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2024/11/03

夏旅2024 夫婦編(8)~ 人力車で姫路城一周 ~

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8月17日(日)ホテルオークラ神戸での朝食は大広間だった。昨日の朝食会場はブッフェレストラン有明だったが日曜で宿泊客も多いからかもしれない。しかしちゃんとシェフもスタンバイしていて卵料理を提供してくれる。神戸長田の名物ぼっかけをオムレツにかけることも出来た。昨日、新長田駅で途中下車して鉄人28号のモニュメントを見に行ったときにぼっかけも食べたかったのだけど、そのあとに南京町食べ歩きを予定していたので食べなかった。朝食で遭遇できて良かった。

11:00チェックアウトだったので、そこまで部屋でゆっくりしつつ、この日の予定を確認した。夏旅最終日なので神戸市内か東京方面を目指すところだが、姫路城を見に行くことにした。

姫路は初日に途中下車で寄るとか、神戸二日目に遠出しても良いかなとも思っていたが、帰郷先の山口県からの帰京で台風の影響が出て神戸までの新幹線を取り直したため、初日に安彦良和展(兵庫県立美術館)、翌日までに南京町神戸牛と週末花火というスケジュールにして、導き出した最終日の観光地が姫路城だった。なかなかこういう機会でないと姫路に寄ることも少ないし妻はまだ行ったことがないということで。帰京とは逆方向になるが姫路らだったら帰りにそのまま東京行の新幹線にも乗れるので好都合だった。

●いざ姫路城へ

チェックアウト後、大きな(取っ手が取れやすい)スーツケースを引きずりながら南京町を抜けて元町駅へ。エレベータでホームに向かった。姫路駅までは山陽本線一本一時間で着く。新幹線乗換口近くのエキナカに大きなロッカーがあるのでそこにスーツケースを入れて駅を出た。

駅から姫路城までの広い大手前通りに出ると真っ白い姫路城が見える。途中まで地下道で行ったが、通りに上がると暑い。右手のアーケードを通ればもっと近くまで行けたのだが、それは後述する人力車を降りてから教えてもらった…。まぁ大手前通りを通って城に向かっていなければ人力車に出会うこともなかったわけだけど。

城の手前まで来ると、姫路城近辺の地図を持って通行人に話しかけている色黒の明るい男性がいた。人力車の呼び込みだ。最初は通り過ぎようとしたけれど、CXの「ザ・ノンフィクション」の人力車シリーズを結構みてきたので、ちょっと興味をそそられて振り返ってこちらから近づいて行った。妻は「また始まった…」という目で見ていたようだが「もう乗る気まんまんだったよね」とも言われた。まぁそうなるよね!

呼び込みの男性は天下車屋専務の五月女さんだった。業界歴が長く裏も表も知り尽くしている明るい人だった。「ザ・ノンフィクション」の話も言える範囲(笑)で聞かせてもらった。

この流れで人力車に乗らないという選択肢はない。明朗会計だし旅の終わりに人力車ってのも思い出になる。夫婦そろって初めて乗るので興味津々でもあった。

●人力車でハプニングも

ただ、すでに13:30で16:00頃の新幹線には乗りたい。姫路城の中も当然見学したいという話をすると「45分で姫路城一周を超速で回るコースならいける!」と太鼓判を押してもらったので、そのコースで出発することにした。俥夫は若手のイケメン栗宗希光さん。姫路城にまつわる逸話を面白く話しながら、時にはクイズ形式で雑談しながら、この暑さの中を突っ走る。かっこいいっす!

途中で人力車ではほとんどないというパンクも経験した。初めての人力車なので多少ゴトゴト走っていてもこちらは快適だと思っていたのだが、出発して10分と経たないうちに「乗り心地、悪くないですか?」と何度も聞かれて「いや、いいですよ」と答えていたのだが、俥夫ご本人がどうもパンクしたみたいだと道を逸れて停車した。

そこで我々をいったん降ろして日陰に連れていき、携帯電話をかけ始めた。どうやらパンクで車の変更になるようだ。この非常事態にイケメンもちょっと不安げだった。そもそもコースを外れて停車して怒られないかも心配そうだった。もしかすると初めてのパンクだったのかもしれない。我々は45分コースでギリギリの設定だったので時間の心配をしていた。

人力車の交換ってどうやるのかと思ってみていると、さっきの五月女専務が別の人力車を引いてこられた。そりゃこの方法以外ないよな。交換車も人力で引いてくるしかない。携帯電話がない時代はどうやっていたんだろう…。「いやーすみません!次の車も出払っていて!」と五月女専務はここでも明るい。パパッと車を交換してパンク車を引いて戻って行かれた。いやはや出発後10分程度で良かった。

●東西南北から見る姫路城

車を変えると確かに乗り心地が格段に良くなった。ゴトゴト感はほぼなくスイスイと滑るように進む。イケメン栗宗希光さんの弁舌も滑らかに戻った。姫路城は南側(姫路駅側)から眺めることが圧倒的に多い。側面や裏面を見に行く観光客はほとんどいないという。確かに北側も美しく歴史を感じる城壁などもあるが観光客の姿はほとんど見ない。そこを一周しながら要所で記念写真を撮ってくれるので、満足感はとても高かった。パンクのハプニング込みで思い出に残る体験が出来た。年取ったらゆったりコースも乗ってみたい。

写真もたくさん撮ったがいい写真には我々も写っているので、ここでは乗ったままスマホで撮った写真を東西南北で並べてみた。

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一周回って45分コースだったが、パンクの車交換もあり全行程60分程度だったと思う(料金はもちろん45分コース)。とりあえず時間的に許容範囲で助かった。そのあと姫路城のなかに入り最上階まで上った。

最終的にJR姫路駅には16:00過ぎに着いたのだが、その時点で乗れる新幹線を探してスマートEXで予約をいれ、駅ビルのカフェに入ったのだが、そこで頼んだパフェの出てくるのが遅くて遅くてまいった。もうキャンセルして出ようかというギリギリになって持ってきた。こっちのほうが時間的には危なかったな。味わう暇もなく食べ終わり、荷物をロッカーから出して17:26発の新幹線のぞみ176号東京行に乗ったのだった。

今年のお盆は台風の直撃や南海トラフ地震の不安が一気に広がったが、8月14日に下り新幹線で出発したため、ちょうど不通の区間を避けた格好になった。ハプニングといえば予定していた徳山から新神戸行きが東京行新幹線だったので全線不通になり、新神戸着の新幹線を前日夜に取り直したことくらいか。それもスマートEXだったので実家で出来て助かった。公共サービスは新しいものを面倒がらずに使ったほうが良いな。特にSuica連動でスマホ機器をいちいち駅で取り出さなくて良いのがうれしい。

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夏旅2024 夫婦編(7)~神戸港ウィークエンド花火 ~

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歩き回ってホテルに戻り角煮バーガーとスイーツも食べ終え、シャワーも浴びて着替えをして18:30を回ったころに神戸ポートタワーのあるメリケンパークに出かけた。花火は19:30からだったがホテルオークラ神戸からメリケンパークは直結なので、会場の雰囲気を味わいながらぶらついてどこで見るか考えながら場所取りをした。

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多くの人が詰めかけていた。階段状に座れる場所はもうほとんど空きがない。オリエンタルホテルやその前に停泊する船上レストランからも見られるようだった。結局、(モアイ像のような)神戸海援隊の碑の土台の前に陣取った。花火は5分くらいなので立ち見でも大丈夫。5分だけど結構内容の濃い花火で神戸港の美しさと相まって充実した気分になれる。

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花火が終わって夕食をどうするかということになった。南京町は夜が早いが、やっている店もあるんじゃないかと、夜の南京町に向かってみた。しかし20:00頃だと、ほとんどの店は終業時間を回っている。そもそも昼は食べ歩きで来ているので、どんな食堂があるのかもリサーチできていなかった。そんなときに出会ったのはグリルキッショウだった。まさかの二夜連続で神戸牛!

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グリルキッショウさんは神戸牛愛をめっちゃ説明してくれた(笑)。神戸の最後の夜でもあるし、せっかくなので神戸牛ステーキにした。サーブしてくれた女性店員さんも気さくな方で、神戸牛のフィレとサーロインとシャトーブリアンの違いなども熱く語ってくれた。目の前でフランベされたサーロインは格別だった。また来たいお店だ。

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夏旅2024 夫婦編(6)~南京町でランチ ~

鉄人28号のモニュメントを後にして南京町に戻って来た。最初にめざしたのは豚まんで有名な老祥記だったが案の定大行列だった。最初は並んでいたが、この日は姉妹店の曹家包子館(ソウケパオツーカン)でもテイクアウトをしているというアナウンスがあったので、向かいにあるそちらに並び替えた。結局こちらでも並んだけどとりあえず購入出来て、お店の前の広場のベンチに空きを見つけてそこで食べた。

その次に、何が食べたいか考えつつ、 適当に歩きながら食べられる北京ダックがある華鳳でまた行列に並んで、400円の北京ダックを買って食べ歩き。ハンバーガー女子の妻はこういうものを食べるのが上手いが、私はとにかく苦手だ。タレがこぼれるのが気になって味はよくわからないが、この雰囲気を味わう。

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その後、デザートというか、この後ホテルに戻って食べるおやつとして、エストローヤルのシュー・ア・ラ・クレームなどを購入した。しかしもう少し腹に入れたいということで吟味した結果、朋榮の角煮バーガーを食べることに。お店に行くと調理してるお兄さんに「美味しいとこのスイーツ持ってますね!」と言われつつ、角煮バーガーもホテルに持ち帰って食べるというと「ご事情、すべて承知しました!」みたいな感じで会話も面白かった。

こうして南京町からホテルオークラ神戸に戻ったのはちょうどおやつタイムの15:00ごろだった。

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朝から時間配分も運動量もなかなかのものだったが、それにしてもまだ早すぎる15:00にホテルに戻ったのには理由がある。この日は土曜で、毎週土曜に神戸港で花火が上がるのを見に行く予定だったから。先週は台風と地震(南海トラフ地震臨時情報)警戒とで中止になっていた。この日はピーカンで花火日和と言える天気だった。

ホテルオークラ神戸は神戸ポートタワーの近くにあるので、いったん部屋で休んでから花火に出かけようということにした。この時、懸念だったのは買い過ぎたスイーツをどこまで食べるかと、食べたら眠ってしまい花火の時間に起きられないのではないか…ということだったが、何とか大丈夫だった。

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夏旅2024 夫婦編(5)~鉄人28号 ~

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須磨寺の奥の院から降りて来たのが12:30頃だった。そこから新長田駅まで戻って途中下車し、鉄人28号のモニュメントを見に行った。横山光輝先生原作のアニメでの身長と同じ18mの巨大なモニュメントだ。駅からアーケードを通っていくと見えてくる。これが普通にそこに存在するってところがすごい。

アーケードの街灯も鉄人28号になっていて芸が細かい。須磨寺から戻ってきたものだからこんな妄想に囚われてしまったことをお許しください…。

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1995年の阪神淡路大震災から14年後の2009年、作者の横山光輝先生ゆかりの地に建てられたのがこの鉄人28号モニュメント。私は横山光輝さんの漫画では『伊賀の影丸』を全巻持っていたが、鉄人28号は読んでいないしアニメも見ていなかった。山口県で放送していなかったかもしれない。しかし昨日の安彦良和展で安彦先生の超初期の「遥かなるタホ河の流れ」のタッチが横山光輝さんにそっくりで驚いた。少年漫画のタッチそのもので、現代の漫画では見ることのないタッチだが、それだけに郷愁も誘うし独特の存在感が漂う。

横から見ても後ろから見ても実にシンプルで良い。

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途中下車しての滞在時間は20分程度だったが、気持ち的には昨日の安彦良和展と連続して楽しめた。これで南京町に戻れば、ちょうど13:30頃でお昼時だ。朝から相当歩かされて食べる気満々の妻といざ南京町へ!

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夏旅2024 夫婦編(4)~ 須磨寺 ~

8月17日(土)は朝9:00頃にホテルで朝食ビュッフェを食べて観光に出発した。ホテルオークラ神戸は南京町にも近く歩いて行ける。しかし朝食後にすぐ南京町に繰り出してもお腹いっぱいなので、事前にリサーチしておいた須磨寺まで電車で行ってみることにした。

南京町は帰りによる予定なのでロケハン的に歩いてJR元町駅へ。そこから須磨駅まで。途中の新長田駅を過ぎたあたりに鉄人28号のモニュメントが一瞬見える。ここも帰りに途中下車することにしてまずは須磨駅へ。

須磨寺に行こうと思ったのは、今年の大河ドラマが吉高由里子主演の「光る君へ」だったから。光源氏が若木の桜を植えたのが須磨寺だという『源氏物語』の逸話があるというので(読んでないもんで聞きかじり)。ついでにこのエピソードについて生成AIのgeminiにも聞いたので引用しておきたい。

📖
このエピソードは、源氏物語の第12帖「須磨」の中に描かれている描写の一つです。光源氏が須磨に流されて、寂しい日々を送る中で、若木の桜を植えてその成長を見守り、故郷や愛する人々を思い出すという、物語の中のひとつの場面なのです。
(中略)

「須磨」の章で何が描かれているのか?

源氏物語の「須磨」の章では、光源氏が都を追われ、須磨に流される様子や、その地での生活、そして故郷への思いなどが描かれています。若木の桜のエピソードはその中の重要な場面の一つであり、光源氏の心情の変化や物語全体の雰囲気を象徴的に表しています。
📖

ということで、紫式部のドラマには源氏物語のこのエピソードがまんまは出てこないけど、せっかく今年神戸に行くならということで須磨寺に行くことにした。これを書いているのはもう11月だが、いまならパワハラで失職した斎藤元彦元兵庫県知事のニュースの現場ってことで兵庫県庁を見に行っても良かったかも(楽しくはないな…)。

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須磨駅前は海水浴場だった。青い海と青い空を見るのは気分がいい。しかし喉が渇く!駅のコンビニで飲料を調達しいざ須磨寺へ。googleMapの選んだ最短距離をたどったのだが沖縄での失敗が蘇る。あの沖縄の青い海、青い空、急な坂!そう、GoogleMapは高低差を考慮しないのだった。しかし歩き始めてしまったので、急な上り坂をゆっくり歩いて行った。それはそれでなんだかおもしろかったが。

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須磨寺は源氏物語よりも平家物語のほうが有名だ。源平合戦にゆかりのモニュメントが多かった。geminiによると、

📖
須磨寺は、単なる歴史的な場所にとどまらず、人々の心に深く残る物語の舞台となっています。平家物語の「敦盛最期」は、武士の悲哀や無常観を描いた美しくも悲しい物語として、日本人にとって特別な存在です。須磨寺を訪れることで、歴史のロマンを感じるとともに、人間の心の奥底に触れることができるでしょう。
📖

生成AIはなんて便利なんだ。人間が馬鹿になっていきそうだ。それはそうと、他にも弘法大師にゆかりの寺でもあった。弘法大師は須磨寺奥の院に祀られている。せっかく坂道を上って来たんだから、もう少し上っても同じだ、と妻も思ってくれたかどうかは定かではないが、奥の院まで上ってお参りして来た。

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2024/11/02

夏旅2024 夫婦編(3)~ 安彦良和展と青いりんご ~

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8月16日(金)15:00過ぎにホテルオークラ神戸にチェックインして16:00には兵庫県立美術館に到着していた。安彦良和展を観賞に行くという目的の神戸泊だったが、その後の行程を考えると初日に訪問するのがもっとも効率的だという結論に達していた。正解だったと思う。

