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2016.11.30

今日は川瀬巴水デーだった。

今年の夏に箱根で川瀬巴水の新版画「あけび橋の月」に偶然出会ってから、川瀬巴水の新版画に大変興味を持ってます。

その後、渡邊木版美術畫舗さんで「雪の向島」(後摺)を購入したので展示会等のDMが届くようになり、松坂屋上野店での展示即売会を知りました。このDMも絵はがきになってていいんだよね。今回は「木場の夕暮」という大正9年(1920年)の作品で、初刷は時価135万円くらいの作品です。

松坂屋上野店の展示即売会は今日が初日ということで、午前中から出かけました。故スティーブ・ジョブスもコレクターだったという川瀬巴水作品は近年とても人気があるようなので、もし購入するなら初日午前中から行かなければという思いはもちろんありました。

到着すると、さすがに初日の午前中だけに購入しようというお客さんらしき人々がチラホラ。版画と価格を見ながら携帯電話で確認してるおじさんや係員にいろいろ聞いてるご婦人。すでに売約済みの印のついた作品も数点ありました。結構高額のものから売れてる印象です。

近年摺られた後刷(初摺と同じ版木で後年新たに摺った版画作品)と比べると、初刷は安くても10倍くらいの価格なので、購入するかどうかは結構迷いました。今年の夏訪問した阿伏兎観音も購入可能な金額でまだ売約されていませんでした。

しかし結局購入しませんでした。版画は和紙なので保管が難しく、川瀬巴水の初摺の名品を私が状態を維持しながら飾れるだろうかと考えると、ちょっと怖気づきました(coldsweats01)。然るべき人に保管していただき、たまに展示会で鑑賞できればいいじゃないか、もう物欲は捨てよう…と思った次第。

でもやはり初摺の良さがわかる作品もいくつかありました。売約済でしたが、「木場の雪」(648,000円)の雪の版画らしい描写はとても良かったです。またこれも売約済みだった「東海道風景選集 品川」(410,400円)。これは画集で見た時からいい構図だなと思っていた作品だったので今回初摺が拝めて良かったです。

展示会ではDVD「版画に生きる川瀬巴水」を売っていたのでそれを買いました。川瀬巴水の旅と作品制作過程を渡邊木版美術畫舗が映像化されていたのです。私はこういう職人技を見るのが大好きなので、貴重な映像に大満足しました。絵師・川瀬巴水、彫師・前田謙太郎、摺師・斧銀太郎、その仕事を映像で残されているのは本当に素晴らしい!1956年の作品なので60年前のカラーフィルム映像ですよsign03

●大田区立郷土博物館にはしご

Kawase_hasui_ohtaku90松坂屋上野店の展示即売会を思いのほか早く見終わったので、その足で大田区に向かいました。ちょうど大田区立郷土博物館で川瀬巴水展をやっていたので。これも前から知ってはいたのですが、結構遠いので迷っていました。川瀬巴水の大田区居住90年記念という、このなんでも記念にしてしまう感覚、好きだなぁ(happy02)。

でも12月25日で企画展は終わりだし、今日行かなかったらもう行かないかもしれないと思い、今日を川瀬巴水デーにしよう、そしてブログに書こうと思い向かいました。ブログがあるから踏み出せたパターンです。これまでもちょいちょいありますね。出不精の私が行動のモチベーションにブログを使う。実に健康的じゃないか(wink)。

これが大正解だったなぁ。めちゃめちゃいい企画展!作品の量も質も申し分なし。版画だけでなく、肉筆画あり、旅のスケッチあり。試摺と本摺との比較もあれば、ワタナベ印の解説もあり、実に初心者に優しい展示です。しかも入場料500円!安い!さすが行政!ほんとに行かないと損ですわ。千円札が不足してるらしいので500円玉を持参して向かってください(笑)。

インテリアから考える、新しいフレーム・フレーミング・額縁・額装専門店。また入口で川瀬巴水作品のポスターをくださいました。4枚入り!太っ腹!さすが行政!なくなり次第終了かもしれないけど。

ただ、このポスターはサイズが412×420という変則サイズだったので額装するのはちょっと難しいです。55角の正方形の額に特注サイズ(たとえばフレーミングshop Marco Blancoさんで特注1100サイズ)のマットで調整するとかすれば映えるかも。もちろん、図柄によってサイズはまちまちだと思うのでそこは自己責任でお願いしますshine

また、大田区立郷土博物館発行の図録『川瀬巴水』(2,000円)が、これまた素晴らしすぎる!

私と巴水との最初の遭遇作品「あけび橋の月」も写生帖含め複数載ってるし、購入した「雪の向島」(図録では雪乃向嶋)のスケッチも掲載されていた。他の図録では見たことがない。レゾネは知らないけども。

一般販売されてる図録と異なり、豊富なスケッチや落款(雅号印)、巴水が明治時代に書いたはがき絵まで収録されていて、作品群のカテゴリ分けも独自な感じで、これが2,000円なんてウソでしょってくらいの質とボリューム!行政の力はすごいわ。

この図録に絵はがき8枚セットを2種類購入して帰りました。本当に充実していて、すばらしい企画展でございました。

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2016.11.19

二年ぶりに大掃除を計画(笑)

というわけで、2014年1112月のひとくちメモを読み直してみた。一大決心をして(coldsweats01)、大片づけを始めたのが2年前の11月だった。ひとくちメモ的2014年の漢字は「捨」だった。

画鋲を踏んだ日」に「あれもゴミ~ミナ・ゴミ」という替え歌の名作(迷作)も2曲生まれた。

あれから2年経ち、まぁそれなりにいろんなことがあったわけだが、また大片づけ、そして大掃除をしようかなという気分になっているところ。

2年前にかなり処分出来ているのは大きい。若いころに比べると圧倒的にインプットは少なくなっている。インプットとは様々なメディア商品、パッケージ商品のことだ。音楽業界や出版業界が不況なのも分かる。このオレがCDをほとんど買っていないわけだ。

年間で考えればCDよりもブルーレイのほうを多く買っているだろう。それでもかなり少ないと思う。2年前に片づけてから、それほどモノが増えていないのだ。片づけたCDやDVDなどを視聴したいときもたまにある。しかしそのほとんどは片付いたまま取り出すことはない。

それはモノがあふれていた2年前までもわかってはいた。所有しておきたいとは単純にそれだけのことなのだ。二度と取り出すことはない。それを片づけるスペースがあり置いておくか捨ててしまうかの違いだけだ。

しかし99%の死蔵と1%の再視聴との狭間で、その1%がいったいどの作品になるのか、未来の自分が予測できないから全部保管したくなっていたのだ。

だがそれは未来のほうが長いだろうと予測していた年頃の発想だ。クオリティ・オブ・ライフという意味で人生の折り返し期間を過ぎたとすれば、ここからは見極めが必要なのだと思う。

定期購読雑誌も3点あり、どれも10年以上購読してきた。ぜんぶ保管するつもりでいたが、これも2年前に過去の雑誌を捨てた。これで途切れたため、その後はあまり躊躇することなく廃棄できる。今後は毎月届く雑誌をどのくらい保管しておくかの見極めが必要だ。

逆に廃棄できない雑誌は、たとえばすでに休刊となってしまった過去のコンピュータ雑誌『PC WAVE』だ。完結してしまってるだけに捨てられない。皮肉なもんだな。全巻そろってないのに捨てられないのは『噂の真相』とか。

他にガラクタで捨てられなかったものとしては、シールドケーブルとかPCの周辺機器。二度と使えないけど燃えないゴミにできるかどうか微妙なパーツ類。(合わなくて)使ってないしもう使わないシャンプーとか液体類。ただ捨てる作業が面倒で置いてあるわけで、今回はこれらは一気に廃棄したい。

それとウチのなか全体を片づけるのはひとまず考えず、ほぼ一部屋集中主義で取り組み始めたい。その部屋だけ徹底的に片付ける。スローガンは「ルームシェアしても大丈夫なくらい片付いた部屋」だ(happy01)。

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2016.11.09

写実絵画の殿堂ホキ美術館へ行ってきた!

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いや、遠かった(笑)。だけど気分は最高!そんな一日だった。千葉県の土気駅まで電車を乗り継ぎ約2時間、そこから徒歩23分(バスも出てるけど)。朝から出かけたが着いたのは11時過ぎだった。目的地はホキ美術館。2010年11月3日に開館した新しい美術館だ。

今日は米国大統領選の投開票日。朝から木枯らしが吹く寒い日でダウンジャケットを着こんで出かけた。土気駅に降り立ってから、RCサクセションの2時間35分を口ずさみながら歩いた。途中の薬局で目薬を購入。写実絵画をじっくり見ると目が疲れるだろうから。

美術館までの歩きも快適だった。一軒家が多いのだけど色彩に統一感があり街並みがとても美しい。ちょっとポワシーからサヴォワ邸に向かう街路に似てた(褒め過ぎか happy01)。気分も高揚してたからな。

ホキ美術館はそんな住宅地の一角に刺し込まれたひとつのオブジェのように佇んでいた。遠くから見ると自然と住宅地に溶け込んでいるのだが、正面までたどり着くと現代建築の風貌(上記写真)で出迎えてくれる。思わず美術館のまわりを一周した。この建築も話題だというのは一目でわかる。

●現代日本の写実絵画を浴びるように鑑賞する

ホキ美術館を知ったのは、先日初めて購入した『Artcollectors No.92』(2016年11月号)の写実絵画特集だった。そこに紹介されている写実画の素晴しさ。そしてこれらがホキ美術館を始点にジワジワ人気だという。

それでホームページを見ると、ちょうど「心をゆさぶる写実絵画」という企画展が組まれていて、その会期が今週末(11/13)までだったのだ。その後は大阪の阪急うめだで「ホキ美術館名品展」が開催されるため数日休館となる。これはもう行くしかない!と思い立ってからは我ながら素早い行動だった。

チケットを購入して入口まで行くと、創設者の保木将夫社長が座られていた。実は建物の前に着いた瞬間、ガラス越しに「保木社長がいらっしゃる!」と気づいた(上の写真のガラスの向こうにも写ってたりしますが)。話しかけようかとも思ったけど、初回だし、まずはコレクションを見てからにしようと遠慮してしまった。

美術館の展示室に入ると、ほとんどすべての絵画が油彩の写実画で圧倒される。現代アートでない現代の画家による写実画という、これまでの常識では考えられないジャンルだ。そこに特化したことによる美術館の個性という意味でも、これほどのコレクションはなかなかないのではないか。

これだけの量と質の写実絵画の原画を見ると、印刷物では決してわからない“絵”を発見できる。写実画は印刷されると写真と見まごうばかりで、ミーハー感覚でぶっちゃけるなら「それなら写真でいいじゃん!」となるかもしれない。だが、例えば五味文彦氏の「樹影が刻まれる時」などは印刷媒体で見るのと原画を見るのとではまったく違う感想を持つ。

原画をこうして目の当たりにすると、これらは紛うことなき絵画なのであった。そして写真とは異なる世界観の実現や一瞬のきらめき、あるいは実際には存在しない風景、人物、瞬間を創造し得る手法なのだと実感する。裸体も写真よりエロティックかもしれない。写真なら数分で撮り終えられる複数のポーズが数か月から数年に渡って描かれる。その時間が筆跡のなかに透けて見える。

●故・森本草介画伯の裸婦の変遷

昨年亡くなった森本草介氏の絵画はひとつの見どころだった。ホキ美術館の最初のコレクションも森本草介氏の「横になるポーズ」という作品だったそうだ。

今回の展示でギャラリー2には森本草介作品29点が一堂に会していた。森本氏の淡い色彩こそがホキ・コレクションの重層低音のようなものかもしれないと感じた。土気駅からホキ美術館までの街並みもまるで森本草介氏の作品のような色合いだったなと思いながら、この画伯とホキ美術館との結びつきを感じたりした。

描かれた時期は異なっても、すべてが森本草介カラーとでも呼びたくなる色彩で統一されているように見え、ギャラリー2の入り口に立っただけで満たされた気分になる。写実絵画のなかに光る上品な個性はこの美術館のコンセプトに深く影響を与えているようにも思う。

そんな森本作品だが、見ているうちに同じような裸婦でも、例えば1996年の「女 FORME」と2012年の「NUDE」とではタッチが異なる。年を経るにつれソフトフォーカス感が強くなっているように思えた。髪や顔、肩のラインなど徐々にふわっとベールがかかったように変化してる。その代り色彩は「女 FORME」のほうが淡く、「NUDE」はリアルな肉体に近づく。その間の1998年「白い帽子」にも同じ感想を持ち、そこから裸婦の描かれた年度を再度確かめながら鑑賞した。

印象派のモネの絵も晩年は過度なソフトフォーカス(というか抽象的)になっていったのを思い出した。しかしモネの場合は白内障の影響があったはず。森本氏の場合は裸婦へのまなざしの変化じゃないかと思う。乳首が描かれるようになるのも新しい作品のほうが多い気がした。年を経るにつれ裸婦全体はよりソフトに、しかし細部は肉感的に、そんな意識の流れを感じた。

ホキ美術館のサイトに寄せられた森本草介氏の言葉のなかに、ご自身の人物画への向き合い方がこう書かれている。

モデルは神秘のベールの向こう側にいて、彼女についての具体的なことは何ひとつわからないというのが理想です。

背中からの構図が多いのもこういう意志に基づいているということだと思う。そしてソフトフォーカスが増していくのもきっと神秘のベール(への作者の意志)が増していることの表れなのだろう。その分、裸婦の写実に求められるいくつかのプロパティを肉感的に描きバランスが取れた作品に仕上がっているのかもしれないと思った。

●係員さんのミュージアムトークがお得

日によっては、係員さんの解説付きで30分ほどいくつかの作品を鑑賞できるミュージアムトークという企画がある(無料)。今回11時半頃から鑑賞し始めて、かなり先まで進んだところで「13時からミュージアムトークを実施いたします」との館内放送が流れた。これを逃す手はないとフロントまで戻り参加した。

既に一度見た作品だったが、ミュージアムトークと一緒に鑑賞すると裏話が聞けたりして、とても面白いのでおススメ!藤原秀一氏の「萩と猫」の猫の名前とか(wink)。ちなみに猫はクッキーちゃん。猫の写実画は珍しいそうだ。

そんなお話もあれば、生島浩氏の人気作品「5:55」の有名な逸話(帰りたがっているモデルの話)、五味文彦氏の木霊シリーズの裏話や静物画でもっとも描くのが難しい食材話、石黒賢一郎氏の驚異的な背景へのこだわり話、小尾修氏の画風の変化話、島村信之氏の「コントラポストI」の作画時間の短さとその理由(衣がないと速い)、原雅幸氏の風景画の秘密、塩谷亮氏の美女は奥さん(奥さんをモデルにする画家は多い)などなど、とても楽しいお話が聞けた。

