの墓参り」という詞を書いてる(笑)。その当時の雑記帳(日記&ネタ帳)は第6巻になるんだけど、その雑記帳のタイトルが「ロックンロールの墓参り」だった。

その詞って「ロックンロールの墓石の上に 黒いカラスが1・2・3・4!」ではじまるんだ。たぶんそのカウントでドラムが入ってきてガンガンのハードロック調でやったらいいなと思って作ったんだ。いま思うとまるで韓国のNORAZOのような思考回路だね。そっから後の部分はいま読むとあまりに凡庸すぎるんで書かない(笑)。いや書けない。

「ロックは死んだ」という凡庸すぎるスローガンをあえて使うという言葉のアンディ・ウォーホルを気取っていた20代の頃。でもその雑記帳の最後はエリック・クラプトンのWonderful tonightをしみじみ聴いて終わってた(笑)。そして、「あまりにも軽すぎるミュージックシーンとそれにたわむれるシティユースたちから脱落したい衝動にかられている」とも書いていた。

まだバブルが崩壊するなんて思っていなかった頃。もしかするとバブルが崩壊したと思いたくない大人たちがいっぱいいた時代。そこにポップンポールの根源があったように感じたな。その頃の浮ついた世の中とは別の世界に行きたい思いがボクを逆に浮ついた名前のポップンポールにしたんだ。まったくポップじゃないボクがポップンポール。自己矛盾のひとり遊びだった。

時代は真逆になって、いま「住所不定無職」なんていう名前のバンドが、心底明るく正しいポップンポールを奏でる。大正解だな。ポップンポール的に大正解!どんどんメディアに露出して欲しい。そして東京をポップンポールで染め抜いてくれ!間違いアクセス数も増やしてくれ!ボクは「さいたまポップンポール スタンダード No.0 FROM やまぐち」としてこれからも頑張ります。

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2011.11.24

禁煙よりもメタボ対策よりも地域絆力が長寿への道!

立川談志さんが永眠されました。毒舌、天邪鬼、天才、良くも悪くも強烈な印象を残して逝った稀代の落語家だったと思います。

ワイドショーでは「徹子の部屋」に出演されたときのVTRが流れていましたね。人間の腹のなかにある非常識の部分を取り出してみせるのが噺家の生き様だと。その言葉通りの生き様をずっと見てきましたが、癌が発見されたときのコメントは別の意味で印象に残りました。

「人間は死ぬときゃ死ぬ。だけど、癌は告知もあるわけだろ。ところが、交通事故なんて、いきなりあの世だ。それに比べれば、心の準備も身辺整理もできるんだから、文句はいえないよ。」

癌告知からの生き方(死生観)を、いつもの毒舌とウィットが混ざった談志流でみごとに表現されていたわけですが、この逝く日までの準備期間という捉え方が一冊の本と重なりました。

先日お会いした中村伸一院長(福井県、名田庄診療所長)の2冊目の著書『寄りそ医』(メディアファクトリー刊)です。

「ええ人生やった」と言うための準備が出来る幸せ。幸せに旅立つ準備期間としての末期医療のあり方。様々な人生との絆を重視し最後まで寄り添う地域医療モデルを日本中に広めたいという野望に燃える男、それが中村伸一医師です。

●町のお医者さん中村伸一院長

中村伸一院長は2009年1月にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介されてから全国区で知られるようになった方ですが、私自身は同年7月に「3人の中村伸一トークライブ」で初めて知りました。もし院長が中村伸一という名前でなければ出会えていなかったと思います(笑)。今月初めてご挨拶する機会がありました。イベントの流れもあるので中村先生ではなくここでも院長と呼ばせていただきます。

中村伸一院長は地域医療のプロフェッショナルです。自治医大を卒業して配属された田舎の村、名田庄村に恋をして、20年間名田庄村で地域医療を実践され続けています。いわば町のお医者さんですね。「町医者ジャンボ!!」という漫画のモデルとも言われてます。外科出身ですが現在は名田庄地区唯一の診療所で総合医として活躍されていて、健康問題のよろず相談所所長といった感じもあります。

今夏お会いする前には最初の新書『自宅で大往生』(中公新書ラクレ)を読んでいたのですが、この新書は名田庄村での地域医療の実践をベースに、日本全国にある様々なコミュニティのなかに、福祉と医療をどう位置づけるかというひとつのモデルを提言されているように思いました。

●患者から見た専門医と総合医

大病院の専門医と地域の総合医との違いは、そのまま患者側の意識や生活とのかかわりの違いと言えそうです。病院には「患者」として行きますよね。当然といえば当然なんですが、「患者」という役割はまさに非日常なわけです。ボクも2003年に1日だけ入院しまして(検査入院ですが)、その“100%患者”という非日常をたった1日味わっただけで、なんとなくへこんでしまいました。

大病院の「患者」はまさに患者そのものです。患う者を専門知識と技術で治療するわけです。患者としての我々もそれを期待して通院します。ここ一番で頼りになる用心棒であり、用がないときはあまり近寄りたくありません(笑)。

それに対して町のお医者さん、とくに名田庄村のようにお医者さんがそこに1つしかない場合、そこはあらゆる病気のファーストコンタクトの場となります。専門が外科だからといって歯が痛い患者さんを帰すわけにはいきません。またそれ以上に、日常のケアの比重が非常に高いのです。地域住民の健康な生活に積極的に関わっていく姿勢、そしてその役割を担いつつ地域=コミュニティで共生していく存在ともいえます。

その反面、コンビニ受診が少ないのも名田庄の特長のようです。ただしその実現の過程にもドラマがありました。村に一人しかいない先生が病に倒れてしまってから、村の「お互いさま」精神が発揮されたんです。詳細は著書で読んでくださいね。読みどころですから!

●地域医療とは病を治すことにあらず

恥ずかしながらこれまでの私にとって「地域医療」は身近な存在とはいえませんでした。地域医療といってまず思いつくのはキューバ医療でしたから。2009年にキューバという国のコンセプトは「生きさせる!」だと書きましたが、キューバで発達しているのがまさに地域予防医療でした。

ファミリードクターがその町で一緒に生活し、代替医療から最先端医療まで幅広く利用しながら、地域に寄り添う医療を実践するキューバ。治療の基本が各個人ではなく家族とされたことで住民参加型の福祉医療へと進化しているそうです。

私の頭の中では、そのような遠い外国の話としかつながらなかった「地域医療」を日本に振り向かせてくれたのが中村伸一院長の著書でした。地域とは田舎だけのことではなく、誰にでもどこにでもあるコミュニティのことであり、そのコミュニティの日常に保険・福祉・医療の連携を生み出すことこそが真の「地域医療」の在り方であるというのです。

今夏発売された2冊目の著書『寄りそ医』では、1冊目の新書よりも中村伸一院長のパーソナリティがよくわかります。タイトルどおり住民の生活に寄り添う医療がどのように実践されているのか、その現場の声と実践の記録が活き活きと伝わってきます。

その表現も絶妙です。中村伸一院長の心の中では矢沢永吉とバカボンパパがささやきます。ときにはアクセル全開で突っ走るロックンローラーの魂が背中を押し、落ち込みそうになったときには「これでいいのだ」と悟りの境地に導いてくれるのだそうです。

●じいさま、ばあさまと「お互いさま」

患者さんの呼び方ひとつとっても面白いです。一冊目は「じい様、ばあ様」だったのですが、2冊目では「じいさま、ばあさま」と「様」がひらがなになりましたね。これは院長もしくは編集の方が意識して校正されたのかどうかわかりませんが、寄りそい度がアップした感じがありますね。