安彦良和さんといえば機動戦士ガンダムの作画監督として有名だが、個人的には安彦さんの絵が好きだ。うちにはアリオンの版画もある。アリオンの頃の美しい線は素晴らしいが、今回の展示で漫画家を目指されていたころの原画(大学ノートに書かれたものなど)を見ると、手塚治虫や横山光輝などの巨匠のタッチによく似ていて驚く。確かに初めから上手いのだが、アリオンの線とはまったく別人かというくらいに漫画のタッチなのだった。アニメ制作が作画に大きく影響しているんだろうなと感じた。

またストーリーテラーとしても独特の感性を持っている人だ。それは『原点 THE ORIGIN』を読んだ頃から感じていた。学生運動の闘士だった経歴から左翼思想といえばそれまでかもしれないが、そんなイデオロギーだけで括ってしまう凡庸さを簡単に飛び越えて、理想の共同体意識とか人物へのまなざしが大きい。SF作家たるものそのくらいの大きな視点や人類への冷徹な視線を持ってこそ描ける世界があると思う。

閉館のアナウンスが流れる頃、美術館の外に出た。兵庫県立美術館のシンボルといえば安藤忠雄の青いりんごだ。野口五郎の「青いリンゴ」を口ずさみながら、というのは独身時代までで今回はやらなかったが、二人で見に行った。草間彌生の黄色い南瓜赤い南瓜、そして安藤忠雄の“青春のシンボル”青いりんご。夏旅夫婦編で信号色がそろった瞬間だった(笑)。巨大な果物のオブジェってのは、ただそれだけで、偉大だと思う。

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美術館を出て三宮まで戻り、まったく予約もしていなかったが神戸牛を食べようと探してステーキ仙さんへ。インバウンド全盛期だからか外国人客ばかりだった。食べ比べセットを注文して食べてホテルへ帰った。一日中天気は良く夜景も美しかった。

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2024/09/01

夏旅2024 夫婦編(2)~ 新神戸着 ~

8月16日(金)の昼には徳山駅から新幹線のぞみ148号で新神戸に行く予定にしていた。しかし前日の夜、実家でスマートEXを見ていると台風7号の影響で動いていない新幹線のリストが掲載されていた。新大阪から東京までの新幹線は全面運行停止というのは知っていたが、新神戸までは動くと高をくくっていた。しかしなんとなくリストを覗いてみると、のぞみ148号は運行停止リストに載っていた…。

のぞみ148号は博多から東京まで乗り換えなしで行ける新幹線だったからか、博多から新大阪までの西日本を含めて全面停止になっていた。これはまずいと、21:30頃だったが別の新幹線を探した。すでに徳山から乗り換えなしで新神戸まで行ける新幹線さくらに空きはなかった。そこでこだま850号で徳山から広島までで行き、そこから運行停止リストになかったのぞみ26号で新神戸まで行くことにした。

こういうときスマートEXは便利だ。その場で変更できた。2019年に実家から直島に向かったときは、前日の台風情報や運行停止案内を見聞きして徳山駅に向かって手続きをしたものだ。

翌11:00、母の運転で徳山駅の新幹線口まで送ってもらった。80歳を超えるが住み慣れた徳山の街はいまでも運転して出かけている。免許返納をとはなかなか言えない。徳山の街中は走りやすいのが幸いだ。

徳山駅に着くと運行停止新幹線リストの貼り紙があった。みどりの窓口や券売機の前には行列が出来てはいたが、以前ほどの混雑はなかった。おそらく前日までに交通情報が行きわたり、予約変更もされ、新幹線の臨時便も出たりしていたので8月16日に上り新幹線の混乱も少なかったのではないかと思う。我々もSuicaで徳山駅の改札口を入った。昨晩スマートEXで変更した列車の座席番号用紙が乗り換え後も含めて2枚改札機から出てきた。便利な世の中になったものだ。便利になるスピードと自然災害が強大になっていくスピードとが相関しているような錯覚すら覚える。

●新神戸からホテルへ直行

広島での乗り換えもスムースで、乗り換えの不便さはほとんど感じない。ただ、持って行ったスーツケース(アメリカン・ツーリスターのテクンナム・スピナー)の取っ手がやはり厳しい。宮崎旅行で壊れて汎用品に取り換えたが、それもネジが甘くすぐに取れそうになる。ネジが取れるたびに荷物を出して、中に転がっているネジを拾いプラスドライバーで取っ手をつけるため、ドライバーも持ち歩いた。とにかく早くこのスーツケースからオサラバしたい!

新神戸から電車で三ノ宮へ。今回はホテルオークラ神戸で二泊の予定にしていたので、ホテルまでのシャトルバス乗り場に向かった。神戸泊は台風が来るからではなく、せっかくなら帰りにどこかに寄りたいなと以前から話していて、ちょうど安彦良和展を兵庫県立美術館でやっている時期だったので神戸泊にしたのだった。妻も神戸牛や南京町で美味しいものが食べられるならと承知してくれたわけだ。

シャトルバスの車内は混んでいた。係員の方に私のスーツケースの取っ手が取れやすいと話すと丁寧に社内に持ち込んでくれた。着いたのは14:30頃だったが、ホテルまでの道路はそこそこ混雑していた。

ホテルオークラ神戸は海沿いのメリケンパークの横なので、土地勘がない我々は、街中に出るには毎回シャトルバスか巡回バスかタクシーかで三宮まで来る必要があるのかなと思っていたが、南京町が大変近く元町駅なら難なく歩けることが分かりホッとした。

20240816_145851s ちょうど15:00頃にホテルにチェックインできた。19階の部屋だったが観覧車側ではなかった。とりあえずホッと一息つきたいところだが、新幹線のなかで今後の予定をいろいろと考えたところ、着いたその日に兵庫県立美術館に安彦良和展を観賞するのが一番効率がいいという結論に至っていたため、すぐに出発することにした。

兵庫県立美術館に行くには三ノ宮駅まで出る必要があったのでホテル玄関横からのシャトルバスを利用した。阪神本線の神戸三宮駅から岩谷駅まで電車に乗り、そこから美術館まで歩いた。16:00少し前に到着した。

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夏旅2024 夫婦編(1)~ 徳山帰郷 ~

今年の夏旅は台風が集中した8月14日から18日までを予定していた。8月8日頃に小笠原沖で台風5号が発生し、12日には南鳥島近海で台風6号が、翌13日には強力な台風7号、14日にはその東海上に台風8号が次々に出現した。一時は4つの台風が東日本の天気図に描かれていた。

昨今の気象予報はかなり正確であり、この一連の台風は東海地方から東北地方までを暴風雨に巻き込むことはほぼ確実と考えられた。メディアも連日台風への警戒を告げており、お盆を直撃した台風によって予定変更を考えた人も多かった。

台風といえば例年、フィリピン沖や台湾、沖縄の近海で発生し、九州から本州へというコースが多いが、台風5~8号は明らかにその想定コースから外れていた。どれも東日本に上陸または東北沿岸を舐めるようなコースだった。

台風に先駆けて大きな地震もあった。8月8日に日向灘で震度6弱(M7.1)、8月9日神奈川県西部で震度5弱の地震が起き、気象庁は南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を初めて出した。

地震情報と台風情報を受け、交通各社の運行停止や減便が相次いだ。特に8月16日(金)の台風7号が最も警戒され、8月10日(土)から3連休でお盆休みと合わせて遠出や帰郷をしていた人たちは8月15日のうちに帰宅しようと駅や空港に詰めかけた。JR各社も8月16日の新大阪~東京間は全便運休を決め、前日の8月15日には増便して何とか8月15日のうちに東日本方面の乗客を戻そうとしていた。

そんななか、私たちはどう動くかを考えていた。

●8月14日に徳山へ

8月14日(水)の下り新幹線は動いており予約もしてある。これは問題なく乗れるはずだ。それ以前にお盆休暇で動いていた人たちはこの地震と台風とで早めに上り新幹線で戻ってくるだろう。またここからは出発を取りやめる人も多いだろう。だったら逆に行った方が良いと思った。台風の関東にいる必要はない。山口県の実家でやりすごせばよいと思った。

新型コロナの影響で2022年の夏旅以降、実家に帰っていない。2年前のときも台風8号が関東を襲っていたため実家に一泊することにしたのだった。また今年は父が入院や通院を繰り返していたため両親に顔を見せに帰りたいと思ったし、妹の子どもたちも出産、就職、結婚と三者三様のめでたい状況にもあったので、近況も聞きに帰った。妻の実家にはもともと今夏は帰れない予定だったが台風の影響でかえって予定していなくて良かったかもしれない。

実家には二泊した。8月16日には新神戸に行く予定にしていた。これも台風5号が来る前からの予定だった。せっかく山口県まで行くなら、とんぼ返りでなくどこかに寄りたいということで、ちょうど兵庫県立美術館で「描く人 安彦良和展」をやっていたのでこの美術展を目指すことにした。6月に雑誌『芸術新潮』で特集されていて、観に行きたいと思っていたのだが、神戸では難しいとなかばあきらめていたので、この機会は逃すまいと思ったのだった。

実家では特に何をするわけでもなかったが、そういう時間を過ごせることが大切な気もする。妻もうちの両親には何度かしかあったことがないわけだが嫁姑問題が皆無なのは良いことだ。出産間近の妹の三女も夫婦で顔を見せた。私たちの結婚式でリングガール(高校生だったが)をしてくれた子が母親になるわけだ。春に結婚した長女はすでに実家を出ていて会えなかった。就職が決まった次女は名刺交換(という行為)をしたいというので、たまたま名刺を持ち歩いていた私と名刺交換した。

8月15日には妹の出社時間に合わせて車に同乗させてもらい妻と駅前まで散歩しに出掛けた。徳山(周南市)の街中は高校時代とはずいぶんと変わった。駅前なんて知らない土地のようだ。駅前からみなみ銀座、銀座通り、銀南街とめぐって青空公園あたりまで暑いなか歩いた。シャッター商店街はお盆だからか人影もまばら。昔の活気は完全に失われていたが、新しい商業ビルも出来つつあるし、ところどころにおしゃれなカフェも出来ていると妹には聞いたから、活気を取り戻してほしいものだ。

昼は駅前のカフェクラブ・ミルに入った。徳山にいた頃は入ったことがなかったが、雰囲気のよいカフェだ。前にローカル路線バス乗り継ぎの旅で太川さんと蛭子さんが立ち寄っていたはず。それを覚えていた。

その後、駅ビルの土産店で、お菓子をいくつかと、地元の酒蔵はつもみぢの銘酒原田の特別純米酒と純米大吟醸、それと特別純米酒西都の雫の3本を買った。実ははつもみぢの原田くんは中学時代の同級生なのだ。両親や妹と飲み比べしようと買った(妻は下戸)。そしたら、たまたま妹も原田の純米吟醸を買って帰って来たので4本の飲み比べが出来た。評価としては大吟醸が美味いのは当然だが、米が山田錦でない「西都の雫」もみんな高評価だった。私もそう思う。徳山土産は獺祭ばかりでなく西都の雫もお薦めできる。


 

 

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2024/06/30

鎌倉プチ散策(後編)

20240617_070848 6月17日(月)朝5:00にスマホのアラームで目覚めた。疲れはあったが寝起きは良かった。シャワーを浴びて、昨日のフルーツ大福の残りを食べ、コーヒーを飲んだ。鶴岡八幡宮まで徒歩1分の好立地で、屋上もあるGEN HOTEL KAMAKURA(源ホテル鎌倉)なので、6:00過ぎに屋上に上がってみた。天気も良く、森からは鳥のさえずりが絶え間なく聞こえる。鶴岡八幡宮にはちらほらと観光客もいたがさすがに空いている。明月院までは歩くつもりなので、途中までは八幡宮のなかを通って行こうと思った。

荷物を片づけたりしていて7:00出発は出来ず、7:30ごろのチェックアウトとなった。チェックアウトは返却ポストに鍵を入れるだけ。簡単であっけない。

20240617_074434 鶴岡八幡宮から明月院まではおよそ徒歩30分だ。多少の高低差はあるが知らない道を散策するのは二人とも好きなので途中にある寺院なども眺めながら歩いていた。建長寺のそばに桑田佳祐(サザンオールスターズ)の出身校である鎌倉学園高校があり、ちょうど通学時間帯だったため大量の男子学生が向かってくる。最初は避けながら歩いたが歩道も細いため、押しボタン式の横断歩道で逆側の歩道に移動した。

北鎌倉駅の手前を右に折れるのだが、すでにそこには警備員さんが立っていた。しかし行列はまだない。そのまま歩いていくとついに行列の最後尾が見えてきた。7:57だった。開門(この時期は8:30)まであと33分。最後尾にも警備員さんがいる。「どのくらい並んでいますか」と訪ねてみると「まぁ50人くらいかな。開門すればすぐに入れますよ」とのことだった。

20240617_090102並んでいる間もウグイスやガビチョウが鳴いている。バッタや蛾も見つけた。月曜にして正解だったが、後ろにも次々と行列が出来ていく。

開門すると入場料を払う列が3つに分かれる。A,Bルートは混むが左手のCルートが空いている。ただしCルートは人気撮影スポットの石段からは少し遠い。この辺りのコース取りは何を目指すかで決める必要がありそうだ。私はBルートにした。前の人がお釣りをもらうなどして少し時間がかかった隙に石段の前にはスマホやカメラを構えた人だかりで大渋滞してしまった。

とはいえ、誰もが同じような写真(石段と紫陽花)を撮るわけで、個人的にはそういう写真を撮る群衆というテーマのほうに興味がある。負け惜しみでなく(笑)。私はその群衆のなかに入り群衆と石段と紫陽花の写真を撮ったりした。妻は早々に石段前からは離脱し、まだほとんど誰もいない左側の側道の紫陽花の写真を撮ったりしていた。私も群衆の写真を撮り終えて妻と合流した。

20240617_081858この石段は開門からしばらくの間(おそらく一時間程度)は写真撮影の群衆へのサービスとして立入不可の不文律があるようだ。石段の上下には木製の立入禁止スタンドが立ててある。しかし歩いてはいけない訳ではなさそうだ。群衆の白い目に耐えられれば誰もいない石段を歩くのを誰も止められない(文句は出るかも)。実際、私が上から門越しに群衆を眺めていると、まだ立入禁止スタンドがあるにも関わらず、おじいさんが石段中腹の向かって右手からゆっくり現れ、石段を歩いて上がって来た。かくいう私も「上から門越しに群衆を眺める」という行為は写真待ちの群衆には甚だ迷惑だったかもしれず、そのおじいさんが横にそれたタイミングで私も妻に促されてウサギ小屋の方へとフェードアウトした。

20240617_082327 時間を戻そう。側道を歩いていくと悟りの窓と呼ばれる撮影スポットがある。ここも行列になるそうだが、この日はまだ石段で写真を撮っている人が多く丸窓は数人待ちレベルだった。この丸窓も誰もが同じ構図で撮影するスポットなのだが、せっかくなので撮影してみた。もう少し待てば、丸窓の先の庭にも入れる(期間限定)らしいのだが今回はパスして、花想い地蔵(こちらも撮影スポット)を拝んで撮影しウサギ小屋へ。

ウサギ小屋の前に紫陽花との撮影スポットがあり、夫婦で自撮りしようと悪戦苦闘していたら、サングラスをかけて小麦色の肌をしたいかにも湘南っぽい女性が「撮ってあげましょうか」と声をかけてくれていい写真が撮れた。ありがとうございました。