いつミュージアムトークがあるのかは、ホキ美術館ホームページのお知らせに掲載されているので確認して行くといいと思う。

あっという間の3時間だった。充実した時間だった。帰りがけ、受付のところで保木将夫社長と係員さんたちが談笑されていた。話題は米国大統領選(笑)。15時を回っていたが、この時点ではまだトランプかヒラリーか結果は出ていないといったお話が聞こえて来た。

ショップで気に行った作品のポストカードを20枚購入。20枚買うなら図録を買ったほうが安いわけだが、いろいろな美術館訪問の記念にポストカードを買ってファイリングしているのでポストカードはマストアイテムなのだ。好きな絵画やエポックとなった絵画を並べて持っておくと記憶が鮮明によみがえる(はず)。

ちなみに今回展示されていたなかで好きな作品を感想も込めて5つあげるとすると、

・山本大貴「静寂の声」:ギターを持った美少女大好き!
・大畑稔浩「瀬戸内海風景 川尻港」:川瀬巴水と故郷を想起。
・石黒賢一郎「存在の在処」:超有名な超絶作品!圧巻。
・島村信之「日差し」:美人の奥さんと衣服と光の描写力。
・生島浩「Card」:モデルさん超かわいい(笑)。

かな。明日には違う作品を選ぶかもしれないけれど。全部ポストカード購入。その後、美術館を後にして土気駅まで歩いた。そしてまた2時間ほど電車に乗り帰宅した。そのころにはほぼトランプ勝利が固まりつつあったが、メディアは信じたくないような報道ばかりだった。

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11月18日から2017年5月15日まで第2回ホキ美術館大賞展が開催されるという。これも電車を乗り継ぎ必ず鑑賞に行こうと思っている。作品の人気投票は2月末までで、人気の3点が常設になるようだ。ということは、それ以外は常設にならない。大賞展で見ておく必要がありそうだ。

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2016.10.22

スタートレックBEYONDを見て初海外旅行を懐かしむ

映画の内容についてはほぼ触れませんのであしからず。

10月21日(金)、映画「スタートレックBEYOND」が封切られた。トレッキーの末席に座す私としてはやはり見ておこうと思い、封切日の最終上映で鑑賞した。せっかくならとIMAX 3Dシアターで鑑賞した。

これが初めてのIMAX3Dだったので、3Dメガネはどうすればいいのかとか、メガネの上から3Dメガネをかけるのかとか、不安もいっぱい(coldsweats01)。行く前に数人に3Dメガネ情報を聞いたりしたがよくわからず、予約しておいたユナイテッド・シネマ浦和に向かった。窓口で質問したらメガネの上からも掛けられるIMAX3D専用メガネを入口で貸し出しすと教えてもらい、何の不安もなく入場できた。

3D映画をなんとなく敬遠していたのは確かだ。ギミック(雑情報と言ってもいい)に引きずられて気が散るのではないかとか、目が疲れてしまうんじゃないかとか、そもそもハリウッド大作なんてお子様映画なんじゃないかとか、そういう不安もいっぱい(bearing)。

そんな不安を払拭するにはスタートレックがうってつけだと思った。それは私がトレッキーだからに他ならない。作品への信頼があるから、3Dなんかに引きずられることなく物語に入っていけるはずと思ったわけだ。

しかし、もうIMAX 3Dのカウントダウン画像の時点で完全にIMAX 3Dに惹き込まれてたな(happy02)。3D映画はいいね!奥行き感がたまらなくいい。もちろん、わざわざ3Dのために撮ったようなアングルもたくさん盛られているわけだけど、映画の後半にはそういうギミックはまったく気にならなくなっていて、3Dそのものがごく自然に"映画"していた。

字幕の文字が浮き上がって見えるのが読みやすくていいといえばいいが、やはりネイティブのほうが映画への没入感は高いだろうな。

●スタートレックとIMAXとパリの思い出

前作の映画「スター・トレック イントゥ・ダークネス」は2013年秋のパリ旅行のとき、飛行機のなかで見ることが出来た。日本公開はその年の夏だったから「こんな新作を飛行機でやるんだ。時代は変わったなぁ」と思ったものだった。そしてトレッキーのくせに映画館で見ていなかった私は嬉々として見たのだった。

IMAX 3Dも今回初めて見たと書いたがそれは嘘だ。実は25年前に初めての海外旅行で行ったパリで見ていた。IMAXという言葉もそのとき初めて知った。わけもわからず工事中のラ・ヴィレット(公園)に向かい、ジェオードと呼ばれる銀色の球体を発見した。それがIMAX3Dシアターだった。

ウィキペディアによると1985年開業らしいから、私が見たのは開業6年目だったことになる。公園はまだ工事中だけど映画館だけは先行して開業していたんだろう。せっかくだから見ようとチケットを買って立体映像を見た。内容は忘れてしまったが、確かにその立体映像には感激した。IMAX 3Dにはそれだけの歴史もあり、子どもだましの立体映画ではないことを思い出した。

せっかくだからアルバムを引っ張り出し、そのときの写真をスキャンしてみた。前にもひとくちメモで写真スキャンしていたので、今回はアルバムに書いた手書きメモも一緒にスキャンしてみた。クリックで拡大。

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この当時、まだデジカメはなく使い切りのフィルムカメラで撮った写真。だから1枚1枚がそれなりに貴重で、決意の一枚なんて言葉が出てくる(笑)。

いままた欧州に興味を持ち始めたタイミングで、パリ旅行とスタートレックとIMAX3Dが繋がったのはなんとなく嬉しい。もちろんスタートレックBEYONDも面白かった。

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2016.10.08

『若冲になったアメリカ人』を読んだボク日本人

10月1~3日に箱根を再訪した。ポーラ美術館の企画展「ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ」のハガキが届いていたのと、岡田美術館で若冲と蕪村の特別展があったから。伊藤若冲にどはまりしている友人に声をかけるとぜひということで。

若冲は今年生誕300年でNHKほかでも特集され俄かに注目されている。岡田美術館では若冲と同年齢の与謝蕪村を中心に、同時代の江戸美術を堪能した。

日本画は学校美術でもあまり採り上げることがなく、歴史的な流れとか、世界史のなかでの位置づけがすっぽりと抜け落ちてる感じがする。

そんな日本美術は皮肉なことに海外で評価を得て生き延びてきたともいえる。ただし明治時代の浮世絵や版画のように二束三文で流出したり、投資商品となったりしたものも数知れない。

そんななかで伊藤若冲コレクターとして知られる、ジョー・D・プライスさんは大変な日本美術通であり、かつ作品本位にコレクションして来た稀有なコレクターで、こういう人のもとで守られて来た日本美術の作品群は幸せだったと思う。

生誕300年に向けて伊藤若冲について書かれた書目や図録も大量に出版されたが、個人的に購読したのは、東京都美術館と日経新聞社による若冲展の図録『若冲』と、プライスさんへのインタビュー『若冲になったアメリカ人 ジョー・D・プライス物語』(小学館)の2点だけだった。愛好家とかキュレーターなどの裏話が好きなもので。

●コレクター魂のお手本!プライス・コレクション

プライス・コレクションがもしなかったら、若冲がこれほど注目されたかどうかわからない。この人は作家の名声などとは無関係に自分の目で作品を見て、たまたま持ちえた財力で購入して来た人だった。日本人学者くらいしか知らないような作品を次々と購入していくわけだが、人気のない日本美術だからかなり安く買えていたようだ。

しかし安く買って高く売るといった投資目的ではなく、コレクター魂そのものに突き動かされて買い付け、その作品がもっとも美しく見える見せ方を工夫し、学者や愛好家を自宅に招待して好きなだけ研究してもらうというオープンな考えの人だった。

特に日本画は電気のない時代、自然光で見えることを想定されて作られたはずという信念で自然光にこだわったり、屏風の凹凸への意識、画材(素地)と着色や線の交わりへの洞察などなど、さすがコレクターと思わせる解説をしてくれる。また、研究者でもないため、ときには大胆な推察で絵画を楽しむ方法を教えてくれる。

若冲はルーペで細部を見ても揺らがない精密な描写がひとつの魅力で、岡田美術館でもルーペの貸出をしてくれた。友人はルーペ持参だった(happy01)。そういう確かな技術に裏打ちされていることは重要だか、遊び心のある画もたくさん残している。

●日本画の独自性をもっと学びたい

そもそも鳥獣、虫、草花などを主なテーマにする日本画には根底にやさしさと観察力があり、同時に豊かな自然への畏怖の念もあり、それらが時空を超えて表現されるわけで、このオリジナリティを西洋人が見たら唖然としたことだろう。

特に屏風画などに見られる想像力は、ジャポニズムと出会うまでの西洋絵画にはまず見られない独創性だと思う。春夏秋冬天地人花鳥風月、あらゆる対象が時間も空間も飛び越えて共存し、西洋人には余白と見えるであろう空間によってつながれ、遠近感など無視して隣り合う世界。

モチーフには大陸からの影響もあっただろうが、それでもやはりガラパゴス的な極東の島で独自に発展した“極み”の技は唯一無二のものだろう。それが西洋列強の圧力で開国したとたん、西洋こそが正解といった風潮に支配された日本の美術教育。嘆かずにはいられない。

ただ西洋絵画のなかでも印象派が日本人に大人気なのを見ると、西洋絵画の亜流として始まった印象派のなかに日本人的な感覚がうずく何かを日本人は見ているのかもしれない。そのあたり、日本画家の平松礼二さんの新書『モネとジャポニズム』(PHP新書)が面白い考察を展開していらっしゃる。研究者ではなく画家だからこそ気づける部分はとても面白い。美術教育への一家言もお持ちだ。

いま日本社会は右傾化などといってナショナリズムの台頭が危惧されているが、あんなものはまったくナショナリズムでもなんでもない。たんなるマッチョ思想であろう。日本独自の自然観や哲学とは相いれない、ある種西洋かぶれした明治以降の勘違いナショナリズムだ。そんなものは横に置いて、本物の日本文化と真正面から向き合う機会を増やすことが教育にも必要だろうし、日本人として世界と向き合う精神的指針となりうる。

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2016.09.28

安藤サクラと方言が心地ええ!「ママゴト」

これ言うんは3回目じゃけど、安藤サクラが好きなんよ。「百円の恋」のときも言うたいね。その安藤サクラさん主演のドラマ「ママゴト」(NHK BSプレミアム)が、ぶち面白いんちゃー。それを書き留めようと思って。

ドラマが始まるちょっと前から、安藤サクラさんのツイートが中国地方の方言まるだしになっちょったんよね(happy01)。そんでファンの間じゃ、こりゃぁどこの方言かいのーっちゅうツイートが次々に出て来て、ボクも山口県の方言によう似ちょるねーちゅうてツイートしたいね。サクラさんも「heartいいね」してくれて、ぶち嬉しかったんよ。じゃけど、中国地方のどこの方言かっちゅうとこまでは教えてくれんかったんよ。その答えがこのドラマっちゅうわけやねぇ。

「ママゴト」の舞台は中国地方の架空の町なんよ。そこでスナックのママ(安藤サクラ)をしちょる映子と、ひょんなことから映子が預かることになった5歳の大滋(タイジ)との疑似親子のドラマなんよ。安藤サクラはスナックのママがぶち似おうちょるんよねー。絶対おるっちゃ、こんなママ(笑)。そんで太っちょの大滋が、はぁぶち可愛いんよー!

ドラマのディテールはコントみたいに面白いんじゃけど、登場人物の境遇はほんま哀しいんよね。みんな心に闇を抱えちょってんよ。映子ママも自分の赤ちゃんを死なせた過去を持っちょって、それを悔やみながら中国地方の(都会とは言えん)街で生活しよる。じゃけぇ子どもは好きになれんかったみたいじゃけど、大滋と暮らし始めて気持ちが変化していくんよ。

大滋も実の母親から突然置き去りにされて、映子ママと暮らし始めるんじゃけど、無邪気で素直でちょっとドジな5歳児なんよ。いろんな事件を起こしてしまうんよ。じゃけど子どもって本来そういうもんいね。大人の都合に振り回されちょるけどどうしようもないその境遇で生きざるをえんわけ。大人もその無邪気さに振り回されるんじゃけど、憎めんのいねー。

第2話で大滋がカラスの子を拾ってきてクロジと名づけ、そのカラスの子に自分の境遇を重ね合わせて育てようとすることがあったんよね。じゃけど大滋が寝ちょる間にそのクロジが死んでしもうたんよ。そのとき映子ママと大滋の最大の理解者(守り神)で友だちの岩木アペンタエちゃんが、こりゃあ大滋にはホントのことは言えんちゅうて死んだカラスの子を埋めてしまうんよ。

アペンタエちゃんはタイジに嘘つくのは気がすすまんかったけど、映子ママは「ウソは夜の女の仕事じゃけぇ」ちゅうて説得するんよ。こういうとこもええよねぇ。正しいとか正しくないとか、そういうことじゃないんよね。

昼寝から起きた大滋がクロジがおらんちゅーて泣き出したら、「あの子はママカラスが連れて行ったんよ」ちゅうて、カラスの大群が飛び交う夕暮れの空を3人で見上げるんよね。それで大滋も安心するんよ。このときの安藤サクラさんの三角になった目が、はぁ大好きっちゃーねsign03 キラキラしちょる。ええ顔じゃぁ。

この後、大滋がまた大事件を起こしてしまうんじゃけど、いろんな事件を通して感情を通い合わせるようになっていくんよね。その心の変化に、ドラマを見ちょるこっちも引き込まれるんよ。

日常を生きるっちゅうのは、大変なことなんよね。じゃけどそれを恨むだけじゃ生きちゃあいけんよね。心の奥に流れる悲しみを笑いで包み込んでみんな生きちょる。たまにその悲しみが顔を出したりたまには怒ったりしながら、人との関係のなかで少しずつ心も変化していくんじゃろう。正解なんてないんじゃから。

全8話じゃけぇ、あと3話で終わってしまうんよ。映子と大滋も、また離れ離れになってしもうて、これからどうなるんじゃろう。もう目が離せんのんよ!

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2016.09.22

白井貴子「北山修/きたやまおさむ」を歌う!