こういうちょっとした呼び名って結構大切です。なかなか実践なくして「じいさま、ばあさま」は出てこないと思うんですよね。この絶妙の距離感が地域=コミュニティのキモではないかと思います。

都会に住んでいると隣に住んでる家族の名前も知らないわけですけど、それでもそこにはコミュニティがあります。それは好むと好まざるとに関わらずあるものです。もしかしたら大地震になって初めて助け合う人々かもしれません。それはそれで仕方がない。

だけど、それでも「お互いさま」「おかげさま」という関係をいつでも築ける心の準備があるかないかで地域医療はぜんぜん違うと思います。知らない人どうしの間にも「絆」が潜在的にあることを今年の大震災で知りました。都会の地域医療は「いざとなったら助け合える関係」くらいから始めてもいいのかもしれませんね。心に余裕を持つことにもつながりますね。

そして近所にお医者さんがいることの安心感と、そのお医者さんを地域で盛り立てていくことが住み良い街づくりにもつながっていくのかもしれません。そして地域医療の担い手である医師自身が地域によって育てられ、お互いを支えあうという良い関係を作れることが大切なんでしょうね。

●長寿コミュニティの作り方

「医療崩壊」が流行の昨今ですが、この言葉も結局マスコミ発信であってコミュニティ発信ではありません。様々な問題があるにせよ、生活に密着したところで実践的に現実的に自分の地域をどう住みやすくしていくのか、それが実は長生きの秘訣でもあるようなのです。

『寄りそい医』のなかに、スウェーデンが国家の健康戦略として取り決めた18の項目の優先順位という面白い指標が掲載されています。そこではタバコの使用削減は12番目、健康な食習慣は10番目です。

では上位はなにかというと、2位が個人をサポートする力強い社会環境、1位は強固な社会連帯と社会共同体となっており、この2つを中村伸一院長は「地域絆力」とおっしゃってます。

人間は社会的な存在だと言われますが、医学的にもそのような考え方が出来るようです。

タバコもやめた、ダイエットもしてる、だけど孤高の企業戦士で極度のストレス...。それは健康にとっては順序が逆ってことじゃないですかね。ま、戦士にとっては長生きだけが人生じゃないかもしれないですけどね...。でももし健康志向だったなら、腹の周りに巻尺巻いてる場合じゃないんですよ(笑)。

日本はもうキューバのように教育と医療を国の根幹に置くような国にはなれないみたいだけれども、地域からなら替えられるかもしれません。少なくとも名田庄村のような取組みが広がっていけば、日本各地に長寿型コミュニティを作れる可能性はありますね。中村伸一院長の著書はそのお手本に出来ると思います。だって日本中を名田庄村のようにする「全日本名田庄化計画」をぶち上げてるんですから(happy02)。

●降りてゆく生き方や全体最適との共通点も

「降りてゆく生き方」という映画をご覧になった方いらっしゃるでしょうか?この映画についても2009年に紹介しています。地域再生の物語ですが、「降りてゆく」という感覚は決してネガティブなものではなく、地に足の着いた生活実感から物事を考えようということだと思います。

地域=コミュニティを考えるとき、これからの世の中はただ規模の経済、成長するだけの経済指向では幸せになれないように思えてなりません。

病院ではなく自宅で看取るためには「こだわらない」「がんばらない」「普通でいる」これらが重要だそうです。これらはすべて降りていく生き方に共通するキーワードです。

また中村伸一院長の『自宅で大往生』と『寄りそ医』を読みながら、ふと、これはビジネス書としても読めるのではないかと思いました。そこで思いついたキーワードは「全体最適」と「ボトムアップ」でした。

全体最適についてはTOC理論の発案者エリヤフ・ゴールドラット博士の『ザ・ゴール』の受け売りですけれど、あっとほーむいきいき館の出来る過程やデイサービス開始までの過程は、理想的なボトムアップのビジネスモデルだと思います。

ボトムアップだからこそ現場(地域)の声をビビットに反映でき、さらに総合医という全体最適をめざさざるを得ない院長が音頭をとることで、理想的なアウトプットが生まれているのではないかと思うのです。専門医ではおそらくこうは行きません。指揮者は総合プロデューサーですから、ソリストとは違ったモノの見方が必要なんだと思いますね。これはあらゆるプロジェクトにいえることだと思います。

というわけで地域医療の話があっちこっちに飛んでしまいましたが、中村伸一院長自身のお話しに魅力があるので、講演会等を聞く機会があったらぜひ聞いて欲しいです(もうこれは最初のトークライブから一貫して言ってますけども)。

全日本名田庄化計画のためならどこでも話をするとおっしゃってますので、日本各地で講演会という名のトークライブをやってほしいですね。それを聞いてから読むなら『寄りそ医』がオススメです。人となりがよくわかりますから。もっと広く地域医療について一般的な知識を入れるなら『自宅で大往生』からですね。

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2011.11.20

ポップンポールのハングル表記問題が決着する!の巻

先日の3人の中村伸一トークライブのときにプライベート名刺を切らしてしまったので作らなきゃと思いつつ時間がなくて今日まで来てしまった。

前回作ったのは2年前の2010年。その前もまた2年前の2008年。その前はたぶんブログ開始前のホームページ時代(ってHPも残ってるけどもはや更新方法うろ覚え状態 coldsweats01)に。その頃も何回かリニューアルしてるけど、一番最初は2000年でした。そのときのデザインはこちら。

プライベート名刺2000年ヴァージョン

なんだかシンプルだったな。プリンタの非力さ(泣)とデザインの非力さ(号泣)が随所に垣間見れるかもしんない。でもその後Webデザイナーとしては特に成長するでもなく今日までやってまいりました(笑)。んで、今回の名刺2012年ヴァージョン。

プライベート名刺2012年ヴァージョン

人間10年以上経つとかわるもんですね clock

●ポップンポールのハングル表記問題が決着!

今回のポイントは名刺にハンドル名とQRコードを入れたこと。QRコードは前回悩んでボツにした部分だが、時代を反映させるという意味で入れてみた。

ハンドル名はハングル表記で入れたいという思いがまずあって表記を考えていたのだが、これにはハングルを学び始めた頃に一度トライして挫折した苦い経験がある。

まさに2年越しのハンドル名表記問題であった。しかしようやくここに決着した。結果的に2年前に模索してたどり着いた結論と同じ表記であった!

今回はgoogle翻訳先生にも読んでいただいたが(笑)、なかなか良い。

日本語表記だとポップンポールとなり「ポップ」の「ポッ」が「폿」か「펍」のほうが近い気もするが、もともとが外来語なのでここはやはり名前の由来であるポップス、ポップミュージックを表すPop=「팝」を尊重したいと思った。

また「ポッ」の終声ㅂが次に続く子音と影響しあう問題もあった。2文字目を븐,쁜,픈のどれにするべきなのか。発音解説を今日ほど読んだ日はなかったかもしれない(笑)。

その結果、終声ㅂとそれに続くㅍであれば問題なさそうだった。ぶっちゃけどれでもいいというか、よくわからないのだけど、ロックンロールの2文字目は큰なのでそれに対応させれば픈だろう(笑)。ここでも命名の由来を重視できてるし。

最後の폴も롤と似せたわけだけど、長音がないので「ポル」になってしまう。ただPoll(投票)というのも、英語風の名前で書けばPaulがもっともらしいはず。つまり英語表記においても不自然なままRollにあわせているので、ここもそれで行こうと決めた。

このような過程を経て、ポップンポールはハングル表記で"팝픈폴"と今日決まったわけだ。

●ポップンポール同姓同名問題に新展開(笑)

ちなみに中村伸一的同姓同名問題(>問題ってなんだよ happy01 )に絡めた話題としては、Pop'n Paulというバンドが名古屋で活動しているようだ。Web検索するとかなりの数ヒットする。

カタカナで書くとボクのハンドル名と同じなので、きっと間違えてこのブログにたどり着いちゃうPop'n Paulファンの皆さんがたくさんいることだろう。すんません、ボクはPop'n Poll です(笑)。アクセス数アップに貢献してくれて申し訳ない!