出口を出ると立派な竹林を通って入口方面へ。小一時間もいただろうか。ちょうどこのとき石段下では係員が立入禁止スタンドを撤去していた。これが撤去されると誰もが石段を歩いて登り出す。写真から群衆を消すことが不可能な時間となるのだ。

既に大勢の外国人ツアー客が小旗を振っているガイドとともに並び始めていた。鎌倉にいるとインバウンドは本物だと実感する。様々な外国語が左右から聞こえてくる。

●鎌倉駅前小町通り

20240617_091046 ここからは鎌倉駅方面に切通しを通って向かうことにした。結構な高低差があったが木漏れ陽が気持ちいい。途中で寄った寿福寺では大佛次郎北条政子源実朝のお墓を拝みに行った。高浜虚子のお墓もあったが大きなアブが飛んできて撮影できず。妻はお墓には興味がなく(虫の多さを嫌がり)階段下で待っていた。

20240617_101309 鎌倉駅まで戻って何か食べようとラ・ブティック・ドゥ・ユキノシタ・カマクラの玄関前で開店を待った。以前、テレビで長島一茂さんがここのクッキーを買っていたことを妻が覚えていたのだった。朝から歩きっぱなしで疲れたためイートインでマンゴーのケーキとドリンクを食べた。

20240617_101303 窓外には浴衣にブーツといったいで立ちの外国人の女子がいて、せっかくなら履物もちゃんとすればいいのにと話したが、どうやら浴衣にブーツという「浴衣コーデ」が確立されている時代のようで、それもひとつのコスプレとして成立しているとネット検索をしてわかった。なにが正解かわからない時代だ。いや、正解を探す必要はない時代なのかもしれない…。

土産のクッキーを買って店を出た。昼食前の一休みのつもりが結構食べておなかがいっぱいだった。昼食は映画監督小津安二郎も通ったという高級かつ丼を食べようと思っていたが無理なので、お土産屋を一通りまわり、甘味屋で冷やしうどんを食べた。

20240617_101316 とりあえず月曜でもあるし存分に楽しんだので早めに帰ろうということになり、鎌倉駅から宇都宮線の普通列車に乗って帰路に着いた。

片道一時間半のプチトリップだが新鮮だった。このくらいの距離だと一泊するのはもったいない気もするが(私たちも最初はそう思っていたが)、旅先で早起きして活動するというのもひとつの楽しみになる。「朝起きたらもうそこは旅先」という感覚は宿泊なしでは味わえない。今回は明月院に開門前に並ぶというミッションがあっての宿泊だったが、ぶらっと近場で泊まるのもたまには良いかもしれない。

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鎌倉プチ散策(前編)

6月17日(月)までを三連休にして16日に鎌倉へ出かけた。最初は臨時特急「鎌倉」で行きたいと妻が希望していたが、いろいろ調べると特急料金がかかるうえ、湘南新宿ラインよりも時間がかかる(メリットは普段走らない線路を走る乗り鉄向けのように思えた)ので、湘南新宿ラインのグリーン車で行くことにした。紫陽花の時期なので明月院(あじさい寺)を目指そうということになったが、こちらもシーズン真っただ中の土日は開門前から北鎌倉駅からの長蛇の列だということで、それなら多少でも空いていそうな月曜朝を紫陽花のターゲットとして逆算し、日曜午前中出発、鎌倉一泊、月曜早朝に明月院を目指すというスケジュールを立てた。

20240616_enoden 日曜朝8:44浦和発の湘南新宿ラインのグリーン車はそこそこ混んでいた。最初は妻と私とで1階通路側の前後の席に座ったが、新宿を過ぎるとガラガラになったので私が席を移動し、妻が窓側にズレた。10:17に鎌倉駅着。速いものだ。この日は久しぶりに太平洋を見ようということで、江ノ島電鉄に乗り換えて七里ガ浜まで向かった。曇天だったが雨になりそうな感じはなく暑かった。それにしても外国人客が多い。感覚的には日本人と半々という感じだ。何か国語聞いたか知れない。

20240616_132151 ここで早めの昼食を食べようとカレーで有名なモアナマカイ珊瑚礁まで行ったが、すでに大行列だった。それならと七里ガ浜高校の横の坂道を登った先にある珊瑚礁本店を目指そうと坂道を歩いた。沖縄以来、旅先では坂道を歩いてばかりだ。循環バスもあったが横を通り過ぎて行った。なんとか珊瑚礁本店にたどり着き、受付で名前を書く。店員に「結構かかりそうですね」と聞くと「まぁ、1時間から1時間半待ちというところですね」との答え。どうしようかと思ったが、今日は時間もたっぷりあるし、せっかく来たのだから食べていこうと並ぶことにした。

20240616_132202 「声の届くところでお待ちください」とのことだったが、1時間は確実に待ちそうだったので、向いにあるココカラファインに入ったり、並びにあるお店を眺めて散策しながら40分程度時間をつぶした。その後、店の横のベンチに座り、前の人たちが呼ばれるのを見ながら、日陰のベンチへと移った。

この日は父の日であり、外国人を交えた団体客も入ってパーティをされていた。それもあって相当回転率は悪かったと思う。テラス席に通されたご夫婦は座ってからおそらく30分は待たされていた。1時間半経ってもまったく呼ばれる感じにならず、約2時間後(117分後)にようやく呼ばれた。そのころには団体客もほぼ食べ終わっていて、私たちの注文は割とすんなり通ったようだった。団体客が去った後も、今度はドドドッと客が席につくのでフロアと厨房との間で「行けるか?」みたいな協議をしている声も聞こえた。繁盛店はなかなかに大変だ。

20240616_131606 私は茄子と挽肉のカレーライス、妻はポーク三枚肉の煮込みカレーを注文。妻は前菜にビッグサイズのオニオンリングも食べたいというのでそれも注文したが、想像以上のビッグサイズだった。そのうえ、待ち時間が長く生ビールも飲んでしまい、腹いっぱいで脂汗が出てきた。カレーは美味かったが。

食べ終わるころには青空も見えていた。気温は暑いのだが、鎌倉のそよ風は心地よい。緑が多いからだろうか。都市部の生暖かい風とは質が違う気がした。七里ガ浜駅まで降りていき、鎌倉方面の江ノ電に再び乗った。昼食がサクッと済めば、長谷駅で下車し大仏を見に行きがてら鎌倉駅まで歩いても良いかなと思っていたが、思いのほか時間がかかったので江ノ電で鎌倉駅へ向かった。小町通りを散策しながら、15:00になったので今夜の宿として予約していたGEN HOTEL KAMAKURA(源ホテル鎌倉)へ。

昨年リニューアルしたばかりでこじんまりとして奇麗なホテルだった。フロントはなく全て画面タッチで鍵を受け取る。事前登録済みだったが、なぜかスタッフに電話が繋がり、このときだけスタッフと話した。外国人観光客向けなのだろう。

20240616_150445 朝から坂道を歩いたり長時間並んだりたらふく食べたりしたので、夕方までホテルでまったり過ごした。

18:00をまわり少し涼しくなってから、徒歩1分の鶴岡八幡宮へ。さすがに観光客も少ない。ひと通りお参りして、苔寺として有名な鎌倉最古の寺院杉本寺まで歩く。16:00で閉門なのは知っていたが雰囲気だけ感じに行った。その散策中に鎌倉彫後藤久慶ギャラリーや鎌倉女子大学二階堂学舎など職人の仕事を眺めながら歩けて良かった。

その後、小町通りも少し歩いたがほとんどの店は閉店していた。翌日のお土産をどこで買うかのアタリをつけて回った感じ。昼に珊瑚礁で食べ過ぎたので夕食はいらなかったが、フルーツ大福が全品半額だったので6個買ってホテルで食べた。翌日の昼前にまた通って見たら全品半額だったからずっと半額なんだろう…。

明日は朝5:00起きで明月院の開門前に間に合うようチェックアウトする予定にして寝た。

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2023/09/17

夏旅2023 夫婦編(21)~ 最終日に元祖ソーキそば ~

●国際通りを歩きホテルを移動

首里城近くのぶくぶく茶屋で一服して、バスで国際通りに戻って来た。まだ15:00過ぎだったのでその足でアーケード街へ。明日はほとんど買い物をする時間がないため、実質今日が観光最終日。買い物なども済ませたい。お互いの実家に何か贈ろうということになり、マンゴーの店に。ちょうどよさげなマンゴーの詰め合わせを2つ選んだ。ついでに100%ギャバジュースを購入して店先で飲んだ。美味かった。

7月28日(金)の午後、台風6号が徐々に近づいていた。売り場からヤマト運輸に連絡して聞いてもらったが、今日飛べれば発送は出来るとのこと。ただもし今日飛べなかったとしても、お店に同レベルのマンゴーを送ってもらうという約束をして購入し送付状にお互いの実家の住所を書いた。結果的には選んだマンゴーが予定通り届いたようだった。

その後、ドンキホーテなどを巡って土産のお菓子類を購入し、チェックアウト後にスーツケースを預けていたハイアットリージェンシー那覇で荷物を受け取り、最終日の宿泊先、ホテル・ロコア・ナハに向かう。ロコア・ナハは国際通りの入口にあり県庁前のゆいレール駅に近い。翌日は早めに那覇空港に行く必要があるので近いホテルを選んだ。朝食ビュッフェの評判の良さも魅力的だった。部屋のサイズはハイアットの半分だったがそれは仕方がない。

スーツケースをガラガラ引いて歩くので出来るだけ短距離を行こうと Google Map でルートを検索したのが大失敗だった。斎場御嶽への道のりで学習したはずなのに、街中でまたGoogle Mapのトラップに引っかかった。近いことは近そうだが、記された経路に舗装された道はなかった。下手すると私道かという感じの路地裏の坂道に連れていかれそうになった。

スーツケースを引いて途中まで行って妻に「さすがにここは無理じゃない」と言われて引き返し、国際通りのなかを歩いた。

●最終日に元祖ソーキそば

16:00過ぎにホテル・ロコア・ナハに着きチェックイン。少し休んで夕食はソーキそばを食べに行くことにした。ここまでホテルの朝食ビュッフェの沖縄そばは少し食べたが、いわゆる本物は食べていなかった。そこで我部祖河そばでソーキそばを食べようということになった。探すと久茂地店という新しい店舗が出来ていたのでそこにした。清潔な店舗だった。元祖ソーキそばを食べることが出来て良かった。宿題をひとつ終えたような気分だった。

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食べ終わると20:00くらいだった。沖縄旅行最後の夜だしちょっと散歩しようと、サガリバナの樹という街路樹を目指して歩き始めた。もうあたりは暗くなっていたので、夜だけ咲くサガリバナも咲き始めるころだろう。ここは地図にも載っているくらいなので、きっと綺麗なサガリバナが見られるんじゃないか。そんな思いで徒歩18分ほどの街路樹を目指した。

サガリバナは2013年に石垣島の群生地で見たことがあった。そのときの美しさに感動したので妻にも見せたいと思ったわけだ。

行ってみると街路に1本だけサガリバナの樹があった。それもあまり綺麗ではない。旬の季節も終わりごろではあったし、街路樹でまわりも明るいし、なんとなく思い描いていたサガリバナとは違っていた。石垣島のサガリバナ(下の円囲み写真)は群生地でもあり昼にロケハンまでして夜中に懐中電灯を準備して向かったわけで比較は出来ないけれど…。

とはいえ、妻に本物のサガリバナを初めて見せることはできた(萎んだものは名護のガジュマルの大樹の側で遭遇済みだったが)。いつか石垣島の群生地も見せたいと思った。

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サガリバナを見終わってホテルに戻ろうと歩き出した。道端に竜頭の置物があった。歴史的に由緒正しい建造物かと期待したが「くにんだなかみち」と書かれた新しいものだった。最終日なのに Google Map で通り抜け不可能な路地裏に連れて行ったり、結構歩いて見に行ったサガリバナがいまいちしょぼかったり、なんとなくついていない感じだった。

しかしタイムスビルあたりまで戻ってくると、FIBAワールドカップ2023沖縄大会の大きなラッピングなどが見えて来て、少し気持ちが楽になった。このときはまだバスケファンになっていない私だったが、妻は沖縄に来た時からゆいレールのラッピングを写真に撮ったりしてバスケットボールも好きだったので、このビル柱のラッピングで少し気分も上がったようだった。

こうして沖縄旅行最後の夜は過ぎていった。

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翌7月29日(土)朝、ホテル・ロコア・ナハの朝食ビュッフェは評判通り美味かった。沖縄観光目線での食材の種類も豊富でここぞとばかりに食べ過ぎた。食べ終わって部屋に戻ろうとしたら、泡盛の瓶を発見。そういえば泡盛もこの旅行で飲んでいなかった。従業員さんに聞くと試飲できるように置いてあるという。朝っぱらではあったがもうあとは飛行機で帰るだけだしと、瑞穂と海人と両方試飲した。

個人的にはシチュエーションも手伝ってか「海人」(まさひろ酒造)という泡盛が断然気に入った。クセは強くなくスッキリ飲みやすい。帰りに空港の売店で探し回ったがその店にも置いていなかったのが残念だった。

10:00にチェックアウトした。ルートビアと遭遇したA&Wもすでに懐かしい。その1階にあるシーサークッキーでも土産を購入。その後、国際通り入口にある宝くじ売り場でサマージャンボを購入して那覇空港に向かった。

12:00頃発のJAL906便で羽田へ向かった。隣の席には小学生低学年っぽい男の子がひとりで乗っていた。かなりぐずっていてバタバタさせる靴が妻に当たる。離陸時もシートベルトをしていられずすぐに外して歩き回ろうとする。CAさんが複数名で声をかけたりグッズをあげたりして、妻も話しかけたりアニメの見方を教えたりして何とかなだめていた。

こうして2023年の夏旅(夫婦編)は終わった。6泊の旅行だったが、ゆいレールとバスとタクシーそして徒歩だけでもかなり充実した沖縄旅行になったような気はした。埼玉県に帰宅した二日後の7月31日から台風6号が沖縄、奄美地方に上陸し、そこから一週間居座り大きな爪痕を残した。少し日程がずれていたら大変な旅行になっていたかもしれない。

日本の夏はこれからどうなっていくのだろう。年々勢力を増す猛暑、豪雨、台風。これを書いているのは9月17日だがいまだ気温30度あたり。長崎県では線状降水帯がまた発生している。夏の旅行はこれらの気象状況の間を縫っていくギャンブルのようなものになりそうだ。

【完】

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夏旅2023 夫婦編(20)~ ぶくぶく茶 ~

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首里城公園を出て沖縄県立芸術大学の側を通って向かったのはぶくぶく茶屋の嘉例山房(かりーさんふぁん)。那覇バス首里城公園入口バス停の近くにある。入るとアンティーク(?)な空間。階段をあがってすぐのテーブルに通された。

ぶくぶく茶を飲んだことがないと伝えると手順を教えてもらえた。いろんな味のお茶や飲み物が選べる。これらがどれも泡立つのだろうかと不思議に思っていたのだが、飲み物自体が泡立つのではなく、好きな飲み物(アイスでもホットでも)を選んで、その上に別の器で泡立てた泡を乗っけて飲むという二段構造の飲み物だった。

妻は薬草茶のホットを選択。私はレモングラスだったかハイビスカスだったか冷たい飲み物を選んだ。どちらもぶくぶく茶は1200円だった。

しばらくして私のぶくぶく茶セットが来た。最初はお手本のようにお茶に泡を乗せてもってきてくれた。その泡の量は山盛りだった。つかみはオッケーだ。しかしそれだけの山盛りの泡を自分たちで立てることは最後までできなかったが…。