先日、ジャニス・ジョプリンの映画を観てからジャニスのアルバムをずっと聴いていた。ジャニスといえばライブの女王、ライブの女王といえば白井貴子、ボクの妄想脳はそんな連想から白井貴子&クレイジーボーイズのChanceを頭の中で鳴らし始めたのだった。

80年代半ば、ボクは近所の大学の学園祭主催のライブで見た白井貴子さんに夢中になった。その白井貴子さんが今年デビュー35周年で新しいアルバム「涙河」を出されていたと知ったのは、妄想脳によるジャニスからの連想がきっかけだった(confident)。

たぶん80年代のボクはいろんなジャンルの音楽をいろんなミュージシャンを通じて吸収していた時期で、妄想脳もそのころ出来上がった。今年また白井貴子さんの新作に出会ったのは必然のような気がする。

しかし、その内容には驚いた。フォークルの北山修さんの歌詞をロックシンガー白井貴子が歌うというコンセプトアルバムだったのだ。お二人の対談も実に興味深く読んだ。

この二人の組み合わせは正直、妄想すらしたことがなかった。お二人の作品には親しんできたけれど交わることはなかった。それだけに、これは聴いてみなくちゃと思った。

このアルバムで初めて白井貴子を聴いた人は、この歌手が学園祭の女王と言われたロックシンガーだとは気づかないかもしれない。

でも、しっくりくる。白井貴子さんの声はもともとジャニスのようにシャウトしない。クリアトーンで語りかけるような歌い手だった。それはロックシンガーとしてデビューした頃から変らないと思う。note許しておくれニューヨークシティ この街にもいられないと歌われると「いさせてあげて!」と願ったものだ(happy01

35年の時を経て北山修さんの歌詞と出会ったこのアルバムを聴くと、言葉がはっきりと届く彼女の歌声がとても心地いい。

●異色な新曲「返信をください」

新曲もカヴァも、スッと楽曲の世界に入っていける。北山修さんの歌詞は普遍的な言葉で時代を超えて歌い継がれるものが多い。そんななかで、新曲の「返信をください」は異色だ。

留守電、携帯電話、ネットの海、バッテリーの赤ランプ、インターネット、そしてスマホ…。これらのワードは時とともに陳腐化していくリスクがある。時代の準拠枠がなければ理解されなくなる。それをあえて持ってきた意図はどこにあるんだろう。

そこにボクは同時代性の挿入という意味付けをしてみたい。このアルバムは新曲3曲と11曲のカヴァで構成されている。北山修作詞の歌謡曲やフォークソングの名曲がいくつもカヴァされ、それらの楽曲の歌詞はほぼ普遍性に満ちている。

普遍的な言葉を選んで大きなメッセージを届ける北山修の詞のなかに「返信をください」を新曲として置くことで、このアルバムがスマホの時代、インターネットという言葉が詞になる時代の作品であるという痕跡が残る。いや、残そうとしたんじゃないかと感じた。

「次世代に歌い継いでもらいたい」という北山修さんのコンセプトがある一方で、21世紀前半の愛情表現やコミュニケーションの危うさを背景とした、こういう時代のアルバムであることを刻印する楽曲「返信をください」は異色だけど印象的。

●あの素晴しい愛をもう一度

北山修さんは今年70歳。吉田拓郎も70歳。戦後の大衆芸能のビッグネームがますます精力的に活動されてると嬉しい。カヴァのなかには「さらば恋人」が入っているが、この曲を歌っていた堺正章さんも70歳だ。皆さん、お元気!

「加藤和彦 北山修」名義の楽曲「あの素晴しい愛をもう一度」も入っている。この曲は誰が歌っても、いつ聴いても、何度聴いても、名曲だと思う。流れるように紡がれた加藤和彦のメロディには隙がない。詞先だと伝え聞く北山修の歌詞の美しさや哀しさがこのメロディを導いたのか。

白井貴子さんが歌う「あの素晴しい愛をもう一度」は原曲に近いアレンジで、彼女のクリアトーンとよくマッチしていた。

「返信をください」という同時代性の楽曲から永遠のスタンダードともいえる「あの素晴しい愛をもう一度」へと続くこの編成にもメッセージを感じる。

というわけで、35周年の白井貴子さんのライブを見たいと思って11月23日の赤坂ブリッツに行くことにした!

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2016.09.17

映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」でジャニスを偲ぶ

(クリックで拡大)Janis:Little Girl Blue チラシ渋谷のシアター・イメージフォーラムで映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」が封切られた。9月13日(火)、雨も降りやんだので19:15からの上映に向かった。イメージフォーラムはキム・ギドク監督の「アリラン」以来だから4年ぶり。ジャニスの命日10月4日までに、どうしても観ておかなければと思うドキュメンタリー映画だった。

ひとくちメモでジャニスについて書いたのは2005年2月23日。映画「FESTIVAL EXPRESS」を観た日だった。中島みゆきさんの誕生日に「ジャニス!最高だ」とジャニス愛を吐露してしまったわけだが、あれからもう11年も経ってしまった。年月のことを言えば、ジャニスがふいにこの世を去ってから46年になった。もし生きていれば73歳のジャニス。

シャウトするジャニスばあさんを観たかった。あの大阪のおばちゃんみたいな笑い声はきっともっと大きくなって、ドスの効いたシャウトはますます磨きがかかり、ショウビジネス界の"ご意見番"として君臨していたかもしれない。いや、ジャニスのことだから常に話題を提供する側だったかもしれないが、そのすべてを受け止めたかった。

Cd_janis_boxofpearls1999映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」から帰って今日まで、ジャニスの残した数少ないアルバムを時系列に聴いた。1999年に発売された「Box of Pearls」はデビューしたバンド時代も含めて4枚のオリジナルアルバム(とボーナストラック)にレア音源集1枚が収録されていてうってつけ。これはインポート版だけど日本版もあるらしい。

●ジャニスの実像に迫る映画

映画を観た翌日から今日までの4日間、ジャニスの音楽活動のある意味"すべて"を聴いたわけだ。1966~70年、デビューから亡くなるまで4年弱の活動期間を4日間で聴き終えた。そのあまりの短さが悲しい。

映画「JANIS」も昨日DVDで観なおしてみた。こちらもステージやインタビューで構成されたドキュメンタリー映画で、「ジャニス リトル・ガール・ブルー」でも使われていた映像がたくさんある。パワフルなジャニスのステージと、ジャニス本人がインタビューで語った映像が収められている。

そもそも活動期間が短く、残っている映像は少ない。重複せざるを得ない。しかし今回の「ジャニス リトル・ガール・ブルー」はそれらに加えて、未公開映像のほか家族や恋人に送った手紙、関係者へのロングインタビューを交えて構成されていて、より多面的にジャニスに迫っているところが秀逸だった。家族にとっては死後40年以上経ったいまだからこそ話せた話もあることだろう。

ジャニスの学生時代は、彼女の人格形成に大きな影を落としている。いじめや無視が延々と続き、そこから逃れるように音楽の世界にのめり込んでいく。そのとき身近にあった音楽がブルースだったのも運命的。内面から湧き出てくる本物のブルースがシンガーとしてのジャニス・ジョプリンを形成していく。そして虚像と日常とのかい離が始まる。

同窓会後のインタビュー映像は思い出すのも辛い。芸能人としての成功を引っ提げて10年ぶりに戻った故郷は昔と変わらずつらい場所だった。冗談めかしてインタビューに応える顔から時折にじみ出てくる本心。そもそも感受性が強すぎるジャニス。

あえてテレビカメラを連れて同窓会に"凱旋"して見せたジャニス。しかしそこに自身の居場所はなかった。その場でインタビューに答えるジャニスの心はどれほど傷ついただろう。居心地の悪さは同窓会も芸能界も同じだったんじゃないか。

ジャニスが解放されるのはステージの上だけだった。もしかするとステージだけがドラッグなしで生きられる場所だったのかもしれない。日常って怖いね。永遠に続く日常を生きることの恐怖、それはいじめや無視を延々経験して生きてきたジャニスには耐えられない時間だったかもしれない。

もしジャニスが音楽業界的に成功せず、西海岸でアマチュアシンガーのままだったらどうだっただろう。どちらが幸せだったかなんて考えたって仕方ないんだが、やはり孤立してクスリ漬けになり野垂れ死にしていたような気がする。業界での成功は少なくともジャニスには必要な場所だったと思った。

1970年10月4日、ホテルで亡くなっていたジャニス。ヘロインが原因とされているが、この映画の文脈では自殺ではなかったように思える。この年、同窓会での孤独感はあったけれど、「フェスティバル・エクスプレス」で魅せたジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)との会話やセッション、そしてカナダでの圧倒的なステージングを見ると、ようやくビジネスとしての音楽業界で生きるタフネスを身に着けて、いざこれからという時期だったと思えてならない。

●全編に漂うあの時代の音

知ってはいてもあらためてジャニスの辛い日常を見せつけられる映画で、誰にでもおススメとは言い難い。しかし1960~70年代というフォーク、ブルース、ロック、ポップスの花開いた時代に少しでも興味があれば見ておくべき作品だと思う。辛いながらも全編に流れる音楽のカッコよさには酔ってしまう。音楽って罪だね…。

27歳にして時代のアイコンとなった途端の死。まさにここから世間と折り合いをつけて生きていくはずだった。それは遺作となった「パール」の出来の良さからも分かる。心の闇と栄光を抱えてドラッグに走ったが、27歳はまだやり直せる年齢だ。

アルバムの勢いからすればBIG BROTHER & THE HOLDING COMPANY名義の「CHEAP THRILLS」が名盤だと思う。粗削りだけど、ジャニス・ジョプリンがモンタレー・ポップ・フェスで一躍注目を浴び、まさにスターダムを駆け上がっていた頃の作品だ。

しかしこの頃の楽曲はいわば日常の延長線でもがきながらブルースにのめり込むジャニスの叫びでもあった気がする。それだけに生々しく、ジャニスを好きになればなるほど愛おしくなる。

それはメジャーデビューアルバム「Big Brother and the Holding Company featuring Janis Joplin」にも言える。ボクを含めてジャニスのシャウトからジャニス・ジョプリンを認識した人が多いと思うけど、この一曲目の「Bye,Bye Baby」は別人のようだ。例えるならボブ・ディランの「ナッシュビル・スカイライン」を聴いたときの拍子抜け感に似てる(coldsweats01)。それも含めて愛おしい。

音楽業界的に成功すると粗削りな勢いが削がれていくのは洋の東西を問わず。ボクはそのことをイカすバンド天国(イカ天)ブームの80年代、嫌というほど味わった。しかしその分、音楽的には洗練されていく。そこでの身の処し方はミュージシャンのバランス感覚にかかってる。言いなりになる部分と捨てちゃいけない部分とのバランス(それを運と言ってもいいが)。

そういう視点からすると、「パール」の洗練はジャニスにとっては福音になるはずだったと思う。ずっと日常の延長でやっていく音楽活動は決して長く続かない。ビジネスとしての割り切りは決してクオリティを落とさないし、ジャニスのように身を切る思いで歌ってきたミュージシャンが世間との安定した関係を築くには必須の過程だったはずだ。もしかするとその割り切りがドラッグとの決別にもつながったかもしれない(これは妄想だけど)。

まさにその階段の一段目に足をかけたまま、ジャニスはドラッグで死んでしまった。

時代といえばそれまでだけど、いじめやドラッグは現代的な問題でもあり、「ジャニス リトル・ガール・ブルー」は、かつてこんなライブの女王がいたという以上に多くの示唆を与えてくれると思う。それは見る人の立場やこれまでの生き方と映し鏡だ。

ジャニスが音楽で生きていくことは、夢はいつか叶うといった類いの安っぽいキャッチフレーズとかけ離れた命がけの叫びの延長だったと思う。芸能の世界はとかく闇を抱えた者を受け入れスターダムに押し上げる。それがまた闇を広げ、その闇が深いほど輝きを増す。ジャニスというパールはそうやってほんの短い期間、輝いた。

この命の短さがジャニス・ジョプリンという虚像をさらに大きくし有名にしたという面はあるのかもしれない。大衆はビジネスでない、ピュアな心を消費したい欲望を常に持ってる。最近も流行ってる感動をありがとうってやつ。

ジャニスも最初は気持ちよくその期待に乗っかった。しかしその先にある絶望にも気づいたはずだ。そしてドラッグ漬けの日常に堕ちた。でも彼女の才能があればもう少し大人になって、この負の連鎖を断ち切り、もっともっと輝けただろう。「パール」にはその片鱗が見えてた。それが悔しいね…。

こうやって書いてる間に、4枚のアルバム全部リピートして聴いてしまった。半日でジャニスの音楽人生を聴いた。ジャニス、やっぱ、あんたは最高だ!!