でもPop'n Paul さんは英語表記の Paul だから、ボクみたいに100万回ポップンロールといわれることもないだろうね。とはいえyahooではカタカナのポップンポールで検索してポップンロールではありませんか?なんて失敬なこときっと言われてんだよね

同姓同名というだけでトークライブをしてしまう中村伸一軍団を見習って、名古屋のバンド Pop'n Paul の動画を(勝手に)紹介しておこう!

一週間前にアップされたばかりの新曲(?)モルモットって曲はなかなかいいっす!イントロのベースとギターのユニゾンがかっこいいな。なんだか昔バンドをやってた頃の自分を思い出しちゃうね。

いつか機会があったらポップンポールの名刺交換してみたいものです。

●Pop'n Poll 懐かしのソング集もついでにリンク

ちなみに私ポップンポール(Pop'n Poll)がやっていた音楽はこんな感じです。

クリスマスソングMIDI集1998
クリスマスソングMIDI集1999
'90年代デモテープス

クリスマスソングですらもう10年以上前なんだ...。まだMP3とかなくてMIDIでシコシコ作ってたなぁ。どれもデモテープなので雰囲気だけですけども(笑)。統一性のない分裂気味な楽曲群になっております typhoon

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2011.11.13

鴨がネギ背負ってやって来るというけど、どじょうが鍋を抱えてハワイに到着か。

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2011.11.12

イラ韓を救ってくれた大韓航空を称える!の巻

いやはや、衝撃が走りましたな。イラ韓が終わっちゃうなんて、オオバ 씨!視聴者まで驚かせないでくださいよ!チェジュ島へ出発かと思いきや、まさかのビッグサイト行き...。そりゃコウモト 씨じゃなくてもドキッとしますわ~。

木曜早朝3時半の番組だけに「打ち切り」なんて冗談に聞こえないよ~。うちのイラ韓記事は最近のアクセス数トップなんですよ。こんな超人気番組が終わっちゃうわけないじゃん!

でもその理由が韓国へ行く予算がないだって...。A-CHA!と思いましたよ。マジっぽいから(笑)。いやもしかしたら本当にそんなことになっててもおかしくないみたいな。おいおいこれって黒字倒産みたいな話かよとかさ(ぜんぜん違うけど)。キム氏が新大久保にやってきたあたりからおかしいなと思ってたんだよ(笑)。

しかし番組は存続しました。大韓航空さんのタイアップのおかげで!いやーめでたい!そりゃコウモト 씨はビッグサイトに行かなきゃ。

ビッグサイトでやってた「旅博」ってあんな雰囲気なんだ~。韓国語でマジな会話とかできそうじゃん。なんか国際ブックフェアより面白そう。ブックフェアとタイアップしてやってくれたら良いのにな。

番組MCのコウモト 씨がタイアップのお礼とヨイショにまで行ってくれたんだから、イラ韓ファンのボクもやっぱ「大韓航空」さんを称えておかなきゃいかんでしょ。このブログ検索したら一度も「大韓航空」って言葉を使ってなかった。そりゃいかんでしょ!

大韓航空には思い出ありますよ。ボクは韓国旅行には行ったことがないんですけれど、大韓航空で欧州旅行(卒業旅行)しましたから。トランジットで金浦空港は利用したことあります(笑)。歩いただけですけど。仁川空港が出来る前の話です。

大韓航空の美人スチュワーデス(現CA)に日本人のミナミさんという方がいらっしゃいました。いま思い出すと北川景子似だったと思います(まだ北川景子デビュー前でしたが)。当時のコスチュームはキム・ドンスン 씨デザインに替わったばかりの頃で、とっても感じのいいCAさんでしたのでよく覚えてます。大韓航空が大好きになりましたよ。

当時から大韓航空はパイロットの腕も確かだという噂でした。なんでももと軍人さんが多いのでスクランブル発進に慣れてるから、短い滑走路でもスムースに飛び立てるし着地も上手いと聞いてましたよ。あくまでも噂ですけれど airplane

●いよいよイラ韓は大韓航空でチェジュ島へ!

さて、大韓航空様のおかげで引き続き楽しめることになった「イラッとくる韓国語講座」ですが、ソウル、プサンの次はチェジュ島でございます。ウチの母も今年行って来ました。行きたいなぁ。

チェジュ島といえば、このドラマ「美しき人生(人生은 아름다워)」ですね。前半にはユミンこと笛木優子さんも登場してハングルを聞かせてくれます。こうい快活な役柄がもっと見たいなぁ。もっとも恋人が同性愛者の役で最終的には別れてしまうちょっとかわいそうな役でもあったけど。

チェジュ島にあるオルレ(オルレギル:大通りから民家へと続く路地のことでチェジュの方言)というウォーキングコースが有名だそうですが、23コースあるんですね。他のネット情報では12~19コースというのが多いから、その後増えてるのか、ジモティーだけが知っているオルレ中のオルレギルがあるのかわかりませんが、イラ韓の「旅博」情報では23コースでしたね。

どのオルレも結構長くて、16~17km程度あるとか。全部を制覇しに行ってる人もきっと多いんでしょうね。前に小笠原に旅しましたが、チェジュ島も世界自然遺産ですし、島好きとしてはぜひ行ってみたいです。もちろん大韓航空で!

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2011.11.11

紙の本すら読まない人が電子書籍を読むわきゃない(笑)

最近ブログ回帰傾向のあるワタクシ。もっとも今日もゴガクル日記の転載だけど。

電子書籍への違和感のひとつは、読んでいる最中に電力を消耗していることだったりする。個人的にこの急き立てられるようなエネルギー消耗読書に馴染めない。

それは電子書籍だけでなくあらゆる消耗品に対する個人的な性癖ともいえる。掃除用品(取替え式のモップとか)も使うのにものすごく抵抗がある。繰り返し使える雑巾のほうがいい。

もちろん電子書籍なんて充電すればいいわけだし、掃除用品なんて使ってナンボなわけだが、消耗していくものを見るのが根っから嫌いなんだと思う。

たぶん前に日記にも書いたキャラクターシールを買っても貼れない性質、つまりどケチ体質なんだと思う。

そんなこといえば、紙の本だって持ち歩くと折れ曲がったりボロボロになったりするわけだけど。それは消耗というより味わいとなってある段階で価値に変わる。それは革製品の味わいに似ている。我田引水過ぎるかな?

