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2021/08/29

鋸山美術館で吉田堅治展に出会う

8月16日(月)ビーチサイド温泉リゾートゆうみで一泊した後、どこに行くかはノープランだった。晴れていれば鋸山だったが、雨で鋸山からの眺望は望めない。緊急事態宣言下で日本寺も閉園中。景色のよさそうなところは基本的に却下。いっそ、海ほたるPAまでバスで行って昼飯でも食べて、またバスで千葉に戻ってきて電車で帰るかとも考えた。しかしこれもまた風雨の中で行ってもなぁという感じ。木更津アウトレットも雨だとテンション下がる。去年も行ったし

それなら美術館でもと内房線沿線の主だった美術館を探したが、月曜はことごとく閉館している。水害から復帰したホキ美術館に久々に行こうかとも思ったが、感染症対策で予約制になっていたりしてちょっと敷居が高かった。

東京湾フェリー金谷港のりばからフェリーに乗る道も模索した。フェリーで横須賀まで行っちゃうかとか。しかしそうすると帰宅するのに東京都を横切ることになり、感染爆発の都内を通ることになって気分が乗らない。そんなとき、鋸山美術館が月曜開館だという情報を妻が発見した。フェリーのりばのすぐ側だった。

検索すると小さな美術館だったが、「吉田堅治展」という知らない画家の特別展をやっていた。地元の画家なのかとも思ったが、知らないことを知るのは楽しいし、いま行かなければ行くこともないだろうし、ゆうみの送迎車で金谷港フェリーのりばまでは送ってくれることが分かったので、鋸山美術館を目指してみることにした。これが正解だったね!


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Kenji Yoshida 吉田堅治は地元の画家ではなかった。終戦間近のころ、特攻隊員に志願したが戦地に向かう前に終戦となり、生死の淵で「生命」を考えた画学生だったようだ。40歳になってパリに渡り「生命」について深く洞察した作品を作っている。日本ではほぼ知られていないとのことだったが、欧州では知られていて、存命中に大英博物館で回顧展が開かれた最初の日本人画家だという。鋸山美術館で流されていた動画で、大英博物館で開かれた回顧展を見た。その中の吉田堅治はとても話好きでイギリスの若者とも人懐っこく話していた。

その作品の変遷を見ていくと、色彩のない時代から、金箔・銀箔など日本画の技法を取り入れ、さらにメキシコやキューバの色彩を取り入れ、どんどん生命力に満ちた作品になっていくように見えた。しかしその「生」の表現と表裏一体の「死」が常に作品のなかに存在し、生死が混然一体となって「生命」の熱だったり混沌だったりが作品のなかに込められている。

こんな日本人画家がいたなんて。もっと日本で評価されても良いと思う。鋸山に雨が降っていなければ出会っていなかったわけだが、こんな偶然もうれしい。とても良い出会いだった。

その後、裏にある鋸山資料館も行ってみた。基本的には小中学生の見学コースのような造りの資料館で、案内ロボットが出迎えてくれる。私たちがいる間にほかの客は来なかった。昔のチラシやパンフの展示もあったりして、なかなか面白かった。

大きな荷物(リュック)を預けて美術館と資料館を見学したが、その後、フェリー乗り場の土産物屋で少し買い物もしたかった。他に客も少なかったので、リュックを美術館で預かってもらったまま、買い物にも出かけられてよかった。美術館では絵葉書を数枚買った。吉田堅治以外に金谷町を描いた良い絵葉書もあった。作家名が書かれていなかったので、後からいろいろ工夫して検索したが作家名を見つけることは出来なかった。

鋸山美術館を出て、えどもんずというカフェを目指した。月曜は定休日ではなかったが準備中で入れず。仕方なく浜金谷駅まで歩き、電車に乗った。このまま帰っても良かったが、千葉駅まで行って下車し、エキナカのピーターパンでカレーパンほかを購入し、駅のホームで軽く昼食をとり、帰途についた。

夏休みの間中、雨に降られたが、トータルには出かけてよかった。トラベルはトラブル。リゾート温泉に夕陽を見に行って大雨に出くわした体験のほうが記憶に残り、思い出話になることは、過去の夏旅で実証済みなのであった。

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2021/08/28

夕陽はなくてもリゾート温泉ゆうみでゆったり

12:48に成田駅を出発し、千葉駅で内房線に乗り換え、君津駅で再度乗り換えて、保田駅まで。2時間40分ほどの在来線の旅。なかなかの大移動だった。千葉駅の乗り換えでは時間が20分ほどあったので、エキナカパン屋のピーターパンへ。8月15日限定のマンゴーマリトッツォがあった。

今年の我が家ではマリトッツォがプチブームだった。6月に妻がドロゲリア・サンクリッカのマリトッツォを予約して買ってきた。これが後にも先にも最高に美味しかったのだが、いろんなマリトッツォを買っては食べてきた。セブンイレブンのも食べたし、浦和のラ・モーラ、原宿のなんすかぱんすかイータリー原宿店等々。それでピーターパン限定にはかなり惹かれたが、店内は大行列で乗車時間に間に合わない可能性があったので、泣く泣くパスした。

内房線は雨の中を走って、どんどん風景が田舎になっていった。埼玉と千葉とでよく比較されるが、埼玉では見ないほどの田舎駅だ(千葉県民には異論があるだろうが…)。悪い意味ではない。やはり海があることの意義は大きい。電車のドアにも開く・閉まるボタンがある(これは神奈川にもあるが)。

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天気は相変わらずの雨天で変わりない。いや、また少し雨脚は強くなったか。保田駅からリゾート温泉ゆうみまでは徒歩で約13分。送迎も前日依頼すれば来てもらえるが、今回は到着時間が読めなかったため、駅から歩いた。雨のあぜ道や線路の下をくぐりながら、早く風呂に入りたいと願った。これが晴れていれば、猛暑だったかもしれないが、寒いくらいで、レインウェアを着ていてよかった。

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ゆうみのエントランスでは男性従業員がお出迎え。雨の中、徒歩で到着する客は少ないような気がする。結構、車が止まっていた。ロビーに通され、ウェルカムドリンク(緊急事態宣言下なのでセルフサービス)の説明や女性専用の浴衣の選択をして、部屋に案内された。廊下には油絵が飾ってある。社長の親戚筋が描かれたもののようだ。ゆうみの従業員は皆さん笑顔で好感が持てる。

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ゆうみのウリのひとつが、貸切露天風呂(有料)と無料の貸切風呂だ。無料の貸切風呂は到着順に時間予約が出来、40分間ゆっくりと入ることができて実に嬉しい。ただし、どの貸切風呂かまでは指定できない(朝風呂は予約なしで空いていれば先着順)。有料露天風呂も天気さえよければ予約したかもしれないが、大雨だったからパスした…。それは次回のお楽しみとなった。露天風呂付の部屋もある。

とにかく寒かった(!)ので、できるだけ早い時間で貸切風呂を予約して入った。我々は「月」の風呂だったが、とても趣のある風呂で、晴れていれば景色も楽しめただろう。

●夕食は海の幸にアワビに里見伏姫牛

風呂から上がって一息ついてから夕食へ。夕食は2Fのダイニングルームの個室に通された。グレードアップで予約していたので、刺し盛り、アワビの踊り食いに加えて、南房総のブランド牛『里見伏姫牛』の石焼きがついていた。ゆうみのウリは夕陽ではあるが、大雨で夕陽がなくてもおいしい料理があれば救われる(笑)。食べきれないほどの美味しい料理を食べて満足したのだった。

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翌朝、5:00からの無料貸切風呂で、昨日入った「月」以外に入ろうと、5:05くらいに貸切風呂に行ったところ、すべて空いていた。一番乗りだったわけだ。そこで「岬」に入った。「岬」は少し大きめに作られていて、洗い場も2人分あった。二つの無料貸切風呂を堪能できて良かった。しかし朝から天気は雨だった…。この日は雨に加えて風も強く、風呂に風が吹き込んで来た。とりあえず雰囲気だけ確かめて、窓を閉めて湯船につかった。

朝風呂のあとは朝食だ。これまでフレンチの宿への宿泊が多かったので、久しぶりに食べる純和風な鯵の開きは実に美味かった。そして大きい!南房総で食べる魚介は最高だね。

リゾート温泉ゆうみは夕陽があればもちろんいいが、たとえ天気が悪くても居心地のいい宿だった。ただ、雨が降ってなければ行く予定だった鋸山ロープウェイに行けず、新型コロナウィルスの緊急事態宣言で日本寺も8月末まで閉まっており、鋸山という選択肢がなくなって、ここからどう観光するか、電車旅の我々は迷っていた。(つづく)

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2021/08/17

成田山新勝寺で疫病退散を祈願

Img_20210815_111253b 川豊本店でうな重を食べ終えると、外はさらに雨脚が強くなっていたが、新勝寺へ向かった。成田山という山のイメージだったので山を登るのかと思ったがすぐに着いた。

思った通り、人出は少ない。それでもゼロではない。3人組くらいの外国人のグループも複数いた。やはり混み合うなかで詣でるよりも気持ちが安らぐ。

成田山新勝寺は想像以上に見どころが多く、とても美しい寺院だった。寺院は雨にも映える。ゆっくりと見て回った。大本堂ではこの疫病が早く治まるよう祈願し、ろうそくを灯した。その後、大本堂の裏手で聖徳太子像、大日如来像、虚空蔵菩薩像を拝み、三十六童子を数えたりした。

そのまま光明堂で大日如来、愛染明王、不動明王を礼拝し、平和大塔まで進んで引き返した。

その後、出世稲荷へ向かった。長い直線の階段は「出世」と名の付く神社に多い。そこを登ってお稲荷さんを参った。「4列に並んでお進みください」と書かれていて、二人で四列に並ぶ方法を考えたり、出世の階段を降りて帰っていくのはいかがなものかとか、それで階段とは別方向に駅への道順標識があるのかとか、様々な雑念(頓智)を思い起こさせるお稲荷さんだった。

天気が良くて時間もあればもっとゆっくりしたのだが、12:48の成田線に乗らないと、鋸南町のゆうみに16:00までに着けない。この電車だけは逃せないため、12:10過ぎには成田山新勝寺を後にした。その後、参道の土産屋に10分立ち寄り、塩饅頭や栗羊羹を購入して駅に向かった。雨はまだまだ降り続く。

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千葉県へショートトリップ~まずはうな重で腹ごしらえ~

緊急事態宣言のなか開催された東京オリンピックも8月8日に閉幕したようだ。7月30日には首都圏を離れてプチ疎開をしたのだが、8月15~16日には前から決めていた千葉県に旅行した。

緊急事態宣言は8月2日から8月31日まで延期された(さらに9月中旬まで再延期を政府が検討中)。しかし旅行は予約済みだった。緊急事態宣言をうけて、キャンセルは二日前まで無料で出来ることになったので、ギリギリまで迷った。新型コロナよりも天候のほうが懸念材料だった。しかし結局出掛けてみることにした。

西日本はもはや毎年のように豪雨災害に襲われているが、今年は日本列島をスッポリ覆うように雨雲が停滞したり湧いて来たりして、連日雨が降っている。天気予報が雨だといっても降られないことが多かった私たちだったが、今回は結局ずっと雨の中だった。

前日も雨だったがユニクロへ行き、レインウェアにもなるブロックテックパーカーを購入。メンズしかなかったが、妻も少し小さめの同じ商品を買った。これで多少の雨なら問題なし。また、リュック(45L)用のカバーも、私はsea to summitのコーデュラパックカバーを持っていたが、妻は持っていないので応急処置にはなったがダイソーで自転車カゴ用のカバー(30Lくらい)を購入し代用した。帰ってみれば、レインウェアとレインカバーは必須だったと胸を撫で下ろした。

●成田山新勝寺表参道の川豊本店でうな重

最終的な目的地は、妻がネット広告で見つけた内房のリゾートホテルゆうみ(鋸南町)だった。場所は鋸山の近くだった。鋸山はカメラっ娘純情Eちゃんの地元に近い観光地で一度行きたいと思っていたので覚えていた。晴れたら鋸山ロープウェイに乗って鋸山で地獄のぞきをしたいと思った。

Eちゃんもすでに結婚している(月日が経つのは早い!)が、今回鋸山というキーワードが出てきたので、Eちゃんの夫氏に鋸山には行ったか聞いてみたら、詳細なデートコースを教えてくれた(笑)。しかし今回は梅雨のような雨の日だったので鋸山は早々にあきらめた。残念!

Dsc_0500b メインエベントの鋸山が消えたところで、私が考えたのは成田山とうな重だ。浦和にも小島屋という鰻の名店があるが、まだ妻と行ったことはなかった(いつ連れてってくれるのかは常に聞かれているがっ)。成田山新勝寺の表参道にも、鰻の名店川豊本店がある。雨の中出掛けるモチベーションに鰻は最適だ。また、私も妻も成田山新勝寺には行ったことがなかった。

成田山新勝寺の初詣は、テレビでその人出を見ているだけで二人ともアップアップだったので、閑散期のいま行くのは良いアイデアに思えた。疫病退散を祈願しに行ってみようと、まずは行先を成田市にした。

人身事故の多い日だった。また豪雨によって何本も電車が止まったり遅延していた。我々の道程も、途中常磐線が若干遅れたが、成田駅には10:00過ぎに着いた。朝食を抜いて万全の構えで川豊本店を目指した。雨は徐々に強くなっていた。

川豊本店には10:30前につき、すぐに入れた。掘りごたつの席にした。この日はまだ右足の痛みは出ていなかったが、ここで履物を脱ぐことになり細心の注意を要した。上うな重とキモ吸いを2つずつ注文。7200円だった。

Img_20210815_103553b 出てきたうな重には「小ぶりの鰻だったので、すき間に少し多めに盛り付けました。」と、ことわり書きがついていた。個体差があるのは当然なのだが、怒り出す客もいたのかもしれない。こういう気遣いは商売人らしいところだ。日本政府にもこんな気配りが必要な気がした。

上うな重は鰻1匹が乗っている。特上だと1.5匹になるそうだ。時間的にブランチという感じだったので、これくらいのサイズで十分だった。

昔、都内某所(国分寺市)で、オヤジが威張り散らす鰻屋に入ったことがある。車を止めると「曲がっている」から始まって、途中でメディアの地元取材が入ったら客はそっちのけ。そこのうな重は8000円からだったが、ほんとにやせ細った鰻だった。それ以来(25年くらいか?)、私も鰻屋にはあまりいい感情をもっていなかったのだが、そんなトラウマを払拭してくれた川豊本店のうな重だった。

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2021/08/14

野州地鶏旨汁そばと宇都宮スタバ

Cimg6776b 竜頭の滝から中禅寺湖温泉のバス停まで戻ったところでいったん下車し、バス停の向かい側にあるみやま堂で、けっこう饅頭、最中、栗羊羹を購入した。昼食も中禅寺湖で食べても良かったが、軽めでいいということで、じゃあ日光まで戻って蕎麦屋に行こうということになり、バス停に戻った。

バス停で買ったばかりのけっこう饅頭を食べながら座っていると、白タクのオッサンが声をかけてきた。バスと同じ料金で乗せられるという。だが私が「フリーパスなんで」と言うと「あーフリーパス持ってんのー」とすぐにあきらめて、また別の客を探して声をかけ始めた。白タクはフリーパスには太刀打ちできないのであった。

その後、様子を見ていたら、おばさんと交渉成立したようで連れていきつつ、別の男にも声をかけ相乗りをゲットしていた。白タクで日銭を稼ぐには相乗りは有効だろう。私も学生時代にイタリアまで安航空券で行ったとき、夜中について公共交通機関がほとんどない時間帯に白タクに捕まった経験がある。格安航空券で行って白タクに乗るなんてと思ったが、そのときは他に足がなかった。そんなことを思い出した出来事だった。

Dsc_1063b 復路のバスが来て乗り込み、そこから40分くらいで東武日光駅へ。ここで昼食の蕎麦屋を探して、見つけたのは、野州地鶏旨汁そばのむつみ庵だった。駅からは歩いて10分程度だと思うが、すでに14:00になり太陽も出て暑く、また右足が右足が痛くて杖をつきながらだったので、限りなく遠く感じた。