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2016.09.11

SONGS 吉田拓郎を見ながらつらつらと人生を語る(?)ブログ

吉田拓郎弾き語りソングブックNHK「SONGS」で吉田拓郎。満を持して登場。吉田拓郎70歳の夏に密着!今年のコンサートに行けないボクにとってはとても貴重な番組だった。この冬にはSONGSスペシャルでライブも放映されるとの告知も。ありがたい。

ボクが最初に吉田拓郎という歌手を知ったのは他でもない、「中島みゆきがファンだった歌手」という認識だった(笑)。中学生の頃だったと思う。谷川俊太郎も吉田拓郎も中島みゆきを通して知ったし、中島みゆきさんが好きな人に才能無き人間はいないという無償の愛だった(happy02)。

その認識はいまもこうして続いており、拓郎の曲を自分でも弾き語りしながら吉田拓郎という素晴らしいシンガーの時代に"間に合った"という感覚で生きてきた。ひとくちメモでは「自分で弾き語りたい吉田拓郎20選!」も書いた。

SONGSのインタビュアーには桑子真帆アナウンサー。拓郎が「ブラタモリ」や井上陽水のSONGSを見ていてご指名されたとか。「どうせだったらおじさんたちがお気に入りのそういうヒトにボクもインタビューされたい…。」

もうその語りが拓郎節だ。

桑子真帆アナの声質はとてもまろやかで心地いい。拓郎の声にもちょっと似てる気がした。コンプレッサーがうまく効いてる感じっつーか(伝わるかなこの例え…)。とても穏やかな気持ちで言葉がスッと入ってくる。拓郎ご指名の桑子アナにボクも無償の愛が芽生えた(lovely)。

(オファーがあっても)テレビに出ないフォークシンガーというカテゴリーは拓郎から始まった。オファーがなくて出られないシンガーではなく。ボクが中学生の頃はもうこのカテゴリーがブームとなっていて、テレビで歌うフォークシンガーのほうが稀だった。それだけにTBS「ザ・ベストテン」でライブ会場から中継された松山千春を見た時は事件だと思ったほどだ。

それにしても、拓郎がテレビ出演を拒否するきっかけになったという当時の歌番組、そして司会のFさん(歌のうまい大物歌手。元の奥さんはボクが大好きだったオリビア・ハッセー)の功績は大きい。拓郎が最初のテレビ出演でテレビというメディアを気に入り出まくっていたら、たぶんフォークも拓郎も消費されてしまい、その後の繁栄はなかったんじゃないか。

最初にテレビで歌った「マークⅡ」の映像もちょこっと流れた。こんなギターアレンジだったんだ。洋楽好きな若き吉田拓郎らしいギター、なんかかっこいい。

そんな拓郎の転機は50歳の頃。Kinki Kidsの番組へのレギュラー出演。これもボクらにとっては事件だったわけだが、ほとんど違和感なくその場に溶け込んでいた吉田拓郎を見て嬉しく思った。たぶんボクらも年を重ねて寛容になっていたんだろう。「拓郎、テレビなんかに出やがって」とはまったく思わなかった。おそらく吉田拓郎が何をしても許せた。これも無償の愛と言ってもいい。

前に拓郎が明石家さんまの「さんまのまんま」に出演したとき、「金持ちになったら金持ちの歌をうたいなはれぇ!」と言われて大笑いしたことがあった。私小説的なフォークソングを求めているリスナーの気分をさんまさんが表現するとこうなるんだろう。「結婚しようよ」とか「旅の宿」の延長線を。

確かに吉田拓郎の節目節目にある名曲は私小説的な歌詞だったりする。例えば「サマータイムブルースが聴こえる」だったり「全部抱きしめて」だったり、今回の新曲「ぼくのあたらしい歌」もそうだ。ただしこれらの作詞は拓郎自身じゃない。でもその客観性が拓郎自身の歌詞以上に拓郎らしさを伝えることがある。拓郎もそれを楽しんで歌っているように思える。

桑子真帆アナはいま29歳で、拓郎が「人生を語らず」を歌ったのは28歳の頃だった。29歳の桑子アナにとって、20代で人生を語るなんて想像できないという感覚があるようだ。「いまはまだまだ人生を語らず~?当たり前でしょ(笑)」みたいな。この世代間ギャップは面白かった。

これに対して拓郎は、当時の20代は老成していたと応えた。30~50代のおじさんがいいそうなことを語り合っていたと。その感覚、よくわかる。特にフォークソングにかぶれた人間は老成してたんじゃないか。「古い舟を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という自立への強烈な意志があった時代。

ボクは遅れてきたフォークソング狂いのバカ息子だったのだが、やはり一世代上の人たちと話があった(coldsweats01)。この効能は社会人になってから実に効いた。2006年のつま恋に行けたのも、年上の拓郎ファンの皆さんとのつながりあってこそだった。

そのつま恋リゾートも今年末で閉店することが決まった。時代はいまや野外フェスが当然となり、一晩かけても歌いきれない(聴き飽きない)ヒット曲を持つ歌手も少なくなった。音楽がビジネスとして成立し、そして静かに衰退を始めている。音楽がこの世から消えてなくなることはおそらくないが、この時代の大衆歌謡、そしてこの時代に生きたボクらはそのうち一人もいなくなる。

大衆音楽の一時代を築いたトップランナーのひとりが吉田拓郎だ。その時代に"間に合った"ボクらは幸せな時代を生きられたと思う。音楽で一体感を得られ、大いに笑い語りあった。今なら人生を語れるかもしれないと語る吉田拓郎。ボクはまだまだ語れない。ただ耳を傾けるだけだ。無償の愛で。

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2016.08.27

HDRアートモード画像で綴る夏旅2016

Natsutabi2016hdr00_2

最近はスマホがあるので通常のスナップなどはそれで事足りるけれど、HDRアートモードはアプリじゃなくカシオのデジカメで撮るのがやっぱ好き。2012年の夏旅で撮りまくったHDRアートモード。今回も同じカシオのデジタルカメラで撮ってきました。

今回の西日本は太陽光線がギラギラ照りつける熱い夏。鞆の浦や岩国錦帯橋では波光きらめく海辺や河川、コントラストの強い石畳がとてもHDR向きでした。

アートモードの点では、ちょうどいま新版画の川瀬巴水に惚れてる時期だったことも大いに影響してます。川瀬巴水の版画のような風景画をデジカメで撮りたいというひとり遊び感覚で風景を眺めていました。

直島地中美術館でモネの睡蓮を鑑賞し、ちょうど瀬戸内国際芸術祭2016の期間中だったりして、脳内で印象派と新版画とが共鳴しあい、「風景版画のようにHDRアートモード画像を激写する!」という目標が出来たのは直島から宇野港に戻った時でした。それで宇野港以西のHDR画像しかないわけですが(confident)。

鞆の浦、阿伏兎岬、錦帯橋、そこには川瀬巴水も訪れた美しい街並みが残ります。それを版画のような構図でHDRアートモードで撮ろうとしました。なかにはちょっと現代アート風の写真もありますが、それも含めて「“私家版”瀬戸内国際芸術祭2016」と銘打ってみました(smile)。

●HDRアートモード写真展示会2016

写真は縮小してますが、サイズ以外の加工はしてません。カシオZR200で撮ったままの画像です。こんなファンタスティックな画像が一瞬で撮れてしまうカシオのデジカメはすごい!(と2012年にも語ってます。)

画像にカーソルを当てるとどこで撮ったかが表示されます。また、画像をクリックすると大きく(800×600pix)表示されます。

画像だけの転載は不可です。

直島便フェリーの岡山県側宇野港周辺での自画像

鞆の浦の路地裏に続く小路

鞆の浦の階段

鞆の浦の路地

鞆の浦医王寺の仁王門大わらじ

鞆の浦海へ続く路地の水たまり

鞆の浦鞆港の水際

鞆の浦海老の天日干し

阿伏兎観音直下の海

阿伏兎岬の阿伏兎観音(磐台寺観音堂)

岩国吉香公園の噴水広場

岩国錦帯橋

青葉のなかの錦帯橋

錦帯橋から望む錦川

こんな感じ。版画っぽいアングルを意識してるつもりだけど成功してるかどうか…。鞆の浦は戦火で焼けず昔の風景が残った街。それゆえに近代産業化は難しいけれど、観光地としてはとても素晴らしい資源です。外国人にもっと紹介して美しい日本の風景と歴史を語り継いで欲しいと思います。

最初の現代アート風の写真がHDRアートモードらしい写真だったので、その気になって旅の節目節目でHDRアートモードで撮影していました。もっと早く思い出しとけば、フェリーや明石、直島からの風景も撮れたのにな。

直島にはモネの睡蓮を模した庭が作ってあって、そこをアートモードで撮ってみたかった。それがかなわなかったのでモネの庭で撮った普通の写真を自宅で印象派風に加工してみました。それも出品してみます。

直島地中美術館横のモネの庭

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2016.08.21

『島はぼくらと』~夏旅2016番外編~

Naoshima今年の夏旅に出かける前、世間はポケモンGO一色に染まっていた。誰もがポケモンを探して市中を徘徊していた。これなら映画館も空いてるだろうと7月最後の日曜日、話題の映画「シン・ゴジラ」を朝一で鑑賞した。思った通り映画館はずいぶん空いていた。都会の夏休みのシネコンはお子様映画の長蛇の列が常なのだが、すんなりチケットが買えた。ポケモンGO解禁直後のおかげだと思う。田舎で観ようか迷っていた「シン・ゴジラ」だったがIMAXで鑑賞出来て良かった。

映画を見た後、書店に立ち寄った。旅先や実家で読む本を探すためだ。読みかけの書籍はたくさんあったが、どれも旅の気分には合わない気がして、今夏の旅専用文庫本を物色しようと思ったのだった。

今年の夏旅は東京湾からフェリーで四国の徳島港まで行き、そこから明石の宿に泊まり、翌日は岡山県の直島観光をするというところまで漠然と決まっていた。前半は海がテーマのような感じだ。

そこで目に留まった文庫本が辻村深月さんの『島はぼくらと』だった。元来島好きでもあり、今回の旅先に直島が入っていたこともあって、平積みになっていたこの文庫本に目が留まった。

直木賞作家、辻村深月さんの小説は読んだことがなかった。小説そのものをあまり読まなくなり、読んでも城山三郎などの経済小説、企業小説が多かったが、最近は美術関係や手軽な新書ばかり読んでいる。

久々に小説が読みたくなった。それも流行りのミステリーのように殺人事件がどうのこうのとか、企業小説のようにギスギスした駆け引きみたいなものじゃない小説。そういうややこしい虚構には感情移入出来ない(いや、したくない)という気分でもあった。

『島はぼくらと』の文庫本表紙は五十嵐大介さんのイラスト。高校生らしき男女2人ずつ。そしてオビには「17歳。卒業までは一緒にいよう。この島の別れの言葉は『行ってきます』。きっと『おかえり』が待っているから。」とあった。

フェリーで本土の高校に通う冴島の高校生4人の卒業までの青春ストーリー。他愛ない青春小説(ライトノベル)かとも思ったが、どうやら殺人事件やギスギスした大人の世界とは無縁の物語のようだと思い、島の若者の話だし夏旅向きかもと思ってこれに決めた。

●謎解きあり島の人間関係あり…。期待を裏切る面白さ!

読み終えてみると、最初に選んだ条件のうち、殺人事件はなかったものの、ミステリー仕立てのストーリー展開もあり、企業小説ではないものの、行政やマスコミ、一枚岩でない島民間のいざこざ、人間関係の機微などがしっかり描かれていて、ライトノベルなどとは呼べない作品だった。

それだけに読み応えもあったが、全体に漂う清々しさは作者の目線が常に島の生活を肯定的に描いているからだろう。4人の高校生だけでなく、Iターンで冴島を選んだ人々の思い、島の伝統を重んじ代々島で生きてきた家庭の思い、様々な思いで島を離れていった人々…。それぞれの立場で生きる冴島内外の人々を暖かく見つめる作者の意図が伝わった。

またこの小説は2013年に刊行されていたものの文庫化だった。それは東日本大震災から2年後の世界であり、文学が震災とどう向き合うかが問われていた、そしてそろそろ答えが出始めてしかるべきと思われていた頃だ。もっとも文学から遠のいている私などが言える立場じゃないけれども。

そんな時代背景を重ね合わせると、この小説がさらに重要な作品に思えてくる。冴島が火山島でかつて避難した人々がいたことも重要なファクタとなっており、また冴島の活性化に欠かせない仕事をしていたヨシノが福島に向かうところも同時代性を感じさせる。

「幻の脚本」もひとつの柱になっているが、この謎解きのところで印象的な言葉があった。「今は、子どもは三人しかいないかもしれないが、いずれ、一人、二人と戻ってくるだろう。噴火で散り散りになっても、子どもは絶対に戻ってくる。」

この信念による仕掛けこそ、「幻の脚本」が幻たる所以につながるわけだが、その思いを引き継いでいく島の高校生矢野新や、その新を叱咤激励する気鋭の脚本家赤羽環の存在は、作者の未来に対する意志表明を感じさせた。創作物が時代を超えて人々を楽しませ勇気づける。

これらの同時代性や未来志向が単なる描写上の工夫ではなく、ひとつのテーマとなっていることは瀧井朝世さんの文庫本解説でも読み取れた。辻村深月さんは地方都市を重要なテーマとしているそうだ。

ただし常に肯定的なわけではなく、『島はぼくらと』が異色作ということだったが、地方都市の未来がバラ色だとは誰も思っていないこの日本で地方都市万歳とばかり言っていられないのが当然だろうし、そうでなければ信頼できない。

そんな危うい世の中であっても、清濁併せ飲んで生活し、コミュニティの生活を良くしていこういこうとする意志こそが貴いわけだ。その体現が冴島の村長だったりヨシノだったりする。島の高校生女子のふたり、朱里と衣花もきっとその意志を継ぐ者になるのだろう。

解説でもうひとつ、この小説が瀬戸内国際芸術祭での島めぐりやインタビューから構想されたことを知った。ちょうど今年旅した直島も瀬戸内国際芸術祭2016の只中にあった。こんなめぐりあわせもちょっと嬉しい。

読み終わって「辻村深月、いいじゃん!」と思い、別の作品も読んでみようと思った。赤羽環が登場するという『スワロウハイツの神様』がいいかなと思った。同じ登場人物が別の作品にも登場するというのは手塚治虫から藤子不二雄へと受け継がれる伝統芸だが(笑)、藤子ファンという辻村深月にも受け継がれているのか?

それはともかく、この作品は上下巻と長いのでもう少し先にとっておき、短編集の『ロードムービー』を実家の近所の書店で購入して帰宅した。短編集というのが手軽でいい。“気弱で友だちの少ないワタル”という登場人物も親近感が持てて。ボクの名前もワタルなので。

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2016.08.15

広島から岩国錦帯橋へ。

広島から岩国錦帯橋へ。
鞆の浦から阿伏兎岬にはあえて県道22号から県道72号を回って向かった。鞆の浦を散策して、すれ違うのが困難な対面方向の道路を目の当たりにした。道端の警備員さんにいつもこうなのか尋ねたら常にそうらしい。下手したら抜けられない三叉路…。ここを通ったらいつ抜けられるかわからない。決して旅行者が車で乗り入れてはならないのが鞆の浦だ!