そのようなモノとしての本の味わいを失ったあげく、読むためにスイッチをオンにした瞬間から消耗を始める電子媒体の在り様そのものに違和感がある。

だが時代の流れという意味では電子媒体に取って代わる日が来るのかもしれない。ただ、紙の本さえ読まない人が増えているのに、電子書籍になったからといって読み始めるわけがない。

ベストセラーとなる内容を持った本が電子書籍でしか読めないなら売れるかもしれないが、それはごく一部の書籍であって多くの書籍は埋もれるだけだ。

あるいは物流が不要になり経費が軽くなった分安くなれば売れる本も多少はあるかもしれない。また在庫を持たなくて済むため何十年も消えずに残すという意味ではメリットもある。

しかし実際には文字だけでないギミックのあるアプリケーション的な媒体に移行せざるを得ず、制作費はいま以上にかさむはずだ。また在庫にならなくてもデータとしてただあるだけでは商売にはならない。

こんな風に考えると、紙の本は電子書籍に置き換わるから消えるのではなく、読書する人がいなくなるからなくなっていくような気がする。多くの民はそんなヒマがないのだ。

それは紙を綴じた媒体の死ではなく、マスメディアとしての出版の死として実現するように思う。紙を綴じた媒体は出版ビジネスとは別のところで生き延びることだろう。

そのかわり本や本を模したデータなどではなく、書籍でもラジオでもテレビでもない、まったく異なるメディアが新しいひとつの文化の台頭をもたらすのではないか。

ただそこまで生きていないと思うので、私自身は紙を綴じた書籍とともに一生を過ごしたいと思う次第だ。そんな風に紙の本を読みながら、毎日新しい消費媒体のギミックを考えるという生活が楽しいと思う。常に消費する側とさせる側とは違う世界を見ているものだ。

●新しい媒体について妄想する

例えば一人のオピニオンリーダーとして作家がいる。彼の作品は物語としては完成されているかもしれないが、新しい媒体にとっては物足りない。そこにオープンソース社会で育まれた様々な人々がところどころにギミックをちりばめて作品を装飾する。

それは挿絵的なアニメかもしれないし、脇役のスピンオフストーリーかもしれないし、BGMかもしれないし、書評かもしれない。著者が登場して議論をふっかけてもいい。それらが作家の作品の周辺に新しい創作のタネを蒔き、すべてがつながって行きつ戻りつしながら読者はそこに評価をくだし、それがまた作品の一部としてフィードバックされる。そこにまた別の創作物が新たに加わる。すると、そこにはその作品群による一つの銀河系が生まれる。

紙や電波媒体でもこれらは一部実現しているが、つながっていない。不連続だ。だが新しい媒体での作品は宇宙のごとく拡大、増殖し続け、さらにリンクしている。その作品群が飽きられるまで続く。飽きられた頃、その作品は古典となり、さらにその総体に対する新しい評価が生まれる。そうやって力のある作品は生き続ける...。

ただし素人の作品群ではクオリティが保てないから、そのうちプロ集団が形成される。そこには常にビジネスのタネが転がっており、タネとなる作品を作る個人や集団、それらから派生してビジネスになりそうな作品を選び装飾する集団、これらが現在のように1つのメディア企業によって作られるのではなく、すべてがオープンな競争によって作られ、同意した読者によって評価される世界...。

作品はすべてパーツとなり、パーツの集合で形作られる作品群の力によって、その作品世界がますます拡大していく。おそらく大ヒット作品群になれば人の一生なんてその作品との関わりだけで終わってしまうくらいの規模になるかもしれない。それはそれで幸せな人生になると思う。

妄想というものはどこまでも際限ない。こういう妄想の拡大こそが望みなのかも。そうやって後戻りできない地平まで走りながら、個人的には紙の読書に勤しむのが理想だ。

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今日は焼き肉です!

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2011.11.10

FATCATを青田買い

最近、新人歌手のFATCATが結構注目され始めた。今日のMCountdown(韓国と日本で生放送)のなかでも中盤にご出演!

ソロデビューした一ヶ月前あたりは、音楽番組のトップバッターばかりだったので、このスピードで新人歌手がMCountdownの中盤に歌えるのは異例の出世のような気がする。

もちろんほとんどの音楽番組に最初から出演できている時点で、かなりの大型新人なんだろうなということは容易に想像できる。

ヘビーローテーションだから聴きたくなるのかとも思っていたが、Youtubeで画像を探してしまうくらいのこの中毒性はまさにK-POPだ!

このツンツンした感じ。好きだなぁ(笑)。好き嫌いがハッキリ分かれるタイプといえるかも知れない。1990年生まれだって。オレ1990年生まれに弱いのかな?キムヨナもジユンも1990年生まれ。世代論的に興味深い。

まだまだ情報が少ないけれど、注目度が高いことは間違いない。既にアイドルが飽きられはじめている韓国だから、ソロ歌手でK-POPアイドル系のノリで出てきたのはそういう状況分析と事務所の戦略なんだろう。

それにしてもこの秋のK-POPの充実振りは素晴らしい!素晴らしすぎる!K-POPを聴き続けていて本当に良かった。K-POPがなかったらオレの音楽人生の空白が埋まらないままだったと思う。

もともとスノッブなオレの特性がK-POPを見逃すはずがなかったともいえる。そこは自画自賛してみたい(笑)。でも、韓国語をはじめたからK-POPを聴き始めたわけで、その後のK-POPブームまでは想像していなかった。

K-POPが韓国語学習やキムヨナの金メダルより先に大ブームになっていたら、ここまではまったかどうかはわからない。たぶん天邪鬼だからブームに背を向けていただろう。だけどそのうちきっと気に入ってどうしようもなくなりそれまでの遅れを取り戻そうと今以上にのめり込んでいたかもしれない。ちょうどユッコ断ちのときのように(笑)。

1990年生まれのキムヨナが2010年に金メダルを取ったというエポックで、1997年のIMF危機後の韓国が真に世界デビューしたような気もする。キムヨナの金メダルとK-POPの世界戦略とは分けて考えられないような気もする。これも世代論的な話に出来そうだ。クソっ!大学生だったらこれで卒論書けるんだけどな。それにかこつけて韓国に旅行しちゃうな(笑)。

ポップスを死ぬほど聴いてきた人でもK-POPに難色を示したりする人がいるけど、それは21世紀のポップシーンを見誤っていると断言したい。

もちろんこれは日本のポップシーンなんていうガラパゴスの話ではまったくない。純粋にポップミュージックの話をしているのだ。

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2011.11.07

安井かずみのエッセイに耽る秋もいい

今日も面白そうな本を見つけて手に取ると河出書房新社の本だった。ここんとこ面白そうだと思ってみると河出書房新社なんだよなぁ。大ヒットするかどうかは別にして(笑)。本にボクを引き寄せる引力があるんだよね。

今日買ったのは「たとえば好き 例えば嫌い 安井かずみアンソロジー」という書籍だ。

ZUZUこと安井かずみは時代の最先端、クリエイティブの最先端をかろやかに突っ走り、あっという間に亡くなった。55歳なんて早すぎると思うけど、人の何倍も駆け足で生きた人生だったかもしれない。

フランス語と英語が堪能だったそうだが、ヒットメーカーとしてその作詞の日本語センスももちろんすばらしかった。

しかし例えば同業者の阿木耀子さんや、エッセイストでは向田邦子さんほどにはボクの目に触れることがなく、エッセイも読んだことがなかったので、こうしてまとめて読めるのはありがたい。

この本は今年の夏に発行されているのだが、こういう本が出るたびに思うのは、なぜこのタイミングなんだろうということだ。

安井かずみが肺癌で亡くなったのは1994年。いまこうして出版される背景になにかあるのか?安井かずみ再発見のためのなにかがあるのか?展覧会でもあればいいんだけどな。