しかし行って良かった。おすすめメニューの野州地鶏旨汁そばセットを食べたが、このつけ汁の鶏汁は実に美味かった。そばつゆという感覚ではなく、温そばの汁という感じだった。また、ゆば小鉢や舞茸めし、舞茸天ぷらなど地元食材が堪能できた。昨日の中禅寺金谷ホテルのスペシャルディナーも栃木食材オンパレードコースだったので、来てよかったという思いを強くした。地元のものをいただくのが一番だ。

食べ終わって、駅に戻る道すがらドラッグストアがあったので立ち寄り、6時間持続する冷感シートを買って右足くるぶしの下に貼った。これでかなり楽になった。ここで帰りの電車をスマホ検索すると、あまりいい時間がない。特急も16時台までない。そこで、東武日光駅ではなく、JR日光駅から宇都宮経由で帰ることにした。

●宇都宮スタバで栃木フラペチーノ

むつみ庵からはJR日光駅のほうがずいぶん近かった。バスで来るときもJR日光駅前で降りればよかったと話しながら、JR日光駅へ。JR日光線の駅は皇室御用達のためなのか、貴賓室がバーンとあって、観光客がその「貴賓室」という看板を見たり写真を撮ったりしていた。

電車はすぐに乗れた。普通列車だが終点から終点までなのでゆっくり出来た。宇都宮駅ビルにスタバがあるのも調査済み。妻はいまご当地フラペチーノに凝っていて朝から茨城のスタバまで行ったりしていたので、宇都宮乗り換えにテンションアップしていた。スタバ(というかファストフード全般)にはとんと縁のない私は、もう乗っかるしかない。

宇都宮のスタバは大混雑だったが何とか席を確保し、妻にお任せで待った。その間、客層を観察していたのだが、なんだか首都圏より派手というかケバい人が多い気がした(偏見か?)。栃木フラペチーノはまぁ美味しかった。ちなみに8月に入って、これを書く5日前には埼玉フラペチーノを浦和のスタバで食べた。妻は埼玉限定の「多彩玉ストロベリー&シトラス・フラペチーノ」、私はスタバ夏の新作「パイナップル・フラチーノ」を。まぁ美味しかった。

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こうして一泊二日ではあったが、疫病を逃れての疎開は楽しく終了した。この日、つまり7月31日(土)、東京都の新型コロナウィルス感染者数は公式発表で4058人だった。8月14日(土)現在は5094人だ。全国では昨日2万人を超えて今日は20151人。埼玉県だけでも本日1800人となった。

まだまだ疫病は収束する気配がなく、それどころかパンデミックはこれからではないかと思わせる状況にある。政府の対応がすべて裏目に見え、有効と思われる方策(大規模検査、大規模収容など)は一切行われない。私たちはワクチン接種をしていないが、不織布マスクと石鹸手洗い、アルコール消毒だけはやって生き延びている。むやみに都心には出かけないで、たまに疎開する日常を続けるしかない。

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湯元温泉バス停から湯滝と竜頭の滝へ

Img_20210731_0917527月31日(土)、中禅寺金谷ホテルを8:30にチェックアウト。フリーパスの終点、湯元温泉行はホテル前8:53発だと前日調べていた。これを逃すと次は9:38発なので、ピンポイントでこのバスに乗ろうと決めていた。右足が痛くなって杖をつくので8:30にチェックアウトし、また長い廊下を通ってバス停へ向かった。

天気は曇りだが、昨日よりは陽射しもあり、涼しく快適な朝だった。バスは少し遅れてきた。そこそこ車も多く、日光駅前からのバスなので、遅れたのかもしれない。観光バスのような路線バスだった。とりあえず座れてよかった。

9:15頃、湯元温泉(終点)到着。温泉郷だというので、いわゆる温泉街をイメージしていたが、バス停のまわりは、なんとなく運動公園のような風景。スキー場や登山口もあるので、その入り口なんだろうか。

湯の湖という湖があり、その周りに遊歩道が整備されている。一時間もあれば一周できるようなのだが、右足も痛いし今回は滝めぐりにしようと決めていたので、ここには長居せず湯滝を目指すことにした。

Img_20210731_094553とりあえずバスの時間を確かめてから、名物のつるやの塩羊羹を買いに行った。この時間も営業中で助かった。塩羊羹を2つ購入した。このとき9:20過ぎくらい。乗ってきたバスの発車時刻は9:25なので、これに乗ろうとバス停に急いだ。杖をつきつき。

●湯滝まで散歩

湯滝入口までは近かった。そこでバスを下車して湯滝まで歩いた。ゆるやかな下り坂で足には少し堪えるが、森林の空気は気持ちがよかった。湯滝側からもハイキング出来るようで、自然好きにはとてもうれしい場所。

湯滝は華厳の滝よりも近くで鑑賞できる。滝のすぐ下でフライフィッシングをしているオッサンもいた。こんな光景を見るとすぐ『リバーランズスルーイット』が思い浮かぶわけだが、ブラッドピットではなく正名僕蔵さんに似たオッサンだった。

Img_20210731_095214b 湯滝を見ていると太陽も出てきた。これだけ滝に近いとレーナルト効果によるマイナスイオンもきっと発生しているのだろう。人がいなっくなったらマスクも外して新鮮な空気を吸い込んだ。まさに疫病戦争から疎開して来た醍醐味だ。滝めぐりにして正解だった。

湯滝入口からのバスは10:25だったので、約40分程度の滞在時間でバス停に戻った。次に目指すのは、竜頭の滝だ。そこまでは若干バスでゆっくり出来て、足の回復にも助かった。

バス停で降りたら、バス停に貼ってある時刻表をスマホで撮影して戻る時間を逆算するのだが、ここまで、東武日光駅のインフォメーションでもらったチラシに載っているバスの運行表もずいぶん役に立った。主要なバス停しか掲載されていないが、おおよその時間配分と路線図もあるので効率的に回れている。

特に日光旅行には東武日光駅前インフォメーションでの情報収集は必須だ。フリーパスも購入は必須だが、どこまでのパスを買っていくかの計画は立てたい。今回は完全に元が取れたと思う。

●竜頭の滝から滝上まで登った(下れば楽だった)

竜頭の滝は二本の滝が竜のひげに見えるところから名づけられたとのこと。ちょうど緑の濃い時期でもあり、緑の葉が竜の鱗に見えた。なかなか美しい滝だった。

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お土産屋やちょっとした飲食もできるが、まだ昼食には早いのでスルーして、滝の右横の遊歩道へ。遊歩道の手前にも祠があり、そこに吾唯足知のつくばいがあった。竜安寺ほどの風情はないが…。遊歩道からは滝を見ながら登っていくことができた。杖をつきながら登っていくと、一番上にはさっきバスで通った滝上バス停があった。こっちで降りて滝に沿って降りてくるというルートのほうが楽だったかもしれない…。とりあえず登り切ったので滝上バス停でバスを待ち、これに乗った。

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これで、前日の華厳の滝、今朝の湯滝、そして竜頭の滝と3つの滝を巡った。もうひとつ、日光東照宮に戻る途中に浦見の滝があり、そこにも寄ろうかと思ったが、バス停からちょっと遠そうだったので右足の痛さもあって、今回はこの3つの滝で打ち止めとして日光駅に戻ることにした。

(つづく)

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2021/08/12

中禅寺金谷ホテルで栃木食材を満喫

Img_20210730_144333b (つづき)英国大使館別荘跡地のカフェでスコーンと紅茶をいただいて、展示物もじっくり鑑賞した。そこからまた遊覧船に乗っても良かったが、涼しくて気持ちがいいので船の駅まで歩くことにした。途中にある立木観音を通り過ぎ、星野リゾート、リッツカールトンなどの高級ホテルを横目に見ながら歩いた。結局、遊覧船は半周だけしか乗船しなかったが、別荘跡地方面はフリーパス圏外でもあったし、遊覧船の航路もゆっくりくつろげたので良かった。

船の駅までくればフリーパス区間なので、ホテルまでにあるバス停で途中下車して回ることにして、日光二荒山神社中宮祠へ。ここは男体山信仰の起点になる神社で、何百回も信仰登山している人が表彰されたりしている。

翌日の夜来れば、中禅寺湖で神事としての花火打ち上げも見られたことを知り、もう一泊するかとも考えたが思いとどまった。

神社の裏手には栃木県の天然記念物「いちいの木」という巨樹があった。いちい=一位ということで必勝祈願に訪れる人もいるようだ。東京オリンピックの喧騒を離れ疫病戦争から疎開してきた身、ここはひとつ、いちい=一意と考え、疫病に打ち勝つよう一意専心で祈念したのであった。

神社前からホテルへ向かっても良かったが、まだ若干時間も早く、船の駅と神社との中間にあった展望台も気になったので、歩いて湖畔展望台に戻ってみた。展望台といっても下から見上げると3階建てくらいの高さで、公園にある物見矢倉のような感じだったが、エレベータで登ってみると、周りに障害物もなく中禅寺湖の眺めはよかった。まぁしかし他には何もない広場といった趣き。天気もあまりよくなかった。

●日光中禅寺温泉 中禅寺金谷ホテルへ

中禅寺金谷ホテル16:00近くなったので、またバスに乗り一路、中禅寺金谷ホテルへ。中禅寺金谷ホテルは由緒正しいホテルだ。

1873年(明治6年)に外国人御用達の宿「金谷カッテージ・イン」として開業した現在の日光金谷ホテル(本館)には、前回熱く語ったイザベラバードも宿泊してる。

中禅寺金谷ホテルは1940年(昭和15年)に日光観光ホテルとして開業された。詳しいことは金谷ホテルの歴史サイトで。森の中にたたずむオレンジ色の洋館には、たしかに欧州の香りがする。

入口は温泉露天風呂空ふろに通じる板張りの廊下の途中にあった。車で来れば駐車場側から入館してすぐフロントのようなのだが、バス停は中禅寺湖側にあるので、裏道を通ってこの裏口から入るようだ。ここから館内に入ると、フロントまでは長い回廊になってる。これもまた旅情をそそる造りで期待感が増した。

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ホテルについてひと段落。結構歩きっぱなしで疲れた。妻はここで先に風呂に行ったので、ひとりでくつろいだ。貴重品はフロント前にあるBOXに預けられるので、部屋を空けるときはそこに部屋のキーや貴重品を入れておく。風呂の入口は暗証番号制になっていた。

そして目当てのディナーだ。中禅寺金谷ホテルのスペシャルディナーコースはかなり美味しかった。栃木の食材をふんだんに使った地産地消というコースなのでなお美味い。昨年から箱根、熱海のオーベルジュやおいしいフレンチを食べ歩いていたけれど、ここで食べた栃木しゃもと日光湯波のテリーヌとちぎ和牛"匠"フィレ肉のポワレはコンラッド東京、銀座肉いさにも匹敵する美味さだったと思った。

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翌朝の朝食は7:30頃食べた。この時間は込み合うかもしれないと聞いていたが、それほどでもなく、木漏れ日のなかでゆったりと食べることができた。旅先の朝のオムレツはどうしてこんなに安らげるんだろう。

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この日はフリーパスの終点湯元温泉まで行って、そこから戻りながら滝を見て回ることにした。一つ懸念材料があった。私の右足だ。朝風呂に入ったときに、露天風呂への段差で少しひねった。普通なら何の問題もないのだが、今の私の右足はガラスの右足だ。歩くたびに痛みがある。

折り畳み式杖昔から痛みがあったのだが、年齢とともに痛みが増し、整形外科によると外反母趾とのことだ。それで足先が曲がっているうえに、くるぶしの下側も痛くなってきた。おそらく腓骨腱鞘炎も併発している。それで大事をとって最近、折り畳み式の杖を購入し持って来ていた。

身長176cmでも使える長い杖があまりなく楽天で探して購入していた。これを使う時が来た。最初はどっちの手で杖をついて、どのタイミングで動かせばいいのかわからなかったが、痛みがあると自然と使えた。やはり実践に勝るものはないな。ということで、この日は朝から杖をついて出かけた。

(つづく)

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2021/08/11

中禅寺湖にプチ疎開

前の記事でこの疫病との闘いを戦争だと書いたが、それは長い長い伏線で、本来はこちらのプチ旅行記を書くつもりだった。いつものことだが熱くなって長引いたので「オリンピックの思い出」という無難なタイトルで別記事にした。では本題。

「戦争なら疎開しなきゃ!」というわけで、7月30日(金)から1泊だけだけど、首都圏を脱出して中禅寺湖までプチ旅行してきた。初めて訪れたのだが箱根と似てる。箱根好きの私は結構気に入った。

Cimg6695日光には昨年訪れていたので、同じく日光号で東武日光駅まで電車で行き、そこで湯元温泉フリーパス(二日間有効)を購入し、中禅寺湖温泉行のバスに乗った。晴れていれば明智平で下車しロープウェイに乗りたかったが、かなりの靄でロープウェイは運航中だけどほぼ景色はない状態だったので、バスの終点まで行って華厳の滝を目指した。

華厳の滝周辺には観光客がちらほら。疎開だからこのくらいがちょうどいい。見ているうちに陽が差してきた。午前10:40頃だった。

中禅寺湖周辺には滝が4つほどあるというので、とりあえず二日間で回ろうと思った。とりあえず華厳の滝を後にして船の駅中禅寺へ。フリーパスで中禅寺湖一周フェリーが10%割引だった。反時計回りだけなので、次の菖蒲が浜で下船すると、宿泊地の中禅寺金谷ホテル近辺に直行してしまうルートだったが、まぁゆっくりしようと一周チケットを購入し乗船。乗客は20~30人というところだろうか。空いていた。男体山の頂上は雲で見えなかったが稜線だけでも美しい山だった。

菖蒲が浜をスルーして大使館別荘記念公園で下船した。40分ほど遊覧船に乗っていた。乗客が少ないから荷物を席に置いたまま左右の席やデッキに出たりした。米中経済戦争の影響でアップデートが出来ないファーウェイのスマホhoner6のカメラについているワイドアパーチャ機能がとにかく性能がよく、このカメラのためだけに使い続けているスマホで写真を撮った。遊覧船の進行方向に小舟で釣りをしている人がいて、あやうくぶつかりそうでヒヤヒヤした。

●大使館別荘跡地でゆったり過ごす

大使館別荘記念公園にはイタリアと英国の別荘跡地がある。どちらも美しい建物で、そこから見る中禅寺湖が欧州への郷愁を掻き立てたんだろうなと納得させる立地だった。

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上の写真はイタリア大使館別荘跡地(復元)。モダンな造りで美しい。ただ、少しお腹が空いてきたので、妻の好きなスコーンを食べようと英国大使館跡地に向かった。
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個人的には英国大使館別荘跡地は実に見どころも多かった。英国の外交官として19歳で来日したというアーネストサトウが1896年(明治29年)に建てたこの別荘には、何人もの著名人が滞在していた。そのなかにイザベラバードの名前を見つけたときは嬉しかった。

日本奥地紀行』で知られる探検家イザベラバードは、日光を通って東北地方を巡る旅をしたので、そのときにこの別荘を訪問したのかと思ったが違った。

イザベラバードが日光を出発したのは1878年(明治11年)なので、まだこの別荘は建っていない。しかし金谷カッテジイン(現在の金谷ホテル)にはこのとき滞在している。アーネストサトウが来日したのは明治5年ごろだから、この当時から面識はあったのかもしれない。

イザベラバードが別荘を訪問したのは別荘が建って早い時期だったと書かれていたので、年代を調べると、ちょうどイザベラバードが『朝鮮紀行』で朝鮮半島を探検していた時期だった。彼女は1894年からの3年間に4回朝鮮半島に渡っており、日本を起点としていると思われるので、そこで建築されたばかりのこの美しい別荘に招待されたのだろう。

イザベラバードについては、宮本常一著『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』で知った。宮本常一、イザベラバード、アーネストサトウが中禅寺湖のプチ旅行でつながったことにとてもワクワクした(妻は知る由もないだろうが…)。

(つづく)

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東京オリンピックの思い出

疫病が蔓延の兆しをみせるなか、7月23日に一年遅れの東京オリンピック開会式が行われた。菅義偉政権は東京オリンピックはバブル方式(関係者は徹底管理された環境のなかだけに行動を制限する)で運営するため新型コロナウィルスの蔓延にはつながらないと言い、小池百合子都知事も、オリンピックはステイホームを促し人流を減少させると述べた。

しかし、飲食店を休業に追い込み、一般人の旅行も外食も制限していながら、海外からやってくる選手は日本中で合宿をしていた。終わってみれば昨日(8月9日)時点で458人の関係者が感染した。バブル方式は最初から絵に描いた餅だった。