妻のお茶が来る前に、別の器に泡立て用の液体が入って来た。これを専用の茶せんで素早く表面だけをシャカシャカ泡立てる。立った泡を横によけつつその作業を繰り返し、それなりに泡が溜まったところでお茶の上に茶せんで掬って乗せるというシステムだ。

なかなか難しい。泡立つことは立つのだが、あまり大きな泡にならない。混ぜ方の問題だろうか。それでもそこそこ泡立ったところでお茶に乗っけて口をつける。伝統の様式美を体験する。

泡がなくなればまたシャカシャカ泡立てて乗っける。この泡立つ液体は何なのだろう。山盛りには出来なかったが最後まで泡立った。黒糖なども泡にまぶして飲んだりも出来る。

お茶そのものが美味いかどうかというよりも、琉球伝統のぶくぶく茶を体験できるというアトラクション的な楽しさがあった。セットには素朴なお菓子や南国フルーツも添えられていてとても美味しかった。

小一時間、ぶくぶく茶を飲みながらお菓子やフルーツを食べ、次のバスの時間が近づいたところで店を出た。店の近くにバス停があるのはありがたい。バスで国際通りまで戻った。15:00頃だった。

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夏旅2023 夫婦編(19)~ 修復中の首里城へ ~

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7月28日(金)沖縄観光最終日だ。朝はハイアットリージェンシー那覇の朝食ビュッフェ。さすがに美味い。ここまで早起きばかりの日々だったので、ちょっと遅めに9:00過ぎに食べ、11時まで部屋でまったりした。何から何までホスピタリティの高いホテルだった。

最終日なので近場かつ最大の観光地のひとつ首里城へ行くことにした。首里城正殿は2019年10月に火災で失われていた。いまも復旧作業が続いている。この復旧作業への支援はふるさと納税でも出来るため、当時は私も寄付していた。その現状を視察に行った感じだ。

国際通りにまた戻ってくるため、ホテルをチェックアウトした後もスーツケースはホテルに預かってもらい出発。ホテルの目の前が壺屋やむちん通りだった。店はまだほとんど閉まっている時間だったが通りを歩いてみたくて壺屋バス停に向かうことにした。古風だが美しい通り、美味しそうなカフェもありそうだ。

壺屋バス停にバスはほとんど止まらない。そこでバスを待つ人もほとんどいないような気がする。そんなバス停だったが平日11:29発で11:40に首里城公園入口に着く17系統があったのでそれを待った。バス停前の道路は結構な交通量だった。少し遅れてバスが来た。

●再生を望む首里城

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首里城を訪れたのは昭和53年以来だ。当時は小学生だったのでほとんど覚えていない。日本返還6年後のことで蛇とマングースの戦いを見たことと当時のバスガイドさんが左右逆になって交通事故が多いという話をされていたことだけハッキリ覚えている。

首里城公園についてまずレストセンターに入った。首里城の歴史や行事などがパネル展示されていた。その後、焼失した本殿方面へ。高台なので景色がいい。琉球の香りは失われていなかった。

復旧作業も歴史の一里塚なのでこれはこれで興味深く見学した。城跡公園として残すのではなく、あくまでも城郭を再生しようとすることの意味を考えたりした。明らかに日本の城とは異なる大陸風の建築様式に近い風情だ。レプリカとなってもその琉球建築をカタチとして残していくことは観光的にはもちろん重要なのだろう。それ以上に首里城は琉球だけに存在した歴史・文化そのものだからだと思う。

●沖縄県立芸術大学

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首里城からの眺めでもっとも近くに目立つ建物は沖芸こと沖縄県立芸術大学だろう。沖芸は1986年創立という。その色合いやフォルムに名護市役所と同じ匂いを感じた。設計は㈱石本建築事務所・㈱二基設計・近代設計の設計企業体だという。沖縄を代表する建築のひとつだと思う。

名護市役所は1981年の建築だから沖芸とほぼ同世代の建築だ。名護市役所が老朽化ということはこちらも老朽化の時期に入っていく。今後が心配だ。名護市役所のように建て替えの話なども出てくるのだろうか。首里城と周辺の緑地と混然一体となった景観を残して欲しいと思った。

しかしもともとは自然を破壊して大型建築を作ったわけで、それが長い時間とともに歴史となり景観となり、今度は残したくなるんだから人間というのは勝手なものではある。おそらく大型建築というものはそんな人間の身勝手さの上に成り立っている。それだけに説得力が重要になってくる。

2023年9月現在、都内では神宮外苑を再開発という名のもとに破壊し商業施設の建設が始まろうとしている。今年亡くなった坂本龍一が開発阻止を求めて遺言のように残した東京都知事への手紙は波紋を呼び、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が樹木伐採などを阻止するよう東京都や事業者に事業計画の撤回・見直しを求めたりしている。

開発が阻止されても進められても100年後にはそれが歴史となり文化となる。そこに豊かさがあるかどうかとは別次元で物体として何らかの結果が残る。そのうつろいのなかで身勝手に生きるのが人類なのだ。それを承知のうえで、建築好きとしてはせめてそこに単なる金儲けというだけない説得力を求めたい。

沖芸の建物にもっと近づいてみたくなり首里城を出て沖芸まで降りて行った。さすがに中にまでは入らなかった。沖芸食堂は一般人にも開放しているそうなのでそこで食べたい衝動もあったが、この日はその後ぶくぶく茶を飲みに行く予定があったのであきらめた。

私は高校生時代に芸術大学を目指したことがあった。合格した私立の芸術大学もあったが結局はそちらの道はあきらめた。そのとき、沖芸も候補に挙がってもおかしくなかったはずだが山口県から東側にしか意識が持てなかった。当時創立間もない沖縄の芸大なんて、いま考えると非常に魅力的に思える。あのとき沖芸の存在を知っていたら未来は変わっていたかもしれないなとちょっと思ったが、まぁないかと思い直した。インターネットなどない時代、情報は都会でしか得られないと思っていた。

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2023/09/09

夏旅2023 夫婦編(18)~ 那覇に戻って散策 ~

佐喜眞美術館から那覇に戻って来た。名護から那覇に帰って来た時はとりあえず県庁北口を目指したが、途中の駅前で降りることを学習した我々はゆいレールのある古島駅前でバスを降り、ゆいレールに乗り換えた。宿泊地のハイアットリージェンシー那覇はゆいレールの牧志駅が最寄駅だが、この日は牧志駅を通り越して美栄橋駅まで行った。妻の行きたいスイーツ店を目指して…。

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ゆいレール内はFIBAバスケットボールワールドカップ2023沖縄大会一色だった。これを書いているのは9月なのですでに大会は終了している。人生においてこんなにテレビでバスケットボールを見て日本チームを応援したことはなかった。熱狂した。今回の沖縄旅行で広告に触れていたからというだけではない。ほんとにハラハラドキドキの逆転勝ちという展開続きだった。その結果48年ぶりに自力でパリ五輪出場権獲得(前回東京五輪は自国枠で参加)。そんな日本チームの物語に熱狂したのだった。やはり物語を背負うとスポーツは強いコンテンツだ。

●サーターアンダギーの名店うなりざき

美栄橋駅でゆいレールを降りると雨が降っていた。傘をさして若狭公園方面に向かって川の側の道をまっすぐに12分程度歩き左に曲がるとサーターアンダギーの名店うなりざきがある。他のサイトで見ていた写真とくらべて店の看板が新しくなっている。文字がクッキリしていた。

着いたのは14:40頃だった。15:00頃には閉店なので急いで行った。人気店なので完売していたら早めに閉まってしまうこともあるそうだが、店の前には「営業中」の札が見えた。

中に入ると販売カウンター越しにお店の方と対面する小さなお店。カウンターの上に紅いもサーターアンダギ5個入が5袋程度あった。不愛想なおばさんだという噂を他のサイトで仕入れていたが、そういうときこそ話しかけたい衝動に駆られる。

「15:00で閉店と聞いて急いで来たんですよ。あってよかったです。」
「今日は雨だからね。」
「あーそうかぁ。雨でも来てよかった。」

そんな会話(?)をしながら2袋購入した。ホテルに戻ってから1袋あけて食べた。確かに美味い。これは人気が出るわけだ。

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佐喜眞美術館で購入した「平輪ちんすこう」も他にはない美味しさだったが、ちんすこうにしろサーターアンダギにしろ、正直なところ記憶にあるのはパサパサしてるだけのイメージだった。やはり本物を食べなければダメだな。記憶のなかのパサパサした沖縄菓子が次々と美味しい沖縄菓子で上書きされた旅行でもあった。

●国際通り・平和通り・市場中央通り

うなりざきを出てゆいレールで美栄橋駅から牧志駅へ。ハイアットリージェンシー那覇に戻り、朝預けたスーツケースを受け取りようやくチェックインした。このときフロントで爪切りを借りたいと伝えて部屋に届けてもらったのだが、その爪切り「匠の技」がめっちゃ切れ味が良く、帰宅後購入してしまった。

雨の中を出歩いていたせいもあるが、ハイアットリージェンシーは本当に快適だった。部屋で紅いもサーターアンダギを食べながら、もう出歩かなくていいんじゃないかと思ったりしていたが、しかしは腹は減る。ホテルの近くに石垣牛ステーキが食べられる琉球ステーキ究があったのでそこに食べに行った。カジュアルな店で良かった。

沖縄の家庭には必ずあるというA1ソースも言えば出してくれると書いてあった。ウエイトレスさんにどんな味か聞いてみたら、外国人のウエイトレスさんで「うーん、ちょっと酸っぱい…?」といった反応。ものは試しでA1ソースを出してもらったが、まぁ家庭用中濃ソースみたいなソースでせっかくの石垣牛ステーキには合わなかった。一口だけA1ソースで食べたが、やはりステーキはワサビに塩がいい。

琉球ステーキ究を出て少し散策した。明日が沖縄観光ラストデーなので、お土産関係は明日購入する予定だったが、多少アタリをつけておきたくもあった。国際通りのれん街の前に人だかりが出来ていた。近づいてみると獅子舞が踊っていた。若いエイサーの集団だった。

しばしその踊りと太鼓の音を気持ちよく聞いていた。その数曲の中になんとも懐かしいようなセンチメンタルな楽曲があった。少女がひとり中心で踊り、左右をガタイのいい青年が固めて太鼓をたたきながら3人で踊る楽曲だった。あの曲のタイトルを知りたいと思ったがいまだわからず仕舞いだ。

国際通りを歩いているとハワイアンらしき楽曲をよく聞く。いや音楽だけじゃない。沖縄の様々な場所で似非ハワイを感じるときがある。しかし沖縄のコンテンポラリーとか琉球民謡、琉球文化にもっと誇りを持っていい。ハワイの代替で沖縄に来ているわけではなく沖縄、琉球を求めて来ているのだ。もっと琉球らしさに触れたい。そんな思いのなかで聞いたエイサーの音色がやけに美しかったのだった。

国際通りから分岐しているアーケード街も歩いた。中央市場通りや平和通りだ。作ろうとしても作れない迷路のような路地だ。沖縄の小説家目取真俊に『平和通りと名付けられた街を歩いて』(影書房)という作品があるが、その平和通りだ。目取真俊さんは2016年に浦和を来訪し講演会をされた。一触即発の後援会だった。今年10年ぶりの短編集『魂魄の道』が発行された。アーケード街を歩くと私の故郷徳山の元気だった頃の銀南街を思いだす。徳山にも平和通りと名付けられた道があった。20230727_195619_3p

アーケード街のなかで土産物をひと通り物色して、妻の大好きなドンキホーテも覗き、ホテルに戻って来た。ウェルカムドリンクを飲んでいなかったので展望バーにウェルカムドリンクを飲みに行った。夜景を見ながらのウェルカムドリンクも実に美味しい。ウェイターが何度か注文を取りに来たが、ウェルカムドリンクだけを飲んで部屋へ戻った。次回はちゃんとディナーで来たいと思う。部屋でオリオンドラフト氷点下貯蔵ビール缶を空けた。

 

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2023/09/03

夏旅2023 夫婦編(17)~ 佐喜眞美術館 特別展 ~

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7月27日(木)の正午前、佐喜眞美術館最寄りの上原バス停に近づく頃、雨が降り始めた。バスを降りて美術館まで徒歩5分。美術館の玄関に着くころに大雨になった。今回の旅行でもっともザアザア降りの雨に降られたのがこの時だと思う。

当初、佐喜眞美術館には草間彌生の絵画が所蔵されているのでそれが見られればいいなと思っていた。直島博多、さらに都内と草間彌生さんの南瓜を見てきたので引き続き草間彌生つながりで目にした美術館だった。

ただ今回の旅行期間中は特別展をしていたため草間彌生の作品展示はなかった。それは残念だったが常設可能なのでまた来ればいい。今回の丸木位里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」全14部の原画特別展に出会えたのは偶然ではないような思いが残った。

●丸木伊里・俊「沖縄戦の図」の原画を鑑賞

佐喜眞美術館はこじんまりとしているが、とても個性を感じる美術館だ。普天間基地に突き刺さったトゲのように、基地の土地をえぐり取るようにして建っている。美術館を建てることを前提に返還された土地だという。そこに丸木伊里、丸木俊夫妻による「沖縄戦の図」が所蔵されており今回は2年ぶりにその原画14点が一挙公開されていたのだった。

丸木夫妻は「原爆の図」で知られている。夫婦共作で戦争の悲惨さを伝える絵画を描き続けてこられた。埼玉県には原爆の図丸木美術館がある。我々は埼玉県に住んでいるのに行ったことがなく、佐喜眞美術館を先に訪問したわけだ。丸木美術館も必ず行かなければ。

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特別展以外にも丸木夫妻の個々の作品も展示されていて見ごたえがあった。丸木伊里さんの圧倒的な水墨画「今帰仁大関」や丸木俊さんの色彩豊かな「赤シーサー」他も展示されていた。これらの異なる画風の二人が戦争画という重いテーマに生涯共作で取り組まれたわけだ。そこには戦争の時代を過ごした丸木夫妻のひとつの強い思いがあったのだろう。

美術館で購入した図録を読むと、1941年太平洋戦争が始まる直前に二人は結婚されている。そして1945年原爆投下の直後に広島に向かい一か月間の救護活動をされ、1950年からのちに連作となる「原爆の図」を発表されていた。沖縄訪問は1978年から。その後「沖縄戦の図」を描く必要性(必然性)を感じ1980年代に連作を発表された。

原爆と沖縄。このふたつの戦争をどちらも描かれたところに丸木夫妻の信念を感じる。原爆は被害者側の日本人の視点で戦争と向き合うが、沖縄戦では被害者と加害者とどちらにも日本人の視点で向き合わなければならない。米軍という鬼と日本軍という鬼による惨劇。沖縄戦には二手に分かれて逃れた洞窟の選択によって生死がわかれた史実もある。チビチリガマでの集団自決とシムクガマでの降伏による生存という明暗をどちらも描く。

私には生きている人々がより黒く描かれ亡くなった人ほど明るい光を帯びているように見える絵もあった。生き地獄という現実の闇の深さと同時に死してようやく地獄から解放される仄かな光にさらなる悲劇を見た。また絵画というメディアを通して死んだ人々による声なき声が永遠に響き続けるようにという願いもあるだろうと思った。