安井かずみのイメージはフランス映画に出てくる女のイメージだ。自立しているがひたすら愛に生きる女。ベティ・ブルーのような。勝手なイメージだけど。

彼女の語学力はお勉強のためでなく、ひたすら情熱のためにあった。そのように語学が出来れば最高だ。

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2011.11.03

3人の中村伸一トークライブでちょっとポジティブ・シンキング

今日の「3人の中村伸一+αトークライブ」のことを書こうと思うのだけど、本題の前に個人的なことにちょっと触れたくなった。ネガティブシンキングな私ごとですが(笑)。

3.11以降の日本において「絆(きずな)」という言葉の肌触りが変わった。ボクにとってそれまでの「絆」とは正直なところ高知東生高島礼子ホームページ(当時)のタイトルでしかなかった(confident)。そんなボクだけでなく、「絆」にちょっと気恥ずかしい思いをもつ都市生活者は多かったと思う。ヤンキーの特攻服のイメージとも言える。

9月に仙台から塩釜、石巻、奥松島、南三陸町、気仙沼、陸前高田を巡って来た。仙台、石巻、松島以外は初めて訪れる土地だった。街が丸ごと無くなった陸前高田市を少し歩いた。すでに瓦礫がかなり撤去され、あの震災を知らずにそこに立つと、あたかも宅地造成されたばかりの新しい住宅候補地のように見えるのではないだろうか。それほど整然と何も無い。

陸前高田201109

だがここにはまぎれもなく日常生活の時間が流れていた。ここから見えるはずの無い遠くの学校が見渡せるようになったというこの場所に連れて来てくれたのは、この地で仕事をしていた友人だった。ここから歩いて数分のところに希望の松と呼ばれるようになった一本の松の木がある。

希望の松

海のすぐそばにあるこの松の木。街が全壊したほどの津波のなかを生き延びた一本の松の木だった。ここに街があったころ、誰もこの松の存在に希望を見出すことはなかっただろう。だがいま、この松の木にさえ希望を託したくなる人々の思いを、ほんの少しでも共有したいと素直に思った。

この場所に来ないで希望の松の話だけを聞いていれば、おそらくボクはもっと違った感想を抱いただろう。美談には必ず裏がある世の中だ。ひとつのアイコンとして有名になってしまった松の木を食い物にしようという輩だって既にいる。そのようなネガティブな風になって流れてくる裏側のビジネス臭ばかりを嗅いで、そそくさと回避していたことだろう。

同じ松の木でも、その環境やあり様、そしてそこに対峙した人々の思い、それらによって見え方は変わる。何かを突き動かす力になり得る。それはネガティブな勢力にもポジティブな勢力にもなりえる。それを見極める目も必要だ。現場にいることが重要だ。

だが誰もがあらゆる現場を体験できない。だから現場力のある人の話を聞きたい、と思う。現場を知っている人の話は具体的で実感を伴うだけに力がある。ときに面白く、また時に心に沁みるのはそのためだろう。

●中村伸一の「絆」は既に同姓同名を超えている

3人の中村伸一を素因数分解すればただのオッサンだ。中村伸一から中村伸一という名前を取ったら、このトークライブはただのオッサン三人衆の四方山話になってしまう。だがそれが感動的に面白いのは、既に全員が中村伸一という名前だからではなく、そのポジティブな仕事ぶりに共感できる存在だからなんだと思う。

2年前の第一回トークライブは、ただただ爆笑の嵐だった。名前がいっしょというだけで会場押さえてトークライブをやっちゃうなんて!というノリだった。だがライブが終わった後には、笑いだけでない3者3様の伝えたい思いが強く残った。それをそのときのボクは「相互信頼」と表現してみたくなってブログに長々と書いたのだった。

そのブログ記事を中村伸一隊長がご自身のブログで「すごいまとめ力だ!」と褒めてくださった。影響力のある隊長なので、その後「3人の中村伸一トークライブ」を説明するときにこの記事を紹介してもらえてると聞いて、何事にもネガティブなボク(coldsweats01)もちょっとうれしかった。

●長生きの秘訣!ポジティブとネガティブは3:1が黄金比

今回は朝ネガティブなブログを書いて出てきてしまったためか、妙に「ポジティブ」という言葉がグサグサ突き刺さってくるライブだった(笑)。こんなボクも昔はポジティブ人間だった。学生時代は某タレントの講演会やクルージングパーティを主催したり(バブル丸出し!)、IT系のプレゼンで東京都から賞もらったりした。2年前にはBSで中島みゆきさんを語らせてもらった(中島さんってとこがちょっとポジティブじゃない過去も醸し出してるかもしれんが)。

だけど一方でいわゆる「ポジティブ・シンキング」の大宣伝が大っ嫌いでもある。アンタのポジティブってベクトル間違ってね?的な、マツコ・デラックスが女性ファッション誌記者を嫌悪するのとまったく同じ視線を送りたくなる履き違いポジティブ野郎もたくさん見てきたからだ。ナンシー関を師とあおぐボクがポジティブなんてケッというのは当然の帰結だったのだ(catface)。

そんなすねた野郎のボクにとって「ポジティブ」という言葉は諸刃の剣だ。だけどライブではポジティブは善であるという流れだった。中村伸一院長が「ポジティブとネガティブは3:1で生きるのが黄金比」という外国の研究発表を紹介された。自分はどうだろうと会場に問いかけられた。自分がネガティブに生きてると思う人という問いかけに3人くらい手があがった。ボクもそこで手を挙げた。

●25%ネガティブの意味を考える

笑顔で生きるほうが楽しいし、長生きしそうな気はする。だけど頭ごなしの「ポジティブ」に懐疑的なことは自然なことだとも思う。ポジティブにも良いポジティブと悪いポジティブがあるのではないか。コレステロールじゃないが(ちなみにコレステロールには良いも悪いもないと柴田博先生が言ってた)。

では何が頭ごなしじゃないのか、というところで中村伸一という生き方が登場するわけだ。一生仲間と旅して暮らす未来がしっかりイメージできてる隊長のポジティブ人生、若い頃の失敗とその後の経験を武器に一生働きたい所長のポジティブ人生、分かり合えないことを理解するところからはじまる絆で現実を変えていく院長のポジティブ人生、そこにあるのは、ごまかしの100%ポジティブ野郎にない、25%ネガティブがしっかり見える生き方のように思う。

3:1の黄金比を見たときに、75%のポジティブに目が行く人と25%のネガティブに目が行く人といるはず。もちろんボクは25%、4分の1のネガティブを考えてしまう。いまネガティブが75%で生きていたとして、これを25%に持っていく生き方が出来るだろうか。

●中村伸一それぞれの25%ネガティブ分析

実はこの日、サプライズゲストでもう一人の中村伸一さんが登場した。福岡で税理士をされているという中村伸一さん。所長が偶然見つけてアポナシで事務所を訪ねてできたつながりだとか。今日は福岡から顔見世だけのために6万円かけてご登場というインパクトはなかなかすばらしかった(笑)。

中村伸一のビジネスバランスこの中村税理士(今後は社長というニックネームになりそう)は、経営者としては1:1だとおっしゃった。これはなかなか鋭いように思う。つまりネガティブとはリスク管理であり、50%ずつの両にらみの感性が確実に必要ということだと理解した。中村伸一所長の言葉でいえば、ビジネスバランスということになるだろうか。