小池百合子都知事の言い分もまったく的外れだった。五輪の視聴がステイホームに有効ならその理屈で延期などせず東京オリンピックを開催すればよかった。感染防止のために。

当時はまだ現在の100分の1程度の感染だった(発表ベースで)。都内で34人の感染者が出た2020年6月2日、東京アラートが発動し、都庁とレインボーブリッジがレッドライトで赤く染まった。20人以上が東京アラート発動の基準だったからだ。東京五輪が開催された今年、7月28日には都内感染者数が3177人と3000人を突破、五輪も後半戦の8月5日には5042人を記録した。いま「記録した」と書いているが、これで治まるかどうかわからない。

首都圏はもはや見えない敵に襲われていた。嬉々とした大衆は五輪万歳と叫び、同じ阿保なら踊らにゃ損損状態。興味のない大衆は別の娯楽を求めて街に繰り出し、これ幸いと帰省や旅行も増加した。摩訶不思議な屁理屈によって徒手空拳で戦っている政治家の戯言が続く。「政策を間違った」とは間違っても謝らない政権と官僚。検査数も病床数も一向に増えない。(平時ならほとんど重症レベルの)中等症者は自宅療養せよと医療放棄の状態。2年も無策でこの状態に追い込まれた大衆は、ほとんど政府の発言は聞かず、メディアやSNSの情報(噂話)で自ら判断する。まるで未開の地だ。

海外ではワクチン接種済みという免罪符をもって出歩く人々が、さらに疫病を広げている。疫病のほうも次々変異し、現在はデルタ株という感染力の強い新型コロナウィルスが主流となった。こちらもいたちごっこだ。日本も周回遅れでこの道に進もうとしている。

この状態は戦争だと思った。ミサイルは飛んでこないが、無能な政府と未知の生物との戦争状態にある。不織布マスク、石鹸手洗い、アルコール消毒、換気の徹底、そしてワクチン(打ってないが)。これが現在の人類が持っている武器。ほぼ防戦一方だ。未知の生物は実態が見えず次々と変化しDNAの転写エラーを起こしながら急速に進化しては人から人に感染拡大していく。

この後、どんな世界が訪れるのかわからない。グローバル資本家はこの惨事に便乗して信じられないほどに儲けている。日本の超長期停滞を尻目に米国はインフレ懸念。気鋭の哲学者斎藤耕平は東京オリンピックを「祝祭資本主義」と断罪した。

疫病と五輪とを別問題だとしても、どちらも対応を失敗した日本政府だと思う。ツケは必ず来る。歴史が証明している。しかし歴史をイノベーションの連続(つまりは失敗の連続)と捉えるならば解決先もきっと見つかると信じたい。そのベクトルが現代に蔓延る強欲資本主義の延長にはないという思いを強くした東京オリンピックだった。

バブル方式で行われたオリンピックが終了した翌日、IOCのバッハ会長は銀座を散策。終わればバブルもなくなったというわけではない。選手は帰国するまではったりバブルのなかで行動制限されていた(もちろん違反者は出た)。さらにパラリンピックもこの後始まるのだ。バッハ会長の行動を丸川珠代五輪担当大臣は「不要不急かは個人が判断すべきだ」と発言した。

私はバッハを五輪貴族と呼んだが、オリンピックは五輪貴族にとってのコロッセウム、選手は古代ローマ帝国の剣闘士だ。その構図をもはやオブラートに包みもしない強欲資本主義の時代。運動万博はその役割を終えた(いやもはや役割すらなかったか)。

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2021/04/03

『起業の天才』を読了

大西康之著『起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』を読み終えた。3月2日のツイッターにこう書いていた。
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昔からいかがわしい人が大好物で王長徳氏や許永中氏の評伝を読んだ。政治家では野中広務氏、最近では小池百合子氏のノンフィクションも“物語として”は大好きだ。ホンカツ信者だけど江副浩正氏も読まずにいられない。
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ちょうど一か月かかった。なかなか読書の時間が取れないので、朝のトイレで少しずつ読み進むのが最近の日常だ(笑)。それも数冊かわるがわるだからそれなりに時間がかかる。しかし、その中の一冊が脳内でグルーブしてくると、その一冊を集中して選び出す。『起業の天才!』はそんな一冊だった。

いかがわしさの中に強烈に光る個性というか人間力を感じさせる人を描いた書物がときどき読みたくなる。そう思っているとそんな書物のほうから目に飛び込んでくるのかもしれない。今回は定期購読している月刊誌『FACTA』の書評で知った。

オビにある「おまえら、もっといかがわしくなれ!」は、江副浩正氏からリクルート株を“預かった”、ダイエーのカリスマ中内功氏のことばだった。佐野眞一著『完本カリスマ』は2010年に読んだが、二人とも実に魅力的ないかがわしさだ。

企業風土が正反対に見える当時のリクルートとダイエーだが、トップどうしが惹かれ合った理想の企業、つまり「社員皆経営者主義」の突破力を実現したのが江副の作ったリクルートだった。

新入社員といえどもアイデアを出した人間に事業を任せる度量は、東大卒業後にサラリーマン生活なく経営者となり、ピーター・ドラッガーの書物だけを純粋に遂行しようとした江副ならではの痛快さだ。

私も某社に入社5年目くらい(90年代後半)だっただろうか、かつてIT系の事業アイデアで社長賞をもらったことがあったが、そのアイデアは担当部門が引き継いだ(らしい)。オレにやらせろと思ったがそういうシステムはなかった。思った通り、他部門の若造が出して来たアイデアなぞ、当時の一般的日本企業では即刻ボツになる。アイデアクラッシャーがうようよしていたのだ。まさに部門の沽券にかかわるのだろう(笑)。江副浩正の先進性は驚異的だと実感する。

そんなダイバーシティの欠片もない当時の日本社会が、江副のリクルートの快進撃を面白く思わないのは当然だ。しかしこの書物を読んでちょっと驚いたのは、日本の財界やトップ企業にも先見の明を持つ人間が江副の周りにぽつぽつといた事実だった。そんな彼らも獄の人となったが。歴史の if は語れないが、歴史とはその選択によって全く変わってしまうダイナミックなものだと気づく。

結局、日本は(いや当時のメディアが)リクルート疑獄というグレーゾーンにヒートアップし、検察も追随し、その結果として日本はグローバルなIT社会をけん引する国家から脱落し、長期停滞社会に突入していった。いまだ抜け出せない(おそらくもう抜け出せない)闇のなかにある。いま政治に興味を失っている日本人たちがしっぺ返しを受けるのはさらに20年30年後なのだろう。

日本企業にはいまだに『ティール組織』は少ないと思う。ベンチャー企業にはあるかもしれないが、ベンチャー企業が育って行く環境は実に厳しい。50年も前にさらに厳しい環境のなかでリクルートを創業した江副浩正という経営者の成功と挫折の物語は、いくつもの示唆を与えてくれる。


●これまで読んだいかがわしき人々

昔からいかがわしい人が大好物だと最初に書いたが、『闇市の帝王と呼ばれた王長徳氏についての評伝(七尾和晃著)は2007年に読んだ。許永中氏の自伝は2019年10月7日にツイートしてた。その後すぐに読了した。

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何か面白い本がないかと書店に寄ったら許永中著『海峡に立つ:泥と血の我が半生』があったので買って帰った。本物の極道の書いた本だけにワクワクする。同じワルでも安倍一味はなぜかつまらない。現在進行形だからかな?
www.amazon.co.jp/dp/4093886253/…
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野中広務氏については魚住昭著『野中広務 差別と権力』が読み甲斐あり。毀誉褒貶の激しい政治家だったが、麻生太郎のような人間を許さない信念には一目置く。昨年読んだ石井妙子著『女帝 小池百合子』もすごい。人間性にはまったく惚れないが、その父娘の生き様には物語を感じる。

ホンカツ信者という言葉も説明が必要か。令和だし(笑)。ホンカツとは元朝日新聞の記者でありルポルタージュの名手本多勝一氏のこと。『日本語の作文技術』はいまも読み継がれる名著だ。私は本多勝一氏の著書を八割方読んでいる愛読者だが、南京大虐殺ほかのルポを読んだ自称右翼の人々には本多勝一を許せない人々が多く、彼らは本多勝一ファンのことも“ホンカツ信者”と名付け蔑むことを生業としているのだ。

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その本多氏を含む朝日新聞の記者がリクルートから接待を受けて安比高原にスキーツアーをしていたという記事をめぐって、当時本多勝一氏が連載もしていた『噂の真相』という月刊誌(もちろんこれも愛読誌だった)と本多氏とが仲たがいし、最終的に決裂してしまったというゴシップが当時あったのだ。リクルート疑獄の本筋とは異なる周辺エピソードの類いではあるが、ホンカツ信者としてはリクルートや安比高原スキー場と聞くと、その当時の噂の真相をついつい連想してしまうのである。

結局、私のいかがわしさ好きのルーツはウワシン(噂の真相)にあるのかもしれない(いやそうに違いない)。そんな私の本棚にはウワシンコーナーがいまもひっそりと佇んでいる(笑)。

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2021/03/28

番外編!中島みゆき「あした天気になれ」をあらためて妄想するの巻

『昭和40年男』はもう読んでいただけましたか?!「悪女」から紐解いた、中島みゆきの歌に出てくるカッコいい女たちを僕なりの妄想で書きました。

その前半では「悪女」「わかれうた」「彼女の生き方」と来て「あした天気になれ」へと連なる女たちを、涙を縦糸にして、リミックスを作るかのごとく語ってみた次第です。

一曲の歌詞を解釈することと、複数の歌を関連づけて新しい視点を見つけていくこととは、妄想とはいえ全く違うアプローチですわ。だから、この編み方でピックアップ出来なかった単体の歌詞について、それぞれ語りたいことが出て来たりして。

そこで今回は『昭和40年男』のコラムで削った単体の「あした天気になれ」を、もう一度考えてみたいと思った次第です。なんにつけ一応は妄想的解釈をするのが癖なんです。

●あしたとあたし、天気と元気

それにしてもこの歌詞、昔ながらの言い方になりますが、一番の歌詞と二番の歌詞とでテイストが違い過ぎませんか。

一番は抽象的な自己分析で、二番はそれを具体的に宝くじに例えて解説してる感じ。だけど、それぞれのサビは逆に一番が具体的な天気の話、二番が愛や孤独と精神的な話です。

とくに唐突感があるのは『昭和40年男』にも書きましたが、二番の愛と孤独です。これが一番のサビならまだ分かりやすい気がしますが、そこは中島みゆきさんです。分かりやすくはしません。たぶん。だけど、これもコラムに書いた通り、二番のサビこそが外せない核だと僕は確信してるので、ここを起点に様々な仕掛けがあるはずだと妄想スイッチが入ってしまいます。

「あした天気になれ」は「あたし元気になれ」かもしれないと考えた人は結構いますよね。たぶん。僕もそう思います。あしたが漢字で明日だとそうは考えませんが、あえてひらがなですから。僕はおこと教室の看板をおとこ教室と見間違ったことがあります。妄想脳の宿命です。話がそれました…。

絶望的観測が癖だけど夢も欲もある主人公は、まずネガティブな思考から入って、失敗を恐れて予防線張りまくり、他人には卑屈になって謙遜しまくりの人生を送っています。だけど希望は捨ててない。夢も欲もかなうはずがないと人には言いながら、心のなかではかなえたいと強く思ってる。ここまでは一般論として共感しやすい。

と、ここで「雨が好きです 雨が好きです あした天気になれ」というタイトルフレーズが出て来ます。雨が好きなのに天気になれと願う矛盾をどう解釈しましょうか。

●涙は次へのステップという公式

『昭和40年男』のコラムでは、中島みゆきの歌の女たちの涙は次へのステップという“公式”を編み出しました。これを使ってみたい。

サビで「あした天気になれ」が出てくる直前に、泣いてばかりじゃ嫌になると感情を吐露してますよね。これは世間への投げやりな捨てゼリフにも見えますが、本心が零れた瞬間だと思うんです。

この主人公は泣いてばかりじゃ嫌になるけれど、きっと泣いてばかりの人生で、だけど泣いてる自分が嫌いではないんじゃないか。たぶん。ついでにいえば孤独な自分も嫌いじゃない。それは自分が自分でいられる時間だから。世間体ばかり気にして生きてる自分が本当の自分に戻れるのは孤独に泣いてるときだけだから。そう思うわけです。

ここまで来ると僕の妄想もグルーブします。「あした天気になれ」が「あたし元気になれ」だとしたら、「雨」は「涙」なんじゃないか。本心は「涙が好きです 涙が好きです あたし孤独になれ」なんじゃないか。さらに、この孤独な涙の先に、試練を乗り越えた強い自分が生まれると主人公は信じているのではないか。だから、いわば通過儀礼として「孤独になれ」と強い願望もしくは命令調なんだと妄想が妄想を呼びます。

「あした天気になあれ」というちばてつやさんのゴルフ漫画があります。こっちは「なあれ」というゆるい願望です。でも中島みゆきさんのこの歌詞で「なあれ」は有り得ないわけです。強く「なれ」と言わなければ済まない信念があるはずなんです。「天気になあれ」はまぁあるでしょうけど、「孤独になあれ」なんてぬるいことは言えないわけです。

そして核である二番のサビも「愛が好きです 愛が好きです あたし元気になれ」が初稿なんじゃないかと妄想は止まりません。愛は孤独では存在出来ない概念です。自己愛を除いて。主人公の好きな「愛」には自己愛ももちろんあるけれど、叫ぶほどの「愛」は人間関係のなかにしかない「愛」でしょう。孤独に泣いた「涙」の先にある「愛」は孤独ではいられない。元気になった「あたし」の前に屹立する存在でなければならない訳です。

ここまでを整理すると、論理的には一番で孤独に涙を流し、二番で元気になって愛に立ち向かうほうが、時系列に沿った物語になります。しかし面白みがない。ハッとする瞬間がない。これは日記じゃなくて大衆歌謡なんだから仕掛けが必須です。

そこでまず、涙(なみだ)を雨(あめ)に置き換える。この方が語感として「愛が好きです」と対にしやすい。そして「あたし元気になれ」を「あした天気になれ」と天気で例えることで歌詞として統一感を出せるとともに、ここに一つの矛盾した感情、つまり雨が好きだけどあした天気になれと願う感情を提示します。

その結果、「孤独になれ」が一番から弾かれたけど、これを「愛が好きです」に無理くり紐付けると、ある種のギミックというか、「愛が好きなのになんで孤独になれなんて言うんだ?」とリスナーを幻惑させる仕掛けになる。しかし一番の歌詞で矛盾した感情を天気に例えた後なので、おなじ構造でなんとなく受け入れやすい。大衆歌謡としてはそこで終わっても成立するけれど、これを聴いた僕みたいな妄想脳は「愛と孤独」という現代的なテーマに思いを馳せたり出来るわけです。

倒置とか嘘と本当の転倒は中島みゆきさんの歌詞には多い気がします。統計取ったわけじゃないけど。その裏には真実らしさと時にうらはらな人間の感情への視線や愛おしさがおそらくあって、どちらもアリだと考えていらっしゃるんではないか。だから事実と嘘とがたとえ入れ替わっても、感情(歌詞)は成立するという信念があるように思うんです。

中島みゆきさんの歌は、置き換えと比喩とがパズルのように組まれている、いやあえて完成させてないパズルをリスナーにポーンと渡されてる感覚を僕は持ってます。もしかするとパズルのピースを何個か隠し持ってるみゆきさんの姿まで思い浮かびます。その欠けたピースを自分で作って埋めていく作業が楽しい。妄想的歌詞解釈の醍醐味です。まぁ富士山のパズルがバームクーヘンの断面のパズルになっちゃうかもしれないけど、それでいいんです。

●宝くじあるあるの必然性

さて、残ったのが、宝くじあるあるの二番の歌詞です。一番が抽象的だったから、分かりやすい大衆歌謡にするための説明といえばそうかもしれませんが、二番のサビ以外を全部使って丁寧に説明してるのは、中島みゆきさんの歌詞としては異例の親切さです。そこまで噛み砕かなくても分かりますからね。そこが逆に引っかかる。

で、これは説明のためというよりも、延々と続く世間話(社会あるいは世情)の象徴としてこの冗長性を置いたのではないかと思うわけです。その下世話な世間のなかで生きていく処世術を主人公もまた延々と続けることでしか受け入れてくれないこの人間世界が厳然とあり、「愛」もまた、その世界にしか存在しないというパースペクティブを読み取りました。妄想ですけど。

世間とつながるために宝くじあるあるみたいな話を延々と続け、しかしそのなかに自分自身の真実を織り込むひとり遊びをしながら、「愛が好きです」と心の中で叫び、日々孤独に泣いては「あたし元気になれ」と自分自身を鼓舞して、また人間社会に戻っていく。あたかも「悪女」の主人公が一番電車で泣いてまた悪女を演じるかのように…。人生はその繰り返しなのです。たぶん。いつか「愛」が見つかると信じて。

 

というわけで「あした天気になれ」を妄想解釈してみました。他の楽曲、この流れでいけば「彼女の生き方」なんかも、その背景とか妄想はどんどん膨らむんですけれど、機会があればまたいつか。

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2021/03/07

『昭和40年男』で中島みゆきの歌に出てくる女たちを妄想

令和3年3月11日発売の隔月刊誌『昭和40年男』(Vol.66号)の特集は「俺たちをゾクゾクさせたカッコいい女たち」だ。この雑誌の基本は定期購読だけどコンビニや書店でもよく見かける。同世代なので目につきやすいのかもしれない。兄弟誌に『昭和50年男』もあり、もうすぐ『昭和45年女』も創刊されるらしい。ニッチだね。

毎回凝った特集が組まれるが、変わってるのは次号予告が載らないこと。次号発売日の数日前まで、どんな特集かは秘密になっていて、発売直前に編集長が公式ブログでつぶやき、読者は初めて特集を知る。メイン読者が定期購読の雑誌だからこそ出来る大胆な仕掛けかもしれない。

今回は3月6日(土)にコンテンツ情報が解禁された。表紙は小泉今日子さんだ。いや~、カッコいい女の代表にふさわしい人選だね。これは店頭でも売れそうだと直感したが、実はこの第66号がどんな特集かをボクは事前に知っていた。なぜなら今号に「中島みゆきの歌に出てくる女たち」を書いたから!