県道72号も工事で無人信号だけの片側通行地点があった。そのせいで反対車線が大渋滞していた。なんともトラップが多い福山路だ。

阿伏兎岬は静かで景色のいいところだった。歌川広重の浮世絵にも描かれた阿伏兎観音では少し足がすくんだ。

この時点で17時頃だったが、この日の宿はまだ未定。うにほうれんを食べるという目的もあり広島市内に向かった。スマホでなんとか当日泊出来るホテルを予約し、広島市中区に20時過ぎに着く。

ホテルの地下にあった居酒屋にもうにほうれんがあったのでそこで夕食。うにほうれんは100%予想通りの味だったが、さすが広島、牡蠣料理もいくつかあり満足した。

翌朝は8:00に出発。元祖はっさく大福を土産に買い、岩国錦帯橋を目指す。錦帯橋はこの夏旅2001で早朝訪問した場所で15年ぶりの記念再訪。シロヘビも歓迎してくれた。

昼飯は岩国駅前のランチステーキのお店。コスパのいいステーキだった。ご主人が超しゃべり好き。隣のラーメンは満席だったかといきなり自虐的なつかみから入り、300gのステーキをレアで注文したら、山口県出身でも都会に出た人は違うね、村でひとりだよなどと田舎の自虐的ギャグ炸裂。面白いおじさんだったけど、ステーキは美味かった。

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2016.08.12

鞆の浦へ。

鞆の浦へ。
岡山駅前のホテルを8:00に出発。朝食を探して倉敷に向かう。しかし朝から営業している店はあまりない。駅ビル地下の喫茶店を見つけて入りカレーとアイスコーヒーを。とても雰囲気のいいお店で常連さんと店員さんの会話がたまに聞こえる静かで落ち着いた空間でした。

次の目的地は広島県の鞆の浦。古い町並みが残る美しいところ。しかし高速道路は大渋滞!お盆の帰省ラッシュかと思いきや事故渋滞だった。鞆の浦には予定より1時間遅れで到着。

鞆の浦は町並みそのものがみどころ。コンパクトに回れてとても良い!ゆったりとした時間が流れる。鞆の浦はまたあらためて書きたい。デジカメ写真が多いので。

鞆の浦から阿伏兎岬方面に大きく迂回して向かった。迂回が重要な理由も鞆の浦あるあるか?阿伏兎岬では阿伏兎観音からの絶景。天気に恵まれた旅になった。

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2016.08.11

明石から直島へ。


昼過ぎにフェリーで徳島港に着いたら徳島ラーメンのいのたにで昼食をとり、明石の宿に向かった。人丸花壇という料亭旅館で明石の海の幸を堪能。部屋もめっちゃ広く大満足。

翌朝は9時前に直島に向けて出発するも渋滞につかまり12:15のフェリーにも乗れず、13:30の小型船で直島へ。チケットは乗船20分前に発売でチケット売り場に着いた時はまだ閉まっていた。外国人からチケット売り場を聞かれたので一言英会話で20分後だと教えてあげたがその時はまだ35分前だった。悪いことをしたw

無事直島に着いたらすぐにレンタル自転車を借りて地中美術館に向かう。美術館エリアまでは乗り入れ出来ないため途中でシャトルバスに乗り継ぎ。整理券は1時間待ち。でも待った甲斐はあった。地中美術館は規模は小さいけど見せ方上手な美術館で楽しめた。ただ運動不足が祟り自転車はきつかった!

帰りは17:35発のフェリーにギリギリ間に合った。往路と違い大きなフェリー。それで乗り場を間違えたけど、そのおかげで小型船側の事務所から帰宅しようとしていた超可愛い事務員さんに正しい乗り場を教えてもらえてラッキーだった。男って単純…。

時間通りに宇野港に戻れたので岡山駅前の宿にも19:40には到着。熟成肉のQUCHI に電話したら20:30から予約出来、7ヶ月ぶりに美味しい熟成肉を堪能。親切な店員さんとも久々にお話し出来て良かった。

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2016.08.09

かもめが飛んだ日

かもめが飛んだ日
東九フェリーで有明から徳島に向かっています。渋滞を避けて悠々と。これまでのフェリーのなかでは最高にくつろげてます。個室は快適‼台風5号も逸れていい天気になりました。いま紀伊半島沖を航行中。徳島には午後1時20分着です。

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2016.08.07

テレビ東京「美の巨人たち~ル・コルビュジエ」

上野の国立西洋美術館がル・コルビュジエの17建築のひとつとして世界遺産に登録されて、コルビュジエ建築がまた注目され始めていますね。テレビ東京の「美の巨人たち」でも西洋美術館を採り上げてくれてとても面白かったです。

個人的に最高に良かったのは後半、カプマルタンの休暇小屋のBGMに流れた坂本龍一の「Ballet Mecanique」と「Parolibre」です。実にマッチしてました!いい仕事してますねlovely音楽機械論のサカモトの音楽は住むための機械としてのコルビュジエ建築に親和性が高い気がします。

このParolibreはオリジナル音源だったのかな?テルミンの音かと思ったので、三毛子さんのヴァージョンかもと思ったりして。CDを戸棚にしまい込んでて確認できない…。

サヴォワ邸を観に行ったひとくちメモを前に書いたけど、建築そのものを観光できる建築家はあまり多くない気がします。逆にとても興味を持てる建築に出会ってもなかなかその建築家の名前を探すのは手間がかかります。

先日の箱根プチ散策で訪問したポーラ美術館も、展示された芸術作品だけでなく建築そのものが気に入ったけど、建築家の名前をその場で確認することは出来ませんでした(聞けば教えてくれたんだろうけど)。ちなみにポーラ美術館は日建建設・安田幸一氏(東工大教授)でした。

「美の巨人たち」は30分番組なので、かなりコンパクトなのですがとても整理されてわかりやすい番組でした。建築が採り上げられることは少ないでしょう。西洋美術館に行って作品を紹介しない芸術紹介番組だったわけですわ(confident)。

坂本龍一の音楽とともに紹介されたカプマルタンの休暇小屋は国立西洋美術館が完成する6年前の1951年、コルビュジエが64歳のときに建てた小さな小屋で、これもモデュロールに忠実な建物だそうです。そしてコルビュジエのお墓はこのカプマルタンにあります。彼が最後に愛した土地に建てた小さな小屋と国立西洋美術館とを対比してみせた番組の構成も良かったです。

国立西洋美術館がコルビュジエの作品だってことは最初からわかっていても、身近にあるといつでも行けるという余裕から後回しになってしまいます。だから、ミーハーと言われてもこういう機会に観に行っておくことは人生にとって大切ですsign01 いつゴジラがやってくるか、いや地震がやってくるか分からないこのご時世でございます。

などと言いつつ、まだ行ってない…。もしかしたらコルビュジエなんて意識してなかった頃に(例えば修学旅行とかで)行ってるかもしれないけど忘れました。もう少しブームが下火になってから行ってみようと思います。涼しい季節に。

その時には「美の巨人たち」で解説されたいくつかのポイントを踏まえつつ、それと絵画・彫刻との関係性にも注目してすべてをじっくり鑑賞してみたいものです。

将来的には17の建築を回る旅もしてみたいけれど、テロリズムの世紀にはなかなか難しいご時世でもございます。建築は平和でなければ成立しないわけで、建築が愛である原点もやはり平和な世の中に立脚したものなんじゃないかと思う今日この頃です。

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モブログのテスト

モブログのテスト
旅先からのブログ更新を心待ちにされているすべての人のために送信テストをしていますw写真はコレドで買った焼き鯖寿司です!

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2016.07.18

箱根で美術鑑賞~川瀬巴水の新版画と遭遇~

先週の箱根プチ旅行ではポーラ美術館と彫刻の森美術館を訪問しました。ポーラ美術館ではモダンビューティ展という企画展を鑑賞。フランス絵画と化粧、ファッションの歴史を辿れます。かつてのファッション誌やその挿絵など個人的には実に興味深い展示でした。

この企画展のアイキャッチとなっているエドゥアール・マネの「ベンチにて」をはじめ、常設の絵画も含めて非常に質の高い展示になってると思いました。初めて訪問したのですが箱根という場の力も得てすばらしい美術館です。箱根には今後も何度も行きそうなので、その都度訪問してみたい美術館になりました。今回の企画展は9月4日まで。

アンケートに答えると絵はがきが1枚もらえるというのでアンケートに答えてレオナール・フジタ(藤田嗣治)の「ラ・フォンテーヌ頌」をいただきました。他の絵はがきも5枚購入。購入したのは、マネの「ベンチにて」、クロード・モネの「サン=ラザール駅の線路」と「散歩」、野獣派キース・ヴァン・ドンゲンの「乗馬(アカシアの道)」、そしてアンケートでもっとも好きな作品と答えたアメデオ・モディリアーニの「婦人像(C.D.夫人)」です。

印象派も野獣派も、その命名はマスメディアや業界人らによる皮肉が起源なわけですが、保守的な業界に生まれた革命的な仕事は、常にこのような批判や嘲笑から始まるわけですね。そして一つの流れを作り古典と共存していく。保守と革新とは対立軸ではなく多様性の獲得となってこそ進化につながると、絵画を見ながら考えてしまうご時世なのであります。


●彫刻の森美術館にて

彫刻の森美術館は20年以上ぶりの訪問だと思います。こちらでは「横尾忠則 迷画感応術」という企画展をやっていてそれを目的に行きました。しかしポーラ美術館からの流れで来てしまうと、その作品のふり幅にかなり混乱してしまいました。

80年代から親しんできた450(ヨコオ)アートなのですが、だんだんボク自身の趣味が保守化してきたのか、その秘宝館的な作品群にときめきはなくなっていました。でも彫刻の森美術館をテーマに描かれた新作「At Box Roots」の絵はがきを買いました。絵の中に「大涌谷通行止」という文字があり、2016年という同時代性をそこに感じたので。

その後、彫刻の森を散策がてら緑陰ギャラリーの「日本の風景 日本のわざ」というコレクション展 の会場に入りました。ここで川瀬巴水(かわせはすい)の新版画に初めて遭遇し、その素晴らしさにしばし立ち止まって見入ってしまったわけです。

この展示では「見南山荘風景(箱根)」の連作(1935年)を鑑賞できました。なかでも「あけび橋の月」という作品が浮世絵とは明らかに異なるモダンな版画で、ジブリ作品の背景画をも想起させるような美しくも静かな風景画だったのです。

川瀬巴水という名前を忘れないようにと絵はがきを探しましたが、残念ながら販売されていませんでした。

●川瀬巴水の新版画に出会う

とりあえず展示作品の一覧がプリントされた用紙を持ち帰り、川瀬巴水について調べました。そして新版画というジャンルが浮世絵以後の大正・昭和時代に始まったある種の芸術運動だったことを知ります。

新版画は渡邊庄三郎という版元が明確な意思を持って始めた新しい版画制作であり、渡邊庄三郎なくしては川瀬巴水と出会うこともなかったと思えるようなジャンルでした。渡邊庄三郎については高木凜著『最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎』が決定版だと思います。これを読み終わってからこのブログを書こうと思ったくらいに必読の書でした。

ただ川瀬巴水についての記述はそれほど多くないので、川瀬巴水本人や作品について知るには(いま入手可能な書籍としては)清水久男著『川瀬巴水作品集』(東京美術)がとても参考になりました。

川瀬巴水は天才肌ではなく職人的な画家だったのではないかと思います。1918年(大正7年)に鏑木一門のなかで年下の伊東深水が描いた「近江八景」という木版画を見て感激し、「これなら自分にも出来る!」と思って版画の道に入ったそうです。もともと美人画が苦手だった巴水が風景画の木版画に活路を見出したわけですが、この消極的なスタートに親近感を覚えます(confident)。

そんな巴水でしたが最初に作った「塩原おかね路」が好評で、2つ年上の渡邊庄三郎とも意気投合し、風景版画の川瀬巴水として続々と作品を発表していくわけです。

●新版画と創作版画を音楽業界に例えると…

新版画は、浮世絵と同じく版元、絵師、彫師、摺師の分業でひとつの作品が完成します。同じ時期に創作版画というジャンルも生まれましたが、こちらは画家が一人ですべてを行うものだったようです。これを読んだとき、音楽業界でいえば、新版画はレコード会社、歌手、作詞家、作曲家、編曲家、エンジニアによってつくられる大衆歌謡であり、創作版画はシンガーソングライターだなと思いました。

どちらが正解というわけではないですが、専門技術を要する彫り・摺りを画家が自身でやるのは完成度に影響するような気がします。創作版画支持派からすれば、画家の個性を最重視するには全部ひとりでやらないと純粋芸術とは言えないとなるようなのですが、昭和歌謡の名曲で育った私には作品の完成度は分業であっても、いや分業だからこそ成立するという気もしています。

話はそれますが、これはマーク・コスタビへの批判のときにも感じました。コスタビは自身の工房でプロデューサー、あるいはアイデアマンとして君臨し、実際の絵は工房のスタッフが描いていました。それを公表して作品も発表していたわけです。それはコスタビ作品といえるのか、単なる商業主義ではないかと叩かれました。しかしコスタビ作品の独創性はそのような批判とはズレたところにあったと思うわけです。

新版画は版元(渡邊庄三郎)がプロデューサとなり、絵師の意図を再現するために職人の彫師・摺師をスタッフとしてディスカッションしながら、完成品のイメージを共有していったようです。版元の考える売れるモノと絵師の描きたいモノとの葛藤もあったようです。それを乗り越えてひとつのジャンルを形成していった「新版画」というジャンルそのものにも興味を惹かれました。

●そして川瀬巴水の新版画を購入

Kawase_hasui_yuki_no_mukoujima新版画の始まった時代は20世紀初頭です。浮世絵に影響を受けた欧州の印象派絵画(19世紀)から後期印象派(19世紀後半)、そして野獣派ほかへと展開していった20世紀初頭、西洋で大きな美術史的転換が進んでいた時代に、日本では「新版画」が生まれ、そしてそのほとんどが海外で評価されていきました。

私は知らないうちに、箱根の2つの美術館で20世紀初頭の東西の美術のうねりを感じて帰ることが出来たのでした。

新版画は関東大震災(1923年・大正12年)と第二次世界大戦(1941-45年・昭和16-20年)という2度の震災と戦災で版木や道具が焼失してしまいます。しかし版元の渡邊庄三郎の驚異的な働きで「新版画」は世界に認められる芸術作品となります。

箱根で絵はがきが買えなかったからというわけではないのですが、渡邊庄三郎が起こした渡邊木版美術画舗のWebサイトから川瀬巴水の木版画の後摺り作品が購入できると知り、1枚購入しました。ほとんどの作品は品切れだったのですが購入したのは「雪の向嶋」という作品です。構図の良さ、雪景色の美しさ、そこに挿す仄かな明かり。とても心落ち着く作品です。

後摺りというのは、初摺りと同じ版木を使って摺られた作品で復刻版とは異なります。初摺りとは異なりますが、オリジナルの版木から摺られた版画です。『最後の版元』にも感銘を受けた私は、版元の渡邊木版美術画舗が後摺りで売っている川瀬巴水作品なら買ってみたいと思った次第。実に良い買い物でした。

今後も新版画の展覧会などがあれば鑑賞したいと思います。美人画は西洋好みの私ですので(笑)、新版画は川瀬巴水のような風景画が好きです。

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2016.06.12

圧巻!平原綾香コンサート@足利市

この前、ひとくちメモに「中島みゆきの絶叫系楽曲に平原綾香という解を得た!」という記事を書いた。その直後、平原綾香のライブ日程を検索したら今日の足利公演のチケットがまだ買えることがわかり、これを逃すとポップンポールの名が廃る(pout)と興奮しつつ購入して埼玉から駆けつけ、本日足利市のホテルでこれを書いている。

平原綾香のコンサートは先ほど終了。まさに圧巻の歌姫だった。足利市民会館開館50周年記念事業と銘打たれたコンサート。足利市では初の平原綾香コンサートだそうで、観客も初めて生で平原綾香の歌を聴く人が多かったようだ。それをステージから確認した平原綾香も喜んでいいのかどうかと苦笑していたが、その歌声は確実に届いたと思う。

帰りがけ「ほんとに歌が上手い」とか「最初は口パクかと思った」という観客の会話に聞き耳を立てながらボクは「それが平原綾香というディーバなんだよ」と心のなかで解説した(coldsweats01)。

それにしてもこの歌声は唯一無二だ。以前のコンサートで聴いた時よりもさらにパワーアップしている。天賦の才能を鍛えるとこんな風になるのか。13年のキャリアの裏にしっかりと積み上げた努力の跡を感じた。

中島みゆきファンのボクにとってはアリア(中島みゆき作詞作曲)が生で聴けたことが大収穫。平原綾香のために生まれた楽曲だ。身体が震えた。歌姫のためのアリアを聴きに来てよかった。やっぱり正解だった。

いい加減いいおとなで、そうそうコンサートで感動出来る感受性も衰えてしまったなと思っていた昨今だったが、ちゃんとした音楽を聴けば感動できることを再発見できた。中島みゆきファンに告ぐ!平原綾香のアリアを生で聴くチャンスがあれば聴いとく方がいいと思う。損はさせない!