この「沖縄戦の図 全14部」のドキュメンタリー映画も制作されて公開されている。この日は東京都で上映中だったが、美術館ではDVDも販売されていたのでそれを購入して帰宅後に鑑賞した。その中で丸木伊里さんが「沖縄戦では日本人が撮影した写真は残っていない。だから日本人が描かなければならない」ということを話されていた。戦争の本質的な愚かさ、誰もが加害者にも被害者にもなり得る怖さを現代の日本人も日本人の立場で、ヒロシマ・ナガサキとオキナワとを知り、立体的に捉える責任があると思う。

●佐喜眞美術館の屋上に上る

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DVD以外に絵葉書と「沖縄戦の図」の図録(映画館で販売されているものと同じ)、ジョン・W・ダワーによる小冊子『戦争と平和と美 ー丸木伊里と丸木俊の芸術』、そして手作りの平輪ちんすこうを購入した。このちんすこうは人気でこれだけを買いに来る人もいるという。ジョン・W・ダワーの著書『敗北を抱きしめて』(増補版上下巻)を持っているがまだ読み終えていない…。この機会にまた読み始めようと思ったが読み始めるのに気合が必要なのだ。

ひと通り鑑賞し買い物も終え、エントランス横の受付の方に佐喜眞美術館についてもいろいろ聞いた。外に置かれた作品やこの美術館の成り立ちなど。そのうえで屋上に上った。このときすでに大雨は降り止んでいたが滑りやすいので注意しながら階段を上った。

沖縄の地上戦が終結したことにちなみ6月23日は「慰霊の日」とされるが普天間基地を眺められる屋上の階段も6段と23段になっている。この段数は6月23日にちなんで作られたわけではなく偶然だとのこと。逆にゾクッとした。ただ6月23日の日没に照準をあわせた向きに階段が設置されているようだ。

外には沖縄県立盲学校卒業生の生徒作品(1980年)が置かれている。これは危うく廃棄されそうだったところを引き取って置かれたそうだ。どれも面白い。当時の先生は今年85歳で亡くなられた山城見信氏だったのではないかと思う。

佐喜眞美術館にいた1時間あまりの間に、普天間基地から飛び立つ米軍のヘリコプターと基地に向かうオスプレイを目撃した。ここはそういう土地だ。その一角に丸木夫妻の「沖縄戦の図」が鑑賞できる美術館があることに気概を感じて美術館を後にした。

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2023/08/27

夏旅2023 夫婦編(16)~ 名護から那覇に移動 ~

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7月27日(木)早朝の名護市は雨が降っていた。二日間の名護滞在も終わり沖縄旅行の後半二日はまた那覇市へ戻って宿泊する。この日は移動日のような一日になりそうだがそれももったいないので名護から那覇に戻る途中にどこかに寄りたいと思い、いくつか候補を考えていた。

しかし高速バスを途中で降りるとそこから先の足がない。タクシーでもいいがそれも毎回呼んだりとせわしない。そこでいったん那覇まで戻ってホテルに荷物だけ預けてバスで佐喜眞美術館に向かうという計画を立てた。

●土地勘のなさを露呈し時間ロス

ここで土地勘のなさで少しタイムロスしてしまった。名護バスターミナル前から高速バスのやんばる急行バスで戻ることは予定通りだった。来た時にも乗ったので勝手知ったる高速バスだ。予定時刻より若干遅れて出発した。次に泊まるホテルは国際通りにあるハイアットリージェンシー那覇だったので、とりあえず往路で乗った県庁北口まで行けば、そこからゆいレールなり徒歩なりで牧志駅方面へ行けばいいと考えていた。

このルートは無駄が多い。ゆいレールの駅をふたつも通過している。古島駅前とおもろまち駅前だ。このどちらかでバスを降りてゆいレールに乗り牧志駅に向えば効率的だったはずだ。そのことに気づいたのはおもろまち駅前を通ったずいぶん後だった。この辺は繁華街だなぁなどとバスの中から見物していたが、そのうち那覇市内の渋滞に捕まった。

乗り継ぎ予定のバスの時間が結構ギリギリだったので、この渋滞で予定通りに県庁北口に着かないことが分かったとき、ゆいレールに乗るならおもろまち駅前で降りたら良かったのかと気づいた。しかし高速バスは前払いだし、乗ったときには手前で降りるという選択肢すら頭になかった。途中下車をやめた時点で県庁北口に行けば何とかなるとしか考えが及ばなかった。

県庁北口には予定より遅く着いたので、スーツケースを引っ張りながら速足で国際通りを歩いた。端から端まで歩くような距離だ。これは荷物を預ける時間も考えると予定のバスは無理かと思っていた。

ハイアットリージェンシーはチェックアウトで忙しそうな時間帯だった。入口を間違えて裏側の階段を上り2Fから入ってエスカレータでロビーに降りていった。荷物を預けようとカウンターに近づくと「チェックアウトですか?」と聞かれたので、「いや今晩泊まるのだけど荷物だけ預けたくて」と伝えると、瞬時に手続きしてくれてあっという間に荷物を預けられた。さすがだ。

荷物を瞬時に預けられたので、急いで正しいエントランスから外に出た。エントランスに並んだ車もいい車が多かった。さすがだ。

バス停はそれほど遠くなく、なんとか乗ることが出来た。市外行のバスは逃すと時間ロスが大きいのでハイアットリージェンシーの対応には感謝しかない。もともと良い(高い)ホテルではあるが、さすがだ。

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夏旅2023 夫婦編(15)~ あたらくしあ ~

宮城菓子店を出て夕食をどうするか検索開始。私には事前検索をして腹案があったが妻はいまいち乗り気でない。その理由は普通の居酒屋だからだという。

外せないポイントは沖縄料理、それももずくの天ぷらがマストだとか。天ぷら好きなのでそれは当然だ。私からも本場で食べるもずくの天ぷらの美味さを聞かされてもいた。

さらにこういうときの妻の美味い店を発見する検索力には一目置いているので、妻が見つけた店「居酒屋あたらくしあ」を目指すことにした。もずくの天ぷらだけでなく、店内も清潔そうで手書きのお品書きにも惹かれたようだ。

歩いて行けば16分だったが、相当疲れていたので名護十字路から名護市役所前までバス停ひとつ分をバスに乗った。ちょうど良いバスがあって助かった。

名護市役所前で降車するとまた小雨が降ってきた。折りたたみ傘をさしてあたらくしあまで6分ほど歩いた。

あたらくしあで食べ過ぎる

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お店に入ると真ん中のテーブル席に通された。予約していなかったが、空いている席があって良かった。とりあえず私はオリオルクラフト生ビール、妻はアセロラジュースを注文した。

歩き疲れた3日間、朝食はホテルのビュッフェで食べて昼はほとんど食べずに回った(朝食を食べ過ぎるきらいもあったためだが)。夕食は那覇についた初日こそ炙るチェリチェリで沖縄料理を食べたが、翌日はハンバーガー昨日はコンビニという日が続いていた。それもあって食欲は旺盛なふたりなのだった。

いざ注文しようと壁に貼ってある沖縄料理メニューを眺めたが、琉球語なのでそれがどんな料理か分からない。そこでおすすめの沖縄料理を聞いてみたところ、ナーベーラ(へちま)アーサ(あおさ)のかき揚げが旬で、うんちぇーばー(空芯菜)も美味しいとのこと。この時点でもずく天ぷらを含めそれら4品を迷いなく注文した。

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店員さんが「えっ、全部ですか?」のような声を思わずもらしたが、気にせず「あの、チマグの塩焼きってどういうの?」と聞いてみたら、ご自身の腕を豚足に見立てて「テビチは豚足のここまで、チマグはその先の部位ですよ」と教えてくれた。なるほどそれは美味そうだとチマグ塩焼きも注文した。

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ナーベーラとアーサのかき揚げが届いた。その量はプチサプライズだった。都内の居酒屋気分で注文してしまうと食べきれないだろう。アーサのかき揚げともずく天ぷらはどちらもデカい。両方頼むと食べきれない可能性大だ。ハーフ&ハーフがあればいいのにと思った。

しかしあたらくしあの沖縄料理はどれも美味かった。むさぼり食うとはこのことだ。あまりの食べっぷりにシークァーサーサワーを注文したらシロップでなく本物のシークァーサーでサワーを作ってくれて、熟したマンゴーとパイナップルをサービスしてくれた。

食べ過ぎたので、夜のタピックスタジアム名護を左に眺めながら、ホテルゆがふいんおきなわまで12分ほど歩いて帰った。こうして名護の二日目は終了。明日からはまた那覇に戻る。

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夏旅2023 夫婦編(14)~ ひんぷんガジュマルと宮城菓子店 ~

名護市役所の見学を終えて私がそろそろ夕食をどうするかと考えていたところ、妻はスイーツについて検索していた。確かにホテルに帰っても周りにはコンビニスイーツしかない。時間ももう17:00近かったので、せっかく来た市役所の近くで美味しいスイーツに出会いたいという思いはわからなくもなかった。

探した結果、宮城菓子店というお菓子屋さんがカフェも併設していた。名護市役所から歩いて13分。朝からフクギ並木や美ら海水族館に行って名護市役所のなかも歩き回って小雨も降ったりして疲れてはいたが、まぁ歩けない距離ではないと思い同意して歩き始めた。

その過程のなかで、お店の先にひんぷんガジュマルというジャイアント・バニヤン・ツリーがあることも知った。大きなガジュマルの樹はガンガラーの谷で見てから興味も高まっていたので、その樹もついでに見学に行った。車道を左右に押しのけるようにして、道のど真ん中にでっかいガジュマルの樹が立っていた。

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樹齢約300年のガジュマルの大樹。車道に挟まれてそびえ立つこのガジュマルが歩きだしたら大変だと思いながら見ていた。その側にちょっとした広場があり説明文などもあった。そこにしおれたサガリバナらしき花も見つけた。この花も夜には咲くのだろうか。2013年に石垣島の群生地で見たサガリバナは見事だった。あのレベルのサガリバナをこの旅の途中に妻にも見せたかったが、さすがに道端のサガリバナは群生地のようにはいかない。

ひんぷんガジュマルを見て、名護十字路にある宮城菓子店に向かった。カフェコーナーは店の一角に一席と外にテーブルがあった。夕方とはいえ暑かったので店内で紅芋モンブランのケーキセットをいただいた。

●宮城菓子店でスナップ写真

食べ終えてお会計の前に、店のマスター宮城栄進さんとお話した。埼玉から来たと話すと、埼玉県に住んでいたことがおありだということで、しばし埼玉談義をした。製菓衛生士免許証を平成4年に東京都で取得されたとのことで、その免許証も見せていただいた。鈴木俊一都知事時代だ。話好きの明るいマスターだ。

後進の指導もされているようで店の中にはこれまでの教え子の写真がたくさん飾られていた。沖縄の四十九日にはお菓子は欠かせず、最近はそういう昔からの風習も知らない人が増えたので、そういうこともお客さんに教える立場になっている。またその風習のおかげで店も続けられるとおっしゃっていた。

最後に記念写真も撮らせてもらった。こんな出会いはスイーツ以上に大好物なもので。ただ顔出しNG夫婦なのでイラストで加工した。マスターのお顔も加工してる。次回訪れることがあれば写真を渡しにまた寄りたい。いつまでもお元気で。

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夏旅2023 夫婦編(13)~ 名護市役所 ~

●沖縄エアポートシャトルで名護市役所へ

7月26日(水)15:10過ぎ、美ら海水族館前のバス停で名護方面行のバスを待っていたら沖縄エアポートシャトルの真っ赤なバスがやって来た。沖縄エアポートシャトルは予約制だと思っていたのでスルーするつもりだったが、赤いバス停の時刻表をのぞき込んでいると運転手さんに「どこまで行かれるの?」と聞かれたので「名護市役所前まで」と答えてみたら乗せてくれるというではないか。予約客が先に乗って座席があれば乗せてくれるようだった。沖縄の高速バスはみんなこうなんだろうか。ありがたかった。沖縄エアポートシャトルは実に快適なバスだった。15:30出発で名護市役所前には16:00過ぎに着いた。

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名護市役所は役所なので平日17:00で閉館になる。それまでに行かなければ所内には入れない。なんとか間に合った。

沖縄に行く前に名護市役所が解体されるというニュースを見た。1981年に建てられてから42年が経過し確かに外観は古くなりコンクリートの削げ落ちた柱もあった。象設計集団により設計された歴史的建築であるのは確かだが(詳しくは東京建築散歩さんのこちらの記事を)、現役の庁舎としては厳しい面もあるだろう。

昨年、解体される直前の中銀カプセルタワービルを見に行ったが、1970年代から80年代にかけての建築が老朽化し解体されていく時代になった。なぜだかわからないが私は変わりゆく同時代の風景(人工物)を見ておきたいという気持ちが強い。年々強くなるのは年のせいか。終わりと始まりの端境期、時代の汽水域と言ってもいいかもしれない。そんな過去・現代・未来の時間が重なる場所こそパワースポットだと思う。

出来れば現在のこの様式を残しつつ、新工法なり新素材なりで新たな名護市役所に生まれ変わって欲しいが、自然の風や光を取り込む必然性が薄れてしまった現代建築においてその機能性はノスタルジィでしかないのかもしれない。

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名護市役所の内外を見学した後、隣にある21世紀の森体育館も散歩した。小雨が降ったりやんだりといった天気だった。この建物も設計者は分からなかったが近辺の雰囲気とマッチしていた。

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夏旅2023 夫婦編(12)~ 美ら海水族館 ~

備瀬のフクギ並木から美ら海水族館まで歩く間にローソン海洋博公園前店があった。ここで水族館のチケットを買ったほうが現地で並ぶより時短になると思いチケット販売機ロッピーに向かった。

●チケットは近くのローソンのレジで購入

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予約チケットの受け取り以外ではほとんど使ったことがないので、地域とかカテゴリ選択とかネストの深さに早くもイライラしてしまう。前売り扱いとか何らかの特典がないかも探りつつ妻にナビゲートされながら目的のチケットにたどり着いた。何の割引も無かったが、ようやく引換券が入手できたのでそれを持ってレジに向かうと、なんとレジで「割引チケットがありますよ」と教えてくれた。最初からレジで聞けば良かったのだ。無駄な時間を使ってしまった。引換券は30分以内に引き換えなければ無効になるのでそのまま破棄してもらい割引チケットを購入した。

●美ら海水族館を満喫

美ら海水族館に来たのは初めてだった。妹の長女が修学旅行で来ていて、その時に買ってきたジンベエザメのぬいぐるみの精巧さに驚いた記憶がある。いまの美ら海水族館が出来たのは2002年。11年前に訪問する予定だったが予定変更で来られなかった。今回妻と一緒に来れて良かった。

水族館の設計は那覇市出身國場幸房氏(2016年没享年77歳)で、その琉球らしいフォルムが印象的だ。伊江島を見渡せるエントランスの解放感、大水槽の圧倒的な迫力、それらひとつひとつに思いを感じることが出来る。

どこの水族館も小宇宙のようで面白い。美ら海水族館ほどの規模になるとなおさら。スタートレックファン(トレッキー)の私なので、そんなSFチックな感情に引っ張られてしまう。

海洋生物の表情にも注目して妻と二人で正面からの顔を狙った写真もいくつか撮れた。マナティ、ウミガメ、ニセゴイシウツボの三大顔写真をアップしておきたい。

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大水槽の前は大勢の人だかりでなかなか先に進めない。水槽全体が見渡せる座席もあり、そこに座れればゆっくりと時間を過ごすことが出来る。一日でも雲を見ていられる私だから、大水槽という小宇宙の魚群の動きは見飽きることがない。だがイルカショーも見たいので、とりあえず間に合うように外に出て、ウミガメ館やマナティ館にも立ち寄りながらイルカショーの時間前にオキちゃん劇場へ。