9年前に『ねこみみ』というムックが発売され、そこに「中島みゆきの歌詞に住む猫」というマニアックなコラムを書かせてもらったのだけど、そのときの編集者さんつながりで、今回のコラムを昨年12月に依頼された。その日は占星術界隈では約240年ぶりに風の時代に転換する日だった(いわゆるエレメントが変わるグレートコンジャンクション)。ちょっと風に吹かれてみたくなりお受けした(なーんて)。

今回のお題は「カッコいい女たち」の文脈で中島みゆきの歌に出て来る女たちを語ったわけだが、面白くも難しい課題だった。書いてるうちに、歌に出て来る女たちと中島みゆきさんご本人とがごっちゃになり、無意識に中島みゆき論になりがちだから。そこを意識的に書き分けることが僕なりの歌詞論でもあるので頑張った。

また、昔から(そして今回のプロフィールでも)“妄想的歌詞解釈”なんて言ってるわけだが、これはそもそも歌詞解釈に正解などないという大前提のなかで、それでもメディアに言説を流している言い訳だ。照れ隠しともいえる。

今回は「夜会」に敬意を表して、僕なりの言葉の実験劇場というか、「中島みゆきの歌に出て来る女たち」をテーマに、歌の女たちによるリミックス作品を創作する気持ちで書いた。初期の「夜会」がやろうとした構造をコラムという形式のなかでやってみようというささやかな裏テーマが僕のなかにはあった。

高校時代からこすぎじゅんいちさん(故人)や田家秀樹さんの中島みゆき本を読んできたボクにとって、文章で中島みゆきさんを語りそれをメディアに載せてもらえるなんて夢のよう。こうして昔の縁で声をかけてもらえるのは中島みゆきファン冥利に尽きる。それだけにボクなりの書き味で雑誌のバラエティに貢献したいと思って書いたつもり。ファンとして生きた時代に小さな足あとを残せた感があって…。まぁ残していいものはひとつだけなのではあるが、それも含めて今号を中島みゆきファンにも中島みゆきさんにも読んでもらいたい!

ちなみに目次を見ると、カッコいい女たち特集の各パートのなかで、中島みゆきさんとユーミンとがペアになってるのにお気づきだろう。「松任谷由実の歌に出てくる女たち」があることは、原稿を書き上げてからゲラのリードを見て知った。先に知っていたら肩に力がはいっただろうか!?うーん、早く読みたい。

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2020/12/29

2020年のこと

Uso_2307振り返れば、今年はブログを1つしか書いてない。それも小池百合子なんかのことだった。都知事選落選を願ったが現職として圧勝した。そしていま東京は暗闇のなかをさまよい続けている。

2020年は歴史上稀に見る疫病の年となり、いまだ終わりが見えない。安倍晋三の嘘も小池百合子の嘘も、もはや歴史の大局とは関係のないゴシップ、スキャンダルとなり、2020年は新型コロナウイルスCOVID-19が世界中をパンデミックに陥れた年として記録される。カミュの『ペスト』やデフォーを扱ったNHKテキスト『ペストの記憶(100分de名著) 』が書店の平台に並んだ。

しかし、日本という国家のタガが外れ(私はもう滅んでいると思っているが)、安倍政治の嘘にまみれた7年間が終焉した年でもあった。安倍政治に翻弄されて自決した官僚のことも、カネにまみれたあらゆる嘘もそのままにして、ただ総理大臣を辞めた。持病の再発が理由だった。これがウソでなければよいが、また復活しないとも限らない。

嘘にまみれた政治と嘘のような世の中とで、今年の漢字は「嘘」とした(画像は毎年おなじみの漢字辞典オンラインさんから引用してます)。

Img_20200523_125131最近は、旅先や出先でスマホを使って写真を撮れば、場所も時間も記録してくれる。だからブログに残さなくても自動的に旅日記は出来てしまう。あとは「公開してみるか」というモチベーションを持てるかどうか。独身の頃はひとりの時間もあったし、妄想を言葉にする楽しみもあり、それをネットに書くことで多少なりとも反応をもらえて喜んだりした。

結婚後はブログの優先順位が下がったとはいえる。ひとくち“かます” だけならツイッターで事足りる。毎年6月に1年分の写真から厳選して夫婦のアルバムをPhotoZINEで作っている。増刊号も合わせるともう6冊くらいか。これが楽しい。一年間を振り返りながら1冊のMOOKを作っていく感覚。そこに文章も書く。記録はもうそれで充分という気分もある。

ただ、そのアルバムの文章をブログを読み直しながら記憶をたどってコピペすることはある。だからやはりブログも必要だと思い、年末に書いておこうと思い立ったわけだ。ブログは未来の自分への手紙でもある。

Img_20200919_112652_s ちなみに右の画像は9月に行った日光東照宮の階段にあった自動販売機。おーいお茶がズラッと並んでいて、思わず「多い!お茶」と叫んでしまった。ここにしか置き場がなかったので、ここに載せておきたい。

●2020年のメモ

Dsc_0389  正月は2月のキッチンリフォームを控えて大掃除に充てた。それで実家には帰らなかった。こんな疫病の時代になるなら帰っておくべきだったかもしれない。初詣は大宮の氷川神社に詣でた。年明けの連休は、毎年の恒例行事で友人たちと祐天寺で飲み会をした。これも来年は厳しいかもしれない。密を避けねばならない。菅義偉や二階俊博などの政治家のように会合三昧とはいかない。

2月はキッチン&トイレリフォームをした。2019年の秋からショールームを観に行ったりリフォーム業者さんと打合せしたりと忙しかった。キッチンはトクラスに決めた。ホワイトキッチンが妻の希望で、ではどんな白を選ぶかとなったときに予算とグレードとの兼ね合いで「白練」にした。扉の角にアールをつけた処理もポイントが高かった。扉のサイズは縦900mmと大きな収納にした。トクラスは元ヤマハグループだ。ピアノ塗装の技術を持っているということもさることながら、やはりヤマハ=中島みゆき、これだ。結婚式は葛城北の丸、キッチンはトクラス、そゆこと。

今年も新国立美術館にDOMANI明日展を鑑賞に行った。その道すがら、梅の咲き誇った青山霊園を散策し、星新一さんのお墓を参った。美術展の後は渋谷で佐野元春ライブを鑑賞し、妻と友人らとでスープカレーを食べて帰宅。

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3月、高輪ゲートウェイ駅が開通した。その一週間前にそのあたりを散策していた。その時のツイッターでは「今日高輪ゲートウェイ駅が開通した。見物客で混雑してたらしいけど僕の価値観だとこれからいつでも見られる駅よりも、開通前の失われゆく景色と始まる前だけにしか見ることのない未完成の風景が重なる一瞬の時間にこそ面白みがあると思うわけさ。楽屋裏探訪的だけど。それで一週間前に見に行ってきた。 」と書いている。過去と未来の重なる一瞬の時間が好きだ。

リフォームも完了し、そのお祝いというわけではないが、コンラッド東京のコラージュに高級フレンチを食べにも行った。実に美味しかった。アルコールが飲めない妻に名匠ソムリエが薦めてくれたFXピヒラーの葡萄ジュースも美味しかった。今年の3月29日には雪が降った。公園の桜に雪が積もった。

4月、新型コロナウイルスはどうやらそうとう危ないとわかって来た頃だ。マスク不足で、実家から母の手製のマスクが届いたりした。4月10日に大林宣彦監督が永眠。ホームシアターで『野ゆき山ゆき海べゆき』を鑑賞した。

5月、外出もままならないので、久しぶりに素描をしたりして過ごした。シャーペンで妻の絵を描いた。思いのほか楽しいので、ネット通販で新しいスケッチブックを購入。シャーペンのノリがいいと噂の「Too コピックスケッチブックSサイズ」で、暇つぶしのお絵かきにはちょうどいい。とはいえ、多少は出歩いていて、明治神宮百年大祭から新国立競技場のあたりを散策し、シェイクシャックのハンバーガーで遅めの昼食。

6月、都知事選は今年唯一ブログに書いた小池現職が圧勝。れいわ新選組の山本太郎も挑んだが完敗。山本太郎には国政に専念してほしいという支持者の声が多かったが、目の前に救うべき人々がいてそのチャンスがあるならと出た都知事選だった。コロナ禍のいま、山本太郎が都知事だったらどんな都政をしていただろうかという思いはある。妻が『映画に学ぶ!ヒーローの問題解決力』という通信講座を始めた。

Cimg62417月から8月にかけて、今年の夏旅は疫病で中止にせざるをえず、帰省もしないため、ぽっかり空いた時間で近場にショートトリップすることにした。まずは近すぎて行ったことがなかったが、怖いジェットコースターに乗ろうと東武動物公園へ。思った以上に怖いが2回乗った。2回目は目をつぶってみたが、その方が逆に怖い!ホワイトタイガーも実にカッコよかった。何気に楽しめた。午後から天候が悪化した。

8月5日には、ホキ美術館へ。一度は妻を連れて行きたかったので。微妙に遠いため、GoToトラベルを使って宿も押さえ、美術館の翌日にはアウトレットモールに行った。GoToトラベルはコロナ禍が収束してから始める経済テコ入れ政策だったはずが、小康状態のさなか開始されてしまった。冬にはこれが大失敗政策だとバレるわけだが、このときは税金を使って予算が無くなったら終了ということなので、できる限り使おうと思った。

お盆には草津温泉の宿望雲へGoToトラベル。隠れ家的な宿で、デカい和室と洋室と二部屋続きだった。夕食はデカい和室で、就寝は洋室で、朝食は別の個室ブースでと、ウイルス対策も万全だった。料理もすべて美味しくいただいた。草津の温泉はやはりいい。箱根も好きだが草津もいい。夜の西の河原公園には人影もまばらでお盆の観光地とは思えない静けさだった。

Cimg64889月になり、さらにGoToトラベルは続く。今度は日光東照宮から鬼怒川温泉へとショートトリップ。日光は草津よりもガツガツしてる感じ。神社仏閣での有り難いお話がすべて商売に絡んでいてお坊さんが営業マンに見えた。まぁそれもひとつの楽しみなのだろうが。鬼怒川方面ではSL大樹にも出会えた。時間的に終点で待つしかないかと思っていたら、途中でSL大樹が私たちの電車を追い抜くときに、外で写真が撮れるとの社内アナウンスに気分が上がった!(乗った電車の運転手さん曰く)東武鉄道が社運を賭けて取り組んでいるSL大樹。カッコよかった。

10月、筒美京平さんが80歳でこの世を去った。90年代後半にボクのプロフィールページ用に作った音楽ツリーを見ると、人生のなかで筒美京平さんの影響がとても大きかったことがあらためてわかる。

Img_20201101_163201_s 11月のとある日のおやつは葡萄。クイーンニーナとピオーネの食べ比べ。ラーメン師匠からフルーツ求道師に路線変更したS氏ご推薦のフルーツ店で買って来た。どっちも美味いが、クイーンニーナの甘さがスゴイ。6月に妻が始めた通信講座の最終月。満点で修了する。この間、テキストに載っている多くの映画を鑑賞したことも良い思い出。GoToイートで大宮のエイジングビーフを食べに行った。

楽天モバイルのフリーSIM機の調子が悪いので、秋葉原まで(メーカー保証外の)電池交換に。5Gスマホの値下げ合戦が喧しいが、通話機能なしなら毎月1200円くらいで3.1GB(翌月繰り越し可)が使えるこの環境(2台持ちの1台)を変える必然性・合理性がない。高額スマホが安くなるということは低額スマホは相対的に高くなるようなもので騙されているとしか言いようがない。資本主義も腐りきったね。

音楽の秋では、ハル・ムーニーに心酔しネット通販で2枚購入。1枚はスイスのショップから、1枚はスペインのショップから。日本以上にコロナウイルスが猛威をふるう欧州からだからか、随分待たされた。しかし実に素晴しい音楽。50年代後半のビッグバンド、オーケストラのゴージャスな音。刑事コロンボなど劇伴で活躍したハル・ムーニーを再評価した年だった。

Cimg6540_hakone_s 4回目のGoToトラベルで箱根に行った。これまでは東京を回避していたが、箱根には都内を通らざるを得なかった。箱根ではオーベルジュー・オーミラドーに宿泊。伝説のシェフ勝又登さんのオーベルジュ。シェフも既に70代であり円熟の技を堪能した。日本に本格的なオーベルジュを最初に作ったのが勝又シェフだ。ボクはパリには何度か行ってるけど「フランスの片田舎」って憧れがある。でも敷居は高い…。GoToトラベルさまさまですわ~。いまやるべき政策じゃないけどね。

読書の秋では、楡周平さんの『食王』を単行本で購読した。妻も読了した。楡周平さんのビジネス・流通小説は我が家のプチブームになった。その後、箱根に行くってんで箱根を舞台とした小説を読もうと探し、松本清張の『蒼い描点』や堂場瞬一の『チーム』などを次々と読了した。

Img_20201218_115558_s12月、友人が東京クリスマスマーケットの舞台で歌うというので観に行った。早めに行ったがものすごい人なのでウイルスを避けていったん会場を出て食事をし、舞台の時間に会場に戻った。まだこの日はそれほど厳しくなかったが、翌週末からは入場規制がかなり厳しくなったようだった。

2月以来のコンラッド東京に、アフタヌーンティーで訪問した。さすがに美味しい。結構お腹いっぱいになった。紅茶を6杯くらい飲んだだろうか。グリューワインティーの酸味が気に入り2杯飲んだ。

そして12月22日。約20年周期で木星と土星とが重なるグレート・コンジャンクション(大会合)。それも今年は水瓶座のなかで起る。占星術で言えば、これは240年ぶりくらいのことらしく、これまでの200数十年続いた「土の時代」から次の200数十年続く「風の時代」への大転換点だという。

ポップンポールとタロット占いについては前に書いたけど、星占い(というより石井ゆかりさん風に「星読み」といったほうがいいかな)は、タロットと似た面白さがありますね。星々それぞれに性格・性質、いやここも物語といった方がいいかな、そういう付加情報(ゆるい決めごと)があり、それらが時計のようにそれぞれの時間で回転し付いたり離れたりする。その距離が新しい物語を紡ぐという構造です。

どの星とどの星で物語を紡ぐかもあるし、付加情報どうしの干渉・影響をどう物語るかでもあるし、読み手の数だけ物語は生まれるわけです。それを受け取る側にも実は内的な物語がありそれが共鳴する。だけど大会合のように共通の物語も織り込まれてくる。