あるいは隊長は常に客観視している自分が頭のうえから自分を見ているイメージを語られた。この客観視というのもリスク管理だと思う。自分たちで作る旅をアレンジするという仕事は常に未知との遭遇であり、100%ポジティブではダメなんだと思う。リスク管理が必須であり、常に安全確保を頭に入れておくのだろう。

また院長は、本気すぎ、頑張りすぎ、肩に力が入りすぎという過度な気合がミスを起こすという冷徹な部分を常に意識している。これも医師としての自分を客観視することによるリスク管理だ。

そう考えると、25%のネガティブ要素はリスク管理と言い換えられそうな気がする。そして75%ネガティブに生きるボクのような人間はリスク管理過剰なわけだ。だから一歩踏み出さない。そこは安全だけど新しいパースペクティブやパラダイムを逃しているのだろう。1歩踏み出せば1:1になるかもしれない。もう一歩進んで誰かとつながりを持てれば2:1に出来るかもしれない。

●正しいポジティブ・シンキングのために

勘違いエセポジティブ野郎との一番の違いは、100%ポジティブの独りよがりでなく、25%リスク管理が出来るポジティブ・シンキングだということになるかもしれない。

これはネガティブ人間には朗報だ。我々ネガティブ人間はどうやっても100%独りよがりな勘違いエセポジティブクソ野郎に死んでもなれない分だけ、正しいポジティブ・シンキングが可能だからだ。ポジティブな面を少しずつほぐしていけばいい。どの中村伸一もそんなポジティブを見せてくれる(だからといって世の中村伸一がすべてそうだと言っているわけではない)。

●おわりに

トークライブの内容を織り交ぜつつ、自分勝手に書いてきてしまった。だってオレのブログだろ(笑)。あ、やばい、悪いポジティブ野郎が顔をちょっと出しちゃった。

トークライブの内容をもっと膨らませた内容を知るには各々の著書を読んでください(笑)。所長はまだ著書がないとおっしゃっていましたが、iTunesやポッドキャストでビジネスバランスについて情報発信されてます。

ボクも秋葉原の書店で中村院長の新刊を買わせていただきましたよ。ライブ前に買っとけばサインもらえたのにと思いつつ。でも偶然、著書の編集の方がボクのお隣に座られたので院長をご紹介していただけて、ほんとにうれしかったです。ちょっとポジティブになれました(wink)。

実はボクの祖母は前回のトークライブの5ヶ月前に病院で他界しました。亡くなった日は建国記念日でしたが、実家に戻るその日ボクは翌日からの段取りをして帰らなきゃと早朝東京にいて仕事してから山口県に戻り、すでに柩に入った祖母と葬儀場で対面しました。91歳だったので大往生でしたが自宅でというわけには行かず、もし自宅だったとしても見取ることまでは出来なかったと思います。そのことがずっと気になっていたので、その後のトークライブや著書でのお話しをある意味「夢」のように感じます。

中村所長はボクと同郷で妹とも面識があったなんてほんとに驚きましたが、今年またお互いの仕事先で出会ってたという山口県の狭さが、いやシンクロニシティの高さにまたビックリしました。山口県もいいとこいっぱいあるし、山口の宣伝マンとしてこれからも山口県をお願いします(?)。若気の至りで保守的な土壌に嫌気がさしたりした頃もありましたが、故郷があることの幸せをいま感じています。ネガティブだから顔には出せませんが...。

中村隊長のお話はいつ聞いても面白いしグッと心をわしづかみです。元ヤンキーだけに「絆」も板についてて(?)。隊長の旅の経験もまだまだ増えていくいっぽうなわけだから、これからも面白い話が次々に生まれてくることでしょう。12時間トークって吉田拓郎を超えますね(笑)。年齢的にも存在的にも中村伸一ファミリーの兄貴分としてこれからも毎日誰かを喜ばしていかれることでしょう。限界オヤジに限界なし!

それと今日の会場でボクと話してくれた編集者のIさんと後ろの席だった19歳のT君。話しかけるなバリヤーのなかで生活しているネガティブなボクなのですが(sad)、こんな機会に話ができてよかったと思ってます。どうもありがとう。

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姓名判断で気分悪っ!

今日は中村伸一×3人のトークライブに行ってきます。前回の記事はこちら。まさかの第二弾があるとは!

同姓同名ってだけで集まってトークライブを敢行してしまう熱いオッサンたち。

ネット社会になって同姓同名を探しやすくなったのは確かですね。

ボクも出発前に自分の名前を検索してみようとしたんですが、上位のほうに姓名判断のサイトが表示されてしまいました。

見なきゃいいのに、魔が差してみてしまった!

その結果が悲しい...。

地格:理解力に長け周囲の協力もあり名声を得ます。

人格:何事にも積極的で最後までやり通す力があります。

外格:努力家で誠実な性格から周囲からの信頼も厚くなります。

総格:意志が弱く努力もしないため何をしても上手くいきません。

なんじゃこらっ!ケンカうっとんのかボケっ!

各論で持ち上げといて、総論全否定やんけ!


でも、でも、でも、その通り!

強い意志なんてない。努力なんてしない。上手くいこうと思ってない。

3拍子そろえて日々生きてますよ。

でもさぁ、

もうね、強い意志で努力して上手くいくなんて性格じゃ生きていけないよ。

何かを成し遂げようという努力なんてムダよ。

上手くいくなんて思っちゃいけませんよ。

謙虚に生かしていただいてるという気持ちが大事。

原発がぶっ飛んでも、預貯金の利息がつかなくても、生きてりゃいいじゃん。

生きる意味なんて考えるだけムダなんだよ。

生きてるんだから。

死ぬのがめんどくさいから生きてるだけさ。

最近自殺する人たちってきっと生きる意味とか考えてたんだろうなと思ってさ。

生きる意味なんて考えなきゃ楽に生きられただろうにって切なくなっちゃうね。

生きる意味を喪失したときに死んじゃうんだから。

こうやって開き直るところなんか、何事も努力しない源泉だって思うよ。

わかってやってんだよ。

逆に「意志が強くて努力するために何をやっても上手くいきます」なんて姓名判断は気持ち悪い!

そんなの喜ぶのは勝間和代くらいだよ(それとアホなカツマーども)。

降りていく生き方に魅力を感じるオレなんだから、これでいいのだ。

やばい!出かけなきゃ時間がない。ラーメン食べる時間が!空腹のまま17時まではつらいぞ!ここはひとつ強力な意志で出かけていって是が非でもラーメンを食べてやる!食べるのに成功してやる!そのくらいは上手くやってやるーーー!