夏休でもありオキちゃん劇場には子ども連れが多数いた。我々の周りは中国や韓国からのファミリーばかりだった。久々に韓国語会話をしてみたい衝動に駆られたがもはやそんな芸当は出来ない…。無念だ。

イルカショーの席についてすこしすると突然の雨が降り始めた。スコールのような大雨だったがすぐに止んだ。屋根のある座席で助かった。今回の旅ではところどころで雨が降ったがそのタイミングが実に絶妙でギリギリ回避できて良かった。

イルカショーの後には希望者がイルカに水をぶっ掛けてもらうアトラクションもあるが、隣の韓国人ファミリーは若いお父さんが小さい娘を連れて水浴びに参加し、何もわからない娘さんはずぶ濡れになり大泣きしていた。まぁそれも良い思い出になるだろう。

イルカショーの後、再び大水槽に戻った。15:00からジンベエザメの餌やりショーがあるからだ。すごい人かと思いきや、来た時ほどの混雑もなかった。しかし15:00になって飼育員が水面から餌やりの合図を送るがジンベエザメはまったく反応しない。いまは食べたくないようでショーは不発に終わった。生き物相手ではそんな日もあるだろう。だがその合図の前後には小魚の群れも動き回るので幻想的な小宇宙のなかにうねりが出来て見ごたえはあった。

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このあたりで引き上げようと提案した。というのも名護にいるのは今日までで明日は那覇市に戻る予定になっている。その前に私にはひとつ行きたいところがあった。名護市役所だ。代表的な沖縄建築への興味だった。それも平日17:00までに行く必要があった。建物の中にも入るには営業時間中に行く必要があった。そのためには15時台のバスで何としても名護市役所前まで戻らねばならない。

名護方面へのバス停に向かう途中でまた雨が降ってきた。バス停は陸橋の下にあったのでそこで雨をしのいだ。ここで乗れるバスは何社かあるが、やんばる急行バスしか知らないのでそれに乗れればいいがと思いながら待った。そこに真っ赤なバスが来た。沖縄エアポートシャトルだった。

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夏旅2023 夫婦編(11)~ フクギ並木通り ~

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7月26日(水)名護のホテルホテルゆがふいんおきなわ宿泊二日目。この日は美ら海水族館へ行く予定で朝から名護バスターミナルに歩いて行ったが、美ら海水族館の先には2022年NHK朝の連続ドラマ「ちむどんどん」のロケ地として有名になった備瀬のフクギ並木もある。

路線バスの終点はそのフクギ並木まで徒歩5分の場所にドカーンと建っているホテルオリオンモトブリゾート&スパだった。美ら海水族館のひとつ先のバス停だ。この終点まで行けばフクギ並木に歩いて行ける。さわやかな朝のフクギ並木をサイクリングして、そのあとゆっくり美ら海水族館という行程のほうが楽しいように思い終点までバスに乗った。これが大正解だった。

終点のオリオンモトブリゾート&スパはとても綺麗でゴージャス感のあるホテルだった。そのエントランスに路線バスで降り立つ。せっかくなのでこのリゾートの景色もしばし楽しんで写真も撮った。フクギ並木にも美ら海水族館にも徒歩で行ける立地も素晴らしい。

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備瀬のフクギ並木の入口まで徒歩5分。そこにあった並木レンタサイクルに向かった。昨日の古宇利島での経験から高低差とか所要時間について端的に質問したところ、一時間もあれば十分回れるとのこと。電動キックボードと電動アシスト自転車がどちらもラスト2台だったがサイクリングがしたかったので自転車を借りて出発。

備瀬のフクギ並木には一通り順路が設定してある。基本的に民家の間を縫って観光をするわけで「おじゃまします」という感覚で静かに回る。路地や小径の情緒がどんどん薄れゆく日本のなかでこの懐かしさは貴重だ。それもただ懐かしいだけでないのは沖縄という島の持つ独特の風土と無関係ではないだろう。

道は平坦なので電動アシストでなくても良かったかもしれない。もちろん電動のほうが楽だが。走り始めて10分くらいで妻が電動アシスト自転車の電池が切れそうだと言い出した。今日は予備電池は持っていないので私と自転車を交換した。しかしその後、電池切れは起こさなかったので残量計の不具合だったのかもしれない。

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20分もすると備瀬崎海岸に着いた。ミーウガン(離れ小島)への眺望と呼ばれる海岸だ。海水浴をしている家族もいたが、我々が訪れた二日後だったか、ここでシュノーケリングをしていた子どもが溺れてドクターヘリで運ばれたニュースを那覇のホテルで見た。島は見えるが湾ではなく、島と島のあいだを外海の潮流が流れる複雑な海だ。砂浜ではなく岩場でもある。静かに見えても油断すると危険だと思う。

備瀬崎海岸に着いたとたんに雨が降り出した。そこそこ降ってきたので、駐車場の側の大きな樹木の下に入って雨宿り。こういうときにスマホのお天気アプリは助かる。確認すると15分もすれば止みそうな気配だ。とりあえずそこで雨をしのいでいたら、お天気アプリのいう通りに雲が去り雨は止んだ。

レンタサイクルも1時間コースだし、グズグズしていられないとまた走り出した。復路は海岸線をひたすらまっすぐ戻るだけだが、ところどころにいい感じの小径が左側に現れるので、そのたびに止まっては写真を撮る。海側から小径を撮り小径側から海を入れてまた撮る。夫婦で自撮りもする。小舟が浮かんでいたら伊江島を背景にまた撮る。風景画のなかを走っているようだった。

それでもまだ時間があるので、通っていない路地裏も行ってみようと小径のひとつに入って行った。樹木に囲まれて気分よく走っていたのだが、裏道に入ると、道をふさぐかのようにでっかい2匹の蜘蛛がそれぞれ巣を張っていて、前を走っていた妻がいきなり自転車を止めた。私だったらそのまま突っ込んでいたかもしれない。

これだけ大胆に道をふさいで蜘蛛の巣が2つも張られているんだから、住人すら通っていない裏道だったのだろうか。いやはや立派な蜘蛛と蜘蛛の巣だった。見ている分には蜘蛛の巣の美しさも好きなので何枚も写真を撮り、蜘蛛の巣の下を自転車を押して通り抜けた。後から調べるとどうやらジョロウグモ(女郎蜘蛛)のようだ。だとすると益虫なのでそのままにしてあったのかもしれない。

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ほぼピッタリ一時間で並木レンタサイクルに戻ってきた。もう次の客に説明を始めていて商売繁盛で何よりだ。1時間で回れるという言葉通りのコースだった。良心的だなと思ったが2時間乗られるよりも回転を速くした方がいいのだろう。自転車を返したらお菓子をくれた。

備瀬のフクギ並木には、よさげなカフェもいくつかあるが、まだ時間は10:30ごろでカフェも開いていないので、美ら海水族館まで歩いていくことにした。ほんの一時間程度のプチサイクリングだったが、なんとも気持ちの良い時間だった。雨に降られたのも、ちょっとした暑さしのぎになったし、雨上がりの並木道というのもこれまた風情がある。前向きに楽しむ性格なのだ。

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夏旅2023 夫婦編(10)~ 古宇利島一周 ~

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電動アシス自転車をレンタルして美らテラスから古宇利島へ向けて出発。とりあえず誰もが目指すのは島の奥にある映えポイントのハートロック。松田聖子の名作アルバム「ユートピア」の中にあるB面1曲目「ハートをRock❤」(youtube)を歌いながら走るのだ(心の中で)。

20230725_122718電動アシスト自転車でハートロックあたりについたのは30分後くらいだった。私の自転車の電池はこの時点でほぼゼロになった。妻の自転車は70%以上残っていた。

なかなかの混雑だった。みんなハートロックを目指してくるわけだし自動車で来ればすぐなので駐車場も混んでいた。駐車場に自転車を止めて駐車料金を入れた。自転車も駐車料金が必要なのかはわからなかったがいちおう止めさせてもらうんで。日差しでサドルが熱くなるため日陰に置きたかったが完全には隠れなかった。2本の予備電池もカゴに入れっぱなしというわけにもいかずエコバッグに入れて持って歩いた。

ハートロックは駐車場から少し歩いて降りていく。景色は美しくハートロックもなるほどと思ったが、とにかく暑かった。泳ぐわけでもなく、映えポイントGETという感覚で写真を撮って戻った。駐車場からハートロックへの道も一本道だがちょっとわかりにくいようで、すれ違う家族に「ハートロックはこの先ですか」と聞かれたりもした。

駐車場にもどって自転車の電池を交換した。30分程度の行程で1本切れてしまったので交換した電池がこの後の行程でもつのかどうか若干不安になった。妻のほうはまったく問題ないので交換せずに島の反対側に出発した。

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島の反対側は下り坂なので電動アシストは使わず子どものように風を受けて走った。景色も天気も良く気持ちがいい。古宇利オーシャンタワーまで一気に走った。オーシャンタワーは料金1000円とちょっとお高めだった。もう相当美しい景色は堪能しているので入らずに先に進んだ。

途中のおしゃれなカフェで冷たいものでも飲もうかと寄ってみたが、ランチ営業の時間帯でカフェだけの利用は出来ないとのことだったのであきらめて、古宇利大橋の手前にある古宇利島の駅ソラハシに寄ってみた。土産物屋やテナントが入っていてちょっとした軽食を食べるフードコートがあった。

このフードコートでOice Cafeのドラゴントロピカルスムージーを飲んだ。マジで美味かった!南国にキターっ!という感覚を味わえた。100%求めていた飲み物に出会えたね。

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古宇利島を電動アシスト自転車で一周し、この時点で14:00を回ったあたりだった。出発してから約二時間だ。戻りは大橋を渡る前に美らテラスに電話連絡してこれから橋を渡って戻ることを告げることになっていた。おそらくその連絡が来たら美らテラスのおじさんは店に戻ってくるんだろう。

フードコートを出てから電話して橋を戻って行った。途中で妻は橋の近くにウミガメを目撃したらしい。先を電動アシスト自転車で突っ走る私を呼んだがまったく聞こえなかった。私を呼んでいるうちにウミガメもいなくなり写真も撮れず…。残念。

●運天原バス停まで歩く

美らテラスに自転車を返して、そこからどうするかを考えた。タクシーで来たわけでタクシーで帰るという選択肢が正解だが、そこは路線バスの旅をしている我々だ。一番近いバス停を検索したところ琉球バスの運天原バス停があった。徒歩17分だ。ただし次は16:25で、それを逃すと次は18:30までバスがない。中途半端な時間だった。

しかしとりあえず歩き始めた。歩き始めた途端に雨が降り始めた。この雨はクールダウンできて良かった。折り畳み傘は常に持ち歩いていたのでそれを差して歩いていたらすぐにやんだ。途中に養殖くるまえびを食べられるところがあったのでそこに寄ってみたが、自動車の客でいっぱい。徒歩で来る客などいないようで呼ばれるまで車で待機するような店だった。「30分待ち」と言われてバスに間に合わないのでそのまま立ち去った。忙しいからかぶっきらぼうな店だった。

その後、ちょっと歩くとカフェがあったのだが、往復する時間とカフェでゆっくりする時間を考えると若干リスキーだったので寄らずにバス停を目指した。運天原バス停は運天原共同売店の裏だった。そこは陽射しが強かったので、売店の日陰のイスに座った。15:00をすぎたばかりだったので、ここで90分程度バスを待った。

90分あればカフェを往復出来た可能性もあったが、いかにも田舎の人っ子ひとり通らない午後のバス停で夫婦そろって延々バスを待つというシチュエーションは、なんだか自主製作映画のワンシーンのようで嫌いではない(妻はカフェのほうが好きだったとは思うが…)。ここで塩分チャージタブレットなどを食べながらバスを待った。

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こういうときに重要なのは飲み物だ。夏の旅行はとにかく喉が渇く。日本の場合はどこに行っても自動販売機があって助かるが、それでも見つからない場所はあるので、見つけたときには水かお茶を補充しておく。そこで重宝するのは保冷バッグだ。いつも2Lレベルの小さい保冷バックを持っていく。500mlペットボトルなら2~3本入る。これに入れたままリュックにも収まる。必携だと思う。

バスは時刻表通りにやってきた。売店の日陰に座っていたら素通りされそうな勢いだった。そのバスに乗り名護バスターミナルまで戻った。途中のバス停がどれもやんばるっぽい地名で興味深かった。

このバスで名護市役所前に降りて夕食という選択肢もあるかと思ったが、高校が夏休みでバスのルートが変更になっているようで名護市役所前に止まるルートでなく、気づいたら名護バスターミナルについていた。後から考えると途中に名護十字路というバス停があったので、そのあたりで降りれば繁華街だったが、このときはまったくわからずバスターミナルまでついてしまった。

ホテルのまわりに居酒屋などはあったが、この日は隣のコンビニで沖縄限定と書かれたおにぎりやソーメンチャンプルー弁当などを買い込み部屋で食べた。ゆがふいんおきなわの部屋は広いが電灯が間接照明だけで蛍光灯がなかった。外国人にはそれが良いのだろうがちょっと暗くて部屋食には難儀だった。

とりあえず名護初日に古宇利島に渡れたのはラッキーだった。この調子で翌日も天気に悩まされず済めばいいがと考えながら寝た。翌日は美ら海水族館へ行く予定だ。

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夏旅2023 夫婦編(9)~ 美らテラスから古宇利大橋へ ~

●那覇から名護へ

7月25日(火) グレイスリー那覇を出発して名護へ向かう。美味しい朝食ビュッフェはしっかり食べて県庁北口バス停へ。8:40発のやんばる急行バス(YKB)888号で名護バスターミナル前を目指す。ふたりで片道3100円。1時間40分前後の高速バスだ。予約なしで乗れるのが便利。クレジットカードや各種Payで払えるのもありがたい。

名護方面はちゅら海水族館もあるし夏休みだからか結構地元の人たちも乗ってくる。スーツケースは自分でバスのトランクに収納する。途中伊芸SAでトイレ休憩もありとても快適だった。バスに乗ってから少しすると雨も降り始めた。降ったりやんだりだが青空も見える。台風5号の影響もあるのだろう。二日間はどうも降ったりやんだりのような感じがした。

名護バスターミナル前に着いた。YKBは系列が違うようでバスターミナルの中ではなく外にバス停がある。トランクから自分たちのスーツケ-スを降ろしてホテルに向かう。宿は徒歩数分のところにあるホテルゆがふいんおきなわに連泊した。目の前にタピックスタジアム名護という野球場がある。近所の居酒屋には「歓迎日本ハムファイターズ」の横断幕も。キャンプ地のようだ。

●予定を前倒しして古宇利島へ

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ホテルのチェックインは午後からだが荷物だけ預けて動き出すことに。最初の予定ではこの日はちゅら海水族館にいくはずだった。那覇からの移動日でもあるし前日歩き回って疲れてもいるはずなのでゆっくり水族館というプランだ。しかし天気予報では今日は明日より天気が良い。ならば今日のうちに古宇利島へ行った方がよいという結論に至り急遽予定変更し、ホテルでタクシーを呼んでもらい古宇利島を目指した。

タクシーの運転手さんには古宇利大橋の手前にある美らテラスを目指してもらうことにした。古宇利島には2.4kmの古宇利大橋がかかっているが、橋の途中で写真を撮るには歩道を歩くか自転車しかない。歩いても渡れる距離ではあったが、渡った後に島を観光するにはせめて自転車は必要だ。