こういった人の思いによって案外社会は動いたりする。自然現象の見え方にも影響する。それがまた面白かったり哀しかったりする。そんな道草というか余裕というか不可知な物語が人生には必要なんじゃないかと思ったりする今日この頃です。本当か嘘かで断じることの出来ない、別のレイヤーにある物語(虚構)の世界がね。

そんなことを考えていたこの大会合の日に1本のメールが届きました。9年前の「ねこみみ」の編集者さんからでした。そんなこともあるんだね。風の時代、機会があるなら、風に吹かれてみようと思います。

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2020/06/18

『女帝 小池百合子』を深掘りするための映画5選

購入してから一週間、『女帝 小池百合子』(文芸春秋刊)を読了。久々にぐいぐい惹きこまれるノンフィクションを読んだ。現時点で15万部を超えるヒット作となっている。私が購入したときも、ナショナルチェーンといわれる大書店では品切れで、駅前の書店に行ってようやく買えた。平台に3冊残っていた。初刷だ。あまりに面白かったので何度かツイートもし、そのツイートへのインプレッションも想像以上に多い。そこで、久しぶりにブログに書き残しておこうと思った次第。

昭和・平成・令和と生き抜いてきた女の一代記。このようにしか生きられなかった宿命の親子の物語。小説だったらその迫力と行動力に圧倒されて読み終わるわけだが、これが現実のニッポン社会でまさにリアルタイムに進行している話題とリンクしているとなると背筋が凍る。

現東京都知事にまで上り詰めた主人公(もっとも初の女性総理の芽がなくなっての都知事転身だが)は、今年の7月の都知事選挙にも立候補を表明している。マスメディアも圧倒的に有利だと報道している。前回掲げた7つの公約はほとんど実現していない。築地移転問題や拉致被害者家族、あるいは過去に主人公が所属した政党の政治家など、直接この主人公とかかわった人間はこの主人公の非情さ、裏の顔に皆さん直面してきたようだが、メディアが拡散する姿は英語交じりのキャッチフレーズで視聴者を飽きさせない元キャスターの華やかな政治家だった。

21世紀に世の中を欺いてこんな生き方が出来てしまうことに驚くが、読んでない方にも、この機会にこの主人公の有り様を理解してもらう方法がないかと考え、「○○を理解する10の方法」的なノリで、いくつかの作品を紹介してみたい。『女帝 小池百合子』を読んでからこれらの作品に触れてもいいように思う。

●映画『パラサイト

 言わずと知れた、2019年度アカデミー賞受賞作であり、アカデミー賞初のアジア映画だ。格差社会の闇を描いているわけだが、パラサイトする家族を『女帝 小池百合子』の主人公家族(父娘)、金持ち家族を日本社会と置き換えるとどうだろう。

パラサイトすることの是非と、パラサイトせざるを得ない状況を作り出した社会への憤りと、異なる位相のなかで善悪を超越した物語の力に圧倒される。虚構だからこそ「面白い!」と言えるわけだが、パラサイトされた側に自分が属している気分はどうだろう。金満大国だった日本は“今は昔”で、貧困大国アメリカと相似形を目指す格差社会だ。そんな落ちぶれた日本国民を笑い飛ばすようにこの国にパラサイトする政治家こそが『女帝 小池百合子』の主人公なのだ。そんな主人公をなぜか愛国者が支持するという捻じれた社会にも戦慄が走る。


●映画『砂の器

松本清張原作の1974年の見本映画の傑作だ。故郷に居場所のなくなった父子の旅。心温かい人との出会いと別れ。そして子は自らの過去を改ざんし有名になっていく。大きな宿命を背負って。過去の改ざんを原点に生きる和賀英良の姿が、『女帝 小池百合子』の主人公に重なる。

1974年といえば、まさに『女帝 小池百合子』の主人公がエジプトで暮らしていた頃だ。1971年の秋にカイロに渡った『女帝 小池百合子』の主人公は、1973年秋にカイロ大学2年生に編入する。時は第四次中東戦争の頃だ。そして父が破産し中東に活路を得ようともがいていた時代でもある。その父が朝堂院大覚に助けを求めたのは1976年だった。

朝堂院大覚という名前が出て来て俄然興味が湧いた。『女帝 小池百合子』の主人公の父は小物で俗物だが、朝堂院大覚という大物フィクサーや石原慎太郎といった政治家にツテを辿ってつながっていく。その細い糸に全人生を賭ける姿は物語としてはとてつもなく面白いのだが、映画『砂の器』の公開と同時期にこんな生き様の父娘が実在していたとは…。

●映画『人間の証明

「父さん、私の卒業証書どうしたでしょうね?」と問うたかどうか定かでないが、『女帝 小池百合子』の主人公の父は、ツテを頼ってカイロ大学に入れた娘の自慢話をしまくり、娘もその父親の敷いたレールを自ら走る決意をする。誰も知らない過去を作り上げ、混乱のなかその物語を最大限にアピールしてのし上がっていく。

映画『人間の証明』の岡田茉莉子とは異なる隠し事とのし上がり方ではあるが、女の一代記という点で重なるところがあるような気がするんで。『砂の器』もそうだけど、過去を書き換えてのし上がるという物語の力には人を惹きつけるものがある。しかし、最終的には裁かれなければならない宿命とセットだ。

『女帝 小池百合子』の主人公は、前回の都知事選で「ジャンヌ・ダルクになります!」と叫び都民を熱狂させた。しかし築地女将の会との対話のあと、ひとりの女将に「ジャンヌ・ダルクになってくださいね」と言われて、「ジャンヌ・ダルクはね、火あぶりになるからイヤ」とささやいたそうだ。こういう二枚舌こそがこの主人公の証明。

●映画『羅生門

黒澤明監督の名作。人間のエゴとか、真実とは何かとか、とにかく見れば見るほどに様々な気づきがある。特にデジタルリマスター版の画質で観るとモノクロ映像の美しさに息を飲む。

もはや『女帝 小池百合子』を理解するためというよりも、こういう映画をしっかりみて物事を自分で考えるクセをつけることが大切だと思う。昭和世代なら誰でも知ってる映画かもしれないけれど、平成以降の日本人にはこの映画は必見の古典だろう。


●映画『スポットライト

最後はメディアの有り方について問うという意味でこの映画を。『ニュースの真相』と迷ったけど、エンターテインメントというよりはジャーナリスティックな視点を重視したいと思ってこっちにした。

新聞記者』という選択肢ももちろんあったけれど、この日本映画は安倍政権という闇をフォーカスしているので『女帝 小池百合子』の文脈では除外した。

安倍にしろ小池にしろトランプ大統領にしろフェイクがまかり通る、いや、どちらかと言えばあえてウソを積極的につき通す体質の政治家が実権を握ってしまったこの世界の危険な方向性は、もはや右だの左だのといったイデオロギーの問題ではなく、人間としての品性の問題だ。品性下劣な人間の舵取りは下劣の連鎖を生み出す。ただでさえ腐敗する権力が完全に腐臭のする肥溜め国家に国民を沈めることになる。

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2019/10/14

王道はないって話 〜 The Third Door 〜

話題のベストセラー的な書籍はあまり読まないのだが、この翻訳本は読んでみた。世の中には3つの扉がある。誰にも開かれた第一の扉、特定のVIPだけに開かれた第二の扉、そしていつでもそこにあるのに誰も教えてくれない第三の扉がある...。

まるで裏口入学みたいな話かオイシイ裏道があるかのようじゃないか(笑)。そんな道があるんなら知ってて損はないでしょ。くらいの感覚で読み始めた。人の行く裏に道あり花の山だ。

コンセプトは「著名人が成功の鍵を掴んだ人生の分かれ道」をインタビューで解き明かすみたいだったから、なるほど目の付け所が面白いと思った。おそらく皆さんサードドアを発見して成功してるんだろう、それをハイティーンの著者もサードドアを見つけてインタビューにこぎつけたんだろう、その成功譚なのかなと。

しかし読み進めていくうちに、これは成功譚というよりも、私小説のようだなという感覚になっていた。ビジネス書だと思って読み始めていたらあまりの内容の落差に驚いただろう。アマゾンのレビューをいま読んでみたが、まったく宣伝と内容が違うという怒りのコメントもいくつかあった。

基本的には成功譚ではなく失敗談だ。8割失敗し続けるバナヤン青年。途中からは「もー、バナやん!」とやんを愛称風に読んでいた。簡単にいえば「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という古くさい格言を実践した若者の私小説なのだ。

つまりサードドアとは苦労した先に開く未来の扉であり、誰にもある人生の選択をしっかり選択して行動しろって話だった。これ、もう何万回も言われ続けたような手垢つきまくりの生き方指南みたいなものなのだけど、それでもこの書籍は面白かった。それは実際に行動した若者の話だったからだと思う。

世の中にはあふれる成功譚は、功なり名を遂げた著名人が人生を振り返りながらする自慢話が多い。行動しろという説教も聞き飽きた。しかしこれを書いたバナヤン青年は若い。そして行動した。失敗の中で何を考えるかを若者が書いた。その同時代的な部分がウケたんじゃないか。

王道はない。あるとすれば行道。そんなの当たり前と思うのは私がそれなりの年齢になってしまったから。「やってみたらやっぱりそうだった」というのは説得力がある。若者がそれをピュアに書くことにも選択と行動の実践をみることもできる。さらに未来は思い描いたとおりでなくてもいいっていう希望(現実)もある。

軽く読める450ページの書物ってのは、それなりに稀有だし後味もいい。ビジネス書としてでなくオイシイ話を求めるのでもなく、ただただ若い著者の奮闘ぶりを楽しむエンターテイメント私小説ってのがこの書物のジャンルなのではなかろうか。この書物をビジネス書棚に置いてる書店は内容を読んでない。そんな書店を仕分けするのにも使える。

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2019/08/31

HDRアートモードで綴る夏旅2019

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2016年の夏旅でHDRアートモードにはまったのは直島を去ってからでした。今回はそのリベンジというわけでもないけど、宇野港、直島の風景や作品をアートモードで激写してきたので、今回も私家版瀬戸内芸術祭2019としてここに出品します(^0^)。

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2019/08/25

夏旅2019 夫婦編 ~宇野港~

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宇野港につくともう日は暮れていた。宿の uno port inn はフェリーのりばの目の前で宇野駅にも近くセブンイレブンもすぐ近い。荷物は朝のうちにあずかってもらっていた。直島観光に立地は最高で外国人客が9割だという。電話したときも最初に返って来たのは英語だった。カフェも併設していてほんとに外国のようだ。スタッフも若く活気がある。

前日キャンセルはキャンセル料100%なので、今回の台風で木曜の夜をキャンセルしたとき、二日後の土曜の夜の空いている部屋に変更してもらった。空いててよかった。

最初に予約していたのはオオシマ部屋だったが、変更後はマーカー部屋。すべての部屋に映画監督の苗字がついている。オオシマは大島渚監督、マーカーはクリス・マーカー監督という風に。マーカー部屋は300円高くなるのでついたときに差額を現金で支払った。また、直島前日なら朝が早いが、すでに観光後なので翌朝の朝食もここのカフェでゆっくり食べることにした。

ただし、外国人向けだけにシャワーはあるがテレビと風呂がない。それで部屋ではamazonプライムの番組をスマホで見たりして過ごした。風呂も直島で入って来なかったが、徒歩5分で「瀬戸内温泉たまの湯」というスーパー銭湯があるというのでそこに行った。休日はひとり1900円するが、とっても気持ち良かった。テレビ付きのマッサージチェアもあるのでそこでしばらくテレビを見て休んだ。

翌朝は8:30にカフェで朝食を食べた。他の客はみんな外国人だった。チェックアウトまで時間があるので、宇野港を散策した。ここにも瀬戸内芸術祭の作品がいくつもある。

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港の朝なのでフェリーも次々と出発したり到着したりしていて、それを見ているだけでも気持ちいい。朝から暑かったが。また宇野港側にも直島土産が置いてあるかと思ったが、玉野市土産や芸術祭関係はあるものの直島土産は一切なかった。まぁ直島は香川県だからな。そこは縦割りニッポンだ。

散歩から宿に戻り、ここから岡山駅への行き方を調べた。多少観光でもするかと思ったが、日曜でもあり新幹線のチケットもまだとっていなかったのでまずは駅でチケットを取ることが先決だ。台風がなければ土曜帰宅予定だったが、台風によって日曜帰宅となり東京行きのチケットが取れるかの心配もあった。

来るときは電車だったので帰りはバスにした。岡山駅までひとり650円(後払い)。直島の町営バス用に100円玉を大量に持ってきていたのが余っていたのでここで一気に使えて良かった。バスも快適だった。

岡山駅で新幹線のチケットを購入。さすがに並んで座れる席は空いておらず、通路側の前後席で取れた。その後、岡山土産にきびだんごなどを購入し新幹線に乗った。

前半の男4人旅に後半の夫婦二人旅という二毛作も、なかなかゴージャスでいいな。予定変更は大変だが…。台風10号はいろいろ大変だったが、そのおかげで後半も天候はよく、いい旅になった。

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夏旅2019 夫婦編 ~直島・宮ノ浦~

宮ノ浦港についたころには、17時台の宇野港行フェリーで帰る観光客がたくさんいた。この時間を逃がすと次のフェリーは19時になるため、このフェリーで帰る人は多いと思う。それに合わせてか、フェリー乗り場の土産物うりばは18時で閉店してしまう。ここが盲点だった!私たちは宇野港から徒歩1分の uno port inn に戻るだけだからあとでゆっくり買い物をすればいいと高をくくっていたら閉まってしまった…。せめて最終のフェリーが出るまでは開けといて欲しいよなー。観光シーズンだけでもさー…。というわけで、直島土産は買えなかった(ただしベネッセミュージアムのショップでは自分たち用の買い物はしていた)。

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そんな近未来が待っているとは思いもせず、「オレたちはまだ時間があるから、あっちの直島パヴィリオン観に行こうぜ!」と直島パヴィリオンに向かった。港からも見えるオブジェで、建築家の藤本壮介さんの2015年作品。前回の瀬戸内芸術祭2016出品作品だけど、前回の夏旅2016のときは駆け足だったためじっくり鑑賞できなかった。

赤い南瓜も直島パヴィリオンも、人が中に入ったりできる遊具のような作品。それだけに人とのかかわりも含めた風景全体をアートに内在しているのだと思う。いつもそこにあるが常に変化している。静的でいて実は一期一会の風景を切り取る楽しみを提供してくれる。「直島町28番目の島」というコンセプトもきっとそんな人と作品の交わりもイメージされていると思う。

今回の直島パヴィリオンではまさにそんな写真が撮れた。綺麗な少女と彼女を撮影する青年。近づくと青年は撮影の手を止めて「どうぞ」と促してくれる。「いや、お先にどうぞ」とこちらが言うと「いや、ちょっと時間がかかるんで」と笑う。

三脚立てて撮影してるので、何かの作品を作ろうとしてるのかと思い、お言葉に甘えてパヴィリオンの中に入った。そしてこちらは観光客らしく、妻のスナップ写真などを撮って、そそくさとパヴィリオンを出た。彼らはきっと多くの観光客がいなくなり夕陽の傾くこの時間を選んで撮影に来ているんだろう。

しかし結局、撮影を続ける彼ら二人を含んだ直島パヴィリオンこそいい写真になったと思う。この写真に二人がいなければ何の面白味もない記録写真のようじゃないか。パヴィリオンのなかの少女の立ち姿と青年のアングルを探る姿には、何か夏の終わりの物語を感じるではないか。

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このあと、土産を見ておけば何の問題もなかったのだが、まさか18時に土産物うりばが閉まると思っていないため銭湯に向かった。島に来るまでは銭湯に浸かる予定だったが、さすがに疲れたのとこの時期は混み合っているとの情報もあったので外観だけ眺めた。外観だけでもこの作品を楽しむことは出来る。

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銭湯を眺めてからフェリーが出るまでに夕食も食べておこうと直島カレーで有名なcin.na.mon(シナモン)さんへ向かった。ここは宿にもなっているようだ。外国人客が多かった。お約束通りの直島カレーを食べた。さすがに魚介が美味い。妻は青いコーラも飲んだ。