「明日」も久しぶりに生演奏で聴けて嬉しかった。ボクのエバーグリーンな一曲で何度聴いてもグッと来る。

オープニング曲のマスカット(玉置浩二作詞作曲)も実に味のある楽曲だ。アルバム『LOVE』でも一曲目を飾る。玉置浩二はホントにいい曲を書くよなぁ。これもまた平原綾香の声域を存分に聴かせる一曲。

「星つむぎの歌」も会場がひとつになった。この曲も大好きなのでボクも遠慮なく歌った。足利市民会館は1600人くらいのホールなので会場の歌声もステージによく届いたかもしれない。ビジネス抜きで考えることが出来るなら、このくらいのキャパが一番いい距離感かもしれないと思った。

平原綾香が今後ますます歌声に磨きをかけて、またいい作品に巡りあえて、それを観客に還元してくれたら日本のポップスの水準は維持できる。これからも聴き続けたい音楽家のひとりだ。

とりあえず明日はゆっくりして(オレも織姫神社にあやかりに行ってみるかなbleah)、あさっては平原綾香のネクタイを締めて活動する予定である(笑)。

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2016.06.05

中島みゆきの絶叫系楽曲に平原綾香という解を得た!

寺尾聰さんが28年ぶりにTBS日曜劇場枠のドラマ主演をされるというニュースをきっかけに「ブラバンキッズ・リターンズ~まさかのドラマ化に寄せて」を書き、それだけで収まらずに、DVD-BOX「優しい時間 」を夜中までかけて全編見直した。ほんとにいいドラマ。淡々と静かに物語が進む。妻の死をきっかけに商社を退社し妻の故郷北海道でカフェ森の時計を経営している涌井(寺尾聰)。毎回、亡くなった妻(大竹しのぶ)と涌井(寺尾聰)との会話で終わるのだが、そこに平原綾香の「明日」という楽曲が流れる。

このドラマによって「明日」という楽曲はボクにとってエバーグリーンな一曲となった。今回ドラマを全編見直しながら、一度もエンディング曲を省略せずに見た。ほんとにいい曲。そして平原綾香という稀有なボーカリストの存在に感謝したのだ。

それで今日、「LOVE」という最新アルバムを再び大音量で聴いてみた。愛をテーマに豪華な作家陣を起用したアルバム。そのなかに中島みゆき作詞作曲の「アリア」がある。

中島みゆきさんの作家性についていまさら語る必要はないと思うが、前に「中島みゆきのアイドル歌謡への想い」を書いたときの心境に通じる感覚。他のアーティストへの楽曲提供を楽しむ中島みゆきのこころを察しながら(妄想しながらともいう)聴く愉しみが「アリア」にもある。

ただその提供先が今回はアイドルではなく、平原綾香という希代の歌姫であったということが特筆に値するわけだ。「ついに出会ったかこの二人が!」と思わずにいられない。

それもこの楽曲。中島みゆき節のなかでも昨今の絶叫系楽曲に分類したくなる「アリア」は、そんじょそこらの歌手には歌えない。このタイプの楽曲を提供できる相手はほとんどいなかったと思う。しかしヴォーカリスト平原綾香は違った。平原綾香の楽曲として歌い切った。

このアルバムに添えられた中島みゆきからのメッセージに重要な言葉がある。

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歌ってくださる方にめぐり逢えて、この楽曲は幸せ者です。
(中略)
尊敬してます、平原綾香さま。

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これをボクの妄想解釈脳は「歌える方にめぐり逢えて~」と読んでしまう。中島みゆきは、この楽曲を歌いこなせる歌姫を見つけた喜びを表明しているのではないだろうか。

「作ってはみたものの、この音域、この勢い、このドラマツルギー、(あたしを含めて)誰か歌えますかしら?」

そんな葛藤があったのではないだろうか。絶叫系を歌いあげたい中島さん自身もビビるほどの愛の絶叫歌。それを歌える歌手がいたわけだ。技巧も音楽的感性も申し分ない平原綾香がいた。

平原綾香の実力も語る必要がない。中島みゆき×平原綾香=絶叫系楽曲の完成度無限大という解を得た気分だ。

ついでに言えば、ボクはピアニシモで歌う中島みゆきが好きだった。これも前に「世情からピアニシモへ 中島みゆきの『常夜灯』を聴く」に書いた。そういう意味では、中島みゆきさんのピアニシモ系の楽曲も平原綾香の解釈で聴いてみたい。「明日」に通じるエバーグリーンな気分に浸れる素晴らしい音楽の創造につながる気がする。

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2016.06.04

管理画面に知らない男の顔写真という恐怖

少し前にこんな質問をココログスタッフに出してました。

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ココログにログインして最初に表示される管理ページトップで、ブログ名がテキスト表示されるところ(記事を書くボタンの上)の背景に知らない男の顔写真が毎回表示されて気持ち悪いです。以前はここに背景画像はなかったと思います(あったとしても無地の画像でした)。

そもそもここの背景に写真が表示されるのはユーザー設定では不可能だと思うので、これはココログそのものが何かウィルスかスパムに感染してしまっているのではないでしょうか。とても気持ちが悪いです。(以後省略)

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想像したら怖くないですか?記事を書こうと思ってログインしたらいきなり知らない男の顔写真が表示されるんですよ。以後毎回消えません。完全に背景画像となってました。

ココログスタッフに問い合わせたところ再現しなかったとの回答を先ほどいただきました。ウチの環境の問題が考えられるとのこと。

たしかに質問した翌々日からだったかな、私のPCでも再現しなくなりましたよ。何らかの手当てをしてくれたのかなと思ったのですが自然に直ったようです(あるいはココログ広場にも報告していたので他のスタッフがこっそり直されたのかも…)。

そんなこともあるだろうと、その時の知らない男が表示されてる管理画面をスクリーンショットで保存していましたので、そのときの恐怖をおすそ分け!

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2016.06.03

ブラバンキッズ・リターンズ!まさかのドラマ化に寄せて

はじめにことわっておきますが、「ブラバンキッズ・リターンズ」なんてドラマはありません(笑)。今年の夏、TBSで始まるドラマ「仰げば尊し」への期待をここに表明しておきたいと思い書き始めた次第です。

なぜブラバンキッズ・リターンズなのか?

それはひとくちメモの2009年の記事「復刊!ブラバンキッズ・ラプソディー」から7年目にして、このノンフィクションがドラマで甦るからでございます!私が個人的にリターンズと騒いでるだけでございますが、騒ぐだけの価値がある原作のドラマなわけですわ。

最近、書店でも『ブラバンキッズ・ラプソディー』と続編の『ブラバンキッズ・オデッセイ』が平積みになっているのは気づいていました。しかしそれがドラマ化につながっているとは思ってもみなかったわけです。

ボクはこのノンフィクションの面白さをよく知ってるので、復刊後にロングセラーになって嬉しかったですし、新学期のこの時期に口コミで売れる書籍なんじゃないかくらいに思っていました。ひとくちメモの記事も多少は貢献できてたかなとひとりほくそ笑む的な(wink

ひとくちメモの記事は7年経ったいまでも結構読まれてはいたんですが、それが今日になっていきなりのアクセス数急上昇。どういうことだろうと検索してドラマ化を知りました。

それもTBSの日曜夜9時ドラマですよ。ドラマの王道…。そんな言葉すら浮かんでくるドラマ枠です。

ブログ書いてて良かった~。こうして情報が入ってきてくれる。ほんとアクセスしてくださる皆さんのおかげございます。ありがとうございます!

そしてキャスティングにもまたクラクラ来てしまいますね。中澤忠雄先生の役を寺尾聰さん!そう来るかTBS!まいった。素晴らしい。素晴らしすぎる。

ボクは寺尾聰さん主演の『優しい時間』ってドラマも大好きでDVD-BOXも買ってるわけですが、ブラバンキッズ・リターンズ(違うって!)の主演もやってくれるなんて…。もう感動で泣きそうですわ。でももっと悲しい瞬間に涙は取っておきます(松本隆かよ!)。

2009年にも書きましたが1991年初版の『ブラバンキッズ・ラプソディー』が2016年夏のドラマになるなんて。四半世紀の時を超えてドラマ化なわけですよ!

復刊されて良かった~。著者さん、編集者さん、そして八郎右エ門さん(ご無沙汰しております…)、おめでとうございますshine

すべてはそこから始まってるんじゃないかな。

復刊からドラマ化までをスピンオフドラマ化出来るよ。そこにオレも出たいな。いやブログを書くオレを六角精児さんに演じてほしいな(笑)。

そんな妄想はおいといて、とにかく必見のドラマなのですsign03

DVD-BOXも買う気満々!でもTBSがくれたらもっと嬉しい(笑)。

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2016.05.21

サヴォワ邸散策メモ ~世界遺産登録(目前)記念~

世界中に点在するル・コルビュジエの建築を一括して世界遺産登録しようという取り組みが今年ようやく認められようとしてる。上野の国立西洋美術館も入っており日本のニュースで報道されているが、パリにあるコルビュジエ建築の代表作サヴォワ邸もそのひとつだ。

パリひとり旅でサヴォワ邸を訪問したのは2013年の秋。CDG空港についた2時間後、人影もまばらな早朝のモンマルトルの丘で超美人の女の子(たぶんモデル)に出会ってテンションがあがったが、その直後10代の黒人の男の子3人に囲まれた(たぶんカツアゲ)。精神的にアップダウンの激しい旅の始まり。カツアゲを振り切ったその足で向かったのがポワシー市にあるサヴォワ邸だった。

宿泊のホテルはベルシー地区で真反対の方向だったが、短期旅行だったので初日サヴォワ邸訪問も選択肢のひとつだった。そのためにパリヴィジットもゾーン5まで行けるものを買っていた。迷わず向かった。

サヴォワ邸やコルビュジエの建築について書けるほどの知識もスペースもないのだが、サヴォワ邸の写真も何枚か撮ってきたし、それをブログに書くタイミングはここしかないと思って写真アルバム的に残しておこうというのが今回のひとくちメモ。だから写真はサイズ変更程度であまり加工しないで載っける(写真はクリックで拡大)。

●行きは徒歩、帰りはバス

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Villa_savoye005ポワシー駅からサヴォワ邸までは歩いてもそれほど遠くない(バスも出てる)。パリ郊外の静かな場所でもあり、ひとり旅で軽く散歩したい人にはおススメの道のり。大都会パリとは違った精神安定剤のような街並みだ。

パリヴィジットを持っていればバスも乗り放題なわけだが、初めての街だし遠くなさそうだったので歩くことにした。知らない街を散策するのは気持ちいい。駅を出て右方面に歩いていくと、分岐点に「Villa Savoye」の方向指示版があったのでそこを曲がる。地図を見るとその後もう一か所右折した感じだけど感覚的には道なりだった。

途中で住人のおじさんと目が合ってボンジュールとあいさつすると、サヴォワ邸までの行き方を教えてくれた。迷っていたわけじゃないけどふれあいには積極的に乗ったほうがいいのでメルシーメルシーとお礼を言って進んだすぐ先にサヴォワ邸はあった。ひっそりとあった。

そこから見学して帰るわけだが、帰りのほうが若干下り坂なので歩いてもいいかもしれない。このときは旅の荷物全部持って来てるし、サヴォワ邸をじっくり見学して疲れてもいた。パリヴィジットを使ってバスに乗る方法も知りたかった。それならこういうゆったりした街で使い始めたほうが使い方を教えてもらえそうだと思ってバスに乗った。それは正解だったと思う。何やっても正解なのがひとり旅というものだ(笑)。

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●サヴォワ邸の外観を概観

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上の写真はサヴォワ邸ではない(笑)。一瞬これがサヴォワ邸かと思い、「なんて小さくて手入れされていないんだ!?」と早とちりしたのだ。観光写真と現物が異なることはあるがこの差はなんだと。しかし大丈夫(笑)、これは門番の家らしい。サヴォワ邸はこの奥にある。

とはいえ、最初に目に入るこの水平連続窓の建物も、もう少し小奇麗にしておいた方がいいと思った。サヴォワ邸を紹介している書物などにもほとんど触れられていない門番の家だが、もっと敷地全体の外観、とくに入口は結構重要だと思う。観光目線だけどね。忘れ去られた感のあるこの小汚い門番の家をちょっとクローズアップしてみたくなった次第。

さて、こっちがサヴォワ邸。誰もがこの角度で最初に見ることになる。この日はなかでパーティが開かれてた。
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サヴォワ邸の玄関を入ると売店があった。土産物や書籍、レゴブロックなんかを売っていた。日本語の書籍はあまりなかった気がした。旅の荷物全部持ってきていたので売店横の物置部屋に荷物を置かせてもらった。

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いわゆる近代建築の5原則のなかの2つ、ピロティ(壁に覆われない開放的な空間)と水平連続窓とがものすごい存在感で目に飛び込んでくる。このシンプルな一軒家の外観は現代の目から見れば特別な感じはしないけれども、その起源であるという感慨は残った。

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●屋内散策~建築的プロムナードの傑作~

サヴォワ邸内部の写真もたくさん撮ったけど、そういうのはコルビュジエ建築の書物にたくさんあるので専門家にお任せして、ひとくちメモ的には枝葉末節な写真をいくつか載せてみたい。