そこで調べると橋の手前にある美らテラスに貸し自転車があるようだ。臨時休業中だったが貸し自転車だけは営業中とホームページに書いてあった。美らテラスの貸し自転車は予約制だったが、まぁ何とかなるだろうと向かった。ギリギリまで天気とにらめっこしていたので予約するのもリスキーだったから。

タクシーに乗っている間も雨が降ったりやんだりしていた。若干不安になりながら美らテラスに着いた。入口にはチェーンと網がかかっており、どう見ても営業中には見えないたたずまいだった。タクシーの運転手さんもここで良いのだろうかと怪訝な感じだったが我々を降ろして去って行った。

他にも入口があるんじゃないかと海のほうに向かってみたりしたがどうも違う。やはりあの入口しかない。そうこうしていると自動車が一台、美らテラスの裏道を入って行った。これから営業開始かなくらいな感覚で電話番号を探して電話してみたら男性が電話口に出られた。

「貸し自転車を借りたくていま門の前から電話してるんですが」と伝えると「ハイハイ、いま行きますネ」とのこと。やはりさっきの自動車で出勤されたようだった。ただその後聞くと、たまたま予約の人が来る時間なので来たところに我々から電話がかかってきたということで偶然だったことが判明。ついていた。

●電動アシスト自転車が必須

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予約していなかったので在庫があるのは電動アシストではない自転車か、古い電動アシスト自転車の二択だった。普通の自転車は新しいが電動アシストは旧式で電池がもたないため予備電池をカゴに入れて途中で入れ替える必要があるかもしれないとのこと。

ここで島の高低差に苦労した昨日の経験がフラッシュバックし「高低差はどのくらいありますかね」と食い気味に聞いたところ、「左回りをオススメしてるけど、どっち周りでもハートロックまでは上り坂だねぇ」とのことだった。

「じゃあ電動アシストにしようかな」

「それをお勧めしますよ。正直、私も電動じゃないと行く気にならないネ」

という会話をして旧式の電動アシスト自転車を2台借りた。11:50からの3時間コースを選択。2台で3000円だった。結果的に大正解というか、古宇利島は電動アシストなしなんて考えられない高低差だった。電動アシスト自転車は実に快適だった。

自転車に乗ることを考えて黒頭巾を持って来ていた。髪を覆えるターバン風ヘッドバンドでラーメン屋の店員のようなやつ。台風が近くにいるし帽子だと飛ばされる可能性を考えてのことだがこれも大正解だった。妻は紐がついているつばの大きな青い帽子だった。

古宇利大橋に入ってすぐ踊り場的な展望ポイントがある。歩道ならではのポイントなのでここで写真を撮る。島に近づくとそこにも展望ポイントがあり、そこから屋我地島側に振り返って写真を撮ったりした。

橋を渡るだけなら電動アシストはいらない。橋を渡り切ると左回りでハートロック目指して走り始めたが、すぐに電動アシストが必要になった。天気は杞憂に思っていたのが馬鹿らしいくらいピーカンだ。それだけに気持ちは真夏の坂道のヤバさリターンズ!この高低差はきつい。電動アシスト自転車一択で間違いない。

そして私の電動アシスト自転車の電池の残量計はどんどん下がっていく。70%を過ぎるとつるべ落としのように…。予備までこの調子で減ってしまったらどうしようと思うくらいにどんどん減った。妻の自転車は私ほど減らないから個体差の問題だったのかもしれない。

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2023/08/13

夏旅2023 夫婦編(8)~ ルートビアとの遭遇 ~

●最後に待っていたルートビアというトラップ

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夕食は国際通り入口にあるA&Wに入った。ここも沖縄で有名なハンバーガーチェーンだ。ハンバーガー好きの妻は美味しいハンバーガー店も複数物色していたが、この時間に空いている店は少なくA&Wで食べることにした。混んではいたが3階席には若干空きがあった。ただし3階は20:00までだという。2階は22:30までだが満席だった。まぁハンバーガーだし30分程度でサクッと食べてホテルに戻ろうと3階で食べることを告げて注文した。

沖縄出店60周年の記念でフレーバールートビアフロートモヒートグリーンという記念ドリンクがあったので、記念という言葉に弱い私はそれが入ったキラキラサマーコンボにした。看板ドリンクのルートビアは飲み放題だという。「なんと太っ腹な!」とこの瞬間は思ったものだ。それがひとくち飲んだだけで180度の意識改革を迫られた…。

注文しているうちに2階席に空きが出来たのでそっちに変更した。席について18,000歩近く歩いた一日を振り返った。最初の計画の3倍も目的地を回れた。久高島斎場御嶽ニライカナイ橋展望台ガンガラーの谷と路線バスの旅の一日で全部回れるとは思ってもいなかった。

いやー良かった良かった、喉も乾くねとルートビアに口をつけた。最初はフロートの甘味がした。しかし液体が喉を通った瞬間、寒気のするような不快感が襲ってきた。たとえるならシャンプーを間違えて飲んでしまったような。このときはじめてルートビアという飲み物の洗礼を受けたのだった。一生消えないデジタルタトゥーのようにその不快感が残った。

A&Wのハンバーガー他の食べものはみんな美味しかった。妻が頼んだ飲み物も美味しかった。しかしその美味さをルートビアの不快感がすべて台無しにしていく。なんなんだこのシステムは。最初はモヒートグリーンの仕業かと思ったが、どうやらルートビアそのものの味だった。

ネット検索してみると「サロンパスの味」という形容が多い。確かに言い得ている。サロンパスは食べたことがないが。これほど喉越しの悪い飲み物を飲んだことがない。ドクターペッパーが好きな私だが薬草系ジュースとしても完全に別物だ。ミントからおいしさだけを外したような感じだ。爽快感とは異なるこの感覚。喉を通って一瞬の間があり悪寒のような不快感が込み上げてくる。慣れることがない。喉の渇きを潤すことも出来ない。

ワサビを死ぬほど食べる外国人の映像を見たことがあるが、奴らの狂った舌にはこれが美味いと感じるのだろうか。本当にこんな飲み物がこの世にあるのかと驚いた。それほどまずい。どれほど不味いと言っても言い足りないまずさだ。これを後輩に話したら、それほどネガティブな情報を聞いたら飲みたくなると言われた。それが狙いかとすら思った。悪魔的な飲料だ。一度は飲んでみて欲しい(責任は持たない)。おかわり自由といわれたが拷問か。半分も飲み切れなかった。

食事を終え店を出た後には近所のコンビでポークサンドピリ辛豚味噌おにぎりとオリオンビールとオリオンWATTAパイナップル味を購入してホテルに戻った。口直しをせずにはいられなかった。A&Wは美味しいがルートビアだけはもう飲むことはないだろう。いや、やはり怖いもの見たさでもう一回くらいは飲んでしまうかも…。悪魔的だ!

こうして沖縄旅行の二日目が終わった。まだまだ始まったばかりなのにこんなに長くなってしまった。

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夏旅2023 夫婦編(7)~ ガンガラーの谷 ~

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●歩くガジュマルの樹

待機所のケイブカフェで数杯のドリンクを飲んだ。16:00になりガンガラーの谷ガイドツアー参加者を呼び出すアナウンスが響く。まずツアーガイドさんによる概要の説明がある。夏場は水分補給も大切なのでお茶の入った水筒も一人一本ずつ用意されていた。これを首から下げて出発する。16:00からのコースなので真昼間よりはずいぶん過ごしやすかったが、それでもツアーが終わるころには水筒が空になった。

大きな見どころは大主(ウフシュ)ガジュマル、触れる鍾乳洞のイキガ洞、そして武芸洞で、ガイドさんの語り口も面白くて為になる。

ガジュマルの樹は南国好きには日常のような大樹だが、この樹が歩くというのは初めて聞いた。キジムナーと同じようなファンタジーかと思いきや本当に歩くようなのだ。

ガジュマルの大樹はツルが垂れ下がっているが、あれが長い年月のうちに幹となる。そうするとそれまで幹だった大樹のほうは腐り朽ちていく。その繰り返しで移動するというのだ。悠久の時間のなかでゆっくりとガジュマルが歩を進めていくのを想像しながら眺めた。ウフシュガジュマルが歩きだしたら歩道も再整備だななどと思いながら…。

ガイドルートもうまく作ってあり、ウフシュガジュマルには“遭遇する”感がある。突然目の前に現れて「おーっ!」と見上げることになる。その空間はスタートレックのセットのようにも感じた。カーク船長時代のスタートレックのスタジオセットは作り物感満載だったが、このガジュマルの大樹は本物の自然なのに作り物のような巌に囲まれた空間にそびえていた。惑星を感じる。このウフシュガジュマルの前でガイドさんに記念写真も撮ってもらった。

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●3000年前の人類に思いを馳せる

イキガ洞ではランタンに火を灯して一組ずつ渡され、暗い洞窟のなかに入っていく。中では鍾乳洞に触れる。触ってみたらめっちゃ乾いていた。もっと濡れているものだと思っていたのでガイドさんに聞いてみたが、雨が少ないと乾いていることもあるようだ。

そして最後の武芸洞。ここは埋葬されていた3000年前の人骨が地表すぐ(20センチ堀ったレベルで)発見された洞穴だ。その調査の様子は沖縄県立博物館のコラムがあったので武芸洞で検索した結果にリンクしとこう。直接的にはこのコラム。いま歩いている地表から20cmくらいのところに3000年前の墓が出てくるということは、この洞穴がいかに手付かずで自然災害からも逃れてきたかがわよくわかる。ほとんど同じ土の上を3000年前の人類も歩いていたのだ。

ガンガラーの谷は現在も調査研究が進行中で、その保存状態の良さから続々と新発見が出てくる可能性が高い。最初の待機所だったケイブカフェでも調査が進んでいく。昨年は3万5千年前ごろのシカの骨なども見つかっているようで、そのころから古代人が住んでいた可能性もあり、約2万年前の人骨として発見された港川人と呼ばれる古代人の生活の場だったのではないかともいわれているようだ。ワクワクする。

ガンガラーの谷ツアーは2008年にオープンした完全予約制のガイドツアーだが、当日空いていれば予約可能だし行く価値があると思った。洞窟カフェと勘違いしてイロモノだと思っていたら大間違いで実に素晴らしい体験だった。ちなみにカフェはいまガイドツアー参加者だけの待機所として営業していて飲みもの以外は出していなかった。ただ音楽ライブも開催されることがあるようで、そのときはライブハウスになる。それもいいな。

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80分程度のツアーだったがあっという間に終わった。暑すぎず天気もよく本当に来て良かった。ガンガラーの谷は超オススメだ。ツアーの出口は隣のおきなわワールド(玉泉洞)の駐車場前だ。この日最後の時間帯だったので玉泉洞は閉館していた。

11年前はここでドライフルーツを買い込んだことを思いだした。玉泉洞の鍾乳洞もなかなかすごいが、山口県人は秋吉台秋芳洞を知っているので対抗意識というわけではないのだが鍾乳洞だけでは驚かない(笑)。

ガンガラーの谷のガイドツアーを解散して、三々五々帰っていくツアー客たち。ほとんどはレンタカーと思われる。我々二人だけが取り残された。さてどうやって帰ろうか。妻がスマホで「新城バス停」を見つけた。ここから1.3km先で徒歩17分だった。

googleMapの高低差の悪夢がよみがえったが、来たことのない土地の散歩は二人とも嫌いじゃない。ガンガラーの谷を歩いた後ではあったが、もう夕方で多少涼しい。テクテク新城バス停まで歩いてみることにした。多少の高低差はあったが、安座間港から斎場御嶽への道のりとは雲泥の差であった。

新城バス停には18:00頃についた。次のバスは18:24だった。バス停に座るイスもある。夕方で裏の建物の影にも入れた。何の問題もない。座っているとタクシーが近づいてきて速度を落とし運転手がこちらに目配せしてくる。こちらは手を振りバス停を指さす。タクシー運転手はちょっと口元を緩めてうなずき速度を上げて走り去った。そう路線バスがある限りはバスに乗るのだ。

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ほぼ時間通りに来た琉球バスに乗り那覇市内の県庁南口まで。今朝、安座間港へ行くときに反対方向のバスに乗ったバス停が県庁南口だった。一周して来たわけだ。なんだか盛沢山の一日だった。19:00過ぎごろに着いた。

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夏旅2023 夫婦編(6)~ ニライカナイ橋の展望台に立ち寄り ~

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●ニライカナイ橋の眺望

斎場御嶽入口の南城市観光協会でタクシーを呼んでもらいガンガラーの谷へ向かうことにしたとき、タクシーで行くならニライカナイ橋の展望台に寄ることが可能かをとっさに職員さんに聞いていた。せっかく路線バスでなくタクシーなんだからという気持ちで。そしたら時間的にも問題ないということで立ち寄ることにした。

ニライカナイと聞けば「ニライカナイからの手紙」という2005年の映画をすぐ思いだす。そもそも私の沖縄好きはNHK朝ドラの「ちゅらさん」から来ていて、国仲涼子さん握手会にも行った。そこから沖縄を舞台にした作品をいろいろ見始めて、そのなかに「ニライカナイからの手紙」もあった。たしか休暇をとって平日に文化会館での上映会を見に行ったんだった。主演の蒼井優のポスターのイメージが新鮮だった。

それ以上の情報はないわけだが。しかし展望台というからには行ってみたくなった。タクシーが来ると職員さんが「ガンガラーの谷まで行かれるけど途中にニライカナイ橋の展望台に寄ってください」と運転手さんに伝えてくれた。

乗り込むとすぐにタクシーの運転手さんは「台湾から琉球に来て56年になる」と身の上話を始められた。どういう心境だったのかわからないがご本人の昔話をいろいろと話してくれた。こちらも必死に沖縄の知識を絞り出しつつ、前に来たのは34年前くらいで道路も左側通行から右側通行になってすぐだったといった相槌を打つと即座に「730」について話してくれたりした。また方言が消えていくのはさびしいという流れから「方言札」の話などもしつつ、ニライカナイ橋の展望台にはすぐに着いた。

タクシーから降りて直線の道を数十メートルあるくと展望が開ける。展望台といってもちょっとした景色の良い路肩といった感じ。ニライ橋・カナイ橋は新しい道路で歴史的な建造物でもないのでそれほど感動はないが、途中で寄れたという満足感はあった。ここで妻が撮った風景写真のなかに蝶が写り込んでいた(上右写真)。おそらく大きな蝶なのでオオゴマダラではないかと思う。沖縄県の県蝶となっている。

数分の立ち寄りだったが、寄り道大好き(だから行き当たりばっ旅大好き)なので良かった。そこから約20分でガンガラーの谷についた。その道すがら大規模な工事現場の横を通った。ショッピングセンター的なものが出来るようだ。風景も時代とともに変化していく。

●ガンガラーの谷へ

ガンガラーの谷には15:20くらいに着いた。受付にあるいていくと大きな鍾乳洞のなかにカフェがある。ここがツアー参加者の待機所になっていて、1ドリンク(飲み放題)を注文してハイビスカスティを飲んだ。15:40の回もまだ空きがあると言われたが、カフェで冷たいものを飲みたかったので予約通り16:00の回のままにした。

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夏旅2023 夫婦編(5)~ 斎場御嶽 ~

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国道331号を歩き疲れてようやくたどり着いた斎場御嶽のチケット売り場。とりあえず冷たいものを食べようと売り場横のかき氷屋さんでマンゴーかき氷とジェラートを食べた。こういうものを食べるとすぐに喉が渇くのだが、わかっていてもこの時ばかりは食べずにいられなかった。