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夕食後、フェリー乗り場のそばを通って赤い南瓜に向かった。このときはもう土産物うりばは閉まっていたのだろうか。いや、やってたと思う。そして油断して通り過ぎたのだ。まさか18時に…(もういいか?)。宮ノ浦港の赤い南瓜。直島を代表する草間彌生の作品だ。

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孤高の黄色い南瓜とは全く異なる佇まい。誰もが中に入れて顔を出して記念撮影できる。人気も高い。港のすぐそばだけど油断すると近づけない。

島に来た時は先を争って町営バスのバス亭やレンタルサイクル店を目指すし、帰りは帰りでフェリーの時間に間に合うようにギリギリに港に戻ってくる。そうなると赤い南瓜とお土産とどちらに時間を使うかといったジレンマに陥りがちなのだ。そしてフェリーから眺めるだけになってしまう。ぜひ、宮ノ浦の作品群を観る時間も計算しつつ戻って来るべきだ。そして土産物うりばは18時に閉まることも忘れるな。

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宇野港への帰りのフェリーは19:02発。10時間ほどの直島巡り。次回はもっと時間を取って豊島など他の島にも行ってみたい。

 

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2019/08/20

夏旅2019 夫婦編 直島~家プロジェクト~

Benessehouse

家プロジェクトのある本村には正午ごろに着いた。とりあえずチケットを買おうとラウンジに行くと、南寺は入替制で混むため先に整理券をもらうように言われ、南寺に向かった。そこでもらった整理券は15:45の回だった。16:15が最終だったはずなので、ギリギリ間に合った感じだ。ベネッセミュージアムからもう少し散策を続けていたら完売だったかもしれない。

その後、他の家の係員の人にも何度か「南寺は先に整理券を」と言われ、「持ってます。15:45からなんですよ~。」というと「取れて良かったね。」とも言われた。プラチナチケットなのだ。

3年前の夏旅で来た時は、地中博物館も当日整理券で1時間程度の待ち時間で入れたが、いまや事前予約をしなければほぼ入場できない。そのうち南寺もそうなるかもしれない。ただ1回16人という少人数しか入れないため、ざっと1日448人の定員だ。WEB事前予約は相当倍率高くなるから、当日朝からの先着順でいいのかもしれない。

南寺の整理券をゲットしたのち八幡神社を通って、杉本博司さんの「護王神社」と地下の石室、宮島達男さんの「角屋」を鑑賞して、昼食に直島バーガーを食べた。

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その後、三分一博志さんの The Naoshima Plan 2019 「水」(家プロジェクトとは別の作品)、大竹伸朗さんの「はいしゃ」、先住博さんの「石橋」、須田悦弘さんの「碁会所」を順に鑑賞して回った。

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なかでも「碁会所」は、説明員のおじさんに話しかけるかどうかで鑑賞の深さがまったく異なることがわかった。二つの部屋にそれぞれ作品があるわけだが、ただ無言で見ていると通り過ぎるだけになってしまうだろう。私も危うくそんな観光客になりそうだった。

左右の部屋を見終わってから左の部屋の作品について「これは陶器ですか?」と聞いたところからコミュニケーションが生まれた。他の客が通り過ぎるなか「ちょっとあっちに」と右の部屋の前で待つように促された。「もう右も観たんだけどな。何もない部屋じゃん。」と思っていたが、左の部屋の作品は陶器ではなく朴(ホオノキ)であることや、右の部屋にも実は作品があることなどを説明してもらえた。こういうコミュニケーションも家プロジェクトの醍醐味なのかもしれない。碁会所以外はそうでもないが、碁会所では説明員さんとお喋りしたほうが楽しい。

南寺まではまだ時間があったので、少しラウンジで休んだ。とにかく暑い!まぁ台風一過だし、雨よりはいいわけだが。多少体力が戻ったところで、南寺に近い安藤忠雄のANDO MUSEUM(別料金)に入った。2003年の東大の星空講義の現場にもいた安藤ファンでもある私だ。光の教会の模型や写真、住吉の長屋の模型など興味深い展示目白押しだった。外観からは想像もつかないコンクリート打ちっぱなしの室内もテンション上がった。ここでも妻に解説しまくり…。

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ANDO MUSEUM を出ても後30分程度残っていたが、疲れたのでお茶を買って南寺の隣の公園の日陰に座って時を待った。このとき、直島ホールを観に行くべきだったが、疲れて気が回らなかった。南寺のあと直島ホールに行ったが16:00過ぎてしまっていた。次回の宿題だ。

ようやく南寺に入れる時間に。瀬戸内芸術祭パスポートを持っているのに、整理券制をしらない人が結構いて、次々に断られていた。入れる人数が限られるので仕方がないが、もう少し情報発信をしてあげないと無駄足になる。直島は観光地と言っても小さな島であり、インフラやホスピタリティが必ずしも行き届いているとは言えない。一期一会の面白さもあるけれど海外から来て整理券を知らないとか、小さい子どもを連れて入ろうとするとか、結構厳しい気がした。

南寺については神秘性を残しておいた方がいいんだろう。気持ちが落ち着く場所であることは確かだ。

これでほぼ家プロジェクトはコンプリートできた。ちょっと冷たいものを食べようと、直島ホールの向かいにあった「87momo」でふわふわかき氷を食べた。そしてすぐそばのバス亭から宮ノ浦港に戻ることに。すでに17:00近かった。

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夏旅2019 夫婦編 直島~黄色い南瓜~

8月17日(土)の朝、6:50ごろ後楽ホテルをチェックアウトし、7:10の瀬戸大橋線快速マリンライナーで茶屋町駅へ。ここで宇野線に乗り換えて宇野駅へ。この時間に着くにはこの路線一択だった。8:00にuno port inn に赴き荷物を預けた。その足で徒歩1分のフェリーのりばへ。すでに多くの観光客が待っている。8:22発の直島宮ノ浦港行フェリーに乗った。到着まで20分だ。

到着後はフェリーの右舷側から降り、町営バスの2番のりばへ。一番最初に着いたが、そこでいいのか不安でうろうろしているうちに6人目くらいになってしまった。レンタル自転車めあての列が多く、そちらかと一瞬躊躇してしまった。しかしこの時期は大量の観光客が来るため臨時便も結構でている。とくに地中美術館(この日はすでに予約チケット完売!)に直行するバスも出ていて、そちらと分散できた。

私たちは家プロジェクトをメインに考えていたが、写真撮影ポイントの草間彌生の黄色い南瓜が混む前に行っておこうと考え、予定通りつつじ荘行きに乗った。これが大当たり!数分間ではあったが、誰もいない黄色い南瓜で写真を撮ることに成功した。

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黄色い南瓜はランドマークとしても実に素晴しい作品。宮ノ浦港にある赤い南瓜よりも小さいが、作品としてはこちらのほうが好き。置かれている場所は様々な位置から見えるが、その風景との調和がなんともほほえましい。観光客が南瓜の前にズラッと並んでいる光景も、その南瓜とどうコンタクトして記念撮影するのかを観察していると、飽きることがない。一組ずつしか近づけない雰囲気を持っている。この孤高な感じは赤い南瓜にない魅力ではないだろうか。

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黄色い南瓜と戯れて人が増えてきたころ(9:30頃)、ベネッセミュージアム方面に歩く。その間にあるショップでTシャツなどを購入し、ベネッセミュージアムの中へ。ここにも素晴らしい作品群がある。しかし写真撮影禁止。ここの作品は写真撮影可にしたほうが、この素晴らしさをもっとアピールできるのにもったいない。なかにあるカフェでジュースを飲んで涼み、つつじ荘前まで戻ってバスを待った。家プロジェクトのある本村へ向かった。

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夏旅2019 夫婦編初日 倉敷美観地区

夏旅から実家に戻った後、妻とは15日に岡山駅で待ち合わせていたが、進度の遅い台風10号の上陸が危ぶまれた。お盆に台風が本州上陸、それも年中好天で有名な宇野港(直島フェリーのりば)を直撃しそうだ。そして8月14日の午前中、翌日の山陽新幹線全線運航中止の発表。すぐに徳山駅に向かった。妻にも連絡し、切符の払い戻しと翌16日の同時間に振り替えするよう話した。15日の夜宿泊予定だった宿にもキャンセルの連絡を入れた。これで台風が居座るようなら、すべての予定をキャンセルするしかない。とりあえず準備だけして15日夕方のJR発表を待っていた。

台風は若干速度を上げ、16日(金)の移動は問題なく出来ることがわかった。そこで15日の夜泊をキャンセルした Uno Port Inn に連絡し、17日(土)の夜泊可能かを確認したところ数百円高い部屋1室だけ空いておりOKとのこと。前日キャンセル料が100%の宿だったが差額だけで確保できた。16日の夜は予約していた後楽ホテルの最上階コーナールームにそのまま宿泊できる。これで出発できる。

16日はお昼に岡山駅で集合し、いったん後楽ホテルに荷物を預けて倉敷の美観地区に向かった。妻が大原美術館に行ったことがないためぜひ行こうと決めていた。大原孫三郎児島虎次郎石井十次などの話をついついしゃべり続けてしまう私だが、妻はうまく聞き流す(笑)。

とりあえず腹ごしらえ。倉敷アイビースクエアのレストランでランチを食べた。このホテルも一回泊まったが、何度行っても気持ちいい空間。ここからは児島虎次郎記念館を最初に見たいと思ったが、なんと閉館していた。2020年秋に移転して「新児島館」としてオープンするらしい。虎次郎ファンの私としては、新装オープンは喜ばしいが、妻に「里の水車」ほかの作品を見せられないのか…と思った。しかし心配ご無用!大原美術館で鑑賞できた。

大原美術館はいつ来ても楽しい。現代芸術作品もいい作品が次々と展示されていて進化している。2016年のDOMANI明日展でひときわインパクトがあった松井えり菜さんの「サンライズえり菜」(2011)があって嬉しかった。松井えり菜さんは岡山県出身なんですね。

他にも小出楢重(1887-193)の「Nの家族」(1919)や佐伯祐三「広告“ヴェルダン”」(1927)、ルチオフォンタナ「空間概念 期待」(1961)、北城貴子「Reflection – muison-so –」(2006)などが印象深かった。とくに北城貴子さんの作品は、印象派の現代的な解釈というか、とても惹きこまれる魅力を持っていた。他の作品も見てみたくなった。

Okayama_dinner_20190816_211336 あっという間に17時を回り、白桃ジュースなどを飲みながら駅に向かった。夕食は夏旅恒例のQUCHIに行きたかったのだが、今年5月に休店になっていた。店舗のあったところに行くと入居者募集の看板が寂しかった。しかたなく岡山駅前を徘徊し和風居酒屋で夕食を食べた。

後楽ホテルではフットバスを借りて足を労った。スマホの万歩計を見ると17,000歩以上歩いていた。次回、新児島館が出来た暁にはぜひ訪れたい。山陽新聞社から出版されていた『児島虎次郎』(1999)も復刊して欲しい。あるいは新たな児島虎次郎関連書籍なども期待したい。

さて、明日は台風で仕切り直しとなった直島だ。前日泊まる予定だったUno Port Innを明日に変更した。明日は朝7:10の電車に乗る必要がある。Uno Port Inn ではチェックイン前の荷物を朝7:30から預かってくれるので、8:00頃荷物を預けて8:22のフェリーに乗る予定だから。そのためには6:00頃には起きて準備しないと。早く寝ようといいつつ、0時過ぎてようやく眠った。

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夏旅2019 三日目 砂の器ロケ地巡り

竹野屋旅館で朝風呂に入り、チェックアウト後に荷物だけ預かってもらい出雲大社に向かった。宿からすぐに参道がある。そこを通って拝殿、神楽殿、天神社、北島国造館とお参りし御朱印をいただいた。

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その後、宝物殿で涼んでから宿のほうへ戻り、日本ぜんざい学会壱号店で冷やしぜんざいをいただいた。出雲大社は夏旅2003以来だろうか。あの頃はブログというツールが日本に入って来た頃で、まだホームぺージで書いていた。HTMLを知ってるとサイト作成の自由度は高かったけど、さすがにもうあの熱量でホームページ作れないなぁ…。時代は変わった。

それと、前回の「夏旅2019 二日目 TRAD な夜」で竹野屋旅館の豪勢な夕食コラージュ写真をアップしたが、肝心のカニを入れ忘れていた!痛恨の極み。このカニが前菜のように最初に出てきたのは驚いた。ここに追加して訂正します!

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さて、ここからは奥出雲への映画「砂の器」ロケ地巡りだ。まずは映画で亀嵩駅のホームとして使われた木次線の出雲八代駅へ。

映画の中で後の和賀英良こと本浦秀夫少年が療養施設に入る父本浦千代吉(加藤嘉)一行を追いかけ、ついに対面するシーンで使われたホームだ。テンション上がる!無人駅だからホームで写真も撮れるし、小説「砂の器」を手に持った警察官の顔空きパネルに顔を突っ込んで写真を撮ったりした(もちろんブログで晒さない)。撮ってくれたM氏に「シリアスな映画なのにコメディになっちゃったな」と言われた(笑)。

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次に本当の亀嵩駅にも訪れた。こちらにはカメラを持ったカップルも来ていた。「砂の器」世代なんじゃないかな。木次線の奥出雲あたりは本当に山の中で風情がある。旅情を掻き立てるといってもいいかもしれない。しかしこの奥出雲は夏旅メンバーではM氏と私だけがそんな気分であり、S氏、E氏はずっと車の中で涼んでいた。映画「砂の器」を知らなければ、ただの無人駅でしかないか…。

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ここから車で5分ほどのところに湯野神社があった。なぜかナビでは探せなかったが、「砂の器」の記念碑があり外せないスポットだ。この神社は、奥出雲に流れ着いた本浦父子が床下に潜り込み雨宿りをしながら息をひそめていた場所だ。三木謙一巡査(緒形拳)がこの階段を昇って父子と遭遇する大事なシーンだった。HDR ARTモードで撮影。

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そして今回、「砂の器」ロケ地巡りの最後の目的地は大原新田。本浦父子が放浪して亀嵩に辿り着くシーンを撮影したところらしい。それを知ったロケ地巡りサイトがあったのでリンクしておこう。

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ここまで車のナビが山道を選択し、対向車とすれ違うのも困難だったため、S氏がたいそう不機嫌になってしまった。なんの興味もないところで申し訳なかった。大原新田に辿り着き、M氏と二人で歩いてみたが、思ったほど美しくもなく、これが棚田百選かと思った。棚田というものは水を張った直後の夕暮れが美しいのかもしれないと思った。とはいえ「砂の器」ロケ地という事実に満足した。持ってきていたサントラCDを持って記念撮影した。

これで今年の夏旅の目的はすべて達成。ここからどうするかを検討した。すでにお盆真っ只中であり、今夜の宿の予約をとるには都会のほうが取りやすいため広島に一泊という案が有力だった。しかしS氏は長崎まで明日中に到着したいとのことで、出来るだけ西へ進んでおきたい。しかしあまり西に行ってしまうと私が周南市に戻れない。ということで結局、徳山駅前の東横インに決まった。ここなら私を除く3人だけでよいし。コロプラ&ポケモンで全国を駆け巡るE氏がすかさず空き部屋を検索し予約できたので、一路山口県を目指した。

徳山ではいったん私の実家に寄って大きな荷物を置き、東横インに向かった。夕食は焼肉「まんぷく苑」で。カルビやロースもネギ塩で食べられて糖質的にヘルシーで美味かった。その後、私はタクシーで実家に戻った。

翌朝、旅の精算があるため、再び迎えに来てもらい最古のガソリンを入れて精算した。M氏は徳山駅から広島に向かった。少し散策してから帰るとのこと。E氏はS氏とともに九州へ向かった。20周年の旅もいつもと変わらない夏旅の風景だった。

その後、私は実家で墓参りに行ったり買い物に行ったりして過ごした。松本清張と同時に生誕110年の太宰治についても何かしたいなと思い、生誕100年のときに書いたブログを読み直した。そこで「正義と微笑」が好きだったなぁと思い出し。どんな内容だったか忘れていたため、青空文庫を探すとすぐに見つかった。読み始めると止まらなくなり一気に読んだ。

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2019/08/19

夏旅2019 二日目 TRAD な 夜

京都の朝。こんなド観光地のド真ん中にいるのに、先を急ぐ必要があり京都を後に出発。この夏旅では京都は通過点になることが多い。それではもったいないと京都観光を中心に据えた年もあったが、基本的には通過点だ。京都が嫌いなわけじゃない。ゴールが山口・九州だからどうしてもそうなる。