屋内に入った瞬間目に入るスロープの存在感や迷路のような屋内の中央にあるらせん階段は「建築的プロムナード」と呼ばれるコルビュジエの特長を良く表しているそうだけど、その印象は写真では伝わりにくい。アラブの回廊をイメージしているともいわれていて納得した。

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部屋の配置は近代建築の5原則のさらにもう2つ、自由な立面自由な平面を強く実感できる。自由過ぎて家の中で迷いそうだ。

この迷子の感覚こそがコルビュジエ建築らしさでもあると思う。外観のシンプルさ、直線から受ける厳格さが屋内に入るとまったく印象が変わる。混沌というと言い過ぎだけど、その自由さや景色の多様さはサヴォワ邸の真骨頂だ。空間的制約のほとんどない広場を与えられコルビュジエが自由に設計した一軒家らしさ全開といえる。

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トイレへのこだわりは以前「パリのトイレ問題顛末記」として書いたが、そのときにアップした写真はサヴォワ邸の展示物(使っちゃいけない)トイレの写真だ。

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このお風呂はそのトイレの横にある。デジカメのHDRモードで撮っているのでコントラストが派手になってる(coldsweats01)。

●屋上庭園へ

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近代建築の5原則の最後のひとつ屋上庭園は、室内との連続性がとても意識されてる。ここはまだ屋上ではなく2階のテラス部分。最初に見えた水平連続窓の左端が、この上の写真では奥の人がいる左側の窓。ここは内と外が混在する屋上テラスのような造りになってる開放空間。

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360度パノラマ画像も撮ってみた(写真クリックで拡大)。2階の屋内と屋外テラスが混然としてる空間。

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そして屋上庭園にはスロープで向かう。

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実際に屋上まで上がってみると正直室内ほどの面白さはなかったけど…。混沌とした室内空間から開放されたカタルシスみたいなものはあるのかな。何もないことがかえってホッとするみたいな。

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というわけで、サヴォワ邸散策は終了。建築に興味がないとものすごく感動するってことはないだろうし、現代建築から見ればちょっと変わってるけど許容範囲の家にしか見えないかもしれない。でも世界遺産となる重要文化財であることは確か。いったんは解体されそうになったところをアンドレ・マルロー文化相がいたおかげで保存できた幸運の物語なども合わせて楽しみたい観光地だ。旅の初日の朝からだったのでその後ホテルで爆睡した。

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2016.04.29

『フェルメールになれなかった男』 嫌いじゃない!むしろ好き!

ショーンKの学歴詐称問題のニュースがあったタイミングでこの書籍のことを書こうと思ったのだが、ずいぶん時間が経ってしまった。ちなみに学歴詐称問題については2004年に「ポスト古賀?」というヒット記事を飛ばしたひとくちメモ。様々なところからリンクされたけれど、結局タモリの学歴問題は12年経ったいまもうやむやなままである。それがタモリの偉大なところでもあると思う今日この頃。ショーンKにも見習ってもらいたい。

さて、本題。フェルメールになれなかった男とは、世紀の贋作師ハン・ファン・メーヘレンというオランダの男だ。フェルメール他の贋作をいくつも描き世間を欺いた男だが、欺いた相手の中にナチスのゲーリング元帥がいたことでナチスに贋作を売りつけたオランダの英雄のように持ち上げられた男でもある。そして贋作したという自白を信じない人々のために裁判で贋作制作を実演してみせた男、ファン・メーヘレン。

こういう書物も評伝といっていいのだろうか。ノンフィクションというのだろうか。構成もよくミステリーのように読み進められる。そしていまもフェルメールの贋作論争は続いており、芸術とは何かを我々に問いかけ続けている。

私は贋作師が嫌いじゃない。世の中をペテンにかけて批評家が適当な言説を述べるのをひとり嗤い軽蔑する人間。自分で贋作であると名乗り出なければその作品は他人の名声とともに永遠に生き残る。その倒錯した喜びとむなしさの狭間で生きる、その生もひとつの芸術の在り方かもしれないと思う。

絵画に付されたサインや売買記録、展示記録のような枝葉末節が最も重視される美術界の在り方もある意味ペテンのようなものだ。作品の本質というものは実は重要ではなく、商品価値を決めるのは流通経路といっているようなものだ。

真作か贋作かが重要なのは流通する価値、経済的価値でしかない。この絵は誰の絵かを当てるクイズを楽しんでるようなものだ。そこにジョーカーを紛れ込ませるのが腕のいい贋作師だ。ただ答えを教えないまま永遠に続くクイズがいまも世界中に地雷のように潜んでいる。その現象こそまさにアートじゃないかとすら思ったりする。

メーヘレンはもともとは素晴らしい絵画を描く技術を持ち、絵の具の研究に余念がなく、ボタンの掛け違いがなければ画家として成功していたかもしれなかった。だが世間が自分の存在を認めないと分かったとき、17世紀の絵の具について研究し、キャンバスを自作の窯で焼いて古さを演出し、美術評論家の弱点を見抜き、そこをくすぐるような作品を描いた。贋作ではあっても渾身の作品が出来上がってしまった。そこにフェルメールと署名してしまったことだけが罪だった。

贋作が贋作と呼ばれるのもそこに経済的価値が付随するからだ。メーヘレンは大金持ちになった。そして堕落する。女に酒にと生活も荒れていく。そして終戦後逮捕されたメーヘレンは親ナチスの大金持ちとして糾弾されるよりも、贋作師であると自白することで自分の技術を世間に認めさせることを選んだ。このときのカタルシスはどれほどだっただろう。贋作師としてこれ以上の舞台はないように思う。

学歴詐称と決定的に違うのは、そこに作品というリアルな実体を伴うところだ。偶然や人脈や様々な要素によって芸術が、芸術家が、世の中に認められるかどうかは紙一重であり、そうやって出てきた作品はもちろん素晴らしいけれども、出てこなかった芸術や芸術家の思いを物語る贋作というジョーカーにも切ない感情を喚起されることがある。何らかの感情の起伏を伴う作品、それもまた芸術と言ってもいいんじゃないか。

オーソン・ウェルズはかつて「フェイク」という映画を作った。贋作師をドキュメンタリータッチで追い、しかしその映画もどこまでが本当はわからないような映画だった記憶がある。当時はあまりちゃんと見てなくてもう一度見たい映画のひとつだ。贋作であるという、まさにそこに惹き込まれる人々もいる。ボクもどうやらその一人だ。贋作はバレなきゃ贋作になり得ない。贋作が贋作として認められると作品としての経済的価値を失う。だがメーヘレン作品のいくつかはいまも美術館で見ることができそうだ。贋作であることに価値がある珍しい作品として。

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2016.03.06

マネーショート~華麗ならざる勝者たち

この映画の邦題は「マネー・ショート~華麗なる大逆転」だが、心情としては「華麗ならざる勝者たち」と書きたくなる。もちろん商業映画のタイトルとしては華麗なる大逆転のほうが華麗であり正解だ。

狂気のサブプライムローンバブルを見抜き、ウォール街を出し抜いた彼らの雄姿。マイケル・ルイスの原作を読んだのは2014年末から2015年初にかけてだった。読み終わる頃にスイスフランが対ユーロペッグをやめたというサプライズが起き、そこでこのひとくちメモでも原作について触れている。原作と言ってもノンフィクションであり、嘘のようなホントの話だ。

主役が何人もいるので、原作を知らないと最初は若干とまどう映画かもしれない。そもそもがややこしい金融業界の裏の話だ。特に投資家や投資銀行の世界の話であり、リスク資産が日常の米国と一般人にはあまり馴染がない日本とでは観客の意識も異なるような気がする。もっとも日本も経済崩壊に向かっており、その敵が投資銀行ではなく国家そのものである恐怖は映画にも出来ないが。

●サブプライムローンは闇鍋だ。

サブプライムローンが破たんした2007-2008年は喧噪のなかにあった世界も、ようやく何が問題だったのか検証されて来た。映画では三日前の魚を使ったシーフードシチューに例えていたが、私流に言い換えればこれは闇鍋だ。腐った肉を持ってきて鍋に入れた人間がいる。極上肉や野菜と一緒に煮れば当分はごまかせる。美食評論家(格付け会社)も絶賛する。これに気をよくした闇鍋参加者は腐った肉の量を増やし、そしてみんな食中毒になった。この映画はこれが食中毒を起こすと最初に気づいた正常な舌を持った男たちの映画だ(笑)。

男たちは正常な舌を持っていただけでなく、それをボロ儲けにつなげようと考えた。そこが常人とは違う精神力と分析力、そして勇気の持ち主だった。彼らが住宅ローンバブルに気づくのは2005年頃。バブル絶頂の頃だ。業界人の誰もがボロ儲けしていた。その詐欺的なシステムによって…。

ファンドで他人の資産を運用していく仕事は儲ければいいというものじゃない。端的には儲ければいいのだが、その前に「説明責任」がある。これが実に困難な仕事だ。特にバブルな市場に向かっていく(逆張り)には、相当の勇気が必要だ。

誰もが美味いと言っている三ツ星レストランを相手に、彼らは腐った肉を客に食わせてると告発しているようなものだ。真実ではあるのだが、それを自分の持っているデータだけで自分の客に説明し納得させなければならない。人気絶頂の三ツ星レストラン相手にこれをやる勇気があるだろうか。

映画のなかでこの説明責任と闘っているのがマイケル・バーリ(クリスチャン・ベール)だ。主役のひとりではあるが、地味に一人で闘っている。他の主役との交わりもない。バブルが弾けるまで運用成績はマイナス20%を超える。顧客からのバッシングの嵐のなかで耐え、最後は400%を超える利益を得る。この孤独なヘビメタ野郎の姿が一番リアリティを持って見えた。

●空売りは悪ではない

空売りというと日本では極悪非道のように言われることがある。証券会社は買いは異常に薦めるが売り(信用売り)はあまりいい顔をしない。米国でも多少そういうところがある。特にバブルの中でのショート(売り向かい)は馬鹿にされるし、実際に損することが多い。弾けるまでは…。

バブルがいつ弾けるかは分からない。それは詐欺的システムの堅牢性だったり、それを信じる投資家やマネーの量が支えている場合もある。詐欺と知ってか知らずか、カネがカネを生むそのシステムを誰も疑わない。そのほうが儲かるからだ。考える必要がない。

実業界も実体以上の評価でも下がるより上がる方がいい。短期的評価こそ強欲資本主義の肝であり、今が良ければそれでいいのだ。勝ち逃げするためなら何でもやるイカサマ博打をやってる。イカサマだからばれるまでは勝ち続けることが出来る。それに提灯をつける(後追いする)有象無象の投資家も出て来てバブルを更に膨らませる。

しかし実体経済とつながっている金融システムは、詐欺の矛盾を徐々に露わにしていく。それを自らの足で調査し確信して空売りを始めるのはマーク(スティーブ・カレル)たちヘッジファンドだ。郊外の住宅地。空き家が目立つがどれもお買い得物件と説明される。住宅ローンには何の担保もいらない。空手形でも借りられる。

マークはそんな適当な売買をやってぼろ儲けしているブローカーの言葉を聞き、部下に疑問を投げる。「彼らはなぜ罪を告白してる?」すると部下は応える。「彼らは自慢してるんです…」

あきらかに実態経済は足もとから破たんし始めていた。破たんする市場を売る(ショートする)ことは悪ではない。理にかなっている。警鐘を鳴らしている。しかしウォール街の住人としてのマークには常に葛藤がある。この詐欺的システムやそれを分析する気もない格付け会社への怒りも徐々に高まる。

●実体経済が敗者となる資本主義社会

もう一組の主役は、ベン(ブラッド・ピット)と若き投資家ジェイミー&チャーリーだ。ISDAというデリバティブ取引の資格を持たない(資本が少なすぎて持てない)若き投資家コンビから話を持ちかけられたベンは伝説の銀行家。だが汚いウォール街に嫌気がさし引退していた。

この取り組みにベンが乗ったのは、ウォール街を出し抜いてのし上がろうとしている若き二人に純粋に魅かれたからなのだろうか。それともウォール街で名を馳せた銀行家としての嗅覚がこのビッグ・ディールに目覚めたのか。そのどちらもかもしれない。もうひとつ、ブラッド・ピットが演じたくて仕方なさそうなかっこいい役だったからかもしれない(笑)。

ベンは空売りで大きな勝利を得て浮かれている二人を諭す。負けたのは国民だと。確かにそうだった。サブプライム層といわれるリスクの高い低所得層を食い物にしていく。そして裾野から崩れたリスクは上位層も巻き込んで一気に崩壊した。金融工学などまったく知らない一般人の生活を一晩でぶち壊す。肥大化した資本主義は実体経済にレバレッジをかけて世界をゆがめていく。

バブルを勝ち逃げすることよりも、弾けたバブルのショートで勝つことのほうが儲けは数倍になるかもしれないが、心情としては苦しいだろうと思う。世界の崩壊に投票して勝つことになる。まったく華麗とは言えない苦い勝利に違いない。

資本主義が実態経済と乖離しはじめている21世紀は、バブルも起きやすくなる。誰もが勝ち逃げするためにプチバブルに乗ろうとする。さらにバブル崩壊でどう儲けるかも学習してきた。バブル崩壊に賭ける手段も進歩しオプションを使ったヘッジは常識になっている。

バブルを崩壊させ逆バブルを起こす。流れにのることが相場そのものだからだ。バブルが連続し乱高下しやがて更なる大バブルを生む。エントロピー増大の法則のように。規制できる機関が無くなってきている。人類は資本主義に追い詰められてきている。

だが、これらのツールを身に着けてウォール街の人々が考えるのは、次なる詐欺の手口だ。自分だけは勝つ。後は野となれ山となれ。こうして繰り返されるマネーゲームが実体経済を蝕みながら続く。総体としては世界経済崩壊に向かう道だが、今が良ければそれでいい人類の浅はかさ。それは原発を生んだ業(ごう)にも似ていると思う。

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2016.02.16

ニフティの@homepageサービス終了

ついにこの日が来てしまった。@niftyのホームページサービスの@homepageが今年終了するとのメールが届いた。ほぼホームページという手法が過去のものになったということか。