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2011.10.30

完全マスターハングルシリーズに惚れた!の巻

ゴガクルでハングル日記を書き続けて一年になります。去年の10月2日が最初の日記でした。たった1行のハングルの(それもちょっと文法的に疑問な)日記でした。通信講座で初級を半年ちょっと学んだ頃でした。

外国語作文には辞書は欠かせません。知らない単語は辞書がなきゃ話しにならないので。また最低限の初級文法も必要なので、初級教科書を一通り終えたくらいからはじめたのはちょうど良かったように思います。

文法をまったく知らない段階に学び始めた高揚感だけで日記を書き始めると、毎日書くプレッシャーのほうが強くて続きませんね(笑)。経験済みです(sad

これまで参考書はあまり使ってきませんでした。理由は初級すぎるために教科書そのものが参考書だったこと。とてもいい教科書だったのでそれで事足りてたんです。

でも初級Ⅰ、Ⅱの2冊をやり終えて、さぁその次と考えたとき、なにか指針になる参考書が欲しくなりました。2冊の教科書を最後までやり遂げた達成感もあり、やはり何かコレッという参考書を決めて全部やってみたいと思ったわけです。

同じ教科書の中級に進むことを最優先に考えたのですが、実際このレベルになるとロールプレイ中心の記述になり独学でやるにはちょっとムリがある教科書のように思えました。私のスタンスとしては読み書き重視なので。

初級で基本中の基本文法を理解したその次は何が必要だろう?と考えると、基本文法では出てこなかった文法を読みたいというのがひとつ。また日記を書くにあたって表現の幅を広げられる言い回しを増やすことがひとつ。

読み書き中心の独学だから、ある意味自然な流れでこのふたつを満たす参考書を探すようになりました。いろいろ買いましたけど、ゴガクルで作文をしているときに一番よく使っている参考書が「完全マスターハングル文法」です。

●三位一体!完全マスターハングルシリーズ

文法」今年の5月に買ったときに一回紹介してます。その後、ずっと重宝してます。特に作文するときに、使いたい語句へのアクセススピードがとても速いです。見出しのハングルとその日本語訳と両方の索引があるので、日本語の索引で探せます。

さらにその文法事項が初級レベルの使い方と中・上級レベルの使い方で分けて説明されていたり、似た表現が集められていたり、編集に一貫した論理があるんです。それを著者のイム・ジョンデさんは「モウム(모음)」というキーワードで説明されています。これでストレスが少なく使うことが出来ます。

この文法書の姉妹編ともいえるのが同じ完全マスターハングルシリーズの「会話」と「単語」です。どれもイム・ジョンデさんの「モウム(모음)」によって編集されているので「文法」を入り口にした私にはとっても合ってるように思います。

会話」は日本語の言い回しを見出し語として、そのハングル表現を説明されています。例文がとても活き活きしていて面白いです。「彼、行くって」「行こうが行くまいが俺は知らないよ」みたいな感じだったり。また、意味の解説が初級と中・上級とに分けられていて、例文もそのレベルに合った語彙で丁寧に作られてるように思います。こちらも作文をするときにあると便利だと思います。

私がもっとも苦手な単語帳ですが、完全マスターの「単語」は毎日数ページずつ読んでます。読書に耐えられる単語レファレンスと言ってもいいかも。こちらも初級と中・上級とで意味を分別してくれて、重要単語の要所要所にきめ細かい解説が載せてあります。コーパス的な考え方で選ばれた5000語の見出しと例文まで含めて1万語レベルの習得をめざす内容になっているそうです。

●100日間、毎日4ページ×3冊読むのは苦か?

どれもざっくりと1冊400ページ前後ありますが、毎日4ページ×3冊読むと約100日で一回読み終わりますよね。毎日日記を書き続ける苦労と比較してどうでしょうか。ゴガクルの日記を1日も落とさず1年と数日毎日書いている私ですが、毎日12ページの参考書を100日、つまり三ヶ月ちょっと読むことはそれほどでもないように思えます。

2回目はもっとスピードが上がるでしょう。知ってるとこは飛ばして読めばいいわけですから。3冊を朝昼晩に分けて読んでもいいですよね。ティータイムに読んでもいいし、それこそトイレで読んでもいい...。しかもこの3冊なら何ひとつ無駄がない読書体験になると思います。

ちょっとした空き時間の読書だから、どんな参考書でもいいんでしょうけど、私はイム・ジョンデさんのファンになりました。他と違う教本を作ろうという意欲が誌面に表れてると思ったからです。

●私の嫌いな勝間和代の各論に賛成!

勝間和代さんが複利計算をしていて思いついたという1日0.2%の努力という有名な説法があります。NHKの番組でも同じことを話されていたので、ご本人もお気に入りなんだと思います。毎日0.2%ずつ努力やチャレンジを続ければ、1年後にはその改善が2倍になるとか。その経験が次のチャレンジにつながるというのです。

私は一時期に大量のビジネス本を出して俄かに有名になる著者を信用しないので、この方の総論にはあまり与しないのですが、このわかりやすさは素直に受け取りました。知識が複利で増えていくかどうかなんて量れないんですけど、日々の努力は大切です。それも難しく考えないで出来る努力が継続の基本だとも思いますね。

●まさかのDHCが版元だった

出版社はDHCです。コンビニで売ってる化粧品の会社です。最初は同じ会社名の別会社かと思いました。化粧品の会社がどうしてこんな参考書を作れたのかが不思議だったのです。

でも沿革を見ると創業者の吉田嘉明CEOは、委託翻訳業務から会社をスタートされていました(1972年)。会社名の由来は大学翻訳センター(Daigaku Honyaku Center)の略称らしいのです。化粧品事業は創業後8年目(1980年)に開始したようです。そのさらに12年後(1992年)に出版・教育事業を開始されていました。

この流れを見ると高度経済成長の時代から一貫して女性をターゲットにした商品展開をされているように思えます。誰もが外面も内面も磨く時代に寄り添って成長したのがDHCだったというわけですね。そういう目のつけどころの違う出版社だから出せた参考書のようにも思えます。内容が良くなきゃ女性は使いませんからね。

私は毎日ダイエットサプリメントを飲んだりはしませんが、毎日完全マスターハングルシリーズを読んでます(笑)。

●ゴガクル日記1年を振り返って

10月末(明日)まで続けると丸1年1日も休まずに日記を書いたことになります。間違うことの恥ずかしさとか、間違いを指摘されたときのうれしさと悔しさのない交ぜ感とか、回答にちょっと質問しただけで逆ギレされたりとか、回答の意味がさっぱりわからないけど聞きかえせない感じとか、いろんな経験をするのも公開日記の現実です。

特に文章だけのコミュニケーションは限界がありますね。たぶん語学をやりながらのネットコニュニケーションは超初心者どうしか、かなり熟練した人どうしとか、同じ学習レベルで進み方もテキストも同じ人どうしなど、一定の条件がそろわないとなかなか学習者どうしでのコミュニケーションで上達はしないように思います。

それか完全に割り切って語学の話はあまりしないというのがいいのかも知れません。よくある語学学校のサロン的雰囲気のアレです。それはそれで息抜きになります。同好の士感覚で楽しめればとてもいいことですね。

でも時間がないなかで同好の士とのコミュニケーションに時間を取られすぎると語学に割ける時間を減らすことになり本末転倒です。上達してしまえばそれもまた楽しめる余裕が出てくるのでしょうけど。またいろんな質問に応えてくれる相手のスキルもわからないし、やはり体系的なバックボーンがないのは不安です。

私にとってゴガクルでの日記はとにかく毎日間違ってもいいからハングルを書くというその一点だけです。語彙を知るために辞書を引き、参考書を開くきっかけのひとつです。もちろんそこで知り合った全国の学習者の方との交流も大切ですが、それは語学という範疇とはすでに別のものとなっています。

時間のないなかで他の方の日記にコメントすることもほとんどなくなり、コメントされることも少なくなりました。日記には通常15分程度をあてることにしてます。そのなかでのやり繰りだと、どうしても作文だけになってしまいます。それでもコメントしてくださる最初期からの数人の皆さんのコメントではドラマやイラ韓の話題で息抜きさせてもらってます(wink)。でも皆勤おめでとうとかはもういらない感じ...。それが当然なボクだから(<おっとオレ様発言!?shock

そういいつつwataruとKeona Keahiの2つの日記を書いてますけれど、日本語タイピングはまったく苦にならないので、日本語だけの日記は1000文字書いたって15分の範囲内です。ハングルで書いた後、日本語でスラスラ書くと開放された気分になるのでこれも気分転換ですね。