京都を出発し高速で一路出雲へ。途中、宝塚北SAでソフトクリームなぞ食べながら向かった。昼食をどうするか検討しているときに、S氏がまたたまごごはんの聖地かめっちに行こうと言い出した。M氏だけかめっちを体験していないからだという理由はもっともだが、M氏だけは我々ほどの大食漢ではないし、何もたまごごはんで腹いっぱいにする必要はない。竹野屋旅館で豪勢な夕食が待っているし、昼はそこそこでいいように思っていた。

Hasinosyokudou_20190809 しかし車は聖地へ向かっていた。何とか回避する方法はないかと思案しているときに、B1グランプリで優勝だか準優勝だかをした津山ホルモンうどんの名店が、津山ICとかめっちの間に存在するという情報が飛び込んできたのだった!ここでS氏がグラついた。チャンスだ!初見参の津山ホルモンうどんはこの機会を逃がしていいのだろうか?!ノックダウン!津山ホルモンうどんに昼飯が変更になった。そして橋野食堂で2玉食べた。

今回、出雲に行くことが決まって、私からは奥出雲で映画「砂の器」ロケ地巡りがしたいと希望していた。今年は松本清張生誕110年でもあり、平成最後の日に「砂の器」シネマコンサートを鑑賞していた。本当は妻と行きたかったが、行ってみるとどこも自動車なしで巡るのは相当な時間が必要だということだった。この旅で行けたのは良かった。

奥出雲は映画のロケ地で写真を撮るだけだから時間はかからない気がしていたが、京都から出雲に向かう前に寄るには時間がなさそうだった。特に19時までに竹野屋旅館に着かなければ夕食に間に合わないため、奥出雲は翌日にして竹野屋を目指した。車内BGMは竹野屋セントラルヒーティングだ!マニアだねぇ(笑)。18時前には到着した。この日、私は山下達郎の2017年のツアーTシャツを着ていた。黒地に達郎のシルエットのやつだ。こんな客がきっとたくさんいるんだろうな(笑)。

夕食より少し早く着いたので、宿の周りを散策することにした。竹野屋旅館は出雲大社の鳥居まで徒歩で2分かかるだろうか。とにかく真ん前にある。立地は最高だ。出雲大社は明日の午前中行くことにして、出雲駅方面に歩いた。駅横に映画「RAILWAYS」で使われたデハ二50型・52号車が展示されたりしていた。

夕食時間までにはまだ時間があるが、店は結構閉まっている。18時には多くの店が閉まるのは、他の観光地と同じ。観光地の朝は早いが夜は短い。特に出雲ほどの観光地になるとほとんどは宿で夕食を食べる観光客が多いからだろうか、外で食べるところは限られそうだった。夕方とはいえ暑いので宿に戻ることにしたが、E氏だけは別だ。ポケモンGo!の熱い戦いがあるようだった。もっともこの日は仲間が得られず成立しなかったという。夕食ギリギリに戻ってきた。

夕食の部屋に入るとすでに山下達郎の曲が流れていた。これには驚かない。想定内だ。竹内まりやの楽曲も織り交ぜながら、流されていてテンションがあがる。食事のBGMに流れない曲はなにかをしゃべりながら食べ始める。Bomberは無いだろうと言っていると流れて来た。こりゃなんでも合うねぇといった結論を出しつつ食べていると、食べ終わる前に全曲一周したようだった。S氏がその全曲のタイトルを最初からすべて暗記してしゃべりだしたのは想定外だった。どんだけマニアやねん。

料理も一品一品が上品で美味しかった。言葉よりもコラージュで。

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竹野屋旅館では山下達郎&竹内まりやグッズもコーナーを設けて販売している。いくつか購入した。もちろん出雲土産も販売しているし、竹野屋オリジナル御朱印帳なども売っていた。御朱印帳は令和になって買ったばかりだったので私は買わなかったが、こうして御朱印帳が増えていく人もいると聞く。

部屋には書家が竹内まりやの詞を書いた作品なども飾ってある(部屋によって異なる)。若いスタッフもニコニコとした対応でとても好感が持てた。アルバムTRADのジャケットに使われた階段に座り同じポーズで写真を撮った(もちろんブログには載せない)。竹内まりやのルーツがここにあると思うと感慨深かった。

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夏旅2019 初日 Ride on time な夜

今年の夏旅は全員8月8日出発ならOKとすんなり決まった。妻からも「行って来ればー」とOKが出た。休暇が合わないため、妻とは後半合流し、私的夏旅とすることにした。

今年はS氏が早々に行き先候補を出して来た。出雲の竹野屋旅館だ。ファンにはおなじみ、シンガーソングライター竹内まりやの実家だ。山下達郎ファンでもあるS氏と私。異存はない。しかし予約が取れるのか?そこはE氏の得意分野で取れることが判明、M氏もすんなりOKで行き先が決まった。

出雲まで一日で行くのは辛いため、初日は京都泊になった。S氏、E氏、私の3名がS氏の車で出発し、京都でM氏と落ち合う段取り。今年は8月10日(土)から最長で18日までお盆休暇で渋滞真っ只中と予想出来た。8日に出発し10日出雲着なら渋滞もそれほどでもないだろうと思っていた。新東名高速を選んだこともあり京都まで大きな渋滞もなかった。

Kamogawakan_20190808 京都では三条駅近くの賀茂川館というレトロな旅館をS氏がチョイス。S氏は旅館好きで畳に全員で寝る修学旅行スタイルが好きなのだ。先に京都入りしたM氏は京都散策をして先に宿に着いていた。三条駅の裏にある駐車場に車を止め宿に入る。すぐに夕食を探して徘徊。三条は京都観光の中心と行ってもよく、食事をするところはいくらでもあるが、それだけにどこに入るべきか悩んで決まらない。大食漢が揃っているため、それなりのボリュームを求めているわけだが、肉なべ千葉という店が気になった。

入口に肉なべについて書いてありそれを読んでいると、ひとりの青年が声をかけて来た。「ここの優待券があるんですけど…」と優待ハガキを見せてくれた。なんだか怪しい感じもしたが、話をしていると店員さんが出て来て「あ、それ、うちの優待券ですね。いらっしゃい」と優待券が本物であるウラがとれた(青年と店とがグルということもあるけど性善説で)。まぁ、これもネタになるし肉なべにはそそられるので、青年から優待券を購入し店に入った。最終的に良心的な価格で肉なべも実に美味しく正解だった。お通しからして美味すぎた!

Nikunabechiba_20190808 それ以上に縁を感じたのは、この店のBGMだった。山下達郎が延々流れていたのだ。「おお、初日からヤマタツオンパレードの夜!」となかば興奮して店員さんに「これ有線ですか?」と聞いてみた。するとその男性店員さんが「いえ、違います」と言うので「え、誰かの選曲ですか?」と畳みかけると「あ、はい、ボクが…」とのこと。ここで我々は「ほほー!」と唸ってしまった。変な客ですまん。今年の夏旅はヤマタツ&まりやがテーマだった初日の夜だったので嬉しかったのだ。まさに Ride on time って気分でした。こんな偶然もあるんだなぁ。 

 

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夏旅 20th anniversary

夏旅 15th anniversary は2014年で、そこからは20年目まで続いているかと思いつつ、20年目が近づくにつれて続きそうな気がしてきた。そして今年20年目の夏旅を迎えた。とりあえずここまでの5年間をまずはざっと振り返っておきたい。老後のために(笑)。

2015:この年は15周年後ということで、まとめてブログを書いていたのでリンクしとこう。これまでになく近場の静岡県は修善寺で一泊。初日だけ合流可能なメンバーがいてこの選択に。逆に新鮮で良かった。修善寺の朝、浴衣姿のメンバーに見送られ、3名となって土肥港から清水港までフェリーで渡り、三保の松原を散策後、京都で一泊。翌日、伏見稲荷を観光後、姫路に向かい18時過ぎに姫路城をプチ観光。その後、岡山県の宿を確保し、奈義ビーフの熟成肉を出すQUCHI(2019年5月休店)に初来店。翌日、岡山を出て山口県へ。ここで私は実家に帰り、家族と大分県の高崎山に小猿のシャーロットちゃんを観に行った。

明石の料亭旅館人丸花壇

2016:この年は新機軸として初日はフェリーの旅となった。有明ふ頭からフェリーで徳島へ。このフェリーに乗る前に東京駅に立ち寄り、入場券を買って駅弁を買った。東京駅の「祭り」という駅弁ショップファンのS氏の提案だった。個室のとれたフェリーの旅は超快適だった。翌日午後に徳島について、徳島ラーメンのいのたにで昼食。その後、明石にて一泊。予約していた宿は料理も美味しく部屋も広くて快適だった。翌日は明石から直島へ。3年に一度の瀬戸内芸術祭2016の年だった。この当時はまだ地中美術館も当日整理券で入れていた(昨今はWEB予約で売り切れの日もある)。一時間程度待って入れた。直島半日観光後、フェリーで岡山県に戻り岡山で一泊。この日の夕食も前年同様QUCHIで絶品ステーキ。翌日は広島の鞆の浦へ向かった。古い町並みが残る街だった。そこから宿を取り広島で一泊。翌日は山口県の岩国を訪問。錦帯橋は夏旅2001で訪れた観光地で感慨深い。そして実家へ。

2017:この年はイレギュラーだった。7月に私は結婚式を挙げた。そういう事情もあって初日はS氏が単独で出発し静岡の元上司I氏のお宅訪問。翌日、名古屋でM氏と合流し二人で和歌山へ。古座川の一枚岩を見たとのこと。そして大阪へ向かってもらい、私とE氏とは別々に新大阪駅に向かいそこで全員集合した。E氏は午前中早々に大阪入りしポケモンGo!に導かれ大阪のポケモンマスターと遭遇し、一緒に電車でポケモンハントをしていたそうだ。合流後、この年話題となった安倍首相への忖度問題の震源地、森友学園の瑞穂の國記念小学院を鑑賞した。その後、岡山県に向かい3年連続となるQUCHIで奈義ビーフのステーキを食べた。ここで一泊。翌朝、E氏は次の予定で早朝に新幹線で出発、M氏も帰宅し、ここからはS氏と私の二人旅となった。そこで(?)若干逆方向にはなるが、以前行こうとして高速を降り忘れ行けなかったたまごごはんの聖地かめっちに向かった。腹いっぱい食べ、そこから日本海側へ。二人になると行き当たりばったり感が増す。美保関灯台を散策した後、浜田市のホテルを予約して一泊した。翌日は一般道で周南市へ。2017年はひとつの区切りだったかもしれない。合流できたのは1日のみ、私も結婚し、メンバーもそれぞれ忙しそうだ。しかし終わらなかった(笑)。

2018:この年は3年連続訪問していた岡山県のQUCHIの店員さんからの結婚退職メールで始まった。今年で退職するがもし我々が来るならその日以降に退職日を延長するとのこと。そう聞けば行かないわけにはいかない。全員一致で岡山入りが決定した。初日の日程調整や行程を検討し初日は岐阜の下呂温泉となった。修善寺に続き若干近場だ。西日本豪雨の影響もあったが全員集合できた。下呂温泉の泉質はとても良くまた行きたい。翌日、M氏が仕事で離脱し、3名で福井県の名田庄を目指す。ここにはドロクター(小池徹平主演ドラマ)のモデルとなった中村伸一医師がいて、お会いしたいとメールして承諾を得ていた。しかし多忙な中村院長と夏旅でのんびり旅の我々とでほんの数分差ですれ違い会えず…。個人的には宿題が残った。ここまでのブログはこちら。その後、京都の京丹後市に向かい、あみ☆けんという美味しいお店を発見。一泊し、岡山県のたまごごはんの聖地かめっちを再訪(E氏は初)。その後岡山入りして、夕飯にQUCHIを訪れた。E氏は最終の新幹線に乗るため離脱し、S氏と私だけ岡山に一泊。翌日山口県に向かった。この年のブログは中編後編と書いた。私はその後、新婚旅行でハワイ島巡りへ

2019:そして今年。詳しくはこの後のブログで。割とすんなり出発日も決まりS氏、E氏と私の3人で出発。新東名高速を通り、京都でM氏と合流。初日は京都泊。翌日は島根県の出雲へ。その後、奥出雲で映画「砂の器」ゆかりの地巡り。今年は松本清張生誕110年でもあり。そして山口県周南市へ。夏旅はここで解散。実家で数日過ごし、台風10号の影響で1日予定を変更して岡山駅で妻と合流。直島に向かった。夏旅20周年にふさわしい旅だったと思う。そして夏旅2020も普通にありそうな気がする…。2019年を20周年とする説と2021年が20周年という説もある(笑)。1999年はS氏とのラーメン旅だったので外伝という気がする。2001年は3人で夏旅初回という意識が高い。だから真の夏旅20th anniversary は2021年なのではないだろうか。そこで海外って手もあるんじゃないかなぁ。

夏旅 1st ~ 10th 

夏旅 11 ~ 15th 

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2019/05/12

平成から令和、そして夜会工場VOL.2へ

Img_20190430_235457 令和元年最初のひとくちメモは、中島みゆきさんの映画「夜会工場VOL.2 劇場版」になりました。と、その前に、平成から令和に代わるあたりの近況についてちょっと書き残しておこうかな。ちょっとと言いつつ前置きが長いのは令和になっても変わりませんが。

●平成最終日は渋谷のオーチャードホールで「砂の器」

平成最後の日、4月30日は渋谷にいました。昼は明治神宮内のレストランでランチ。妻は春限定のランチセット、私はパーコー麺を食べました。私にとっての平成はある意味“ラーメン行脚”の時代でした。平成11年に「ポップングルメ紀行 1999年・夏」を書きましたが、ラーメンに目覚めた頃で、そこからはラーメン師匠と共にラーメン行脚に明け暮れました😃 そんな私の平成最後のラーメンが明治神宮のパーコー麺というわけです。

その後、御朱印待ちの長蛇の列を横目にお参りをして、Bunkamuraのオーチャードホールへ。「砂の器シネマコンサート」を鑑賞しました。昭和の名作「砂の器」はDVDで何度も見直すほどに好きな映画で、年明けに妻にも見せたのですが、それで妻がこのシネマコンサートを見つけてきたのです。音楽が素晴らしい映画だからシネマコンサートに向いているとは思っていましたが、想像以上に素晴らしかったです。

映画とジャストにシンクロする生のオーケストラ(竹本泰蔵指揮・東京交響楽団)と近藤嘉宏さんのピアノによる交響曲「宿命」がホールに響くと、心の中で「おおーっ!」と叫んでしまいます。途中は映画にのめり込んでるけれど、音楽が鳴ったとたんに、その音圧に毎回「おおーっ!」って感じる。この感覚はシネマコンサートならではです。いやー、いい体験でした。また違う映画でも体験したいな。

Bunkamuraは夜会の聖地のような場所ですよね(オーチャードホールではなくシアターコクーンですが)。思えば夜会は平成時代の中島みゆきの活動のコアであり、平成時代がそのまますっぽり夜会時代といっても過言ではありません。そんなBunkamuraに平成最後の日に訪れたのもなにかの縁のような気もしました。

シネマコンサート終演後、近くにあるレストランVIRONで遅めの夕食をとり、渋谷駅に向かいました。あと数十分で平成が終わります。テレビ局の車やパトカーがたくさん出動していて、109の看板のうえに既に「令和」の文字が見えました。これも時代の1頁かなと思い写真に収めました。

●令和になってまた下血…

そして翌日、元号が令和になりました。そもそも元号なんてなくてもいいって生き方をしてきた私でございますが、そうはいっても「昭和」を、あるいは「昭和」という括りで語ることはこれまでも多かった気がして、合理性が求められる実務を離れたところでは日本の元号に目くじら立てたりはしません。そもそもイベント好きなんで、なんでも記念日にして楽しめればいいんです。いまの天皇制には反対です。

5月1日は浦和の調(つき)神社にお参りをして、初めて御朱印帳を書いていただきました。だから私の御朱印帳は調神社のもので令和元年初日から始まります。妻はOLの王道を歩いてきたような人なので(笑)、伊勢神宮の御朱印帳の裏表にぎっしり御朱印が溜まっています。ま、私が神社に参るのにその影響がないとは言えません。神社を戦争利用する人たちは嫌いです。