少し休んでチケットを購入した。斎場御嶽の入口まではここからまだ500mほど先にある。あざまサンサンビーチからここまで過酷な坂道を歩いて来た。普通なら心が折れる真夏のロードだった。妻が歩けるタイプで良かった(不満はあっただろうが…)。

斎場御嶽への道のりで琉球コーラ缶を購入。炭酸が飲みたい気分でもあった。

私は11年前にガジ丸さん(故人)に連れられて来た斎場御嶽だったが、その時は目の前に軽トラを止めてふらっと入っていった記憶がある。それがいまや入口は完全に観光地として整備されていた。学習施設のようなものがあり注意事項などをビデオ鑑賞してから入場する。

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なかに入ると11年前と変わらない静かな森だった。米軍の艦砲射撃によって出来た砲弾池もそのままあった。しかし三庫理(さんぐーい)は立入禁止になっていて柵の外から三角形岩のすき間を遠めに眺めるだけ。岩が崩れる危険があるからだとか。以前は三庫理からハート型に空いた樹木の葉の奥に久高島を眺められたのに残念だ。2012年のブログのタイトル画像はそのときの写真を使ったものだった。

11年越しに久高島には渡れたが三庫理からの眺望は失われていた。月日の流れを感じた。だが琉球の歴史からすればほんの一瞬に過ぎない。観光地とはそういうものだ。

久高島を眺める場所は三庫理よりももっと手前に「久高島遥拝所」が作られていた。11年前にあったかどうか記憶にないが、斎場御嶽に久高島遥拝所は必須だと思う。今朝久高島を一周して(ヤグルカーからこちら側を眺めて来て)、午後に斎場御嶽から久高島を眺めている。路線バスと過酷な徒歩の旅を満喫していた。

●ガンガラーの谷を目指す

斎場御嶽からまたチケット売り場に戻ってきたのは15時前だった。隣に南城市観光協会があり涼みに入ってみた。そこでも斎場御嶽に関する展示・上映会をやっていた。職員の方にどうぞと促されてその動画をしばし鑑賞しクールダウン。

さて、ここからまた路線バスの時間を確認して那覇へ帰るかと考えていたが、妻はもう一カ所ガンガラーの谷という観光スポットに行けないかなと言い出した。そこは初日の候補地として久高島・斎場御嶽と並んで挙げていた第三の候補地だった。

ここは観光協会でもあるし職員さんにガンガラーの谷について聞いてみた。するとパンフレットを渡してくれて16:00からのガイドツアーもあることを知る。タクシーを使えば16:00に間に合うというので、パンフに書かれた電話番号に電話してみたところ空いているという。それで即時予約すると同時に、妻に目配せをして観光協会の職員さんにタクシーを呼んでもらった。

タクシーはほんの10分も待たずに到着した。さすが世界遺産の観光地だ。我々はついに初日候補地すべての観光を達成できることになった。

案ずるより産むがやすし。この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。そんな大げさなものではないが、いま思えばこの沖縄旅行は台風5号と6号のはざまに奇跡的に天候に恵まれた一週間の旅行だった。あと二日遅く出発していたら予定通り帰れなかっただろう。そういう偶然のなかで生まれた沖縄旅行の初日だ。レンタカーならたやすく回れたのかもしれないが、たやすくないからこそ良い思い出になるような気もした。

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夏旅2023 夫婦編(4)~ あざまサンサンビーチから国道331号へ ~

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久高島から安座間港フェリー乗り場まで高速船で戻ってきた。GoogleMapを見るとここから斎場御嶽(せいふぁうたき)まで歩いて25分。ハワイ島で1時間歩いた我々だ。まだ正午を回ったばかりだし、行けない距離ではないと歩くことにした。これが後から大変な道のりになるのだが、この時は久高島か斎場御嶽かの二者択一だと思われた両方に行ける高揚感に浸っていた。

歩くと決まれば、あざまサンサンビーチのインスタ映えスポットも見ていこうとビーチ方面に歩き出した。天気も良かった。ブランコやハートの鐘の前で写真を撮り、青い海を眺めながらペットボトルの水を飲む。しばしビーチの気分を楽しんで、サンサンロードに出て歩き始めた。

GoogleMapの案内によると、マルチャ石という史跡の横から舗装されていない駐車場のなかを通り、コマカ無人島行きフェリー乗り場を通って国道331号へ出るルートだった。

いま考えると歩いていくには最短だし最適ルートなのだろう。ただGoogle Mapは西部劇の酒場のマスターのように「歩きはやめとけ」と言ってはくれない。そこが盲点だった。真夏の高低差に人間は弱いことをGoogle Mapは知らない。そしてとんでもない坂道を“登る”はめに。

この坂道が尋常ではない。おそらく電動アシスト自転車でもあきらめて自転車を押して歩くだろう。下手すると自動車でも怖いくらいの坂道なのだ。途中に一カ所だけあった木陰で休んで水を飲みながら登り切った。それだけの坂道なので景色が開けたところでは美しい景色を拝めたのがせめてもの救いだった。同時にさっきまであの海岸線にいたのだと思うと、この高低差を歩いてきたことへの驚きもあった。

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ただ目的地は斎場御嶽だ。坂道の頂上はようやく国道331号であり、ここから斎場御嶽までまだ坂道は続く。歩道もあるにはあるが雑草が生い茂り歩きにくい。歩いている人などひとりもいない。交通量が多く車はひっきりなしに横を通る。

この時ばかりは久高島と斎場御嶽とを連続して巡るにはレンタカーが最適だと思った。フェリー乗り場でタクシーを呼ぶことも出来るがタクシーなら1分なので待ち時間のほうが長くなりそうだ。路線バスなら12:44安座間港FTから斎場御嶽へ向かう路線バスがあると思う。これを待つのが賢明だったかもしれない。ただここで徒歩の厳しさを知ったことはこの後の行程には多少役立ったかもしれない。

暑さのなか国道331号を歩いていると、ゆるやかなカーブのところにコマカ歯科クリニックの駐車場が見えてきた。咄嗟に「日陰だ」と思った。それほど過酷な行程だったのだ。あそこで小休止して水を飲もうと考えて近づくと、その先に「斎場御嶽」の文字が見えた。バス乗り場やチケット売り場がそこに見えた。それで小休止はせず、吸い込まれるようにチケット売り場の建物へ…。

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夏旅2023 夫婦編(3)~ 久高島 ~

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20230724_083930 7月24日(月)沖縄(那覇)観光初日。この日は斎場御嶽(せーふぁうたき)へ向かうか久高島へ渡るか迷っていた。どちらも妻の関心が高いパワースポットだ。私は11年前に斎場御嶽は行っているが、久高島にはハンザナシー行事の時期で渡らなかった

ハードルが高いのは久高島だった。那覇の県庁南口から港まで路線バスで約1時間は見る必要がある。久高島に渡る方法はフェリーか高速船の二択だが朝は8:00発か9:30発かの二択になる。

ホテルの朝食は6:30からなので食べてから行くなら9:30の高速船が現実的だ。ホテルの朝食は沖縄料理のビュッフェスタイルでぜひ食べたかったので、6:30から食べて高速船に乗れる時間を検討した。

しかし今度は路線バスにちょうどよいバスがない。とはいえ交通渋滞などもあるので少し早めにつく分には良いと考え、7:33県庁南口発で8:30頃に安座間港(あざまサンサンビーチ)に着く338系統斎場御嶽線を見つけた。

朝食を50分くらいで食べ終えてすぐにバス停に向かえば間に合いそうだ。国際通りあたりから朝向かうには、この338系統しか選択肢はないと思った(土日なら8:02発)。久高島に渡れずとも338系統なら斎場御嶽まで行けるので両面待ちの構えだ。天気も良かったので「久高島に渡る」という第一候補地目指して出発した。

●久高島でサイクリング

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338系統のバスは順調に進み、定刻通りあざまサンサンビーチ入口の停留所についた。千円札をさっそく両替。降りたのは我々だけ。といっても乗客も少なかったが。フェリー乗り場まで歩いていった。建物の前まで来ると11年前にここで引き返した記憶が蘇った。あの時と同じく野良猫がこちらを見ていた。

待合室に入ると涼しい。9:30の高速船チケットを往復で購入した。このとき時刻表と久高島の簡単な地図が描かれた紙をもらった。トイレにいったり開いたばかりの売店を見たりして過ごした。高速船運行時間が近づくとタクシーなどでやってくる他の観光客も増えてきたので、少し早めに船に乗った。

高速船のなかは冷房の効いた室内と扇風機だけの部屋と海風に吹かれるデッキとあったが、冷房の部屋に座った。涼しくて揺れも少ないが高速船だけあって波しぶきが大きく、窓からはほとんど何も見えなくなる。それはそれで迫力もあるが。

久高島の徳仁港に着いたらまずはレンタサイクルを借りるため船待合所売店へ。最近は電動キックボードを貸し出す業者も多い。これは他の観光地も同じだった。普通の自転車、電動アシスト自転車、電動キックボードなど選択肢は増えている。我々は普通の自転車を借りた。時間はどのくらいかかるかわからなかったが、戻りの高速船は2時間後、フェリーなら4時間後なのでとりあえず3時間コースにした。年季の入った自転車だった。

高速船のチケット売り場でもらった地図をもって走り出す。高低差はあまりないので電動アシストは不要だった。まずはイシキ浜方面へ走り最初のピザ浜で海岸に降りてみた。台風5号の影響もあるのか風は強かったが最初に見る久高島の海岸はとても気持ち良かった。他にも自転車で女性2名がいた。車もやってきたので先に進んだ。

自転車コースは島の東側から巡りカベール岬まで行って島の真ん中の道を戻るか、時間があれば西側の海岸や史跡を見て回るかになるとネット情報を得ていたが、イシキ浜を見た後に、ジグザグにカベール岬まで行ってみたくなり(前を行く自転車女子とずっと一緒というのもなんとなくオリジナリティがないようにも感じて)、左折してヤグルカーに向ってみた。

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西海岸のヤグルカーからの景色は東海岸と海の色が違った。これぞ目指していた南国景色だった。自転車と電動キックボードを借りて男女で乗り換えながら巡っていたカップルがいた。思わず「すごくきれいな景色ですね~」と声をかけてみた。そしたら男性のほうが「ほんとにそうですね~」と答えてくれて、この先は行き止まりだけど景色は素晴らしいという情報をくれた。

都会の日常で他人に話しかけることなどまずない私だが旅先では人格が変わる(笑)。いや、本来の自分に戻るのだ。基本的に声掛けする人になっている。一期一会はそこからしか生まれないから。

ヤグルカーからロマンスロードを通り、一路カベール岬へ。最後の直線はTHE島の道なのだが、日差しが強く疲れた。

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カベール岬(ハビャーン)は琉球開闢(かいびゃく)の祖アマミキヨが降臨した聖地とされる。どのコースから来てもここを目指すのが久高島観光なので観光客は多かった(といっても20名もいなかったが)。自動車でも来れる。突端で祈っている女性もいた。神聖な気持ちになる聖地なのだ。

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この時点で11:00過ぎだった。12:00の高速船で戻るか14:00まで残るかだが、12:00に港まで戻れそうな感覚があったので12:00の高速船で戻り、そこから斎場御嶽を目指すことにした。3時間コースを2時間で切り上げるわけだが、3時間コースにしていた分、余裕を持ってヤグルカーのほうへジグザグ走行できたわけで急ぎ足でもなかった。ここからさらに2時間後のフェリーまで残るより、久高島と二者択一で行けないかと思われた斎場御嶽を目指しセットで観光したいという欲も出てきたのだった。

カベール岬からの戻りは東海岸を通った。大きなガジュマルの樹のベンチ前を抜け、イシキ浜を通り、途中から右折したりしながら通っていない道を探りつつ船待合所売店へ向かった。

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その道すがら、茂みの中から下手な尺八のような音が聞こえてきて思わず自転車を止め動画モードで茂みを撮影(youtube)していた。動画を撮るためでなくその音を記録するためだった。その音はチュウダイズアカアオバトの鳴き声に違いなかった。

2013年に石垣島を旅行したのだが、そのときに録音したリュウキュウアカショウビンの声に紛れてたまたま録れていたのがチュウダイズアカアオバトの声だった。そのあまりにも特徴的な鳴き声を忘れたことはなかった。まさか久高島の真昼間に聞けるとは思っていなかった。飛行機の音が近づき鳴き声がすぐに止まってしまったのは残念だった。しかしこの一瞬の遭遇は琉球の神様の粋な計らいだったように思えた。

自転車を返して港に着くと帰りの高速船は既に停泊していた。暑かったが帰りは冷房室ではなく扇風機のある席に座って戻った。たった2時間の久高島だったが11年越しの訪問に満足していた。妻も初の離島(?)が久高島で満足していたようだった。

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夏旅2023 夫婦編(2)~ 沖縄へ到着 ~

7月23日(日)羽田空港13:40発、那覇空港16:15着のJAL917便で沖縄へ。機材変更というアナウンスがあり、搭乗1時間前まで手荷物を預けられず、試しに自動チェックインを操作したらエラーメッセージカードが出てきた。こういうエラーとかドキっとする。とりあえず乗れて良かった。搭乗前に空港内のカレーうどん店cuudにてハーフ&ハーフカレーうどんを食べた。これもなかなか美味かった。

那覇に着いたら今度は預けた手荷物が一向に出てこない。宮崎空港での悪夢が再来かと妻と笑って待っていたが、私のスーツケースだけ出てこない。結局最後の一人になってしまい、笑い事ではなくなりそうだと思ったら出てきた。スーツケースの取っ手がひとつ壊れていた。

おそらく作業員はどんな人間の荷物か裏から見ていたのではないだろうか。それでオレなら大丈夫そうだと壊れたままベルトコンベアに乗せたのではないか。あるいは宮崎空港での取手破損の情報が共有されていて「またあいつの荷物か!」と何度も壊れるのは荷物のせいだと思ったかもしれない。すべて私の妄想だが。

ただ今回のケースでは取っ手のネジが緩んでスーツケースの中に落ちて外れただけだったのでJALも弁償するほどの事故ではないと判断したのだろう。私もホテルについてスーツケースの荷物を全部出し、中に落ちていたネジを見つけてメガネ用にたまたま持っていたドライバーセットの一番大きなプラスドライバーで直せたので一件落着だった。悪いのはアメリカンツーリスターの柔なスーツケースだ。取っ手の位置も中央でなく加重に弱そうだ。買い換えたい…。

●那覇到着

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那覇空港から県庁北口までゆいレールで移動。ゆいレールはSuicaが使えるので便利。小銭を気にしなくてよいのはホッとするな。8月には沖縄でバスケットボール世界大会があるようで、その広告が車両ジャックしているラッピングゆいレールもあった。

初日から2連泊したホテルはWHGホテルグループグレイスリー那覇。国際通りの中にあり便利だった。入口からエレベータまでのエントランスホールがとにかく涼しい。真夏のシェルターかというくらい冷房が効いていて気持ち良かった。

到着が夕方だったので、ホテルでちょっと休憩したのち近場で夕食をとろうとお店を物色。こういうとき妻が頼りになる。美味しいものを探すことにかけてはOLの王道で鍛えた審美眼(?)が冴えわたる。場所は国際通りでもあり、どこも美味しそうに見える。

入ったお店は炙るチェリチェリ。まだ時間が早かったのですぐに座れたが2時間制と言われた。おそらく20時くらいから混み始めるのだろう。古民家を改修した掘り炬燵のおしゃれな空間で沖縄料理の定番やお店自慢の炙り料理をいただく。あれもこれもと食べたくなる。ジューシーおこわ稲荷で締めた。

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