今後のゴガクルには、システム的な機能追加(日記の装飾文字対応や日記以外のフレーズ・語彙のオリジナルノート作成など)とか有料でもいいから添削機能などを求めたいですが、人件費が発生すると難しいでしょうね。

●googleカスタマイズ検索でゴガクル日記点検

最近、Googleのカスタマイズ検索で自分の日記の全文検索が出来るようにしました。このブログの左サイドバーにそれを設置して、間違った表現を入れて検索すれば自分の間違った過去の日記が検索されます(笑)。

参考書を読んでいてすっかり間違えて覚えていた文法事項(例えば았을/었을 때 を ㄴ/은 때 と書いているなど)を点検したりしてます。あまりに恥ずかしいものは書きなおしたりして。

3冊の参考書を読み終えたとき、どんな感想を持っているかわからないですけれど、年末までちょっとやってみたいと思ってます。同時進行で「キムヨナのように」も読み終えたいと思って毎日時間の許す限り少しずつ読んでいます。

中級というのはものすごく広い範囲を指します。この上は上級、つまりほぼ生活に困らないレベルしかないわけです。だから自分のことを中級とは思ってません。初級がまだまだ数年続くという感覚です。

特に読み書きに偏っていて、聞き取りはメディア中心で、会話は最後の最後という学習方法を選んでいるわけで、コミュニケーションそのものがすでに欠落してるってことですね(笑)。だけどこれは趣味でやってることなので学校英語とはまったく意識が違ってモチベーションは落ちてません。それがとても気持ちいいですね。「好きこそものの上手なれ」って言いますが、まさにそれですね。

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2011.10.23

「俺たち 今会おう」feat.チャン・ギハと顔たち!

一昨日は待ちに待った「チャン・ギハと顔たち」のライブだった。全然ライブと関係ない情報だけども、T-araのウンジョンもT-araデビュー前からチャン・ギハと顔たちの大ファンだというのがなんだかうれしい(笑)。T-araペンにも知って欲しいと思ってさ。

対バンはキセルと怒髪天。各1時間で3時間立ちっ放しで疲れた!3つともまったくベクトルの異なるバンドだったな。一緒に行った친구 부부(S夫妻)は怒髪天の大ファンだった。

この日はなんとそのS夫妻の結婚記念日だった。それも10周年だ。ライブが終わって焼肉食ってるときに思い出した。ということは10年前のこの日、私もハワイにいたわけだ(笑)。昔のホームページにそのときのことも書いてた。もう10年前なんだなぁ。今年は10年ぶりに石巻にも行ったしそういうめぐり合わせの年なのかもなぁ。

そんな記念日だったことを忘れてライブに誘ったオレもオレだったが、夫婦で来てくれたことがうれしかった。なにも出来なかったので、当時の写真と昨日のライブの思い出をオーバーラップさせた写真を作ってみました(笑)。また行きたいなぁワイハー。

勝手に祝結婚10周年ライブとする!

さてライブです。1つめはキセル。明らかに客層とアンマッチングなおとなしめのバンドでしたが会場は結構あったかい反応でしたね。個人的には好きなタイプです。10年前くらいにこういう音楽ばっかり聴いてたから。喫茶ロックっつーか。ノコギリバイオリンの音色もテルミンっぽい。オレがテルミンに凝ってたのもまさに10年前でした。怒髪天とは客層がまったく違うけど(笑)、なんだかホッとする音楽でしたね。

そして怒髪天。喫茶ロックから演歌ロックへ(笑)。180度転換です。ステージ前のかぶりつきも怒髪天Tシャツが増えてきました。

この日のライブ、オレの整理券は1番でした。こんな早い番号だったことがなかったので入場でもたつき、間違えて取材関係者列に並んだりしてたので100人目くらいの入場でした。それでかぶりつきはあきらめ、4minuteのときのように手すりのあるど真ん中に陣取りました。チケットも記念にアップしとこうかな。

俺たち 今会おう2011年10月21日liveチケット

私は怒髪天の音楽をちゃんと聴いたことがなかったのでYoutubeで予習していきました。

>http://www.youtube.com/watch?v=E13CXrl-bX4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=O48L2u_jMMI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=TZifn9K7cmw

まさにお約束オンパレードの時間でした(笑)。お約束とは曲の一部にあわせて会場がひとつになれるようなパフォーマンスのこと。K-POPではポイントダンスなどがお約束といえるかもしれません。

でもただのイロモノだと思ったらバチが当たります(笑)。演奏は上手いしぶっとい音圧でとにかく熱い。そして底抜けに明るい。MCも面白すぎる。こんなステージを見せられたらそりゃファンは大満足して帰るだろうと思いました。

チャン・ギハと顔たちと怒髪天とのつながりは、怒髪天のラジオ番組だったそうです。世界のオリジナリティあふれる音楽を紹介するなかでチャン・ギハを紹介した縁で今回の対バンが実現したとか。

チャン・ギハと顔たちをナマで見るのは2度目でした。昨年のライブハウスではヒカシューとのコラボだったりして面白かったんです。またライブ終了後は握手してサインも貰えました。しかし今回はハコも大きくなり観客も増えていわば外タレでした...。

怒髪天で温まりまくった観客席でしたが、チャン・ギハと顔たちのライブも言葉の壁を超えて盛り上がりました。日本盤CDの2枚目が発売されたばかりで、キーボード正式加入によって曲の幅が広がったように思います。チャン・ギハと顔たちの曲もいくつかピックアップしてみます。

http://www.youtube.com/watch?v=ixfXGcuINx4
http://www.youtube.com/watch?v=3vaB3xoPTA4&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=dvwwGisCBOM
http://www.youtube.com/watch?v=18wRCK48r3M

今回のステージでは、リードギターとベースの立ち位置が逆になったり、着ている服が小奇麗になったり(笑)、メガネをやめたりと小さな変化もありました。

チャン・ギハと顔たちの音楽は、喫茶ロック、演歌ロックの流れから言えばフォークロックという言い方も出来るけど、トーキングブルースのような歌があるかと思えば、パンキッシュなのもあって、そのどれもが一度聞いただけで「チャン・ギハと顔たち」の音楽になってる。そんなとこが好きになると病み付きになる原因かもしれないですね。

スローテンポな曲では韓国歌謡を連想させるマイナーでメロウなメロディラインがいい。ハイテンポな曲ではK-POPとも違った中毒性のあるリフレインと、韓国語の持つ歯切れの良さがうまくリズムに乗っていて、溜めやブレイクが心地いい。

もちろんお約束になりそうなとこもたくさんありますよ。まだ日本のファンが慣れていないので怒髪天ばりのお約束とまでは行かないけど、そこはチャン・ギハのパフォーマンスで上手く盛り上げていました。1stアルバムの2曲目の曲アムゴットオプチャーノー(아무것도 없잖어)のキメのところはみんなで叫びたい!

怒髪天もチャン・ギハと顔たちもライブパフォーマンスが持ち味ってところが共通項かもしれませんね。

ライブが終わった会場で発売されたばかりの日本盤CDを買いましたが、一緒に行ったS夫妻がチャンギハと顔たちを気に入ってくれたので、そのCDをその場でプレゼントしました。オレは韓国版を持ってるから。日本語の歌詞カードは欲しいけど、そこはコピーしてもらえばいいし(っつーか自分で訳せって話しもある)。

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