ただ、2018年までは引っ越し先が準備されてるようなので、さっそく引っ越した。ひとくちメモのプロフィールも新しいリンク先に変更した。

新しいURLは、http://popn.cafe.coocan.jp/index2.htm です。

2006年から更新していないので、もう10年放置しているわけだけど、たまに過去の自分の言動を確認にいくことがある。

1999年のラーメン紀行とか、きっと今後も読み返すと思うんだな(笑)。

ホームページを作っていた頃って一番アグレッシブにいろんな事やっていた気がする。記事の背景にあった出来事とかいろんなことをスッと思い出せる。

Geoid onlineの雰囲気は当時からブログっぽくて、近未来を予見していた気がする(自画自賛 catface)。デザインは手作りで作っていたわけで、自由度や発想を形にする面白さはホームページのほうがあった気がする。確かに時間はかかるしパブリッシングも面倒だったけど、その非効率が面白かった。

最初はHTMLをゼロから覚えてワープロソフトの付録機能で手書きしていたわけだから、ほとんど「作る」という部分に主眼があったし、そのスキルを身に着けることが楽しかった。その後、Visual Cafe や マクロメディアのソフトに進化していった。

ブログになってからはシステムを覚える必要がなくなり、純粋に「書く」という部分に精力を傾けた。それはそれで面白かった。

いずれブログというメディアもまたホームページのように別のカタチに置き換わっていくのだろうか。どこかで全部やめてリアル社会だけの存在となり、寿命が来て死んでいくのだろうか。綺麗に清算できればいいけど。どこかでスッパリやめる宣言はしたいな。イベント好きなので(smile)。

そのうち、手入力もなくなってブログ的なメディアが口述筆記や意識だけで電気信号飛ばして表現できる時代が来るかもしれない。そうなったら死ぬ間際まで発信できそうだ。「あぁ、もう時間です。さようなら浮世のみなさん」といいながら自分の死を実況中継できる時代がくるかもな。

とりとめなく書いてしまったが、まだまだ死なないと思うので、これからもよろしく。

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2016.02.13

初日!ローカル路線バス乗り継ぎの旅 in 台湾 THE MOVIE

Movie_local_bus20160213スターウォーズに続いて今年2本目に観に行った映画は「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 in 台湾 THE MOVIE」だ!本日初日。一本目を見たいと思って朝から出かけた。どうせならローカル路線バスを乗り継いで映画館まで行こうかと、ひとり遊び的妄想がよぎったが、映画に間に合わなきゃシャレにならんと思いとどまり電車で出かけた。

1本目上映30分前だったがチケットはすんなり買えた。でも席は結構埋まっていた。初日の1本目なんてのは番組ファンが集まっていたに決まってる(笑)。同士とともに我々も台湾のバス旅に出かけるのだ、というテンションにはまったくならなかったが、大スクリーンで見るのはそこはかとなく嬉しい。

ある意味、究極のロードムービーだが、主人公が旅をする目的や意義は劇中には存在しない。出演依頼を受けたタレントが仕事としてやってるのはみんな知ってる。ドキュメンタリーでもない。TBSの「クレイジージャーニー」が映画になったらドキュメンタリーかもしれないが、こっちはタレント3人による単なる旅番組である。いや旅番組ですらないかもしれない。テレビ番組とまったく同じルールで移動するゲームのような旅だ。それをあえて映画館で見る。それがなぜか面白い。


面白さの源泉はやはり蛭子能収さん(68)だろう。蛭子能収論(coldsweats01)は第18弾のとこで書いたけど、もはやこのオッサンがなにかつぶやくだけで笑ってしまう。一日の終わりにホテルを見つけてホッと一息つくだけで笑える。民宿に泊まると聞いて涙が出てくるだけで笑える。まさに笑いあり涙あり!看板に偽りなしだ(?)。

太川陽介リーダーも初の海外では勝手が違う。しかし日本で身に着けた路線バス乗り継ぎスキルは活きていた。尋ね方ひとつで戻ってくる答えが違う。そのことを熟知する太川陽介リーダー。テレビ以上にあきらめない姿はまさに映画への責任感かもしれない。夕食時のジョッキ芸があまり見れなかったのは残念だが、台湾ビールのコップ飲みもなかなか見れない。身体にはこのほうがいい。

マドンナの三船美佳さんもいい人選だったと思う。英語もしゃべれて旅慣れてる。明るく弱音を吐かない。世界のミフネ話も嫌がらずにはさめて、映画化に求められたゴージャス感も持ち合わせる(smile)。蛭子さんの特技を引き出せたのはファインプレイ(笑)。この映画版では蛭子さんの知られざる特技も披露されたのだ。三船美佳さまさま。台風さまさま。ビニール傘さまさま。

台風といえば、この映画のロケには台風21号が直撃したのだった。路線バスが運休してしまうほどの台風。太川さんが読んでた新聞には22万人が避難という大見出し。台風一過で街を歩けば公園の木が倒れていたりする。マジで危険な台風だったことがわかる。CNNでもニュースになってた

屋外ロケの撮影に悪天候はつきものだが、この番組はそれでも撮影を強硬してしまう。3泊4日でゴールというルールはルールなのだ。そこはドキュメンタリータッチなのだ。しかしこの台風までもがサスペンスな雰囲気を生んで、この番組を映画っぽく仕上げることに貢献する。台風があったからこそ生まれたドラマがいくつもあった。番組の勢いとは恐ろしいものだ。台風まで味方にしてしまう。

いつもながら旅番組としての情報は少ないかと思いきや、そこは映画だ。いつもより余計にロケーションの説明を入れてあったような気がする。キートン山田さんの名調子がとても心地いい。ローカル路線バスだから普通は立ち寄らないような小さい街も紹介されて、そういうローカルなところがまた心地いい。情報といえば台湾のローカル路線バスが台風で明日運休になるかどうかは毎晩22時に発表されるのだ。覚えておこう(笑)。

個人的に映画のネタばれなんて気にしない私だが、この映画は達成できるか出来ないかのゲーム番組でもあるのでそこは伏せておきたい。最初で最後かもしれない映画化でまさかの「ゴールできず!」というのもないとはいえないのがこの番組だ。そのハラハラ感が最終日まで続く映画に仕上がってる。編集の巧みさもまたこれまでの経験が蓄積された結果かもしれない。

蛭子さんは1800円払って誰が見に来てくれるのかと言ってたが、映画館で見て損はない作品になってたと思う。ただ一度もこの番組を見たことがない人が最初に見てどうだろう?DVDでもBS再放送でもいいから、一回国内版を見てからのほうが、より楽しめるように思う。

この映画は台湾でも上映されるのだろうか。やってみてほしい。結構ウケるんじゃないだろうか。観客にはルール表を渡したりして。ついでに日本から3泊4日で行く同行程チャーターバス乗り継がない旅なんてツアー組んでくれないかな(happy02)。台風はなしで。

映画のエンディングテーマは由紀さおりさんの「人生という旅」だった。まぁお上品!どうしちゃったの(っていうのも変だけど)。でも映画っぽくて良かった。作曲は杉真理さん。おもえば今回この映画を観たMOVIXさいたまが入っているコクーンのオープニングイベントは杉真理さんの屋外ライブだった。2004年9月17日のことだ。それも実は観に行った。なんだかそういうローカルな感慨もついでに味わえた。

帰りくらいローカル路線バスで帰ろうかと迷いながら一駅歩いたが、電車の誘惑に負けて電車で帰宅…。いや、電車ってやっぱ速いわ(笑)。ローカル路線バスを乗り継ぐ旅なんてやはり銀幕のなかのファンタジーだと思ったね。ちなみにローカル路線バス乗り継ぎの旅ファンタジー論は第17弾のときに書いてる

なにはともあれ、「映画化おめでとう!」とファンの一人として祝辞のひとつも述べておきたい。映画化してもなにも変わらないこの旅をこれからも元気に見せてほしいものだ。


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2016.02.11

『親なるもの断崖』を『断崖~親愛なる者へ~』を聴きながら読了

週刊金曜日の1月15日号の書評は珍しく漫画を紹介していた。曽根富美子『親なるもの断崖』の新装版だ。宝島社の「このマンガがすごい!2016」の第9位で、電子書籍版もヒットして新装版が発売された。

このタイトルを見て中島みゆきファンならきっと「断崖~親愛なる者へ」を連想すると思う。もうタイトルだけで半分は惹き込まれてしまった。

更に舞台は北海道だ。明治末期から昭和初期の室蘭。日露戦争の頃から東洋一の兵器工場と言われ重工業で栄えた男の飯場。そこには当たり前のように遊郭があり、女衒に連れられて売られてくる少女たちがいた。

室蘭にある地球岬という断崖。地球岬をポロ・チケウといい、アイヌ語でポロ=親である・チケウ=断崖という意味らしい。ポロは大きいといった意味だが、そこにある大小の断崖の大きいほうを親、小さいほうを子に見立てて女衒が連れてきた娘にこう話す。ここから室蘭がお前の親だ。死にたくなったらこの断崖に来いと。

このとき連れられてきた娘は4人。松恵、お梅、武子、道子。この物語は彼女たちそれぞれの一代記といえる。世間の厳しさを凝縮したような幕西遊郭の只中にほうり込まれた壮絶な人生の物語。

長く生きながらえる者も短い生涯を終える者もいる。厳然と存在する世間の不条理やむき出しの本能。獣のように、いや獣以上に非情な人間社会。その営みと併存してもの言わぬ断崖がある。人々はその断崖を畏怖しつつ人生の岐路でその断崖の前に立つ。

読んでいる最中、中島みゆきの「断崖~親愛なる者へ」が何度も頭の中でBGMに流れてしまった。以前、この曲についてこんなことを書いていた。

断崖って聞くと断崖絶壁から身を投げるようなイメージが浮かぶ。でもこの断崖は決意表明を叫びに吹雪のなか出かけた場所なんだ。海に向かって、春の服を着て走り続ける決意をひとり叫んだんだ。叫ばなきゃいられなかったんだ。きっと。

断崖の前でその断崖の深い部分まで共鳴しようとする心は北海道人特有のものだろうか。北海道の断崖を観光でしか体験していない私には、その深層心理にまで共鳴することが正直難しい。中島みゆきの断崖も、曽根富美子の描く娘たちの断崖も、あらゆる感情を飲み込みあるいは抱きしめ、日常と非日常の境界に存在するかのようだ。

『親なるもの断崖』新装版は第1部と第2部の全2巻。第2部は、第1部で遊郭に売られて来た4人娘のなかのひとりが女郎として生き、壮絶な人生の果てに産み落とした道生という名の女の子の物語だ。そして昭和33年、売春防止法が完全施行されて幕西遊郭が消えるまでの物語でもある。

道生の目ぢからに圧倒される。第1部とは違う戦争の時代。強く生きようとする道生の愛おしさ。断崖と同じく、男の私にはどこまで登場する女性たちの心情に迫れたか分からないけれども、動乱の時代に息づいた女の系譜を中島みゆきのBGMとともに読み終えた充実感が残った。時代背景もうちの祖母、曾祖母の時代と重なる。7年前(2009年)の今日は祖母が亡くなった日。女系の家庭で育った私にはそういう部分での不思議な親近感もあった。

余談だが、これを読み終えたころには、似た境遇の映画『大地の子守歌』がブルーレイ化される予定だった。しかし発売直前にまさかの発売延期。素九鬼子原作、増村保造監督、そして原田美枝子主演。なんとかもう一度見たい映画だ。限定版でもいいから発売してほしい。オンデマンドでもいい。よろしくお願いします。

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2016.02.08

NHKドラマ「逃げる女」の配役に魅せられた

最近忙しくてドラマを見ている時間もあまりないのだが、たまたま「逃げる女」第5話を見て、いや正確にはたまたまスポット番宣を見て出演者のあまりの良さに録画予約したらすでに第5話目だったのだが、それを見て思わずオンデマンドで最初から見直したのだった。

鎌田敏夫オリジナル脚本の全6回ドラマだ。鎌田敏夫、さすが、としか言いようがない。映画を見てるような感覚で惹き込まれた。来週最終回だが間に合ってよかった。それも最終回のひとつ前の回を見て惹き込まれたというのも個人的にテンションが上がる。最終回のひとつ前が面白いドラマこそ名作だという持論を何度も書いてきたがここでもそれが当てはまった。

インモラルを描かせたらNHKドラマはめっちゃクオリティが高い。「八日目の蝉」でそのことに気づいたのだけど、こういう逃避モノがボクの好物なのかもしれない。“逃げる”という行為そのものに惹かれるのかも。ロードムービーのような疾走感もあり、サスペンスな要素もあり、道草感(ストーリーの主軸に対する横軸的展開)もテンコ盛り出来たりする。

キャスティングの素晴らしさ。まるでボクのために作ってくれたようなキャスティングでまったく隙がない。それぞれに思い出のドラマや映画がある。主演の水野美紀は「彼女たちの時代」が印象的だった。「恋人はスナイパー」もなにげに好きだった。ベテランの遠藤憲一はいま乗りに乗ってる俳優だけど、ボクにとってはやっぱ「湯けむりスナイパー」のエンケンだ。賀来賢人はわりと新しめで「Nのために」が名作ドラマだった。このドラマも実に配役が良かった。賀来賢人は善人も悪人も出来そうな雰囲気を持ってる。

あと、でんでん。実は番宣にでんでんが出てたから録画したってとこある。でんでんも「湯けむりスナイパー」が実に良かったけど、映画の「冷たい熱帯魚」は外せない。

第二話の原田美枝子も大好きな女優のひとり。「大地の子守歌」がブルーレイ化されるはずだったのに1/29の発売直前になぜか販売延期に…。中止でなく延期であることを祈りたい。原田美枝子さんの作品はたくさんあるけどボクにとってのドラマは「無邪気な関係」だ。あのカッコよさは憧れの女性(姐さん)像になった。

田畑智子もドラマにたくさん出ている。存在感のある女優だと思う。たとえば沢尻エリカの「ファースト・クラス」でもいい味出してた。あまり知られてなさそうだけど「おシャシャのシャン!」という単発ドラマも田畑智子らしいドラマだった。NHKドラマ特有の難しい役とか演じきれる技量を持ってる。息の長い役者を目指してほしい。

そしてこの「逃げる女」でもっとも光っているのが水野美紀とダブル主演といえる仲里依紗だ。正直なところ、これまでは名前を知ってるといったレベルだったけど、このドラマで見せるヤバい少女役はすごい。並みの若手女優じゃこれは出来ない。彼女は伸びる。いやすでに売れっ子なんだろうけど、もっとしっかりした物語にチャレンジできる女優だと思う。これからも内容のある作品に出てほしい。

これだけのキャスティングで鎌田敏夫のオリジナル脚本でがっつり作られた「逃げる女」に、やっぱりドラマを観なきゃアカンなと思った次第。オンデマンド様々!

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