調神社では雨に降られてしまいまして、それが悪かったのかもしれませんが、翌5月2日に体調を崩します。午前中はまだよくて、御朱印帳も作ったしと大宮の氷川神社にお参りをしました。この日も行列でしたがありがたく御朱印をいただきお参りしました。しかしその帰りあたりから下痢の症状が出て、帰宅後トイレで下血しました。その症状は昨年9月下旬のときと同じでした。

令和になって二日目、ゴールデンウイーク10連休の真ん中で下血。病院もほとんどお休みに入るタイミング。そこで前回病院に行ったときを思い出し、経口補水液だけを取ることにして安静にしました。明日から2泊で予定していたプチ旅行の電車と宿もキャンセルしました。そして66時間後、なんとかおかゆと具無し味噌汁を食べました。下血も最初の一回だけで済み、GW明けから社会復帰できました。妻には心配かけました。そのせいか、妻はGW明け3日後の5月9日に体調を崩してしまいました。

●夜会工場VOL.2 劇場版に思ふ

5月11日(土)になり、ようやく妻の体調も戻り、多少動いたほうがいいかもというので、GW中の5月3日に公開されて見に行けていなかった映画「夜会工場VOL.2 劇場版」を見に行きました。個人的には旅行に行っていて初日は見れないと思っていましたが、まさか下血して寝込んで見れなくなるなんて…。

中島みゆきの夜会が始まった1989年は平成元年。中島みゆきさんにとって平成はまさに夜会とともにあった時代でした。ただ、私は初期の頃はまだコンサート派で、夜会はそれほど見ていません。学生にとっては高額チケットでしたし入手困難でもありました。たぶん、初めて見に行った夜会はシャングリラだったと思います。

そして2014年の「橋の下のアルカディア」を最前列で鑑賞するという幸運にも恵まれました。この作品は夜会のひとつの完成形と思えます(異論はもちろんあるでしょうが)。それはVOL.19で再演された後、平成最後の作品となったVOL.20の「リトル・トーキョー」がシャングリラ以来の既存曲と新曲との混合で成立する舞台になったこと、そして平成から令和への時代の変化とみゆきさん自身のメタモルフォーゼ癖(?)に起因するような気がしているわけです。

平成最後の作品と書きましたが、中島さんは基本的にほとんど過去を振り返らないので、リトル・トーキョーという作品は、平成の次の時代を見据えて作られていると思えてなりません。つまり平成=夜会時代の集大成は「橋の下のアルカディア」だったのではないかという私の妄想です。

昭和の中島みゆきは歌姫でした。そんな歌姫が平成という時代の始まりとともに夜会で歌い演じる舞姫になったわけです。歌から言葉の実験劇場へと変態(メタモルフォーゼ)した時代が平成でした。

この流れを踏まえて「夜会工場VOL.2 劇場版」はどのような存在なんだろうと思っていたとき、映画を見ながら「輪廻」という言葉がふと脳裏をよぎりました。歌から舞台へ、そして再び歌の世界へ。夜会工場VOL.2は歌(歌唱)の力を夜会から切り取って脱構築したコンサート映画(舞台)でした。

前に「橋の下のアルカディア」は「ストーリーに拘泥せず、各シーンをショートストーリーのように捉え、言葉と音に集中するといい」というひとつの見解を書きました。これは夜会全体に言えることだと思っています。このような見方をもっと過激にかつ分かりやすく構成してくれたのが「夜会工場VOL.2」のように感じました。

また前後の物語から切り離された歌そのものの有り様は、シュルレアリスム的ともいえます。しかしそのディテールは突拍子のないものでは決してなく、夜会の歴史を知っていればいるほどに、その知識が楽しみを増幅する顧客満足度の高いコンサートでもあります。ファンであればあるほど深く楽しめる大仕掛けなわけです。

このような大仕掛け、つまり30年間という時間を費やした「夜会」という体験を脱構築して提示してみせた夜会工場とは、言葉の実験劇場をリスペクトし続けたファンへの謝恩会、令和記念特別セールのようなものなのではないでしょうか。シーンをつなぎ合わせるわけでなく、曲ごとの世界観(ディテール)を楽しみなはれってことです。

これを中島みゆきの音楽回帰と捉えるのは尚早に過ぎるとは思います。しかし夜会VOL.20「リトル・トーキョー」と「夜会工場」にその片鱗を見ることはできます。昭和の歌姫と平成の舞姫の二雙の舟がひとつになることを意味していないでしょうか。令和になって何姫になるか楽しみな中島みゆきさんです。

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2019/03/10

細野晴臣あらためホチョノ・ハルオミを聴く

今日は妻が友人に誘われてユーミンの武道館コンサートに行って留守なので、オレも自宅で音楽を大音響で堪能しようと、買ったばかりの「HOCHONO HOUSE」を聴きはじめた。

名盤「HOSONO HOUSE」から46年後にセルフカヴァとして発売された「HOCHONO HOUSE」だが、そのジャケットからして、ただでは済まないだろうという予感はあった()。昨今の細野さんの生音志向とは一線を画し、「S-F-X」を彷彿とさせるテクノ感ムンムンのジャケ写真だ。

HOSONO HOUSE」のカヴァーなんだからあえてテクノである必要はないとも思ったし、あえてテクノを介在させることで21世紀の生音志向から何らかの揺り戻しメッセージがあるのかとも思った。そして細野がホチョノにならなければならなかった理由はなんなのか…。

それらの疑問や興味への応えは、ご自身によるライナーノーツでも一部明らかにされたと思う。いや、明らかにされたというより、現在進行形の細野晴臣という生身の音楽家による、自問自答の宅録がドキュメンタリーのようにパッケージングされた、気持ちの良いプライベート作品といった趣きだった。

この「プライベート作品」という趣きこそが「HOSONO HOUSE」のコアだったと思う。その意識が時を超えて同じ感覚で作品になったことがうれしい。

打ち込みあり生音ありかつてのライブ録音あり、また歌詞の一部書き換えにもドキュメンタリー感がある。真摯に作品に向き合おうとする心持ちの暖かさ。それをサービス精神といってもいいかもしれない。細野ファンにとってかゆいところに手が届くアルバムだと思う。

音楽の方法論は様々で時代との格闘はあるにせよ、「HOSONO HOUSE」にパッケージングされた若き細野晴臣の意識を、ベテランのホチョノ・ハルオミが恥かしがりながらもちゃんと汲み上げてる(持ち続けてる)ことのうれしさ。好きな音楽家がこうやって作品を作ってくれることがうれしい。

「HOSONO HOUSE」のファンにとって、このようなカヴァの方法論を受け入れられないといった声はあるだろうか?よくリメイクやリミックスなんかだとオリジナルのほうがいいとかそういう声が必ず出てくるわけだが。

しかしこれはホチョノ・ハルオミプロデュースの別物であり、当然のことながら「HOSONO HOUSE」を知り尽くした本人による現時点の音楽的実験と受け止めたい。ライナーノーツにもその苦しみが自嘲的にホチョノワールドを生み出したことが書いてあった。

今回の楽曲のなかで特筆したいのは「終わりの季節」だ。ご本人も「意表を突くとはこういうことだろう。」と書かれているが、いい意味で裏切られた。素晴らしい 演奏者細野晴臣を堪能できる。こういうのをベースヴァージョンでも作ってくれないだろうか。ミック・カーンみたいな感じで。

そして「恋は桃色」だ。テクノへの関わり方が、やはり一般大衆の耳とはずいぶん異なる細野ワールドだ。それが70年代の自身の楽曲に重なったとしても、決して“あの頃”(80年代)のテクノではなく、やはり地続きの細野ワールドであって、違和感を感じない。

逆にいうと、テクノというジャンルを創造した中心人物が、打ち込みではあってもほぼテクノ(テクノポップ)ではなかったんだと再認識させられる。あるいはテクノとは単に音楽創作上の手続きでしかなく、細野ワールドにおいてはジャンルではなかったんじゃないかと今なら思える。

なにはともあれ、細野ワールドに半身浴しつづけてきた私の人生だったし、テクノという鏡の裏表=過去と未来がつながったテクノの国のホチョノが聴けて良かった。

「HOCHONO HOUSE」を2周聞き終えて、「メディスン・コンピレーション」を聴きはじめた。この後は「オムニ・サイトシーイング」を聴きたい。どっちも10年前にリマスタリングが発売され、ひとくちメモでそれを喜んだCDだ。今日は自宅でホチョノコンサートなのだ

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2018/12/23

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 8日目オアフ島から帰国

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Day 8:2018年10月13日(土)
07:00 Honolulu,O'ahu入港
08:45 POAmerica下船
       Honolulu空港へ直行

下船前日の夜、23時くらいまでには空港に運んでもらうスーツケースなどを船室の外廊下へ出しておく。下船時間に応じてそのケースにはタグをつけるが、日本人観光客はピンクに統一されているようだ。

下船前まで出しっ放しにしていた荷物をかたずけるわけだが、翌日日本に帰るときに着る服を忘れてスーツケースにいれて廊下に出してしまうのだけは要注意。一日分の着替えを残して荷造りする。

また下船前の有料レストランにはドレスコードがない。預ける荷物をまとめてから食事できるための配慮なんだろう。しかし我々はビストロだったので、一応ちゃんとした服(襟付きのジャケットとか)で食べに行った。

まぁドレスコードのあるときだって短パンにTシャツの白人のオッサンも有料レストランで見かけたので、店側というより客側の意識の問題なんだろう。

帰国当日の早朝ホノルル港に入港した。日の出前だったがさすがにホノルル(ワイキキ)はライトアップされたように明るかった。

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朝8:30前には日本人客はシアターに集合。ここで最後の説明を受け下船する。下船後はワイキキ他に後泊する客もいれば我々のように空港に直行する客もいる。もしかすると帰国便が夜発で、数時間だけホノルル滞在できる客もいるのかもしれない。いくつかのグループに分かれて呼び出された。

Oahu_dsc_0466我々の飛行機は13:35発だったので、午前中だけでも多少寄り道して、せめて30分だけでもワイキキでショッピングくらい出来ないかと思っていたが、まったくそのような時間はない。港にリムジンが迎えに来て、それに乗って空港へ直行する。

リムジンなんて結婚式のときくらいしか乗る機会はないと思っていたが、ただの観光客の送迎にも使われるのかと思いつつ、誰も使わなそうな内装のシャンパングラスの列を眺めた。

空港までの道のりで見るホノルルの景色は大都会といった感覚。帰国後に見たブルーハワイの映像と比べるとその数十年でアメリカナイズされた都市が恐ろしくもあった。底知れない資本の嵐というか。ま、その恩恵も受けてるわけだけど。

Oahu_img_20181013_102226空港につくと、まさに長蛇の列!これこそ絵に描いた長蛇の列だと感心しながらその最後尾についた。いったい出国手続きにどれほどかかるんだろうと思っていたが、結構すいすい進んだ。10時前には出国手続きも済み、空港のなかに入った。

しかし出国まで3時間以上ある。とりあえず暇つぶしにホノルル空港のなかを散策した。昔、日本のプロ野球で活躍したという WALLY YONAMINE 選手を称えるブースなどを見たりして。野球に詳しくないのでふーんという感じではあったが。

また、妻はお約束(?)のホノルル空港限定品のバッグなどを眺めつつ、眺めるだけでは済まず購入したりして時間をつぶした()。

Oahu_dsc_0474そうこうしているうちに昼食の時間。どこに入るかを見て回り、和食の UMAIZUSHI にて昼食を食べた。私は海鮮丼のようなポケドンとスパムロールを注文した。妻はレインボウとハワイアンという寿司を注文。寿司は多いのでシェアして食べた。

寿司はグローバルな食べ物になったことを痛感する。フォーマットだけを活かし斬新な素材でローカライズする工夫というか面白さを、こんな空港の大衆寿司で感じたりするのもまた楽し…。

帰国間際のため、小額紙幣を減らしたいと思い、チップは紙幣で、食事代はカードで別々に支払った。ウエイトレスさんもそれにまったく異論なく、少額紙幣を減らすことが出来た。

13:35 Honolulu発 JL783便
Day 9:2018年10月14日(日)
16:40 成田空港着
18:07 京成アクセス特急&JR線で帰宅

帰りの飛行機では、映画を3本見た。一本は舘ひろし主演の「終わった人」を往路と同じく妻と同時再生して一緒に見た。その後は、せっかくカウアイ島に行ったのだからと、SF映画をほぼ見ない妻に「ジュラシック・ワールド」を薦め、私は観たくても見れてなかった「ハン・ソロ」を見た。スター・ウォーズのスピンオフだけど面白かった。最後にもう一本日本映画を見ようと二人で探して、ハワイ帰りなので長澤まさみと山田孝之の「50回目のファーストキス」を一緒に見た。巧者の二人の映画だしなかなか面白かった。佐藤二郎はここでもいい味。

それだけ映画を見るともう日本だ。成田空港に時間通りに降りたった。この瞬間、いきなり現実に戻ったような感覚になるのが海外旅行の寂しさか…。何度も行けるならそうでもないんだろうけど。いや、やはり非日常と日常との結界を跨ぐのはいつも、何度でも、寂しいか。

帰宅は電車にした。京成アクセス特急は普通乗車券で乗れるがとにかく待つ。30分以上待った。こんなときも二人でいれば大丈夫だぜ~、とアンジェリーナの一節を頭の中で歌いながら電車を待った(うそ)。

自宅の最寄駅近くにあるポストからアロハデータのWi-Fiルータを返却した。返却用の書類と封筒は旅行に持って行っていたので即日返却出来た。クルーズプラネットへの感想アンケートも遅くなったがちゃんと出した。クルーズ旅行はもっと盛り上がって欲しいので。

妻は翌日から仕事だった。本当はもう数日休めれば後泊なり自宅でゆっくりも出来たのだが。責任感が強いのか会社からの重圧が強いのか(両方のようだ…)。

私はまだまだ休養が必要だったので(笑)、そこからの一週間自宅にこもりっきりで、このハワイイ・クルーズ紀行の写真集を作成した。PhotoZINEの常連だったので10月中半額セールにバッチリはまった!これに間に合わせるために写真集づくりに没頭した。旅行も特価なら思い出アルバムも特価で締めた。お得で実り多き旅行だった。

表紙(表1・表4) マウイ島ラハイナのフロント・ストリート

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72頁の予定が96頁になった。ここまで含めて旅行だ。もちろんこのブログも旅の途中だ。

そして、だからこそ、いよいよこのハワイイ・クルーズ紀行も終わりを迎える。

旅行は帰って来てからが楽しいとは、地球探検隊の中村伸一隊長の言葉だが、言い得てる。旅の先に豊かな人生を上塗りしていければいいなと思う。


そうだ。帰国翌日、旅行前に壊れた洗濯機を買い換えた…。洗濯ものは溜まっていたからこれも喫緊の課題だったのだ。25年ほど使った洗濯機だった。休暇を取っておいて良かった。(完)

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2018/12/08

ハワイイ・クルーズ紀行 2018 7日目後編ナ・パリ・コースト

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大自然の荒々しさのなかに静謐さを感じさせ、水墨画のような佇まいを見せる瞬間もあった。

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あえてレトロな怪獣映画っぽいタッチにしたりしたくなる。

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刻々と姿を変えていくナ・パリ・コースト。クルージングならではの時間。

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そんな絶景よりも、お子様はチェスが好き。大人がいなくなってようやく遊べたのかな?

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ナ・パリ・コーストが見れちゃうと、雲も美しく感じる。そろそろ夕陽も落ちる時間。

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Kauai_img_20181012_211432結局、左舷の部屋ではあったけど、デッキからナ・パリ・コーストを眺めた。結果的に良かったと思う。

大きな船だから人は多いけど、早めにデッキに出て場所取りしておけばそれほどぎゅうぎゅう詰めってことはないと思う。

ナ・パリ・コーストを無事に拝めた直後、最後のディナーは予約していたビストロでフレンチ。

妻が黒い洋服だったからか黒いナプキンに取り替えてくれたり作法も味も格が違った。最終日なので赤ワインも注文。スマホで料理写真を撮る雰囲気ではなかったけど記念にデザートだけ撮った。

これでプライド・オブ・アメリカによる七日間のハワイイ・クルーズは最後の夜を迎える。今晩中に帰り支度をして預けるスーツケースはドアの外に出しておく必要がある。次回の最終回はそのあたりから帰国までを書いてみたい。

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